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日本ユネスコ国内委員会

日本ユネスコ国内委員会文化活動小委員会 第16回ユネスコ記憶遺産選考委員会 議事録

1.日時

平成27年10月26日(月曜日)14時00分~16時00分

2.場所

文部科学省 15階 15F1会議室

3.出席者

〔委員〕

島谷弘幸(委員長)、足立直樹、西園寺裕夫、大滝則忠、高埜利彦、高山正也、芳賀満、宮地正人

〔関係省庁〕

外務省、文化庁関係官

〔文部科学省(事務局)〕

豊岡大臣官房国際課長、福田国際戦略企画官、野田ユネスコ協力官、野田国際統括官補佐、その他関係官

4.議事

【島谷委員長】
それでは、本日は御多忙のところ、お集まりいただきまして、まことにありがとうございます。定刻になりましたので、事務局は、まず定足数の確認をお願いいたします。
【野田ユネスコ協力官】
本日、出席の委員が8名でいらっしゃいまして、委員の過半数は5名以上でございますので、定足数を満たしております。
【島谷委員長】
それでは、ただいまから第16回ユネスコ記憶遺産選考委員会を開催いたします。
本日の議事のうち、議題の2、「今後の審査の在り方について」に関しましては、議事公開規則に基づき、公開することにより、会議の公平かつ中立な実施に著しい支障を及ぼすおそれがあると認められるため、この後の議事を非公開とします。
非公開の部分を除きまして、御発言は議事録として、そのままホームページ等で公開されますので、御承知おきください。
事務局から、配付資料の確認をお願いいたします。

(事務局より配布資料について説明。)

【島谷委員長】
途中でも、過不足ありましたら、遠慮なくおっしゃってください。
早速ですけど、それでは議題1に入ります。
前回の委員会におきまして、平成28年、ユネスコへ申請する物件として、「上野三碑」と「杉原リスト」の2件を選定し、今後、ユネスコへ申請するに当たり、申請者に改善を求める点につきましても御審議いただきました。
改善を求める点に基づき、各申請者に対し、本日の会議に向けて申請書を修正するようにお願いをし、各委員へは修正版の申請書を事前に事務局から送付したところでございます。
本日は、各申請者から申請書の修正に関する現時点の状況について説明をいただいた後、申請者と委員の間で直接意見交換を行うとともに、意見交換を踏まえ、各申請物件につき、今後のさらなる改善に向けた段取りについて共通理解を図りたいと思います。
まずは、事務局の方から説明をお願いいたします。
【野田ユネスコ協力官】
それでは、水色の席上配付資料を御覧いただきたいと思いますけれども。また、こちらに配付してございますのが、席上配付1-1、こちらが「杉原リスト」に関する申請書でございまして、これは審査をしていただいたときのままで、この申請書自体には、まだ修正は施されておりません。後ほど関係の資料が配付されるという予定になっております。
それから席上配付資料1-2が「上野三碑」の申請書でございますけれども、こちらはコメントを踏まえまして、申請者において修正が施されておりまして、これは赤字の修正見え消しということで記載がされております。
それから、席上配付の1-3、こちらは前回の委員会で改善を求める点ということで御了承いただいて、各申請者の方に通知を差し上げたものでございますけれども、「上野三碑」については3点、渡来人の影響について間接的にしか論証されていない。説得力のある論証を整理する必要がある。2番目が、その際、本物件が建立された時代が、後の時代と比較しても、東アジアの文化交流という点において流動性が高く、本物件がかかる流動性を表していることを明確にする必要がある。三つ目といたしまして、また、同時代の国内外の碑文と比較して、本件の三つの石碑を取りまとめて申請する意義についても、さらに整理する必要がある。
それから、「杉原リスト」の方が1点ございます。ユネスコへの申請までの間に関連資料を保管する団体等との連携を強化し、可能な限り申請資料の充実に努めるべきであるということになっております。
それから、席上配付資料の1-4、これはユネスコ記憶遺産に既に登録されております世界各国の物件のうち、石碑の関係の資料、これがマレーシア、レバノン等6件ございましたので、それを取りまとめたもの、それからユダヤ人関係の資料、これが1から3までということで、3件を取りまとめたものでございまして、最初のページに各物件の概要、作品、年代ですとか、所属先、国名等が記載がございます。
2ページ目以降は、各物件のユネスコのホームページに掲載をされております申請書の抜粋版でございます。
それから、席上配付資料1-5、これも前回の委員会において御了承いただいたものでございますが、2.今後の対応というところで、今後何をやっていくかということが確認をされております。
改善すべきとの指摘があった事項について、的確に申請者に伝えて、当面の改善状況について共有するため、申請者の出席の下、選考委員会を早期に開催して改善を促す。それから、さらにその修正内容について選考委員会に報告をいたしまして、さらなるコメントがある場合は、またそれを伝達するという予定になってございます。
それから、次のページに参りまして、和文の申請書については、11月中をめどに固める。12月初旬から英訳を開始する。さらに作成した英訳を、翌年1月中旬に国内委員会事務局に送付、これについても選考委員会でコメントがある場合には、申請者に伝達して修正等を促す。英訳作業は、3月初旬をめどに確定をいたしまして、3月中にユネスコ本部に提出するということが、前回、確認をされているところでございます。
なお、これらのサポートをしていくということにつきましては、本日の配付資料の参考資料として、この2件を選定いたしました際の報道発表資料の委員長所見のところにも記載をされているところでございます。
事務局からの説明は、以上でございます。
【島谷委員長】
ありがとうございました。
じゃあ、「杉原リスト」から開始いたします。

(杉原リスト申請者入室)

【島谷委員長】
お手元に資料は届きましたでしょうか。
それでは、申請者の関係者が入室されましたので、担当の方から説明をお願いいたします。大体5分間程度で説明をお願いしたいと思いますので、よろしくお願いします。
【杉原リスト(赤塚)】
八百津の町長の赤塚新吾と申します。きょうはよろしくお願いいたします。
また、今回、八百津町のこの案件につきまして、委員の皆様方、御推薦をいただきまして、本当に有り難く思っております。私ども、杉原千畝に関することですけれども、是非ですけれども、人の命の大切さと、そして世界に平和を発信するという、この二つの大きな目標を持って申請をさせていただいたところですけれども、委員の皆様が御採択いただきまして、本当に有り難く思っております。今後は本申請に向けて頑張ってまいりますので、また御指導の方、よろしくお願いしたいと思っております。
細部については原の方から説明いたしますので、よろしくお願いいたします。
【島谷委員長】
ありがとうございました。
【杉原リスト(原)】
それでは、御説明させていただきます。私、八百津町の本件に関しまして特任顧問をさせていただいています、原と申します。まず、これまでの簡単な経緯も含めて、御説明を申し上げようと思いまして、お手元に資料はございますでしょうか。
本件、国内申請するところまで、ここに至るまで、八百津町の方と、あと我々のような、ある意味、個人のボランティアの資格の数名でやってきたんですけれども、やはりここからは、より正式な形で、各界のいろんな専門家の方々の知見なんかも参照する形で進めることができればということで、この機に合わせまして推進委員会というものを立ち上げてございます。その第1回の会合が、先週21日に開催したところでございまして、委員の名簿については、ここに添付しております2ページ目を御覧になっていただければと思います。
私を含めまして、9人ほどの人間が入っておりまして、赤塚町長が会長という形になっております。メンバーのお一人お一人、御説明は省略させていただきますけれども、恐らく皆様も御存じの方々も多数入っていらっしゃるのかなというふうに想像いたします。
この委員会の実務的な委員長という形では、ここに記載がございます9番目の林原様にお願いをしておりまして、ここからのもろもろのリーダーシップを林原さんにお願いしている次第でございます。
あと、事務局として、こちらの下の方に4名ほど記載がございまして、外部の専門家の方も含めて、事務局としてのサポートをいただくような形になっております。
また、1ページ目に戻っていただきまして、委員会の皆様からも御指摘を頂いておるところも踏まえて、今後取り組む課題というところを、この推進協議会の第1回のところで、ちょうど議論したところでございまして、まず申請書の改善につきましては、委員の皆様とも議論をしたんですが、恐らく現在ある申請書の大枠ですね。ロジックも含めて大枠のところは、恐らくこのままいけるのではないかというような意見が多数を占めておりまして、当然、細部の表現のブラッシュアップ等々は進めてまいる所存ですけれども、大きなところは、このままいこうということになってございます。
ただ1点、これも恐らく御指摘、本日あるのではないかと考えておりますけれども、今回、申請している物件の中で、実際の杉原千畝さんが発給されたビザ自体の原本が1点だけしか入っておりません。これは八百津町の方が所有している原本なんですけれども、ここに関して、やはりもっと資料を集める、ないしは情報を集める必要があるのではないかという意見が協議会の方に出ておりまして、ここに関しては、現在、作業を進めているところでございます。
具体的には、米国にありますワシントンの国立のホロコースト記念館ですとか、イスラエルの、これも同じく国立のヤド・ヴァシェムというホロコーストの記念館が、それぞれアーカイブの中に何点かずつビザがあるということですので、このビザを具体的に開示をしていただいて、場合によっては、そこにある情報も申請書の中に織り込みたいと考えております。
これ以外のところでは、杉原ビザによって実際に助かったサバイバーの方にも何名かコンタクトをしておりまして、恐らく一番著名なのが、シカゴのマーカンタイル取引所の名誉会長をされているメラメドさんとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、この方のビザも含めて、その情報を申請書に織り込むことができないかというような作業を進めております。
三つ目といたしましては、今回、国内申請に向けても、国内外の今申し上げたような組織なんかも含めて連携をとってきてはいるんですけれども、今後、パリでの本申請へ向けて、そこの連携をさらに強化していこうということで、そこに関する具体的な折衝を始めるつもりでございます。
四つ目の取組の課題といたしましては、これはまず日本語での申請書を最終化してからということになるのかもしれませんけれども、申請書自体を英訳するという作業が、一つ大きな塊としてあるというふうに認識をしておりまして、ここに関しては、是非、文科省なり、こちらの皆様のお知恵を拝借したいなと考えております。
最後に、今後のスケジュール観のところなんですけれども、ちょっとこれは我々が勝手にというか、我々側で想定している目標案ですので、これが必ずしも正しいというか、これでいいのかというのは、まさに本日お伺いしたいところでもありますが、まず和文の申請書に関しては、今年の年内中ですね。12月末までには、それなりの形に仕上げてしまいたいなと考えております。それを踏まえまして、それを英語に倒す、英訳するという作業に、来年、2016年の3月末をめどに、作業を進めてまいりたいと考えております。
以上が、我々が現段階で申請書の修正ないしは今後の作業として認識しているところでございます。
【島谷委員長】
どうもありがとうございました。
今、短時間ですけれども、申請者の方から申請書のブラッシュアップについて説明をしていただきましたが、まずスケジュールにつきまして、今の申請者のスケジュールでいいのかどうかということを、事務局の方から再度確認をしてください。
【福田国際戦略企画官】
失礼します。委員会の方では、公募要領では、ここに書いてあるとおり、12月末までに和文、そして、それから年明けてからの申請、英文、英訳ということで、こう書いてあったんですけれども、委員会の中の議論で、実際、英訳をするというのは、なかなかすぐにできるものではない。それはまた、新たに申請書を作るのと同じような、かなり細かい検討ですとか分析、そういったものが必要になる。また、その締切りというのが、確実に3月末にユネスコの方に提出するということを考えた場合には、ある程度、この英訳の作業というのを年内、例えば12月辺りから開始できるようにしておいた方がよいのではないかというふうな御議論をいただいております。
もちろん実際には、それぞれの案件の状況にもよると思いますので、必ずしもそうしなければならないというものではございません。そこはまた、今後の状況次第ということであると思うんですけれども、そういう御意見があったということを、まず御留意いただければと思います。
【島谷委員長】
スケジュール観につきましては、そういうふうに、事務局を含めて、委員会、考えておりますので、少し前倒しでやっていただければと思います。
【杉原リスト(原)】
はい。
【島谷委員長】
じゃあ、具体的にブラッシュアップをするためのものについて、こちらが考えていたような御提示がありましたが、ワシントンのもの、イスラエルのもの、それから助かった人のビザを加えるということで、よりいいものになろうかと思いますが、これを踏まえまして、各委員から、さらにこういうブラッシュアップが考えられるよというのがありましたら、遠慮なく発言をいただければと思います。
【高埜委員】
今の点に関して、委員長が御指摘になられたワシントン、イスラエル等々の収集をされるという、その点に関して、日本語の完成、12月末を目指しているということですので、つまりは残り2か月ということになるわけですか。残り2か月で、是非とも実現できるとよいなと思いますが、それは見通しはどういうふうに立っているんですか。もう十分な交渉をなさった上で、今、見通しをおっしゃっているのか、これから交渉を始めるのか。その辺りのことは現状ではどうなっているか、ちょっと教えていただければ。
【杉原リスト(原)】
承知いたしました。
その点につきましては、もともと国内委員会向けに申請書を作っている段階から、そういった海外の機関の方々とはお話をしてまいりましたので、正式な依頼というのは、その段階では、まだしてなかったんですけれども、彼らとしては、そういうものが来るというエクスペクテーションはあったと思います。
具体的にお願いしますというのは、我々、国内の審査を通ってからでございますので、まさにおっしゃるとおり、本当に数か月しかないという状況でございまして、我々が今、期待をしているのが、米国のホロコースト記念館と、イスラエルのヤド・ヴァシェムに関しては、それぞれ既にビザを保有している博物館組織でございますので、ここは何とか急いでアーカイブを探していただいて、我々のスケジュールに合うような形で、何とか情報を出していただきたいというのを期待しておりますし、先方とも、そういう話をしております。
あとは、サバイバーの方々から、ビザの御提供ないしは情報の御提供というところは、ここは何人か、めどは付けてはおりますけれども、まだ具体的に御依頼ないしは対応を始めたわけではございませんので、ここに関しては、実際にお会いして、話をしてみないと、どういうことになるのかというのは、ちょっとこの段階では、何とも申し上げられない状況かと思います。
【高埜委員】
そうすると、可能性としては、一旦、12月末で和文を完成させますけれども、その後も状況によっては修正を加えていくような、そういうような対応を考えているというような理解でよろしいですか。
【杉原リスト(原)】
そうですね。現実的には、できればまとまった枚数があります博物館系のところについては、なるべく年内までに形にしたいと思っておりますが、それ以降につきましても、特に個人のサバイバーの方に関しては、幾つかの情報が出てくることも想定されると思いますし、我々としても、そのぎりぎりの段階まで、なるべく幅広く情報を集めたく思っておりますので、おっしゃっていただきましたとおり、ぎりぎりのところまで微修正が続くような状況になると思います。
【高埜委員】
ありがとうございました。
【足立委員】
現在のところ、具体的に、もう交渉の過程に入りながらということで、この作業を考えておいてもいいわけでございますね。
【杉原リスト(原)】
そうですね。そこをまさに始めたところでございます。
【足立委員】
もう始めているわけでございますね。
【杉原リスト(原)】
はい。米国のホロコースト記念館には、もう既に依頼をしておりますし、ヤド・ヴァシェムも依頼もしております。
実は来週、私と町長と、実際にエルサレムのヤド・ヴァシェムを訪問して、ある意味、きちんとしたお願いと、具体的に何をしていただくのかという話をする予定でございます。
【足立委員】
今のところは良好な感触を得ながらということで考えておいて、和文に入るということでよろしゅうございますか。
【杉原リスト(原)】
非常に良好な感触でございまして、そういう意味では、我々、先方からお聞きしておりますのが、というか、先方のコメントとしては、本件の登録申請を非常に喜んでくださっておりまして、こういう方法で杉原さんのことを顕彰できるのかということで、極めて前向きにサポートいただいている状況でございます。
【西園寺委員】
連携の具体的なお願いの仕方というのは、どういう連携をしてくださいというお願いをされているんですか。そこにアクセスできるような体制に持っていきたいとか、どういう具体的なお願いの仕方なんですか。
【杉原リスト(原)】
具体的には、ベストケースとしましては、先方が保有していらっしゃいます、そのサバイバーの方が保有しておられるビザを本件の対象、申請物件の対象とさせてくださいということをお願いしようと思っております。
【西園寺委員】
記憶遺産は基本的に国単位で申請していますよね。
【杉原リスト(原)】
ええ。
【西園寺委員】
そうすると、違う国が所有する物件を一緒に出すという形になったときに、それはどう……。過去には三か国が共同で申請した例があるわけですけど、今回は日本からの物件として出すわけですね。
【杉原リスト(原)】
ええ。
【西園寺委員】  海外が保有しているものについてでもですよね。
【杉原リスト(原)】
ええ。
【西園寺委員】  それについては、どういう扱いになるのかなと思うんですよね。
【杉原リスト(原)】
そうです。
【西園寺委員】
一番望ましいのは、例えば、この際に、ビザを八百津の方に一括したいんで、寄贈してもらえないかということができると、日本にある案件ということに、物件ということになればですね。博物館の場合は難しいかと思うんですけれども、サバイバーの方なんかが、この委員会の議論でもあったんですけど、こういう機会に、今まで埋もれていたものが出てくるという形が、もしあれば非常に望ましいわけですけれども、特にこのシカゴのメラメドさんですか。
【杉原リスト(原)】
はい。
【西園寺委員】
これは私の理解では、シカゴの証券取引所の設立に非常に大きな貢献をされた方という。
【杉原リスト(原)】
はい。そうです。
【西園寺委員】
彼がいなかったらこのような取引所ができなかったかもしれないというような方ですよね。そういう方からこの機会にビザを寄贈していただければ、そのストーリーも含めて紹介できますよね。例えば、そのサバイバーの中に、救われたために、こういう大きな仕事をされた方もいるんですよというストーリーがビザとともにあると、非常にインパクトがあるんじゃないかなというような気もするんですけれどもね。
【杉原リスト(原)】
我々としては、まさにそのように考えておりまして、おっしゃるとおり博物館系のところは、当然、彼らの貴重なアーカイブというかコレクションですので、それを寄贈してくださいというのは、なかなかハードルが高いのかなと思っておりますが、一方でサバイバーの方に関しては、既にもう世代が替わっていらっしゃるようなところもございますので、このユネスコへの登録というのを機に、きちんとした形で保存・保管ないしは公開をする必要があるので、是非、我々側に、八百津の方に記念館というところもございますので、そこで展示するようなことはいかがですかという呼び掛けをしようと思っております。
メラメドさんにも同様のリクエストは既にしているところでして、ちょっとまだ具体的な回答は来てないですけれども、そのように動くつもりでございます。
【島谷委員長】
今の展示というのは、寄託というんですか、寄贈というのでは、それは成り行きでということなんでしょうか。
【杉原リスト(原)】
我々の勝手な願いからすると、寄贈がベストだとは思いますけれども、そこにハードルがあるようであれば、例えば、現物を寄託していただいて、こちらで保管するとかというのもあり得るのかなと考えております。
【島谷委員長】
いずれにしても、それを含めて申請するということになると、保存・管理の問題が出てくると思いますので、寄託若しくは寄贈という完全な形の方が望ましいとは思いますので、それは、それを含めて考慮していただければと思います。
【杉原リスト(原)】
はい。
【西園寺委員】
そうですね。国がまたがっているものを、一国の申請物件として載せるということは、やっぱりルール的には難しいのかなという気がします。
【島谷委員長】
ただ、両国から申請というのはオーケーですね。
【西園寺委員】
両国からだったらいいわけですよね。スペインと日本が「慶長遣欧使団」の時にやったような形がとれればですね。
【島谷委員長】
それができない場合は、そういったやり方を考えるのが、よりベターだということですね。
事務局として、そういう寄託のような形でも、併せて出せるのか、それはちょっとまずいのかとかいうのはありますか。進行する具合で、申請者がちょっと苦労される前に。
【福田国際戦略企画官】
失礼します。詳細は、恐らくユネスコ本部の方にも確認が必要かと思っております。それは具体に、どういう形で、今、話がまとまっているかというのにもよるかと思いますけれども、ただ、それを禁じるような規定というのは、私どもが承知している限りではございません。ただ、当然、その場合は、現にビザなりがある国との間で、場合によっては事前の共通理解というんでしょうか、つまり、ある国にあるものが別の国のこのものの中に入っているだとか、それに関して、例えば、了解しているだとかいうような、手続というわけではございませんけれども、何らかのそういう手当てというのは別途必要かもしれません。その辺りも含めて、調整というのは、必要に応じて考えていきたいと思っております。
【島谷委員長】
ありがとうございました。
【大滝委員】
この趣旨からいうと、この記憶遺産が確実に継承されるということに、この申請と、それから認められるということを通じて実現できることだと思うので、そういう観点からいうと、博物館系は、それは保証されているわけですけれども、個人が御所蔵のものについては、そのレベルまで、やっぱり見通しがあって、それで申請の一環になるということが一番望ましいんじゃないかなと思うのですが。
ただ、それから実際の物の移動という、グローバルな移動については、必ずしも物が動かなくとも、例えば、サイバー上で、その情報が日本から統一的に発信されているような連携が確保できるというようなところを目標にすることも一つの進め方だと思いますが、その辺はどのように考えられておられますか。
【杉原リスト(原)】
そうですね。デジタルのアーカイブという観点で我々が考えておりますのが、一つには、仮に現物を頂けない場合は、少なくとも原本の高画像のデジタルスキャンをさせていただいて、それを基に、こちらが例えばレプリカを作る、ないしはオンライン上、デジタル上で公開をするというようなことができないかというのを考えております。
【大滝委員】
是非、その原資料が世界のどこかに残っているということを、そこにアクセスというか、サイバー上の世界を通じてアクセスできるというようなことを追求していただけることは、最低限、望ましいことではないかなと考えるんですが。
【高埜委員】
私も今の大滝先生の意見と全く同じことを考えておりまして、やはり寄贈や寄託というのは非常にハードルが高いと考えた方がよいので、それよりはレプリカをとらせていただき、あるいはデジタル化をして、それでこちらからうまく発信できる。あるいは先ほど西園寺先生がおっしゃったアクセスというのは、そういうことだと思うんですね。もし、あちらがそういうデジタル化していないんであれば、少しサービスというか、そういうことの尽力をされて、それでうまくシステムを作るというのが大事じゃないでしょうかね。
【杉原リスト(原)】
はい。
【足立委員】
今、そういうことで博物館に所蔵しているものと、それから個人の所蔵しているもの、大まか何点ぐらいだというふうに想定をしているんですか。それをどういうふうに収集しながら、何点ぐらいのものをアーカイブなり現物を確認をしたりというようなことで登録をしていったらいいのかということも、将来にわたって大変重要な問題になろうというふうに思って、もちろん、こちらにあるのは別でございますけれども、世界各国にある、また個人の持っているというのが、想定でどのぐらい、いわゆるデジタル化され、若しくは現物で供給することができるのかということの想定している枚数だとかというのは、大体どのぐらいに思っているわけですか。
【杉原リスト(原)】
今、我々が聞いているところによりますと、ワシントンのホロコーストミュージアムで、2000年に杉原さんを中心とした特別展をやったことがございまして、そのときにいろいろと調べて集めた結果、そのときの当時のキュレーター、学芸員の方がおっしゃるには、少なくとも10から20ぐらいは、そのHMMのアーカイブにあるはずですということですね。ただ、そのHMMのアーカイブ自体が、必ずしも杉原ビザというラベリングはされていないので、もう一回調べるということで、ヤド・ヴァシェムの方に関しましても、同じような枚数ですね。10から20ぐらいはあるはずと。ただ、調べないと分からないという状況でございます。
【足立委員】
真贋の鑑定もしなきゃいけないということもあるわけでしょうからですね。
【杉原リスト(原)】
そうです。恐らく特別展等々されたときに、一定の何か調査はされているんじゃないかなという期待はしておりますけれども、おっしゃるとおりだと思います。
【足立委員】
だと思います。けどね。
【杉原リスト(原)】
あと、個人のサバイバーの方に関しては、これは、ちょっとまだ何とも、数字という意味では分からない状況です。恐らくサバイバーの方から何十通も何百通も出てくるということはないんじゃないかなと考えております。
【足立委員】
ないでしょうね。はい。
【高山委員】
ちょっとよろしゅうございますか。
【島谷委員長】
はい。
【高山委員】
今、もちろんビザという問題は、今回対象になっている資料群の中で頂点に位置するものだと思うんですけどね。それ以外の、私は具体的な例が挙げられませんけれど、関係の資料として、ビザではないんだけれど、サバイバーであれ、あるいは博物館であれ、この杉原コレクションを申請するに当たって大変重要だという資料が出てくると思うんですね。そういう資料として、具体的に何かあるのか、それがどれぐらいの規模のものになるのかということについて、何か見通しを持っておられるなら、教えていただきたい。
【杉原リスト(原)】
我々、今回、申請物件として、ビザは一つ大きな塊と、あとは外務省の外交史料館の方で保有しておりますビザの発給原簿、リストと、それに付随する公電の類いが一つの大きな塊で、三つ目が、御本人が晩年になって書かれた自筆の手記が、その三つ目の大きな資料群として、我々、認識しておりまして、これ以外のところで、海外含めて何か出てきそうかというと、少なくとも、これまで申請書を書くに当たって、いろいろ調査をしているところでは、余りないのかなというのが、正直な印象……。
【高山委員】
私はサバイバーの、例えば口述された内容のものがあるとか、そういう資料を考えたんですけど。
【杉原リスト(原)】
そういう証言みたいなものですとか、サバイバーのインタビューみたいなものは出てくる可能性はもちろんあるものと思います。そういったものも、ある意味、対象物件というよりは、もしかすると参考資料なのかもしれないですけれども、そういったものも申請書の中に情報としてエッセンスを組み込むというのは、十分あり得ると思います。
【高山委員】
ビザと関係資料という分け方をすると、その関係資料がどういうものであるかによって、ビザの性格がぐっと引き立つわけですからね。やはり参考資料なんだけど、参考資料だからといっておろそかにしてしまうと、肝心のものがかすんでしまうというふうに思いますので。
【杉原リスト(原)】
はい。
【島谷委員長】
はい、どうぞ。
【芳賀委員】
今の高山委員の御意見に関連してですが、例えば、より立体的に来館者に見せる工夫。今後の話ですが、「舞鶴への帰還」の記念館にはいろいろな立体的な展示がありますし、それから上海のユダヤ難民紀念館の展示などをもっと念頭に置いたらいいと思います。ただし、それは申請書の段階の話ではなくて、今後のことかと思います。
【高山委員】
それで、余計なことを言うかもしれませんが、申請が通ったとして、これ、展示をされていくわけですね。そのときに、この資料をきちっと、将来長く展示するためには、修復が大変大事になってくると思うんですが、その修復という観点から、例えば、先ほど来、レプリカという問題が出ております。私もある一定のところはレプリカでいかざるを得ない。言い方を換えれば、今回のこの案件についてはレプリカの比重が割と高くなるんじゃないかと思うんですが、そのときに、レプリカを作るに当たって、将来の修復という視点をどの程度視野の中に取り込んでおられるかというところを伺いたいんですけれども。
【杉原リスト(原)】
レプリカを一旦作った上で、原本の保存を。
【高山委員】
原本の保存は、当然、可能な限りということになるんですけどね。レプリカの作り方。例えば、先ほど来、出ているように、デジタル化技術をもってレプリカを作るということも一つありますし、それからそうでなくて、本当に伝統的な、極端な言い方をすれば、紙の技術を使って作るというやり方もあるわけですね。そういう、どういうレプリカの作成方法を考えるかという段階で、将来の修復と利用という問題まで考えておられるのか。いや、もうそこまでは、今のところはとても考えてないんだということなのか。
【杉原リスト(原)】
そういう意味では、保存、修復のところと、レプリカ作成のところは、今、一部、外交史料館の文書保存の専門の方と少しお話を始めている段階でございまして、そういう意味では、まだ本格的に、今後どうするのかというのは、議論を詰めてまいる必要があるかと思います。
【島谷委員長】
はい。
【芳賀委員】
今の高山先生の御意見に関してです。申請書ではなくて、今の展示の話ですが、今、記念館に展示されてあるものはビザのコピーですね。
【杉原リスト(原)】
常設展示しているのはビザのレプリカですね。
【芳賀委員】
あそこに入って真っ正面のところにあるのは、ビザのあくまでレプリカである。
【杉原リスト(原)】
レプリカです。はい。
【芳賀委員】
そうすると、一般来館者の感覚として、中に行ったときに、オリジナルに接する体験というものを人々がしたいときに、八百津町の金庫の中にオリジナルがあって、館内で見るものはレプリカであるのは、危機管理上の理由はよく分かりますけれども、やっぱりオリジナルがあるのがうれしいかなと思います。
【杉原リスト(原)】
なるほど。
そこは実は私も全く同じ感想を行ったときに持ちまして、ちょっとそこは何とかできないかなというふうには考えております。もしかすると、そのビザの保有している数が増えると、全て一緒に見せるというよりも、必ず、例えば数点とか1点はオリジナルが見られるとか、何か、もしかするとやりようはあるのかなというふうには考えております。
【島谷委員長】
その点につきましては、1点しかない場合は、この時期、保存を考えながら出すということを明確にして情報発信すればいいと思うんですよね。ないものを無理やり出して物が悪くなるというのは問題外ですので。
【芳賀委員】
そうですね。
【島谷委員長】
それは工夫の余地はあろうかと思います。
【芳賀委員】
はい。
【島谷委員長】
ほかに何かありますでしょうか。
【芳賀委員】
全くこれは個人の意見ですが、申請書の申請案件名ですが、今までの議論にあったいろいろなこと、ビザ、あるいはサバイバー、それから立体的な物的資料なども考えたときに、そして、そもそも申請の現状を表す案件名として、「杉原リスト」が一番いいんでしょうか。これは公電のリストのことを具体的には指しているんだと思いますが、私自身はほかに名称が思い付かないんですが、もし、もっと良い件名があれば、それがいいかなとも思いました。それが申請案件名に関して最初の1点。
二つ目は、これは非常に根本的で大事なことだと思いますが、世界記憶遺産というのは、あくまで第一次資料を対象とするものです。歴史学では、第一次資料と解釈というのは全く別のものです。第一次資料は1個で、それに関わる解釈は100、1,000ある。そういうことを大前提に置いたときに、これはほかの政府にも言いたいことですけどそれは置いておいて、ここの副タイトルに、「人道主義・博愛主義精神に基づき」と書いてあるのは、どれくらい客観的事実なのか、それとも解釈なのか。個人的には、すばらしいことですからこう書きたいですけど、第一次資料と解釈を本当に峻別するときに、こういうことを書いた方がいいのか、それとも単純に「杉原リスト」とするか。
【島谷委員長】
今、芳賀委員から出たことについては、ここではなかなか結論が出ることではないので、申請に向かって、申請者及び委員会でキャッチボールしながら答えを出していくということになろうかと思います。
申請書を作成するまでに、何度も繰り返しますけど、ブラッシュアップするやり方と、それから先ほど高埜委員から出たように、実際、寄贈・寄託は難しいというのは、そのとおりだと思います。確かに自分の家に、これだけ何十年保存したものを、できたから、すぐ寄贈してくれと言って、その記念館自体が、まだ運用がさほど定着していないもののところに、じゃあ、寄贈しますというふうにはならないと思いますので、まずはデータベース構築で、複製作成というのを許可を頂いて、それも許可頂けるかどうか分かりませんけれども、そういうことに向けて、これはもう登録されたらおしまいというんじゃなくて、継続的にそういう努力をするということが、やっぱり一番大切だし、杉原千畝の人道的博愛主義という精神を伝えることになろうかと思いますので、それはもう登録が決定、終わりじゃなくて、継続的にやるという姿勢を申請者の方で持っていただいた方が、記憶遺産に対してはいいのかなというふうに、個人的に。今、委員会としてじゃなくて、個人的に思っていますので……。
【西園寺委員】
そうですね。むしろ登録された後の方が出しやすくなるというか、可能性は高くなるというふうに思いますね。
【島谷委員長】
ええ。その方が、本当に寄託にしろ、寄贈にしろ、やってもらえる可能性がありますので、そこが終着点ではなくて通過点というふうに考えていただけると、とても我々としてはいいかなと思いますが、いかがでしょうか。
【高埜委員】
それと、細かなことで申しますと、ペーパーの25ページの9番の保全及びアクセス管理計画。この辺りのまる1番、まる3番、もう少し充実できるだろうと思います。外交史料館のような内容は、当然、1番、3番についても期待される内容だと思いますので、やや申請書類としては不足といいましょうか、もう少し充実できると思いますので、お願いいたします。
【島谷委員長】
何人かの委員から、修理という話が出ましたけれども、こういったものの修理というのは、現地の使われている紙との関わりがありますが、紙の修復は日本が一番進んでいますので、装潢師連盟とよく協議して、できる方向で考えてもらうのが一番いいかなと思いますので、強度の問題、それから汚染しているところをどういうふうにして取っていくかとかって、いろんな形が今進行しておりますので、その辺も一応考えた上で、申請書に盛り込めれば、盛り込んでいただければ、その方がいいかと思いますので、間に合う範囲で。
一通り……。はい、どうぞ。
【大滝委員】
これはちょっとお尋ねしたいんですけど、外交史料館の文書なんですが、非常に厳重に保管されているので、永続的保証はされているわけですが、アクセスという観点からいうと、実際、現物を見るには研究者という身分が必要だというようなこともあります。町の記念館では、申請物件を既にデジタル化されているようなのですが、同じ統一的なデジタル上のアクセスというか、閲覧を統一的にできるような、そういう面での連携関係の了承は、外務省の外交史料館と、もうとられているのかどうかという点はどうでしょうか。
【杉原リスト(原)】
外交史料館の方では、恐らく御存じのとおり、史料館のロビーのところで、今、杉原さんに関する文書の複製、レプリカを展示されておりまして、オンライン上は、特にアクセス等々のそのような設定にはなっておりませんので、そこに関しては、今後、八百津にある杉原記念館とどういう連携が可能なのかというのは、議論を進めていく必要があると思います。
【大滝委員】
是非、町の記念館からの統一的な発信として、世界的にどこからでもアクセス可能になるような進め方をお願いできれば、より意義が高まるのではないかと思います。
それから、申請の前提としてのことにもなるのではないかという印象も持つのですが。
【杉原リスト(原)】
分かりました。
町の方では、今、杉原記念館専用のウェブサイトというのはなくて、役場全体の中の1ページが、そこに充てられている状況でございまして、今後、早急に改善を図るべく、町のタウンプロモーション室というところが主体となって、専用のウェブサイトを日本語と英語でそれぞれ準備して、その中で、ある程度、関連資料がデジタルベースで見られるような形にすべく、今、作業を始めているところでございます。
【西園寺委員】
これは私の全く個人的な感じなんですけど、さっき高埜先生がおっしゃったこととも関連するんですけど、結局、周辺の資料として、これで命を救われた多くのユダヤ人の方がいらっしゃって、そういう方たちが本当に感謝をされていると思うんですね。そういうサバイバーたちの手記とか、それから感謝の気持ちとか、そういうようなものが、もし……。私、八百津には行ったことがなくて大変恐縮なのですけれども、展示の中にそういうのがあるとか、あるいは展示になくても、そういうものが残っていれば、そういうストーリー、すばらしい話として、申請する上で、つまり諮問委員の人たちに、ある意味、間接的に訴えるという意味において、プラス効果が私はあるんじゃないかなと。だから、必ずしも対象物件にしなくてもいいですけれども、申請書を書かれる中で、そういうストーリー的なものを加えることによって、本当に杉原さんの偉業というものの価値が高められるんじゃないかなというような気がするんですよね。
【杉原リスト(原)】
今、一部、実は杉原記念館の方に、実際に助かったサバイバーの方々の御家族からの手紙ですとか、写真ですとか、助かった後の話ですね。
【西園寺委員】
ええ。そうそう。
【杉原リスト(原)】
そこに関する展示というのも一部しております。
ただ、ここに関しては、これも私の個人的な印象としては、より充実化を図って、むしろ、それを一つ大きなテーマとして展示してもいいぐらいだと思いますので、そこは是非やっていきたいと思っておりますし、例えばの例としては、先ほどのメラメドさんみたいな方を、個別に、ある意味、特集するような形で、そこに御本人のビザがあって、その後のこういった経路で助かって、こういった業績を達成されたというようなことがあってもいいんじゃないかなというふうに思っていまして……。
【西園寺委員】
まさにそれが世界が記憶すべき一つのいいストーリーという形で完結できれば、非常に分かりやすいと思うんですよね。
【杉原リスト(原)】
はい。
【足立委員】
今、登録された「舞鶴への生還」のような、そういう感じで、その後の経過だとか、礼状だとかという、そういうもののストーリーが大変重要だったということでございますよね。これも一つの大きな「舞鶴への生還」のときの世界遺産になった一つの例題が前例としてあるわけですから、そういうものを是非付け加えるということも大変重要なことじゃないのかなと思いますね。
【島谷委員長】
内容的な付け加えと、それから世界的な広がりという意味で、例えば、地図でどれぐらいの人がどれぐらいのところで活躍しているのかというのが分かる範囲で、だんだん増えていくとか、そういうのが広がりという意味では分かりやすいので、そういうことがもし可能であれば。
【足立委員】
はい。分かるといいですね。
【島谷委員長】
そういったこともあってもいいんじゃないかなと思いますので。
【芳賀委員】
八百津町は大変すばらしいところで、渓谷あり、滝あり、棚田ありですが、かなり覚悟しないと行けないところなので、皆さんがおっしゃっているように、インターネット上のことに是非力入れて、世界からアクセスしやすいように、この情報化時代に、よくお願いいたします。記念館では、きちんとした、英文等の解説もある展示をなさっていらっしゃいますけど、インターネットでも是非そういうふうに、今後していただきたいと思います。
あともう一点、今後のことですけど、これはもう八百津町だけでできることではないと思いますが、是非、国全体の戦略の中で、強く対外発信をしていっていただきたいと、これは個人的にですが、思います。上海のユダヤ難民紀念館は、あちらこちらの外国に出張して特別展をやっています。そういうようなことを、これは、町だけの予算で全部できるとは思いませんけど、是非頑張っていただきたい。
御存じのように、上海のユダヤ難民紀念館は、ネタニヤフ首相まで呼んで、いろいろ記念祝典をやっていたりします。そこまではできないかもしれませんけど、また今、既に杉原記念館にはイスラエルからたくさんの方々がいらっしゃっているようですけれども、是非今後も、大きな国家的文化戦略の中で発信していっていただきたいと思います。
【島谷委員長】
いろいろ意見は出て、これからも意見は尽きないと思いますが、後の物件もありますので、とりあえずこの「杉原リスト」については、これぐらいにしたいと思いますが、今後、意見のキャッチボールというのは当然必要だと思いますので、お互いの認識がずれていることもあるかも分かりませんので、事務局を通じて、分からないところがありましたら、事務局に聞いていただき、我々も言い足りないことがあったら事務局に投げて伝えていただくという形をとりたいと思いますので、引き続きブラッシュアップを図っていただきたいと思います。
【杉原リスト(原)】
分かりました。
【杉原リスト(赤塚)】
はい。
【杉原リスト(原)】
このような物理的な対話の場という意味では、今回だけという形になるんですか。それとも、今後も何回かこのような場が設定されるというような御理解でしょうか。
【福田国際戦略企画官】
事務局として、もちろん可能であれば複数回やれるといいと思いますが、先生方、委員の方々、もちろん申請者の皆さんも非常にお忙しいかと思いますので、そういったことができるかどうか。あるいは特に必要な、こういうところを特に直接意見を聞きたいんだというふうなことがあるかどうか、そういったところもまた見定めた上で、御相談させていただければと思います。
【杉原リスト(原)】
分かりました。
【島谷委員長】
タイムスケジュールに従ってということですね。
それでは、「杉原リスト」につきましては、ここまでということにしたいと思います。どうもありがとうございました。
【杉原リスト(赤塚)】
どうも。よろしくお願いします。

(杉原リスト申請者退室)

【島谷委員長】
様々な意見、御協力いただきまして、ありがとうございました。期待が大きいので、要望もすごい大きいのかなと思います。
議題の2以降の話になりますけれども、完全性という意味では、かなり問題があるものでありますけど、人道上ということで日本から推薦した形がありますので、今後の審査に当たって、その完全性をどう考えるか、審査の在りようをどうするかとかは、議題の2以降につなげていきたいと思いますので。
それでは、次に「上野三碑」に移ります。よろしくお願いいたします。

(上野三碑申請者入室)

【島谷委員長】
ただいま上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会の方々が入室されましたので、準備でき次第、御担当の方から説明をお願いしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
それでは、限られた時間ですけど、5分程度を目途で、まず説明をお願いいたします。
【上野三碑(平川)】
それでは、私の方から最初に御説明いたします。1枚目の申請者からの説明事項という1枚物がありますので。
上野三碑は、1,300年前の東アジアにおける文化交流を知ることができる日本最古の石碑群であると思います。
日本においては、古代に中国大陸や朝鮮半島から様々な文化を取り入れてきたわけですけれども、上野三碑は、それらの文化のうちで、文字、漢字ですね。中国に発する漢字文化、それからインドに発する仏教、そして中国の律令制等の政治制度を、当時の日本がどのように受け入れたかということをうかがい知ることのできる貴重な資料群と言えます。
その上野三碑のうち、山上碑は、完全な形で残っている最古の石碑。これは京都に宇治橋断碑という、この山上碑よりも若干古い碑があるんですけれども、これは江戸時代にその一部が発見されて、そして記録に碑の原文があったものですので、それで復元された碑ということで、完全に残る最古の石碑であると山上碑は言える。しかも、山上碑の場合、大変貴重なのは、中国の漢字文化を取り入れながら、漢字、漢文で記すのではなくて、日常的な日本語の語順で、いわばそれを漢字で表記するという、そういった工夫を行った最古級の資料です。木簡等に若干、和化漢文と言われるようなものは見受けられるんですけれども、完全な形の日本語の語順で漢字を表記するというのは、この山上碑が一番古い資料ということが言えます。
また、多胡碑は、多胡郡が建郡されたことを記念して在地で建てられた石碑です。これはちょうど日本の古代国家が確立される過程で律令が施行されて、そしてその実態といろんな面で合わない、そこを調整した8世紀の前半に、まさに多胡郡という新しい郡が作られた。しかも、その記録は国の正史である『続日本紀』の記述と合致するということで、その点でも大変貴重なものであるということです。まさに中国から取り入れた律令制度による、国作りの時代を刻む貴重な資料である。しかも、この多胡碑は書としても大変、江戸時代に朝鮮通信師の手を経て中国にもたらされて、いわば書の一番ルーツとも言うべき中国で、書の手本というふうにして称賛されたということも、大変、書道の上でも貴重な資料と言われています。
三つ目の金井沢碑というのは、地域社会へ仏教文化が入り、そして、どのような家族制度が行われていたということを詳細に語る貴重な歴史資料であると。
この上野三碑の特徴は、そういった国内外の碑文と比較した場合、古代の東アジアにおける文化交流の実態を鮮やかに伝える石碑群であるとともに、この在地の人々が、地方的な視点で地域社会の動きを記したという点で、ほかに見られない特筆すべきものと考えられます。
また、三碑が建てられた地域の人々は、5世紀以来、外来文化を積極的に受け入れ、そして渡来人を受け入れ、非常に早くから、この上野の西南部一帯は、こういった多民族による共生社会を形成していた。その多民族の共生社会が地域の文化を育んで、しかも1,300年にわたって、この三つの石碑を守り続けてきた。石碑の場合は建っておりますので、そういった意味でも地域の人たちの、この無名とも言うべき石碑を1,300年守り続けるという、この地域社会の力というのも大きく評価されるのではないかと思います。
このように、上野三碑はユーラシアの東端の地である日本に到達した漢字文化、仏教、政治制度、さらに都から遠く離れた東国の上野において、それらの文化が、制度が多数の渡来人とともに受容されて展開していったことを証明する貴重な資料だと言えるんではないでしょうか。
以上です。
【島谷委員長】
どうもありがとうございました。
これにつきまして、各委員の方から意見を頂戴したいと思います。
既に上野三碑の申請者の方からは、こちらから出した3項目におけるものについて、意見として、既にペーパーで申請書をこう書いたというのを下さっていますので、もう申請書の状態で御覧いただいていると思いますが、それを含んで御意見を頂戴したいと思います。
【宮地委員】
2点教えてもらいたいんですが。これは8世紀の初頭ですよね。建郡の。和銅4年となっていますね。
【上野三碑(平川)】
多胡碑ですね。
【宮地委員】
うん。多胡碑ね。
【上野三碑(平川)】
はい。
【宮地委員】
それで、普通、日本史の考え方からいうと、7世紀の後半、百済が滅ぼされ、高句麗が滅ぼされて、日本に大量の渡来人、あるいは人によっては帰化人と呼ばれる人が来たということは、これは通史では教えているんですが、その当時、やっぱり新羅との関係は、なかなか一筋縄じゃいけないというのが通史の話。特に、この8世紀の初頭というと、やはり日本と新羅の間が、そんな、僕はよくなかった時期じゃないかと思うんですね。ですので、申請書にも、新羅系の渡来人ということを繰り返し言われているけれども、普通、日本の人間が考える通史の理解と、この申請書で言っている新羅系の渡来人だという関係をどう説明するのか。これが一つですね。
それから2番目は、ここの委員会でも議論になったことは、やっぱり古代における多民族共生ということは非常にアピールするし、やはり世界的に日本が積極的に押し出す一つのポイントだと、これは私も賛成なんですが、もう少し、やっぱりこの多胡という郡の建郡自身が渡来人と密接に関係している。それから、この羊という人が、韓国系、あるいは一番いいのは新羅系の泰人だということが言えれば、僕はドンピシャリなんだけれども、やっぱり申請書を読む限りは、非常に間接的な論証にとどまっている。それはやはり江戸時代からのいろんな議論の中で、そう断定できないという意見もあったはず。
しかも、この、きょう配られた上野三碑の7ページには、「よう」じゃなくて「ひつじ」って振り仮名していますよね。この氏名をね。「ひつじ」って振り仮名していいのかどうかね。「よう」とした方が、僕は安全だと思うんだけれども、この辺りが、ちょっと。
ただし、平川さんも僕も歴史の人間だから、論証ができないことは断定しないという鉄則がありますから、ぎりぎり平川さんなり佐藤さんなりの知恵をかりて、ここまで書いているんだけれども、ここをもう少し前進的にできないのかというのが、審査する方の、いわば気持ちなんですね。正直言ってね。ただし、やっぱりなかなか研究者が中に入って申請書を書くと、ここまでで止めざるを得ない。じゃあ、どういう問題が。僕はもう少し間接的じゃない形の表現が、やっぱりなぜとれないのかというところは、ユネスコで通った後でもきちんとやらないと、必ず足をすくわれる。一番の問題は、僕、そこなんだね。漢字の六朝風の書風とか、それからやっぱり上野に渡来人が多く住んでいて、馬の生産やったとか、風貌が特殊だという、これは普通の常識なんだけれども、それ以上に言う場合の、やっぱり学問的な問題というのは、まだ残っているんじゃないかということなんですね。
【上野三碑(平川)】
これは、よろしいでしょうか。
【島谷委員長】
はい。お願いします。
【上野三碑(平川)】
まず、渡来人の問題ですけれども、私たちは、この三碑、三つの碑は7世紀の後半から8世紀の前半で建てられているんですけれども、その前に、この上野の地域というのは、5世紀以来、ヤマト王権の中で、特に外交に深くに関わって、上毛野氏というのが活躍して、有名な『論語』とか『千字文』を日本にもたらした王仁を招いたのも、これは上毛野氏の祖が百済に派遣されたりした。
それから、現在、考古学で5世紀代あるいは6世紀代の考古学的な遺物から、同じ朝鮮半島でも、新羅系の土器だけでなくて、様々な鉄器類等も含めて、物的な証拠を次々に明らかにして、きょう同席しております若狭、高崎市の文化財保護課長は、その専門家でもあるわけですので、また必要があれば、追加で説明していただきますが。
それで、今、宮地先生が御質問になりました多胡碑は、まさに文面でも分かりますように、胡人が多いという意味で、胡の人の多いということで、実際には上野の西側に六郷があるんですが、そこから人を割いて、郷を割いて作り上げた新しい郡ということであります。その中には韓級郷なんていうのも含まれています。そして、しかも、その韓級郷の、それまで所属していたのは甘楽郡ですね。
それから、今回は文献の上では追加で、その御質問に対して『続日本紀』の、少しこれよりも後の766年の記事にはっきりと、上野におる新羅人193人に吉井連の姓を与えたという記事がありまして、吉井というのは、まさに多胡郡の多胡碑のあるところが吉井地域といって、現在でも吉井の地名が大きく残っているところでありますので、そういった点から、新羅人193人が8世紀の中頃に吉井連を、こういう地名を名字に与えられるというのは、必ずその地元の地名を与えられるわけですので、そういう面では多胡郡に新羅人がいたという確実な証拠になるんではないかと思います。
大体、そのぐらいでよろしいでしょうか。
【島谷委員長】
何か補足で。
【上野三碑(前澤)】
じゃあ、私の方から。
【島谷委員長】
はい。
【上野三碑(前澤)】
私、前澤と申しますけれども、補足的に説明させていただきます。
今、平川さんから説明がありました韓級というのが、後になりますと辛科という字に字が改まってきます。上野国分寺、史跡になっておりますが、その発掘調査をやりますと、これは9世紀頃の修理の瓦がたくさん出てきます。その中に、ヘラ書きで文字を書いたものがたくさんございまして、その中に「辛科子浄庭」と書いたものとか、矢田子某と書いた、多胡郡の郷名と人名を書いたものがたくさん出てまいります。その中に子供の子がおります。その子供の子というのは、今申し上げました天平神護2年の新羅の人、これは、子午足が193人、これ吉井連に改姓したとあります。その子を持った人たちが9世紀代においても改姓しない人たちも含めて、多数、多胡郡の地域にもいたということは、これは考古学的にも傍証されます。
なお、直接的な史料として申し上げますと、その中には、国分寺で出ました文字瓦の中には、「辛科」のという地名と含めまして、「山宇物部子成」といったものもありまして、その山部の……、これ山等郷ですけれども、そこにいた物部氏と合わせまして、渡来系の子の人たちが、子供の子か、あるいは「ね」と読むかもしれませんが、国分寺に対して、知識の行為をともにやっております。そういった意味では、多胡碑と金井沢碑、上っていきますと山上碑、これが地域の歴史資料としてつなげて考えますと、考古学資料等も併せて、大変立体的に渡来人のその後の展開も含めて読み取りできるということを付け加えさせていただきます。
【島谷委員長】
ありがとうございました。
なかなかすぐにそれで説明できたかどうか難しいところではありますが、申請に至って、よりその辺が分かりやすくなるような形で付け加えていただければいいんじゃないかと思いますので。
ほかに何かございますでしょうか。
じゃあ、私の方から一つ。
冒頭のところで、三つ目のセンテンスですが、多胡碑のところで、「18世紀以来、中国の『書』の手本ともなってきました」と断定はしているんですが、確かに翁方綱から揚守敬に伝わってきているので、知られていたということは明らかではあるんですけれども、手本とまで言っていいのかな、どうかなというのは、ちょっと感じたんですが。表現の問題で、こういうふうに強調した方が、日本というのは逆輸入すると高い評価をするというところがありますので、当時の明治の人たちにとってみれば、本当に目からうろこみたいな感じで、金石学について、一つのきっかけになったということはあるんですけど、これ、手本とまで言っていいんでしょうか。
【上野三碑(平川)】
難しいですね。揚守敬の場合は、もう島谷主査も御承知のように、むしろ、その後に日本に5年間、明治になって来られて、まさに日本の今度は近代書法の基礎を築いたという点でも重要な。だから中国と日本の橋渡しを書を通じてされたということも……。
ですから、この今回の上野三碑では、私たちはやはり東アジアにおける文化交流の具体的なものを、この三碑を通じて証明できるんだ。特に1,300年前の、一番東アジアが激しく、まさに激動の、百済が滅亡したり、高句麗が滅亡したり、戦いが、唐や新羅との戦いを通じて一番激しく揺れたときに、大勢の日本に渡来した人たちがやってきて、その渡来した人たちがもたらした様々な文化、それが先ほども申し上げましたように、ユーラシアの東端、さらに都から遠く離れた東国の上野で花開いたということが、今の現代のいわばアジア情勢なども含めて、大変重要な記憶であり、記録であり、これからの記録、そのことを大切にしていってほしいという、そんな思いもありまして、考えております。
【島谷委員長】
そこの部分まではいいんですが、「18世紀以来、中国の『書』の手本ともなってきました」というくだりを、「中国との書の交流を裏付ける資料としても貴重である」みたいなぐらいのニュアンスの方が正しいんじゃないかなと。
【上野三碑(平川)】
はい。分かりました。
【島谷委員長】
手本という方がよりインパクトがあるんですけれども、全体において、アジアとの文化交流という意味で捉えるんであれば、それでも十分ではないかと思いますが。
【上野三碑(平川)】
分かりました。
【島谷委員長】
これは個人的な意見ですので。
【芳賀委員】
申請側の委員として、あるいは日本人として、「文化交流」を強調したくなるのはよく分かります。申請には「世界的重要性があるかどうか」という観点がありますから。
ただし、中央アジア、ギリシャ・ローマの専門家からしたら、上野三碑の場合は「交流」とは言えないような気がします。「書」に関しては辛うじて「交流」となりますが、その他の観点ではほとんど「直流」というか、「受容だけ」と言った方がいいのかなと思います。これをもって東アジアの「交流」と言ったら、ちょっと大げさ過ぎるかなと思います。受け取って、同じか、それ以上を返すというのが「交流」ではないでしょうか。
【上野三碑(平川)】
そういう意味で……。
【芳賀委員】
ええ。
【島谷委員長】
例えば、文化の伝播ということですね。
【芳賀委員】
伝播。あるいは受容。申請書に英語では、「インターアクションズ」とありますが、「インター」ではないような気がします。
【上野三碑(平川)】
ちょっと、それについて……。今の御指摘については、そのような面が非常に強いというのは我々も強く感じているんですが、それから、一方的ではないかという指摘も受けられて、日本側ではどうしたんだということで、そのときに特に強調したいのは、やはり漢字文化ですね。漢字文化で、漢字を、普通であれば漢字、漢文で、そのまま、文字のなかった日本列島であれば、漢字、漢字文化ということになるわけですけれども、それを日常の口頭伝達している、いわば日本語で表記するという、この技術は、もちろん、このことは朝鮮半島でも同じように朝鮮語の語順で漢字を配列していますから、それに倣ったということですけれども、ただ、日本の場合、もちろんこれも御承知だと思うんですけれども、仮名、片仮名というものを漢字の中から生み出し、これも現在では、朝鮮半島でも、片仮名については、もう指摘があります。ただし、それがきちっと仮名と片仮名セットになって、そして、助詞とか副詞などを交えて、日本語をうまく漢字文化を維持しながら、いわば、その後、現在まで、ある面では東アジアの漢字文化圏の中で唯一の漢字文化を維持できたのも、これはやはり日本の中での仮名、片仮名を考え出して、必死になって、この漢字文化を維持してきたという、この辺は大きな影響を受けながら、うまくそれを取り入れて、日本的なものにアレンジしたという。
【芳賀委員】
おっしゃるような「取り入れてアレンジした」というのは「受容」だと思うんです。「交流」ではなく。
【上野三碑(平川)】
交流の面では、確かに……。
【芳賀委員】
申請書13ページに山上碑で日本語の語順で書いたとあり、それは非常に良い受容の事例だと思います。しかし12ページにある「律令制度」、「東アジアとの交流」、「アジアにおける仏教の広がり」の各項の説明は、上野三碑が建立された時期、時代背景とその内容の説明ですね。そういうところに「交流」とあって、これも私も一日本人としては大きく見せたい気持ちはよく分かるんですが、余りやると、ユネスコから見透かされてしまうかなと危惧いたします。
【上野三碑(平川)】
むしろ実態は、伝播と受容というふうな……。
【芳賀委員】
受容かなと思います。ただし、辛うじて書道は、少しは日本から東アジアに少し戻ったわけですから、その点は、交流といってもいいかなと思います。
【宮地委員】
いいですか。僕はちょっと群馬県の肩持つんだけども、やっぱり日本の古代というのは、かなり特殊で、中国と朝鮮の文化をできるだけ入れて、それを国内で生かそうという意味では、単なる伝播というのはね。朝鮮では滅んだやつが、日本できちんと生きている。しかも、渡来人なり帰化人って、人によっては言い方は違うんだけれども、その人が、やっぱりその地域の文化と技術を支えているのが数百年続いたというのは、僕は朝鮮にとっても、やっぱりきちんと評価すべき問題を日本が古代ではやっている。それは日本の古代の特殊性なんだと。単なる伝播というのは、僕は芳賀さんとちょっと意見が違うんだよね。やっぱり日本の古代の特殊性はそれなりに言って、批判が出たら、また群馬県から批判すりゃいいんだから。僕は余りそこを、芳賀さんの言う意見を取り入れるのには賛成しません。(笑)
【島谷委員長】
この委員会というのは、こうしなさいというんじゃなくて、いろんな意見が出たのを申請者がしんしゃくしていただいて、いい申請書を書いていただくということですので、中の委員でも意見が分かれているということで。
【芳賀委員】
日本から東アジアに返したのは余り……。
【宮地委員】
いや、だけども。
【芳賀委員】
まあ、いいです。
【宮地委員】
うん。やっぱり今も韓国の方が奈良に来て、やっぱり自分のふるさとね。やっぱりこういう原風景を日本はとどめている。百済観音といっても、向こうには残ってない。李朝になりゃ、仏教全部、僧軍には入れないんですから、お坊さんは。やっぱり向こうは全部始末しちゃったのを日本は大事にしているという意味では、僕は日本文化の特殊性なり特質を東アジアの人に、特に中国の人に理解してもらいたい。それは少し誇張してもいいから、群馬県が大きい顔して、この点は悪くはないというのが僕の個人的な意見です。(笑)
【芳賀委員】
たしかに、仏教はインドにも中国にも、現在はほとんどないけど、日本にたくさんある。
【宮地委員】
そうそう。
【芳賀委員】
曼陀羅は日本にはあるけど、インドや中国には・・・・・・。
【宮地委員】
だから「東寺百合文書」がなぜ世界記憶遺産になったかというと、中国で全部滅ぼしちゃった密教はチベットと日本しかない。まさに世界記憶遺産だっていう、こういう、外に積極的に押し出す価値は、僕は上野三碑にもある程度ある。ただし、もっと断言できないのが隔靴掻痒だというのが僕の気持ちです。
【島谷委員長】
ほかの先生方、何かございますか。ちょっと突っ込んだ話になっています。
【高埜委員】
今、日本古代史の学術的な議論、そういうところで努力をされておられる。あと、申請に当たっては、今、親委員会、ユネスコのこの委員会のスタッフ、構成メンバーというのは把握されていますか。欧米の人がどれぐらいいるのか。
【福田国際戦略企画官】
一応、地域的な配分ではございますが、やや、どうしても欧米の方に少し多いようなところはございます。
【高埜委員】
「東寺百合」を2年前に申請をしたときに、やはり今も宮地先生御指摘のように、欧米の人たちにどう理解してもらうかっていう、そこの観点が問われる。この今回の申請物件についても、私は大変魅力的な、そして学術的な裏付けも持った申請書だと思うんだけれども、極めて日本古代史の話だと。もちろん持っている朝鮮半島、中国、日本との関係性というものは非常に貴重ではあるんだけれども、そのことをどういうふうに、欧米人だけではないけれども、そういう方々に理解できる内容にするか。ですから、それは英訳の問題でもあるんだけれども、単に直訳するというんではない、欧米人に理解できる内容をどう作っていくのかという、その辺りが恐らく問われるし、課題になってくるような気がいたしております。私の感想です。
【上野三碑(平川)】
私たちも、やはりこれが日本にとどまる意義、あるいはアジアにとどまる意義だけでなく、やはり世界記憶遺産ということを考えたときに、1,300年前の三つの石碑が現在まで守られて、それから、これが一体、現代社会に、あるいはこれからの将来にどのようなメッセージとして発信したらいいかということを考えて、この意義を問うべきだというふうに議論しました。
それで、やはり一番感じたのは、現在、ヨーロッパにおける移民の問題、あるいは全世界的に抱えている、多民族がどのようにして共生していくべきかというときに、たった三つの無名に近い石碑を、この地域社会というのは非常に小さな社会ですけれども、それまで住んでいた人たちと、それから半島や大陸から渡ってきた、渡来した人たちと、もう一つ、日本の古代国家が異民族という形で、中華思想の下に、東北地方の人たちを蝦夷というふうに、中華思想でそれを日本も小帝国であるということで位置付けた人たち。その中には、もちろんアイヌ民族の人も含まれているわけですけれども、実態としては、それは異文化集団というふうに考えていいと思うんです。違う文化を持った人たち。この東北地方の蝦夷を、実は、この上野の国の群馬の東南、西南部に集中的に、多胡郡を中心にして、俘囚郷という、蝦夷が国家に服属すると俘囚というふうに言われるわけですが、その人たちを集めた郷が三つも設置されていると。ですから、本当にそういう面では、いろいろな、多文化というか、思い切って言えば多民族の、そういった共生社会が、無名の石碑というのは建っているもんですから、それを壊しもせずに、ずっと大事に守ってきて、それは先ほど宮地先生がおっしゃった、羊という主人公が、やがて信仰に、羊信仰になっていくくらいになって、人々を結び付けるんですが、そうやって1,300年、いい状態で守り続けてきた。戦争中、第2次世界大戦の太平洋戦争のときも、文化財を守るというので、地元では、これが接収されたら困るというので、そのとき初めて穴掘って、埋めて、それで終戦になって、また掘り出して、今のように大事に守り続けてきた。つまり、様々な多民族、あるいは多文化の共生した社会が守ってきたということを、ある面では欧米社会の人たちにも、これから、現在及びこれから、そういった地域だけれども、記憶であり記録であるということを強調したいというふうに考えています。
【芳賀委員】
私はむしろ欧米側の視点なのですけど、だから日本の国際性を大きく言いたいのはよく分かるのですが、余り大きく言うと見透かされるかなと思います。
例えば、具体的には、申請書に英語でKorean immigrantsと書いてありますが、これはどれくらい正確な表現なのでしょうか。他国から突っ込みがされないか、気にしています。でも、こういった点は、今後もいろいろやりとりすればいいと思います。
それから、では逆に、今おっしゃった多胡碑をGHQから守った、あの話、村人がみんなで守ったことを多胡碑記念館に展示してありますよね。いろいろと資料もあるし。ああいうようなことも、もっと、逆に書いてもいいのかなと、思いました。
【上野三碑(平川)】
いえいえ、そういうふうにさせていただきます。
【芳賀委員】
ええ。そのことは、申請書には余り書いてなかったんじゃないかという気がして。
【上野三碑(前澤)】
今の件で、少し書いてあるんですが。それは実は県庁に残っている文書の中で、昭和20年8月に文部省から指令があって、文化財を隠匿せよという指令が来ます。それを受けまして、群馬県では多胡碑と、あと観音塚古墳の出土品、昭和19年に発見されたもので、今、重文になっております。この二つを穴を掘って隠しました。
【芳賀委員】
慌ててね。
【上野三碑(前澤)】
それが、間もなく、9月以降になりまして、GHQからの、またいろいろ意見があったと思うんですが、今度、文部省から、疎開してあったものを復旧しなさいという、そのための補助金を出しますという通知が来ます。それを受けまして、地元の人たちが、これは町、当時の吉井町ですが、復旧をして、現状の形になっております。
地元の方の、いろいろ聞きますと、多胡碑が先ほど申し上げたように1,300年守られてきたと。そういったものを、やはり接収されたり、あるいは壊されるということを非常に恐れまして、文部省の指令、県でも、全国調べましたけれども、知られているのは二つだけで、文部省からの指令というのも文書として残っていないんです。どういう形で伝わったか分からないんですが、そういった意味では、地元の人たちが文化財、あるいは歴史遺産に対して、非常に熱い気持ちを持っていたというのを、よく示しております。これ、今のISILによる、ある意味の破壊であるとか、ああいったものを考える上では、やはり文化財というのものは、地元の人たちの理解と伝統を重んずる気持ちがあってこそ初めて守られると、そういったアピールもできるんじゃないかなと思っております。
【芳賀委員】
そのことはユネスコの趣旨にのっとっていると思うので、そういうことも、もう少し書いてもいいのかなと思います。多胡碑記念館には随分そのことが書いてありましたから、そのことを申請書にもっと載せてもいいのかなと思いました。
【島谷委員長】
今のお話と、先ほど平川先生がおっしゃったようなことも、もう少し簡略にでもいいですけど。
【芳賀委員】
はい。羊信仰のことも是非。
【島谷委員長】
ええ。書いていただいた方が、より欧米の人に対しての説得力が出てくると思いますので。
【芳賀委員】
はい。多胡碑から羊信仰が生まれて、それでいろいろと人々が多胡碑を守ったなんてことも、申請書に書くといいのではないかと思います。
【上野三碑(平川)】
分かりました。
【島谷委員長】
さっき宮地先生から指摘もありましたが、朝鮮半島の文化が日本に残って伝わっているという、その一環であるというようなことも、ちょっと風呂敷を広げたような形になるかも分かりませんけれども、あってもいいんじゃないかなという、その辺はしんしゃくしていただいて。
ほかにございますでしょうか。
【高山委員】
今のお話のような、それ申請の段階で是非付けていただくということは必要だと思うんですが、併せて、展示のときに参考展示品というような形で、やっぱり出していただくのがいいんじゃないかと思うんですね。というのは、きょうここで、申請をどうするかということが議題ですから、当然といえば当然なんですが、大変、今この上野三碑をめぐって高尚な議論が行われたわけですけど、私のような凡人には何の話だかよく分からない。私の世代は、この中にもいらっしゃるかもしれませんが、要するに、私、都立高校なんですが、最近言われているように日本史は教えられなかった世代なんですね。それは今まさに出てきたように、占領軍が教えてはいけないと言って教えられなかった世代です。そうすると、古代の日本の状況、あるいは群馬県民であれば、自分の郷土がどうなっていたかということは分からない人達もいるわけですから。単に石碑がポンと3点出てきたということになったときに、その石碑をどう見るか。これ、申請が受理されて後の、その展示の段階の話なんですが、その段階になって。
群馬県というのは、御承知のようにユネスコの何とか遺産ということになると、大変周りにいっぱいあって、たくさんの人が押し寄せるわけですから、その押し寄せた人たちを対象にして、この三つの石碑が、それだけポンと出てくると、何だかよく分からないという話になってくる。だから、そこの一般民衆と展示されているものとの間の関係づけを、どう分かりやすく説明できるかということは、記憶遺産認定後の段階の話ですから、きょうの議題としてはそぐわない話なんですが、どう考えるかというのは、とても大事だろうというふうに思っております。よろしくそこはご配慮をお願いします。
【上野三碑(平川)】
ありがとうございます。
【芳賀委員】
文言ですけど、上野三碑が日本最古の石碑群であるというのが、ちょっとよく分からなかったんですが。古代日本の石碑が18あるとするなら、上野三碑以外にもほかにも幾つも石碑があるわけです。最も古いとされる宇治の石碑は半分しかオリジナルでないからあまり認めないというのも理解できますが。
【上野三碑(平川)】
これはあくまでも18碑のうちの3碑ですけれども、極めて近接して、この三つの碑が残っているわけです。そして、それは年代的に言っても一番古い群の方に入るということで、こういったくくりの仕方をしたということです。
【芳賀委員】
山上碑と金井沢碑は群として一つにくくれるかもしれないですけど、多胡碑はまた別ではないですか。
【上野三碑(平川)】
いや、三つを。
【芳賀委員】
もちろん分かりますけど、三つの碑の関係、それぞれの碑の設立趣旨が異なるのではないでしょうか。
【上野三碑(平川)】
それは先ほど来申し上げておりますように、この三つの石碑に込められたものは、やはり7世紀後半から8世紀の前半という日本の古代国家。日本という国が一番、現在の日本のいわば形が出来上がる、それから中国から取り入れた制度を基にして政治制度も確立する。そのいわば生きた証人のような3碑ということで、一緒に含めて意義を言っても全然問題はないんではないかと思います。
【芳賀委員】
ええ。ただ、この古代日本の律令制度に直接に関わるのは多胡碑だけです。たしかに、山上碑と金井沢碑は、むしろ個人的な背景が強くて作られた碑で、この二つの碑に関わる家系がもしかしたらお互いにつながっているかもしれないので、山上碑と金井沢碑は一群として良い。しかし、それに多胡碑も含めて、三つともが一群であると認識して良いのか、がよく分からないのです。
【上野三碑(平川)】
これについて、ちょっと追加で、上野三碑が特筆される理由ということで、ちょっと前澤さんの方から。
【上野三碑(前澤)】
今の御質問ですけれども、山上碑と金井沢碑というのは、私は直結する成果だと思っております。
【芳賀委員】
その二つの碑は、そうですね。但し多胡碑は別です。
【上野三碑(前澤)】
そういったような石碑が作られた地域、そして、それを守られてきた地域、これを、どのような地域であったか。それが形成されたものを示すのが多胡碑である。そういった意味であると、三つはそれぞれ作られた目的、きっかけは違うにしても、地域で三つの石碑が1,300年守られ続けてきたと、この意味を込めて、三つは重要だと思っています。
【芳賀委員】
実際に、川の北の山上碑と金井沢碑と、川の南の多胡碑とで立地も二群に分かれるような気もしますが。
【上野三碑(前澤)】
これについては、大正10年、1921年に、史跡名勝天然記念物の第1回目の指定の対象になっておりまして、そのときに、これを担当しました黒板勝美先生が、ここで実は上野三碑。指定は一件一件なんですけれども、上野三碑という言葉を内務省の報告書で使っているんですね。そのときの理由を見ていきますと、石碑を建立する文化って、もともと渡来の文化であるということを踏まえまして、その中で、わずかな距離を置いて、旧多胡郡の中に存在をしている。そして、建立された年代が、45年間という短い期間である。そういったことと、その二つの理由から、三つの連関をきちんと位置付けなくてはいけない。それで指定をするということを説明されています。
【芳賀委員】
はい、それはそうですね。
【島谷委員長】
よろしいですか。ちょっと、後の案件もあるので、一応、この会議の時間を設けられていますので、できれば後で事務局経由していただけた方が、審議がうまくいくと思います。いかがでしょうか。是が非でも今というんであれば。
【芳賀委員】
じゃあ、最後に一言二言だけ。一つは、碑文から読み取れる男女の関係や、特に女性の地位の高いことを、もっと強く言ってもいい。それから、多胡碑がコンクリートで地面に設置されている問題も多分指摘されると思います、文化財の保存の仕方として。
以上です。
【上野三碑(平川)】
女性の、非常に重要な、これは山上碑のポイントですので。
【島谷委員長】
非常に幅広く意見が出て、今後の保存・公開の問題まで多岐に及びましたが、それぞれの意見の質疑応答によって共通理解を得られたんではないかと思います。申請者におかれましては、引き続き和文の修正及び英文申請書の作成作業を行っていただくことになると思いますが、各委員におかれましても、今ちょっと途中で遮ってしまいましたけれども、事務局通じて、また意見を述べさせていただくこともあろうかと思います。また疑問点ありましたら、事務局通じて、各委員の方に伝わってくるようにしていただければ、またお答えをするようにいたします。
短時間で質疑応答、協力していただきまして、ありがとうございました。
【上野三碑(佐藤(裕))】
どうもありがとうございました。引き続き御指導をよろしくお願いいたします。
【島谷委員長】
どうもありがとうございました。

(上野三碑申請者退室)

【島谷委員長】
二つの案件が、ちょっと種類が違うので、突っ込むところがいろいろ違ってまいりましたけれども、意見交換がより申請書のブラッシュアップになればいいと思いますので、今後も協力よろしくお願いいたします。

<議題2>
(規定により非公開)

―― 了 ――

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-- 登録:平成28年02月 --