二 高等女学校令の制定

高等女学校規程の制定

 学校制度に関する規定のうちに高等女学校の名称がはじめてあらわれたのは明治二十四年十二月十四日の中学校令改正の際においてである。その第十四条に新たに女子中等教育の規程が加えられ、「高等女学校ハ女子ニ須要ナル高等普通教育ヲ施ス所ニシテ尋常中学校ノ種類トス 高等女学校ハ女子ニ須要ナル技芸専修科ヲ設クルコトヲ得」との条項を設けた。これによって高等女学校を尋常中学校の一種とし、男子の中学校に対応する女子の中等学校であることを法制の上で明らかにした。その他は、女子に必要な技芸専修科を設けうることを規定しただけで、修業年限、入学資格、学科目等についての詳細な規程は設けられなかった。

 二十八年一月二十九日に「高等女学校規程」を定め、高等女学校がどのような教育を施す機関であるかを明らかにした。高等女学校規程は学科目、修業年限、入学資格、附設課程等の規定をおもな条項とした。高等女学校の修業年限は六年とし、土地の状況によっては一年の伸縮を認め、入学資格は修業年限四年の尋常小学校を卒業した者と規定した。また修業年限に関して「入学生徒ノ資格ヲ高ムルニ従ヒ」三年まで短縮することができるとした。教授日数は年間約四〇週とし、毎週の教授時数はおよそ三〇時とした。その他二年以内の補習を受けさせることができるとし、また技芸専修科の附設課程について規定した。

 尋常中学校と比較して修業年限は一年長くなっているが、入学資格の点では二年低くしたので、卒業年齢は一年程度低くなっている。修業年限に一年の伸縮を認めたのは、女子の高等普通教育は必ずしも男子と同型にする必要がないとの立場から土地の状況によって適宜修業年限を決定できるようにした。また入学者の資格が高くなるに従って修業年限を短縮することができるとしたのは「高等女学校ニ於テ必シモ下級生ヨリ生徒ヲ養成スルノ必要ヲ認メス経済上便益ヲ与ヘテ其設立ヲ容易ナラシメントスルニ依ル」ためであるとした。このように二十八年の高等女学校の規程は女子中等教育制度を詳細に規定した最初のものであるとともに、高等女学校に関するかねてからの方策がここに成就したのである。このようにして女子中等教育の制度をしだいに整えてきたが、さらに三十二年、独立の高等女学校令を公布するに及んで著しい発展を見るようになった。

 なおこの規程は「本令ニ依ラサル学校ハ高等女学校ト称スルコトヲ得ス」としたため、全国の高等女学校はこの規程に準拠して規則を改正することとなった。高等女学校規程によって示した標準は入学資格や修業年限の点で尋常中学校と比較して一段低いものであった。

高等女学校令の公布

 明治三十年代の初頭には、諸学校制度の改革を行なったが、その際に、高等女学校に関してもこれを独立の学校令によって規定し、中学校令から分離させることとした。三十二年二月八日には、従来の高等女学校規程を改めて、新たに「高等女学校」令を公布した。ここにおいて女子中等教育機関は独立の学校令をもち、それにより設置運営され、内容も整備されることとなったので、その後高等女学校が著しい振興をみせたのである。

 この高等女学校令の規程は中学校令に準じたものであって、だいたい同様な方針で学校の性質を規定した。高等女学校の目的は、「女子ニ須要ナル高等普通教育ヲ為ス」と定めたように、中学校の高等普通教育と同様な概念でその目標を示すこととした。しかし、女子中等教育機関のほとんどすべてが、高等女学校であって、男子のように実業教育の制度と高等普通教育の制度とを並立させる形としなかったために、高等女学校独自の方針を採用できた。高等女学校令制定について樺山文相は、三十二年七月の地方視学官会議において、女子高等普通教育に関して次のように説明した。高等女学校は「賢母良妻タラシムルノ素養ヲ為スニ在リ、故二優美高尚ノ気風、温良貞淑ノ資性ヲ涵養スルト倶ニ中人以上ノ生活ニ必須ナル学術技芸ヲ知得セシメンコトヲ要ス。」ここでは、女子の高等普通教育が中流以上の社会の女子の教育であり、その特質がいわゆるのちの「良妻賢母主義」の教育にあることを明らかにしていた。

 高等女学校の修業年限は四年を基本とし、土地の状況によって一年の伸縮を認めた。また二年以内の補習科を置くことができるとした。その入学資格は従来、修業年限四年の尋常小学校卒業者であったのを改め、男子の中学校と同様に年齢十二歳以上で高等小学校第二学年修了者とした。さらに高等女学校においては技芸専修科、専攻科を置くことができるとした。四年を基本型とし、三年から五年にわたる多様な修業年限を認め、補習科のほか技芸専修科、専攻科の課程を設置するとしたことは男子の高等普通教育とは異なった編制をとったものであり、多様な要望を考慮した女子のための特有な中等教育制度としたのである。特に修業年限の点で、中学校より程度の低いものとして位置づけたこととなる。

 なお修業年限に関しては、四十一年七月八日高等女学校令を改正し、義務年限延長に伴う措置として、入学資格を年齢十二歳以上で尋常小学校卒業者と改めた。その際修業年限一年の伸縮を認めていた従来の規定を改めて一年の延長だけを認めることとして、修業年限四年と五年の二種類とした。これによって中学校の修業年限と同等の状態に一歩近づけた。

 高等女学校の設置に関しては北海道および府県においては高等女学校を「設置スヘシ」とし、その設置を府県に義務づけた。郡市町村および町村学校組合も高等女学校を設置することができるとした。さらに私人の設置についても認めている。

 高等女学校令は中学校令と同様に、目的、設置・廃止、修業年限、入学資格、附設課程、「学科及其ノ程度」、教科書、教員資格、編制・設備、授業等について基本事項を規定した。またこれらの規定に準拠しない学校は「高等女学校ト称スルコトヲ得ス」として、法制上の基準を明確にした。なお本令施行上必要な規則は文部大臣が定めるものとしている。

高等女学校令施行規則の制定

 高等女学校令に基づいて、明治三十二年二月「高等女学校編制及設備規則」、同月「高等女学校学科及其程度ニ関スル規則」、三月「中学校及高等女学校設置廃止規則」、同月「高等女学校教員ニ関スル件」、四月「師範学校・中学校及高等女学校建築準則」等を制定したが、三十四年三月二十二日には「高等女学校令施行規則」を制定し、これによって教員資格に関する事項を除いた関係諸規則が中学校の場合と同様にこの施行規則に総括されることとなった。

高等女学校と実科教育

 日露戦争後、女子教育を施す学校も著しく増設される状況となった。これらの学校の中には女子に対して実生活に必要な技芸を主として授けるものが多く、その教育内容が高等女学校とは異なるために準拠する規程がなかったのである。ここにおいて、実科教育を主とした高等女学校の制度を設け、簡便であってしかも家庭婦人としての実生活にただちに応ずることのできる教育を行なう学校を設けることとし、そのため高等女学校令の改正を行なった。

 四十三年十月高等女学校令の改正を行ない、技芸専修科の規定を改め、第十一条において高等女学校においては主として家政に関する学科目を修めようとする者のために実科を置くこと、または実科だけを置くことができ、実科だけを置く高等女学校の場合にはその名称に実科の文字をつけなくてはならないと定めた。これによって実科高等女学校が成立することとなった。実科の修業年限は、1)尋常小学校卒業程度を入学資格とする場合は四年、2)高等小学校第一学年修了程度を入学資格とする場合には三年、3)修業年限二年の高等小学校卒業程度を入学資格とする場合には二年、ただしこの場合には一年を延長することもできる、と定めた。したがって実科高等女学校には、四年・三年・二年の三種があることとなったのである。学科目に関しては、高等女学校令施行規則を改正をして定めたが、修業年限の異なる三種類の学校に対応して学科目および毎週教授時数を示した。それによると実科においては裁縫に多くの時間を当てていること、実業を加えることを特色とした。これによって女子の実科教育の特質に合致する方法を指示したのであるが、この教育方針によって家政を主とした女子の高等普通教育機関が設けられることとなった。当時訓令をもって改正の要旨を次のように述べた。「近時女子教育ノ進歩ニ伴ヒ実科的各種学校ノ設置ヲ企画スルモノ漸ク多キヲ加ヘントス然ルニ郡市町村等ノ如キ公共団体ニ於テハ之ヲ設置セントスル何等規定ノ拠ルヘキモノナクシテ不便ヲ感スルコト尠シトセス而シテ従来高等女学校ニ於テハ土地ノ情況ニ応シテ其ノ学科課程ニ斟酌ヲ加フルノ余地ヲ存セサルニアラスト雖主トシテ家政ニ関スル学科目ヲ修メントスル者ニ対シテ未タ適切ナラサル憾アリ是レ今回ノ改正ニ於テ高等女学校ニ実科ヲ置クコトヲ得シメ其ノ学科課程ニ於テ特ニ裁縫ニ重キヲ置キ実業ヲ加へ且ツ土地ノ情況ニ応シ学科目及其ノ毎週教授時数ヲ変更スルコトヲ得シメ又選科生ヲ置キテ事情已ム能ハサル者ノ為ニ簡易学修ヲ開キタル所以ナリ。」引き続いて実科高等女学校の教授要目を定め、高等女学校には二つの課程が成立することとなった。高等女学校の実科は男子の場合の実科中学校とは異なって、家政を主として婦人としての実務教育を施すもので、男子の場合の実業要項を加える方針とは著しい差異がある。なお、これを地方の生活に即応する簡易な女子中等教育施設とし、高等小学校に附設することも認めたのであって、中等教育普及のための一つの方策としたのである。

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