第3章 Society 5.0 実現の基盤となる基礎研究力の強化

 基礎研究は、誰も足を踏み入れたことのない知のフロンティアを開拓するものであり、既存技術の限界を打破し、かつてない画期的なイノベーション創出の源泉ともなります。一方で、その性質上、研究成果の見通しを立てることが難しく、また、その成果が実用化に必ずしも結び付くものではありません。人類繁栄の歴史は様々な基礎研究の成果に支えられたものであり、上記特質を踏まえた上で、基礎研究力を一層強化すべく取り組んでいくことが必要です。
 本章では、我が国の研究力について概観するとともに、我が国が抱える課題と主な取組について解説します。

第1節 我が国の研究力

 今世紀に入り、日本人の自然科学系のノーベル賞(物理学、化学及び生理学・医学)受賞者数は米国人に次ぐ世界第2位(18人)であり、大きな存在感を示しています(コラム1-6参照)。一方で、今世紀のノーベル賞は、研究開始から受賞までに平均して25年以上かかっており(※1)、受賞者数が我が国の現在の研究力を示している訳ではありません。ノーベル賞受賞者の多くは30代中盤から後半にかけて受賞に至る重要な研究を行っており、今後ともノーベル賞受賞者を輩出していくためには、若手研究者の活躍を支援する取組が重要です。
 一方、研究力を測る主要な指標である論文数や注目度の高い論文数については、国際的な地位の低下が続いている状況です。論文数は、20年前(1996-1998年の平均)は米国に次ぐ第2位でしたが、現在(2016-2018年の平均)は第4位であり、また、注目度の高い論文数(Top10%補正論文数)は、20年前は第4位でしたが、現在は第9位となっています。(第1-3-1表)。

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 こうした研究力の低下の理由として、研究者の魅力が低下しているとの指摘があります。魅力が低下している理由としては、若手研究者の任期付きポストの割合の増加による雇用の不安定化、博士後期課程修了者の就職率の停滞(※2)、大学等教員の研究時間の減少(※3)といった点があげられます。こうした経済的不安やキャリアパスの不透明さなどによって、修士課程から博士後期課程への進学者は減少(※4)している状況です。
 また、基礎研究の主な担い手である大学部門の研究開発費の推移をみると、2000年を1とした場合、2018年現在、日本は0.9ですが、米国は2.5、ドイツは2.2、フランスは1.8、英国は2.3、中国は19.0、韓国は4.5となっています(※5)。
 さらに、独創的な研究成果を生むためには多様な主体と知的交流を図ることが必要ですが、我が国から海外に行く研究者数、海外からの研究者の受入れ数(※6)、国際共著論文数等も伸び悩み(※7)、世界の研究ネットワークの中で我が国の地位が相対的に低下しています。更には、国際的に注目される新たな研究領域への参画も停滞している状況です(※8)。

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その他の様々な科学技術に関するデータについて

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科学技術指標2020
https://www.nistep.go.jp/research/science-and-technology-indicators-and-scientometrics/indicators別ウィンドウで開きます

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サイエンスマップ2018
https://www.nistep.go.jp/research/science-and-technology-indicators-and-scientometrics/sciencemap別ウィンドウで開きます

コラム1-6 イノベーション創出の源泉となった基礎研究の成果

 基礎研究は、時に独創的な成果を生み出し、画期的なイノベーションを生み出す源泉となります。ここでは日本のノーベル賞受賞者の例を紹介します。
(1)寄生虫感染症の特効薬(エバーメクチン)
 2015年(平成27年)にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学特別栄誉教授大村智氏は、未知なる有用な天然有機化合物に興味を抱き、昭和54年にエバーメクチンを発見しました。これは、静岡県伊東市で採取した土壌に生息する微生物が作り出す物質で、寄生虫(線虫)やダニなどに対し、強い殺虫作用がありますが、哺乳類には作用しません。エバーメクチンを基に開発された「イベルメクチン」は、寄生虫感染症の特効薬となり、寄生虫感染症で苦しめられてきたアフリカ、中南米の熱帯病や世界中での疥(かい)癬(せん)(※9)の治療などに年間何億もの人々が服用しています。

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大村智特別栄誉教授
提供:北里大学大村智記念研究所

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北里大学大村智記念研究所ノーベル生理学・医学賞大村智博士ページ
https://www.kitasato-u.ac.jp/lisci/international/OmuraSatoshi.html別ウィンドウで開きます

(2)ポータブル機器の普及(リチウムイオン電池)
 2019年(令和元年)にノーベル化学賞を受賞した旭化成株式会社名誉フェロー吉野彰氏は、使い捨ての「一次電池」ではなく、充電で再使用できる「二次電池」であるリチウムイオン電池を考案しました。リチウムイオン電池により、電気のないところでは使えなかったIT(※10)機器が本格的に普及するようになり、デジタル化社会の実現に大きく貢献しています。

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吉野彰名誉フェロー
提供:旭化成株式会社

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旭化成株式会社
旭化成名誉フェロー
吉野彰 スペシャルサイト
https://www.asahi-kasei.com/jp/asahikasei-brands/yoshino/別ウィンドウで開きます

(3)再生医療の可能性(iPS(※11)細胞)
 2012年(平成24年)にノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所所長山中伸弥氏は、皮膚細胞にわずか4つの遺伝子を導入することで、様々な細胞に分化する能力のある細胞(iPS細胞)を人工的に作製できることを見出しました。このiPS細胞を用いることにより、機能不全になった組織や臓器を補助・再生することが期待されており、臨床研究が開始されています。今後、失われた機能を回復させる再生医療などで多くの人を救う可能性を秘めています。また、患者の体細胞からiPS細胞を作製し、患部の細胞に分化させることで、病気の原因を解明する研究が行われることも期待されています。

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山中伸弥iPS細胞研究所所長
提供:京都大学iPS細胞研究所

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京都大学iPS細胞研究所
もっと知るiPS細胞
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/faq/別ウィンドウで開きます

第2節 研究力強化に向けた新たな取組

 我が国の研究力強化のため、基礎研究の主な担い手である大学の財政的基盤を強化していくとともに、将来の研究を担う博士後期学生をはじめとした若手研究者の活躍を促進していくことが重要です。このため、我が国の研究大学を世界トップレベルに引き上げるとともに、優れた学生が、経済的な不安を抱えず安心して博士後期課程へ進学し、自らの知的好奇心に基づき、野心的な研究に取り組むことを強力に支援していきます。第2節では、このような我が国の研究力の抜本的な強化を図る新たな取組を紹介します。

❶ 10兆円規模の大学ファンドの創設

 2000年代前半からの質の高い論文数の国際シェアの減少などに見られるように、世界における我が国の大学の研究力は、低下傾向にあります(※12)。国際的な比較において脆弱な財政基盤は、大学の制約要因となっており、克服すべき課題です。また、前述のとおり、経済的不安とキャリアパスの不透明さといった理由から、博士後期課程進学率が低下しています。こうした現状を打破し、大学の研究力を抜本的に強化するため、10兆円規模の大学ファンドを創設することが決定されました。このファンドの運用益を活用することにより、博士後期課程学生など若手人材を、長期かつ安定的に支援するとともに、世界に比肩するレベルの研究開発を行う大学の共用施設やデータ連携基盤の整備を行うこととしています。

❷ 博士後期課程学生の処遇を向上するための新たな取組

 優秀な若者が博士後期課程への進学を断念することがないよう、博士後期課程学生の処遇を向上することは喫緊の課題です。このため、運用益が生まれるまで一定の期間が必要となる大学ファンドとは別に、令和3年度より「大学フェローシップ創設事業」を開始しました。この事業では、博士後期課程学生の生活費相当額(180万円以上)の支援を含む学内フェローシップの創設と、博士課程修了後のキャリアパス確保を一体的に実施する大学を支援します。この事業や、令和2年度第3次補正予算における博士課程学生支援の拡充などを通じて、政府目標である約15,000人の博士後期課程学生への経済的支援を実現します。

❸ 若手を中心とした多様な研究者の挑戦を支援する新たな取組

 我が国が将来にわたってノーベル賞級のインパクトをもたらす研究成果を創出し続けるためには、研究者が短期的な成果主義に陥ることなく、既存の枠組みにとらわれない自由で挑戦的・融合的な構想に、リスクを恐れず挑戦し続けることが重要です。このため、独立前後の多様な研究者を対象に、研究者の流動性を担保しつつ、最長10年間の安定した研究資金と、研究に専念できる環境の確保を一体的に支援する「創発的研究支援事業」を推進しています。本事業を通じて、より良い研究環境の構築に向けた研究現場のシステム改革を促しつつ、優れた研究者の意欲と研究時間を最大化することで、破壊的イノベーションをもたらし得る成果の創出を目指しています。

コラム1-7 ナイスステップな研究者2020

 文部科学省科学技術・学術政策研究所では、科学技術への顕著な貢献があり、日本に元気を与えてくれる若手を中心とした研究者を「ナイスステップな研究者」として選定しています。過去に選定された方の中には、その後ノーベル賞を受賞された山中伸弥氏や天野浩氏も含まれています。本コラムでは「ナイスステップな研究者2020」に選定された研究者の中から2名の研究について紹介します。

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ナイスステップな研究者
URL: https://www.nistep.go.jp/activities/nistep-selection別ウィンドウで開きます
出典:文部科学省科学技術・学術政策研究所

山本 陽一朗さん 理化学研究所 革新知能統合研究センター
目的指向基礎技術研究グループ 病理情報学チーム チームリーダー
タイトル:がん画像から、新たな知識を自力で発見する医療AI技術を開発 ―がん再発予測の画期的進化―
 山本さんは、医療画像から自力で新たな知識を発見する医療AI技術を開発しました。そして、医師の診断情報のない大量の顕微鏡画像を解析させることで、専門家も気づかなかった新しいがんの特徴を発見し、高精度な再発予測を実現しました。AIが自力で画像から新たな知識を発見する手法は、医療以外にも幅広く応用が可能であり、汎用性が高い技術として期待されています。

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前立腺がんに対するAI解析と3D化顕微鏡画像
提供:理化学研究所 革新知能統合研究センター

佐野 幸恵さん 筑波大学 システム情報系 助教
タイトル:「物理」の視点で複雑な「社会」を研究する ―SNS(※13)における情報拡散パターンの解析―
 佐野さんは、社会経済物理学という新たな学問領域において、物理学の知見を活用し、複雑な社会の動きを新たな視点から解明・予測する研究を行っています。近年は、インターネット上のブログ記事やTwitterを解析し、本物の情報とフェイク情報では、情報拡散のパターンに異なる特徴があることを数理的に明らかにしました。この成果はフェイク情報の拡散防止に貢献する技術の開発への応用が期待されます。

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  • ※1 「ノーベル賞と科学技術イノベーション政策 –選考プロセスと受賞者のキャリア分析(平成28年5月)」(赤池、原、篠原、内野、中島)(SciREXワーキングペーパー#3)
  • ※2 文部科学省 学校基本調査の結果より
  • ※3 文部科学省 大学等におけるフルタイム換算データに関する調査の結果より
  • ※4 文部科学省 学校基本調査の結果より
  • ※5 文部科学省 科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2020、調査資料-295、2020年8月。なお、科学技術指標2020では、研究開発費に、全教員の人件費をすべて計上した値と、教員の人件費について研究専従換算を考慮して計上した値(OECDが提供している値)の双方を掲載しているが、本白書の日本の値及びグラフは国際比較のために後者のOECDが提供している値を用いている。
  • ※6 文部科学省 令和元年度科学技術試験研究委託事業「研究者の交流に関する調査」
  • ※7 文部科学省 科学技術・学術政策研究所、科学研究のベンチマーキング2019、調査資料-284、2019年8月
  • ※8 文部科学省 科学技術・学術政策研究所、サイエンスマップ2018、NISTEP REPORT No. 187、2020年11月
  • ※9 ヒゼンダニが皮膚に寄生して起こる皮膚病
  • ※10 Information Technology
  • ※11 induced Pluripotent Stem
  • ※12 文部科学省 科学技術・学術政策研究所、科学研究のベンチマーキング2019、調査資料-284、部門別の論文及びシェアの状況、101ページ、2019年8月
  • ※13 Social networking service

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科学技術・学術政策局企画評価課

(科学技術・学術政策局企画評価課)