二 東京師範学校の拡充

女子師範学校の設立

 明治七年一月四日、文部少輔田中不二麻呂は次のような伺文を太政官に提出した。

 学制御頒布以降就学ノ徒稍旺盛ニ趣キ候処独り女子ノ教育ニ於ル因襲ノ久シキ或ハ之ヲ忽略二付シ遂二日用常行ノ際男子ト相軒輊スルモノアルニ至ル殊ニ欠典トスル所ニ候今也闔国人民ヲシテ漸次開明ノ域ニ臻ラシメント欲スル女子師範学校ヲ設クルヲ以テ一大要務トス蓋シ女子ノ性質婉静啻ニ能ク其教科ヲ講習スルヲ得ルノミナラス向来幼穉ヲ撫養スルノ任アレハナリのテ先ツ東京府下ニ一箇ノ女子師範学校ヲ設ケ根抵ヲ培益シ結果ヲ他日ニ期スヘクト在候尤経費ノ儀ハ当省定額内ヨリ弁給可致候至急御裁可有之度此旨相伺候也。

 この伺いは同月二十日許可され、七年三月一三日文部省布達をもって女子師範学校が設立されることとなった。八年八月教則を定め、大約十四歳以上二十歳以下の女子を試験によって入学させ、修業年限を五年としその課程を十級に分けることとした。同年十月には入学試験を行ない七一人を入学させ同年十一月開校式をあげることができた。

 九年四月、師範学科を本科とし、本科にはいる予備として別科を置いた。同年十一月には付属幼稚園を設置した。十年五月には五年の修業年限を三年半に短縮し、さらに十三年七月には三年に短縮した。十一年六月には付属小学校を設置するとともに、保母養成のために幼稚園保母練習科を置くこととした。十六年八月には、十四年の師範学校教則大綱に基づいて教則を編制し、高等科のみを設置することとなった。十八年八月二十七日、女子師範学校は東京師範学校に併合され、東京師範学校女子部となった。

中学師範学科の設置

 明治八年八月十三日東京師範学校に中学師範学科を設置し、九年四月から生徒を入学させた。これは中学校教員養成を目的とするものであって、中等学校教員養成の端緒をなした。学制においては中学校の教員は大学免状を得た者をもって充当することとしていたが、学制に基づく大学がなお存在しなかったため師範学校に中学師範学科を設置することとした。中学師範学科の修業年限は小学師範学科と同じく二年とした。十年七月には修業年限を小学師範学科二年半、中学師範学科三年半に改めた。十二年二月の教則改正によって予科二年、高等予科二年、本科一年の修業年限とし、予科より本科にはいる者を小学師範学科とし、予科、高等予科を経て本科に入る者を中学師範学科とした。この教則改正はアメリカ留学より帰朝した伊沢修二、高嶺秀夫によるもので、本科においてはもっぱら教育に関する学術を修めるものとし、教育学、学校管理法などを独立学科目として設定した。

 十六年八月小学師範学科改正教則を定めて、師範学校教則大綱に基づく高等科のみを教授することとした。同年九月中学師範学科改正教則を定め、初等中学師範学科と高等中学師範学科とに分け、初等中学師範学科の修業年限を四年としたが高等中学師範学科はこれを当分置かないこととした。中学師範学科はやがて東京師範学校の本体となり、後に高等師範学校として中等学校教員を養成する独立の学校となった。

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