三 教員の資格・待遇

小学校教員の資格

 明治十九年四月諸学校通則に「凡ソ教員ハ文部大臣若クハ府知事県令ノ免許状ヲ得ルモノタルヘシ」と規定し、これに基づいて同年六月二十一日小学校教員免許規則を定めた。これによれば、小学校教員免許状は師範学校卒業者および検定試験合格者に授与するものとし、文部大臣が授与して全国に無期有効の普通免許状と、府知事県令が授与する管轄地方に五年有効の地方免許状とを区別した。普通免許状は高等師範学校卒業者または地方免許状を有して五年以上勤務の上、学術授業超衆の者に授与するとした。また十四年の学校教員品行検定規則において定めた品行規定もこの規則のなかにとりいれた。二十三年の小学校令では本科教員と専科教員、正教員と准教員との区別について規定した。これに基づいて二十四年五月八日正教員、准教員の区別による従来の免許状の移行措置について定め、同年十一月十七日には小学校教員検定等に関する規則を定めた。この規則によって、検定は甲種認定と乙種試験に区分し、認定の対象者、試験の科目とその程度などを詳細に定めた。また正教員免許状は終身有効、准教員免許状は七年有効とした。三十三年の小学校令および同令施行規則によって、本科、専科の区別、正教員、准教員の区別、普通免許状と地方免許状の区別、無試験検定と試験検定の区別などの教員の免許・資格制度が整備・確立されることとなった。大正二年七月の小学校令改正によって、普通免許状と地方免許状の区別を廃止し、「免許状ハ府県知事之ヲ授与シ全国ニ通シテ有効トス」と規定したほかは資格制度に大きな変化はなかった。

中等学校教員の資格

 明治十九年十二月二十二日尋常師範学校・尋常中学校及び高等女学校教員免許規則を定め、高等師範学校卒業生および検定合格者に免許状を授与する制度とした。免許状は一、二、三等および無等とし、勤務年数と検定によって上等の免許状を得ることができると定めた。学校教員品行検定規則の品行規定はこの規則にもとりいれた。二十五年七月十一日尋常師範学校に関する一連の規定改正に対応して、尋常師範学校教員免許規則を独立に定めた。免許状は一等、二等とし、一等免許状を有する者は教諭、二等免許状を有する者は助教諭とした。第一次検定は甲種認定、乙種試験とし、合格者に二等免許状を授与するものであり、第二次検定は二等免許状をもって一年以上教職にあった者について行ない一等免許状を授与すると定めた。二十七年三月五日尋常師範学校・尋常中学校・高等女学校教員免許検定に関する規定を定め、高等師範学校および女子高等師範学校卒業生には検定を行なわずに免許状を授与するとともに、無試験検定を受け得る者、試験を免除しまたはその一部を省略することをうる者の資格などについて規定した。二十九年十二月二日尋常師範学校・尋常中学校・高等女学校教員免許規則を定め、学校長の稟(りん)申によって免許状を授与される者、無試験検定によって免許状を授与される者の範囲を拡大した。三十二年四月五日公立・私立学校、外国大学校卒業生の教員免許に関する規定を定め、無試験検定を受けうる者の範囲を公・私立学校、外国大学校の卒業者にも拡大することとなった。

 三十三年三月三十一日教員免許令を公布したが、これによってこの規定による免許状の所有者でなければ中等学校教員に採用されないと定めた。教員免許状は、教員養成の目的をもって設置した官立学校卒業者、または教員検定に合格した者に授与し、教員検定は試験検定と無試験検定とし教員検定委員がこれを行なうとした。同日教員検定委員会官制を制定した。同年六月一日教員検定に関する規程を定め、試験検定と無試験検定の詳細が整備された。また同年九月六日には教員免許状を有しない者を教員に充てることが許される規定をつくって、無資格教員の採用について定めた。中等学校教員の免許・資格制度は教員免許令の成立によってようやく整備・確立されるに至った。

教員の身分待遇等

 明治二十三年十月三日市町村立小学校教員退隠料及び遺族扶助料法ならびに府県立師範学校長俸給並公立学校教員退隠料及び遺族扶助料法を制定し、師範学校長の俸給を国庫負担とするとともに、十五年以上の勤続者を中心とする退隠料および扶助料・扶助金の支給について詳細に規定した。二十四年六月三十日市町村立小学校長および教員の名称および待遇を定め、同年十一月十七日これを改正したが、これによって正教員を訓導、准教員を准訓導と称し、校長および正教員は判任官と同一の待遇を受けると規定した。

 二十四年十一月十七日小学校長及教員の任用解職其他進退に関する規則、小学校長及教員職務及服務規則、市町村立小学校長及教員懲戒処分並私立小学校長及教員業務停止及免許状褫奪に関する規則を定め、その身分に関する法制を整備した。二十六年十二月二十一日市町村立小学校教員任用令を定めて、任用については小学校教員銓(せん)衡委員の銓衡を経るものとした。

 教員の服務分限に関連して、二十六年十月二十八日「教育会ノ名称ニ於ケル団体ニシテ純粋ナル教育事項ノ範囲ノ外ニ出テ教育上又ハ其他ノ行政ニ渉リ時事ヲ論議シ政事上ノ新聞雑誌ヲ発行スルハ一種ノ政論ヲ為ス者ト認メサルヲ得ス」として、「此等団体ノ会員タルヲ許サ丶ル者トス」という訓令を発した。この訓令は三十年十月十三日廃止されたが、同日ふたたび訓令を発して「教育行政ノ監督上厳重ニ取締ヲ為ス」べき要項を指示した。これらの訓令およびこれに関連する訓令、内訓等は三十一年八月十一日すべて廃止した。

 二十九年市町村立小学校教員年功加俸国庫補助法、三十年小学教育費国庫補助法を制定したが、三十三年三月十六日市町村立小学校教育費国庫補助法の公布によって、小学校教員の年功加俸、特別加俸に対する国庫負担の制を確立した。大正七年三月二十七日市町村義務教育費国庫負担法を公布し、市町村立小学校の正教員および准教員の俸給に要する費用の一部を国庫負担とすることを定めた。

 公立学校教員の待遇については、明治三十六年三月公立学校職員俸給令、大正六年一月の公立学校職員制および公立学校職員待遇官等等級令が基本規定となった。また大正四年一月には公立学校職員分限令を制定し、これを身分保障の規定とした。

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