コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)

資料1 兵庫教育大学大学院学校教育研究科 教授 日渡 円

地域とともにある学校づくり推進協議会(広島会場)資料
兵庫教育大学 大学院学校教育研究科 日渡 円

1「あの町で教育をしてみたい」と思わせるまちづくりを

新たな人事制度を考える転機に

 地方分権一括法が施行されてから9年目となる平成20年、地方分権改革推進委員会から、1)市町村立学校教職員の人事・給与、市町村立学校小中学校の学級編制・教職員定数に係る事務について、「中核市」まで先行して移譲すること。2)市町村立幼稚園の設置の都道府県による認許可等に係る事務は廃止し、都道府県への届出制とすることを内容とする第1次勧告が出された。
 特に1点目の人事権の移譲については、文部科学省もすでに検討を始めているが、政令市に加え中核市まで人事権が移譲されることになれば、このことは教職員の人事権の移譲の問題にとどまらず、教員養成や研修等にまで影響を与え、引いては公立学校の教職員だけで国の人口の1%を超える教職員の資質の維持や向上を考える大きな転換期となるだろう。
 そういう時代を迎える今日、現在の市町村教育委員会の対応は今のままでいいのだろうか。中核市未満の市町村の大半は人材が政令市や中核市に集中する事を恐れ、とりあえず反対の態度をとってきたが、現在の制度を維持することではなく、新たな人事制度の提案をする時期ではないだろうか。

地方分権は痛みを伴う

 教育は国や都道府県の分野であると、自治体も教育委員会も「町の教育づくり」をしてこなかったのではないだろうか。総合的な学習の時間などはその典型的な例で、見方を変えると、教育課程における地方分権そのものであったはずである。まず、「町の教育づくり」を進め、教師が「あの町で教育をしてみたい」と思わせるまちづくりの工夫を進めることが原点としたうえで、人事システムの構築を行わなければならない。基本は市町村でもいいと思うが、人事の硬直化を避けるために、一定経験年数ごとの交流人事や、市町村合併論議と混同されるとややこしくなるが、複数市町村が一定規模集まり人事連合を組むなど、地域に根ざした人事制度の構築は可能なはずである。そのことが今まで難しかった、規模の小さな市町村での指導主事の設置を可能とし、真の意味での地域に根ざした教育の実現に結びつくと思う。
 地方分権は痛みを伴うとよく言われるが、市町村教育委員会や学校は地方分権の改革の痛みに耐え、教育の主体者・責任者であり、特に学校は教育の中心的な担い手であり、その責任の主体者であることを自覚すべきである。

2 自治体は国任せから脱却し、学校の自主性確立のために行動を

見逃された”地方分権型答申”

 地方分権推進改革推進委員会の第1次勧告内容である、市町村立学校教職員の人事・給与、市町村立学校小中学校の学級編制・教職員定数に係る事務についての権限移譲が今後大きな話題となることが予想される中央教育審議会であるが、平成10年にはすでに地方分権型の答申が出ているのを教育委員会や学校は見逃していたと言わざるを得ない。確かに以前の答申は答申の内容を国がほとんど実施してくれていたが、平成10年以後の答申は内容を国、都道府県、市町村そして学校とそれぞれの立場で何ができるか考えなければいけない答申となってきている。

市町村と学校は見直し事項の実施が急務

 これからの学校教育を進めていくためには、学校の自主性・自律性の確立が重要であると、平成10年、平成17年と過去2回にわたって答申されたが、都道府県、市町村、学校はその重要性を感じていない。特に平成10年答申ではそのために18の具体的方策を示した。そのうちの8項目が学校で実施すべき事項で、5項目が市町村で実施すべき事項であった。
 国は計画的に検討を行い法改正等を行い実施してきているが、学校や市町村は国の守備範囲以外の部分、つまり学校や市町村が実施しなければならない部分についても、「国はいつ改正してくれるのだろう」と眺めていたのではないだろうか。
 その市町村や学校が急いで実施すべき事項は、学校管理規則の見直し、学校に対する指示命令と指導・助言の峻別、学校予算の在り方の見直し、教育委員会支援機能の拡大、主任制度の在り方、職員会議の在り方、企画委員会等の活用、学校事務・業務に係る負担軽減、学校の事務・業務の共同実施、専門的人材の活用、教育計画等の保護者地域住民に対する説明、意見交換の機会の設定等である。

教育行政主導で学校現場を動かす

 このうち職員会議の在り方や保護者地域住民に対する説明等については、法整備が行われたために否応なしに学校管理規則の改正を行ったという経緯があるが、これらの法改正に係わる部分についても教育行政が主体的に考え、自分の言葉で説明をすることが、学校現場を納得させ行動させる重要なポイントである。ましてや、1)学校管理規則の見直し、2)学校予算の在り方の見直し、3)学校事務・業務に係る負担軽減、4)学校の事務・業務の共同実施等については、市町村教育委員会が主体的に企画・実施していかないといつまでも学校現場は変わらない。市町村教育委員会の責任は重大である。

3 学校の画一性を醸成した「学校管理規則」の見直し

全国津々浦々、同一内容の不思議

 平成12年の地方分権一括法で地方教育行政の組織及び運営に関する法律が改正され、それまで都道府県教育委員会が示していた市町村教育委員会の定める、いわゆる学校管理規則の準則規定が廃止されたが、はたしてそれ以降学校の自主性・自律性の確立に資する学校管理規則の改正を行った市町村はどれくらいあるのだろうか。
 学校管理規則は1956年(昭和31年)地教行法の制定に伴い、学校の管理・運営に資する目的で、市区町村教育委員会が制定することとなった規則であるが、この学校管理規則はどのような経緯で制定されたかというと、学校管理規則の制定は地教行法第49条で準則案を示さなければならない都道府県教育委員会に第一議的な義務が課せられたが、当時の都道府県教育委員会連合会が案を作り、それが都道府県教育委員会の示す準則案となり、全国の市町村教育委員会へ広がって行った。以後50年間、全国津々浦々どこの市町村の学校管理規則を見ても同じという現象が起こり、学校に画一性、横並びの意識を醸成してきた。
 もちろん、都道府県教育委員会と市町村教育委員会との関係は県費負担教職員制度と設置者管理主義・経費負担主義の原則により、給与と人事権は都道府県教育委員会にその他の負担は市町村教育委員会という構造になっているが、そもそも、給与権と人事権を持つ都道府県教育委員会が施設・設備や予算の事を書き込めなかったのは当然のことであり、市町村教育委員会は施設・設備や予算の事項も加え、真の意味で学校の管理と運営に資する学校管理規則の制定を行う必要がある。

初めて学校が、自らを語り始める

 ある事に関するルールを作る時はまず「目的」を明確にした上で、目的達成のために要素として、「人」「物」「金」があるが、従来の学校管理規則は「目的」と「人」だけで成り立っていたといたということができる。ここに「物」と「金」が入ることにより、目的達成のためにどのような方法が必要かが論じられ、そのために何が必要か、そのために予算をどのように組めばいいのかという組織ができあがってくるだろう。
 このことは、学校の中で単に施設や予算が論じられてくるというだけでなく、そのことによって、どこの学校の組織目標も同じようなものであったものが、初めて学校が自らから語り始め、初めて「学校教育目標」が学校の中で論じられることとなると言っても過言ではない。

4 学校に決定権を与え、”指示待ち組織”から”決定する組織”へと変わる

学校管理規則改正の3つのポイント

 学校管理規則を制定する権限と責任は市町村教育委員会にあるが、その学校管理規則は教育委員会の学校の管理に資するより学校の自らの管理運営に資する点の方が大きい。そういう意味では「学校管理規則」から「学校管理運営規則」や「学校運営規則」とすることによってよりイメージが変わってくることも確かである。
 そこで、市町村教育委員会が学校管理規則を改正するにあたって重要なポイントであるが、まず第1点目は学校の自主性・自律性を確立するために、学校裁量権限を拡大する方向で見直すということである。教育委員会の管理に資する側面よりも、学校自身の管理・運営に資するものでなければならない。そのために、教育委員会の承認事項を極力届けや報告とし、学校に決定権を与えることが重要である。そのことにより学校は指示待ちの組織から決定する組織へと変わっていくだろう。決定するためには決定するための能力が必要となり校務分掌組織そのものが大きく変容すると考えられる。校務分掌が画一的でなくなるということは、校長の経営方針は校務分掌に現れるべきであるので、そのことは教育課程に直結するといっても過言ではない。
 二点目が、学校が学校運営にあたり、国の法や規則、県や市町村の条例、規則や通知をいちいちひもとくのではなく、管理規則で網羅するという「一覧性・統一性」の観点も重要である。そのことによって教育委員会が教育法体系をより理解し、法や条例も含めて自分自身の言葉として整理し説明し始める。そのことで学校は効率的な運営が行われるにとどまらず、学校も取り巻く法体系についての理解がより深まることが考えられる。
 三点目が、「新規項目の規定」である。学校評議員制度、職員会議・企画委員会や学校評価の規定はもちろんであるが、今までの学校管理規則に全く規定されていなかった、予算や施設・設備についても規定しなければならない。予算については学校の裁量権の拡大を前提として、いわゆる公金としての市町村の予算についての学校の関与の方法等はもちろんであるが、準公金としての学校徴収金についても避けて通らず根拠を明らかにすべきである。また、施設・設備についても自治体の財産を学校が管理するという観点から、地域住民の公共施設としての学校を福祉・サービスの観点から解放していく主体者としての組織へと変わっていくことが考えられる。

5 教育課程の編成の「時数」オンリーから「目標」「内容」へ

教育課程と学習指導要領との混同

 学校裁量権が拡大されて、自主性・自律性の高い学校組織とはどのような組織だろうか。条例規則に従って承認や届出や報告をしていればよかっただけの組織から、どうすべきかを考える組織に重要なのは、意思形成と意思決定のできる組織であると思う。学校は長い間に判断をしない(させない)組織になっていた。それはほとんどのことが規定されていたし、残り少ない自主判断の部分も、横並び画一性の意識が蔓延してきていたからである。学校教育という極めてクリエイティブなのにである。こう書いても多くの教職員は「不易と流行」を使い分けて、「それが学校の不易である」と言う。
 学校を見ていてよく感じることがある。それは、教育課程と学習指導要領との混同である。言い換えれば、教育課程が学習指導要領や教科書とほとんどイコールであるということである。そのために「特色ある学校づくり」、その最たるものとして教育課程の編成の話しになると、特色を見いだせないで苦しんでいる学校現場がある。地域や自治体は盛んにアイデンティティとして地域の特色づくりに挑戦しているのに、教育は特色づくりから遠ざかろうとしている。何も学習指導要領や教科書を変えようとは言っているのではない。

学校管理規則で教育課程の編成の規定を

 学校の行っている総体は学習指導要領や教科書よりももっと大きな事を行っているのである。それらを総合して学校の教育課程と言うはずである。教育課程の3要素である、「目標」「内容」「時数」のうち、「時数」にだけ着目していると言っても過言ではない。時数は当然、法や学習指導要領に定められているのであるから別に問題はないし、基本的に割と簡単な作業である。しかし、その簡単な作業を最大の業務として位置づけて、校内の人的資源を集中させる組織になっていないか。学校は「時数」中心主義から「目標」「内容」中心主義に移行して、校務分掌組織や人的資源の再配置を行うべきである。
 そのためには、やはり学校管理規則で教育課程の編成についてはっきりと規定すべきであるし、学校評価の大きな要素であることを明確にした上で、その評価内容や評価手法について地域住民も巻き込んだ学校評価の確定が急がれる。
 議論が出ることをあえて承知で言えば、教育課程の編成について、教科ごとの到達目標をはっきりとさせた上で、教科ごとに何時間必要かは学校の判断に任せるという考えが出てきてもいいのではないだろうか。

6 権限の下部移譲が、学校組織を育てる

いかに権限の移譲を進めるか

 地方分権の本旨は規制が緩和され、権限と責任を表裏一体として下部組織に移譲されることである。このことは学校組織にも言えることで、学校は組織内で権限の下部移譲を進めなければならない。そのことが効率的な学校運営に資するばかりでなく、組織そのものを育てる原動力になる。
 学校の権限は校長にすべて集約されるが、どういう権限をどの組織に移譲するか、言い換えれば移譲される組織をどう作るかと言うことである。
 校長の権限は大きく分けて2系統ある。一つは教育委員会からの権限。もう一つは法からの権限である。このうち法からの権限は権限委任者の顔が見えないため、いきおい学校は教育委員会からの権限だけを意識しがちだが、実際は法からの権限の方が圧倒的に多い。その教育委員会からの権限移譲は、委任や専決として少しずつであるが進んでいる。後はその委任された権限をいかに内部委任するかが残っている。

校長が本来の職務を遂行するためには

 問題は法からの委任された権限の内部移譲をどう進めるかである。この権限は委任者が法であるために、校長の権限を内部委任する圧力が感じられない。実際的には校長以外の職員が任せられて業務を行っているが、教育委員会からの権限移譲に比べて明文化されないために、責任の所在がはっきりしないという側面がある。この部分についても、その人限りとか、その組織限りの決裁権を移譲しなければならない。
 校長の話によく「ほうれんそう」という話しが出てくる。もちろん「ほうれんそう」とは報告・連絡・相談であるが、多くの場合校長は逐一の報告・連絡・相談を求める傾向がある。このことは、組織内での権限の移譲を明確にしていないために全てを求めることになるのである。雑多な報告を含め多く寄せられる情報ために、校長は経営や運営といった本来の組織のマネジメントという立場から離れて、職員と同じように情報の海をさまようことになる。このような状態は危機管理を発揮する場面で問題となって現れてくる。
 校長には洗練された情報が伝わり、ほとんど完成された答えが用意された中で判断を行うようにさせなければならない。このことは、学校管理規則の中でも組織の在り方をしっかりと規定することによって可能となる。

7 「学校組織マネジメントカリキュラム」など新手法を研究し、学校に提案する

学校組織マネジメントカリキュラムへの誤解

 平成16年に文部科学省から「学校組織マネジメントカリキュラム」が示された。これは平成12年の教育改革国民会議でも指摘されたように、学校や教育委員会にマネジメントの発想が少なかったのが原因である。ここ10年ほど学校を取り巻く環境は激変し、学校は多くの問題を抱えている。確かに学校は世の中の流れに流されてばかりではいけない部分が多いが、社会の成熟と乖離して余りにものどかな時間を過ごしてきたのも確かである。学校のこれらの課題を解決する一つの手法として「学校組織マネジメントカリキュラム」が出てきたのである。ただ、当時の中は教員評価が話題となり始めて、学校に成果主義を取り入れるのかという議論が噴出し、成果主義と絡められて「学校組織マネジメント」が捉えられたのは非常に残念である。
  「学校組織マネジメント」の目的は学校のミッションや学校に何ができるかを明確にして、学校が学校をもう一度問い直すことにもあった。また、「特色ある学校作り」や「創意工夫をこらした学校経営」というこれからの学校の大きなテーマをどう実現するかの手法であった。従来の答申や報告では、学校にとって重要なことは示すが、それをどうやって克服するのかの手法を伝えてこなかった。そういう意味では「学校組織マネジメントカリキュラム」は学校に画期的な手法を持ち込むものである。

環境を分析する力が弱い

 その大きな方法がSWOT分析である。学校を内部環境と学校を取り巻く外部環境にわけ、それぞれに強みと弱みの要素をあげて、学校の内部環境と外部環境の強みから導き出される答えがその学校の特色で、学校の内部環境と外部環境の弱みから導き出されるのが課題である。ところが学校はこの強みと弱みを逆に捉えるなど、環境を分析する力が弱かったために、学校の特色を間違う例が多くあった。これに世の学力低下論争が大きく影響し、ほとんどの学校が「学力向上」を特色や課題にしてしまった。教育目標と学校目標の混同である。
 学校が国や都道府県や市町村の目標の枠組み中で的確な目標を立て生き生きと行動するためにも、市町村教育委員会は「学校組織マネジメントカリキュラム」をはじめとする新たな手法についても研究し学校に提供しなければならない。

8 各教育委員会は、覚悟を決め、学校の”教委離れ”を促そう

 教育効果を上げるには学校現場が実力をつけることが一番である。戦後一貫して国全体として「追いつき追い越せ」の中で上意下達や横並び、画一的な政策が行われてきた。それはそれで必要な事であったかもしれない。それが社会の成熟に伴い多様性が求められる時代にそぐわなくなってきたということである。従来、市町村教育委員会は過度に学校を制約してきた。それが地方分権の時代に入っても惰性で過度の制約を行っていないか。言い換えれば市町村教育委員会は学校に過保護であり、学校の親離れ(教育委員会離れ)を恐れていた。

対等に近い関係の構築が必要

 教育委員会は学校を信頼し自律性に富んだ学校にしなければならない。ある時は対等に議論したり、学校から批判を受けることも覚悟しなければならない。対等に近い関係の構築が必要である。そのために急いで自立する組織づくりに着手しなければならない。

五ヶ瀬町の試み

 そのためには、校長権限の校内での権限委任が急がれる。具体的には、1)学校管理規則等で校長権限を再委任や専決としたものについて校内規程で明文化する規定と、2)何をどう再委任や専決させるのかを規定しなければならない。宮崎県五ヶ瀬町の学校管理運営規則ではこの事について次のように規定している。
1)については、
 第2条(学校規則)校長は、法令、条例又は規則等に違反しない限りにおいて、その権限に属する事務に関し学校規則を定めることができる。
2)については、 
 第35条(法から付与された校長の権限に属する事務に関する専決)校長は、第31条第1項第1号ア及びイに関する事務を教頭、事務主幹及び第44条から第51条に規定する職員(以下「主任等」という。)に専決させるこことができる。
2 前項に規定する事務は、次のいずれかに該当する場合は、専決することができない。この場合において、当該事務は、相当と認められる上司の決裁を受けなければならない。
 一 特に重要と認められるもの
 二 異例に属し、又は先例となるおそれがあるもの
 三 紛議を生ずるおそれがあるもの
 第35条は要約すると、学校教育法や学校保健法等から付与された校長の権限を校内で教頭や事務主幹や各主任に専決させる。ということになる。

9 学力テストの結果を分析し、指導方法改善システムの構築を

「三大タブー」の消滅

 戦後教育界の3大タブーと言われた道徳教育、勤務評定、学力テストも60年の歳月とともにここ5年くらいのうちに全て実施されてきている。第3の教育改革は制度上も気分上も確実に進んでいる。その3点はいずれも数度にわたり中教審でも答申され、道徳教育は今回の学習指導要領改訂では大きな柱の一つとなった。勤務評定についても、公務員制度改革の中で適正な評価と処遇への反映が打ち出され、都道府県をはじめ地方自治体はその手法について研究を重ねてきた。学力テストも基準と検証は国、方法は地方という国と地方の役割分担の中で実施された。学力テストの内容や方法をここで論じることは止めるが、その行われた学力テストを市町村教育委員会がどう捉え処理したかが問題となる。
 一つめの問題点は平均の捉え方である。全国平均は義務教育段階の児童生徒数が1,086万人であるので単純計算でも1学年120万人の平均である。都道府県でも同じように数万単位の児童生徒の平均となる。問題は市町村や各学校での平均を平均と言えるかどうかである。データの世界では母数として1000が必要であると言われている。各学校や小さな市町村では全国や都道府県平均と個人との比較となるのではないだろうか。学力テストはあくまでも個人の結果を中心として、カルテ方式等で個人の細かな分析と指導の材料とすべきである。

学力テストは「結果」から「指導力」が問われる時代へ

 また、大きな問題として、本当に子どもの学力の表れなのかと言うことである。ここでも平均で見てしまうと、漢字の弱い町または学校、とか少数と少数のかけ算の弱い町または学校となる。果たしてそのような学校や町が存在するのか。問題はそれを誰が教えたかである。特に項目によって全体的な陥没が見られると結果は明らかである。学力テストは指導結果の確認の一面性を持つ。
 地域や保護者たちは早晩そのことに気付き始めるだろう。もしかすると、極論であるが「お宅のお子さんは・・」とか「この学校は・・」と言えなくなる時代が来るのかもしれない。そこまで行かなくても、今、市町村教育委員会は始まったばかりの学力テストで真剣に分析方法と指導方法改善へのシステム作りに着手しなければならない。これらの作業は国や都道府県ではない。我が国のルールとして基準と検証は国、方法は地域や学校と役割分担が明確にされた意味は大きい。

10 教育委員会による予算の一律配当は学校の自主性、自律性を高めない

学校裁量の予算は拡大したが・・・

 今までの学校予算の在り方は教育委員会予算の学校への再配分である。一見、学校は教育委員会に予算要求をしているように見えるが、それはあくまでも教育委員会が首長部局の財政当局へ予算要求をするための基礎資料に過ぎない。自治体の予算が潤沢な時代には潤沢に、財政が厳しくなると一律にマイナスシーリングをかけるなど、学校の予算の主体性はなかった。
 そもそも、学校の予算は教育委員会の予算という枠ができており、普通の組織が目標を立てて、目標実現のために予算を編成するといった感覚からは大きくかけ離れていた。そのために、学校では教育という組織活動と予算は別物であった。
 最近になり、予算項目はもちろん購入する物品まで予算がきっちりと決められていた従来の方法から、配当予算の内一定額を自由に使えるいわゆる「学校裁量予算」や、配当予算内で項目を自由に設定できるいわゆる「総額裁量予算」という方法をとる自治体が出てきた。また、校長の権限で執行できる「校長決裁権限の拡大」という方法で学校予算の裁量化が進んできている。
 しかし、本当に「学校裁量予算」や「総額裁量予算」や「校長決裁権限の拡大」は学校の主体性に寄与しているのだろうか。今までの学校は、学校目標達成のために何が必要なのか、どれくらいの予算が必要なのかを積算する方法も、計画を立てる方法も、何に投資すればいいのかを判断する方法も知らなかったのである。学校が使える予算が決まった中での「学校裁量予算」や「総額裁量予算」や「校長決裁権限の拡大」はややもすると、学校にとって使い勝手のいいばかりの方法になっていないだろうか。

予算編成能力が重要

 組織目標実現のためには予算が必要である、という原点に立てば、学校の自主性・自律性の確立のためには予算の編成こそが生命線であるはずである。学校の目標をしっかりと立てて、その目標実現のために何をいくら必要とするのかの予算の編成能力が重要である。その上で、財政当局への交渉力、査定を受けることこそが学校予算の在り方の見直しの重要な部分である。百歩譲って、教育委員会予算の再配分方式しかとれないとしても、教育委員会と学校間では厳密な目標設提示と査定がなければならない。
 いずれにしても、市町村教育委員会が予算を一律配当する方法は学校の自主性・自律性の確立には寄与しない。

11 コミュニティ・スクールと学校評価

学校は誰が支えるのか

 平成10年9月の中教審答申「これからの地方教育行政の在り方」は学校の自主性・自律性の確立をテーマとする答申であった。少し古い話であるが、今もって学校の自主性・自律性が確立されていないことを考えると、この答申の内容は今でも重要であると言うことができる。また、新しい学習指導要領の基となる平成17年10月答申でも、学校の運営組織の見直しが学校の自主性・自律性を確立するという表現で踏襲されている。
 この大目的の、学校の自主性・自律性の確立は学校が教育委員会から独り立ちすることを意味するが、学校が学校のみで存することではなく、公教育へのニーズの主体である地域とともに存するものでなくてはならないことを意味する。その完成形に近いものがコミュニティ・スクールということができる。教育における成熟の時代の到来と言うこともできる。もちろん成熟とは、学校の成熟と、地域の教育に対する感覚の成熟の両方である。教育に対して成熟した社会で、学校はその人的、物的資源で地域の教育ニーズをとらえて教育課程を編成するが、教育課程編成そのもに地域が参画・関与することが重要だ。
 従来のイメージでは、人事評価にしろ、学校(組織)評価にしろ、評価者のための評価であったが、新しい評価の時代にあっては、被評価者のための評価という側面が全面に出てきている。新しい人事評価は、一人一人の能力を引き出し組織力を高めるのが目的であり、組織評価は信頼される組織のために必要であり、ひいてはそのことが地域が学校を支えることにつながる。
 いずれにしても、学校が行政だけを向いていればよかった時代から、地域とともに、地域のニーズをとらえて、地域とともに学校をつくっていく時代へとなるだろうが、一刻も早く学校が認識を変えることが望まれる。

お問合せ先

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(初等中等教育局参事官(学校運営支援担当)付)

-- 登録:平成23年12月 --