パネルディスカッション



【コーディネーター】   東洋大学教授   高橋 重宏
【パネリスト】 東京大学教授 汐見 稔幸
三鷹市北野ハピネスセンター園長 佐伯 裕子
NPO法人北海道子育て支援ワーカーズ代表理事 長谷川敦子
トロント大学准教授 イト・ペング
パリ市役所家族・乳幼児局家族支援部長 フレデリック・ルプランス

高橋(コーディネーター)
   それでは、引き続いて午後のプログラムを始めていきたいと思います。
 午後は、あらかじめ会場の皆様から質問が出ておりますから、先ず質問への回答から始めてまいりたいと思います。
 先ず、ルプランス先生に対する質問です。
「フランスでの出生の40パーセント以上が婚姻外の出生とありました。スウェーデンでの出生率上昇も、フランスと同じような背景があると思いますが、実子との対応の違い、権利、社会的認知の違いはどうなっていますか。」という内容です。よろしくお願いいたします。

ルプランス(パネリスト)
   午前中の講演で数字を出しましたが、婚姻外の出生の子どもが40パーセントもいる、という話をしました。結婚外の出生の割合は北欧の国、例えばスウェーデン等は確かに高いです。
 それから、色々な家族や個人の権利は、こういった社会の変化にも対応しておりまして、嫡子と結婚外で生まれた子どもとの扱いの違いは全くありません。パリでは「結婚する。」と言うと、人によっては「えっ、結婚なんかするんですか」と言われてしまうのが現状です。フランスでも未だ地方では、昔の考え方が残っておりますけれども…。ですから、結婚については非常に自由で、子どもが嫡子であるかそうでないか、ということでは全く違いはありません。

高橋(コーディネーター)
   ご案内のように、日本では非嫡出子の出生割合は、統計上、常に1パーセントです。フランスや北欧に行きますと、40パーセント位です。そういう意味では、法的に婚姻届を出して家庭を形成するのと、法的な婚姻届を出さずに家族を構成するのも、全く違わなくなっている、ということがございますけれども、この辺について、汐見先生からコメントはございますか。

汐見(パネリスト)
   コメントいう程ではないのですが、日本が1パーセント前後である一方、ヨーロッパでは確かデンマークが一番結婚しないで子どもを産んでいる率が高い国だと思いますが、デンマークは大体60パーセント近くになっています。2番目がスウェーデンで50パーセント台だったと思います。イギリスとかフランスが、大体40パーセントを超えてきているということなのですが…。
 結婚という制度は、「2人はこれから一緒に住みます。」、「生活の単位をつくります。」ということを法的に届け出て、認証してもらうということです。一緒に住んでいて子どもをつくること自体は幾らでも出来るわけですが、それを結婚と言わないのは、法的に何か届け出をするかしないか、という、それだけなのです。
 ヨーロッパでは個人主義がある程度強くて、「僕と彼女が好き合って一緒に暮らしているわけだから、それでいいではないか。それ以上のことを何故しなければいけないか。国家に対して何故そんなことをしなければいけないのか。」という感覚が非常に強いですね。
 ですから、国の方も「別に届け出ようが届け出まいが、基本的な人権としては全く同じものを与えるしかないではないか。」という考え方になります。
 ただ、一応、結婚を届け出た方が、社会的にはもうちょっと堂々としていると言いますか、「ちゃんと結婚して籍も入れていますよ。」という、そういう違いは、やはり気分の問題としてあるみたいです。スウェーデン等は最初はサンボという、つまり同棲という形式でやっていますが、しばらくしたら「やはり籍を入れた。」ということで、移る人もかなりいるのです。だから、多少気分の違いはあるみたいですけれども、日本で考えると違わないですね。
 日本の場合は、例えば結婚式の際、何々家と何々家の控え室と書いてあるように、家と家がくっついて、新しい家を継ぐのが結婚だと。しかも、それが男性の家を中心に継いでいくのだという、そういう家制度だとか、個人と個人よりもむしろ家の系統を絶やさないとか、そういうことが非常に大事だから、籍をきちんと残しておかなければいけないという、そういう考え方がまだ強いですね。
 そのために、結婚しないで子どもを産んだ人に対する様々な差別が残っています。例えば、戸籍を見ますと、嫡出子の場合は長男、次男と書くのですけれども、非嫡出子の場合は1人生んでも2人生んでも、男、男、女、女と書くのです。それでは、隠そうとしている人には気の毒で、それを問題にした人たちから裁判が起こされまして、最近ようやくそういう記載は同等にしようと、この2~3年の間ですけれども、ようやく差別がなくなりつつありますけれども、まだ隠然とした差別はありますね。そういう文化的な違いのようなものがあって、日本はなかなか広がらない、ということがあるのではないかという気がいたします。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 こういったところも、他国との違いというものをやはりもっと見詰めながら、どうあるべきかということを考えていく必要があるのではないかなと思います。
 例えば、デンマーク等で見ますと、大学生になれは親元から出る、親元から出て生活をして、色々な人と同棲を繰り返して、良い出会いがあれば、そこでパートナーとして子どもをつくっていく、といった形が一般化しています。
 でも、日本では、大人になってもなかなか親元から出ない男の人、女の人が非常に増えてきている、というのが社会現象になってきているわけで、そういう面では非常に文化による違いがあると感じます。

 続きまして、2つ目の質問です。カナダのイト・ペング先生とフランスのルプランス先生に対する質問です。
 「各国の子育て支援に対する予算は、高齢者予算と比べてどのようになっていますか。日本では、高齢者予算は多いが、子育て予算が少ないと言われていますが、両者とも必要であると思われます。」という質問が来ています。
 ここで、イト・ペング先生からカナダのことについて、ルプランス先生からフランスのことについて、それぞれお答えいただこうと思います。

ペング(パネリスト)
   どうもありがとうございます。
 確実な予算額の数字は、今すぐには出てこないですが、確かにカナダでも90年代の頃から高齢者に対する予算と家族に対する予算との議論が、随分ありました。カナダでもやはり高齢者に対する予算は様々な形で優遇されてきたのですが、最近になって、この10年間の間で、やはり家族へのサポートも重視されてきていますので、家族に対する予算、特に子育ち・子育て支援に対する予算は、グングンと伸びています。
 とはいえ、私はデータを部分的には覚えているのですが、日本と比較してカナダの家族に対する予算はずっと高いわけなのですが、それでもカナダ人にとっては「それでもまだ高くない。」ということで、政府も国民から非常に色々なプレッシャーをかけられているわけです。
 カナダでは連邦政府が2003年にECECプログラムの施策を導入しました。これはOECD、国連、EUが2000年以降に提案した初期児童教育とケアの施策に基づいて、カナダでも導入された施策です。その施策以来、カナダでは、子育て支援に対する連邦政府からの予算が3倍になったので、そういう意味では、子育て支援に対する予算が非常に高くなっていることは確かです。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 ルプランス先生、続いてフランスの状況をよろしくお願いします。

ルプランス(パネリスト)
   フランスのそれぞれの予算額について、私も正確な数字は持ち合わせていませんが、高齢者や家族、子育て、介護、退職者、小さい子どもに対する予算など、色々と複雑になっています。特に家族に対する予算として、フランスは非常にたくさんの予算を費やしています。ヨーロッパで比較すると、スペインの予算は対GDP比0.4パーセントに対して、フランスは対GDP比3パーセントと、家族関係に非常に多くの予算を割いています。現在、フランスでは高齢者が増えており、高齢者に対するニーズが増えています。高齢者の寿命が延びており、健康関係や医療関係で非常に出費が増えています。高齢者に対する色々な介護費用が増えており、財政も赤字になっています。
 例えば、45歳のお母さんが思春期の子どもたちに対応しなければいけない、それから同時に、家庭に高齢者が居れば介護の支援が必要になる。高齢者プラス家族も助けなければいけないわけですから、現在、フランスでは非常に社会保障費が増えておりまして赤字が続いています。
 更にこれから色々な社会保障費の出費を続けていくのか、その財源はどうするのか。財源を確保するために、色々な社会保障の加入金を上げていくのか。社会保障のコストが上がれば、失業率が上がり、雇用が難しくなる。ですから、どちらを選ぶかは、現在、フランスでも大きな問題になっています。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 いずれにしても、日本の場合、先ほど汐見先生がおっしゃったように歴然としているわけでありまして、先日の衆議院議員選挙でも、様々な政策、マニフェストに、やっと子育てに関わるものが出てきました。選挙の時に各党の政策がきちんと出てくる、というのは新しい傾向だと思います。いかに子育て政策にもっと財源を持ってきていただくかということは、非常に重要な課題になってくるのだろうと思います。
 今日は全国から関係者に御参加いただいていますが、高齢者に関わる予算や子どもに関わる予算を各市区町村で比較すると、もう圧倒的な差が出てきていることは否めないと思います。子育ての領域では、財源が無いということで予算が削減されていく場合、例えば専任の職員が非常勤になっていくとか、学童保育の指導員が常勤から非常勤になっていくということが起こっています。やはり、そういうところはもっと強化していくよう、みんなが主張していくことが非常に重要になっていくのではないかと思います。

 続きまして、イト・ペング先生に対してのご質問です。
 「カナダで広く普及しているノーボディーズ・パーフェクト・プログラム(誰も子育てについては完璧ではないというような翻訳も出ておりますけれども)に大変興味を持っています。北海道では行政指導で、幅広い層の親が受けられる学習プログラムが未だ未だ充実しているとは言えません。会場や保育者の確保、運営資金を当事者である育児中の親が各々の意思によって調達しなければならないのが現状です。生活に根ざした親のエンパワメントを支えていく学びの場を、日本に広めていく意味を考えるために、カナダでの取り組みの成果や課題を教えていただきたい。」というご質問です。イト先生、よろしくお願いします。

ペング(パネリスト)
   ノーボディーズ・パーフェクト・プログラムとは、元々はグリナ・ペアレンティングという概念から出てきているのです。グリナ・ペアレンティングというのは、「丁度手頃な具合の子育て」という意味です。要するに、完璧な親というのは存在しないので、親としての目標として達成するのは「丁度良い位の親になる」ということです。
 これまでは、やはりカナダでも「スーパーウーマン」というような言葉がありました。つまり完璧な母親や完璧な父親になって、しかも完璧なキャリアウーマンでもあるというのを目標にして、そしてそれを目標にしたが故に、非常に大きなストレスを感じる親がすごく多かったわけなのです。
 そういう働く親に対して、「そんなに無理をしなくてもよい、出来る範囲だけの子育てをすればよいのだよ。」と。「親自身も完璧ではないから、完璧な子育てを無理に達成する必要はない。」ということを強調したプログラムなのです。
 きっとこれは日本とは違って、このプログラムは普遍的に、しかも自発的に地域の中で行われているようなプログラムなのです。市町村が強制的にそういうプログラムをつくっているわけではなく、どちらかというと、様々な地域内で親のグループやNPOが、妊娠した母親やそのパートナーの人たちに対して、関心があればそのグループに入って様々なサポートと子育ての経験を教え合うという形で促進しているプログラムなのです。
 そしてその会場のほとんどが地域で賄われており、よく使われるのはコミュニティセンターや図書館、それから地域の学校の中でもよく実施されます。
 例えば、私は現在、トロント市内の小学校に通う2人の子どもがいますが、毎月のように学校の方からアナウンスが来るのです。「もしペアレンティング・スキルに関心があれば、こういうことがありますので、是非来てください。」とか、色々な人を招いて、子どもの年齢に応じた親のペアレンティング・スキルを教えるという形で行われている場合が多いと思います。
 その場合は、勿論、市町村の補助金で賄っておりますので、当事者自身は費用を払う必要はありません。それから場所の確保に関しても、ほとんどの場合は、子育てに関わっている団体等がその場所を提供します。学校も、授業時間が終われば、夜になればフリーになりますので場所を提供します。そういう意味では当事者にはそんなに負担はないと思います。
 結局このような事業の資金は、最終的には税金から出ますので、我々全員が払っているようなものですね。そういう意味では日本とちょっと仕組みが違うかもしれません。
 成果や課題という点については、ずっと長い間こういうプログラムがありましたので、成果は随分良いと思います。課題としては取り上げられていません。全くそういうものだというのが認識されているので、こういうノーボディーズ・パーフェクト・プログラムは特別なプログラムではなく、存在すべきプログラムと考えております。それに対する特別な評価というのも今はありません。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 カナダのノーボディーズ・パーフェクト等の、親のエンパワメントを高めるためのプログラム、その成果や今後の課題を教えていただきたい、という質問に対するご回答でした。
 4番目の質問は、佐伯先生に対するものです。
「同じ行政職としてお聞きしたい。子ども家庭支援センターの広場で活動しているのは、職員(親子に対応)の方ですか。何人位いますか。その職種は。センターが開いている時間帯、曜日、あるいは参加の親子のおおよその数(を教えて下さい)」といった質問が来ておりますので、よろしくお願いします。

佐伯(パネリスト)
   お答えいたします。
 三鷹の子ども家庭支援センターは2カ所あります。先ほどビデオで観ましたのは、後でできた方です。ビデオでは1カ所目が映らなかったのですが、「すくすく広場」と呼ばれる方、どちらも新センターの方、職員で対応しています。「すくすく広場」の対応職員は5名で、全員が保育士です。
 あと、私が2つ目につくった「子ども家庭支援センター」では、年齢幅がゼロ歳から18歳までを対応としていますので、広場事業だけではなく、たくさんの事業を平行してやっている関係がありまして、職員は7名入っておりますが、職種は保育士、社会福祉主事、精神保健福祉士、保健師が配置されています。
 開いている時間帯ですが、「すくすく広場」というゼロから3歳までの広場では、月曜日から土曜日の10時から16時30分まで開いております。また、もう1つの方のゼロから18歳まで対応する方は、月曜日から土曜日、8時半から19時まで開いています。
 相談に入る時間帯ですが、1つ目のところで実際にやってみますと、黄昏時というのでしょうか、そのころの時間に問題が結構あるのです。特に、心重たく子育てを独りでしている方等が、夕方になって不安感を覚えたり、お子さんが低年齢のうちはなかなか手に余すような行動を取ったりということで、夕方からの相談が増えていった経緯があります。
 その辺で、やはりその方たちに少しでも対応したいという思いもありまして、もう1つの方は18歳まで対応する中で、様々な家庭環境の中の親子が相談に来られるので、やはり夜7時まで開いていないと、学校が終わってから大きいお子さんが来るのは難しい。あと、土曜日にやってないとお父さんも来られないので、2カ所目では月曜日から土曜日8時半から19時まで開きました。
 ですが、実際はものすごく大変でした。結局、自分でやらざるを得なかったので、とても大変な思いをしました。
 親子広場の参加数ですが、きょうは数値を持ってきていないのですが、「すくすく広場」は一日平均で100組位の親子が利用しています。一ケ月に換算すると、3,500から4,000名の方々が訪れている計算になります。以上です。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 先ほどビデオを観ていただきました三鷹の子ども家庭支援センターが、第三者的に観ていて、やはりこれは非常にうまくいったのは、この間お辞めになりました、安田さんという市長さん。この方はすごいのです。「私は高齢者のお金を削って子どものために使う。」ということを堂々と宣言して、色々なところで、一緒に東京都の福祉審議会の委員をやっていましたけれども、審議会などでも堂々とそういう発言をされて、発言するだけではなくて、市長決裁でどんと子どものお金を増やす市長さんでした。ですから、2番目の子ども家庭支援センターは三鷹駅の真ん前の一番場所の良いところにできています。
 ですから、首長さんの考え方が大事ですし、それからそういう首長さんが幾ら考えてもだめなわけで、佐伯さんのようなスタッフがいて、そういった事業をきちんと展開できる。そういった条件が揃って、三鷹の子ども家庭支援センターは非常に市民に対する良いサービスを展開していけているのだろう、ということを、つくづく感じます。
 どうもご質問、それからご回答された方、ありがとうございました。

 続きまして、論点の2に入ります。先ほどからお話ししておりますように、カナダのイト・ペング先生、それからフランスのルプランス先生、午前中のお話で足らなかった部分を、お1人15分ぐらいで補足をお願いしようと思います。
 イト先生、ルプランス先生、順番でお願いします。よろしくどうぞ。

ペング(パネリスト)
   最近のカナダの子育て政策の動向として、一番はっきりと見えるのは、カナダでは90年代頃から、やはり子育てや子どもを持つ家族に対してもっと積極的に支援しなければいけない、という考え方が進行されてきたわけです。そして、2000年度に入り、それを根本的に見直そうということになりました。今までは、カナダでも日本と同じように、子どもまたは子育てというのは基本的には個人の責任、親の責任だ、という考えが強かったのですが、現在では、子育ては個人の責任だけではなく社会の責任でもある、というような、社会投資としての子育て観が強くなってきているわけです。
 この背景には、カナダは2000年度に入りまして、OECDのECECの概念が導入されたことがあります。ECEC、つまり「Early Childhood Education and Care」、私は(お手元の資料の中では)日本語で「初期乳児教育とケア」と訳しましたけれども「初期児童教育とケア」と直した方が良いと思います。
 このECECの概念は、現在、OECDだけではなくEUでも活用されていますが、様々な研究リサーチによりますと「社会が、または政府が子どもに対して早いうちに色々なサポートとして投資をすれば、その子どもが大人になった時点で、様々な面で社会が利益を得ることができる。」という考え方です。
 カナダで一番有名なECECの研究は、特に医療保険の観点から入ってきています。例えばフェーゼル・マスターズの初期介入研究によりますと、彼らは児童の発達とか育成をみて、現在のゼロ歳から6歳児に対して社会が1ドルの投資をしたら、その子が18歳になった時に社会は6ドルの利益を得ることができるというものです。その計算方法は、現在、子どもに対して様々な支援として投資をすることによって、その子どもの教育、それから保険、それからその子どもが積極的に社会参加できる人間になって、しかも社会に貢献できる、そういうことによって、治安がよくなって犯罪を防ぐことができるし、しかも子どもが健康な大人として育つことができるというようなことを経済的に計算したものです。そうして、連邦政府では2003年に確実にECECの政策として、連邦政府の方で資金を導入したわけなのです。
 しかし、カナダでの1つの問題は、カナダは連邦制ですので、連邦政府ではそういうポリシーを導入することができるのですが、実際のプログラムを行うことはできないのです。連邦政府の立場としては、州政府への補助金として、またはブロックファンディングとして、子どもの初期児童教育とケアにお金を出しているのですけれども、具体的な保育制度とかプログラムの提供は州政府に賄わせているわけです。ですので、カナダでは州によって、その対応やプログラムの内容がすごく違ってくるわけです。
 1つの例として、例えばケベック州とオンタリオ州を比べてみます。ケベック州はフランス系の州なのですが、非常に積極的に対応が導入されていまして、1997年から当時の州首相の下で、1日5ドルの保育所制度が導入されました。ケベック州では保育が必要な親には誰でも保育所を保障する制度ができているのです。しかも、親に経済的な負担をさせないために、1日5ドル、日本円で1日400円程度の負担で済む保育所が導入されています。
 それに比べて、オンタリオ州では、未だ未だそのような積極的な保育制度は導入されず、この2年間の間に新しい制度が導入されたわけです。
 ですので、州別の対応は随分バラバラなのですけれども、それでも最近は非常に公的な保育、特に初期の児童教育の拡大が現れてきています。
 カナダのもう1つの特徴ですが、このように州政府が様々なプログラムを提供するとはいえども、その提供の仕方は、州政府が直接にサービスを行うわけではなく、そのサービスを地域におけるNPOまたは地域団体に任せるわけなのです。ですので、まずは連邦政府から子育て支援対策として州に財政がくるのですが、州政府ではそれを地域のNPOに補助金として提出し、地域のNPOがサービスを行うという仕組みになっています。そういう意味では、カナダでは地域におけるNPOまたは民間団体による子育てシステムが長い間行われてきていますので、随分充実していると思います。
 例えば、私の住んでいるトロントでは非常に家族と保育所と学校とコミュニティとの連携が強いのです。今、私の子どもは2人とも学校に通っていて、朝、我々夫婦は子どもたちを学校に連れていくことはできるのですが、我々は2人とも共働きですので、3時30分に学校が終わったとき、子どもを迎えに行くわけにはいかないのです。そこで、トロント市では各学校の中に保育所、学童クラブのような保育所が設置されています。それは、学校が幾つかの教室を保育のために確保して、そしてその中でその学校に通っている親のグループが理事となったNPOの保育センターを設置するという形をとっています。私は子どもの学校の保育所の理事会に入っているのですが、その理事会は親によってつくられていて、保育所の運営から補助金から、ほとんどすべてを親が監視する形をとっています。そういう意味では、子育て支援の一環として、家族と保育所と学校とコミュニティが、みんな一緒に1つのシステムとして動かなければ、様々な点で問題があるかと思います。
 今後の子育て支援の考え方として、4つの課題を提供したいと思います。
 まず1つ目の課題は、これはあくまでもカナダのシステムを考えながら提起したい点なのですが、「なぜ社会が子育ち・子育てをする必要性があるのか。」という点です。カナダでも最近は、子どもは社会の重要な人材であるという視点から、社会的な投資として子育ち・子育てシステムをもっと強化しなければいけない。それは社会の責任だけではなく、社会にとっても非常に利益である、という考え方に向かっていると思います。
 2つ目の課題としては、それを可能にするには地域における子育てシステムが充実しないといけないと思います。それは単に保育所に子育てを任せるとか、学校に子育てを任せるのではなくて、地域内のみんなで子育てに力を入れないといけない、ということがポイントだと思います。
 3つ目の課題として、先ほど言いましたように、家族、保育所、学校、コミュニティの連携がないと、そのような地域における子育てシステムがスムーズに促進できないということがあると思います。
 そして、4つ目の課題、最後のポイントとして、コミュニティの対応、コミュニティの方でこういうような社会を建設したいという意思がないといけないと思いますので、今後、子育てシステムに非常に重要なメンバーとしてコミュニティの対応が重要となるのではないかと思います。以上で私の報告は終わります。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 午前中では触れ切れなかった部分について、ペング先生からお話がございました。また後ほど、論点1の「何で子育ち・子育てを社会がしていかなければいけないのか。」を色々と議論していただこうと思います。ペング先生からは、今、むしろ社会的な投資として、きちんと子育てがされていることによって、子どもたちが思春期や青年期になって問題行動を起こすのではなく、社会に参加していけるように、社会に貢献していけるようになっていけるといった意味においても、そういったことが非常に重要なのだ、というお話でした。最後のお話は、特にコミュニティをベースにして、どういう具合にそれを位置づけていくか。まさに今回の話題は、我が国においてもコミュニティづくりをどういうふうにしていくか、ということが重要な課題になってくると思いますので、また後ほどの議論のときに触れさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
 続きまして、ルプランス先生から、先ほど触れていただけなかった部分についてのお話をお願いします。

ルプランス(パネリスト)
   先ほどペング先生から「スーパーウーマン」という話が出ました。私はそれを聞いて思い出したのですが、数年前にフランスで非常に読まれた本で、「スーパーウーマンなんてもううんざり。」という、面白い本がありました。
 私の方からは、午前の講演を少し補足し、フランスの若者及び思春期にある若者についての話をします。幼稚園と保育所の話をしました。日本とフランス、カナダとで、それぞれ規模が違います。例えばフランスの保育所では60人位の子どもを預かりますが、そこのスタッフは日本よりはるかに医療的な面での教育を受けています。その多くが自治体の管轄ですが、いまでは色々な民間団体の運営も増えてきています。
 それから、非常に大きな特徴として、フランスの保育所はフルタイムの保育ではない、例えば子どもを預かるといっても、フルタイムだけではなく、パートタイムでも子どもを受け入れ、色々な時間帯の仕事をしている親からのニーズや、あるいは失業者で全然仕事をしていない親からのニーズにも応えています。というのは、若いお父さん、お母さんは、色々と転職や失業を繰り返していて、いろいろと労働上の制約が月によって違うのです。ですから、子どもの受入は、親のニーズの変化に合わせる方が好ましいと思います。ただ、このためには非常に多くの議論を要します。非常にデリケートな議論で、これをどう変えていくかが課題です。
 例えば、親のニーズに対して、子どもの受入時間をどう変えるか、どういうタイプの受け入れをするかということですが、これは「マルチ受け入れ」と呼ばれています。つまり、働いていない人、あるいはパートタイムで働いている人のためだけではなく、フルタイムで働いている人のために、どう対応して受け入れていくか。
 親は一ヶ月の収入の12パーセント相当額を支払います。親にあまり収入が無い場合、負担を軽減し、一時間当たり収入の0.06パーセント相当額を支払います。フランス全土の全保育所で施行されているシステムです。
 次に幼稚園ですが、フランスでは2歳~3歳児の子どもの3分の1を受け入れています。大体2時半までの受入時間で、午後には昼寝をさせます。幼稚園には先生とアシスタントの2人が子どもたちの面倒をみます。3歳~6歳児は全て幼稚園へ通っていますが、親の負担は無料です。先生に必要な資格は、幼稚園と小学校とで同じものです。ですから、3歳から11歳の子どもに対して、同じ教育を受けた先生が、幼稚園でも小学校でも教えられます。これはフランスの国民教育省の管轄になっております。
 では、フランスで発展している仲裁についてお話しします。フランスでは婚姻数が以前と比べて減少しただけでなく、離婚が増加しています。
 フランスの夫婦は、3分の2が離婚します。パリは2組のうち1組の割合で離婚をします。今、社会現象として、テレビやラジオで非常に話題になっているのは、熟年離婚、つまり高齢者の離婚です。30~40年間一緒に過ごしたあと、退職の日、子どもも独立して親元にいないから、もう一緒に生活する気がないとわかり、離婚します。
 親が離婚した場合、その子どもは大変です。彼らは親や祖父母が一緒に生活するのを見ていて、それが安定のシンボルだったのですが、ある瞬間、両親はもう一緒に過ごすことができない、となって別れてしまうのです。
 今これがフランスでは話題になっていますが、親が離婚をする場合に、来年から全国レベルで各市町村に資金を出して、家族に対する仲裁を行うことになりました。例えば、夫婦がお互いに弁護士を雇う前に、まず仲裁者の前に行って、どちらが子どもを受け入れるのか、どれ位の養育費を負担するのかを調整します。両親が言い争いをするのは子どもとってよくないので、仲裁者が出ていきます。離婚を決意する前に、親と一緒にまず話し合いをしてコンセンサスを得つつ最善策を調整するのです。その方が裁判官も楽なのです。仲裁者のおかげで、既にコンセンサスを得ていますから、あとはサインをして、それを裁判官が取り決めを認可するだけで済みます。親はサインするだけですから、一番悪くない方法だと思います。恐らくフランスは、今後こういった形がどんどん増えていくと思います。
 それから、子供に会うための場所を提供します。問題があって離婚する場合には、お互いに相手に対して腹を立てていて、もう会いたくないのです。だから、別れた相手に引き取られた子どもに会いたい場合、祖父母や近隣の人が仲介しないのであれば、中立的な立場としてのプロが対応します。例えば、母親が或る部屋に子どもを連れていき、今度は別のドアから父親と子どもが一緒に出て行く。そういうふうにして、余り軋轢をかけないようにします。

 それから、思春期の子ども、青少年についてです。思春期というのは子どもから大人に変わる時期ですので、非常に色々な衝突が起こる時期でもあります。子どもは「もう子どもではない。自我があって、もう親とは違うのだ。」ということで、結果として衝突が起きます。
 今日、問題となっているのは、このような衝突を、社会ではあまり許容されなくなっているのです。色々なマスメディアでそういう話が伝えられるので、あたかも多くの青少年が反抗して、深刻な問題を起こしているように思われます。問題は、フランスは1.9人台の出生率があっても、やはり高齢者社会ですから、どうも青少年は大人社会から疎外される、青少年に対する社会の許容度は低い、という印象を持ちます。ですから「我々は疎外されている、だから徒党を組んで、大人たちを怖がらせてやろう。」というようなことをやってしまうのです。
 更に青少年たちの問題の要因には、経済的な問題や文化的なアイデンティティの問題があります。フランスには色々な国からたくさんの移民が来ているので、文化面での同化問題があります。加えて経済的な問題、それから失業問題もあります。そういった諸問題が積み重なり、大きな社会問題を生んでいます。

 しかし、この問題だけに対処するのであれば、「木を見て森を見ず。」という格言の通りになってしまいます。フランスの青少年全体のうち、その85パーセントは、これといった大きな問題を持っていないのです。残り10パーセントの青少年には何らかの問題があり、そして、本当に社会に対して問題を起こす青少年は、残りの5パーセントだけなのです。大切なことは、フランスでは5パーセント~15パーセントの青少年を対象とした政策だけではいけない。青少年全体に対する施策を先ず行わなければならないのです。

 確かにフランスだけに限ったことではありませんが、予算を節約しようとして、予防を優先しない傾向にあります。予防することが大切だと思います。
 カナダの例は、フランスでも大いに参考になると思います。カナダに行って、親が動員されている制度のことを勉強するべきだと思います。というのは、フランスはみんな国がやってくれることを期待しているからです。個人的な例を言いますと、子どもの通う学校の前に危険な交差点があるのですが、親は団結して「市はここの交差点を監視するための人を置くべきだ。」と陳情しました。フランス人は文句が多いので、色々な抗議をたくさんするのです。しかし市は実施しませんでした。そこで親同士が連携して、横断幕を掲げ交差点を占拠し、たくさんの車数ヶ月にわたりを止めました。それ以降、市は安全のための職員をその交差点に置くようになりました。親は、市へ要求するだけでなく、親同士を動員して、そんなことをやりました。それで、今度は市当局が交差点に人を置くようになり、親はあまり文句を言わなくなりました。結構、こういうふうに抗議をすることで効果が出る場合があります。

 あと、青少年のための余暇についてです。青少年のためのレクリエーションセンターがありますが、青少年はあまり行かないのです。どこかの建物の中に閉じ込められるのは、若者は好まないですね。むしろ、外でのイベントを好みます。青少年は、自由に行きたいところに行く。でも、町の中には自分たちの居場所があり、そこに若者に対してレクリエーションのアドバイスをする指導員がいる、そういうような仕組みにしてはどうかということで、色々な方法を町で実績を積んでいます。若者は、テレビとかテレビゲームとかに夢中になり、家の中に閉じ込もらないためです。女の子もあまり家の中にはいたくないのです。しかし街に出て色々変なことをしてはいけない。よって、公的な場所、公的な広場でのイベントを企画する必要があります。室内では若者はあまり参加しないので、これではだめだと考えました。

 それから、もう1つ今やろうとしているのは、様々なプロジェクトです。地域で教育をするということ、例えば町にいる関係団体、例えば教育をやっているいろいろな学校を中心とした団体が集まり、そして子どもの時間をどう企画したらいいか、つまり、子どもの時間を、登校前、放課後、昼、それから水曜日とか、そういうふうにバラバラに区切るのではなく、子どものニーズに対してどう応えていったらいいかということを考えました。
 さらにもう1つは、子供会議と青少年会議設立があります。現在、大体500くらいあります。フランスは、3万6,000の市町村があるのですけれども、今、400から500の子供会議、青少年会議があります。子供や若者は市当局者、政治家、決定機関に対して、こういうアイデアはどうですかということを出します。そして、市民性(市民としての自覚)というものも勉強できるようにしました。
 最後に、例えば問題のある子どもに対して専門の活動があり、教育者、町の色々な指導員とかが対応します。それから、問題がある子供を家庭の外に収容します。そして、例えば麻薬をやっているような人には特別の専門医がいます。
 それから、若者の家というのがあって、何か問題があるときはそこに来る訳ですが、色々な問題ごとに分けるのではなく、つまり若者は複数の問題を持っていることがありますから、色々な専門家が1つのグループをつくっていまして、そして一緒に色々な若者の問題に対して対応するということです。そして親も非常に大変な状況にあることがありますから、共に作業するのです。若者の家というのもかなりの数、今、つくろうとしています。
 18から25歳の若者についてですが、彼らの第一の問題は教育です。この話をするには時間が足らないと思いますが、18から21歳のうちの3分の2は学生です。そして、その4分の1は奨学金をもらっています。金額は余り多くはありませんが…。それから、仕事にどういうふうに就くかという、大きな失業の問題がフランスにはあります。15歳から24歳のうちの4分の1は失業しています。必ずしも長期失業ではありませんが、深刻な問題です。
 若者が仕事に就けるように企業に補助金を出す。あるいは退職をした後の老人ホームに色々な仕事とか、あるいは学校とかですね、そういうことに若者を就けることによって、仕事経験を持つことができるということがあります。そういう機会の提供です。
 それから、3つ目の柱として住居です。フランスでは若者の80パーセントが同棲をしています。だから、ほとんどの若者は結婚する前に、あるいは子どもができる前に色々なパートナーとテストをするというのですか、そういう時期を過ぎて結婚をするという手続きを踏みます。ですから、親から離れて同棲をして、もしだめだと親のところに戻ってくるのです。そしてまた出ると。
 だから、そういうところで自立しているということは言えないのです。というのは、結構週末は帰ってくるのです。例えば親に洗濯してもらおうとかですね。親に洗濯をしてもらったらまた出て行くというようなことです。アパートも全額出していないのです。ですから、自立の概念が少し特別です。完全に自立をするまでに結構時間がかかるのです。18から29歳の大体半分は親と一緒に生活をしております。
 ヨーロッパの平均は、例えばスペインで言いますと、この年齢層の83パーセントが親と一緒に生活しています。フィンランドが32パーセントです。ですから、ヨーロッパでも色々と国によって違います。フランスは半分です。24歳で、時々帰ってはきますが大体半分の若者は親から離れます。若者は親のところで生活していると3分の2はうまくいっている、もちろん、うまくいっているからこそ余り出たがらないのかもしれません。
 つまり、親のところにいると快適ですから出ていかないというのも確かに理屈が合いますけれども、問題は住居。若者にどういうふうに自立のための住居を提供して支持したらいいか、つまり、家族を助けるべきか、若者自身を助けるべきかというのが大きな問題になっております。親も子どもも両方助けたらいいのでしょうが、必ずしもうまくいっているというわけではないです。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 今、後段では特に年齢の高い、大学生世代のところまで触れていただきました。特に、フランスでは51パーセント、スペインでは83パーセント、フィンランドでは32パーセントといったような、同じヨーロッパでも非常に違いがあるというようなお話がありました。
 1つだけ、ルプランス先生、確認ですけれども、さっきお話の中で、幼稚園、小学校、中学校等の費用は無料ですか。そこだけ確認させてください。親は一切幼稚園、小学校にかかる費用は払わなくていいということですか。

ルプランス(パネリスト)
   はい無料です。そうですね、小学校、中学校までは無料、高校では両親が支払うことになっていますけれども、これがどんどん変わってきています。お金が払えない両親の場合は払ってもらうことができるようになっていますので、教科書、文房具、紙などにつきましても、やはりそうした物が支給されることになっています。
 それから、例えば私立の学校などに入れる両親がいますけれども、大体5人に1人が私学に行っていますけれども、その場合には無料ではありません。

高橋(コーディネーター)
   ちなみに、カナダの場合、ペング先生、すみませんが同じようなところの質問です。

ペング(パネリスト)
   カナダもフランスとよく似ておりまして、幼稚園、小学校、高校など、大学まではすべて無料です。カナダの場合は、州によってもちょっと違うのですけれども、オンタリオ州では幼稚園、4歳児からスタートします。幼稚園の2年間、それから小学校が8年間、つまり日本の小学校プラス高校2年生までが小中学校になるのです。その上にまたあと4年間の高校があるのですけれども、幼稚園を数えないで1年生から数えていきますと、現在12年生まであるのですけれども、それはすべて公立ですので無料です。
 実際にカナダでは、学校はすべて州の責任ですから、すべて州から補助金が出るのですけれども、私立の小学校というのは全くありません。私立の高校というのは最近あらわれてきているのですけれども、ほとんどの学生は私立に行きません。日本と全然反対で、私立に行く子というのは相当問題児なのか成績のよくない子、しようがないから親がお金を払って私立に入れる。
 またはもう1つちょっと変わった意味で、オンタリオ州では、昔カソリック系の人たちがカソリック系の学校をつくりたいということで、カソリック系の子どもたちの特別なカソリック学校があるのです。それは昔から私立となっているのですけれども、政府から補助金をもらっておりますので、また違った本当の私立ではないわけなのです。ですから、カソリック系私立小学校・中学校・高校に行く人たちは、親は少しの費用を払いますけれども、全くの私立とは全然比較できないほど低い費用を払います。また、使う図書とか本とか鉛筆、ノートブックス、すべては8年生までは無料です。学校の方で提出します。

高橋(コーディネーター)
   ルプランス先生、ありますか。

ルプランス(パネリスト)
   私の方からつけ加えたい点は、例えば私立はフランスには2種類あるということです。色々な新しいカリキュラムをやりたいということで。そうなりますと、両親の方が100パーセントお金を払わない私立というのもありまして、でもそんなにはありません。それからもう1つ、国と契約をしての私立学校というのもありまして、カトリックとかまたはユダヤ教の学校です。でも、先生のお給料は国が払うのです。ですから、両親は残りの費用だけ、例えば学校の補修費用、管理費などを払っていけばいいという形になっています。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 お2人の海外からのプレゼンターに、午前中の補足という形でお話をうかがってきました。以降、論点1のところに入っていきたいと思います。
 そこで、午前中の汐見先生の報告の中で、特に論点1、なぜ社会が子育ち・子育てを支援していく必要があるのかということで、「放牧」と「厩舎」という大変おもしろい比喩でご報告がございました。極端に言うと、「放牧」する場がなくなってきてしまって、どちらかというと一日じゅう「厩舎」に。そして、お父さんもそこにいないから母子で密着して色々な問題が起こってきているというような重要な課題が提起されました。
 だから、「放牧」をどういう具合にしていくか。あるいは、家庭の中の「厩舎」をどういう具合にしていくか。両方の支援が必要なのだというようなお話が趣旨だったかと思います。
 ルプランス先生、この話を聞いていて、フランスから見て、この「放牧」と「厩舎」なぜ社会が支援していかなければいけないかというようなことについて、ご感想といいますかご意見はございますか。

ルプランス(パネリスト)
   そうですね。これは答えにくい質問ですね。というのは、フランスは両方やっているからです。いわゆる親に対してフォローするということ、今これを発展させようとしていますが、2つの側面から答えたいと思います。
 1つは、今のフランスでの大きな問題というのは、色々な家族に出しているお金とサービスについて、どちらが親にとっていいのか、サービスはあまり提供しなくてもお金を出していれば良いのか、お金なのかサービスなのかという点です。私は個人的にはサービスを提供した方がいい、いわゆる共同の施設とかサービスをこれからもっと伸ばした方がいいと思います。
 「放牧」と「厩舎」というのがありましたね。「厩舎」というのはフランス語でラボラージュと言うのですけれども、「放牧」と「厩舎」には良いことと悪いことがあります。サービスあるいは設備を子どもに対して提供してお金がかかるというのは悪いことであり、いいクオリティのものを出さなくてはいけない、それから設備も高いと。良いことは、目に見てわかるということであり、評価もしやすいのです。
 一方、親に対するフォローというのは、それは毎日の日常の家族に対するちょっとしたアクションで、余りコストがかからない。だから、これはフランスでもたくさんすることができる。ただ、問題は、量的には評価が難しい。それからそれを見える形とすることが難しい。例えば親のグループがいて、親に対して色々な講義をする場合、レクリエーションセンターをつくったり、保育所をつくるよりは目立たないということです。
 ただ、フランスにおける本当の問題というのは、先ほど言いましたように、若い青年に対しての住居をどうするかということです。そのときに若者に直接支援をするのか。大体親と一緒に住んでいるのですが、子どもに対してお金をあげる、住居を見つけるにも子どもにお金を渡すということになると、親と子がうまくいっていて、親も子どもに対してお金を出していたらこれはよくないです。重なってしまいます。
 そして、今度は家の方で若者が自立できるようにすること。もし若者が家にいたら当然家族の方が助けます。それは当たり前ですよ。ですから、両方やると非常に予算がかかります。どちらかを選ばなければならない。親を助けるのか子どもを助けるのか。子どもの自立は、独立した大人ですから親の収入を考慮せずにやる。家族の中にいる若者、そして外へ出た若者をどう考えるかが問題です。
 今出された質問はまだ半分しか答えられていないかも知れません。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 では、ペング先生、カナダという立場から、先ほどの「放牧」と「厩舎」。まさに日本の場合は「放牧」というところがなくなってしまって、子どもというのは密室状態の、本来ならば夜帰るべき「厩舎」にずっといなければいけないような環境がふえてきていると。カナダとの比較も通して、その考え方に対して、だから社会が子育てを支援していかなければいけないということですけれども、ご意見、ご感想をお願いします。

ペング(パネリスト)
   とても難しい質問なのですが、私は個人的に、確かに汐見先生のおっしゃるとおり、それらの現象はあると思います。しかし、同時にその解釈というのは、もしかしたらある意味では非常に機能的な解釈でもあるかもしれません。社会というのは、「放牧」と「厩舎」型の子育てが崩壊したから、参入して積極的に支援しなければいけないという考え方は。
 ある意味では、こう考えますと、国家または政府、また社会の責任というのか、社会の活動というのは非常に消極的なところがあるというような感じがします。あくまでも何かが崩壊したときにそれを運営するために機能しなければいけないというような考え方なのですけれども…。
 私自身は、どちらかというと、なぜ社会が子育ち・子育てを支援をしていかなければいけないのかという意味では、社会はもっと積極的な視点があるのではないかなと思います。それは、私の考えでは、社会はやはり人によってつくられているので、そして人はだれでも健康で平和で、しかも豊かな社会を望んでいると思うのです。ですから、そのような社会をつくるにはやはり人々に必要な能力と資源を提供しなければいけない。そして、そういうような能力と資源が提供されることによって、個人一人一人の才能や可能性が最大限に発揮できるようになると思うのです。
 ですので、社会の積極的な視点から見たら、そのような状況をつくるには社会が積極的に子育ち・子育てに参加しなければいけないと思うのです。例えば、完璧ではありませんけれども、現在、カナダの家族支援政策というのは、家族の機能が低下したから社会が子育ち・子育ての支援をするという感覚ではなく、社会のために、社会の利益のために積極的に子育ち・子育ての支援をした方がいいという、後になってあらわれてくる問題を今のうちに解決するために積極的に介入していく必要があるという考えもあるのではないかと思います。それが私の現在の考えです。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 社会がといっても、それも国や地方公共団体や、あるいは会社や、あるいはNPOの法人や、あるいは色々な任意の団体、色々な社会という主体のレベルがあると思います。いずれにしても、我が国では、次世代育成支援行動計画等は、そういった様々な主体が子どもをあるいは家庭を支えるためのプログラム、行動計画をつくりましょうという政策が推進されています。

高橋(コーディネーター)
   午前中の汐見先生の発想は、少子化、仕事と子育ての両立といったエンゼルプランだけではなく、まさに「放牧」と「厩舎」といった問題点をきちんと把握しながら、どういう具合に対応していくかを考えることが必要ではないかといった問題提起だったかと思いますけれども、フランス、カナダの両先生のお話を聞きながら、汐見先生、何か感想がございますか。

汐見(パネリスト)
   「放牧」と「厩舎」という言葉が一番良いかどうか判らないのですが、何故みんなが子育てに苦労し始めているのか、ということを考えますと、まず1つの問題は、あまりにも母親だけに責任が転嫁されすぎているということ。何か問題があると「母親は何をしているのだ。」という論調がすぐ出てくるのは何故だろうと。もちろん、中にはもう少しちゃんとやってほしい母親がいると思うのですが、でも「何故その人はちゃんとやれないのか。」という理由を色々探っていくと、その人自身が温かい家庭で育てなかったとか、色々な問題を抱えながらやっているわけですよね。
 では「昔はそういう人は居なかったのか。」というと、やはり居たと思うのです。だけれども、それがそんなに大きな社会問題にならなかったのは、周辺の地縁、血縁の関係の中で、誰かが何とかカバーしていた、ということがやはりあったからです。そういうものがなくなって、「むき出しの核家族の中で、私だけがやらなければならない。」となった時に、「育児や家事を上手にやる能力が全ての市民に当たり前のように備わっている。」という前提で子育てを考えるというのは、ちょっと無理ではないかと思い、それで冷静に考えてみたら「人類の歴史の中で、そんな子育てを朝から晩までずっとやって子どもを育てるということは、実は人類は一回もやったことがないのではないか。」ということに思い当たったわけです。
 子どもはどうやって育ったのかというと、もっと多様な人間関係と多様な経験の中で育ってきたのであって、実は、親子関係の中だけで育ったということは無いのです。むしろ、親子関係の中だけで育った方が不幸かもしれない、ということです。
 ですから、今の施策が「もう一遍、親子関係をしっかりしなさい。」という方向だけであるとしたら、それは必ずしも子どもをうまく育てることにならないのではないか。子どもたちは、もっと多様な人と出会ったり、多様な体験ができて、一方、親も子どもを育てながら自己実現も同時に図れるということが、そんなに無理なくできる社会を、もう一回、現代風につくらなければ、この問題、親の育児困難というのは根本的には解決しないのではないか。そういう思いで、この問題を提起しているわけです。
 私は、日本はカナダとかフランスに比べて、家族政策が極端に弱い国なのだと、改めて感じました。家族政策というのは、家族はこうあらねばならない、という意味ではなくて、従来、家族というのは、親類縁者が近所にいて、大きな家族でやっていたでしょう。その家族の中で、食べ物の確保や老後の準備、子どもの教育、季節の準備と、全部をやっていたわけです。
 家族というのは色々な仕事があるわけです。それを大きな家族だったら何とか出来たが、現在では、そのほとんどが核家族になってしまった。核家族になってしまったら、老後の準備をする必要はないのか、食べ物を準備する必要はないのか、というと、そんなことはないのです。今の家族がやらなければならない項目は、昔と同じで、全部あるのですよね。ただ、規模が小さくなっただけで…。そういう仕事を小さな核家族でやり切れるか、となったら、実際は大変難しいのです。だから、なるべく家族の仕事を少なくするようにするために、例えば洗濯物は洗濯屋に出すとか、電化製品を入れてできるだけ楽にするとか、電化と外注化(アウトソーシング)で何とか乗り越えてきているのが、今の家族です。
 それで何とかなっているのだけれども、かつて外注化をしていて何とかなっていた「子育て」だけは、今度は外注化出来なくなって、全部自前でやらなければいけなくなった、というのが今の家族だと思うのです。
 でも、例えば料理をつくることなら、練習すれば上手くなりますよね。「今日は不味かったから、ちょっとこれは食べるのを止めておこう。」ということが出来ますよね。でも、子育ては「今日の子育てはまずかったからリセット。」ということは出来ないわけです。しかも相手は生身の人間でしょう。ですから子育ては喜びも大きいのだけれども、ちょっと煮詰まったときの大変さは、料理をつくるのとはわけが違うわけです。
 そういう意味で、家族の仕事の中で「子育て」だけが肥大化していくと、やはり「上手にやれる家族」と「そうでない家族」とに、次第に分かれていってしまって、社会全体としては危機が増すのだと思うのです。そういう社会の状態をつくってしまった場合には、家族を上手に維持するために、社会の方からもっと家族をサポートしていく施策が社会政策として取られない限り、その社会は安全にならないのだと思うのです。
 私は、家族政策というのは、家族が上手に運営できるように社会の方からサポートしていく施策だと思うのです。日本はあまりにも家族主義とか家族制度というのが、これまで強かったために、社会の方から何とか家族をサポートしなければ家族は上手くやっていけないのだ、という考え方が、当たり前のように湧いてくるのが遅れたのではないか、と思うのです。「だって、昔は家族でやっていたではないか。」という考え方です。
 そういう意味で、私は、キーワードは、日本で家族政策をきっちりやるということだ、と思います。そういう、家族を応援していく中身の1つが、「子育てを応援する」ということです。子ども自身が家の中だけで育たなくても済むような、現代風の放牧環境を、もう一回上手につくっていく。例えば、今日お話のあった三鷹市のハピネスセンターとか、子育て支援ワーカーズの「とんとん広場」というのは、私に言わせれば、現代風の放牧環境の1つなのです。保育園とか幼稚園なども、そうなのですけれども。
 そういうようなところを、もう少し上手につくっていきながら、他方で父親はもっと早く職場から家に帰すなりの、厩舎環境をもっとゆったりとしたものにしていくために、社会が総力を挙げるべきだ、と思います。
 それから世界の常識では、フランスも幼稚園は無料ですよね。実はイギリスも無料です。今、ドイツも無料にしようとしています。要するに、子どもを育てるのを、家庭だけでやるのではなく、社会総力でやっていこうとしたら、親に子どもを幼稚園に通わせる費用を出させるということはもう無理だと。お金のある家とそうでない家と差が出るなんておかしい、ということになっています。それが今、スタンダードになりつつあるわけですから、私は日本もそういう方向に施策を切りかえていくということを本気で考えなければいけない。そのためには、お金をどう注ぐのか、ということを本気で考えなければいけないと思うのです。
 だから、子育て支援をどう進めるかという議論を一方でやりながら、もう一方で本当に国や社会の責任で子どもを育てていくための財源を、日本の社会の中でどうやって捻出していくのか。こういうフォーラムの壇上に並ぶのは、私たちだけではなくて政治家さんも並べて、本気になってやろうじゃないかという討論を、もうそろそろやらなければいけないのではないかと、改めて感じました。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 今、論点1について、ルプランス先生とペング先生のお話を伺良いながら、汐見先生に感想を述べてもらいました。
 最後のセッションになってまいりました。午前中からのプレゼンテーション、それから先ほどのパネリストの議論等も踏まえまして、ぜひ会場から数名程度、質問ではなくご意見をいただきたいと思います。ご意見をいただいたあと、5人のパネリストから、論点の3になりますけれども、今日、会場にお集まりの皆さん方がコミュニティの中でどのような役割を担えるかということで、それぞれのパネリストの方からご発言をいただこうと考えています。


会場からの質問・意見

高橋(コーディネーター)
   では、どなたか会場の方でご意見がおありの方は挙手をいただきたいと思います。マイクがございますので、そこでお名前と所属をお話しの上、簡単明快にご意見をいただけたらと思いますので、よろしくお願いいたします。
 どうぞ、挙手をお願いしたいと思います。

会場
   本州の一番西の端の方からやってまいりました。山口県の子育て支援をしております。
 どなたでも結構なのですが、佐伯さんのお話を聞いた中で、お父さん方がどの程度子育て支援のサークルにご支援をいただいているか、そのあたりの話をお聞かせいただくと参考になると思います。
 「おやじの会」というのが全国各地にありますけれども、やはり子育て支援にはお父さん方の役割というものが地域の中で機能していかないと、本来の姿にはなっていかないだろうと思って、現在、山口県の子育て支援の県民運動の推進もやっておりますけれども、広い立場でいわゆる青少年育成という観点で考えたときには、コミュニティの中に機能的な役割を果たしていくのは、やはりお母さん方よりもむしろお父さんの力のほうが比重は大きいという点から、父親は子育て支援の中ではどういう役割で、どういうところで出ていただいているのか、そのあたりの状況を察知して帰りたいと思っています。よろしくお願いいたします。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。後ほど佐伯さん、長谷川さんの方から、その辺のことを含んだご発言をいただきたいと思います。
 あと2人ばかりいかがでございましょうか。
 どうぞ。

会場
   地域で小学生、中学生の登下校時の安全対策を色々と工夫して実践をしていますが、フランスでは女性が職場へ行く前に子どもをきちんと玄関まで送り届けるという話を読んだことがありますが、なかなか女性は大変ではないかなと思っています。
 カナダとかフランスで、登下校の子どもの安全に関わって、親としてどんなことをやっているか、地域ではどんなことをやっているか、ご紹介いただければありがたいと思います。

高橋(コーディネーター)
   この辺につきましは、カナダの例とフランスの例で、登下校時に、その安全対策も含めて、誰が責任を持って行っているか、ということを、後ほどご発言の中に加えていただこうと思います。
 ほかにいかがでございましょうか。
 はい、どうぞ。

会場
   今日は母親の立場で参加させていただきました。私たちの現場の中で、子育てしている家庭で気がついたことなどがあって、支援センターなどにお話しをしても「ご意見ありがとうございました、また来てくださいね。」みたいな対応で、聞き入れてもらえない現状があるので、もうちょっと私たちの声をしっかり聞いてほし良いな、という気持ちが意見としてあります。
 やはり、孤立して母子で子育てをしていることと同じように、その母子同士のサークルという、物すごく狭い世界の中で孤立して、ちょっと外に行って、母子同士の狭い世界の中でお互いの目線が厳しいという子育てになってきているな、というのを感じています。母親同士がもっとお互いに学び合えるような、先ほどのノーボディーズ・パーフェクトの学びのような、母親のネットワークに対する支援というのも、もっと温かい目で見ていただきたいなという思いがあります。先ほど、カナダの例をお聞き出来たので、フランスの方でもお母さんたちの勉強というか、お母さん方のサークルへの支援が、もし行われているようであれば、現状をお聞き出来たらと思います。お願いします。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 今、お話しになったように、今回のシンポジウムは託児サービスというのが行われていまして、今ご発言の菊池さんはその託児サービスを利用して、現役の親御さんとしてご参画いただいた、ということです。
 是非、ルプランス先生の方から、カナダのノーボディーズ・パーフェクトといったプログラムも含めて、親自身への、現役の親への関わりのプログラムが、もしフランスでもあれば、お話をいただきたいと思います。
 ありがとうございました。お三方のご意見、ご質問が大分、入りましたけれども、お話しをいただきました。論点3として、参加された皆さん方がコミュニティに帰って、どういうような役割を担っていただけるのか、或いはいくべきなのか、といったことも含めて、少しお話しをいただきたいと思います。

 時間はまだございますので、とりあえず順番に、ルプランス先生、イト先生、長谷川先生、佐伯先生、汐見先生といった順番で、今のそれぞれのご質問への回答とご自身のご意見を含んでお話をいただけたらと思います。よろしくお願いします。
 では、ルプランス先生から。

ルプランス(パネリスト)
   まず、質問に対して回答をします。親がもうちょっと参加できるか。これはフランスでも同じ問題を持っております。なかなか容易ではありません。少しずつ広がってきています。特に言葉の中に出てきます。母親と言わずに、両親或いは親という言葉を使うようにしています。
 親を参加させるために大切なことは時間帯です。親が仕事をしている場合、例えば午後に時間を設定すると来られないのです。専門家は「親のためにやっているのに、全然来てくれない。興味を持ってくれない。子どもについても全然興味を示さない。」と考えてしまいます。ところが多くの場合、単なる時間帯だけの問題もあります。
 あと、学校の登下校の送迎については、幾つかの問題がフランスにはあります。
 まず、農村地域の場合、幾つかの村でスクールバスを出します。そのスクールバスの経費は色々な市町村が出しています。或いは親、親が地方税を払ってその市町村から費用を出しています。それからパリの周辺で、家と学校とが遠い場合は、スクールバスを使います。中学生用のスクールバスがありますが、生徒はどちらかというと徒歩で通学したいようです。この費用も市町村が出しています。
 パリのような街ですと、もうちょっと複雑です。親が色々な段取りをして子どもの迎えをやります。家族が来て、幾つかの親の間で色々な調整をして、或いは人を雇って子どもを迎えに行ってもらったりします。帰るまで面倒を見てもらっている。
 今検討していますのは、例えば子供の面倒を見るという点で、18時まで子どもを学校で預かるということです。16時半までは小学校の授業があり、その後で宿題を学校でやらせてはどうか。フランスでは1週間当たりの労働時間数が36時間程度ですから、お父さんもお母さんも、時々、子どもを迎えに行くことが出来ないのです。
 それから、非常におもしろい経験があります。リヨンという大きな町で実験中ですが「ペディ・ビス」という方法でスクールバスをやるのです。つまり親同士が段取りや企画をして、ある1人の親が時間を決めて子ども達を迎えに行く、場所を決めてそこで子どもを拾うのです。下校時にどこかで子どもを拾うのですが、例えば、一人の親が25人の子どもを安全のために付き添って帰る。これはリヨンで非常にうまくいっているようです。

 それから、母親同士が一緒になって色々な問題を話し合うという取組があります。そのときはボランタリー或いはプロの人間が立ち会います。資格を持っていて、母親同士の仲裁ができるようなプロの人が参加します。もちろん母親が隣の人としゃべるのもかまいません。
 それから、もう一つのフランスの特徴として、色々な家族の協会、市民団体があります。家族についての組織が5つか6つあり、色々なイベントをやったりする一方、政治的な色合いを持った圧力団体としても機能しています。

高橋(コーディネーター)
   では、続きまして、ペング先生の方から、先ほど質問にも出ておりましたけれども、具体的には子どもの登下校に対する安全の手当てというようなことも含めてお話をいただきたいと思います。

ペング(パネリスト)
   子どもの登下校はカナダでも色々と問題となっています。カナダでは、子どもは最低6年生になる位までは、1人で学校に行かせないのです。うちの娘はそろそろ10歳になるのですが、それでも毎日のように我々が学校まで送っています。そういうことで、やはりカナダの親も登下校の安全という面では、非常に悩みます。
 私の経験から見てみますと、幸いなことに、私の住んでいる地域では、地域の親との間の助け合いというようなものがありますので、親同士で仲間づくりをして、1人が1週間に1回ずつの担当で、何人かの子ども達を連れて行く、というシステムもあります。
 我々の場合、特にうちの上の娘は今年からフランス系の学校に通っているので、それも家からは歩いて5分位のところなのですけれども、彼女の新しい学校から昔の学校の中にある保育所まで徒歩で5分位しかかからないのですけれども、それでも我々みんな仕事をしていますので、最近はベビーシッターを頼んで、登下校の子どもたちに付き添って、1つの学校からもう1つの学校に歩いていってもらっています。
 ちなみに、そのベビーシッターというのは、私の娘が現在通っている学校の8年生の女の子で、「ベビーシッターのコースを取ったので、それ出来ます。」と言ってきた子なのです。彼女には1週間に10ドルの賃金で、子ども達と一緒に歩いてもらっているところです。
 やはり面白いのは、たとえ親が直接に、いちいち、そういうことが出来なくても、地域内でそういうことが出来る様々な人が居る、というのが幸いなことなのです。たとえ親同士の協力だけでは出来なくても、近くに住んでいるティーンエージャーとか若者にそれを依頼する。そして、若者もそれをアルバイトとしてやってくれるという意味では、非常に上手く機能していると思います。
 そういう感じで、総合的には私の今日の話の中から、課題の3点目の「コミュニティの中でどのような役割をすることが出来るのか」という面で、私が強調したいのは、きっと皆様は地域に住んでいますので、その地域内における様々な組織の関連性を強化して連携することが出来たら、すごく良いなと思います。
 特に、私が日本からカナダに帰国して、カナダで1つ、すごく上手くいっているな、と思っているのは、家族と保育所と学校とコミュニティとの連携が極めてうまくリンクされているところだと思います。例えば、学校の中に保育所があって、放課後も学校の中で子どもが保育されるような仕組み。もしかしたら日本では幼保一本化という形になるかもしれませんけれども、もしそれが可能になったら、本当に親にとっては良い仕組みかもしれませんね。
 でも、それを可能にするには、個人一人一人が、もっと地域の中で、もっとそれに対する活動をするということと、もう1つの面では、先ほどルプランス先生がおっしゃったように、もっと政治的な面でもそういう施策を駆使しなければ、きっと政治家の方でもそんなに簡単に動いてはくれないと思います。
 カナダでは、NPOとか地域におけるコミュニティグループによる、政治的な圧力や代弁が非常に強いのです。だから、我々の学校では常に地域を代表する政治家を学校に招いて「うちの学校ではこんなのが足りない、あんなのが足りない。」と、親が直接言うわけなのです。そう言われると政治家も段々とそれを意識するということがあると思いますので、もしかしたらもう少し積極的な政治的な圧力が必要かもしれません。

高橋(コーディネーター)
   今、ベビーシッターの活用という話がございました。オンタリオ州の場合には、12歳未満の子どもだけを放置しておりますと、これはネグレクトという虐待で、日本で言う児童相談所に相当する機関からの介入を受けますから、保護者は常に子どもの安全に対して手当てをする責任を負っている、ということが大前提としてあります。ですから、親御さんが直接、子どもの送迎が出来ない場合は、ベビーシッターにお願いして、その安全の手当てをきちんとする、というのが親の責任となっています。
 私がすごく良いな、と思うのは、カナダですと12歳までは登下校時の付き添いが必要だけれども、逆にティーンエージャーになればベビーシッターができるのです。きちんとしたベビーシッターの養成講座があって、ライセンスが出ています。ベビーシッターのライセンスをきちんと持っている子どもですと、親御さんも安心して頼めるわけです。
 今後の日本のコミュニティにおける親を支えるといったプログラムの中では、日本でもこういったベビーシッターといった仕組みを、きちんとした社会的承認を得て、きちんとした教育を受けるといったようなプログラムをつくることも、家族を支えるプログラムの1つになるのではないか、と感じました。
 それから、NPO、政治的なことがありましたが、日本も地方分権の推進ということで、もう国というよりも、都道府県や市町村の首長さん、議員さんがどうお考えになるか、ということによって子どもに対する政策の財源も増えてきます。そういう面では首長さんや議員さんたちに内容をよく理解していただいて、豊富な予算を子どもの施策に取ってきてもらうという、そういう面で、今後、コミュニティでそういうプログラムを成熟させていくためには、子育てをしていらっしゃる当事者からの運動というようなことも、議員さんや市長さん、区長さん或いは町長さんによく理解してもらうといったことも、非常に重要なのではないか、ということを感じました。ありがとうございました。

 では、続きまして、長谷川さんの方から自由に、コミュニティでどういう役割をつくっていったら良いかについてお話いただければと思います。まさに長谷川さんの団体はNPO法人で、そういったことの先駆けで、もう20何年のキャリアを持っていらっしゃるわけですから、皆さんに対して何か参考になるご発言をいただけたら、と思います。

長谷川(パネリスト)
   私たちがやっていることは、色々な意味で地域の中で必要だなと自分たちが考えたことを、勝手に仕事にして勝手にやっているということなのですけれども、私が皆さんに「コミュニティの中で何をされたら良いのか。」ということを最後のメッセージで言ったのですけれども、御自分で考えて、御自分がやりたないな、と思うことをされることが、一番良いのではないかと思います。
 人のために何かをやる、ということではなく、やはりコミュニティの中で自分が何をすることが楽しくて、何をすることがそのコミュニティのためになるのかということ。「会社のため」ではなく、「会社のため」は5時で終わって、そのあと帰宅したら「自分は地域の中で何をするのか。」ということを、もう少しみんなで考えていかなければ、子どもたちが元気に育つ環境はなかなかつくられないのではないかな、と思います。
 今、2歳、3歳、4歳の子ども達は、あっという間に大きくなります。子どもが小学校に入ったら、急に小学校の問題になって、というのは、やはり違うと思うのです。ずっと人間は生きてずっと繋がっているわけだから、そういうこともみんな考えながら、「20年後、30年後にどんな日本になっていたら良いのかな。」ということを思いながら、私たちは今、未だ言葉の喋れない子どもたちに関わっています。
 他の方々は、それぞれの立場で色々な形で関わっていくということを、人任せではなくて、やはり自分たちで考えていくという、そういう市民の力が、これから日本を変えていくのではないかな、と大上段に構えて思います。
 それと、私がこのような活動をして一番思うのは、やはり組織に属してない人の気持ちとか、大変さを伝える手段が、今までの日本には無かったように思います。私も専業主婦という立場で、家庭で子育てをしていましたけれども、そういう人たちの言葉、思いを伝えるシステムが今まではやはり無かった。だから、日本人はなかなかそういう訓練を受けていないので、そういうことを地域の中で一緒に集まって何気なく話す中から、「私もそう思っているんだよ。」と、「そうだね。」とか、「昔はこうだったよね、でも今はそういうことが出来てないから、じゃあ、政治の力も借りながら、こうしてみようか。」とか、やはり当事者の声をどのようにみんなで出し合っていくのかということも、これから大事になるのではないかと思っています。
 先ほどの意見で、父親、男性がどのようにそれに参画していくのかということについては、仕事人間からの開放といいますか、男性も会社以外の時間、仕事以外の時間を家庭で過ごせるようにするのが一番だと思うのですが、そのためには、本当にどうしたら良いのかと。たくさん働き過ぎた人には、会社が罰金を払わなければならないようなシステムがないと、今の会社はなかなか、そのようなことを許してくれないのではないかなと。本当にそこは政治の力が必要なのではないか、と思います。
 私たちが、去年、埼玉県草加市にある「シルバー人材センター」で運営している「ひろば」を見学させていただく機会があったのですが、そこはいわゆる60歳以上の方たちがやられていました。その「ひろば」はシルバー人材センターの広場事業として、それなりの予算が市からもシルバー人材センターの事業の方からも出ていました。
 その中で一番、私が印象に残ったのは、そこに男性のスタッフがいたのですが、そうすると、お父さんも来やすいのです。そうですよね。私たちみたいな怖いおばさん、若いお母さんが居て、例えばお父さんが今日はお休みだったとしても、やはりなかなか足を運びづらい、というところがあると思います。
 私たちの「ひろば」にもたまにお父さんはいらっしゃるのですが、そのお父さんはそういうことをあまり気にされないで、子どもと遊ぶのが大好きで、よその子どもたちも、そのお父さんが来ると、自分のお母さんをほっといて、そのよそのお父さんのところへ行って遊ぶ、という場面が何回か見られました。例えば、そういう「ひろば」にも、男性が先ずスタッフとして入ってきていただけたら良いのではないかなと。そのためには、今、2007年問題(1947年前後に生まれた団塊世代が一斉に定年退職を始める。)と言う事が出ていますけれども、地域の中でそういうふうに時間が出来た方たちが「ひろば」にどうか入ってきていただけたらいいと思います。
 その男性スタッフの方は、「自分は忙しくて、自分の子どもが初めて歩いた日に立ち会えなかった。初めて喋った言葉もよく覚えていない。でもこの「ひろば」で、自分の孫ではないけれども、小さな子どもが歩くという、そういう人生の中の素晴らしい瞬間に立ち会えて、私はとても幸せです。」とおっしゃったのです。
 ですから、自分の子どもでなくても、やはり次の世代を担う子どもたちが成長していくことを感じることができると、それがまた大人の活力にもなると思うので、是非そういう新しい命を感じるためにも子どもたちを支援する色々なプログラムに男性の方が参加していただきたいと思うのですが、そのためには誰かが一歩先に出て、それをやっていただかないと、なかなか女性の中に男性が入っていきづらい、というのが、今の現状であると思っています。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 では、続きまして、佐伯先生の方から。同じく佐伯先生の方も先ほどの会場からのご質問、父親の参画というようなことも含めてお話しをいただけたらと思います。よろしくお願いします。

佐伯(パネリスト)
   三鷹市の例で、父親の参画ということで、「おやじの会」というのはやはり自主的なものでは幾つかあるのです。ですが、公のところでこれを主催してというところでは、まだ取り組みとしては薄いです。学童クラブとか、障がい児クラブとか、青少年対策の中では、かなりお父さんたちの参加というのも出てきていますが、まだその程度です。
 新しい取り組みといいますか、小学校の中で、ある1校ですが、放課後の時間帯を使いまして、地域の方々で様々なお力をお持ちの方に先生となっていただいて授業を開いていただくということをやっている中では、お父さんたちの参加というのもかなり出てきています。
 そのほか、私の仕事柄、サポートするというところで入っていきます。実は母親支援ということで、母親に対してのサポートはかなり手厚くなってきているのではないかということは感じますが、では実際、父親支援というところで、例えばお父さんの心のサポートです。子どもとどういうふうに向かい合ったらいいのだろうかとか、子どもが色々な行動障害を出しているときに、どういう扱いがいいのだろうかとか、はたまた今忙しいお仕事の中で、自分のメンタル部分のサポートとか、そういうことに対してはまだ行政側としてしっかりとサービスしていくようなところにはなっていない、というのが現実ではないかと思っています。
 やっと三鷹でも父子家庭、最近、離婚してお父さんが引き取られるケースというのが出ています。その中で、お父さんがなかなか1人で子育てするというのは難しかったのですが、少しずつサービスの提供ということで取り組み始めて、幾つかのサービスを組み合わせれば、お父さんも三鷹の中に住んでいただけるようなサービスというのは提供し始めています。
 今後のところでは、家庭の中の父親の役割、母親の役割、そこの双方のバランスがとれて子どもの育ちというものもいい育ちの方に向かっていくということは考えられますので、その辺、やはり市として取り組みたいことだと思っています。
 それと、私への質問ではなかったのですが、NP―ノーボディーズ・パーフェクト、略してNPといいますが―のご質問が出ていて、先ほどから首長がというのでありましたが、NPを取り組んでいます。実は、三鷹市というのは、もう何十年来協働の町といいまして、市民の企画とか、市民の考えが市の職員よりも優先されるような、本当にしっかりとそこのところで意見が通っていくような町なのです。その中で、市民と一緒にやっていこうということで、ある保健師が企画して提出しました。その中では、ノーボディーズ・パーフェクトということで出しましたが、現市長が子育てワークショップという名前で取り組みましょうということで、実際もう2年目ですが、取り組んでいます。
 これは、地域の中で、ノーボディーズ・パーフェクトの中でファシリテーターという役割を持っている者がいるのですが、それを初め職員がとりました。市の中の職員がまたその次のファシリテーターを広めていくとき、住民の方にそれを一緒に動くような形でファシリテーターになっていただいて、今は住民と市の職員がセットで、保育つきで―ですからお母さんたちは無料参加です―取り組みをかなりの地域の中で年に幾つも開いています。
 その中で、お母さん方のグループの中から、やはりこの母さんにはもう少しサポートが必要ではないか。また保育つきですので、ただ見るだけではなくしっかりと子どもの育ちのところも見ます。その中でこのお子さんに対してはこういう視点でもう少しサポートしたらいいのではないかと。そういうお子さんを保健センターの方に集中してつないでいきます。そこの保健センターの中では幾つものプログラムがまたありますので、そこでフォローするような形で今取り組んでいます。
 実は、私も今度の日曜日から8回シリーズ。これは日曜日とか土曜日も開きます、平日の午後も。色々な時間帯を地域全体の中で開いて、その方が一番来られやすいところを設定しておくということで取り組んでいるのがもう1つご紹介できます。
 色々な今日のお話を聞いて、私はカナダのお話などで、親の意見がとても尊重されて地域の中で反映されていくということを感じました。日本の中で、例えば何か困っているお母さんとか、問題を起こしているお子さんの親御さんがそれを出したときに、とても異質的に見られて、実際困っているお母さんが謝らなくてはならないとか、困っているお父さんが謝り続けなければならないような状況が未だ未だあると思います。
 そうではなくて、色々な人の視点に立って、その人たちがいかに暮らしていけるかというところをしっかりと当事者の意見を反映しながら、私たち行政も、住民たちも一緒に、何ができるかというところの模索ができるとい良いなということを感じました。
 私は、やはり大人も子どもも、午前中も言いましたが、安心して、安全で、本来の意味の自由というものが表出できるような地域になっていければいいということを願っています。そのためには、健康である者も障がいを持っている者も、また高齢の人も子どもも、すべての人が同じ中のステージに立って活躍できる場、そういう地域がこれからは求められるのではないかなと思っています。
 ありがとうございました。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 では、汐見先生の方から同じ趣旨で、どういう役割がコミュニティで担えるかということでご発言をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

汐見(パネリスト)
   その前に、父親の支援ということで一言いいですか。
 僕自身も父親が育児に参加することが社会を変えるのではないかと思って、自分でもあれこれ努力はしてきたのです。母子手帳はあるのに父子手帳はないというので『父子手帳』なんていう本を出したりですね。毎日新聞にも3年間ちょっと連載したのですが…。
 2年位前になりますか、三鷹市の隣に武蔵野市というところがあるのですが、そこに「0123吉祥寺」という同じような、市が独自につくった子育て支援のセンターがあるのです。そこの企画で、「父親の悪口を言う講座」というのがあったのです。父親に対する日ごろの不満を全部さらけ出してみようという講座なのです。来てくれというので行ったのです。2回連続の講座でした。
 何をねらっているのか、大体わかるのですけれども、参加者が10数名だったものですから、1回目はどういう不満があるのかとにかく全部出し合おうということで出してくださいと。同時に、父親が育児に実際にどういうふうに関わっているのかとか、そういう現状についてもそれぞれの家庭でどうやっているのか出してほしいということで。
 そうすると、みんなそういうところに来ている人ですから、熱心な人たちだったと思うのです。実際には、私は日曜日は子どもから解放されて買い物に行ってもいいことになっているのですけれども、帰ってみると部屋じゅうがカップラーメンだらけだとか。何を食べさせたのとか何とかでけんかになるとかというような、そういう話が次から次へと出るわけです。
 1人が不満を言うと、「待ってました」とばかり次の人がまたそれに輪をかけたことをわあわあと言うのですが、全員が終わった後に私は、今日の皆さんの自分の夫に対する不満というのはよくわかりましたが、それは客観的に見た場合に本当に事実その通りなのかということについては大いに疑いがありますと。離婚騒動の夫婦の片方の意見を聞くと「何とひどい妻だ」と思って、妻の話を聞くと「何てひどい夫だ」というふうになるのと同じで、今日の話は一応聞き置いたということで、それが皆さんの意見だということはわかりましたと。
 で、1週間ありますから、宿題をしてきてほしいと思いますということで、今日10何人の意見を聞いて、ほかの人たちが夫婦でどういうふうにやっているのか、それぞれにやっているというか、或いは夫婦で話し合いをどうしているかということについて、なるほどと参考になったことが1つ2つあったでしょうと。我が家ではそんなことは全然してないけれども、これだったら我が家でもやれることがあるかもしれないなと思うのを、この1週間の間に1回必ず実行してみてくださいと。
 それから、2つ目に、夫の悪口を言うのではなくて、結婚する前に語り合っていたような夢、どんな家族をつくりたいのかと。この子の将来はどういうふうになってほしいねとか、そういう2人でもう1回夢を語るという時間を持ってほしい。そのときに、夫に対して、あなたがこんなことをするからよとか何とかということについては、できるだけ我慢して言わないで、とにかく2人で原点に戻ってもう1回夢を語ってほしいということ。
 ついでに言っておきますけれどもということで、ふだんあまり子どもと関わりなくて、土日だけ、或いは日曜日だけかかわっているお父さんが、子どもとかかわろうとしてもなかなかうまくいかないということは、例えば皆さんがコンピュータを与えられて、急にエクセルで明日までに書類をつくりなさいと言われているのとあまり変わらないのですよと。そういうことも理解して夫と接してほしいということで、1週間そういう宿題をやってくださいと。こういいました。
 1週間たって、どうでしたということで、またその10数人が一人一人報告してくれました。そうすると、前回の夫への不満が、魔法にかかったかのように全部全く逆の評価に変わりました。うちの夫ってやはりいい人だったわと。
 たとえば、今日こんな講座を受けてきてということで、こういうことを語り合うのが宿題なのよということで、2人で夢をもう1回語る、ワインを飲みながらでも語ったということが、もう一遍原点に戻らせてくれたということとか、ふだん子どもにかかわっていない夫が、子どもとかかわったときにうまくやれないということは当たり前なのだと。それを私たちが急にコンピュータで難しい書類をつくれと言われているのと同じだというようなこともしゃべってみたら、その講師、なかなかいいこと言うじゃないとか何とかと言われてとか。
 例えば、一生懸命やったけれどもカップラーメンしか食べさせてなかったということは、何故なの、どうしてカップラーメンしか食べさせなかったのと言ったら、やはり最初はどうやって遊んでやっていいかわからない。公園に連れて行ってやってもふだん何をして遊んでいるかよくわからないから、おれのペースで遊ばせようとしたら嫌だとか帰ろうとか何とかという。結局一日、妻の方は買い物に行ったりするのだけれども、夫の方は結局試行錯誤を繰り返しているうちに時間が来てしまって、御飯を食べさせる時間もないということで、しようがないからこんなものを食べさせたのだけれども、とにかく疲れ果てたよというような話をして、それでも一生懸命公園に連れていってくれたのだとか、そういうことを考えたら、ガミガミ言うだけではまずいよねと思ったとか。この子はこういうふうにしてこういうふうに遊ぶのよという情報さえも提供していなかった自分にも非があったのだというようなことが色々気づかされたということで、夫に対する見方というのが見事に変わったのですね。
 僕は、せっかく好き合って一緒になった夫が、そんなにガミガミ言われる対象であるというような、そういう関係がやはり余計に不幸にしているというふうに思っているわけです。今、何でこんな話をしているかというと、父親の方が一体どういうことで悩んでいて、子育てで本当はどういうことをしたいのかということについての深いところ、その気持ちをあまり把握しないで、父親にもっと育児をさせようということだけで何かを企画しているとすると、多分父親はあまり来ないと思います。どうせ文句を言われるに決まっているというね。
 そうではないと思います。どんな親だって子どもとうまくかかわれたら、子どもがパパ大好きなんて来てくれたら、これはやるのです。でも、それをどうしていいかわからないし、実際にふだん夜遅くしか帰れない自分が、日曜日だけでもやれたらそれはそれでうれしいけれどもと。ふだん付き合えないから子どもがなついてくれないのだとかという、色々な問題を抱えている。その悩みを父親自身が出したときに、そうだよねと共感されたり、こうやったらできるよね、お父さん上手じゃないというようなことで励まされたり、そういうふうにしたら父親はもっともっと変わると思うのです。
 だから、父親はあまり参加してないんだ、やってないんだという、そういうイメージで父親と接したり、父親の企画をつくったりするということは、僕はあまり得策ではないと思います。もっと本当に父親の悩みを本音の深いところで語り合えるような場を提供してあげてほしい。
 はっきり言いますけれども、母親の方はまだぺちゃくちゃしゃべる場をつくってもらっています。父親は会社で、将来不安だとか、仕事を一生懸命やっていても、これでおれは一生終わるのかなとか、言ってもしようがないのだけれども、そういう深い悩みをみんな抱えていますよ。おれはこんな仕事を選んだけれども人生間違ったのかなとかということを考えている人も意外と多いと思います。でも、それを語れないのです。そういうところを語り合えるような仲間だとか何か…。「おやじの会」というのがあちこち広がっているのは、打ち解けてくるとそういうことをみんな語れるんだよね。そうすると、みんな同じようなことを考えているので、ほっとするんですよ。
 日本は世界で一番男性の自殺率が高いというのをご存知でしょう。人口10万人当たり40.12人自殺しているのです。今世界で断トツトップなのです。何故父親がそうなってしまうかというところに、父親が自分を語り合えるという場があまりにも提供されて良いないということがあるのだということをぜひ知っていてほしいと思います。
 で、子育て支援といったときに、この間ある小学校の校長が、あるお母さんが「何で小学校の行事は昼間ばかりなのですかと。働いている人はなかなか来れないというのに何か事情があるのですか」というふうに言って迫ったら、その校長さんはそのお母さんをたしなめて、お母さん、学校の行事が何故昼やっているかわかりませんか。本当に子どもことを大事に思ったら1日2日休めるでしょうと。そういうふうにして説得したといいます。最近の母は子どもよりも自分が優先だと嘆かれるわけです。でもその校長さん女性だったんですよ。
 私は、その校長さんのその言葉に正直ムカッとしまして、世の中の標準では、例えば学級懇談会などは普通夜やりますよと。そして夫婦で来るのが当たり前になっていますと言いました。日本の学校はどうして昼間ばかりなのですかね。これはつまり父親が家庭に参加することを期待するシステムを始めから考えていないのですよね。それでもっと父親にやれやれと言われても、やはり父親は気の毒だと私は思うのです。ですから、そのあたりを私はもう少し理解していただいた企画をやっていただきたいなと思います。
 それから、最後なのですけれども、私たち一人一人が何をやれるかということなのですが、私自身はとにかく日本の社会の隅々に子育てをやっている人だけではなく、やった人も含めて、自分たちの人生を語り合える、今の人生の悩みだとか喜びだとかを語り合える、或いはどうしたらもっといい社会がつくれるのかということについて、もうちょっと子育て支援でこうやってほしいわねとか、そういうことが自由に語り合えるような場をどれだけたくさんつくっていけるかということにかかっているという感じがするのです。父親もそういう語る場所を持ってほしい。
 子育て支援センターとか子育て支援とか言っていますけれども、それは子どものことを語り合う場だけではないですね。でも機能している子育て支援の場は、ほとんど自分を語る場なのですよね。僕は、子育てというのは、子どもを育てながら、自分を見つめ直す作業だと思っているのです。或いは夫婦関係を見つめ直す作業だと思っているのです。そして、子どもに対してガミガミする、イライラする、何で私は子のこのこういうことに対してイライラするのかということをよく考えてみたら、自分が幼いときにそういうことを無理にさせられてきただとか、自分の小さいときにこんなときよくガミガミ言われたとか。それが嫌で嫌でしようがなかったのだけれども、大人になってみたら同じことをやっているとか、全部自分が出てきますよね。
 そういう自分をもう一回とらえ直して、現在の自分がこれでよかったのだと思いたいわけですよ。だから、子育てをやるということは、結局自分をもう一回肯定し直す、育て直すという面が強いわけですね。そういうことを語り合えるという場所がなかったら、子育てをやっていてもすごくもったいないという気がするんです。
 私自身は、子育てをやりながら、大きなマンションに住んでいて、そのマンションで子育てをやっている人と友達になったものだから、金曜日の夜に子どもが寝静まったら持ち回りで家に集まって、朝の3時4時までぺちゃくちゃしゃべり合うという会をずっと何年間か続けました。来週は何々さんところねとか、土曜日、うちの子お宅へ泊まりに行きたいと言っているのだけれどもいいという形で、どんどん土曜日とか日曜日は子どもを泊まらせるのです。そうすると夫婦2人になるのですね。やったーと思って…。
 そういうふうなことをやっているうちに深い友達ができていくのですね。そこで色々な悩みを語り合ったり、母親が、実家で入院したので帰らなければならないとか言ったら、いいわよ、子どもは見ててあげるからという形で支え合いをしていくでしょう。そういうことを通じて、人生で何が大事なのかということをもう一遍学び直しをした経験があるのです。
 今の若いお母さん方は、そうやってざっくばらんにグループをつくるとかというのは苦手なのかもしれないけれども、でも、そういう場を上手に提供してあげるとか、とにかく金曜日などにどこかに集まって、どこかでぺちゃくちゃしゃべり合っているという、そういう場を日本でも上手につくるというようなことについて、どなたも一歩出られるのではないか。今度食べに来ない?とか、そういうふうな形の無数の―難しく子育て支援などと言わなくていいのですが―子育てを材料にして語り合えるという、そういう場をみんなでつくっていくという、そういう国民的な大運動をしてほし良いなというふうに思います。

高橋(コーディネーター)
   ありがとうございました。
 今、汐見先生の方から、どちらかというとお母さんたちは割りと語り合える場があるのではないかと。もっとお父さんたちが自由に語り合える場、強いて言えば、今日は時間の関係であまり触れられませんでしたけれども、思春期の子どもたちが集まって語り合える場、或いは大学生が集まって語り合える場というようなものを、コミュニティの中でいかに増やしていけるかということが、非常に重要な課題なのではないかと思います。
 今日は、フランスのルプランス先生の調査、皆さんいかがだったでしょうか。15歳から24歳の若者にとって最も大切なものは何か。52パーセントが家族を挙げたと。これも大変なことですよね。もし日本で15歳から24歳の若者に、最も大切なものは何かと聞いたときに、家族が50何パーセントも挙がるかなという何となく不安を持ちました。だけれども、日本においてもそういったような社会、特に若者が「家族が最も大切だ」という、これから家庭を築き子どもを持つ人たちが「家族」が一番重要なのだということを実感として持てるような社会にどういう具合にしていけるかということは、非常に大きい課題なのだろうと思います。
 そのためには、今日、今回のテーマでございます子育ち・子育て家庭を支援するコミュニティづくり、やはり子ども自身に、或いは子育てをしている親御さんに対してコミュニティがいかに力を発揮しながら、そこに育っている子どもたちが家族の重要性ということを認識できるような、そういったような豊かなプログラムを地域の中でいかにつくっていけるかということが非常に重要になってくるのだろうと思います。
 私は、このままいくと52パーセントの若者が「家族が最も重要だ」とは思わない社会が来る危険性があるし、そうなったらこれは大変ですよ。そもそも社会保障人口問題研究所が推計を出していました。今、日本は核家族が中心ですけれども、いずれ単身者が中心の日本の社会になっていくということが推計されています。
 そういう具合になっていきますと、非常に我々が考える社会というのは変わっていくことになります。ぜひ単身の方もいい人を見つけて結婚して、家族をつくって、つまり社会のために次の世代をどういう具合に家族で育成していけるか。そこをコミュニティや社会がどう支えていけるか。そういったような循環社会をつくっていくことが非常に重要になっていくのではないかと思います。
 今日は、ペング先生、ルプランス先生、長谷川さん、佐伯さん、汐見先生、5人のパネリストをお迎えしまして、午前、午後と。午前中はそれぞれの報告を、午後は補足の説明と会場からのご質問と、それぞれのご意見という形で進めてまいりました。司会がうまくいきませんで、なかなか議論がかみにくい部分がございましたけれども、未だ未だ未消化な部分がございますけれども、ぜひお持ち帰りいただいて、それぞれの地域でこういった材料をもとにして色々なミーティングを開いていただきたいと思います。色々な団体にはそれを持ち帰っていただいて、やはりここからの学びを1つのきっかけにして、新しい動きをスタートさせていただけたらいいのではないかと思います。
 5人のパネリストの先生、長時間にわたりましてありがとうございました。それから、通訳の方々、大変ご苦労さまでございました。いい通訳をしていただいたと思います。何よりも会場の方々、熱心に最後までご参加いただきましてありがとうございました。
 以上をもちまして、このパネルディスカッションは終了したいと思います。皆さんに盛大な拍手をお願いいたします。(拍手)

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