三 中学校・高等女学校の改革

中学校令の改正

 臨時教育会議の答申に基づいて大正八年二月七日中学校令が改正された。中学校は男子に須要な高等普通教育を行なうという従来の規定のほかに「特二国民道徳ノ養成二カムへキモノトス」という条項を付加した。中学校設置に関して市町村学校組合を加えて設置の主体を拡張した。また、中学校に予科を設置しうることとし、その入学資格を小学校卒業者と「同等以上ノ学カアリト認メラレタル者」とした。八年三月二十九日中学校令施行規則を制定し、前記の予科の修業年限を二か年とし、その入学資格を年齢十歳以上尋常小学校第四学年修了者とした。中学校入学資格に関して、尋常小学校第五学年の課程を修了し、学業優秀かつ身体の発育じゅうぶんにして中学校の課程を修むるに足ることを学校長が証明した者は受験することができるとした。これは年齢にかかわらず俊才のために進学のみちをひらく必要があるという答申に基づいたものである。

高等女学校令の改正

 臨時教育会議の女子教育の改善に関する答申に基づいて、大正九年七月六日に高等女学校令の改正が行われた。高等女学校は「女子に須要な高等普通教育を為すを以て目的とする」という従来の規定に「特二国民道徳ノ養成二カメ婦徳ノ涵養二留意スヘキモノトス」を付加した。市町村学校組合も高等女学校を設置することができるとしたのは中学校令と同様である。修業年限は五か年を基本とし、四か年も置くとした。土地の状況によっては三か年とすることもできた。これは、従来の四か年を基本とした制度を改めたものである。従来の専攻科の他に新たに高等科を設置し、それぞれ修業年限を二か年または三か年とし、高等女学校卒業者に対して専門教育または精深な程度における高等普通教育を施すこととした。これらはいずれも答申に掲げられた方策を実施したのであるが、女子教育の発達を背景としたものであった。

中学校第一種・第二種課程の採用

 文政審議会の中学校教育改善方針に基づいて昭和六年一月十日に中学校令施行規則の改正を行なった。

 第一章に「生徒教養ノ要旨」を新たに加え、第二章を「学科及其ノ程度」とし、以下従来と同様の構成をとった規則とした。

 「生徒教養要旨」において、中学校を「小学校教育ノ基礎」の上に立つ教育として位置づけ、中学校における道徳教育、国民教育(公民教育)、普通教育、体育の四側面に関する生徒教養上の留意点を明示し、中学校の性格の変化に対処した。

 「学科及其ノ程度」において、上級学年において第一種・第二種の課程を編成し、その一課程を選修させることにした。すなわち学科目を基本科目と増課科目に分け、第四学年または第三学年以上において基本科目に増課科日を組み合わせて、卒業後ただちに実際生活にはいるもののため実業、理科を重んじた第一種課程と、上級学校に進学するもののための外国語、数学を重んじた第二種課程を設け、生徒にその一課程を選択履修させることとした。

 特別の事情ある場合、文部大臣の認可を得て、いずれか一方の課程だけを置くことができるとした。中学校第一種・第二種の課程を採用したことは中学校の制度改革によらず、学科課程の編成に改革を加え、これによって中学校の性格を改めようとしたものであった。

中学校教育内容の改善

 臨時教育会議の中学校改善の方針に基づいた学科内容の改革は、まず大正八年三月二十九日の中学校令施行規則改正によって行なわれた。中学校においては、国民道徳の養成に関連する事項は「何レノ学科目二於テモ常二留意シテ教授センコトヲ要ス」として全学科目で取り扱うことが必要だとしている。また、物理および化学に関して実験は必ず課すこととし、毎週教授時数を増加し第三学年より課することとした。実業については「手工」を「工業」に改めこれを正科とし、毎週教授時数を確定し、なるべく実習を課することとした。なお、十四年四月一日中学校教授要目中物理および化学が改定され、施行規則中に規定された物理および化学に対応した教授要目を整備した。

 十四年四月四日中学校令施行規則が改正され、体操の各学年毎週教授時数が三時間から五時間に増加した。これは文政審議会の答申に基づく教練実施のためのものであった。同月陸軍現役将校配属令、同施行規程、教練教授要目を制定した。

 昭和六年一月十日中学校令施行規則改正を行ない、生徒教養要旨、中学校第一種・第二種課程を採用すると同時に、学科内容に関する改革を行なった。まず、公民科と作業科を新設した。公民科は知識教授に傾斜したとされる法制および経済を廃止して設けられたもので、教授要旨は「国民ノ政治生活、経済生活並二社会生活ヲ完ウスルニ足ルベキ知徳ヲ涵養シ」、「善良ナル立憲自治ノ民タルノ素地ヲ育成スル」こととした。作業科は「園芸、工作、其ノ他ノ作業ヲ課シ、勤労ヲ尚ビ之ヲ愛好スルノ習慣ヲ養ヒ且日常生活上有用ナル知能ヲ与フルコト」を教授要旨とした。

 次に、実際生活上有用な知能を与えるため、従来の専門的学術の体系にとらわれる傾向のあるとされた博物、物理および化学を総合して理科と改称したこと、従来随意科目とすることができた実業を第一種課程において必修としたことが注目される。その際実業を普通教育の一事項として、実業に関する知識・技能を授け実際生活を理解させ、「職業ノ尊重スベキ所以ヲ知ラシメ勤勉力行ノ気風ヲ養フ」ことを要旨とした。また外国語に従来の英語、独語または仏語以外に支那語を加えた。さらに、国民精神の涵養の観点から、修身、国語漢文、歴史、地理の内容に改定を加えた。その他、毎週二時間以内自由研究の時間を設け、生徒の自発的研究を奨励し、これを指導することに充てたことは注目される。

高等女学校教育内容の改善動向

 大正九年七月二十一日高等女学校令が改正されて、中学校の場合と同様、国民道徳の養成、婦徳の涵養に関連する事項はいずれの学科目においても留意して教授することが必要であるとした。高等女学校の学科課程については修業年限五か年を基本型として示した。それによると随意科目のほかに選択科目を加え、教育、法制および経済、手芸または実業その他の学科目を採用することができるとした。各学科目の毎週教授時数については理科、数学の時数を増加し、わずかなりとも修身の時数を減じている。実科高等女学校の各学科目、毎週教授時数については、家事および理科を増加し、裁縫を減少した。

 昭和五年女子中等教育調査委員会を文部省内に設置したが、この委員会は女子中等教育案、学科課程案および各学科目教授要綱案を決議・報告している。それによると、明治三十二年高等女学校令制定以来、学校数、生徒数は増大し、高等女学校の社会的機能が変化している。実科高等女学校を高等女学校に包含させ、専攻科を高等科に吸収させ制度の単純化を図るとともに、学科課程を改正して生徒の能力、趣味、志望、土地の状況により多様な要望に即応しうるものにすることを方針として、高等女学校の学科目と各学科目教授時数を検討し、基本科目と増課科目の制度の採用、「修身及公民科」「家事及裁縫」の科目新設等を提案した。しかし、これは実施に至らず、公民科の設置だけは中学校にならって昭和七年二月十九日高等女学校令施行規則の改正をもって実施した。

中学校・高等女学校入学者選抜方法の改善

 大正後半期以降中学校・高等女学校進学希望者が顕著に増加し、中学校・高等女学校数も増加したが、その収容数は必ずしも需要にじゅうぶん対応しうるものではなかった。一方、この時期、中等学校間の学校格差が発生し、特に都会において入学試験による競争を必要以上に激化させた。このため小学校における中等学校入試のための準備教育の弊害が指摘され、中等学校入学試験が社会問題となって論議されることとなった。

 昭和二年十一月二十二日中学校令施行規則を改正し、入学者選抜の方法として従来の学科試験を廃止することとした。同日、文部次官通牒(ちょう)で中等学校入学者選抜方法に関する準則を指示した。それによると、小学校長の報告書、人物考査、身体検査によって入学者の選抜を行なうこと、人物考査(常識、素質、性行)に口頭試問の方法を用いること、とした。しかし、この選抜方法の運用は必ずしも円滑に行なわれず、解釈の相違、情実の介入等が指摘された。

 四年十一月二十八日次官通牒によって人物考査に当たって口頭試問の方法のほかに筆記試験の方法を加えることができるとした。筆記試問の範囲を小学校の教科に基づき「暗記暗誦二流ルルコトナク理解、推理等ノ能カヲ判定シ得ヘキ平易ナル事項」に制限したが、事実上、筆記試験が復活することになった。十年二月四日の次官通牒では、筆記試問に教科の範囲をこえた難解な問題が出題されているので、筆記試験の問題を「必ス小学校ノ教科二基キ其ノ範囲ヲ超エサルモノヲ選定」させるよう地方長官に求めた。十二年七月二十四日次官通牒によって小学校の準備教育の弊害を除去するために、筆記試験の場合、その教科目数をなるべく一科目に限定することを求めた。しかし、この方法は数府県を除いて励行されなかった。

 このようにして二年の学科試験の廃止を目ざした選抜方法の改正は、事実上筆記試験の復活を許し、小学校における準備教育の弊害を除去しようとする意図を必ずしも実現することはできなかった。

お問合せ先

学制百年史編集委員会

-- 登録:平成21年以前 --