二 図書館行政の整備

帝国図書館官制の公布

 明治二十年代から三十年代における文部行政による社会教育の整備は、主として図書館行政と図書館施設の発展に力が注がれた。まず、教育令の廃止後、図書館に関しては、十九年の諸学校通則によって規定していたが、二十三年十月小学校令が改正された際、図書館は小学校令の中に規定され、その設置・廃止その他については小学校令の条項が適用されることになった。これは図書館がしだいに制度化して運用される方向をとったことを示すものである。書籍館の名称が、法令上正式に図書館と改められたのはこの時からである。

 明治五年文部省によって博物局内に開設された書籍館は、その後一時東京府に移管されたが、十三年再び文部省の所管となり、東京図書館と改称され、二十二年三月二日に東京図書館官制が規定されて文部行政のもとにおいて運営されてきた。この東京図書館は、三十年四月二十七日「帝国図書館令」の公布によって帝国図書館と改称され、国立図書館として発展をみることとなった。

 帝国図書館令は、欧米諸国の国立図書館の制度にみならって、わが国においても「国家ノ需要ニ充ツルニ足」る国立図書館の制度を確立しようとして制定したもので、後に文部大臣となった外山正一等の尽力によるものと伝えられている。同令第一条は「帝国図書館ハ文部大臣ノ管理ニ属シ内外古今ノ図書ヲ蒐集保存シ及衆庶ノ閲覧参考ノ用ニ供ズル所トス」と規定した。これによって帝国図書館は、わが国で唯一の国立図書館として国内の新刊書の大部分を収蔵することとなった。文部省年報によれば、同館の蔵書総数は、三十年で一六万四、二一九冊、三十五年、二一万七、〇九二冊、四十年には二六万七七一冊を数えた。

図書館令の公布

 明治二十三年の小学校令改正以後、図書館は小学校令の一部をもってその設置運営に関する方策を指示することとなった。しかし図書館の設置および経営は学校のそれと著しく異なっているため、これを別個に独立して規定することが必要となった。三十年代の初期は教育制度全般に関する改革が行なわれたが、その際図書館を学校から分離して、独立の規程をもって統轄することとした。すなわち三十一年十一月十一日図書館令を公布し、はじめて社会教育施設が独立の法令をもって制度として確立されたのである。社会教育行政は図書館令の公布をもって新しい段階を築いたのである。この図書館令によると、「北海道府県郡市町村ニ於テハ図書ヲ蒐集シ公衆ノ閲覧ニ供セムカ為図書館ヲ設置スルコトヲ得」として、その他私人もこの規程に基づいて設置することができ、さらに公立・私立の学校も図書館を付設することができると定めた。その設置に当たっては公立図書館は文部大臣の認可を経なければならないとして、中央統轄の方針を明示した。この図書館令公布後、わが国の図書館は全国各地において発達をみたのである。三十三年において図書館数四三、書籍数五二万五、九七一冊、閲覧人員一九万六、三一〇人であるのと比べて、三十九年には図書館数一二七、書籍数一四四万九、五九八冊、閲覧人員九四万九、七九八人という著しい数の増加を示している。この数的比較によって、当時における図書館の著しい発展を明らかにすることができる。またこの時代における新聞雑誌の発達も著しいものがあった。

 図書館行政に関しては、その後三十九年図書館に関する規程を公布し、さらに四十三年六月三十日図書館令施行規則を公布してその制度を充実することに努めた。四十三年二月、図書館の設立に関する注意事項を詳細に列挙し、これを訓令として発したが、その中に述べた各事項は当時の図書館の状況を明らかにするとともに、これを改善するために有益な指示を与えた。

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