CLARINETへようこそ

心の外傷とその対応

 2001年9月11日に、ニューヨークで起こった同時多発テロに関して、ニューヨーク及びニュージャージーの日本人学校及び補習授業校の子どもたちの無事が確認されているものの、保護者等の安否が不明であったり、様々な情報が入り乱れているなど、今後、子どもたちの心身の健康への影響が懸念されます。
 このため、日本人学校及び補習授業校の教職員及び保護者等が子どもたちにどのように接すればよいか、どのような対応をすればよいかということについて、参考となる資料を作成しましたので、御活用いただければ幸いです。

2001年9月14日
外務省ニューヨーク総領事館顧問医 斉藤 卓弥
文部科学省国際交流ディレクター 栗原 祐司

心の外傷とその反応

 人は予期せぬ災害や事件・事故に遭遇した場合に、心の外傷を経験し、さまざまな心の反応を起こします。その反応は、不安、イライラ、抑うつ、不眠等の症状として現れます。多くの場合は一過性で時間とともに改善します。しかし、自分もしくは近親者の生命や身体保全に対する重大な脅威となる心的外傷的な出来事に巻き込まれると、思い出したくないのに何度も侵入的に繰り替えし思い出したり、他人と疎遠感や隔絶感があったり、眠れなくなったり、外傷体験に似た状況があると、それは昔のことだから今は安全だと分かっていても、胸がドキドキしたり、震えたりして驚いてしまう等の症状が現れることがあります。心の外傷後これらの症状伴う障害を、急性ストレス障害(Acute Stress Disorder「ASD」)あるいは心的外傷後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder[PTSD])と呼びます。ASDとPTSDは、症状はお互いに似通っていますが、症状の出現する時期と、その持続する期間の違いにより診断されます。一般に症状が、一ヶ月以上続く時にはPTSD、一ヶ月以下の時にはASDと診断されます。ASDは、ストレスが起きた時から1ヶ月以内に発症します。一般に、PTSDは、外傷後3ヶ月以内に発症しますが、外傷後何年もたってから発症することもあります。

1: どんなことが、外傷体験となるのか?
   どんなストレスも外傷体験となる可能性があります。同じストレスでも、人によってあるいはおかれている状況によって重大な外傷体験となることも、ならないこともあります。一般には次のようなことが外傷体験となる可能性が高い出来事です。
A:  自分の生命あるいは体に対する深刻な脅威(暴力、性的な虐待、人質に取られる、戦争体験、癌などの重症の病気などが含まれます)。
B:  自分以外の人間が事故あるいは暴力のせいで重症を負った、あるいは殺害された事件、天災、テロ行為、戦争などを目撃すること。
C:  自分の子供、配偶者、身近な親族、あるいは友達に対する深刻な脅威(暴力、性的な虐待、人質に取られる、戦争体験、癌などの重症の病気などが含まれます)。

2: 誰もが外傷体験を経験するとPTSDやASDにかかるのか?
   一般に外傷体験の強度とPTSDやASDの発症は強い関係があります。しかし、同じ外傷を体験しても、必ずしもすべての人がPTSDやASDにかかるわけではありません。外傷体験の前の精神状態や外傷体験後の周囲からのサポートも発症に大きな影響を与えます。

3: どんな症状があるのか?
   心の発達が十分に行われている大人の場合、心的外傷を受けた場合も「何が起こったのか」を現実検討ができる精神的な機能が発達していますので、現実の体験を比較的「ありのまま」に客観視したり、色々な方法で対処しやすいのですが、心の未発達の子どもの場合、事件・事故現場で受けた外傷を上手に対処する機能の発達が十分ではないために、外傷が心を直撃し、その影響が深刻になることがあります。そのためにも、大人よりも細やかな注意が必要となります。また、幼児から小学校低学年の場合は、できごとの理解・把握の方法が主観的であり、特に「感情」や「象徴」を用いて把握する発達段階であるため、怖かった体験が「悪夢」や様々な身体的な「象徴」として現れたりするのです。これは、大人が「誰かに体験を語る」ことで、「何が起きたのか」を理解しようとするのと同様で、子どもが何とかして「自分に生じたこと」を理解しようと表現しているのです。このように、大人と子どもでは、同じ体験をしても症状の現れ方は異なりますし、特に子どもの場合は、できごとを認知する能力の発達段階によっても症状の現れ方が異なります。症状は大きく分けて3つに分かれます。
A:  外傷となった出来事を繰り返し体験する:例えば、過去のことだし、何度考えてもどうにもならないと分っていても、しつこく何度も何度も繰り返し意識の中に浮上し、考えたくないのに当時の出来事を思い出してしまう。特に、子どもの場合、外傷をテーマとした遊びをする。(たとえば、子供が繰り返しビルデングを壊す)。それが、日中だけではなく寝ているときも思い出すと悪夢となる(悪夢)。ただ、子どもの場合には詳しい夢の内容を覚えていないことも多い。また、外傷体験を思い出す刺激に触れると、それが今まさに起こっているような錯覚(解離性フラッシュバック)を起こし、すべてが洪水のように押し寄せてくる。かつての外傷となった出来事の記念日など、その外傷を象徴する、あるいは似たような出来事に遭遇すると著しい精神的な苦痛を感じる。
B:  外傷体験に関連したことを常に避けようとしたり、日常生活上の反応が全般的にできなくなり、感情も麻痺してしまう:例えば、外傷を努めて思い出さないようにその刺激から遠ざかる(例えば、事故に遭った人がその事故現場に行かないように迂回しようと努める)。外傷体験の重要な局面を思い出すことができない(例えば、事故現場から、被害者がどうやって家や避難所に辿り着いたか思い出せない)。学校や会社という社会的な活動や人間関係から引きこもったり、将来のプランがなくなったりする。喜怒哀楽といった感情が乏しくなる。みんなとは違う世界に住んでいるような感じ、疎遠感や孤立感がある。記憶力や集中力の低下あるいは趣味や性的な関心もなくなる。
C:  外傷体験以前には見られなかった覚醒の亢進状態がみられる:例えば、小さなことにも過剰にびっくりする。音や変化に過剰に反応しドキドキする。物事に集中できない。常に緊張している。怒りっぽくなる。寝むれなくなったり、寝付きが悪くなったり、連続して眠れなくなったりする。

4: 予防と対応
   心の外傷を受けた後には、大人子供を問わず、1)安全な環境をつくること、2)安全な人間関係をつくること、3)自分に対するコントロール能力を回復することが、PTSDなどの障害を予防するために必要です。
 そのためには、1)できる限り、傍にいて安心させてあげてください。そして、家族や周りの人が心配し守ってあげるということをきちんと伝えてください。また、TV等での事件の放送などのなるべく避けるようにする。もし、見たときにはその都度安心させるようにしてあげてください。2)自分が抱えている様々な感情、考えを話せるような環境を作ってあげてください。そのためには、いつも以上に一緒にいる時間を作るように心がけてください。3)なるべくそれまでの生活のパターンを変えずに、なるべく規則正しい生活を心がけて、自分に対するコントロール能力を回復するのを助けてあげて下さい。そのために、食事と睡眠を適切に取るように心がけてあげてください。簡単な呼吸運動、深呼吸を練習する事で、身体的なリラックスができます。
 以下のパンフレットの表は、発達段階を三段階に分けて、1幼児から小学校低学年、2小学校3年から5年生、及び、3小学校6年生以上のそれぞれの症状の現れ方とその対処方法をまとめました。今回の事件の現場にどの程度近い状態で遭遇していたかによっても、症状の現れ方は異なりますので、全ての子どもに全ての症状が現れるわけではありません。また、子どもは、身体的な外傷を受けた場合の回復力が大人に比べて優れているのと同様に心的外傷に対する回復力も十分にあります。日常からストレスに強い子どもの場合は、症状も軽く回復も早いのですが、ストレスに弱い場合は、症状は重くなり回復にも時間がかかります。したがって、援助者は症状の応急処置に当たることで、苦しさを軽減することにまず焦点を当て、軽減してきた段階では、健康な部分を発達させる援助をすることによって心的な外傷に対する自己治癒力を増進させることが大切です。
 ここで述べているのは応急の対応です。もし、このような症状が長期間にわたり、しかも複数の症状が現れたときには速やかに専門家の診断と治療を求めることが重要です。心の外傷によるASDとPTSDは、長期化することで治療が難しくなることがしばしばあります。



子供の心の外傷からの症状と心理的な応急処置

就学前の幼児から小学2年生

 この年齢の子供さんの多くはストレスを受けたときには、その反応を言葉ではなく様々な行動として表現します。この時期の子供さんの、一時的(数日から数週間)な退行現象(指しゃぶり、暗闇を怖がる、一人で置かれるのを怖がる、おねしょ等の子供がえり)は必ずしも異常ではありません。また、現実認知能力が十分でないので、時として現実に起きた事件よりも、家族の事件への反応がストレスとなることあります。多くの場合、家族や周りが、理解して支持してあげることで解決します。しかし、下に挙げられた行動が長期にわたった時には専門家よりの援助が必要とされることがあります。

症状 応急措置
1)無力感、消極性(ぼーっとしていたり、ものごとに関わりたがらない様子) 1)側にいて、安らぎ、安心感や食べ物を与え、いっしょに遊んだり絵を描いたりさせる
2)一般的な恐怖感(怖いものが何かはわからないが、いつも不安・恐怖心がある) 2)大人がしっかり守っていると安心させる。
3)認知的な混乱(危険が去ったと理解できない) 3)何回でも繰り返して事実を示し(写真、ニュースなど)子どもが混乱している内容を明確にする
4)何でいらいらしているのかわからない 4)怖い体験をした後の感情の自然な反応である事を説明し、いらいらしている内容を話してもらうことで、感情に名前をつけて(例:何かしなくちゃいけないような感じがするのね等)整理し、対応できることを伝えてあげる
5)部分的な言語障害(何か訴えているが言葉になっていない) 5)子供が感情を表現しようとするのを手助けする(お話したいのは、こういうことかな?)
6)眠れない(悪夢、眠るのが恐い、一人になるのが恐い) 6)両親や教師にありのままを知ってもらうように励ます
7)不安で両親から離れられない 7)常に大切に思っていることを示し、具体的な安心感(必ず学校に迎えにくる、留守の間に世話をする人は誰かを伝えるなど)
8)退行症状(ゆびしゃぶり、おねしょ、舌足らずの話し方) 8)一時的な事なので、ありのままに受け止めてあげる
9)死を中途半端にしか理解していない事からくる不安(生き返るのではないか、死んだ人が戻ってくるという幻想を抱く) 9)物理的に死を理解させる。現実に直面させる。
(玉川大学本田恵子助教授より転用・改訂)

小学3年から小学5年生

 この年齢の子供さんの多くはストレスを受けたときには、不安や恐怖が中心的な反応です。しかし、低学年の子供さんと違ってより、恐怖がより現実的な内容を持っています。不安や恐怖の結果、いらいら、怒り、言うことを聞かないなどの行動や、吐き気、腹痛、頭痛などの身体症状、不眠、悪夢などが引き起こされることが多く見られます。また、学校での成績の低下、不登校など学校に関わる問題も出現することがあります。一般にこれらの症状は短期間で消失します。もし、数週間以上続くようであれば専門家よりの援助が必要とされます。

症状 応急処置
1)何かを行う時や行事などで自分の行動についてばかり気になってしまう。(責任感と罪悪感が常に気になる) 1)子ども自身がどのように、行事や出来事を捉えているかを表現するように励ます
2)苦しい思い出(物)から引き起こされた特殊な恐怖感がある 2)苦しい思い出や不安が何なのかをしっかりと確認するように励ます。決してごまかしたり一般化したりさせない
3)繰り返して事件を話したり、その場の行為を繰り返す 3)繰り返し話すことを受容する。話している内に自分が感じること、その時、その様に行動した事が普通なのだと気付かせる
4)感情に翻弄されることへの恐怖(急になきたくなったり、怒り出したり) 4)恐怖、怒り、悲しみを表現させ、大人がありのままに受け止めてあげる
5)集中力の欠如、学習意欲の減退 5)何かの思いや感情が生じ始め、学習を妨げてきたら教師にその通りに告げるように伝える
6)不眠(悪夢、一人で眠ることの恐怖) 6)どんな夢をみるのか話させ、なぜそんな恐い夢をみるのかを情報を与える(心が恐怖と闘って、がんばっているのだと)
7)自分自身、及び、人の安全が心配 7)心配ごとを分かち合う。現実的な情報で安心させる
8)行動がちぐはぐだったり、長続きしない(突然、別の行為を始める) 8)自分の衝動をコントロールする努力をさせる。(行動する前に、何をしたいかを言葉にさせてみる)
9)身体的な反応(発熱・頭痛・腹痛・吐き気・めまい・震えなど) 9)事件の時の体の症状を確認させ、事件当時と関係があるなら関連づけさせる
10)自分の不安を両親に告げるのを戸惑っている 10)両親と子供両方に合い、相談員・カウンセラーの前で子供が自分の感情をありのままに表現する援助をする
11)他の犠牲者やその家族の事を心配する 11)犠牲者や死者のためにできる、前向きな行動を考えさせる
12)死に直面した悲しみやショックから、自分自身の反応に混乱し、幽霊などに恐怖を示す 12)楽しかった、よかった時の思い出を強め、苦しい思い出に打ち勝つ
(玉川大学本田恵子助教授より転用・改訂)

小学6年生以上

 この年齢の子供さんの多くはストレスを受けたときには、より複雑な反応を示します。引きこもり、抑うつ、自殺念慮、非行、身体症状の産出がよく見られる症状です。また、外傷が自立やアイデンティティの確立に影響することもあります。この年齢の子供たちは時として、親同様に、友達との関係・友達からのサポートが重要になってきます。多くの症状は、一過性ですが長期的に続くようであれば専門家よりの援助が必要とされます

症状 応急処置
1)孤立、恥じ、罪の意識(自分が何もできなかったこと、いつも話していることができなかった等) 1)事件についての自分の思いや感情を表現させ、その時自分に何ができたのかを現実的に理解させる
2)自分の恐怖感、無力感を意識しすぎる(こんな風に怯えるのは、おかしいとレッテルを貼られるのではないかという恐怖) 2)当たり前の反応なのだと本人に納得させると同時に友人達に理解してもらう
3)苦しさを表現するために急にはしゃぎ出したり、様々行為に走ったりする(薬物の使用、非行、性的交友を急に始める) 3)問題行動起きている(苦しさを言葉ではなく体が表現して、行動に走らせている)事を理解させる。
4)自己破壊的な行為、自殺、自分を傷つける 4)落ち着きの無い行為に対する衝動がどんな時に襲うのか、言葉で表明させ、暴力と関係する衝撃をコントロールする方法を自分へのチャレンジとして受け止めさせる
5)人間関係がぶっきらぼうになる 5)家族や仲間との望ましい関係について話し合う
5)復讐への願望(事件を起こした相手に復讐したくなる) 6)復讐への現実的な計画を除去させる。その行為をおこなった場合に自分がどうなるかを現実的に考えさせ、代替えになりうる行動を考えさせる
7)自分は誰なのかアイデンティティを揺るがすような行動の変化がある 7)事件の影響と自分の態度の変化を関係づけさせる
8)心の準備ができていない状態での大人への突入(災害により、両親が亡くなったり経済基盤が変化し、就職しなくてはならなくなる等) 8)悲しみや苦しみから唐突に決断をせず、じっくり考えてゆくようにはげます
(玉川大学本田恵子助教授より転用・改訂)

-- 登録:平成21年以前 --