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科学技術への信頼を高めるために−研究活動の不正行為,研究費の不正使用への対応−

 科学技術創造立国を標榜する我が国では,厳しい財政事情にもかかわらず,科学技術基本計画の下,未来への先行投資として,競争的資金を中心に国費による研究費支援の増加が図られています。
 これらの支援により一定の成果が出始めていますが,その一方で,昨今,データの捏造など研究活動の不正行為や研究費の不正使用が相次いで指摘されています。

 不正は,あってはならないものであり,いかなる理由であれ許されるものではありません。
 研究活動の不正行為は,真実の探求を積み重ね,新たな知を創造していく営みである科学の本質に反するとともに,科学の発展を妨げ,冒涜するものです。また,研究費の不正使用は,研究者のみならず,所属研究機関の信用をも失墜させることとなります。
 このような不正は,科学技術に対する人々の信頼を損なうだけでなく,貴重な税金を源泉とした今後の研究活動にも多大な悪影響を与えます。

 研究の現場における不正への対応は,本来,研究者一人一人が倫理観を高めていくことが重要です。他方,文部科学省では,国費による多額の研究費を投入している立場から,このような事態を重大な問題として受け止め,以下のような取組を通じて,科学技術に対する人々の信頼回復と理解向上に努めています。

研究活動の不正行為に対する取組

研究費の不正使用に対する取組

「社会に信頼される科学研究」 石井紫郎(東京大学名誉教授)

 環境問題やエネルギー問題など,人類の存続に関わる課題の解決に向け,科学に対する社会の期待がますます高まり,多額の国費が大学等の研究に投じられています。それだけに,科学研究活動の在り方に対する社会の目も厳しさを一層増しています。その原資が税金であり,我々は社会の信託の下に研究を行っているということを意識する必要性が一段と高まってきています。
 研究活動における不正行為や研究費の不正使用などが最近新聞などで大きく取上げられています。そもそも研究活動は,研究者の相互信頼とフェアープレーを前提とする切磋琢磨の営みであり,社会の側もそれを信頼して,精一杯の支援を惜しまなかったのだと思います。しかしその信頼が揺らいできたのです。一部には,研究費予算をこれ以上増やす必要がないという風潮さえ出てきているように見えます。日本の高等教育に投じられる公的資金額のGDP比は米国の半分,英国・ドイツ・フランスの6割以下だというのに,です。これでは「科学技術創造立国」はとうてい無理ではないでしょうか。研究活動の不祥事のせいで,こうした風潮が醸成されつつあるとしたら,一大事です。文部科学省がこうした状況の中で,研究活動における不正行為(データの捏造等),研究費の不正使用問題,それぞれについて対処方策を検討する組織を作ったとき,極めて異例のことながら,私はこの双方に参画を依頼されましたが,敢えてそれを拒みませんでした。それはこのような危機感を抱いているからです。
 ただ,注意を要するのは,この二つは同じ《不正》とはいっても,若干性質を異にすることです。前者は,科学研究の本性に関わる重大な裏切り行為であり,科学を冒涜するものです。これに対して後者は,税金で賄われる研究費を国が決めたルールどおりに使用しないという意味において,社会への裏切り行為です。両者とも絶対に許されるものでないことは言うまでもありません。
 しかし,後者のルールそのものに問題があって,それが研究活動に支障をきたすようなことがあるとすれば,そのルールに対しても分析の目を向ける必要があるはずです。例えば,いわゆる予算単年度主義を研究現場にそのまま適用するのには問題がないでしょうか。米国では単年度主義が適用されるのは,NSF(注)などの資金配分機関までであって,そこから資金を受けて研究活動をする者には適用されません。
 このようなルールの合理化の必要性を私が指摘するのは,研究者を甘やかすためではなく,研究者に言い訳の余地をなくそうと考えるからです。我々研究者は,科学研究が社会からの支持なくして成り立ちえないものであることを肝に銘じ,自ら退路を断って社会への裏切りに厳しく立ち向かっていかなければなりません。長いものに巻かれたまま,こそこそとルール破りを常習的に続けることは,もうやめようではありませんか。悪法も法です。しかし,悪法は変えなければなりません。それなくして進歩も「イノベーション」もありえないはずです。
 最後に念のため。科学への裏切りであるデータの捏造等の不正行為については,ルールの改正を問題にする余地はありません。これは揺るぎなき自然法に対する違反です。

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