第1章 社会のデジタル化、脱炭素化等に向けた最先端の取組

 Society 5.0では、仮想空間と現実空間を高度に融合させたシステムを、「人間中心の社会」という価値観の下に活用することで、「国民の安全と安心を確保する持続可能で強靱な社会」と、「一人ひとりの多様な幸せ(well-being)が実現できる社会」の実現を目指します。本章では、Society 5.0実現の手段である「仮想空間と現実空間の融合」を可能にする最先端の基盤技術や社会実装に向けた取組を紹介します。

第1節 仮想空間を構築するための基盤技術

 Society 5.0では、ICTを活用して多種多様なデータを仮想空間に集積します。ここで社会の様々な課題・要素について高度な解析を行い、その結果を現実空間に反映することで、一人ひとりの人間にとって豊かで質の高い社会に変えていくことを目指します。仮想空間を構築するために必要となる基盤技術が、大量のデータ処理やシミュレーションなどの高度な解析を行うスーパーコンピュータや量子技術、解析結果等を用いて自動的な予測・判断等の補助を行うAI技術です。

❶ スーパーコンピュータ

 スーパーコンピュータとは、大規模で高速な計算能力を備えたコンピュータです。Society 5.0において、ビッグデータとも呼ばれる大量のデータを用いて、社会的課題の解決等を行うためのシミュレーションを実施するためには、スーパーコンピュータが必要不可欠です。コンピュータによるシミュレーションは、現在では、理論、実験という伝統的な手法と並ぶ、第3の手法となっています(第2部第4章第2節2(2)ア参照)。

(1)スーパーコンピュータ「京(けい)」
 スーパーコンピュータ「京(けい)」は、理化学研究所において平成24年9月から令和元年8月まで運用されました。「京(けい)」の用途は多岐に渡り、例えば、気象衛星「ひまわり8号」からの実測データを利用したシミュレーションによって、10分ごとの気象予測の更新に成功しました。また、物質と宇宙の起源解明につながるダークマターの研究や、耐摩耗性能を大幅に向上させた低燃費タイヤ開発も行いました。このように「京(けい)」は、様々な分野において、世界に先駆けた画期的な成果の創出に貢献しました。

(2)スーパーコンピュータ「富岳(ふがく)」
 我が国が直面する社会的・科学的課題の解決に貢献するため、平成26年より、「京(けい)」の後継機である「富岳(ふがく)」の開発プロジェクトを開始しました。システムとアプリケーションの協調的開発(いわゆる“co-design”)により、世界最高水準の計算力と、様々な用途で活用できる汎用性の高いスーパーコンピュータの実現に向けて開発を進め、令和3年3月に共用を開始しました。共用開始に向けたシステム調整段階にあった「富岳(ふがく)」は、令和2年6月と11月のスパコンランキングにおいて、世界で初めて四つのランキング(※1)で2期にわたり世界1位を獲得し、性能と汎用性の高さを世界に示しました。

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【特集】新型コロナウイルスの克服に向けて
URL: https://www.r-ccs.riken.jp/jp/fugaku/corona/別ウィンドウで開きます
出典:理化学研究所計算科学研究センター

 さらに、理化学研究所と連携し、令和2年4月より、整備中の「富岳(ふがく)」の一部を新型コロナウイルス対策・研究に利用することを決定しました。公共の施設や交通機関等の室内環境における飛沫の飛散シミュレーション研究では、飛沫の飛散状況について動画を用いて分かりやすく可視化しました。また、マスクやパーテーションの使用、換気による感染リスクの低減効果を科学的に検証しました。これらの成果は、日常生活における具体的な感染防止対策を社会に提示したことで大きな注目を集め、政府、地方自治体、企業等における感染防止策の検討へと活用されています。

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 「富岳(ふがく)」の計算能力は、気象分野の研究開発にも活用されています。令和2年7月に九州地方で甚大な被害をもたらした豪雨を対象とした数値実験では、12時間前から、災害をもたらすほどの大雨を、高い確率で予測することに成功しました。将来的に、防災・減災対策への展開が期待されます。

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「富岳(ふがく)」を含む共用計算環境基盤
 国内の大学や研究機関等のスーパーコンピュータ等を学術情報ネットワーク(SINET(サイネット)(※2))でつないだ共用計算環境基盤である、革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ(HPCI(※3))の構築を進めています。これにより、産業界を含めた全国の利用者がこのネットワークを通じて様々なスーパーコンピュータ等を利用できることになり、計算したデータを共有したり、共同で分析したりすることが可能となります。さらに、HPCIを構成する大学や研究機関の協力を得て、令和2年4月より、新型コロナウイルス対策・研究課題への臨時の公募を実施し、利用を推進しています。このように「富岳(ふがく)」を含むHPCIは、我が国の科学技術の発展、産業競争力の強化に資するイノベーションの創出や国民の安全・安心の確保につながる最先端の研究基盤として機能していきます。

コラム1-1 学術情報ネットワーク(SINET(サイネット))とは?

 新型コロナウイルス感染症により世界各地で物理的な活動が大きく制限され、情報科学技術を活用した遠隔での活動が急速に拡大した結果、仮想空間やデジタル情報を活用した活動に大きな期待が寄せられ、時間や地理的制約などを超えた、これまでにない新たな活動スタイルが生まれてきています。
 SINET(サイネット)は、日本全国の大学、研究機関などにおける教育研究活動を支える学術情報基盤として、国立情報学研究所が運用している、超高速・大容量の情報ネットワークです(第2部第4章第2節2(3)ウ参照)。教育研究に携わる数多くの人々のコミュニティ形成を支援し、大容量データを含む多岐にわたる学術情報の流通促進を図るため、47都道府県の950以上の大学や研究機関、さらには米国、欧州、アジアの各地域と100Gbpsの超高速ネットワーク網を形成しています。
 これにより、例えば、遠く離れた国内外の研究機関との共同実験(バーチャルラボ)が可能となり、実験機器の遠隔操作や、データ収集・共有などが実現し、研究開発の効率化と活性化に寄与しています。SINET(サイネット)でつないだHPCIの産業利用も活発に行われており、スーパーコンピュータを活用したリチウムイオン電池の長寿命化・安全性向上につながるシミュレーションなど、商品開発やインフラ整備など様々な分野で、多くの企業に利用されています。
 また、コミュニティが共同利用できる研究データの管理・共有・公開・検索を促進するシステム(NII-RDC(※4))を開発し、運用を開始しました。これにより、オープンサイエンス(※5)の振興にも寄与します。

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SINETの概況
提供:国立情報学研究所

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SINET概要
URL: https://www.sinet.ad.jp/別ウィンドウで開きます
出典:国立情報学研究所

(3)「富岳(ふがく)」の活用とその先
 Society 5.0を実現するためには、現実世界の様々な要素を計測し、それをスーパーコンピュータの中に再現することが必要です。しかし、現実世界を丸ごとコピーするには、「富岳(ふがく)」のようなスーパーコンピュータが何台あっても足りません。そのため「富岳(ふがく)」では、現実世界の様々な事象について、本質的と考えられない部分は簡素化しつつ、仮想空間上に、可能な限り現実世界に近い環境を再現しています。この仮想空間を利用して、現実空間では実施不可能なものも含め、様々なシミュレーションを行っています。例えば、仮想空間で市街地の一部を再現し、地震の揺れによる被害予測、避難のシミュレーションや津波の浸水予測などを行うことで、その成果を効果的な防災・減災対策の検討に活用することが可能となります。さらに、後述のAI技術を活用していくことで、シミュレーションの高速化・高精度化などが期待されます。
 今後、Society 5.0の実現に向け、更に高い計算能力を持つスーパーコンピュータの開発が必要です。現在のスーパーコンピュータについては、半導体の加工技術の発展や電力利用の高効率化によって計算能力を向上させるとともに、AI技術との親和性を高めるなどの取組を進めてきました。しかし、半導体の加工技術には限界があり、計算能力を向上させていくためには新たな技術開発が不可欠になっています。その中で、異なる技術を用い、これまでとは全く違う方式で計算するコンピュータの研究も行われています。そのひとつが「量子コンピュータ」であり、本節「3 量子技術」で紹介しています。

コラム1-2 GIGAスクール構想の実現

 今や、社会のあらゆる場所で、ICTの活用が日常のものとなっています。Society 5.0時代を生きる子供たちにとって、スマートフォンやタブレット、パソコンなどのICT端末は鉛筆やノートと並ぶ「マストアイテム」(絶対に必要なもの)であり、1人1台端末環境は、もはや令和の時代の学校の「スタンダード」(標準)です。
 しかし、我が国の学校におけるICTの利活用は世界の後塵を拝しており、学校ICT環境には自治体間格差も生じています。こうした状況を踏まえ、「GIGA(※6)スクール構想の実現」において、義務教育段階の児童生徒1人1台端末や、学校における高速大容量の通信ネットワークなど、早急な学校ICT環境の整備に取り組んでいます。また、こうしたハード面の整備に加えて、デジタル教科書・教材などデジタルコンテンツの導入促進や、各地域の指導者養成研修の実施・充実など、ソフト面・指導体制を一体とした教育改革に取り組んでいきます。
 これからの学校教育を支える基盤的なツールとしてICTは必要不可欠なものであり、1人1台端末環境と高速大容量の通信ネットワークの一体的な整備により、日本の学校教育は大きく変わります。その一方で、忘れてはならないことは、ICT環境の整備はあくまで手段であり目的ではないということです。子供たちが社会の変化を前向きに受け止め、豊かな創造性を備え、持続可能な社会の創り手として、予測困難な未来社会を自立的に生き、社会の形成に参画するための資質・能力を一層確実に育成していくことが必要です。
 Society 5.0の実現を見据え、1人1台端末の実現をはじめとするICT環境の整備を進め、これまでの学校教育の実践とICTとを最適に組み合わせ、新しい学校教育を実現していきます。

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「GIGAスクール構想の実現」とは
~学校情報化の目的と概略~
URL: https://www.youtube.com/watch?v=CtHWnraIajA別ウィンドウで開きます
出典:文部科学省

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「学校における1人1台端末環境」
公式プロモーション動画
URL: https://www.youtube.com/watch?v=K0wxp_vyRKM別ウィンドウで開きます
出典:文部科学省

❷ 人工知能(AI)技術

 AIは、コンピュータを用いて学習・推論・判断など人間の知能の働きを人工的に実現するものです。Society 5.0の実現に向け、実生活における多様なビッグデータを高度に解析し、これまで人手で行われてきた予測・判断等の補助を行うことを目指すもので、教育や医療等の幅広い分野での活用が期待されています。第4の科学と言われるデータ駆動型科学(仮説を立ててそれを検証するのではなく、大量のデータを解析することで真理の探究を進める手法)を進める上でもAIは重要となってきます。

(1)AI技術の研究開発事例
 理化学研究所に設置された革新知能統合研究センター(以下「理研AIP(※7)センター」という。)では、革新的なAI基盤技術を開発し、それらを応用することにより、科学研究の進歩や実社会における課題解決に貢献するための研究を実施しています。さらに、これらを社会に普及させていくために不可欠な、プライバシー保護や法整備など倫理的・法的・社会的課題への取組も実施し、人間が今まで以上に活躍できるために必要なAI技術の研究開発を推進しています。

研究例1. AIによる論文・記述式答案の採点・添削技術の開発
 ⼈間の「話す、書く」といった⾔語活動の意味を理解するためのAI研究に取り組んでいます。この技術は、AIによる論文・記述式答案の採点や添削の支援を可能にします。現在では、人間が採点した数百程度の答案データがあれば、人間と同等の精度で採点することができるレベルに到達しています。

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研究例2. データ分類を可能とするAI技術の開発
 限られたデータしかない状況での予測や予兆検出に向けて、データ分類を可能とするAI技術の開発に成功しました。例えば、ある会社が自社製品の購買予測をする場合、顧客が、過去に自社商品を購入した情報(正のデータ)は集められますが、他社の商品を購入した情報(負のデータ)は集められません。このため、AI技術を用いても、高い精度での購買予測ができませんでした。これに対し、理研AIPセンターでは、正のデータとそのデータの信頼度の情報のみを用いて、観測できない負のデータを高い精度で分類できることを明らかにしました。

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(2)AI技術の医療応用 ―AIホスピタル―
 医療技術の様々な進歩により、医療は高度に複雑化・多様化し、医療従事者に負担が掛かるとともに、一人ひとりの患者に向き合った丁寧な対応のための時間の確保が難しくなっています。戦略的イノベーション創造プログラム(SIP(※8))では、最先端の医療技術を患者に提供する一方で、こうした医療従事者の負担を軽減するための取組を行っています。AIホスピタルシステムが目指すのは、AIを最大限活用することにより、医療従事者が患者対応により多くの時間を確保できる、言わば心と心が通い合う医療現場の実現です。
 具体的には、画像情報、病理診断情報、遺伝子情報といった患者情報を大量に収集し、セキュリティを確保した大規模医療データベースを構築するとともに、AIによる解析によって有用な医療情報を抽出する取組を開始しました。これらにより、AIによる正確な画像診断・病理診断補助、患者に起こる危険な兆候の察知などを目指します。また、医療従事者の負担軽減を図るため、AIを用いた診療時記録の自動文書化といったコミュニケーション支援ツールの開発や実証も行っています。さらに、日本医師会等とも連携し医療AIプラットフォームを開発することで、医療向けAIツールの開発を支援するシステムの構築と開発されたAIツールの医療現場での普及促進を目指しています。
 これらの取組を通じ、超高齢社会における医療の質の確保、医療費増加の抑制、医療分野での国際的競争力の向上及び医療現場での負担軽減を目指します。

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(3)進展するAI技術
 AI技術は、上記の取組のみならず、社会の様々な分野での幅広い活用が期待されます。文部科学省科学技術・学術政策研究所の第11回科学技術予測調査では、例えば、高度な判断・作業を代替する農業ロボットや、職人の匠の技を習得できるAIシステムなどの実現が予測されており、我が国において少子高齢化・人口減少が進む中、人間の能力や創造性の発揮を支援する機能が期待されます。
 また、AIやシミュレーション技術の進展により、現実世界の学習データが限られている場合でも、高精度な予測・判断が可能となることが期待されています。例えば、大規模な地震・津波など、発生頻度は低いものの、発生すれば甚大な被害をもたらし得る災害への対策は喫緊の課題です。こうした学習データが少ない場合においても、シミュレーション技術と組み合わせることで、被災予測解析などがAIによって行われ、防災・減災に貢献することが期待されます。
 このように、AI技術は、安全・安心な社会を実現するとともに、人間の能力発揮を支援することで人間がますます活躍できる社会を実現するための鍵となります。

❸ 量子技術

 近年、社会の幅広い分野でイノベーションを生み出すと期待されているのが量子技術です。令和2年1月に策定された「量子技術イノベーション戦略」の下、8か所の拠点(※9)において、横断的に研究開発が推進されています。
 量子技術には様々な研究領域が存在します。その中から、特に世界各国で激しい開発競争が繰り広げられている、超高速計算などを可能にする「量子コンピュータ」と、安全・安心なデータ利活用に貢献する「量子暗号・通信」に関する取組を紹介します。

(1) 超高速計算を可能にする量子コンピュータ
ア 「量子」と「量子コンピュータ」
 「量子」とは粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表です。粒子と波の性質をあわせ持つ量子特有の現象を動作原理とするのが「量子コンピュータ」です。

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 これまでのコンピュータでは、2進数(0か1)で数の処理がされており、この2通りの情報を持つ単位をビットと呼びます(第1-1-6図参照)。例えば、10ビットあると0000000000から1111111111までの1,024(=2の10乗)個の数を表します。量子コンピュータで使用する量子ビットは、0と1の両方の状態が重なり合っており、測定により0になるか、1になるかが確定します。すなわち、測定するまで、0と1の両方を同時に処理することができ、10量子ビットであれば、1,024通りの状態を一度に扱うことができるので、高速な計算が可能になります。

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量子力学とコンピュータの出会い
東北大学サイエンスカフェ
第152回 大関准教授(東北大学)講義動画
URL: https://youtu.be/rMAy2_lz-_o?t=19別ウィンドウで開きます
出典:東北大学

イ 量子コンピュータで実現できること
 量子コンピュータによる膨大で複雑な計算により、これまでのコンピュータでは不可能であったことが可能となります(※10)。機能を限定した量子コンピュータであれば、既に、交通・物流、金融サービス、製薬・化学などの分野において、実証研究が進められています。近い将来、渋滞の軽減、物流コストの削減、金融の相場予想、新材料開発・創薬などが、量子コンピュータの活用により飛躍的に進むと期待されています。また、量子コンピュータを活用することで、AIの性能も飛躍的に発展すると考えられています。例えば、医療機関等やSNS(※11)において蓄積されたビッグデータを、高性能のAIを用いて解析することで、高精度の病状診断、高速マーケティング分析などの新たなサービスが生まれることが期待されています。
 量子コンピュータはいまだ開発途上な技術であり、将来どのように私たちの生活に影響を与えるのか全てが分かっているわけではありません。米国のGoogle社の量子コンピュータ研究者であるジョン・マルティニス氏は、同社の量子コンピュータ「Sycamore」(※12)を世界初の人工衛星・スプートニク1号に例えています。スプートニク1号は、すぐに社会生活に役立つ機能を備えていたわけではありませんが、その歴史的な成功を契機に人工衛星研究が加速し、GPS(※13)や衛星通信といった社会を支える技術が生まれてきました。このように、量子コンピュータがいつか私たちの社会を大きく変えることを夢見て、世界中の研究者が量子コンピュータ実現を目指して日々研究に励んでいます。

(2)安全・安心なデータ利活用に貢献する量子暗号・通信
 Society 5.0では、ICTを活用して多種多様なデータを仮想空間に集積しますが、その際は安全・安心なデータ利活用が求められます。このため、データの中身を他人(第3者)が絶対に解読できないようにする暗号通信技術と安全なデータの保存を可能とする技術が重要です。SIPでは、量子暗号・通信技術を用い、重要データを将来にわたり安全に通信、保管、2次利用する機能(量子セキュアクラウド)の実現を目指し、その実用化と実証実験等に取り組んでいます。
 この有力な適用例として、災害医療があります。被災地の医療機関が電子カルテを喪失した場合、医者は全国各地にバックアップした電子カルテの中から患者の電子カルテを、他人に知られることなく、一刻も早く取り寄せる必要があります。これまで、高知と東京を含む800km圏内に1万人分の電子カルテデータを分散保管した状態から、衛星経由で患者の電子カルテを探索したところ、9秒以内に見つけ出して(高速計算)、安全に取り寄せること(暗号通信)に成功しました。この結果は、量子セキュアクラウドを医療分野に適用した、世界初の取組です。今後は、さらに高性能化を進めて、製造分野、金融分野等への適用を実現し、安全・安心にデジタル化、データ連携・活用が出来る社会の実現を目指していきます。

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第2節 仮想空間と現実空間を結ぶ最先端技術

 Society 5.0の実現のため、仮想空間と現実空間をつなぐ技術が必要となります。近年、現実空間の電流、温度、明るさなど様々な要素の情報をセンサーにより計測し、機械が判読可能なデータに変換する技術が進展しています。また、変換されたデータを、前節で紹介したスーパーコンピュータやAIなどの基盤技術により解析・判断等を行い、ロボット技術も用いて現実空間に反映する取組が進展しています。本節では、各種センサーを活用することにより、機械に身体機能を代替させ、全ての国民の生涯にわたる社会参画を可能とする取組、労働力不足にも対応しつつ移動の円滑化と安全性を向上する取組や、高度な遠隔操作技術やロボット技術の取組に関する事例を紹介します。

❶ 身体機能を機械が代替・支援する取組

 現在、急速な高齢化が進む中、身体機能を機械が代替・支援し、介護・介助や生活支援に資する技術の重要性はより高まってきています。その中で、脳の信号をセンサーで読み取り、機械に伝達するなどにより、人間の動作や意思疎通を代替・支援する研究開発が行われています。これらの技術は、「人間中心の社会」という価値観の下で、安全・安心で、一人ひとりの多様な幸せ(well-being)を実現できる社会を目指すためのものです。

(1)脳からの信号を解読し身体機能を代替するBMI研究
 介護・介助や生活支援に資する技術の中で、現在注目されている最先端の研究開発要素の一つが、BMI(※14)です。BMIとは、脳の情報を利用することで、脳(ブレイン)と機械(マシン)とを直接つなぐ技術です。例えば、脳の信号をセンサーが読み取り、センサーが読み取った信号によってロボットアームや義手を直接動かす技術であり、腕や脚などの神経疾患者の動作を支援します。また、センサーが読み取った信号を基に、その人が発したい言葉を推測し、それを画面に表示することにより、口などに不自由をもつ方々の意思疎通の支援を可能にします。このように、BMIは、失われた身体機能を代替するなど、幅広い応用が期待されています。
 我が国は、頭皮から間接的に脳の情報を得ることで、生体を傷つけず、比較的人間に負担の少ないBMIの研究で世界をリードしています。例えば、国際電気通信基礎技術研究所では、これまでの研究プログラム(※15)を通じて、BMIを活用した革新的治療法を開発し、精神疾患や発達障害の方々に向けてその実用化の取組を進めています。
 また上記のプログラム以前から、脳から伝達される運動の指令と、脳内で行われる運動の学習の仕組み、さらには視覚の処理機構を解明し、ロボット制御に応用するなどの独創的な技術が開発されてきました。本田技研工業が開発した世界初の本格的な二足歩行ロボットASIMO® にも、その技術の一部が適用されています。今後、BMIとこれらのヒト型ロボット技術を組み合わせることにより、人には困難な作業や、高齢者の自立支援などが加速すると考えられます。Society 5.0の目指すべき社会を実現する技術として、より一層の発展が期待されます。

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URL: https://youtu.be/WHg3YVIlBZc別ウィンドウで開きます
出典:本田技研、国際電気通信基礎技術研究所、島津製作所

(2)装着者の意思に従い動作を支援する装着型サイボーグHAL®
 CYBERDYNE社が開発したHAL®(※16)は、歩行機能などの身体機能を改善・補助・再生する装着型サイボーグです。HALは、神経を通じて伝わる脳からの信号を、センサーが皮膚表面で読み取ることで、人とロボットをつなぎます。HALを装着することで、身体機能に障害がある方も、脳の指令に応じた動作が可能となり、これと同時に、末梢神経から脳へと感覚信号が送られ、脳が学習することで身体機能自体を再生する効果も生み出します。日本では、医療機器として承認され医療保険が適用されていますが、米国、欧州、アジア、中東でも医療機器となっています。ロボット技術のサイボーグ化によって新たな治療法が実現し、医療機器の国際規格(機能回復ロボットの安全性に関する国際標準規格)の発行を導くこととなりました。

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❷ 高齢化・人口減少社会の円滑な移動を確保する取組 ―自動運転―

 自動運転は、高齢者や障害者等の運動機能に制約のある人や過疎地に住む人の移動手段の確保、物流・移動サービス業界におけるドライバー不足への対応、交通事故・渋滞の低減等の社会的課題の解決に貢献します。全ての国民が安全・安心に移動できる社会の実現のためには、ドライバーが主体的に責任を持って運転することを前提とした運転支援にとどまらず、車両周辺の環境を検知するセンサー等により、自動運転システムが状況を認識・判断し、走行する高度な自動運転の実用化が必要です。
 このためには、車両の開発に加え、安全・安心な自動運転のために必要となる交通環境情報を取りまとめ、車両に配信するシステムが必要となります。SIPでは、周辺を走行する車両や渋滞、信号、交通規制に関する情報など時間とともに変化するデータと、高精度3次元地図情報を組み合わせたデジタル地図(ダイナミックマップ)を仮想空間上に構築し、自動運転車に配信する技術の開発に取り組んでいます。
 ダイナミックマップは、通常のカーナビで得られる情報よりも多様かつ高精度の情報を有しており、自車の位置や周辺の交通環境を道路の車線レベルで詳細に把握できるとともに、先読み情報により安全な走行経路の計画も可能となります。本田技研工業が令和3年3月に販売を開始した世界初となるレベル3技術を搭載した自動運転車等に活用されています。

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❸ 危険な環境下でのロボット作業を実現する取組 ―小惑星探査機「はやぶさ2」―

 小惑星探査機「はやぶさ2」は、平成26年12月に種子島宇宙センターから打ち上げられ、約3年7か月後の平成30年6月に小惑星「リュウグウ」に到着しました。その後の約17か月間の探査では、約3億km離れた超遠隔での操作を可能にする高度な遠隔操作技術と、往復で最大約40分かかる通信環境下でもスムーズに作業を行う高度なロボット技術が活用されました(第2部第3章第4節2(5)参照)。後述のとおり、今回の探査においては、世界初の快挙を複数達成しています。
 「はやぶさ2」が探査を行った「リュウグウ」は、有機物や含水鉱物を多く含み太陽系の初期の姿に近いとされています。「リュウグウ」から物質を持ち帰り分析することで、太陽系の成立ちや生命起源の謎を解明することが期待されます。

(1)自律的な行動を可能にするロボット技術
 高度なロボット技術は、例えば、小型探査ロボット「ミネルバ-II-1」に適用されました。「ミネルバ-II-1」は、直径約18cmの正十六角柱の小型探査ロボットであり、温度観測や写真撮影などを行いました。取得したデータの探査機への送信も含め、これらの探査は、高度なロボット技術により完全に自律的に行われました。小型探査ロボットによる小惑星表面の移動探査と、複数ロボットの小天体への展開は、いずれも世界初の快挙です。

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はやぶさ2
地球帰還までの軌跡
URL: https://www.youtube.com/watch?v=NoikAU9VuCw別ウィンドウで開きます
出典:宇宙航空研究開発機構

(2)リモートで高度な作業を行うための遠隔操作技術
 表面物質採取のための1回目のタッチダウン(着陸)では、高度な遠隔操作技術が活用されました。「リュウグウ」の上空から徐々に降下し、数十mの地点からは、完全に自律運転に切り替え、事前に投下したターゲットマーカー(光が当たると反射する直径約10cmの球形物体)を目安に降下しました。この結果、目標地点から約1mという高い着陸精度を実現するとともに、表面物質を筒状の装置で採取することにも成功しました。
 地下物質を採取するために実行した2回目のタッチダウンでは、1回目よりも更に高精度(60cm)な着陸を成功させました。地下物質は、表面物質と比べて太陽風や宇宙線による変質が少ないと考えられ、太陽系初期の有機物の有無を調べるためには重要とされています。今回、事前に「リュウグウ」の表面に弾丸を発射して人工クレーターを作成し、その際の飛散物が堆積した場所から物質を採取しました。小惑星表面への人工クレーター作成、同一小惑星への2回のタッチダウン成功は、いずれも世界初の快挙です。

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カプセル回収と今後の予定
 令和元年11月に「リュウグウ」を出発した「はやぶさ2」は、令和2年12月5日に地球近傍で物質を封入したカプセルを分離し大気圏に再突入させ、同12月6日にオーストラリア南部の砂漠地帯で回収されました。日本に持ち帰られたカプセル内を確認したところ、物質量は約5.4g(目標値0.1gの約50倍)あり、1cm近くある粒子が多数確認されました。今後、国内外の研究グループ等による詳細な分析が予定されており、大きな科学的成果が期待されます。
 「はやぶさ2」は6年間、約52億kmを航行していますが、初号機以来の技術進歩及び順調かつ効率的な運用の結果、正常でエンジンの燃料も約半分残っていることが判明しました。現在、探査機本体は、小型で高速に自転する特徴のある小惑星「1998KY26」の探査に向かっており、約11年後の令和13年に到着予定です。そして探査機の長期間航行技術の獲得や、将来地球に衝突する恐れのある小型の小惑星の素性の解明を目指しています。
 以上のとおり「はやぶさ2」の運用では、約3億kmの遠方にある探査機を制御し高精度の着陸等を成功させました。この超遠隔操作や自律制御の技術は、人間が立ち入れない危険な環境下(寒冷地、砂漠地帯など)でのリモート作業や遠隔操作のロボット技術、自動運転等のロボット技術へ活用できる可能性があります。また、探査機の高精度の制御・運用技術は、今後の探査計画(火星衛星探査計画MMX(※17)など)に活用されることも期待されています。

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第3節 Society 5.0が目指す脱炭素化など安全・安心の確保に向けた取組

 Society 5.0では「直面する脅威や先の見えない不確実な状況に対し、持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保する」ことを目指します。私たちは、未知の感染症の脅威や大規模な地震・津波災害、気象災害などにさらされています。台風・集中豪雨など洪水や土砂災害をもたらすような大雨は増加傾向にありますが、これは、人為的な温室効果ガスの排出の増加に伴い地球が温暖化するという気候変動が影響しているとも言われています。スーパーコンピュータを活用して気候変動の予測技術等を高度化する取組が行われていますが、最新の科学的知見(「日本の気候変動2020」)では、21世紀末の日本の平均気温は上昇し、多くの地域で猛暑日が増加すること等が予測されています。本節では、Society 5.0が目指す国民の安全・安心な暮らしを守るための取組を紹介します。なお、感染症、中でも新型コロナウイルス感染症への取組については第4章で紹介します。

❶ 持続可能な地球環境を目指す脱炭素社会の実現

 気候変動問題については、2015年のパリ協定において、先進国と発展途上国がともに対策を進めていくことが取り決められました。2020年の新型コロナウイルスによるパンデミックの状況下でも、感染症対策と同様、人類が持続可能な社会の実現のために解決するべき喫緊の課題として認識されています。我が国としても、令和2年10月に2050年までのカーボンニュートラル、脱炭素社会(二酸化炭素、メタンなどの温室効果ガスの排出量から、温室効果ガスの吸収量と除去量を差し引いた合計をゼロにすること)の実現を宣言しました。経済成長との両立を図りながら脱炭素化を実現するためには、革新的技術が不可欠です。そこで、令和2年12月には、脱炭素社会に向けた革新的技術を着実に社会実装するための「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略(以下「グリーン成長戦略」という。)」が策定されました。
 また、令和3年4月、菅内閣総理大臣は「2050年カーボンニュートラルと整合的で、野心的な目標として、我が国は、2030年度において、温室効果ガスを2013年度から46%削減することを目指します。さらに、50%の高みに向け、挑戦を続けてまいります」と表明しました。

(1)2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会に向けた政府の取組
ア グリーン成長戦略
 「グリーン成長戦略」は「経済と環境の好循環」を作り出す産業政策として、温暖化への対応を成長の機会と捉え、2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会を実現するためのエネルギー需給の絵姿を示すとともに、予算(グリーンイノベーション基金)、税(企業の脱炭素化投資の促進等)、規制改革・標準化(新技術を想定していない不合理な規制の緩和等)、国際連携など、民間企業の取組を後押しするための政策を示しました。また、洋上風力産業、水素産業、自動車・蓄電池産業、資源循環産業など成長が期待される14分野の産業につき、高い目標と、それを実現するための方策や道筋等を示した実行計画を策定しました。政府としては、「グリーン成長戦略」に基づき、政策を総動員して、脱炭素化に向けた企業の前向きな挑戦を強力に支援していきます。

イ グリーンイノベーション基金
 2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会に向けて、これまで以上に野心的なイノベーションへの挑戦が必要です。脱炭素社会に不可欠で、産業競争力の基盤となる重点分野において、技術開発から実証・社会実装まで一気通貫での支援を実施します(※18)。
 具体的には、グリーン成長戦略の実行計画を踏まえ、①電力のグリーン化と電化、②水素社会の実現、③二酸化炭素固定・再利用等の重点分野について、意欲的な 2030 年目標を設定(性能・導入量・価格・二酸化炭素削減率等)し、そのターゲットへのコミットメント(責任を持って自ら取り組むこと)を示す企業の野心的な研究開発を、今後10年間、継続して支援するため、新エネルギー・産業技術総合開発機構に2兆円の基金(グリーンイノベーション基金)を造成します。これにより、民間企業の研究開発・設備投資を誘発するとともに、世界で3,000兆円規模の環境・社会・企業統治に関わるESG資金(※19)を国内事業に呼び込み、経済と環境の好循環を生み出すことを目指します。

ウ みどりの食料システム戦略
 農林水産業は、気候変動の影響を受けやすく、水稲の白未熟粒(※20)やリンゴの着色不良など高温による品質低下等が既に発生しています。また、降雨量の増加等による災害の激甚化によって、農林水産分野の被害も発生しています。
 一方、世界の温室効果ガス排出量490億t(二酸化炭素換算)に占める農林業等由来の排出割合は4分の1であることから、温室効果ガスの排出削減や吸収源として農林水産業の果たす役割は重要です。
 このため、「みどりの食料システム戦略」(※21)において、2050年までに目指す姿として、農林水産業のCO2ゼロエミッション化(二酸化炭素の排出をゼロにすること)の実現、化学農薬・化学肥料の使用量の低減等を掲げています。このうち、脱炭素化に向けた具体的な取組として、農林業機械・漁船等の電化・水素化等に向けた技術開発、炭素貯留効果と土壌改良効果を併せ持つバイオ炭の活用、早生樹(早く成長する樹種)・エリートツリー(コラム2-11参照)などの二酸化炭素の吸収・固定のための技術開発・普及に加え、地産地消型エネルギーシステムの取組を推進することとしています。

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みどりの食料システム戦略
URL: https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/midori/team1.html別ウィンドウで開きます
出典:農林水産省

(2)クリーンで経済的な環境エネルギーシステムの実現に向けた研究開発
ア 気候変動の高精度予測・利活用に向けた取組
 気候変動問題について、国や地方自治体が対策を立案・実施していくためには、その基盤となる高精度な予測情報が必要不可欠です。このため、地球シミュレータ等のスーパーコンピュータを活用し、気候モデル等の開発を通じた気候変動の予測技術等を高度化する取組(※22)を行いました。これらの成果も活用し、令和2年12月に、最新の気候変動予測等の科学的知見をとりまとめ「日本の気候変動2020」を公表しました。この中では、21世紀末の日本の平均気温は上昇し、多くの地域で猛暑日や熱帯夜の日数が増加することや、日本付近における台風の強度が強まることなどが予測されています。
 また、地球環境に関する観測情報、予測情報などのビッグデータを蓄積・統合解析し、気候変動問題等の解決に資する情報を提供するための情報基盤として、「データ統合・解析システム(DIAS(※23))」を開発しました。これまでに台風等による洪水を予測するシステムを構築するなどの成果を創出しています(第2部第3章第3節1(3)参照)。

イ 国際連携による地球観測の取組
 地球温暖化の状況等を把握するため、世界中の国や関係機関により、人工衛星による宇宙からの観測、地上や海洋での観測など様々な地球観測が実施され、気候変動対策に必要な科学的根拠が創出されています。国際的な連携によって、衛星、地上、海洋観測等の地球観測や情報システムを統合し、地球全体を対象とした包括的かつ持続的な地球観測を行うことを目的とした「全球地球観測システム(GEOSS(※24))」が構築されるとともに、これを推進する国際的な枠組みとして、地球観測に関する政府間会合(GEO(※25))が設立され、令和3年2月時点で246の国及び国際機関等が参加しています。
 また、世界規模のイニシアティブであるフューチャー・アース構想を通じて、国内外のステークホルダーとの協働による国際共同研究を推進しています。

ウ 脱炭素社会の実現に向けた研究開発
 持続的な発展を可能とする脱炭素社会の実現に向けて、カーボンニュートラルに資する形でのエネルギーの安定供給・利用が、我が国として取り組むべき最重要課題の一つです。また、スーパーコンピュータ等を活用して「仮想空間と現実空間の融合」を実現していくためには、大量の電力消費を伴うため、電力を効率的に活用するための技術が求められます。エネルギーを、温室効果ガスの排出を抑制しながら生み出し、生み出したエネルギーを効率的に貯蓄し、利用するための研究開発が、2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会へと導きます。

核融合エネルギーの実用化に向けて(ITER計画等)
 核融合は、太陽をはじめとする宇宙の恒星が生み出すエネルギーの源です。これを地上で再現し、発生したエネルギーを発電等に使用することを目標に核融合エネルギーの研究開発が行われています。このため、「地上の太陽」を実現する取組ともいわれています。また、核融合エネルギーは燃料として水素を利用するため、「資源が海水中に豊富にある」、「二酸化炭素を排出しない」といった特徴があります。1gの水素燃料から石油8t分に相当する大量のエネルギーを得ることができるとされており、エネルギー問題と環境問題を根本的に解決するものとして、期待されています。
 核融合反応を起こすためには、燃料を1億℃以上に加熱して、高温のプラズマ状態(※26)を作り出す必要があります。そのプラズマ状態が1,000秒以上維持できると安定状態となり、原理的には、連続的に発電できるとされています。ITER(イーター:国際熱核融合実験炉)計画(※27)は、核融合反応によって生じる膨大なエネルギーを熱として取り出し、新たなエネルギー源として連続的に利用できるかを実証する大型国際プロジェクトです。我が国も、ITER計画に参画し、核融合実験炉の主要機器の研究開発を実施しています。
 また、核融合エネルギーを実用化するためには、経済性(小型・高出力で発電単価が安い)の観点が必要不可欠です。核融合原型炉に必要な技術基盤を確立するための幅広いアプローチ(BA)活動(※28)では、核融合実験装置JT-60SAにより、ITER計画の目標より高い圧力のプラズマ状態の長時間維持に向けた研究開発や国際核融合エネルギーセンターでの核融合原型炉の設計活動等が行われています。これが実現すると、小型の核融合炉で高出力のエネルギーを生み出すことが可能となります。更に、核融合をおこす他の方法(※29)に関する学術研究を平行して進めるなど、多角的なアプローチによる核融合研究開発を通じて、21世紀中葉までに核融合エネルギーの実用化の目途を得て、脱炭素社会の実現に貢献します(第2部第3章第1節1(1)ア(キ)、第2部第4章第2節1(4)ア(ア)参照)。

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核融合エネルギーの実現に向けて
URL: https://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/fusion/
出典:文部科学省ホームページ

大容量の蓄電を可能にする取組 次世代蓄電池
 発電した電力を効率的に蓄電するための技術が蓄電技術です。現在、二酸化炭素排出削減に向け、太陽光・風力・地熱などの再生可能エネルギーの活用が進められています。自然条件に左右されやすい再生可能エネルギーを効率よく利用するためには、需要以上に発電した際に使い切れない電気を蓄電池に貯めておくことが有効であり、優れた次世代蓄電技術(※30)の開発が急務です。科学技術振興機構では、次世代蓄電池技術において、基礎から実用化まで一貫した研究開発を推進しています。

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電力損失の低減を図るための取組 パワーエレクトロニクス
 パワーエレクトロニクスとは、電気の種類(交流と直流)や電気の電圧などを変換するために必要な技術です。例えば、太陽電池や蓄電池は直流の電気を出力しますが、家電製品や電気自動車は交流の電気で動作します。そのような時に、パワーエレクトロニクスを用いて、電気の種類を変換する必要があるのです。その際、電力損失の低減を図り、効率よく電気を変換することで、省エネが可能となります。
 パワーエレクトロニクスの革新を支えるのがパワー半導体です。2014年にノーベル物理学賞を受賞した青色発光ダイオードの発明に代表される窒化ガリウム(GaN)はその一つです。GaN等の次世代パワー半導体や、その特性を最大限生かすことのできるパワーエレクトロニクスの実用化への期待が高まっており、2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会を支える超省エネ・高性能なパワーエレクトロニクス機器の創出を推進する事業を開始しました(※31)。

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エネルギー利用の高効率化
 発電や送配電におけるエネルギー損失の低減、電力需要にあわせた発電設備の運用や、環境負荷の少ない「モノづくり」は、エネルギー資源を効率的に利用し、環境への影響を小さくするために重要です。
 理化学研究所では、エネルギーの高効率な創出、変換・蓄電、利用や、資源循環に関する革新的な研究開発を実施しています。例えば、変換効率を大幅に向上させた有機太陽電池に関する研究や、大気中の二酸化炭素等を植物や微生物の力を利用して、燃料や材料などの有用物質に変える循環的な利活用に関する研究等が行われています。
 また産業技術総合研究所や新エネルギー・産業技術総合開発機構などでは、産業活動から排出される二酸化炭素を分離、回収して、地中深くに貯留する技術(CCS(※32))や、これを有効に利用する技術(CCUS(※33))の研究開発を行っています。
 CCUSの早期社会実装に向けて、商用規模の火力発電所から排出される二酸化炭素の分離、回収、輸送、貯留に関する技術実証等を行うとともに、廃棄物処理施設の排ガス中や大気中の二酸化炭素からメタンやエタノールを製造する技術実証等を行っております(※34)。

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(3)地域の脱炭素社会実現等に向けた取組
 脱炭素社会の実現に向けては、最先端の研究開発のみならず、地域の経済社会が価値観も含めて変革していくことが不可欠であり、大学と地域が連携するなどして、科学的知見に基づく地域の計画策定や取組を推進していくことも重要です。そこで、人文・社会科学から自然科学までの分野横断的な知見を活かし、地域の脱炭素社会の実現を支える基盤的な知見を創出するとともに、その成果の展開や、大学と地域との連携推進の場を構築する取組を進めています。
 また、産業創造や経済社会・ライフスタイルの変革、社会課題の解決を目指し、「脱炭素社会」、「循環経済」、「分散型社会」への三つの移行による経済社会の再設計(リデザイン)に向けた具体的な取組も進めています。その際、農山漁村と都市の双方の活力を最大限に発揮させる観点から、「地域循環共生圏(ローカルSDGs(※35))」の創造を目指しています。具体的には、国と地方が協働して2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会を実現するため、国民・生活者目線での具体的な方策について関係府省や地方自治体等で議論する「国・地方脱炭素実現会議」を立ち上げました。また、ライフスタイルを脱炭素化するため、例えば、以下のような取組を実施しました。
○ 温室効果ガス観測技術衛星を活用し、地球上の二酸化炭素とメタンの濃度が年々上昇している状況を把握
○ 電気自動車シェアリングの導入を行い、新たなライフスタイルにあわせた脱炭素型地域交通モデルの構築を推進
○ 多種多様な電気機器(照明、サーバー、電子レンジ等)に組み込まれている各種デバイスを、GaNを用いることで高効率化し、徹底したエネルギー消費量の削減を実現するための技術開発及び実証

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❷ 大規模自然災害への強靱性の向上を目指す防災・減災の取組

 未曽有の大災害をもたらした東日本大震災から10年が経ちました。東日本大震災での貴重な教訓を忘れることなく、また、この10年で進展した情報通信技術をはじめ、あらゆる分野の知見を総合的に活用して、来るべき大規模自然災害への強靱性を向上させることが必要です。
 そのためには、まず、必要な災害情報を関係機関間で速やかに共有した上で、関係者がそれに基づいた活動を実施できる環境の整備が必要となります。
 防災科学技術研究所では、府省庁、地方自治体、関係機関等で情報を共有するために、ネットワーク(※36)を開発しました。また、災害時の状況認識の統一を図るために、一般公開できる情報と災害対応機関向けの情報をそれぞれのウェブサイト(※37)上で可視化しました。これらの取組により、被害の状況、災害対応に役立つ情報(道路の通行可否、給水支援箇所等)など、それぞれの災害に関連した情報が即時的に共有できるようになりました(第2部第3章第2節1(3)参照)。実際に、令和2年7月豪雨災害時においては、被災地で収集された情報等を、災害対応機関へ速やかに情報発信することにより、球磨(くま)川(がわ)周辺の孤立集落対応等の支援に貢献しました。

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基盤的防災情報流通
ネットワークの概要
URL: https://www.sip4d.jp/別ウィンドウで開きます
出典:防災科学技術研究所

地震の予測技術の向上
 東日本大震災において顕在化した、海域での地震観測データが不足していたことや、海域を震源とした超巨大地震を長期評価の対象としていなかったこと等の課題を踏まえ、海底地震・津波観測網の整備・運用を進めています。特に、南海トラフ周辺の海域では、今後30年以内にマグニチュード8~9クラスの地震が70~80%の確率で発生する(令和3年1月1日時点)と想定されており、観測網の構築を進めています。陸上に設置した観測装置よりも早く、海域の観測網で地震や津波をリアルタイムかつ直接検知し、早期に情報を提供することを目指しています。既に構築されている陸域及び海域の地震・津波観測網も、津波警報や緊急地震速報等に活用されています。
 地震・津波観測網から得られる膨大な観測データなども活用した地震調査研究を進めるとともに、AIなどの情報科学の技術や知見を活用して、地震のメカニズム解明や、地震の予測技術向上につなげていくことを目指し、令和3年度から、情報科学を活用した新たな研究プロジェクト(※38)を開始しています。

気象災害の予測技術の向上
 気象災害については、災害対応の現場において、より確実性の高い予測が求められます。例えば、積乱雲が発達して局地的に大雨が降り出す、いわゆる「ゲリラ豪雨」について、始まりから終わりまでを予測できれば、迅速な避難や災害対応の大きな助けとなります。防災科学技術研究所では、垂直・水平方向に振動する2つの電波を送受信し、従来の気象レーダよりも精度よく雨の強さを観測できる「XバンドMP(マルチパラメータ)レーダ」を開発しました。この観測技術は高性能レーダ雨量計ネットワーク(XRAIN(※39))に技術移転・全国展開され、「ゲリラ豪雨」の監視を可能としました。こういった例をはじめ、防災科学技術研究所では、最先端の各種センシング(計測)機器の活用、スーパーコンピュータを用いたシミュレーションによる気象災害発生前の予測から災害発生後の速やかな状況把握等を行い、より精度の高い情報を現場に届けられるように研究を重ねています。

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あらゆる分野の知見を活用した災害研究
 防災・減災等に関する研究は、災害に強いまちづくりのための工学的研究や災害メカニズムの解明に向けた理学的研究だけでなく、人文・社会科学、歴史学、災害医学、社会学、経済学、教育学など非常に多岐にわたり、これらの知見も活用した、総合的な研究開発が必要です。
 例えば、地域に継承される歴史史料・古文書は、災害の記録を残す貴重な資料であり、過去の地震の発生間隔や規模の推定といった理学的な研究にもつながります。東日本大震災の教訓も踏まえ、東北大学災害科学国際研究所では、地域に伝来する古文書から地震の被害分布図を作成し、過去の地震や津波の様態を解明するなど、歴史資料のアーカイブ、調査・分析による文理融合型の災害研究を展開しています。


  • ※1 計算性能を示すランキング(TOP500)、アプリケーションの実行性能を示すランキング(HPCG)、AI性能を示すランキング(HPL-AI)、ビッグデータの処理性能を示すランキング(Graph500)
  • ※2 Science Information NETwork
  • ※3 High Performance Computing Infrastructure
  • ※4 National Institute of Informatics-Research Data Cloud 研究者が研究データを適切に管理し共同研究者と共有できるサービスのGakuNin RDM、研究者が簡単に研究データを公開できるJAIRO Cloud、研究データを含めた日本の学術情報を検索できるCiNii Researchから成り立っています。
  • ※5 公的研究資金を用いた研究成果について、科学界はもとより産業界および社会一般から広く容易なアクセス・利用を可能にし、知の創出に新たな道を開くとともに、効果的に科学技術研究を推進することでイノベーションの創出につなげることを目指した新たなサイエンスの進め方
  • ※6 Global and Innovation Gateway for All
  • ※7 Center for Advanced Intelligence Project
  • ※8 Cross-ministerial Strategic Innovation Promotion Program
  • ※9 量子セキュリティ拠点(情報通信研究機構)、量子ソフトウェア拠点(大阪大学)、量子デバイス開発拠点(産業技術総合研究所)、量子コンピュータ利活用拠点(東京大学―企業連合)、量子コンピュータ開発拠点(理化学研究所)、量子センサ拠点(東京工業大学)、量子マテリアル拠点(物質・材料研究機構)、量子生命拠点(量子科学技術研究開発機構)
  • ※10 実社会問題の解決に用いることが出来る汎用型の量子コンピュータを実現するためには、ある程度の期間(20年から30年)を要し、量子コンピュータの発展後もこれまでのコンピュータと相補的に利活用されていくと考えられます。
  • ※11 Social Networking Service
  • ※12 従来のスーパーコンピュータが処理に1万年を要する演算を、たった200秒で行うことに成功した量子コンピュータ(2019年10月、科学誌Natureに掲載)
  • ※13 Global Positioning System
  • ※14 Brain Machine Interface
  • ※15 日本医療研究開発機構の脳科学研究戦略推進プログラム「DecNefを応用した精神疾患の診断・治療システムの開発と臨床応用拠点の構築」や、革新的研究開発推進プログラムImPACT「脳情報の可視化と制御」
  • ※16 Hybrid Assistive Limb® 装着型サイボーグHAL、ロボットスーツ、HAL、Hybrid Assistive Limbは、いずれもCYBERDYNE株式会社の登録商標です。
  • ※17 火星衛星探査計画MMX:Martian Moons eXploration 火星衛星の起源や火星圏の進化の過程を明らかにするため火星衛星「フォボス」からのサンプルリターンを目指す計画。令和6年に打上げを目標に開発中
  • ※18 参考URL:https://www.meti.go.jp/press/2020/03/20210312003/20210312003.html
  • ※19 ESG投資は、従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資のことを指します。特に、年金基金など大きな資産を超長期で運用する機関投資家を中心に、企業経営のサステナビリティを評価するという概念が普及し、気候変動などを念頭においた長期的なリスクマネジメントや、企業の新たな収益創出の機会(オポチュニティ)を評価するベンチマークとして、国連持続可能な開発目標と合わせて注目されています。
  • ※20 高温や日照不足等により、光合成の低下やデンプンの合成不良となり、デンプンが胚乳に詰まりきらずに登熟が終了してしまうことで、胚乳に空気の隙間ができ、これが光を反射して玄米が白く見える未熟粒のこと。これにより検査等級が低下。近年の高温下において発生が増加しています。
  • ※21 農林水産省で令和3年5月に策定した食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現させることを目指した戦略
  • ※22 「統合的気候モデル高度化研究プログラム」
  • ※23 Data Integration & Analysis System
  • ※24 Global Earth Observation System of Systems
  • ※25 Group on Earth Observations
  • ※26 高温のため気体中の原子から電子が分離し、電子とイオンが自由に運動できるようになった状態
  • ※27 日本、欧州、米国、ロシア、中国、韓国、インドが参画する大型国際プロジェクト。フランスにて建設中
  • ※28 日本と欧州が共同で実施しているプロジェクト。ITER計画を補完・支援及び原型炉に向けた研究開発を行い、核融合エネルギーの早期実用化を目指し、青森県六ヶ所村及び茨城県那珂市で実施中
  • ※29 ITERやJT-60SAのトカマク方式以外の磁場閉じ込めの代表例としてヘリカル方式、慣性閉じ込めの代表例としてレーザー方式など。
  • ※30 現在の蓄電池を大幅に上回る高容量を実現するなどの蓄電技術。例えば、2019年のノーベル化学賞を受賞したリチウムイオン蓄電池
  • ※31 参考URL:https://www.mext.go.jp/b_menu/boshu/detail/mext_00103.html
  • ※32 Carbon dioxide Capture and Storage
  • ※33 Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage
  • ※34 参考URL:https://www.env.go.jp/earth/brochureJ/ccus_brochure_0212_1_J.pdf
  • ※35 地域循環共生圏は、様々な地域社会課題を解決するために、地域資源の持続可能な利用と環境保全を図りつつ、地域の経済循環を促す、環境・経済・社会の課題を統合的に解決するSDGsを地域で実現するビジョン。例えば、都市に暮らす人々が、農山漁村から提供される産品やエコツーリズム等を通じた自然の恵みに対価を支払うことにより、暮らしのニーズを満たすと同時に、農山漁村の持続可能な地域づくりを支えるといった、農山漁村、都市双方の活力を最大限に発揮させる考え方
  • ※36 基盤的防災情報流通ネットワーク(SIP4D)
  • ※37 一般公開できる情報を掲示するウェブサイト:「防災科研クライシスレスポンスサイト(NIED-CRS)」(令和3年3月より「防災クロスビュー」に改称)、公開できない情報を掲示するウェブサイト:災害対応機関限定のISUT-SITE
  • ※38 情報科学を活用した地震調査研究プロジェクト
  • ※39 eXtended RAdar Information Network XバンドMPレーダ等を用いたリアルタイム雨量観測システム

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科学技術・学術政策局企画評価課

(科学技術・学術政策局企画評価課)