(三) 宗教の行政

 明治初年には政府内に教部省を設け、神官僧侶を教導職に任命して皇道宣布運動を展開した。しかし、この教化運動は成功しなかったので、十年教部省を廃して内務省に移し、社寺局を設けて、宗教行政を始めることとなった。三十三年に神社局と宗教局とに分けて、神社を宗教の外に置くこととした。大正二年内務省は宗教局を文部省に移したので、宗教行政が文部省の所管となり、内務省にとどまった神社局は後に神祇院と改められた。文部省は教派、宗派、教会、僧侶、教師、寺院仏堂、古社寺保存を所管事項とした。

 宗教行政は宗教界に複雑な事情があって、これを共通な法規で取り扱うことは困難であった。しかし、宗教行政を行なうにはなんらかの法的規準を必要とする。そのことから宗教法案を定める要望があったが、さまざまな意見があって法案は成立しなかった。その間にこれが宗教団体法案に改められ、昭和十四年に「宗教団体法」として公布された。これが翌年施行されて教団、宗派はそのまま認められた。キリスト教はこの法によって教団としてはじめて認められたのである。その際に宗派や教団を合同させる方針であったが、キリスト教は二つの教団となり、仏教は宗派の数が半数となった。

 戦後になって占領政策として宗教団体法を廃して「宗教法人令」を公布した。これによって戦時中宗教について規制したり、信仰の自由を尊重しなかったとみられた点を改めることとなった。しかし、この宗教法人令においては、宗団からの分派、独立、新宗教団の設立が容易となったために法人となるものが多くなった。このような宗教界の状況を改めるため、法人令を廃して「宗教法人法」を定めて、昭和二十六年から施行した。その後宗教法人であって社会において問題となるような事件を起こすものも現われてきたので、文部省は宗教法人審議会を設けて、制度改善の答申を求めた。三十三年答申はあったが、宗教法人法の改正はなされなかった。この間に新教団の発生、既成教団の建て直し、宗教と学校教育の関係そのほかいくつかの問題について社会の関心が高まっている。

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