産学官連携推進委員会(第16回) 議事録

1.日時

平成15年1月30日(木曜日) 17時~19時

2.場所

虎ノ門パストラル ミモザ

3.出席者

委員

 末松(主査)、市川、小野田、川崎、北村、小林、清水、田村、平井、安井、吉田

文部科学省

 丸山審議官、坂田大臣官房審議官、小山技術移転推進室長、佐々木技術移転推進室長補佐  ほか

4.議事録

(1)今後の検討課題について

  • 資料1-1、1-2、2、3-1、3-2、3-3について事務局から説明した後、その内容に関して自由討議が行われた。

 その内容は以下のとおり。
 (◎・・・主査 ○・・・委員 △・・・事務局)

委員 歴史との関連もあるが、1870年代の帝国大学ができる前の時代の「産」の経営主体は「官」であり、工部省等が官業でやっていたわけである。民間産業、いわゆる現在で言う産業とは違うものだった。そういう意味では、定義が極めてあいまいに使われているのではないかと心配である。資料1-1の3.に「官」と「産」とあるが、「官」の意味と「産」の意味をはっきりしておかないといけないのではないか。私立大学は大学であるが、国立大学は「官」であり、現在の体制では、文部科学省の一組織である。そのような意味でいえば、普通一般的に大学と言うのは結構だろうと思うが、大学の使命ということを議論するようになってくると、その辺まで議論が及ぶのではないかと思われる。少し丁寧に定義を書いておいたほうがいいのではないか。

主査 確かに、日本の百何十年を振り返ると、その点で混同が起こってくる。

委員 この一連の歴史の中で、産業界の立場から言えば、「官」という言葉は実は工業試験所的な意味のウエートが高かった。「官」をどのようにここで取り扱うかという場合、行政的な「官」とともに、研究実施体としての「官」が当時はインダストリーに対し大きな影響を持ち続けた歴史があったかと思うので、その辺も留意していただきたい。

委員 私の使った「官」という意味は、むしろ工業試験所に始まる研究サイドの「官」である。行政は、もちろん考えなければいけないかもしれないが、メーンのものとしては意識していなかった。

主査 そもそも論をしてしまうと大変難しい。産、官、学については、今の皆さんの議論で明確になってきたと思われる。大学も実は見方によれば官であるということであるが、そうではなく、「大学」と言われるものは、要するに大学セクターとして教育、研究を同時に行っているところである。「官」と今言われているものは、背景にある行政機関としての政府ではなく、国立研究所等の各省庁が所管している研究所である。産業を昔までさかのぼって考えれば官だったという話は御指摘のとおりであるが、現在はそうではなく、「産」と言われるものは民間のインベストメント(出資)による、物を製品化していくところである。以上のような整理でよろしいか。あまりそもそも論に陥らないために言わせていただくが、本日の資料を拝見すると、大学セクターの使命は、結局、教育、研究、社会貢献の三つである。これ以上のことを言い始めると、これは非常に難しくなるし、それをどのようにとらえるかは、各大学の一つの見識ではないかと思われる。

委員 今、主査が言われた大学の使命の三つであるが、大学はその三つのファンクション(機能)を持たねばならないということにはならないと思う。これは大学の歴史をたどってみても、それから現在でもそうであるが、大学の必要条件は教育である。教育をしていないものは大学とは言わないし、研究をやっていたら研究所にすぎない。したがって、主査がその次に言われた、大学がみずからの使命を理念として決めるというときに、例えば、学部教育だけやりますという理念を持っていても、それは大学であり、大学院教育だけやりますといっても、大学であるといえる。そこのところはきちんと押さえておいていただきたい。私は、かつて教育の上で非常に成果を上げた学校が、大学の名の下でかえって教育水準が落ちてしまった状況が戦後の日本にはあると思っている。歴史的に見れば、大学というのは、ドイツの法律学校も、イタリアのボローニャも、イギリスのエスタブリッシュメント、イギリス国教会の大学も、アメリカの法の大学も、全部教育からスタートしており、そこに非常に知識を持った人が集まったため、研究でもやろうかということで研究が付加された。研究が制度化されたのは、1810年のベルリン大学である。その基にはフンボルト理念(一方向的な知識の伝達だけでなく、実験を中心に新たな知識の発見過程に学生自身を参加させるという、研究を通じた教育の理念)がある。それから100年後に、どうも教育と研究を一緒にしておくとうまくいかないということで、カイザー・ウィルヘルム研究所、現在のマックス・プランクができて、一度、研究は大学から外されたわけである。ところが、アメリカは別のルートをとって、学部ではだめになったが、大学院において研究と教育を統合するということによってアメリカ型の大学院が始まった。 それが、今度は、ちょうど教育から研究が派生したように、教育・研究から社会貢献が派生してきた。特に、なぜアメリカであれだけ社会貢献が問われたかといえば、結局、アメリカが理念というか法律で治めなければいけない国になったときに、大学の知というものが非常に大きな意味を持ったため、大学の知の社会における意味というものが特に重要視されてきたからである。そうした文脈を忘れてはいけない。

主査 歴史的に、先生が言われた世界的な流れで、大学というものが教育機能、研究機能、社会貢献機能と変わってきている。歴史的には変わるし、今後も変わるであろうと思われる。それを変えるのは、大学自らだろうし、社会とのインタラクション(相互作用)によってであろうが、基本的には教育、研究、社会貢献ができる機能が大学の使命であると思う。教育100%ということはおそらくないかもしれないが、どこに大きなウエートを置くかということは、大学が自分で決めていくという感覚でよろしいのではないか。ここで言う官については、先ほどの議論であった、国がバックアップする研究所であるというとらえ方でよろしいのではないか。

委員 主査の言われる大学の問題については、私は異論は全くないが、ある組織体を機関別に分けることが議論に供するかどうかという点については、アメリカのようにパブリックセクターとプライベートセクターに分けたとらえ方のほうがいいのではないかと思う。パブリックとは、はっきり言えば税金を使うところであり、プライベートとは、税金を納めるところである。その両者の間での知の伝達をどうするかという大きい流れの枠組みを作った上で、それぞれの機関的な問題を考えるというのはいかがか。

委員 官の研究所の出発点は行政目的の研究であるということははっきりしていると思う。その行政目的の中に、ことによると産業育成という行政目的がかつてはあったかと思うが、それを含めて行政目的の研究である。ところが、第何次ぐらいの科学技術会議だったか忘れたが、日本の国立試験研究機関は行政目的の研究だけでなく基礎研究にシフトすべきであるという意見が出た。ちょうどアメリカから日本の基礎研究ただ乗り論というものを突きつけられたことがあったと思うが、国研が基礎研究にシフトしてきたため、研究の側面で大学と国立試験研究機関との間が顕著でなくなったことは事実である。しかし、理念としては、やはり行政目的の研究がある。行政目的の研究といえども、もともと産業育成を目標としていたのは言うまでもないが、ちょうど大学の研究が産業に役立つのと同じように、行政目的の研究の中にも産業に役立つものがあるという関係から、今度は産官連携というものが出てきたわけである。逆に、官と学との連携は、学会を通じての人のインタラクション(相互作用)でもって非常に強くなってきたのが現状であろうと思われる 。

主査 ほかにまだ意見があるかと思われるが、これはあまり踏み込まないという前提で議論させていただくと、税金を使うというか国が支援するパブリックセクターの研究所、あるいは、行政目的の研究であるということで、「官」とは要するに国が支援して、ある行政目的を達成するために行っている研究機関ということでよろしいか。

委員 はい。

主査 では、そのように整理させていただく。ただし、先ほどの委員が言われたように学会は非常に大事である。学会というメカニズム、特に日本が月ごとに研究会を開くという学会を持っていることは世界に類を見ないと思う。そこが非常に重要なファクターだと思われるので、学会は欠かせないという指摘をしていただきたい。それでは、ついでに「産」とは何か。先ほどの委員が言われた、プライベートセクターの研究所だと思われる。別の言い方をすれば、それは製品を作る、製品を開発するというか、製品化に結びつける研究所、商品を商品化に結びつける研究所ということになると思う。

委員 この「産」は、研究であると限定する必要は全くなく、ある意味では完全な市場オリエンテッド(志向)のビジネスセクターだと私は思う。研究キャパシティー(能力)がゼロであったとしても産学連携でビジネスに持っていくパターンもあり得ると思われる。

主査 確かに産業界の方と我々が全く違うのはその点であり、最後はビジネスということである。私は、それを製品化と言ったが、製品化だけではなく、産業化して物を売ってビジネスにするところまでしなければならない。

委員 研究所と言う必要はなく、ビジネスセクターのことである。

主査 そのビジネスセクターの一部が、プライベートセクターとしての研究を行うことがあり得る。

委員 先ほどあった、地域社会における産学官の関係を考えるとき、今、日本の地域経済はすごく疲弊しており、その中でその地域における大学に対する期待というのはひどく高くなっている。その中で、期待してすぐ出てくるのがベンチャー企業で、何か物を作って地元の地場産業云々ということになるが、今、日本の地域経済の中で非常に苦しんでいる大きなところは、いわゆる物作りではなく、中央商店街や観光等のサービス産業である。大学がコミュニティーの中で何らかの経済的な活動にかかわっていけないか考えたとき、大学には学生がたくさんおり、例えば知的財産権、あるいは新しい市場や証券化といったいろいろな勉強をしている。そうしたものを活用して何とか地域の経済に新しいアイデアを教えてもらえないだろうかという期待も地域にはある。物作りに限らず、観光や街づくりといったコミュニティー作りにどのようにして大学と関わっていくかという視点が非常に重要なのではないか。特に、地域通貨やショップモビリティー(電動カート貸与サービス)等に関しては、大学生のマンパワーというか、情熱というか、若い力に対して地域で非常に期待されている。

主査 非常に広い意味でのビジネスセクターとして、今のようなものを取り入れたものが「産」であるということでよろしいか。

委員 先ほどから「研究」や「技術開発」という言葉が、ある意味で昔ながらの狭い理工系にかなりコンセントレート(集中)しているように思われる。実際は、ビジネスセクターでは、そうした意味の研究以外にも、マーケティングや社会におけるアクセプタンスの問題といった、いろいろな意味での新しい社会系の研究も必要である。また、逆に言えば、大学や国の研究所にも必要になってくる。やはり研究という概念を広げて、少し広い視点でとらえていただいたほうが将来性があるのではないかと思う。

委員 地域における社会維持活動、例えば福祉活動など、要するに社会を安寧・平穏にする、その中におけるマイノリティーやハンディキャップの人を助けるような活動というのは、少なくとも「産」ではないと思われるが、そこと学あるいは官との関係というのは十分あり得る話である。それをこのカテゴリーに入れておくのか入れておかないのかは、外すなら外すで結構であるが、議論する必要があるのではないか。

主査 委員が言われるような社会維持活動になると、それは地域のガバメントがやっている可能性が非常に高くなり、それは「官」に入るかもしれない。つまり、パブリックセクターとしてのアクティビティーになるのではないか。パブリックセクターとしての活動でない、要するにビジネスに結びついているような経済活動として発現したものが「産」であるということでよろしいか。

委員 その中でビジネスライクなものをということではないか。

委員 今度、経済特区ができるが、その中で、教育の株式会社化、教育をビジネスとしてやっていいとしており、今は「官」は福祉からできるだけ撤退して、ビジネスとして成立させようとしている。「官」という言い方は、結局インスティチューション(機関)の議論で、ガバメント(行政組織)という組織の問題であって、業界の問題ではない。あまり「官」というインスティチューションでの議論は、重要性を失っているように思われる。例えば、産学官と言ったときに、インスティチューションとしてないのはNPOである。これからウエートが結構大きくなるであろうし、ビジネスと言ったときも、日本は非常に大学が偏っている。日本の大学にはホテル学や不動産学などがほとんどない。いわばいろいろな専門家が必要になってくるときに、現実にいないという問題である。ビジネスにも対応していない、そもそも存在していない分野の学問があるということである。ここで議論することが今あるものをどう生かすかという議論であれば、それも非常にいいと思うが、そうした新しい分野にも広げたほうがいいのではないか。

主査 今の時点でとらえて議論せざるを得ないと思うが、産というものは非常に広く、住環境、社会活動、あるいはNPOになるのかもしれないが、そうしたものすべてを含んだ、社会から望まれる活動であると考えていくということでよろしいか。

委員 この今後の検討課題例の中で是非書いてほしいことは、知の探求、知の創造、知の伝承ということについての社会的マインドが低いということである。特に戦後においては、世界に比べてこれほど低い国はないのではないか。そうしたことは戦後の教育がしからしめたんだろうと思う。例えば、大学の先生の社会的な地位や学者に対する社会的地位というものがノーベル賞一本になってしまっているような社会を作ってしまったところから今の問題があるのではないか。産学連携によって大学はこんなに社会貢献するからといった、媚びるような政策をあまりとり過ぎることはほどほどにして、日本の知に対する国民全般の尊敬といったような意識改革が必要であるという文章をどこかに書いていただきたい。

主査 是非その点は書き込んでいただきたい。大学が大変粗末にされているといったことは全部それに結びついていることだと思われる。昔から産学官連携をやっているにもかかわらず、やっていないようにとらえていることも、多分そこに原因があるだろうと思う。先ほどの学会が無視されているとことも、まさしくそうだと思われる。非常に大きなセクターとして学会活動がある。

委員 一番最初の社会貢献という言葉が何を意味するかという議論がたぶん十分に行われていないと思う。おそらく、教育や研究については極めてクリアであるが、教育は社会貢献の一部でもあったりして、その辺の重層構造があまりクリアになっていないということがある。それで、今の知を継承するとか知を創造するという非常に重要な社会貢献を我々も意識しなければいけないということがある。私がよく言っている、社会にあまり見えない形かもしれないが、ある種の基軸というか固定座標みたいなものを与えることができるということは、おそらく大学の一つの役割ではないかと思う。産業活力向上と言えば一番簡単なところを、ここではあえて「社会貢献」という言葉になっているところをもう少しクリアに語る必要があるのではないか。先ほどの委員の指摘の中で、学生の存在そのものが社会貢献になっており、地場の福祉といったことにも役に立っているとあった。それは、まさに社会貢献の一つの形態ではないかと思う。むしろ産学官とは貢献する側の主体であって、そこがやっていく社会貢献とは一体何かということをもう少し別のスタンスから議論したほうがいいのではないか。

委員 大学間を通じて評価するという現在動いているシステムがあるが、その評価において、大学の理念というものが十分反映されるような形にしていただきたい。逆に言えば、教育100点、研究100点、産学連携100点として、それで足し合わせるという評価は絶対避けていただきたいということをどこかに書いていただきたい。例えば、学部教育ですばらしいことをやっているとすれば、それはそれで十分達成しているわけであり、あるいは学部教育プラス産学連携に特化している大学があってもいいわけである。したがって、大学が設定した理念をきちんと評価できるような評価システムを考えていただきたい。それから、もう一つ、大学の使命と大学人の使命は違うということである。現在、大学改革で動いていることは、大学を共同体から機能的組織体に移そうとしているということである。そうなれば、当然大学が理念として掲げる使命と、その中で働く大学人が持つ使命とがずれてくることになる。大学内には、分解された機能だけを背負っている人がおり、裏返していえば、教育だけ背負っている人、研究だけ背負っている人、産学連携だけ背負っている人といった多様な人種が大学の中にいてもいいわけである。したがって、大学の使命と大学人の使命はこれから区別して議論していただきたい。当然、その評価に関連しても区別して議論していく必要があると思われる。

委員 「産」というものを非常に広く見るということに関しては私も賛成であるが、私が申し上げているのは、第3の使命を社会貢献という言葉でくくることそのものが、どうもあまりクリアでなさ過ぎるのではないかということだけである。社会貢献が第一義的にここで意味しているのは、おそらく産業活力の向上と思われるが、それだけではないということをどこかで書いておかなければ、社会貢献イコールその解釈しかないという方が出てくる可能性がある。

主査 産業活力だけではなく、社会全体の活力を上げることだということをもっとストレートに書くということである。

委員 今後の検討課題についてであるが、現在既にいろいろな活動をしている産学連携の過程で、邪魔になったり、何とかしてほしいということが山ほどあると思われる。従来、こうした問題もかなり積極的に取り上げられており、特に総合科学技術会議では個別のものでもどんどん出して、やれることはその場でどんどんやっていこうということで、かなり動いていた。そして、経済産業省の産構審の下での産学連携に関する小委員会のほうでも、かなり個別アイテムで問題を摘出して表面化して改善につなげてきたが、それらは既にクローズドされてしまっている。本日他の委員の方々がお話になった産学官の理念的なことも非常に大事な問題であるが、そうした焦眉の具体的な問題を取り上げて解決に向かうメカニズムが残っているのは、当委員会しかないような状態になっているのではないか。

主査 その点についてはきちんと理解しているつもりである。一番ポイントになっている、大学がなかなか動かないといったことは重要課題であるが、それだけ議論しているわけではなくて非常に広い広がりの中で、そこに焦点を当てているということがわかればいいのではないか。

委員 まだこれだけでは足りない各論がたくさんあるということをお伝えしたかっただけである。

主査 そこは非常に重要なエグザンプルであり、きちんと対応しなければならない。連携するためのエグザンプルというのは変であるが、モチベーションもあるし、具体的にわかりやすい。しかし、議論することが実は広がりがすごく大きいということがある。大学は、いつもそうした広範囲の機能を持っており、その機能の中で議論が行われている。ぜひ我々もそれを忘れないようにしていきたい。

委員 実際、地域との連携ということで、中小企業を対象にして活動すると、学会も役に立たないし、こうしたところで議論していることも、ほとんど中小企業の方にとっては夢のまた夢である。彼らが一番最初に私たちに言ったことは、若い人を見る機会が自分たちはないということであり、一番の重要な問題は後継者であるということであった。お金も技術もその次であるという現実に直面したとき、今まで議論していたのは一体何なんだということに突き当たった。要はワンワード、「大学は敷居が高い」ということがネックとなっている。実際、大学の先生がボランタリー(自発的)に非継続的にコンタクトしていたのでは、全く話は出てこない。継続的に、しかもそれを生業とするコーディネーターが2年かけてコンタクトすると、お互いに接点が出てくる。例えば大学における物づくりのポテンシャルがなくなっている、技官がどんどん減っているといった問題と、中小企業の方が持っている技術の継承の問題など、だれかコーディネートしてくれる人さえあれば両方のリソースによって相補うことが出来る。結論から言えば、大学も学会も産業界もかなり硬直化しており、その間の垣根を少し開くだけでも何かインタラクション(相互作用)できる道があるというのが今の実感である。最初の頃、地域の人と話をするためにロータリークラブまで出ていったが、そのときはゴルフの話しかできなかった。持続することによって、お互いに信頼ができて、この人たちは単なる思いつきで言っているのではないということがわかってくると、連携の話が出てきた。現実はこんなものである。例えば、こちらの議論でも、産学連携というのは大きくとらえればかなり語り尽くされているが、実際に実行するという切り口でいくと、硬直化しており、お互いの組織の入り口が見つからないだけというところが現実ではないか。

主査 そのとおりだと思われる。だから、こうした委員会があって、そうした問題について議論していると思う。おそらく、大学人も非常に多様であり、そうしたいろいろな問題に対応できる人がいるはずである。私が私立の大学にいた頃には、大学の人で、地域の事業にのめり込んでやっている人がいた。そうした人は出ているが、ただ、みんな問題が知らないだけである。今の委員が指摘した問題の一つは、大学にしかるべき社会との窓口があり、そこがこの人はこうしたことが好きそうだということをみんな知っているというようにすれば、かなり問題を解決することができるのではないか。大学にきちんとした窓口、社会連携あるいは産学連携の窓口ができており、そこに行けばいろいろなことが対応できるということから、大学が透明になっていくということも一つの手ではないかと思われる。

委員 初めの頃に他の委員が言われた知識というのは極めて重要である。なぜ今、日本の経済がだめかといえば、資本主義経済であるからである。今までうまくいってきたのは、資本をいかに効率化するといった、労使協調などを軸にしてやってきたわけである。それが成功したので、今まで変更しなかったわけであるが、世界は知識を軸にするようになったということである。つまり、資本の中心は今、途上国に移っており、先進国の資本が輸出されて、途上国で労働者を使ってそれを活用しているということになるわけである。アメリカが典型であるが、知識産業という部分が主となっており、知識産業だけではなく、既存の産業もすべて知識を軸に作られている。そうした社会での大学の役割は何かといえば、まさにその知識を生産する最もハイパワーなインスティチューション(機関)であるということである。今、産学官連携が重要であるとされるのは、まさに知識の生産地点と、それを利用する拠点がリンクしていないという問題意識からだと思われる。先ほど産学連携を進める上で何か障害があったらという話があったが、私自身の経験では何も障害を感じたことがない。問題は、やらないというか、問題意識がないことである。大学側に問題意識がないし、産業側にも相対的にない。昔は資本を軸にしてやっていたので、工業試験所や大学の技官というのがちょうどいいインタフェースになっていたわけであるが、今後は知識を中心にしてやる場合のインタフェースをどのようにして作っていくかということを考えていかなければならない。それから、追加的にお願いしたいが、ここには大学だけしか書いていないが、教育体系全体の問題も非常に大きいと思われる。つまり、高校教育で理系と文系に分けているが、そうすると、文系の人は理系のことは勉強しなくていい、理系の人は文系のことを勉強しなくていいと信じて疑わなくなってしまう。せっかく同じユニバーシティーにいながら、文系理系の人が一緒に遊ぶことはあっても、一緒に勉強して何かをやっていこうという雰囲気ができないわけである。これは高校の失敗であり、大学で頑張ってやってもなかなかできないことなので、その辺についてもぜひ配慮してもらいたい。つまり、理系のエンジニア教育を受けた人にビジネスセンスがなく、ビジネスの人が技術を理解できないというのは非常にまずいということである。

主査 大学とは知識生産の拠点であって、それがもっと社会とどうリンクしていくかというところが大変弱いのと同時に、大学の先生もそれを意識していないし、社会も意識していないという大変おかしなことが起こっており、それが日本の今の大きな問題であるという指摘だと思う。それと、もう一つは、教育体系についてである。日本では文系というと文科しかやらない、理系というと理科しかやらないとなっているが、アメリカなどでは両方が混在している感じである。日本は、どうも変なところで分離しているので、この辺から戻さない限り、とても知識の時代にそれを活用することすらできないと思われる。

委員 地域からの期待ということで、NPOなどのもうけ目的でないところからも、いろいろなアドバイスが欲しいという大学に対する期待がある。例えば、地域通貨や環境保全などの営利目的でないところをパブリックとしての官ということで考えれば、その官が学に対して期待するところは非常に強くなってきている。地域通貨については、これにいわゆる銀行などの金融機関が入ってきた場合、営利目的に利用されるのではないかという不安があることに対して、社会的共通資本を守るため、NPOといったものができてきている。そうしたNPOに対して、専門的に勉強されている大学の先生方のアドバイスが欲しいというニーズはたくさんある。NPOを含めた、パブリックという意味での官と学との連携にも非常に大きなニーズがあるのではないか。

委員 京都市では、産学官とは言わずに産学公と言っている。官は公の一部を負担しているだけであり、市民とのパートナーシップが重要だということを言っている。

主査 皆さんの思い入れというか、ターミノロジー(用語)がいろいろシフトしている。パブリックセクターと言われると、それぞれの委員の思い入れによって解釈が違う。

委員 資本の論理が働くか働かないで、パブリックとプライベートを切り分けるということが私の考えである。

主査 ただ、その考えでいくと、社会が要求していることに対応できないということで、もう少し修正しなければいけないかもしれない。ただし、産学官連携でいいのか、もう一つ「公」を入れなければならないのか、その辺はあまり議論すると文明論になってしまうで、そうしたことは背景に置くという形にしてはどうか。

委員 今は中間に官があるが、将来的に官が要るか要らないかは社会が決めることになる。

委員 この委員会の流れを見ていると、知的財産を非常に細かく検討しており、経済競争力方面をメーンテーマとしてやるのは当然である。それが軸になるということはいいと思うが、いろいろな方から意見があったように、はたして社会貢献イコール経済競争力だけでいいのかということについて目配りが必要だろうということを相当意識したほうがいいのではないか。例えば、学のほうで地震や自然災害などに対して地域といかに協力して社会を守っていくかといった類の、経済活動とは言えないが、非常に期待されている活動があったりする。また、普通一般に産学官連携と言ったときに、関係するのは学の理工系だけであるといった意識が非常に強いと思う。産学官連携が進められることに対して、大学側の多くの先生がややしらけていたり、一部の熱心な人だけがやっているという雰囲気があると思われる。しかし、あまり広く話をとらえていくと、どんどん拡散する。その意味では、産業競争力に結びつくところを中心にしつつ、社会貢献はそれだけではないということを何らかの形で世の中にもわかるような組み立を工夫していただきたい。それが評価にも関係するので、それでは、経済活動についての産学官連携のみで評価されるのかということになると非常につらいところがあるかもしれない。

主査 大学人が考えている社会貢献とは経済貢献ではないということは十分に理解していると思われる。むしろ一般の人にまだ十分理解していただいていないのではないか。大学人が考えている社会貢献とはかなり広く、今ここで議論されていることを十分念頭に置いて考えている。しかし、とらえられ方がそうでなければ、この報告書に新たに章を設けて、そこにポイントを合わせていくことになるのではないか。今非常にティピカル(典型的)に問題になっているいくつかが経済貢献に焦点が合っているので取り上げているだけである。そうした観点を是非ここに入れて、最初の書き出しに先ほどのそもそも論がある程度あって、基本はがっちりしているが、今はこうしたことに焦点を合わせてまとめたというスタンスが非常に大事ではないか。そこはぜひ一般の人にわかっていただきたいので、その点について書く必要があるかと思われる。

委員 産学官について、ここで特に議論されていることは、従来の資本主義の競争原理だけでは生みにくい知的財産や、それが生まれることによって、ゆくゆくは急成長するような技術開発をするのに、特に産学官が新しい結びつき方をしなければいけないとしていることだと思われる。大学や学会などに資金がシフトされることによって新しい芽を生むものが生まれるという意味で、例えば大学などは同じ技術開発の中でもお金も時間もかかるような基礎研究のほうにシフトして、ずっとインキュベーションしていくことによって、お金のなる木のような産業を創出していくという仕組み作りを明確にすれば、新しい産学官が見えるのではないか。また、産学官連携活動に対する評価というものを新しい視点でとらえていくことになると、この委員会で検討していくしかないと思うがいかがか。

主査 今言われたように大学の役割の一つには、非常に長期的な萌芽研究や基礎研究など、普通のところではなかなかできないことを十分やって、それを社会に移していくということがあると思われる。これは非常に重要な大学の研究の根幹である。それから、もう一つは、今度はそれを社会に移すこと、あるいは社会の要求を受けてきちんと解決する、一緒になって考えるということをどう評価するか、評価の仕方が非常に大事だという指摘であった。

委員 資料1-1を拝見すると、「1.大学の使命と産学官連携」ということで、今、社会貢献の話がいろいろ議論されていると思う。他方、産業界については、4.に産業界に期待する事項があり、対比されていると思われる。大学の課題としては1.のところが大きなことであると思われる。私は個人的には大学は社会貢献をよくしていると思うので、それはそれで全然いいと思うが、こと実務的な産学官連携に携わっている立場から言えば、大学は産学官連携についてはまだまだである。例えば、ある大学と大企業とMTA(Material Transfer Agreement、研究材料提供契約)の話をしたが、その感触ではMTAというのもいつになったらできるんだろうか、というぐらい道が遠い。日本の大学でMTAを提携しているところはまだそんなにないと思う。それを理解して締結してもらうまでに、あとどのぐらい時間をかけて説得すればいいのか。それから、まだまだ利益相反も全然浸透していないし、これからだいぶ時間もかかると思われる。そうしたことから考えていくと、大学が産学官連携を学んでいくという点においてはまだまだである。社会貢献は、大学の皆さんはすばらしくやっているが、こと産学官連携についてはまだまだである。今後、大学の課題として、この委員会の今後の検討課題として、大学が産学官連携というものを学んでいくと同時にそのノウハウを蓄積していくという具体的なアクションプランを考えなければならないと思う。社会貢献の意味はもちろんすごく大事であるが、もう一つ具体的に何をするのかという話が出てこないと、4.の産業界に期待することと対比してこない。産業界、頑張れと言って、では、大学は何をしてくれるのかという話になる。そうしたことを踏まえて、大学は何をしたらいいかということで、これは私の個人的な意見であるが、やはり大学の経営サイドを再構築する必要があるのではないか。つまり、教員の方には、ぜひ研究、教育に従前どおり全力を尽くしていただくが、それをバックアップする組織が大学に必要だということである。MBA(Master of Business Administration、経営学修士号)を持っている方が副学長として入り、その下には、企業から優秀な人材、経営感覚がある方、実務感覚がある方を入れるといった組織をぜひ作る必要があると思う。今回の大学知的財産本部いついては、いろいろと批判もあるが、組織作りという意味では一つの契機になると思う。大学知的財産本部を今後発展的に考えていただき、そこにいろいろなビジネスセンス、ビジネスセクターの方々が集まるようにして、大学にそうしたインタフェース(窓口)を作ってもらいたい。それによって、私たちが今苦労しているような産学官連携のエデュケーション(教育)がもっとスムーズにいくと思われる。そういう人材が大学にたくさんいれば、MTAは重要ですよねと言えば、そうですよ、おっしゃるとおりですと返ってくる。今のままでは、大学の先生にMTA重要ですよと言っても、MTAって何ですかから始まって、物を非独占で流すってどういう意味ですか、というふうに一から話していかなければならない。これは非常につらいし、時間がかかるし、いつまでたっても終わらない。だから、そうした組織作りに向けての具体的なアクションプランを作ってもらいたいし、それをぜひ1.の一番最後でいいと思うが、具体的事項の産学官連携を全学的視点から支えていくための条件の一つとして挙げていただきたい。

主査 今の指摘のように、今の大学は全然産学連携がまだ身についていないと言える。これについては産業界の人は皆歯がゆい思いでいらっしゃるし、そのとおりだと思う。それは1.に入れなければいけない重要な事項であり、そのために組織的な対応をしなければいけない。ただ、あらゆる大学がなかなかそうはいかないが、考えている大学もいくつかあるわけである。大学みんながそれに通じているわけではなく、それに長けたところに行けば反応があり、長けていないところへ行けば無反応であるということではどうか。ここで非常に重要なところは、そうしたことに大変熱心な大学もあれば、熱心でない大学もあり、それはしようがないということである。つまり、それは大学の選択である。したがって、きちんとやれるところに行けば結構対応できることがあることも念頭に置きながら、一方では指摘のとおりで、これはきちんとしていかなければ、全体的にまだ意識が弱い。そのためにこうした委員会をやっているのだと思う。それから、産業界に期待する事項のもう一つは、産業界はこうした大学の活動を支えなければ、損するのは産業界であるということを産業界の方に認識していただくことである。日本はダメなので、外国へ金を出せばいいということをしていたら、いずれ日本は早晩保ちませんよということを示さなければならない。

委員 私は今、大学を離れた組織でフリーハンドで動けるので、今の地域との話もあるタイムドメイン(時間割)で動ける。例えば、大学にはいろいろなリソース(資源)があって、特にパブリックドメイン(公開)で世界中にネットワークを作っている。一つの例を挙げれば、我々の大学と提携している中国の大学に行くと、そこには40人以上、当方の大学の卒業生がおり、その方々は大学の技術移転というものに対して非常に関心がある。そこに大学が組織として動こうとすると、これはなかなかいろいろな障害があるが、技術移転で一番問題なのは、お互いの信頼とランゲージバリアである。大学のブランドの使い方というのは非常に難しいが、ある意味では欧米の大学はみんなそれを一つのアクションとして行っている。こうした多様なアプローチをするときに、今の大学のマネジメントのタイムドメイン(時間割)では、なかなか決定まで時間ばかりかかって疲弊してくたびれてしまう。そうした意味での大学の管理機構全部を、教育までそんなふうにするわけではないが、タイムドメイン(時間割)が違うものをビルトインしないと動かないというのが実感である。従来の大学のマネジメント体制とは異なるタイムファンクションを持ったものを整備して、そこに丸投げをするのであれば、従来のマネジメント機構が動かないままでも現場としては結構である。

主査 私が申し上げた大学の組織対応とは窓口機能の整備である。そうしたことに特化された人のいる窓口が、それを的確にとらえていくということである。今そうした窓口がないわけである。つまり、何かまた委員会を作ってどうこうという話ではなく、その要点をうまくとらえてできる人と接触していくということである。外国においても、みんながそんなことを考えているわけではなくて、ある人は基礎研究だけをして、そんなことは知らないという人もいるわけであるが、しっかりした窓口が的確に答えられるようになっている。それを私は組織だと言っている。それを大学がオーソライズ(認可)して、何故こうしたことをするのかということに対して、みんなが了解しているということなので、委員が述べられたことと同じ意味だと私は思う。 ただ、そうした組織を持っている大学が世界の大学の中でいくつあるかといえば、そんなにない。アメリカでも、それほど充実しているわけではなく、MITやスタンフォードなど、一部言われているようなところは非常に大きな組織を持っているが、他はそうでない。

委員 最初に定義問題で議論があったのは、おそらく大学が持っている使命を産だけに集中するのはどうかということだったと思う。それは全く正しいことであるが、今、先ほどから言われている儲け主義だけでいいのかという議論も大学でごく普通に言われるが、今の日本社会では儲け主義すらできなくなったわけである。金儲けも下手になったという現実をどうするかということが問題である。したがって、大学の使命のワン・ノブ・ゼムであるということは強調して書いていいと思うが、重要であるということも書いてほしい。儲け主義をサポートするための機構を整備しようという話であるので、これも儲け主義の仕組みの中に入れないとダメである。大学の人間は、普通社会貢献でただ働きするのはごく自然なことであるが、窓口をきちんと作ったからには、きちんと報酬をもらえる仕組みにしないと、これは機能しないと思う。今までのように、大学人の集合としての大学であれば、これはみんなただ働きで結構である。しかし、それを機能化し、儲け主義のところときちんと付き合おうとするのであれば、これはきちんと報酬をもらわないとダメである。

主査 例えば1,000人いる大学の先生全員にそうしたことを理解しろと言われても、それはちょっとできない。個々に接触したら、あの人はこういうことを言っている、この人はこういうことを言っているということではなくて、あの大学の意思として窓口があって、今言われたようなことに対して万全な備えをしており、対応ができるという窓口構築を行えば、社会から望まれている大学、政府から望まれている大学になるということになるのではないかと思う。その窓口を作る、それを組織化して持つということでよろしいか。もう一つ大事なことは、産学連携というものは、ある時期たたかれることがあるということである。たたかれた経験がある人がいっぱいいるわけであり、それをどうやって守るかということが非常に大事であり、絶対にたたかせないように組織が守るということである。これがなければ安心して産学官連携をできないわけである。ある段階まで進むと急に引きずり出されて、たたかれるということが今までの経験であるので、組織になるということのもう一つの意味は、産学官連携をやる人を守るということである。単に窓口を作っていくのではなく、非常に熱心に活躍する人たちが社会から変に見られそうになったときにも、きちんと守ってあげなければならない。それが大学の使命論をはっきりするということと並んで重要なことだと思う。そのために使命論をはっきりさせておき、産学官連携とは何かということを広く掌握するということでよろしいか。

委員 産学官の連携の最近の状況を見ていると、お金をどのぐらい自由に使えるか、それから対価に関する評価はどのぐらい自由に行えるかが結構大きいポイントになっている。ここができなくてデッドロック(行き詰まり)になっているケースがたくさんある。もしこうしたことが可能であれば、独立会計みたいなものを産学官会計ということで学内に設けていただき、そこに大学の本体の会計と切り離して独立性を持たせて、産学官連携にかなり自由な形に使えるように是非していただきたい。例えば、そこにいつも年間1億円ぐらい入っており、減っていき、また翌年度に1億円に戻るといったことはできないか。その使い方については、適正な委員会がもちろん判断して、適正な特許出願に用いるとか、あるいは産学官連携活動に用いるとか、いろいろなところに自由に使えるようにする。そうしたある程度の経済的な自由性、自由度がないと、産学官連携は動かないと思われる。同時に、お金を扱う担当者が物の値段を自由に決められるようにすれば、このマウス1匹50万円だと安心して言えるようになる。財務省がどうしてもバックにあると、それはどうしたコスト計算で決定しているのかと言われるため、人件費から材料費から一生懸命積み上げて、光熱費まで入れて計算しなければならないが、この場合は計算できない。相場から見て50万だときちんと言って、その値段で取引できるような安心感が確立されなければ、なかなか産学官連携はうまくいかないと思う。できるかどうかは別として、可能であればそうした独立会計についても検討していただきたい。さらに言えば、将来的にそのエクイティーを取り扱えるようになるとすれば、ぜひこの独立会計で取り扱うようにして、大学本体と切り離して、エクイティーのリスクや資本などを取り扱う危険から大学本体を守ってもらいたい。そうしたことによって、教育と研究という、本当の大学の重要な使命が守れると思うし、望ましいのではないか。

主査 独立会計、自由に使えるお金が必要ではないかということであった。

委員 結局、日本で産学連携を始めるとして、セクター間にまたがる問題がうまくいかないのは、セクターキラー(セクターを殺してしまう存在)がないためである。株式会社-大学は明快なセクターキラーである。その際に、財務の問題、経理の問題をどうやって新しい国立大学のときにマネージするのか、出資の問題、融資の問題、補助の問題などがどのような形で組み込まれるかといった課題がある。それなのに、出資もいけない、融資もいけない、それでベンチャーを送り出せという、とんでもない話が起きているわけである。そうしたところにセクターキラーが存在しない限り、日本のシステムは動かないことが多々あるので、そうしたものについて一つ一つ突破口を作っていかなければならない。そうしない限り、美しい言葉がずっと踊り続けるのではないかという非常な危機感を持っている。

主査 今のお金の話についてはみんなそう思っていると思われる。お金、それから、セクターが破壊できるぐらいの融通性のあるメカニズムが必要であるということである。それと、そうした問題意識を持った、あるいはそうしたことができる人が大学の中に入っていき、大学人を教育するということも書いてあったが、新設の大学の経験で話させていただくと、そうした人がいたら全部変わることができた。何もしなくとも自動的に影響を受け、どんどん周りが変わっていく。人の教育があるが、有望な人を移していく、置いておくといった、自由度が大変重要ではないか。MITなどを見ていても、民間の社長が来てコーディネーターをやっていたりしており、そうした人が社会、インダストリーのことを全部知り尽くしているわけである。あるいは、そこにNPOとか、社会的な活動に長けた人がいれば、誰が協力してくれるか、すぐ探せるという意味で、既存の人を移すことも非常に重要である。これは、おそらく人材育成あるいは人材移植という問題だと思うが、端的にいえば、人を連れてくれば、周りの人が影響を受けてすぐに変わるということである。

委員 今まで人材異動がいなかったから、そうしたことができる人材がいないわけである。例えば、金融機関の経営ができる人は金融の出身者しかできない、事業会社の経営は事業会社の出身の人しかできない、大学の経営は大学の職員しかできない、特殊法人は役人の出身の人しかできないと思われる。民間会社の人が特殊法人に入ってきても大変であり、できる人がたまにいるが非常に数が少ない。したがって、これからそうした人材を作っていくことが基本だと思う。

主査 人材活用、人材異動は、法人化になれば随分アキュムレート(蓄積)されると思われる。窓口に行って、そうした人材が動くことによって、あたかも大学全体が動いているようにやれるような仕組みを作ることが重要である。

5.今後の日程

 次回は2月上旬に開催する予定とし、各委員との日程調整の上、事務局から改めて連絡することとされた。

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研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室

(研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室)