三 地方自治制度と地方教育行政

地方自治制度の成立と教育行政

 明治二十年以前の時期において、すでに、近代的な地方行政制度のあり方が模索され、ある程度の地方自治の制度化もなされてきたのであるが、二十一年の「市制及町村制」(法律一)ならびに二十三年の「府県制」(法律三五)「郡制」(法律三六)の制定によって、戦前におけるわが国の地方自治制度の一応の成立をみることとなった。これによって市町村は公法人格をもつ地方自治体として設定され、府県の自治権も拡充された。同時に二十三年、地方官官制も改正されて、ここにわが国の戦前における地方行政制度の骨格が形成された。それに伴い、二十三年十月三日に「地方学事通則」(法律八九)また同月七日に゛「小学校令」が新たに公布されて、地方教育行政の制度・機構ならびに地方団体およびその機関と教育行政事務の関係が詳細に規定され、戦前におけるわが国の地方教育行政制度の基本的なわく組みが成立することとなった。

 この地方学事通則および小学校令によって、教育が市町村の固有事務ではなく国の事務であることが明確にされるとともに、教育行政に関する文部大臣・地方長官・郡長・市町村長・市町村等の権限と責任が具体的に規定された。すなわち、教育の目的・方法・教則・教科書・教員・生徒等に関する文部大臣の責任が明らかにされるとともに、小学校その他の設置や教員給与に関する諸費用、学務委員・郡視学等の国の教育事務の執行のための費用などの負担に関する地方自治体特に市町村の責任が明示された。地方教育行政は、国の機関である地方長官(北海道庁長官・府県知事)・郡長および、一定の場合に国の機関とみなされる市町村長と、他方、府県・郡・市町村などの地方団体およびその機関(知事・郡長・市町村長等)を通して行なわれることとなったのであるが、主としては、国の機関としての地方長官・郡長および視学その他の補助機関と、国および市町村の機関としての市町村長およびその補助機関としての学務委員とによって行なわれることとなった。

 すでに市制・町村制の実施に先だって全国的に大規模な町村合併が行なわれていたが、上述の地方学事通則および小学校令によって、町村の教育事務のための学校組合および「区」の設置や、小学校設置・維持費の負担関係、学校基本財産などに関する規定も設けられて、小学校設置・維持の方式が明らかにされた。

府県・郡の教育行政機構

 地方長官は、地方官官制により、「内務大臣ノ指揮監督ニ属シ各省ノ主務ニ就テハ各省大臣ノ指揮監督ヲ承ケ法律命令ヲ執行シ部内ノ行政事務ヲ管理」することとなっているが教育については、教育事務に関する国の機関として、主務大臣である文部大臣の指揮監督をうけて、それぞれの管轄区域内における教育行政を行なった。同時に、道府県立学校については、地方長官は、設置者である道府県の機関として、管理者としての職務を行なった。 地方長官の教育行政上の権限としては、明治十九年の小学校令では、小学校の設置区域および位置、就学に関する規則、小学校授業料の金額、経常収入支出の方法、資産管理規程、小学校教員の俸給・旅費等をことごとく定める権限を与えられていた。しかし、市町村制実施後の二十三年の小学校令では、市町村の自治の範囲が拡大され、尋常小学校の学校数および位置は、市についてはその市の意見を聞いて府県知事が定め、町村についてはその町村の意見を聞いて郡長が定めて府県知事の許可を受けるものとされた。学校組合については、関係町村参事会の意見をきいて郡長が設置を定め府県知事の許可を受けるものとされた。同時に市町村立小学校教員の任免は府県知事が行なうこととされた。

 地方長官の補助機関については次のような変遷があった。十九年七月二十日の「地方官官制」によると、庁中の事務を分掌させるために第一部・第二部を置き、部中にいくつかの課を置いて書記官を部長とすることとし、第二部に、学務課が置かれ、課長は属官を充てるかまたは尋常師範学校長の兼任とすることができるものとした。次いで二十三年十月の地方官官制の改正によって、新たに内務部が置かれ、書記官を部長とすることとなったが、学部については、衛生・兵事・社事および戸籍に関する事務とともに、内務部中の第三課で分掌することとし、課長には属官を充てることとされた。

 その後、三十二年六月、同官制改正により、教育学芸に関する事項を掌理する内務部第三課の課長は、府県視学官を充てることとされた。三十八年四月の改正では、各府県に第一ないし第四の四部が置かれ、教育・学芸ならびに学事に関する事務は、第二部の所管となり、部長は事務官とせられた。さらに四十年七月の改正では、四部を改めて内務部および警察部の二部とし、学務に関する事項は内務部の所属とされて、学務はふたたび内務部中の一課となった。このように地方官官制の改正に伴い、府県の教育事務の機構はしばしば変更されたが、そのほか各府県には次に述べるように三十年以降、地方(府県)視学ならびに視学官が置かれて、地方長官の指揮をうけて学事視察等の職務を掌った。

 次に郡長は、知事の指揮監督を受けその管轄区域内における教育行政事務に関して、町村長を指揮監督し、また、郡立学校等については管理者としての職務を行なった。郡長の補助機関としては二十三年以降郡視学が置かれた。

府県・郡の視学制度

 明治二十三年の小学校令ははじめて各郡に郡視学一人を置くことを定めた。郡視学は府県知事により、任免され、「郡長ノ指揮命令ヲウケテ郡内ノ教育事務ヲ監督ス」るものとされた。

 郡視学は任用上の特別の規定はなく給料その他は郡の負担とされたが、府県税をもって支弁する郡吏員と同一の待遇を受けるものとされ、府県知事は郡の申出により郡視学をおかないことができるが、その場合は、府県税をもって支弁する郡吏員の一人に命じて郡視学の名義をもってその職務を行なわせることとされた。このように郡視学の身分は当初は官吏ではなかったが、その後、三十二年六月の地方官官制の改正により、郡視学は、官吏として取り扱われることとなった。

 次に、府県については、三十年五月、新たに各道庁府県に地方視学が置かれた。地方視学の定員は各県二人とし、北海道庁、東京府ほか四県では各三人として、全国を通じて一〇〇人とされた。地方視学は、地方長官の指揮を承け、小学教育に関する「学事ノ視察其他学事ニ関スル庶務ニ従事ス」るものとされたが、地方視学は身分上官吏であってその俸給・庁費・旅費等の経費はすべて、他の道庁府県官吏のように内務省の予算に計上されずに、文部省予算に計上され、文部省から必要経費を各府県に配布することとされ、他の府県官吏と異なった取り扱いがなされ、また、任用上の資格要件として所定の教育関係の経歴者であることが定められた。次いで、三十二年六月の地方官官制改正によって、道庁府県に視学官および視学が置かれることとなった。

 視学は従来の地方視学を改めたものであるが、視学官は視学同様官吏としてこの際新たに設置されたものである。視学官の職務は、「上官ノ指揮ヲ承ケ学事ノ視察其ノ他学事ニ関スル事務ヲ掌ル」と規定された。同月公布された「視学官及視学特別任用令」によって、視学官の任用資格は、1)文部省視学官の職にあったもの、2)二年以上官立学校の学校長または奏任教官の職にあったもの、3)三年以上師範学校長・官立中学校長・官公立高等女学校長または官公立実業学校長の職にあったもの、4)五年以上道庁府県視学または郡視学の職にあったもの、5)五年以上教育に関する職務に従事し現に判任官三級俸以上の俸給をうくるものとされ、道庁府県視学および郡視学の任用資格は、1)三年以上師範学校・官公立中学校・官公立実業学校の学校長教諭または助教諭の職にあったもの、2)小学校本科正教員の資格を有し、三年以上官公立学校の学校長の職にあったもの、3)五年以上判任官として教育に関する職務に従事したものとされた。

 なお、視学官および府県視学に関する俸給等の経費は、三十五年以降は内務省の予算に移された。

 その後、三十八年四月の地方官官制改正の際に視学官は廃止されたが、大正二年の改正で復活し、理事官をもってこれに充てることとされた。なお、府県視学および郡視学の制度は引き続き存続されていた。

市町村の教育行政機構

 新しい地方自治制度のもとでは、市町村の地方自治体としての性格が確立するとともに、市町村が国政事務を広範に負担することが定められた。教育事務も国の事務のひとつとされ、その一部が市町村または市町村長に委任された。すなわち、小学校の設置・維持、教員の給与等に関する諸経費は、市町村の負担とされ、他方小学校の管理・監督、就学の督責などの事務は国の機関としての市町村長に委任された。

 また、明治二十三年の小学校令によって、教育事務に関する市町村長の補助機関として学務委員が置かれた。この学務委員の職務は「国ノ教育事務」につき市長、町村長を補助するものであり、学務委員には小学校男教員を加えるものとされたが、一般に、学校長や町村長経験者など土地の名望家が選ばれた。

 学務委員の制度は十二年の教育令によりはじめて設けられ、十八年の教育令再改正によって廃止されたものであったが、二十三年に復活され、その後第二次世界大戦後の学制改革により廃止されるまで引き続き存続したものである。

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