平成19年9月21日大臣会見概要(閣僚懇談会)

平成19年9月21日
10時32分〜10時52分
文部科学省記者会見室

大臣)

 今日は総理がご欠席ですので、「閣僚懇談会」として開催され、各々が署名したものを、総理が署名することによって、閣議として成立するということです。私から、科学技術振興機構、日本学術振興会、日本スポーツ振興センター、日本芸術文化振興会の、4つの独立行政法人の理事長の再任・新任について、閣議のご了解を得ました。その他は特段のことはございません。最後に官房長官から、政策金融機関の長については、総理とも色々打ち合わせをした結果、所管大臣である額賀財務大臣において十分詰めて、新内閣でスムーズに発言の引継ぎができるようにということでした、というお話がありました。額賀財務大臣から、今鋭意選考を進めているところです、というコメントがありました。

記者)

 明後日23日、自民党総裁選挙となりますが、福田・麻生両候補とも、教育について一応、政権構想で取り上げて考えを述べられております。で、福田元官房長官は、社会総がかりの教育再生ということを掲げていまして、一見、安倍総理の教育政策を引き継ぐような考えを示していますが、大臣が次期総理総裁に教育政策の分野で望まれることはありますか。

大臣)

 麻生幹事長も大体同じようなお考えを持っておられるのではないかと思います。ですから、安倍内閣としては憲法改正手続法とか、防衛庁の省昇格とか、後で考えますとあの時成立したということがありますが、国民的立場、国民の日常生活という観点からしますと、最も法改正その他が進んだのは、教育の分野だと思います。あとは、予算をきちんと確保をして、法律その他を動かしていかなければなりません。教育というのは将来投資であるだけに、投資効果がなかなかすぐ出て来ない分野ですので、安倍内閣の教育や科学技術に対する基本姿勢を、是非、麻生幹事長にも福田元官房長官にも引き継いで大切にして頂きたいと思っております。

記者)

 中央教育審議会(以下「中教審」)の専門部会で今、道徳の教科化についての議論が行われていますが、改めて、大臣のお考えをお聞かせ下さい。

大臣)

 これは今、中教審にご意見を伺っている段階です。新聞等によると、文部科学省としてそういうことを決めたという報道がされていましたが、文部科学省とか文部科学大臣が諮問をしている段階で、決めるとか決めないとかという僭越な問題ではないと私は思います。で、報道される場合には、教科化という言葉の意味を踏まえて扱って頂きたいと思います。教科として認めるということは、独立の科目として学習指導要領に書くということと、教科書を検定するということと、それによって教えた結果について点数を付すると。この3条件が揃って教科という言葉を使っても良いと思うのです。ただ私は、内面的な心のあり方、或いはイズム、その人の価値観によって、正しい正しくないということが出てくる分野が含まれていますので、その分野について点数を付するということは、少し難しいのではないかと。それから、日本は政党政治で、議院内閣制ですから、私は自由民主党の党員であるだけに、教科書検定というものについては、できるだけ立ち入らないというのか、専門家の議論に、事実関係が正しい正しくないという判断に委ねているという姿勢は、私は一年間堅持してきたつもりです。ですから、検定教科書を、道徳・徳育について使うということは、常識的には難しいのではないかと。この二つのことは私は国会で答弁しているわけです。しかし同時に、動物の中では、色々自分の本能の赴くままに餌の取り合いがあったり、群れの論理と違う行動というのは、ごく当たり前のように行われるわけですが、人間社会というのは、そのイズムにかかわらず、法律と、そして法律以前の暗黙の約束事というのか、秩序を維持するための、その社会特有の、安倍流に言えば規範意識というのか、倫理観、価値観のようなものがあると思います。で、多くの場合、この倫理観、価値観というのは、人類に共通のものであるとは思いますが、やはり民族により、国家により、少しずつ成り立ちが違いますから、その伝統文化によって、そこのところに若干の差が出てくるということでしょう。日本には日本の、本来の暗黙の約束事のようなものを教えると。しかし同時に、それ以外の価値観、約束事もありますから、広くそういうものに対して柔軟に対応するという態度も教える。これが教育基本法に書かれていたことなのです。ですから、私は今の日本社会の現状から見ると、現在のあり方については、中教審でもう少し深く議論し、結論を出して頂きたい。そのときに点数を付するという部分についても、例えば法律と、法律以前の倫理観というのか、規範というのか、申し合わせというのか、そういうものとの関係はどういうものなんだろうかとか、こういうことを学ぶ態度というものは、別に価値観とは関係ありませんから、それは評点の対象になっても構わないのではないかという気もします。ですから、諸々色々なご意見が中教審の先生方にもありますので、広い立場でご議論頂きたい。そして、教科化という言葉の意味も、先生方に十分ご理解を頂いた上で、今日の日本社会に何が欠けているのか、何が必要なのかということの結論を得て頂きたいと思っております。

記者)

 中教審の関係ですが、専門部会で報告があがってきたものを、教育課程部会にて審議するという形式になっていますが、今のところ、小学校英語の問題ですとか、日本史必修化の問題ですとか、大臣が発言されたこととは違う結果が出てきていると思うのですが、それについては何かご見解ありますでしょうか。

大臣)

 違う結果が出ているのでしょうか。私はそうは思いません。つまり、英語教育という言葉は、一人称、二人称、三人称、現在、過去、未来、現在完了、過去完了、未来完了、こういうものを教えるということは、日本語ができない状態で、決して良いことではないと私は申し上げているわけです。先程の教科化と同じことですが、英語教育という言葉は使っていないのではないでしょうか。この辺も報道される場合に、よくしっかりと押さえて、お願いしたいと思います。で、国際感覚を養う中で、ネイティブスピーカーのような人たちに、色々な言葉があり、色々な文化があるということを教わることは、結構なことではないですか。つまり、いわゆる英語教育、文法のようなものを、日本語の文法ができないのに、小学校から教えても、私は少し違うと思いますし、中教審も私の考えとそう違うことを言っておられるとは思いませんが。

記者)

 先程のご発言の主旨を確認させて頂きますが、評定の対象として良いとおっしゃった部分については学習態度についてでしょうか。

大臣)

 学習態度というのか、客観的な事実として、人間社会が人間社会としてあるには、法律というものの縛りが一つあります。それ以外に、法に許されているがやってはいけないこと、法には強制されていないが進んでやらなければならないこと、この二つで人間社会の秩序は守られているのではないでしょうか。そういうものによって、人間社会のあり方が守られている。その中で、規範とか社会独特の申し合わせというものは、法律以前の問題だと。それをよく理解したということは評価はできる。評価をしたほうがいいと言っているわけではありません。理解して、事実としてそういう部分を理解したということは、評価ができるだろうと。しかし例えば、唯物史観の正しい価値観と、唯心史観の正しい価値観と、自由主義の競争の結果がいいのか、それとも今言われていますように、その結果で格差が出てくることについて政府が積極的に介入したほうがいいのかということは、その人の育ち、イズム、或いは教える者の立場によって随分違いますから、そういう部分は評価の対象にならないのではないのかと。両々あるのではないかということを言っているわけです。

記者)

 先日、経済協力開発機構(OECD)が各国の教育状況を公表しまして、日本は国内総生産(GDP)比の支出が低い一方で、日本の教育は効率的で非常にうまくいっているとOECDが評価しているのですが、この点について大臣はどのように受け止めていますか。

大臣)

 どうなのでしょう。私立学校のウエイトが諸外国と随分違うのではないでしょうか。日本という国の、家庭や地域社会のあり方は随分変わってきたと思いますが、調査の条件が一律ではなく、特に私学のウエイトが多い場合は、どうしても公的資金というか税金を投入するウエイトが減りますから、一概に数字だけで判断はできないと思います。ただし、今の教育現場のことを考えれば、概算要求をしている程度のことは、政権の価値観の置き方として、是非、次の内閣でも実現して頂きたいという気はします。

記者)

 効率的であるという評価のほうについては如何でしょうか。

大臣)

 効率というのは、投入金額が少ない割に、OECDの調査では学力が上位に来てるという意味でしょ。投入金額が少ないことについては、先程言いましたように、各国の色々な事情があるわけで、義務教育の段階で公教育のウエイトが非常に大きくて、私立のウエイトが少ない国は、当然その分が大きくなるわけですから、一概には言えないのではないでしょうか。

記者)

 独協医科大学(以下「独協医大」)が科学研究費補助金の一部を返還していなかったことについて、独協医大は、それが悪い行為であることを前提としながら、研究の現場では、その研究の成果は年度末までに必ず出るものではないので、期間を延長していただけないかという声が一部あったということですが、その点についてはどのようにお考えでしょうか。

大臣)

 独協医大の問題は、担当課において具体的に内容をしっかり調べて、本当に返還をせずに繰越のためにやった行為なのか、それともそうではないのか、よく事実を確認してからコメントをしないと、本人の名誉にもかかわるでしょう。それから、繰越については一定の手続きを取れば、繰越ができるように変えたのではないのでしょうか。

官房長)

 はい、通知を一部改正しております。

大臣)

 ですから、今おっしゃたようなこともありますので、研究の継続をしている場合に、年度末になったから全て返さなくてはいけないということではなくて、銀行等の残高証明を付して、事情を説明すれば繰り越せるような仕組みも考えてあげたらどうだということで、私が就任してから改正をしたと思います。或いは改正前の事案だったのかも分かりません。

記者)

 実はその事も独協医大に伺ったのですが、基本的に今回のような、設備の整備は済んだが、余ったお金があるというケースだと繰越はまったく無理だという認識でした。これはもし繰越を申請したとしても、無理だったのではないでしょうか。

大臣)

 これは国民の税金の塊ですから、先程の道徳の話と一緒ですが、社会のルールというものは基本的に守らないといけません。ですから、使い勝手が悪いなら、更にこういう場合にはこういうふうにしてほしいと申し出てそういうやり方に変えるべきで、自分たちが使い勝手が悪いからと、自分たちの価値観を正義のように振り回してはいけないのではないでしょうか。ただ、本当に独協医大が言っておられるとおりなのかどうなのか、事実関係がよく分かりませんから、担当課でよく調べて私に教えてくださいと、昨日指示しました。

(了)

(大臣官房総務課広報室)