産学官連携推進委員会(第11回) 議事録

1.日時

平成13年11月15日(木曜日) 10時~12時

2.場所

文部科学省別館 大会議室

3.出席者

委員

 末松(主査)、生駒、市川、伊藤、小野田、川合、川崎、北村、清水、丹野、安井

文部科学省

 坂田審議官、加藤研究環境・産業連携課長、磯谷技術移転推進室長、柴田技術移転推進室長補佐 ほか

4.議事録

「国立大学法人」(仮称)における産学官連携の在り方について

  • 資料1に基づき事務局から説明した後、その内容に関する質疑が行われた。

その内容は以下のとおり。
 (◎・・・主査 ○・・・委員 △・・・事務局)

委員 国立大学法人は一部営利行為をやってもいいような部分があるのか。

事務局 営利行為の定義については、中間報告で教育・研究活動に密接に関係のある事業は直接やってもいいという書き方がされている。その中には自己収入を得るようなものも当然含まれると思われる。

委員 その場合、公益法人のように分けて行うのか。

事務局 そこは恐らく自己収入で区分経理ということになるのではないか。

委員 奨学寄附金や民間等との共同研究などの現行の産学連携の仕組みは、そのまま残すのか。

事務局 基本的には、そのまま並行移動される。ただ、問題としては奨学寄附金に係る税制がある。今の独立行政法人の形態であれば、損金参入の倍額という、特増並みの扱いになってしまう。奨学寄附金の全額損金参入については存続してほしい。

委員 制度はそのままであり、それを使って各大学がやりなさいということか。

事務局 そのとおりである。

主査 それでは、まず基本的な考え方を議論していただき、それから各論に移ったほうが集中した議論ができると思われる。まずは、3ページまでの基本的な考え方について意見を伺いたい。
 先生方が発言される前に、一言だけ申し上げたい。新しいことをどんどん進めていくために共同研究の推進をするということだけではなく、大学としての適正な活動によって社会あるいは学外との強い関係を進めていくために「大学としての適正な活動になっているか、あるいは研究の内容が大学の公的資金を使って行っている適正な研究であるかどうかについて大学は独自にきちんと評価をすべきである」というようなことをどこかに入れる必要があるのではないか。全体のトーンが、こうやるべし、やるべしということになっているが、そのバックグラウンド(背景)に大学はそれぞれ自己点検をやっているということがあると思われる。こうしたことを言う以上、このことに関して「自己点検の中で、是非やってほしい」といったことを書く必要があると思う。

委員 細かいことを申し上げると、2ページの上から2番目の丸のところに、「大学が自らの判断により産学官連携」とあるので「組織としての産学官連携」という言葉をどこかに入れてほしい。教官が企業等に対してコーチングをやることを大学が支援するというのが今の形態であるが、今後は、法人格、組織としてやるというところが非常に大事になってくると思われる。
 それから、その上の行に「位置付けられることが望ましい」とある。これはわざわざ入れたのだろうと思うが、「それに取り組む大学の重要な役割の一つとして位置付けられることが望ましい」というよりも、「位置付けられる」で切ったらまずいのか。議論はあったかと思われるが、「望ましい」と書く必要はないのではないか。
 それからもう一つ、3ページ目の「個人の能力云々」の下から3行目にある「大学の節度ある取組」というところをもう少し踏み込んで、「大学の公共性を考慮した明確な理念の下に」という表現を入れてはどうか。大学の公共性と産学連携との部分をクリアにするためには、「節度ある」という言葉だと解釈がややこしいので、やはり「公共性を考慮して大学が理念を出す」という部分が重要であると思う。

委員 今の指摘に関して、私もそれを一番心配していたところであり、そうした意味で3ページの下3行の文は書いてもらえたと思う。2ページの上から2つ目の丸の最後の3行にある「さらに、産学官連携活動の前提として、大学と社会との日常的なコミュニケーションを一層緊密にすることやそのための情報発信の体制」という表現は良いと思われるが、どこかに社会へのアカウンタビリティを確保するといったことを、個人の問題とは別に触れてもらえれば、主査が述べられたようなことがまとまるのではないか。

委員 2ページの上のところの文章の表現の問題であるが、一番上で「もとより「国立大学法人」における活動の中で、産学官連携活動はその一部にすぎない」と書いてあるところが少し行き過ぎではないかと思う。「すぎない」ということはわかるが、産学官連携を進めようとしている立場からはどうかと思われるので、例えば、「その一部である」としてはどうか。それから、「もとより」とあるため、つい「すぎない」という文脈になっていると思うので、文章としては「もとより」をとって、いきなり「国立大学法人の中で」と進めてもいいのではないか。また、その同じ丸の下のところで「及び大学システム全体の発展にとっても極めて有効な手段といえる」とあるが、それを「有効かつ重要」というふうに少し強調してほしい。微妙なことではあるが、文部科学省の姿勢のニュアンスにも通じるので、検討してもらいたい。

委員 この文章は今までの議論に比べると随分すっきりしており、大学としてのアイデンティティをそれぞれの大学ごとに出せるのではないかと思われる。大学というのは一つ一つが法人である以上は、教授がメンバーの社団法人だと考えればいいわけであり、そうした意味での個性ある活動を邪魔しないような組織を考えるということが大事である。私はこの総論については非常によくできていると思う。

委員 当大学全学のグループの中でこうした議論をやっていると、まず、ほかの先生方を安心させないとすごく難しい。また、ここまでできるんだという例示が出ているというのはすごく重要である。その2点が今回の文章ではしっかり確保できているので、私自身は喜んでいる次第である。

主査 あまり賛成ばかりだと議論にならないので、何か意見はないか。

委員 前回に比較すれば非常によく整理されており、しかも大学のもともとの機能である教育・研究が前面に出てきているので、大変結構だと思う。主査から水を向けられたので二つだけ申し上げる。日刊工業新聞が毎月出している「トリガー」という雑誌の最新号が、野依先生のノーベル賞を受けて、日本の世界的研究者の紹介をやっていた。10人ばかり紹介しているが、そのいずれについても、ISI(Institute for Scientific Information:アメリカにある国際的な科学情報会社)その他での、論文引用数トップの人たちである。したがって、これらの人たちは学術界で引用され、非常に高い評価を受けている人たちであるが、面白いことにいずれの方も大変よく産学連携を行っている。野依先生の例はいうまでもないが、当委員会で当初から議論されていたように、まず大学側がブレイクスルーをだせば、産業界はそれに着目して自然に一緒に仕事をするようになる。ブレイクスルーを生むことをまず行わない限り、大学を産業界の研究開発の下請けにするというトーンが出てくることになる。
 主査が冒頭で指摘された大学の使命との絡みであるが、言い方をかえれば、大学という組織体の責務相反あるいは利益相反の問題になる。この委員会では大学にいる個人の先生方の大学との責務相反とか利益相反を考慮するよう求めているが、大学が社会に負っている責務に対して、利益追求によって大学が責務相反を起こす可能性が問題としてある。それはここで議論するよりは、恐らく国立大学の法人像のほうでしっかり押さえておけばいい問題ではないかと思われる。そこで大学の責務というものをきちんと押さえてしまえば、それに反したことは本来できないこととなり、それに反しなければ何を行ってもいいということになる。このことは一段高いところで押さえる話であり、産学連携レベルだけで押さえる話ではないと思われる。

主査 私が冒頭で申し上げたのは、委員がおっしゃるように大学としての在り方がまずある上で、個々のプロジェクトの進め方によっては、その在り方に対する振れ幅が非常に大きくなるので、それを各大学が監視して、何か問題が起きれば対処するといった、あくまでもプロジェクトごとのチェックということである。

委員 大学には教育をしっかりやっている部署、研究をしっかりやっている部署、教育・研究の両方をしっかりやっている部署、産学連携をしっかりやっている部署、ことによると教育・研究から手を抜いて金儲けに必死になっている部署がある、という状況を許すのが、この報告書のトーンではないか。したがって、そうした状況の中で教員が悪いことをするという意味は何か。個人が何か詐欺をやったという次元ではなく、個人が大学に対して負っている責務と、個人が企業と一緒になって行った仕事との相反という通常の意味の利益相反とは違う話であり、大学が業務としてプロジェクトや組織という形で産学連携をやっているとき、大学との責務相反や利益相反にはならないのではないか。

主査 一般的な議論として今までは、社会の人たちと一緒になって共同研究を行っている際は利益相反の問題は提起されていなかったので、当分は望ましい方向に進めていくことになると思う。しかし、だんだん産学連携が爛熟してくると、世界の常識から見て耐えられないことが各研究プロジェクトごとに起こりはしないかチェックしておく機能が必要ではないかという懸念がある。

委員 端的に言うと、一研究室が一企業の研究室になってよろしいかという、非常に具体的な問題が解けていないということである。昨日も新聞記者から、それは良いことなのか悪いことなのかというインタビューを受けた。もっと具体的に言えば、例えば編み物の自動化の機械を作りたいということで共同研究を行い、ある企業からその成果が商品として出るということは良いのか悪いのか、その企業がうまくいくことによりほかの機械をつくっていたところをみんな食ってしまってもよいのか、という問いかけであった。これは社会的なコンセンサスの問題であり、この問題の解決にはジャーナリストの方がすごく重要な役割を果たすと思われる。この問題はあるところまで産学連携が進めば避けて通れない。そこをどうするのかということを別個にちゃんと検討しておかないと、やったのはいいけれどけしからんという話になり、逆行するのではないか。

委員 こうした議論の中に私自身が入っているため、ほかの委員の皆さんともほぼ感覚が近いが、世の中一般から見ると、そうしたところが気になるのではないかという懸念がある。
 マスコミはかつてから、何か営利に近いようなことが大学であると、これはけしからんというような論調で随分やってきていた。将来を見越して国が経済活動の強化のためなどに大学の知恵を生かすことは重要だというような意識が世の中に、特にジャーナリストに対して、果して今の段階でそれほど浸透しているかというと、必ずしもそうとは言えない。そこで、この報告書にもいろいろ出てきているように、明確なルールを作って、そのルールに照らして、それにのっとっていれば、ジャーナリストとしてはいいのではないかといった見方が出てくるのではないか。また、個別事項において社会常識の判断に任せるだけではなく、この程度ならいいのではないかという内部のフィルターみたいなものがあったほうがいいのではないか。例えば、かつては大学関係の人が企業から研究費をもらうことが事件になるようなこともあったが、それは、研究費を私的なところに流用してしまったりすることがあったためである。そうした外部からのお金の流入を認めるとして、内部に何らかの審査機関があったほうがいいというところまで、この報告書が言及すべきかどうかということも、また別の問題としてあるのではないか。ルールの整備と内部でのチェックにより、「いわれなき批判」から、大学はある程度守られると思われる。

委員 産学連携のスペシャリストの会議であるAUTMというアメリカの会議があるが、ここへ行くと、今の話が一番大きな問題である。スポンサードリサーチ(外部資金による研究)をどこまで踏み込んで行っていいのか、この報告書ではとても書けないような具体例についてかなり厳格な議論をやっている。その会議では、そうした個々の事例を積み込むことにより、ある程度の利益相反や責務相反のガイドラインを作っている。ただ、教師、管理者といえども、みんなかなり利益追求を前面に出して行っているので、その辺のルールについては非常に厳格な議論をやっている。国内でもTLO協議会というところで、そうした共通の知識を蓄えようという動きも出てきている。これらの問題を解決するためには相当場数を踏んでいかないといけないという意味で、文章の中に先ほどの指摘を匂わせているように感じる。

委員 大学において教育をやり過ぎて叱られることはないし、研究をやり過ぎて叱られることはない。ところが、産学連携というものは、やり方にもよるだろうが、やり過ぎると叱られるという事実がある。そうであれば、産学連携は教育・研究と並ぶ事項ではなく、少なくとも同質に議論できるものではない。論理的に言えば、少なくともあるところでやめなければならないという性質のものである。問題が、産学連携についてのエシックス(行動規範)を作りましょうという話であるとすれば、そのことは基本的考え方の中に入れて、後ろでそれを受けて、今後努力しようという話になるのだろうと思われる。あえていうならば、「責務相反、利益相反」というような簡単な言葉ではなく、基本的にそのことをきちんとまとめて書いたほうがいいのではないか。

委員 利益相反については、たしか前の会議でも例として、利益相反するようなことを個人で決めてしまう点に問題があるので、むしろ、それを委員会なり組織によって事実を明らかにすることが重要であるという認識がスタンフォードにはあるという話があった。これは一般的な制度や風習とも関係してくるので、そうした形で判断すれば、よりフェアになるということだったと思う。表現として、このようなことを少しでも書いてくれれば、今、議論したことが反映されるのではないか。

委員 どこかが、トータル(全体)にアクセプタブル(受け入れられる)なグランドルールみたいなものを作り、その下の細則については大学が作るという形をとる以外にないと思われる。お金の授受といった非常に生々しいエシックス(行動規範)に加えて、大学の公共性とディスクロージャー(公開)の問題と、営利企業とのコンタクト(交渉)の問題に対しての大きなコンセンサス(合意)をどこかで作らなければ、大学の先生方は非常に動きにくい。先ほどの委員から指摘があった問題は、まさに重要な問題である。社会貢献と産学連携を、教学という教育・研究から切り離した大学の使命として別個に置いたほうがクリア(明確)になるのではないか。要するに、最近、大学の使命として「研究・教育・社会貢献」が言われているが、産学連携を教学のほうではなく、社会貢献の中に入れてしまえば、自ずとルールが違ってくるので、その点における思想についてどこか高いレベルで議論する必要があると思う。

委員 今の委員のお話は、もう一つの悪しき日本の戦後の社会論の縮図みたいな領域だと思われる。私は大学の公共性というのは、大学の社会との関連は機会としては誰にでも広く平等に与えられていることだと思う。その中からある特定のところと結びつくというのは結果であり、もし結果平等を狙うのであれば、それはあり得ない産学協働ではないか。はっきり言えば、A大学のA先生の教室がどこか特定の企業とぴったりくっついて産学協働をしていても、その先生がその企業だけに対してしか情報を流さないのでない限り、このシステムにおいて何らおかしいことではないのではないか。もしも結果平等を問うのであれば、少しでも公のお金が入ったものについては、みんなにまくという話になってしまい、そのお金の趣旨が違ってくるのではないかという気がする。

主査 この問題はこれ以上続けると収束がつかなくなると思われる。ただ、いろいろな意見が出てくるのは、大学で実際に産学連携を行った人たちが、かなり頭を叩かれてきているので、また叩かれるのではないかという心配があるからだと思う。今は、頭が叩かれない時代への移行期だと思われるので、現時点でどのような表現にすればいいかは事務局にお願いしたい。ここが大事な問題の一つであることを、よく認識させていただいた。
 それでは、次に各論に入りたい。まず、組織業務について、資料の4ページから8ページまでを議論していいただきたい。

委員 6ページの「出資の可能性」についてであるが、結果がうまくいっているときは、このとおりでいいと思うが、不幸にして日本では、こうした研究結果なり技術の特許なりに対して先取りして投資を行ったものがうまく回転していくことはあまりない。千に三つぐらいのケースしかない。もし出資の可能性を書くのであれば、不良債権を抱え込むほうが圧倒的に多いという危険性に配慮した、出資に当たっての審査メカニズムを付け加えておく必要がある。あまり例はよくないが、10年で駄目になった基盤技術研究促進センターの 3,700億ぐらいの負債が各大学ごとに出るようになった場合、どういうふうにエクスキューズ(弁明)するのか、公的資金であるだけに難しいのではないかという不安がある。せめて審査のメカニズムを学内で作るか、学外と協力して作るかといったことが必要ではないか。

主査 出資というのは恐らく大学として初めての経験であるが、外部にはそうしたことについていろいろな経験があるので、それを踏まえた審査のメカニズムを考えてほしいということであると思われる。

委員 今の委員の指摘のとおりだと思う。やはりスタンフォード大学などの場合も、大学が出資できるようになっており、もちろん最終的には学長が決めることになるが、審査委員会みたいな専門機関で議論を経て行っている。大学自らがこうした分野に対して必ずしもノウハウがあるわけではないので、その点については外部の専門家の意見を聞いてきちんと行う必要がある。やはり大学が出資を行う場合には、報告書にも書いてあるが、いろいろな枠をしっかり決めた上で、その範囲の中で行ったり、民間のキャピタリスト等とも連携をしながら行っていけば、出資が野放図に拡大することもなく、一定の歯どめがかかるのではないか。
 次に、7ページ目の「専門的人材の育成・採用」のところであるが、下から3行目に「新たに外部の目利き人材を中小企業は採用できるような措置」と書いてある。「目利きの人材」の定義についてであるが、「目利き」というのは、投資をするような場合に、どういう可能性があるか、事業の将来性などを判断するような方のことだと思うが、そうした人材は中小企業の中に自ら入り込むよりも、外部にいるイメージが一般的ではないか。この表現は少しわかりにくい。
 あと一点、次の8ページ目の7.のところで、国立大学法人の営利活動は教育・研究に密接なものに限定する、という考えがあるので、こうした書き方になると思われるが、「産学官連携活動推進のために各機関において教育・研究上、有意義と認められる場合には」というただし書がついている。実際には、教育・研究と必ずしもそれほど密接に関係しない部分についても、最先端のいろいろな機器などの活用や計測の受託などの産業界側からの要望があり得るのではないか。そうした意味で、ここの各種事業の展開のところについては、もう少し弾力的な表現が望ましいと思う。

委員 今の「目利き」についての質問には少し誤解があるかと思われる。これは私がお願いしたことであったが、この「目利き」というのは、その中小企業の中の技術を理解し、その問題点を把握し、場合によってはエンジニアリングサイエンス(機械工学)に翻訳ができ、中小企業が抱えている難問なり課題を解決する能力がある大学、ラボ、先生を探してあげる役目のことである。私がなぜこれを提案したかといえば、そういう人材を、今、大学サイドが持とうとしているが、その大学サイドが相手にするカスタマー(顧客)の数は何人いるかといえば、数十万になる。特に中小企業の数は膨大であり、それに対して大学サイドが手を差し伸べるということは困難である。また情報を開示しても、その情報を理解する、翻訳する力がない中小企業というのは日本にたくさんある。むしろ中小企業のほうからアクセスする能力、知的能力を持たせれば、相手となる大学はたった百ぐらいしかいないことになる。私はそうした産業人の考え方に立って、そうしたところをサポートしてあげれば、意外といい結果が見つかるのではないかということで提案した。ここの大事な点は、その企業の中の最高秘密に触れるだけの制約下に、その人が入るということである。ある意味でテンポラリー(一時的)に社員になる。秘密保持の責任を持たせた上で、国等のサポートで比較的安い経費で中小企業はその人を2年間なら2年間採用して助けてもらうといった制度は、やりようによってはうまく機能するのではないかと思われる。

委員 今の委員から説明があったようなことであれば、賛成である。

主査 「目利き人材」という表現が多様に使われると、ただいまのような、いろいろ誤解が起こるかもしれないので、「目利き人材」という表現をやめたほうがよいのではないか。そこに注をつけるか、あるいは別の文章にしていただくよう事務局には配慮してもらいたい。

委員 6ページの「4出資の可能性」のところについて、我々のセンターのリエゾン担当の先生方と議論をしているが、意見が二つに分かれてしまう。まず一つは、文部科学省からこうしたことを言う必要はなく、経済産業省側あるいは産業界側からの提案、提言でもいいのではないかという意見があった。それはなぜかというと、既にアメリカで出資で失敗した有名な大学の例があったからである。アメリカの場合、こうした未公開のものに対して出資できる人は一般投資家ではなく、1億ドル以上の資産を持つといった、ある程度の資格を持っている人でなければならないことになっているが、日本にはそうした制度がない。国立大学が投資しているということを信用して、一般の投資家が安心してお金を出して、そのベンチャーがつぶれてしまった場合、大学あるいは文部科学省にクレームがつくおそれがあるので、そうしたことを積極的にやるべきではないという意見である。そして、もう一つの意見は、これからの問題はあらゆるものに道を閉ざすような書き方はすべきではなく、それぞれのTLOが独自の動きをするために穴をあけてほしいということであった。私の考えとしては、ここはなるべく弱いトーンで表現していただきたい。こうしたことが将来できることを検討したいというふうに、今すぐこれを各大学でしたほうがいいというトーンにはせず、やりたい大学は責任を持って行うというトーンにしていただきたい。

委員 「4出資の可能性」の最初の黒ポツについて、例えば国立大学がTLO事業を行おうとしても、その大部分は特許出願やそのメンテ(保持)であるが、多分できないと思われる。現在は、TLO事業を財団法人や株式会社で行っているが、TLOの業務のみを独立して財政基盤なしにやるということは、ほとんど不可能である。かなりタイムスパンが違うが、各TLOは工夫しながら、リエゾン活動とドッキングさせたりしながら財政基盤を作って行っている。元来、研究の一部を権利化するということは、研究の一部として大学から財政的な補助がなければ、アメリカにおいてもまずできない。そうした意味からいえば、大学本体がTLO業務に委託費その他の形で財政基盤をある程度援助しなければ、幾ら民間的な発想でなるべくバランスをとろうとしても、原理的に非常に難しいところについてはバックアップすべきだということになる。この最初の黒ポツは非常に重要な要素と考えられる。

委員 個人的な意見としては、大学がベンチャーを育成するという意味で出資することについては反対であり、また、それはあり得ない。これはまさにキーテクノロジーセンターのような発想であり、すごく昔の発想である。大学の使命というのはベンチャー育成ではなく、ベンチャーが出るような技術を出すことが使命であるので、その点をきちんと切っておく必要がある。ただし、大学が法人としての経営的な観点で、ベンチャーに出資して金が儲かる、要するに、ベンチャーに限らず他社の株式を取得して運用していいというルールの中で考えれば、これはあってもいいと思う。この点について「検討する」という表現はいいが、このトーンには個人的な意見では反対である。
 それから一つ質問があるが、その上のところに書いてある「ストックオプション等を管理できる」の「管理できる」というのは、ストックオプションをどうすることを具体的にイメージしているのか。

事務局 「管理」という言葉がきつかったかもしれないが、「保持」「保有」できるという意味である。

委員 ベンチャーから大学へのストックオプションというのは、どういうイメージなのか。

事務局 TLOを内部に置くなり外部に置くなり、両方のパターンがあるが、TLOがライセンシングして、ロイヤリティ収入をもらうことは今までのパターンであるが、それ以外に現金ではなく、ストックオプションなどの形で支払ってもらうということを想定している。

委員 ストックオプションを法人が持つというのは、あまり聞いたことがない。機関が持つストックオプションというのがあるのか。アメリカの場合には個人がストックオプションを持つことになっている。自社のエンプロイ(従業員)に対して、「おまえ、これを上げるよ」とストックオプションの権利をあげることはあるが、機関がもらうというのはイメージできない。

委員 アメリカの大学の場合、いわゆるベンチャー企業が初期段階ではキャッシュがないため、例えば大学のいろいろな設備なんかを利用させてもらうときに、対価を支払う際に、いわゆる株で払うことがある。その株で払うことの一つの変形として、ストックオプションを組織に持たせるというケースがあり得ると思われる。現に、財団型のTLOの場合でも、こうしたニーズが実際にあり、現在は財団でストックオプションが持てないので、そこが難しい問題になっているのではないか。

事務局 先ほどの委員から指摘のあった「ストックオプション」という言葉がいいかどうかについては精査させていただく。いずれにせよ、ロイヤリティ収入以外のエクイティーで対価をもらう方法が必要だという話があるので、その辺は言葉を整理した上で書かせていただきたい。三つ目の黒ポツのところをどうするかについては、もう少し委員の先生方に方向性を決めていただければ、まとまった表現に整理できると思われる。日本においてはベンチャーが自ら資金を集めることや設立することが難しい状況にあり、大学としても何らかの形でそれを助けることが必要ではないかという発言が委員からあったので、三つ目の黒ポツに一応「検討する」という言葉ではあるが、例示として挙げさせていただいている。そもそもそうしたことが好ましくないということであれば、もっとトーンダウンした書き方が必要かと思われる。その辺の方向性について是非委員の先生方の考えをお聞きしたい。

委員 大学の運営費交付金の中から、こうした話をするのであれば、私は大反対である。ただ、例のtotoのように別ファンドで文科省の中に用意しておくというような方法が十分あり得ると思われる。韓国のカイストという工業技術院に相当するところに、ベンチャーを育成するためのKTB(コリアン・テクノロジー・バンク)という組織がある。そこは、最初の設立3年間は全額公的資金で運営されていたが、現在は、活動費の半分を宝くじのお金でもらえるようになっており、残り半分を財政投融資という国に対する借金で賄っている。何かそうしたメカニズムを考えた上で出資を行わないと、大学に入るべき経費の中で研究費に行くのか、出資に行くのかという話になり、仮に出資が成功するとしても、公的資金の運用として矛盾するような結果になるのではないか。

委員 出資という形がいいのか。アメリカにおいては、スモール・アンド・ア・ミディアムサイズン・アット・プリニューといった、研究費みたいなものを補助金として渡し、その資金で何年か育成して、ひとり立ちさせていくというプロセスになっている。日本でも出資はせずに、資金をあげた上で、各自で増やしなさいというふうにしたほうがいいのではないか。

委員 出資というのは、6ページの一番下に「当該ベンチャー企業の設立を支援」と書いてあるように、企業が立ち上がった後、赤字になって困ったから、また追加でお金を出すという趣旨のものについてはやるべきではないと思う。立ち上がりの時点では、なかなかお金が出ないので、そうした状況において出資を決めるという点が一つある。成果の還元という意味で、将来、法人格になったときに大学が持つ特許を、例えばベンチャー企業に完全に譲渡してしまうケースもあり得る。その場合、その権利が将来大きく花を開いたときに、エクイティーという形で大学が持っていれば、成果が大学に還元されることになる。還元のルールとして、補助金という形で出してしまえば、あとは企業の利益として将来的には国に対して税金の形で入ってくるが、大学に対する直接的な還元方策という意味ではエクイティーを持つということが非常に有効ではないかと思われるので是非お願いしたい。ただ、この点については、いろいろと議論があるので、先ほど委員から指摘があったように、かなり緩やかな表現というか、あまり刺激的でない表現でお願いしたい。

委員 大学がエクイティーとして持つ必要はないと思う。これは大学の使命とは違う。エクイティーなど変なことをやるよりは、別のところからの補助金など、例えば、投資開発銀行のものや、技術の手前の段階で科学技術振興事業団が行っているもので行うべきである。私の個人的な意見であるが、大学がこれをやるべきではないと思う。

主査 今の委員の指摘は、大学ではなく、出資バンク、あるいは別の団体がやるのなら構わないだろうが、大学自体には、あまりそぐわないのではないかということであった。

委員 ベンチャーのような形で法的に、金融機関がそうした出資を行う制度もあるが、その場合、一番の問題は、元の大学に直接に還元されるかどうかということである。大学の中に自らTLOを抱えるような場合に、TLO自体が成果の還元のための手段を取り得るとすれば、結果的に大学が株を持つことになるのではないかと思われる。

委員 大学はロイヤリティまではもらっていいと思う。しかし、ベンチャーにファンドして金を儲けるということは大学がやるべきではないと思う。

主査 ここにある「検討して」という表現ではどうか。

委員 「検討する」という文章は特に問題ない。その前にある、「ベンチャーを支援する」という言葉は、ベンチャーをやっている方から見れば、こんなもの、とんでもないという意見になる。

委員 この三つ目の黒ポツだけが、ほかの書き方に比べて、具体的にかなり細かく書かれている。もっと柔らかい形の表現にしてはどうか。それから先ほど少し述べられた大学への還元というのは、スタンフォードの例であるが、基本的なお金がどうだとかいうのではなくて、概念でのアグリーメント(契約)を結んでいる。今でもスタンフォードからスピンオフする会社は、そのアグリーメントを基にしている。その内容は非常に簡単なものであり、スタンフォードの教育・研究に、「おれたちは、その後うまくいったら助けるよ」という概念だけしかなく、いくらだという話は全然ない。我々のほうでは今、ほかの例について調べており、そうした例を日本でも作りたいと思っている。逆に、もしそうした例について、ほかの大学の例について知っている方がいれば教えていただき参考にしたい。もっと簡単に検討する内容だけにしてはどうか。

委員 その意味では、逆に寄附行為を促進させるような書き方がいいのではないか。昔は安田講堂のようにそうした例があったみたいだが、今はできると言われていても、非常に少ない。

主査 日本の寄附行為に関する税制制度は、実は戦時立法であり、昭和17年ぐらいにできたものである。個人所得の4分の1まではいいが、それ以上出したら税金をかけるなどの規制がある。委員の方からたまたま税制の問題が出てきたので、述べさせていただくが、寄附行為は大変難しい税制であるので、是非考えてほしい。知的財産については最近よく言われるようになったが、その基盤となっているところがネックになっている。当委員会で検討することではないと思われるが、どこかで声を高くして、そのことについても文部科学省のほうから是非言っていただきたい。ただ、今、述べられたように、精神風土として、もし会社が成功したら、大学を助けて次の行為に走れるようにしておくべきだといったことは是非どこかに書いてもらう必要がある。この点については、事務局のほうでお願いしたい。ほかに何か事務局のほうから、委員の先生方に議論していただかないと書きにくいと言う点はないか。

事務局 ポイントと思われるのは、今議論があったところと、大学における意志決定の在り方のところと、人事のところかと考えている。

主査 それでは、次の8ページの「人事」から、一番最後の10ページまでの間について議論していただきたい。

委員 10ページに「法人有・管理の特許等については出願等の費用を研究費から支出できるようにすべきである」と書いてあるが、このようにすると、なるべく特許を持たないようにしましょうということになってしまう。資金を研究に使いたいというインセンティブのほうがはるかに強いので、特許等のために研究費が削られるという意識になる。こうした費用を別途経費として手当しておく必要があるとしたほうがいいのではないか。
 それからもう一つは、いわゆる大学有についてであるが、月1回や年数回の発明委員会を開いて大学として出願するかしないかどうかを決める現行のルールを続ける限りは意味がないと思われる。むしろ個人が取ろうとしたときに、出願後から、大学としてそれをマネージする仕組みを設け、出願することと維持管理、特許紛争への対応といった機能とを分けないといけないのではないか。出願から全部大学で行うとすると、過去の例では国立大学の年間出願が30件ぐらいしかないといったケースがある一方、個人の出願については年間300件という数が出ているので、出願から全部大学で行うよりも、どの段階が大学のマネジメントに入るかどうかという区分が必要だと思われる。

委員 2)人事の4で「非公務員型への移行の可能性を含めて云々」と書かれてあるが、一つの大学が丸ごと公務員型になるとか、丸ごと非公務員型になるとすると、なかなか物事はスムーズに動かない。産学連携に非常に熱心な部局もあれば、それ以外の大学の任務に熱心な部局もある。そうした熱心でない部局の中には、いわゆる公務員型のよさを希望して、裏返していえば、公務員型の不便さを甘んじて受けようという人たちがいてもおかしくはない。したがって、4の書き方にしてしまうと大学ごとに選択するという感じになるが、大学の中で選択できるという形にすれば大したことはないのではないか。大学の中の部局別に研究が濃いところ、教育が濃いところ、産学連携が濃いところというように、任務の特色を受けて部局単位レベルでもって公務員型とか非公務員型が選べるような形にしておいたほうが呑みやすいのではないか。

主査 非公務員型は産学連携の面から見れば望ましいけれども、大学全部をそうしてしまっていいのかという大変奥深い、先のことを考えた意見である。公務員という身分を離れた場合、国の支援があり得るのかというところまで踏み込んだ意見と思われるので、個人ベースあるいは部局別でということも考えて表現しておいたほうがよいのではないか。

事務局 その点は、検討会議でもいろいろ議論はされている。同じ組織の中で、任命権者が同じで、公務員、非公務員というふうに分けることが現実に可能かどうかというのは極めて難しい問題である。当委員会で詳細に専門家を呼んで、そこまで議論をしていないので、具体例として書くのは難しいと思われる。「移行の可能性を含めて」という言葉のかわりに、例えば「視野に入れて」のような、いろいろな言葉の選択はあると思われる。

委員 昨年の文部省の調査研究協力者会議において、大学の特許は基本的に組織有にするという方向が打ち出されている。ところが、大学に実際にいる立場からいうと、組織有にするには壁がいろいろとあり、一番大きい壁はお金の問題、それから人の問題であり、とてもすぐには移行できない。したがって、方向は組織有であるが、そこまでの間にどうやってうまくテイクオフしていくかということを含めて、選択肢を狭めないような書き方を検討してほしい。
 また、今は、大学には多くの特許を出す費用がないから、あるいは出す手立てがないから、一般の会社にお願いして会社と共有にしてもらっており、そこから共有特許のいろいろな問題が生じて、発明が死んでいくきっかけになっている。なるべく単独有の権利にしておかないと、その後の活用が難しくなるということが、TLOやJSTなど技術移転活動をしているところの考えだと思われる。ここで特許の出願費用をお願いしてあるのは、明らかに法人有・管理の特許についてである。法人有については大学あるいは認定TLOになると思われるが、当面の間は承認TLOが持ち、今のTLOのルールで行うということでお願いできないか。
 特許が完全にTLO、あるいは将来は大学機関有になるという過渡期の方向性を出してほしい。そうすると、発明委員会にはもちろんかけるが、実際、発明委員会は追認もできるようになっているので、タイムリーに必要な場合に国際特許までは出せる。ところが、今、国際特許を出そうとすると、一度特許庁の予備審査があり、それにまた何カ月かかかってしまう。そのタイミングの問題も、研究者個人の裁断で行う。研究費による維持費が切れた場合は、TLOの所有となり、その段階で更に維持するかどうかはTLOが決めるなど具体的なことはこれから考えればいいと思われる。研究が続く間は、まず研究者が持つことを許してもらえるようにするというのが、ここの真意と思われる。

委員 文章として、もしそうであるならば、「出願等の費用を研究費の積算に含めて」というような書き方にしないと、配分された研究費の中から出すというふうに解されてしまうのではないか。

主査 ただ、研究費をもらう段階では特許が出るか出ないかはわからないので、もし、今の委員から指摘があったことを実行に移すのであれば、むしろいつでも費用を出せるようにしておいたほうが特許の出願が多くなると思われる。以前、私立大学にいたときに、全部大学の特許にするために、全部契約書を書かせたことがある。そうしなければ、どんどん企業の特許になってしまうからであった。自分で出すのが面倒くさいということとお金がないということにより結局は大学からは出なくなり、企業の特許になってしまう。それを妨げるには、大学から出願するのを原則にしておくと、みんな出すようになる。ただし、大学が認めて企業から出したほうがいいということになれば、それは企業が出すというようなふうにでもしなければ、歯どめが効かなくなってしまう。また、大学に特許を出願するための資金がなく、その発明を適当に処理しろと言われたときに、その研究を持っている人が自分の研究費から出してもいいから、大学の特許にしてくれということはあり得るので、そういう注をつけて、可能性として残しておくというような表現を考えてほしい。また、論文の投稿料については、別刷りを買って、それを配布するということによって代金をもらっている。論文の投稿料にはお金が出せて、特許という国家が認める発明文書について出せないのはおかしいのではないかということが、先ほどの委員の発言の趣旨だと思われる。

委員 出願料については国立大学であればただであるので、問題は弁理士費用である。

主査 そこが一番の問題であり、それでみんなあきらめてしまう。研究費がそこへ投入できればよいと思われる。

委員 ここはTLOの死活問題であるので、少し主張させていただく。4)は非常に重要なところである。TLOのほうでは、知的所有権の買い手である企業との対峙を、もう2年間やっている。その際、一元管理されていない特許については、企業はほとんど相手にしない。したがって、一元管理については早急に進めていく方向にしたいと書いてほしい。また、4)の2番目の黒ポツのところに、「日本版バイ・ドール条項」とあるが、企業はそれが実現するまで待とうとしているのが現状である。いろいろ難しい問題があり、すぐには全部一元管理できないというのは事実であるが、とにかく先に引き伸ばせば伸ばすほど、この話はますます遅れてしまうことになる。できれば、ここに昨年の協力者会議で合意があったように、「一元管理ができるような方向に推進する」といった文言を入れてほしい。ちなみに、当大学の例だけであるが、昨年度の発明委員会に出てきた件数は280件であったが、3年前は30件しかなかった。きちんとケアするところがあって、合理的に行っていけば、このように、大学の先生方も発明の届出に対して積極的になると思われる。

委員 8ページの上のほうに「サバティカル制度」とあるが、具体的なイメージを教えてほしい。

事務局 例えば数年に一度、半年か1年の長期にわたって給料をもらわないで、いろいろなところに出かけていって活動できるといった趣旨で書いたものである。

委員 義務として7、8年に1回は給料をあげない、若しくは給料の一部しかあげれない、その間も教育をすれば給料をあげるとか、何をイメージしてサバティカル制度といっているのか。もしサバティカル制度で無給と義務づけた場合、日本の大学はどうなるのか想像してみると、7年に1回は給料をあげないという制度では、大学の先生は大変困ることになる。

委員 この点について人事院での経験を少し述べたい。人事院に対しても、サバティカル制度を導入するようにという強い要求が国立大学及び国立試験研究機関からあった。ところが、よく調べてみると、実態としては、先生方や試験研究機関の研究者も外部に研究に行っている事例がある。学科会議などで相談して、「1年間どこかへ行ってもいいよ。その間の教育の義務は、ほかの連中が分担するから」ということで、事実上、サバティカルが有給で動いている。そうした実態があるにもかかわらず、なぜ、サバティカルを要求するかというと、そうした職場の了解をとるのではなしに、反逆してでも権利としてサバティカルをやりたいという要望が根幹にあるからである。したがって、その辺の事情をここでどう受けとめるかということが問題である。

委員 この制度をどう読むかですごく対応が違ってくると思われる。8年に1回、給料を半分にするという制度にすれば、これは物すごいショックとなり、いいものになるかと思うが、今の委員の意見であれば全然逆になるので、ここはディファイン(定義)したほうがいい。

主査 先ほどの委員の指摘のとおり、実際には行われているわけである。ただ、多少は心臓が強い人、あるいはそうしたチャンスに恵まれた人にしか行われていない。「あなた、こういう権利がそろそろありますよ。行ってもいいですよ」といったような、行くことが義務でなく、無給ということはなしでそうしたことをやってもいいと言われると大変安心して行ける人も出てくるのではないかという多様性を導入する趣旨でよろしいのではないか。

委員 今ここで取り上げているのは、このサバティカル期間に企業に行くということであり、先ほどの委員の話は、そうしたケースのことではなかったのではないか。外国留学的な性格、アカデミアの世界の中で右へ行ったり左へ行ったりの話ではないか。ここでサポートしたい、あるいは積極的に何かそういう希望があればかなえたいというのは、移動することによって産学連携を行うというアクションではないか。

主査 例えばアメリカの場合、なぜベル研へ行くのかというと、そこはノーベル賞の人もいっぱい出ているし、ある研究機関と同等であるので、といった理由がある。ここで述べているのは、本人のチョイス(選択肢)でいろいろなところへ行けるようにするということが含まれているのではないか。

事務局 言葉の選び方にあいまいなところがあったので、そこは整理したい。「長期ベンチャー休業」というのは、ベンチャーに携わるために、当然これは無給になるであろうが、休職して行けるようにするなど選択肢を広げるという趣旨で整理している。

委員 例えば、東芝に1年間行って研究をやってきますよといったことを奨励する制度であれば、有効だと思う。日本の中でよその企業に1年行って、何か仕事をして戻ってくるということはすごくいいことである。ただ、現行の制度ではそれができないのではないか。

委員 現行の制度では、大学教官等が営利企業の職員として兼業するときに許可するシステムと、大学教官等が営利企業の役員兼業をするときに承認するシステムの二つがあり、それぞれ別の扱いになっている。企業の役員を兼業するために休職する制度が既にできており、当委員会の古川委員も利用している。役員以外の兼業は総務省の管轄であり、具体的な事情は把握していない。
 いわゆるサバティカルの本来の意味は別として、研究機関の間での移動は欧米では常識であるので、産学連携のための休職の制度を改善・検討する必要があるという程度の話であればよろしいのではないか。

事務局 今、委員が指摘したように研究成果活用型企業の役員兼業での休職は、古川委員が第1号である。ただ、広範囲でいう、職員として従業するという意味での兼業休職制度はなく、その辺を念頭に置いてここに表現している。

委員 自分の技術を持っていくということではなくて、ベンチャーであればいいのか。

事務局 ベンチャーに関係なく、自らの研究成果を活用している企業の役員に専念するために休職することができる。

委員 役員以外の兼業の休職はできるのか。

事務局 普通の従業員はできない。

委員 そこが一見アンバランスである。

委員 そこは管轄の違いであり、役員に関しては人事院が責任を持つ形で休職できる制度を設けている。

主査 ここの趣旨は、二つあると思われる。一つは、産学連携のための休職の制度を考えるべきであるということであり、もう一つは、例えば5年だったら4カ月とか、7年目だったら半年ないしは1年という期間に、給料を半分出す若しくは無給でという条件でフレキシブルに休職できる制度を作ったほうがいいということではないかと思う。2番目の制度により、企業に行く人が多くなり、社会との連携を密にするチャンスが有機的に与えられて、産学連携にとっても非常にいいことになるのではないかと思う。

委員 「サバティカル」という言葉は既にルールが決まっている言葉であるので、それをここに当てはめるのは具合が悪いと思われる。
 それから、是非入れてほしいのは、「ベンチャー休業」については、先ほどの休職制度があるのはわかっているが、産業界に行くには障害がいろいろとある。大学の研究所や、国立の研究所に大学の人が行くのは簡単であるが、民間に行く場合は手続が大変である。そこの民間と民間でないところの壁というのを、これから少しずつ、できれば取り除いていけるような書き方にしたほうがいい。一般的な学術上のサバティカルはここで議論する話ではない。また、産学連携のためにプラスになるという意味で、産業界に産業を興すためのマネジメントを勉強しに行くということも、文系の人たちから要望があると思われる。技術のためだけでないというところを入れてほしい。

委員 念のために申し上げておきたいが、公務員型を基本として、その上でこうした穴をあけていくという方向性が、果たして世の中の理解を得られるかどうか疑問がある。公務員については、少なくとも行政を行うために必要ないろいろな条件を満たすべく国家公務員法が設けられており、今後状況によっては改正されていくが、その中には身分保障的なものもある。そうした特別な保護を受けながら、なおかつ、こういうことをやりたい、ああいうことをやりたい、できるようにしなさいという形で穴をあけていく姿がいい姿といえるのか。
 したがって、私が先ほど申し上げたのは、こういうことをおやりになりたい方は、どうぞ非公務員型になって御自由にやってください、こんなことはできなくてもいいから安心したいという方は公務員型のままでいい、とすべきであるということである。そこのところをはっきり仕分けておかないと、結局、法と運用とがだんだん乖離していく。乖離したところにいろいろと付加的な絆創膏を張っていく形になり、絆創膏を張り過ぎると堅くなってしまう。ここはすっきりした書き方にしたほうがいいのではないか。

委員 これはあくまでも国家公務員型であれば、こういう抜け穴を作らなければ、ここに書かれた産学交流はできないという意味ではないか。サバティカルの例かどうかはわからないが、無給で6か月なら6か月間は徹底的に企業へ行く代わりに、その企業から3倍ぐらい給料をもらえばいい。しかし、その際に大学側はこの先生に払うべきミニマムの給料は幾らぐらいか示す必要があると思う。今、もし、可能であれば、自由な私人として行動ができる、あるいは大学内のルールだけで行動できるような自由を持たせるほうがスマートではないか。それは、対象となる学校が公なのか私なのかという問題とも関連してくる。突き詰めていくと、私立であれば、ある特定の企業にぴったりくっついた大学であっても少しもおかしくはないという論理も成り立つと思われる。ただ、人のことについていえば、非公務員型がいいと思う。

委員 全体的に国際的な産学協働の観点が抜けている。今はどうかは知らないが、以前は外国から直接お金をもらって研究することが制度的にできなかったので、日本の法人を通じて円建てで行うとか、あるいは一度個人的にもらって大学に寄附する形で行っていた。国際的な産学共同研究を制限するような仕組みはもう取り払う時期ではないか。

主査 国際化時代であるので、「国際連携の上でのこういう進み方を非常に幅広く行うべきだ」あるいは「その障害を取り除くべきだ」といった文言を考えていただきたい。

委員 投資の点などが少し怖いと感じるが、それは可能性として示されていると理解しているので、例示として評価している。
 また、「サバティカル」も、確かに言葉としてはまずいのかもしれないが、非公務員型に行くべしと言い切るのは少し厳しすぎるのではないかと思われる。できるならば、やはり穴をあけるというタイプも併記されていたほうがありがたい。産学連携を進めることをほかの先生方に対して、いかに説得するかという観点から、ずっと見させてもらっていたが、その意味では適切なバランスになっていると思う。

主査 大学の研究というのは諸外国を例にとっても、国が支援するものであるといえる。私立になってやれるというようなものではない。もちろんそうでないところもあるが、それは研究支援等が非常に充実したところでは例外的に行われているということであり、一般的にはそうではない。先ほどから委員の皆様方は、その辺のことをよく頭に置いて発言をされていたと思うので、そこを踏まえた上でまとめるべきだと思う。

5.今後の日程

 「審議の概要」を主査一任とし、各委員の意見を踏まえて修正した上で、12月上旬までに公表することについて委員から了承された。

お問合せ先

研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室

(研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室)