産学官連携推進委員会(第17回) 議事録

1.日時

平成15年2月7日(金曜日) 14時~16時

2.場所

虎ノ門パストラル ヴィオレ

3.出席者

委員

 末松(主査)、生駒、市川、小野田、川崎、北村、小林、田中、平井、堀場、吉田

文部科学省

 田中研究環境・産業連携課長、小山技術移転推進室長、佐々木技術移転推進室長補佐 ほか

4.議事録

(1)今後の検討課題について

  • 資料1-1、1-2、2、3、4-1、4-2、4-3に基づき事務局から説明した後、その内容に関する質疑が行われた。

 その内容は以下のとおり。
 (◎・・・主査 ○・・・委員 △・・・事務局)

委員 産学官連携あるいは社会貢献と言ってもいいが、人材に関連して現状の確認と、それに対する意見を申し上げたい。これまで大学、ことに国立大学等では、その中に置かれている学部、附置研究所、各種センター等の長は教員がなっていた。確かに学部長、あるいは研究科長は教育経験のある人がいいし、それから附置研究所、さらには大学院研究科の長は研究経験のある人がいいと思われる。社会貢献が第三の柱として立ったとすると、そこはやはり社会貢献のプロがトップに立ったほうが、むしろ物事はきちんと動くだろうと思う。従来は、そうした大学内の部局の長というのは教員が就くという形になっているが、それはもう緩和できると考えてよろしいのか。

事務局 国立大学法人法(仮称)で現在通常国会で御議論いただくべく、高等教育局のほうで立案中と聞いている。その法案の中身についてはつまびらかではないが、従前から議論されていたところでは、学長と副学長で役員会を組織して集団的なトップマネジメントを実現し、その副学長の中には学外の方を必ず入れるということを制度化すると伺っている。副学長に教育担当とか研究担当とか、あるいは産学連携担当というのがいれば一番ありがたいわけであるが、その副学長数名の中に学外の方が1人なのか2人なのか、どの担当にはまるのかということについては各大学次第ということになると思われる。それともう一つ、やはり学外の方が半分ぐらい入って、評議会と並んで運営面の大学の方針を審議するという機関である運営協議会(仮称)も置かれるということであり、学外者の参画がかなり制度化されるという点が、独立行政法人一般との違いだと聞いている。

委員 今の話は、いわゆる大学のトップマネジメントに関してはそうした話が進んでいるということである。ところが、大学の構成部局の長に、教員でない人がなれる仕組みというものがなければ、結局、先生と称する素人が長になるという状況になるのではないか。そうした状況があり得るので、そこは一つのポイントになるのではないかと思う。もちろん学外の方をお呼びする際、準備できる条件として適切なものができるであろうが、状況によっては学内の中で、教員ではないそうしたことのプロの人がそこのセンターか何かの長になれるということが重要だと思われる。

事務局 何とかの長は教授をもって充てるとかいう規定の縛りが非公務員型になることにより、無くなるので各法人ごとの人事方針ということになっていくのではないかと思われる。

委員 その場合、普通の企業であれば、部門の長に指揮命令権がある。それも決めればいいのであろうが、おそらく指揮・命令権を持った形の部局を構成するの不可能であろうし、憲法上の学問の自由の規定との関係もあるので、なかなか難しいと思われる。どのようなビジョンを持っているのか、教えていただければありがたい。

主査 教員がいて、その中に、いわゆる学問的な研究・教育をしてこなかった人がおり、さらにその中間にもう一つ、研究をし、かつ社会のことも知っているという職がこれから新しくできるのではないかと思う。それができなければ、今の議論が大変かみ合わないところがあると思うが、そうしたことを前提に事務局のほうから説明をお願いしたい。

事務局 一般論で申し上げると、部局やセンターの責任者が研究活動を行っている教員でなければならないということが、直ちに憲法論として学問の自由や大学の自治とかに跳ね返ってくるのではないかと思われる。今回の法人化も人事権はすべからく学長に由来するということである。憲法論でいけば、いわば国家からの自由として大学の人事等の独立性が過去の裁判例等々でも話題になっていたかと思われる。そこはやはりあくまで大学の判断であり、教員、つまり研究者と研究者でない方とどう織り交ぜて、指揮命令系統をどう組むかということも、結局、大学ごとのポリシー次第という方向ではないかと思う。

主査 これからだんだんそうしたことに慣れて、指揮命令権をきちんと持った部局ができていくということではないかと思われる。

委員 今の議論とは少し離れたことになるのかもしれないが、今やっている産学官連携の話など、あらゆるシステムはすべからくアメリカ的である。アメリカの場合、産学連携の際、言葉としては官がないので、アカデミアとインダストリーとのブリッジという言い方をしている。これは日本学術振興会の第149委員会において日米でいろいろ討議をやったとき体制の違いとして出た話である。そのとき、アメリカの場合には大学のファンドも基本的なファンドについては、州立大学は別として、プライベートの資金が基となっている。プライベートの資金がたまたまインダストリーと大学に分かれており、その中でのアカデミア対インダストリーとの関係ということで議論されている。利益相反ワーキング・グループのときに問題になったのは、日本の場合、そのアメリカの制度と同じことを考えても、利益相反として問題になってくるのは、実はアカデミアの大部分が国費であるということである。それと民との混交について何らかのリーズナブル(論理的)な社会的理解を求めるルールが要るということが利益相反の問題として出てきたが、その中の一部は法規制ができる職員の責務であるとか、大学の校規としての責務であるとかに分かれるだろうという議論があったので、その辺についても、今回の大学の使命と産学官連携の議論の際に検討していただきたい。大学とインダストリーの関係は基本的な構造として、日本はヨーロッパ型に近い。ヨーロッパにおいて、今アメリカで言われているような産学連携があるかといえば、それほどない。そこのところをやはりはっきり認識した上で、アメリカのこうした点がビビッド(活動的)でいいから取り入れ、そのためには制度全体をどう調整するかという視点を、大学の使命と産学官連携の基本路線のところにはっきり明記したほうがいいのではないか。最近、あまりにもひどくつまみ食い的にアメリカの制度を無理やり入れることが流行りすぎているきらいがあると思われる。

主査 うかつに、例えばアメリカの制度などを入れるということは、やはりその仕組みをきちんと考えた上で行わないと非常にまずいことになるのではないかということであった。特に日本は官の金で動いているということが非常に多く、しかも官の人が携わっている。確かに国立研究所の人は官の人であり、国立大学も今までそうだったわけであり、その辺のところをきちんとわきまえてうまくいく仕組みを考えてほしいという一貫した意見であり、これは我々も十分反映しなければいけないと思う。 今の点は法人化によって、資金的にはあまり変わらないかもしれないが、研究者自身はいわゆる非公務員型になるということで、大学人は公務員でなくなるため、大分変わってくるかと思う。

委員 実はここで定義する産学だけのことには留まらない話であるが、大変タブーに近くて議論されてないことが就職問題であり、これは人材育成にも絡んでくる。日本ぐらい、大学から社会に学生たちが移動するときに混乱している世界はない。場合によれば、3年生から就職活動をするとか、院生の1年で行うのは当たり前という世界である。それが大学の教育を混乱させていることは大変な問題である。また社会のほうから見ても、学生の就職活動がどのようなルールでどう規制されるべきかということについて法的な意味で規制されるものではないわけである。

委員 法的には規制されているので、これは例外である。就職は例のハローワークが本来やるべきであるが、新卒に限っては学校があっせんしてもいいという例外規定になっている。

委員 それが今、実際には空洞化している状態であるので、ますます乱れて徹底的にずたずたになってしまっている。それは教育現場、場合によったら研究現場にも多大な影響を与えている。これをどうすれば少しまともな姿になれるのかということは大変大きな問題であり、この産学連携の問題だけではないが、やはりいたるところでそれは言わないといけない事態に今なっていると思う。

主査 今のは大変重要な指摘であった。つまり、大学の学部の卒業研究をやめることができないということである。やめられないのは、やりたいということもあるが、今までの形では研究をやめたいというような意見があっても、やめることができないのは、就職の第一番で聞かれることが、あなたは卒研で何をやっていますかということであるためである。委員が言われたことは実は非常に現実的な影響を与えている。

委員 青田刈りに関して、かつて文部省時代に検討なさった会議があり、その議事録が私のところに回ってきたが、非常に奇異な感じがした。まず、あまり早い時期に就職が決まると4年生の教育がなおざりになるので、早く決めてもらっては困るという大学側の主張があり、それを支える一つの根拠として卒業研究その他がある。一方、経営側のほうでは、大学卒業まで待たなくても、もっとずっと前の時点で人間の能力は見極められるので、そこでもって採用することのどこが悪いのかという論理を立てている。そのとき何で物事を簡単にしないのかなと思った。経営側が、3年生でも2年生でもいいが、見極められて採用されるのであれば、大学を出ようが出まいが採用すればいいだけの話である。それが大学を出るという条件をつけるのは全くおかしな話である。大学側で見てみれば、就職内定者がろくに勉強しないという問題があるが、そんな人は大学を卒業させなければいいだけの話である。したがって、大学の教育とは何かという一番の基本に還って考えれば、あのようなことを議論しているのは、世界に例がないことだと私は思う。一番簡単なのは、学校が例外になっている就職斡旋例外条項を撤廃することだと思う。世の中の普通の労働市場に乗っかって動くようになれば、産学連携も、その意味で順調に進むであろうし、先ほど話のあったような問題点は起きないだろうと思われる。これは学部だけではなく、大学院も博士課程もみんな同じである。

委員 企業サイドから申し上げると、要するに、学生はスキル(技能)で採っているわけではなく、可能性で採っている。したがって、私は我々の会社の人事に、大学の1回生を採れと言っている。同じ時期に大学を4年間で卒業した人と我が社で4年間働いた人のスキルを見れば、絶対我が社のほうが優秀である。私としては大学を卒業する必要はないと言ったが、そのようなことをすれば大学から嫌われるので、それだけは堪忍している。確かに企業サイドにも、いっぱい悪いことはあるが、大学サイドに聞いてほしいのは、大学の4年間で学生に対して本当に立派な能力を授けてないということである。学生側も、自分の目的は大学へ入ることだけであり、大学へ入ったら自分の人生の過半数は終わってしまう。有名大学へさえ入れば、自分の人生はもうそれで決まってしまうという社会である。我々生産者からすれば、もちろん仕入れるときの材料検査もするが、さらに大切なのは最後に製品を出すとき、出荷するときの製品検査である。大学は全然その製品検査をやってない。入るときは何かわけのわからない入学試験で品質をある程度そろえるが、4年経てば自動的に出しているだけである。このうように、品質管理をしてない製品を出されるので、我々としては原材料のままであまり品質が変わらないうちに、早くこちらへ取り込んで品質を守りたいのである。本当に4年間で劣化する。例えば、私は物理出身であり、物理出身の新入社員を交えていろいろ話をしたところ、その新入社員は基本がわかっていなかった。話を聞いてみると、大学に入ったときは優秀だったが、4年の間にクラブ活動などをしているうちにだんだん品質が落ちてしまったので、会社へ入って頑張りたいということであった。これが現実である。要するに大学には、品質の悪い人は絶対卒業させてはならないということさえしていただきたい。我々はスキルが欲しいけれど、それがだめなので早いうちから決めて、その人にどんどん会社の資料を送って勉強させている。これも本来国家がやるべきことを企業が負担しているということであり、一種の税金みたいなものだと思う。ぜひその点は本当に考えていただきたい。卒業品質管理をせずに、管理しない卒業生を出すということは大学の恥だと思われる。

委員 多分、今の委員の発言はある一面について言われたことだと思うが、それが全部だと思われるのは大間違いである。非常に景気のいいときは、確かにそうしたことを豪語して喜んでいた経団連の方々もいたが、現実は全然違う。特に文科系と理工系では随分違う。理工系については、何か技術者を採るときに新入生を採っても全く使い物にならない。一番の問題は、その学生のスキルを見極めて採ることをしていない会社が非常に多く、まだブランドで採っているということである。我々のところはきちんとDSP(Digital Signal Processor)の技術を持った人材を採っている。私が社長のときに入ってきた社員に一人一人、あなたのスキルは何か、ディファレンシエーション(差異)は何かと聞くと、非常にはっきり答える人材が増えてきていた。どのレベルで言うかもあるが、文科系も、例えば経済あるいは経営、アカウンティング、財務といったものを持っていることは一つのスキルとなるので、ある程度大学で勉強してくれないと会社で使い物にならない。今の就職の問題は、会社側が一人一人の能力をテストして採るようになれば変わると思う。3年生のときに採ろうとするのは企業側のエゴである。これは経団連などが、きちんと4年して卒業したときに試験をするというような申し合わせを、もう1回昔のように戻して、そこで本当に一人一人を試験してはどうか。アメリカでは試験を行っており、しかも4月で採るとは限らず年中採用している。どこかの企業が最近それを始めたが、必要に応じて必要なスキルを採るということを企業がやれば、変わると思われる。アメリカはとことんそれをやっているようである。自分のところはこれが欲しいから、どこの何先生のところで仕事をした人を採るという、一人一人をセレクトして採るようになれば、大学側も変わらざるを得ないし、学生も変わらざるを得なくなる。これは不景気になればなるほどそうなると思われる。今は不景気であるので、そうした方向に向かっていると思う。

委員 では、どうして今たくさんの企業が早いうちから採用しようとしているのか。

委員 それは企業のエゴである。いまだにブランディングして、どこそこのいい大学からしか採らない、推薦入学しか採らないといった企業があるからである。

委員 そうしたものは今は全然関係ないのではないか。

委員 いまだに企業はそうである。

委員 それはそうしたところもあるかもしれないが、断定しないでほしい。

委員 間違いと断定したわけではなく、一面を言われていると述べただけである。一面のことを全部に適用するのは間違いであるということである。

委員 世の中全部ということはあり得ない。

委員 ただ、そうした議論は非常にジャーナリスティックに売れるので、ついそちらの意見がプリベイル(流行)しがちになってしまう。

委員 これはジャーナリスティックではない。現実がそうである。

主査 実は今の議論に関連してもう一つ非常に重要な議論がある。今の議論は学部ないしは修士を採用の対象と考えていると思われるが、博士課程の学生の間で非常にみんな心配している議論の中に、アメリカあるいは欧米は非常に博士課程の学生を企業がたくさん採っているのに比べて、日本ではあまり博士課程を採らないという問題がある。それが使いにくいということが一つあるが、逆に、おそらく企業のほうはむしろ早く採って、企業に合った教育をしたほうがいいのではないかという理由もあって採らなかったと伺っている。その結果、世の中の知的水準が変わり始めているように思われる。やはり博士課程に行くための知的水準は高く、博士課程の人はそれだけの教育を受けているし、インターナショナルなアビリティ(能力)もある。そうした人たちがどれぐらい社会に入っているかということが、今の世の中のいろいろな問題に何らかの影響を与えているのではなかろうかという議論が一方ではある。とりあえず、ただいまの議論は、大学側にもきちんとした教育をしなければならないということは確かにあるし、企業側も、またきちんとした学生を見て採っていただきたいということがあるということでよいか。あるいは、昔は4年の秋以降、夏以降に採っていたのが、最近はだんだんそれが早くなってしまったということをどうするかという幾つかの問題もあるが、ここでうち切らせていただく。また、大学に対する企業の要望は、以前から産学官連携においてはあったが、一方、今度は大学から企業に対する要望。が出始めており、それが本日の、事務局が説明した資料1-2の2の(3)に入っているので、その辺も少し頭に入れていただきながら議論していただけると大変ありがたい。

委員 資料1-1の項目をずっと拝見していたが、現在の章立てでいくと、何となく経済的効用を持つ技術移転のことについてのトーンが強く出てしまうのではないか。今の議論は、人材委員会第一次提言の23ページにある人材養成面における産業界との連携に関連すると思われる。広い人材養成面での産学連携がいかに双方にプラスかという面で、産学連携の一つの中身の具体例として、技術移転型や人材共同養成型といった幾つかのカテゴリーを設けて、何かそうした機能ごとに産学官連携を類型化して議論するということも必要なのではないか。

主査 産学官連携の視点が、単に知的財産の移転だけではなく、やはり人材育成という面でも大変大きな役割をしているのではないかという意見である。まことにそのとおりだと思われる。それは産学連携によって、教員ないしは関係している学生の意識が変わっていくということもあるであろうし、またこれをさらに進めると、学生は大学の知識を全部持ってそのまま就職するわけであり、それも一種の大きな産学連携になる。具体的に特許を取る取らないとかということは除いて、一つの大きなシフトが行われるわけである。その辺を含めて、意見をいただきたい。

委員 確かに、これからの産学連携はやはり人だと思うので、人材交流に焦点を当てなければいけない。我々のところでいつも言われることは、外部から来てくださる方は増えてきた一方で、内部から出て行く制度もなければ、行こうという人もいないし、保障もされていないということである。もっと具体的に言えば、大学にいる若手の先生方が2年間ある企業へ行って、そこの研究所で研究しなさいと言ったとき、そうしたところへ行った例もないため、行った後どうするのか、その人の講義は誰が担当するのかといった具体的な問題で行きづまり、行くことができなくなる。それで事務局にお聞きしたいが、今度、国立大学が独立法人になったときに、それをほんとうにフレキシブルにやれるよう制度的なことを考えたのか、若しくはどこかにその制度があれば教えていただきたい。単に兼業といったことではなく、もっと広い範囲の人材交流をやらないと私はだめだと思う。

事務局 申し訳ないが、把握していない。任期制の採用や、期限を切った任用、それから採用面での外の世界との処遇の合わせ方次第で動きやすくなる面もあるのではないかといったことぐらいしか思いつかない。

主査 今回は公務員型ではないので、そうしたことはなくなると思われる。

委員 我々のところでも任期制教員をかなり採用できるような制度を作って行っている。来ていただく方はやりやすいが、内部から交換の形で出ていくことが大変やりにくい。国立大学の法人化後にでもそれをしていただき先例を作っていただければ、その方法で行けるのかということになる。企業さんとの間でもそうした話をするが、それなら交換しましょうかと言っても、まず実現しない。どうしたところに問題があるのかなと思う。

委員 国研の所長時代に、私立大学の先生を国家公務員として受け入れたことがある。一番困ったのは年金保険についてであった。国家公務員共済年金に入る場合、ダブル加盟になるため私学の教員が従来入っている私学共催年金から抜ける必要がある。そうなると、私学年金共済での在籍は、15年なら15年になってしまうわけである。それから国家公務員である期間が10年とかとになってしまうと、年金の支給額は2本から各々出ることになるが、総体的に額は安くなってしまう。それが一つである。もう一つは、例えば、住宅資金を借りるといった場合、15年しか加入してないと借りられる額に制限があるということである。このように、そうした年金が区切られてしまうと、結果として不自由になってしまい、本人に不利益が起こるという問題が現実にあった。

委員 今は年数を通算でできるはずが、退職金通算はできない。年金は大丈夫であるが、退職金の通算はものすごく厳しい。民間のほうで早めに退職金制度をやめていただくというふうにしない限り、できないということである。

主査 企業に大学の人が入ることが非常に難しいということであるが、例えばアメリカのベル研などを見てみると、夏休みの間は給料が出ないから、そこへ行って一緒に研究をして、それでまた大学に帰ってくるというようなことが頻繁に行われている。あれは大変いい産官学の連携スキームだと思うが、日本はまだそうしたシステムはあまり定着していない。一部ではそうしたことが実際行われているが、それほど広く行われているわけではないので、今後改善の余地があると思う。

委員 人事院にいたときに、退職金及び年金の話についてはさんざん議論した。やや話が一般的になるが、結局、日本の社会において制度的なインフラを共通に整備しておき、そのインフラの上に公務員もいれば、大学の先生もいるし、民間企業の人もいるという形に持っていくべきだと思う。今はそうではなくて、公務員は公務員としての何とか年金や共済などというインフラを持っており、産業は産業で、私学は私学でという形で、縦に分かれて持っている。これが、少なくとも人の流動に関して大きな阻害になっている。これは一般的すぎて話にならないかもしれないが、そうした社会的な制度インフラを、少なくとも日本の社会においては全部共通にしていくことが非常に重要なポイントだと思う。これがまず一点である。
それから2番目であるが、国立大学の中における人間の流動率は、民間の産業、企業間の流動率よりもはるかに高く、実は民間のほうがはるかに人が動いていない。これは一つの認識としてしっかりつかんでおいていただきたい。何か国立大学での流動が悪くて民間が動いているというような錯覚があるようだが、数倍という単位で違っており、民間はほとんど動かない。したがって、先ほどお話があったように、大学から民間へ行くことにものすごい抵抗がある。民間から大学へはかなり自由に来られる。そうした障壁というものは、民間の産業一つ一つが一つのウチであり、一つのウチを構成してウチの中で平和にやっていくという構造が、基本構造として存在しているため生じる。もちろん例外はたくさんある。いわゆる官側、あるいは大学側もその構造を直していく必要があるかと思う。先ほど別の委員が言われたように、この不況はそうした構造を直す絶好の好機だというふうに思われる。決して経済的パフォーマンスだけではなく、学問についても同じであるが、パフォーマンスを上げるために制約になっているものを外していかない限り生きられないという社会に次第になりつつある。そのこと自体は産学官連携についても全く同様であり、邪魔になっている障壁を取っていくことが一番大事であるので、何かをできるように特別にするという方向でない方へ施策を展開していく必要があるのではないか。

主査 今、委員が言われた、邪魔になることを撤去していくということが非常に重要だと思われる。

委員 学生が、例えば就職活動なんかに行くのはなぜかといえば、企業を知らないからである。日本の若い人はだんだん企業を知らなくなってきている。自営業が減ってきているためサラリーマンばかりになり、商売というのを知っている人が少なくなってきている。それと、なぜ会社をあんなたくさん訪問するかいえば、会社によって体質が違うためである。今の学生は職業を選んでいるのではなく、会社の体質を選んでいる。それでなかなかわからないため、いっぱい回っている。学生の産学の連環については、インターンシップなどもある。この間、ITの導入に関して、ある中小企業の導入の仕組みを学生に提案させるよう、そこの会社とマッチングをさせて報告書を作ったことがある。そうすたこともできるような仕組みを大学の中にも作ってほしい。みんな必修で企業インターンシップに出る必要は全然ないが、企業のほうも受け入れてもらえるように、学生から交流できる機会のようなものをシステムとして作っておくことは基本的に必要だと思う。

主査 そうした企業との間の人材交流について仕組みを作り上げていくということが非常に大事である。インターンシップなどは、実は企業から見ると大変な負担だと思う。

委員 インターンシップは、例えば1週間とか2週間で、お客さんで来るのは本当に負担である。やはりせめて半年ぐらい来て、それが単位としてはっきり認められるようにしてほしい。

主査 長期間をいやがるのは、学生の都合だけではなくて、企業のほうも嫌がるところがある。短期間ですら嫌がって、長期間はなおさら嫌がるという風潮があるので、このインターンシップなどに関して企業と大学は話し合っていただく必要があると思われる。

委員 今の件について、私はまた少し皆さんと違うことを言わせていただく。制度や規則が障害になっている面も少しあるが、本当のところは必要性がないのである。本当に必要があれば、そんなものはすぐできるはずである。インターンシップでもそうである。両方にメリットがあれば必ず動くのである。しかし、今は両方が必要性を感じてないように見える。それを無理にやらせようと言っても、できるわけがない。我々の会社では、インターンシップはすごくいい制度ということで利用することにしている。それはなぜかといえば、インターンシップで見ていいやつは採ろう、悪いやつは省こうというふうにすればメリットがすごくあるからである。どうもこうした議論はいつも型ばかりを議論することになるが、本当にメリットがあって、そうしなければ生き延びれないとなれば、すぐ動くはずである。官から産に人が行くといった話も、年金がどうの、システムがどうのと言っている間ではなかなか交流しない。本当にそうすれば、両サイドプラスになるようなメカニズムを作り出せばすぐにする。 産から見ていると、あの先生に来てもらって少しやってほしいという先生が正直あまりいない。学生を預かるだけでも、今言ったように2週間、3週間では嫌だと言っているようではダメである。学生を半年預かり、よく見極めて、会社にとって必要であれば、採るという制度にすれば、これは動くと思われる。実際の現場において両サイドがプラスになるかどうかがまず必要である。型ばかりを議論しても、今のような話はここ何年言い続けられていることである。どうもポイントが違って議論しているような気がする。

主査 大変説得力がある話である。確かにそうした面もあるが、やはり制度的な障害もある。

委員 民間は必要であれば、給料、年金や退職金なんて、倍出してでも連れていくはずである。

主査 実際突き詰めていけば、先生が言われることに帰着されると思うが、そこへ行く前にもう少し仕組みとしてそうしたことをする必要がある。

委員 基礎を覚えてもらって、それで何かあったとき相談に行けるようにする。先生側の中には現場の問題を知りたいという先生もいるので、両方にプラスになると思われる。

主査 本当に言われるとおりだと思われるが、それを、何というか自然にやっているということも一つ大事なのではないか。もっと言えば、産と官、学が一緒になって今、研究を考え始めているわけであるので、教育についても一緒になって考え始めないとまずい。例えば私は前に私立大学にいたが、そのときに4年生に講義をして前期に単位を取らせるよう言ったところ、だめだと言われた。なぜかと聞いてみると、学生の就職活動で、そんなことをすれば誰も就職できないため、来年から誰も入らなくなると言われた。やはりこれは非常に大きな問題であるので、そろそろ真剣に議論しないとデッドロック(暗礁)に乗り上げる可能性があると思われる。ただし、この場で検討すべき課題ではないと思うので、そうした話し合いをできるだけ早くやってほしいという要望を述べておくだけにしておく。

委員 もう主査が結論を言われたが、私もそのような思いがあって、口火を切らせていただいた。先ほどの委員が言われたように産サイドも決して放り出しているわけではなく、経団連なども既に倫理的な形での声明なり要請文は常に出している。ただし、それを誰が守るかという問題になってしまっているわけである。非常に世の中はもう混乱しきっている。また、企業のニーズさえあればばっちりいくというのはそのとおりであるが、それはかなりエッジ(先端)の部分で起こることであるので、我々としては地盤も含めて、とにかく全体として少しでもよくなるようにしていかなければ、日本全体ではなかなか難しいのではないかと思われる。産学官連携を議論しながらも、その中にぜひ教育を産学が場合によっては手を携えていくような方向性、を盛り込んでいただきたい。

主査 今のようなことはやはり大変重要であるので、そうしたことは別途、ぜひ真剣に進めていただきたいということを、産業界に対する要望というか大学側に対する要望かもしれないが、先ほどの産業界に期待することの中に盛り込んでいただきたい。

委員 就職活動は4月までは受けつけるなといったことか。

主査 4月ではなく、秋までで結構である。つまり4年の前期の講義が現実にできないわけである。

委員 それをここではっきり出したほうがいいのではないか。それで大学の就職会以外には個人活動を禁止すれば簡単なことだと思われる。

委員 大学側と産業側の両サイドがそれをきちんと制限すればいい。

委員 学生は既に大学へ入ってしまった段階ではもう手遅れである。要するに有名大学のサクセスストーリーは、高級官僚になるか、それとも大会社のサラリーマンになるか、大学の教授になるかであり、日本はそれ以外は全部落ちこぼれになるわけである。そうなると、一生懸命に勉強する目的は、有名大学へ入るのこととなり、こうした人たちにこれから産学官連携なんて言っても、あんまり興味を持たないのではないか。したがって、小中高一貫教育をして、人間はいろいろ神から与えられた能力があって、その能力を最も生かせるような職業につくのがあなたの最高の幸福であり、それがあなたのサクセスストーリーであるという基本的な教育をしてもらって大学へ来るようにしてほしい。大学教育だけ幾らやっても、もう既に染まったような人間が来ることになる。現に、京都の私立高校で今度中高一貫教育をすることにしたが、来年度の定員200人に対して、何と2,000人の父兄が来た。このように父兄も、中高で大学の入試ばっかり勉強していてはダメであるという認識を持っているわけである。自分の子を何とか自分の持っている能力で世の中へ出したいということを父兄もわかっているが、現行はそうなっていない。先生は、とにかく勉強させて、この勉強だけでは足りない、予備校へ行け、そして家庭教師をつけてでも有名大学へ入くよう指導する。そのような子供が大学へ入って、もっとベンチャーもやれ、いろんなことをやれと言われてもどうしようもない。今、ある大学には、ベンチャー何とか学科などいっぱい講座があるが、それを受講しているうちの3割がチャンスがあればやりたいと言っている。しかし、現実問題として、200人に1人ぐらいしか実際ベンチャーを始めようとしない。それも、ガールフレンドの父親が今度スピンアウトしてベンチャーをするから、おまえも来いと言われて、来なかったら娘はやれないと言われたので泣く泣く行くといった類である。やはり価値観を小さいときから持たせるということを、ぜひこの中に何らかの形で入れていただきたい。

主査 子供の頃から自分の頭できちんと物事を考えていく訓練をさせ、習慣づけることは非常に大事なことである。

委員 寿司屋の一流のおやじと総理大臣は同じ格である、政治家で日本一といえば総理大臣だし、寿司屋も日本一の腕であれば、日本一同士ということで同格であるといった考え方を持つ必要がある。

委員 今の委員が言われたことは、まさしくそのとおりだと思う。私などは学外の人間であるので、大学からもやや離れているから問題点についてよくわからないところがある。制度的にしろ何にしろ、とっかかりとして何を直せばいいのか、根本解決にならないにしろ、どこをいじれば誘い水になるかといったことについて議論を伺っていてもよくわからないところがある。こうした報告書に細かい課題は詳細には書けないのかもしれないが、例えば大学の立場から、何をいじればいいのかといったところをいろいろお話しいただけるとありがたい。私もこうした問題を記事に書いたりする立場であり、問題点を指摘することもさることながら、何をどうしたらいいかといったことを書く立場にあるので、一歩踏み出すために重要なところを幾つかお聞かせ願ええればありがたい。

委員 人材育成のところで感じるのは、今の人事の評価において、人材育成したらそれがどうなるのかということである。その評価についても、従前のやり方を我々も変えようとしており、前は上からだけ評価していたのを、下からも、取引先等の横からも評価を入れることを考えている。また、評価だけで終わらずに、それをどのようなリワード(報酬)に結びつけていくのかという形でフィードバックしていかないと、教育だけしても、ほんとうに一生懸命やってくれる専門家が育つのかという疑問がある。やはり、それなりの評価とリワードを組み合わせなければ、人材はなかなか育っていかないのではないのか。その視点をここでどう入れたらいいのかというのは全くアイデアはないが、評価とそれに対するリワードの問題も人材育成にはつきものではないかと思う。

主査 評価の結果をどのように生かすかということが一番難しいし、どう評価するかということはもっと難しいと思われる。その評価も、それぞれの個性に合った評価ということになれば大変難しいというか、逆にそれをうまく評価してその人をうまく取り込むことができるようになるかもしれない。

委員 私は、現在、医学部の大学院の博士課程でバイオの研究をやっているが、その中でいろいろ実験の間に雑談とかしていると、例えばこのようなことを言う人がいる。このバイオの世界は動きが激しいから、今やっている研究はすぐに陳腐化するかもしれないので、それにまずついていけるかということがすごく不安であるということであった。さらに、もしそうなった場合、次にどうしたらいいのか、企業に行くのか、それともやめるのか、あるいは大学に移るのか、何かテーマを変えるのかというふうにものすごく不安定な気持ちの中にいる人が大学院生の中に多い。どんなに不安定でも、例えば今高い給料をもらっていればそれはそれでいいかと思うが、今の給料はそれほど高くない。ほんとに皆さんはとても低い給料の中で頑張っている。だから、大学院生は科学の最先端でいろいろと、『ネイチャー』の論文に名前を連ねたりすばらしいことを実はやっているにもかかわらず、その年齢から見て社会的に極めて低い待遇、極めて不安定な地位、未来がないというか見えないポジションにあると思う。ご存じのように、助手になったり助教授になったり教授になったりする道は非常に狭い。産学官連携がもっと進んで企業との人材交流も進み、ここでいい研究をしたら企業が次に年収2,000万で採ってくれる、3,000万で採ってくれるということであれば、またそれも希望を持ってやって、移っていけるということもあると思うが、なかなかそうしたことも見えない。今、最先端でやっているポスドク、あるいはドクター、あるいはマスターの方々に希望がある未来を提示してあげることが大事ではないかと思う。

委員 報告書に盛り込む内容について、今のような議論は面白いが、気になることがあるので、幾つか申し上げたい。こうした審議会や行政関係の委員会で議論しているときに、2つ必ず省いておかなければいけないことがあると思われる。一つは社会文化学的検討である。要するに、子供の頃からの教育が悪いとか、マスコミが悪くて世の中の風潮がこうなっているとか、それを何とか直していかない限り本当のことはできないという議論は、私は土俵の外へ置くべきだとまず思う。それからもう一つは、特例があるからいいという言い方も省くべきだと思う。何を言いたいかといえば、この委員会の最初のほうに、実は従来から産学連携をやっていたが、それはインフォーマルな産学連携であったという言い方があったが、そうした特例的なものは、ここの議論の土俵の外へ置いたほうがいいだろうということである。結局、社会的風潮や特例を除いて、例えば、平々凡々たる大学人でも抵抗なく産学連携ができるように、そうした仕組みを予測できる社会情勢のもとで効果的なものを作り込んでいくということが、結局ここの仕事ではないか。では、社会情勢とは何かといえば、日本の大学の先生も産学連携の面でも国際的競争に入ってきたということである。そうしたときに、国際競争をやっている上で日本の先生方がいろいろに手足を縛られて競争で不利になっていることがあるとすれば、そうしたものを除いて、ほんとうに外国の先生方とまともに競争できるように大学の方は措置すべきである。企業の方は、アメリカであろうが、イギリスであろうが、ドイツであろうが、フランスであろうが、呼びたい人材を呼ぶことができるので、日本には呼びたい人はいないと公言できるわけである。したがって、仮に日本の先生が頭が悪くてだめなら、もうどうしようもないが、何か制度的な障害やいろいろな社会的障害で手をつけられないものがあってうまく動けないのだとすれば、それを取り除く、あるいは手当をするという方向で今後の議論を進めていったほうが生産的ではないか。

委員 先ほどの委員が言われた大学院生の話を聞いてびっくりしたが、バイオをやっていてもそんなに学生が暗いのか。昔の物理の素粒子を専攻している人とかは、会社へ行くと敗北だと言って、塾の先生をやったりして食いつないでいくということがあったが、バイオの学生までそうであれば、これは日本の中でものすごくゆゆしき問題である。私は、基礎研究所を日本でもっとたくさん作るべきではないかということを最近思い始めている。今の場合、今のような問題を解決するためにはね。会社へ就職を無理にさせるよりは、日本の基礎研究所の数が少なすぎるのではないかというふうに思い始めている。COEの審査をしたときも、博士課程の学生が極端に少なかった。先ほどの話のとおりだとすると、日本はもっと基礎研究所を作って増やすべきではないかということについてきちんとクラリファイ(明確化)する必要がある。バイオをやっている学生の将来がそんなに暗ければ、日本の将来は暗い。

委員 こうした断片的な話で真実を伝えるのは難しいが、別に暗くはないと思う。例えば、私が属する研究室は、多分、日本ではバイオのゲノムの解読やシークエンシングではトップレベルだと思うが、ものすごい技術を持っている。1人1人が、普通の研究所では閉じられないような、遺伝子の穴が空いている部分を閉じられるといった、すごい能力を持っている。ものすごく職人的な、トップレベルの技術を持っている。しかし、イギリスにはウェルカムトラストの資金がたくさん入った研究所があって、シークエンサーがグワーッともう何十台も並んでいたりしており、そこと比べたら、日本のトップの研究所であっても規模的にははるかに及ばない。時々話していると、ここはすごく研究費が潤沢でいいですよねという話になる。昔はピペットのマイクロチップの先のプラスチックなど、一度使ったものを洗って、それでまた使うということをしていた。お金がないからそういうことをする。それもテクニシャン(技術者)を雇えないから、学生が全部自分でやる。とにかく洗って使えるものは何でも洗って使うという家内工業的な世界で日本はまだ推移していると思う。だから、技術はものすごくあるのに、家内工業の感じがする。やはり欧米のもの最先端を走っている研究所は、ものすごくそこが合理的である。お金を注ぎ込んで、しかもドクターの学生には絶対ルーティンワークをさせない。それは全部テクニシャンにさせ、学生にはクリエイティブなワークに専念させている。それはバイオの世界の話であるが、日本の研究室は、家内工業の体質からの脱皮がどこかで必要であると思う。1人1人はものすごい情熱を持ってやっており、自分の技術に対して、ものすごい自負を持ってやっている。そうした意味ではペシミズムでないかもしれない。ただ、今はもうゲノムの時代は終わってポストゲノム、たんぱくのほうへ移っているので、今度はたんぱくへ行って、これが次にセロームなどもっと世界が大きくなったときにどうやって私たちは食べていくのということが目前の不安としてあると思われる。

主査 ただいまの議論は、あまり即断してしまうとまずいかもしれないが、最先端の研究をやって世界を開いているような人には二面があると思う。非常に明るい面と、どうなるだろうかという不安の2つの面がある。それが混在しているのが、作業をやる人の一つの特徴だと思うが、そうとらえるよりももっと悪いということなのか。

委員 これは確かに非常に難しくて何とも言えないが、言われるとおりだと思う。一般論として資質としてそうしたことがあると思う。その両側面は間違いなくみんな持っていると思われる。ただ私が指摘したかったのは、もっとみんな豊かでなければおかしいのではないかと漠然とした思いがあって、産学連携という側面からでもいいが、もう少しここに光が当たるべきである。つまり企業からも優秀な方が来るし、学生の方も高い給料で企業に行って、また戻ってくるという極めていい産学連携ができたらいいのではあいか。もう一つ私の感想を言えば、欧米から来た研究生がみんなカルチャーの問題で悩むことがある。それで帰っていく人が結構いる。やはり日本の研究室は国際性がないのかなということが正直思うところである。もっともっと国際性のある、要するにどんどんアメリカの研究所などから人が来て、もっと英語でガンガンディスカッションする、そういったことがなければいけない。だから、もっとそこに産学連携でも光を与えてもらいたい。

主査 実はもう1つぜひ議論していただきたかったのは、一番最初に申し上げたように、官と学、それから官と産の連携において、そこにある大きな問題を幾つか御指摘いただきたいということであった。先ほど一つ年金という問題があったが、これは大分今、解決されかかっているのではないかという話があった。

委員 この問題点の中で人材の確保と書かれているところは極めて重要である。大学に行っていて何がだめかなというと、サービス部門がものすごく貧弱である。学生に対するサービスもほとんどしないし、インターンシップなどもおざなりである。結局、先生がいろいろ集めてきてアレンジしないとだめだし、とにかく研究のサポートもほとんどない。事務局は結局、公務員としてのコントロールのための話ばかりをするので、係を幾ら作ってもサービスは増えない。今度法人化するから自由にできるようにすると言っても、金がないので、おそらくサービス部門を縮小して余裕を作ることになると思う。そこは非常に気をつけてやっていただきたい。それからもう1点であるが、ここにお集まりの方というのは、基本的に産学連携をやっておられる人と、それから関心の強い企業の方が来られているわけであるが、本当に大事なのは関心のない人、それから関心のない企業をどうインクルードしていくかということである。これは一種の幼稚産業育成である。ただもう利益があればできるというのは、ある一種のスタートアップコストを払った後の話である。幼稚産業育成のためのコストをどう作っていくかということは、別途考える必要があると思う。官の問題は、独法化で大分解消されることはあるだろうが、先ほどの、非公務員になっても大学は公務員に準拠して倫理法と同じものを作れと書いてあるので、多分何も進歩しないと思う。

主査 ただいまの御指摘はずっとこれまでも言われてきていたことである。研究の補助者というかサポートにきちんと資金が回って、そうした人をきちんと担保できるようにする必要がある。おそらく産学連携の難しい問題点とは、また違った種類の仕事が出てくるので、そうしたことをきちんとサポートしていただけるような人を雇える資金体制をお願いしたいということではないかと思う。

委員 官学連携での研究の側面に限っての話になるが、私の経験及びそれを一般化した形で問題点を一つ指摘したい。研究費の出方についてである。官側の研究費は、研究計画を立てて監督官庁を通じて財務当局に予算申請をすることによりでる。そこで何が起こるかといえば、2つ問題があり、自分が参加した研究グループに果たしてうまくお金が来るかどうかわからないということが一つある。仮にお金が来たとしてもかなり値切られているから、そこから回ってくるお金だけでは研究がやりきれないということが起こる。そうすると研究者はほかにも保険をかけるわけである。ほかの研究グループにも顔を出しておいて保険をかける。そうした場に大学の研究者をどう絡めていくかという問題がある。従来は公務員型で両方とも共通していたので身分的には問題なかったが、今度お金の出し入れでもって監督省庁の違いというのが表に出てきて、書類上ものすごく煩瑣なことになる。それからもう1つが文部科学省が所管している科学研究費補助金というシステムは、基本的に研究者が申請して、それを審査してお金を出すという、研究者人1人についてのボトムアップ型の資金である。それは大変結構なことだと思うが、やはり草の根から発想した研究を大事にするということと、官の研究所みたいにある程度トップダウン的に補う、仕事をするという両方がなければならないが、現実に向きの違う2つの流れを共同して仕事をしなければならないという状況が出てくることになる。そこの運営というかプロジェクトリーダーになった人の苦労は並大抵のものではない。したがって、確かに省庁ごとにお金は違い、思想が違うことはわかるが、そのことが研究効率自体をものすごく阻害している。そういうチームでもってどこかが一括認定してしまえば、必要なお金はそこから全部出る、すなわち他を多くサベイする必要はなく、しかもプロジェクト管理も比較的楽に動けるような、そういう仕組みを制度的に設けていただければありがたいと思う。

主査 その意見には賛成である。これはある程度複数ルートにせざるを得ない。これはもう日本の現実だと思うが、そのときの煩瑣さから解放されるような仕組み、つまり一括にできるような仕組みを考えてほしい。

委員 ようやく官の定義が、国立の、旧国研的な研究機能だということになったみたいだが、私はやはり旧国研、現在の独法は主として、行政目的のための業務を担うべきだと思う。ただし、行政目的を目標とするならば、それ相応の資金充当はあったほうがいいのではないかと思う。資金がある程度来ている一方で、各研究者は競争的資金を各自獲得するようにしているが、場合によっては行政目的と違う目的で獲得されているパターンが多い。なぜならば、それらの競争的資金の大部分は大学を対象にセッティングされているものが多いからである。そのような内部矛盾を独法研究機関が抱えながらどのようにしてマネージするのかということについては、私自身が現実に独法の研究機関に関わっているので、強く感じている。ところが研究者のほうは何の矛盾もない。ついこの間までは日本の基礎研究ただ乗り論ということもあって、行政目的と関係なく基礎研究に貢献するという風潮が省庁に関係なく国研の間で動いていた。最近は、行政目的が明確に出てきており、今はそちらへの切替期である。私は、切替期なら切替期らしい予算措置を、整合性を持って取られるような仕組みにしていただいたほうがいいのではないかと強く現場にいて感じている。

委員 昭和37年の国研いかにあるべきかという古い科学技術会議の諮問3号からずっと言ってきていることであるが、一貫して言えることは、日本の国研は行政目的達成のためにやるべきことをやらないで余計なことをやっていることが基本である。例えば、国土管理に関する調査は、海上保安庁の水路部と国土地理院と地質調査部が行うべきことであるが、そうしたことはあまり経済的効果がないということで冷や飯を食ってきており、産業界とコンペティティブ(競争的)なところを一生懸命、基礎と称してやっている。したがって、行政目的に合致しない、今のそうしたところはやめたほうがいいと思う。むしろ、先ほどの委員が言われたように、インディペンデント(独立した)な基礎研究所という格好でしっかりやれればいいと思われる。つまり、大事なことである行政目的の研究を国研としてやっていないため、官産連携などが出てくるので、大事なことさえやっていれば官の成果は産がみんな使うはずである。このようなおかしいことが今、日本で起こっていることが第一の問題であるので、例えば計量研みたいな度量衡の標準をやるとか、通総研の時の標準、電波の標準といったインターナショナルな意味での非常に大事なことを省の責務としてしっかりやってもらわないといけないと思う。それからもう一つは今のお金の問題であるが、国立大学等の事務局の経理処理能力はもう満杯である。いろいろな不祥事が生じたために、科学研究費補助金から流れる個人で処理すべきお金や、NEDOから流れる競争的資金といったう何十億というお金が、全部大学の経理を通すようになっている。ところが、国立大学の事務局は文部科学省直轄の人事であって、学長の人事裁量権が及ばなかったわけであり、教授の仕事を大学事務局は支えるのではなくて、大学という組織を事務局は守っているのである。よって、サポート要員として事務局があるというふうに大学の先生がお考えになるのは大間違いであって、事務局は先生方を管理するためにあるのである。特殊法人ではお金を出すときには、具体的に言えば、ある補助金制度を立ち上げたときに260億のお金があったが、その経理関係を全然大学を通さないで全部特殊法人の中でやることにして、かかった経費は1億弱である。それはなぜかといえば、定年退職されたアカウンティング(会計学)の方を領域ごとに雇って、そこから研究課題に必要な研究設備は全部特殊法人の名前で調達をして、そこへ配達をするという遠隔サービスシステムを取り入れてやってきた。そのかわり先生方には、秘書をお雇いくださいという費用もその中でみるようにしてきた。そうしなければ、リーダーの方はマネージできないのである。やはりそうした意味では、研究をサービスするという仕事の人を事務局の中に設けなければいけないと思われる。

委員 官の中に公が入っているのかという意見がある。地方では、地元の県庁などのリーダーシップがどうなっているか、そこが活性化しているかどうかによって非常に違ってくる。例えば、各府県に工業技術センターがある。大阪などは規模が大きく、かなり頑張っているが、その他の府県の工業技術センターは、極端な見方をすれば、官ではなく民と一緒のような形で生き残りをかける方向で、今後どうすべきか議論を始めている。それで前にも相談に来られたことがあったが、その際に、やはりその地域に密着しているわけなので、地域の産業とその地域の大学とをどのようにしてコーディネートしていくのかという点で、リーダーシップを発揮してくださいと言ったが、そのような抽象的な話ではなく、もっと具体的な話をしていいただきたいと言われてしまいました。地方では、産学官の代わりに産学公ということが、公は地方自治体であるが、それに関連したところの議論はここに入っているのかどうか。そこのサジェスチョン(提案)を明確にしておかなければ、公が曖昧になるという懸念がある。

主査 公の役割は重要であることはよくわかる。地域に行くと本当にそうである。しかもその役割によって非常に助けられる、あるいは逆の場合もあるだろうということはよくわかる。

(2)産学官連携推進委員会運営規則の一部改正について

  • 資料6に基づき事務局から説明した後、原案のとおり了承、決定された。

5.今後の日程

 次回は3月上旬に開催する予定とし、各委員との日程調整の上、事務局から改めて連絡することとされた。

お問合せ先

研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室

(研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室)