産学官連携推進委員会(第8回) 議事録

1.日時

平成13年10月4日(木曜日) 14時~16時

2.場所

経済産業省 別館 825号会議室

3.出席者

委員

 末松(主査)、生駒、市川、伊藤、川合、川崎、岸、北村、清水、白川、田中、田村、丹野、平井

文部科学省

 坂田審議官、加藤研究環境・産業連携課長、土屋基盤政策課長、磯谷技術移転推進室長、杉野大学改革推進室長、柴田技術移転推進室長補佐ほか

4.議事録

「国立大学法人」(仮称)の制度設計について

  • 杉野大学改革推進室長から「新しい『国立大学法人』像について」(国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議中間報告)について説明をした後、その内容に関する質疑が行われた。
      その内容は以下のとおり。

【委員】
 中間報告の14ページに、アウトソーシングとあるが、具体例としてどんなことが挙げられるのか教えてほしい。

【事務局】
 調査検討会議の場では、具体的なイメージについては特に議論されていない。ただ、一般的には、法人化することにより従来できなかった業務もできるようになり、また、逆に従来やっていたことでも弾力的にアウトソーシングできるようになるという大きな方向性だけが示されている。例えばTLOのような業務についても、現在は国立大学自らで行えないので別に法人を作って行っているが、このような業務も取り込めるようにして、取り込むのが不適切であれば、アウトソーシングで行うということを考えている。
 6月に公表された大学の構造改革の方針をこの報告書の後ろのほう、163ページに参考までに掲載している。この中で、2番目の柱に、「国立大学に民間的発想の経営手法を導入する」、そして「新しい「国立大学法人」に早期移行」とあるが、この中の四つ目の丸に、「国立大学の機能の一部を分離・独立」と書いてあり、そこに「附属学校、ビジネススクール等から対象を検討」というふうに例示がある。附属学校の現在果たしている機能、あるいはビジネススクールの性格などを考えると、これは国立大学法人が抱え込むよりも、外に出したほうがよりふさわしい運営スタイルになるのではないかというようなこともあり、例示として載せてある。調査検討会議がこの方針を考えたわけではないが、こうしたことまで視野に入れて、事務的な事業から始まって、このような教育研究の問題部分まで含めて、アウトソーシングの幅を広く考えていけるのではないか。

【委員】
 例えばビジネススクールみたいなものを大学法人から出して、アウトソーシングという形で利用できるという理解でよいか。
 24ページに、新たに国立大学評価委員会というのを設けるとあるが、既存の外部の大学評価・学位授与機構(以下「学位授与機構」という。)との役割分担はどうなるのか。

【事務局】
 学位授与機構というのは、各大学の教育研究について、ピアレビュー(同僚評価)という考え方に立って評価を行うという、まさに評価のための機関として昨年度創設されている。他方、今回、国立大学法人について評価のシステムを入れるわけであるが、その場合、評価の対象が、教育研究という純粋に学問に関する評価だけではなく、経営面も含めて評価をしなければならない。その上、評価の結果をトータルとして予算配分まで反映していかなければいけないため、そうしたことをすべてこの学位授与機構にやってもらうことが適切かどうかという議論があり、結論として、それは違うのではないかということになった。学位授与機構には、あくまでも純粋に教育研究についてピアレビューしてもらう。そうした成果を大切にしながら、経営面も含めて評価を行い、かつその評価結果を予算配分に反映させていくという仕組みあるいはその主体は、別途、文部科学省以外に第三者機関を置くべきだということで、こうしたものが想定された。

【委員】
 要するに教育研究面は評価機構で、経営面をこちらのほうでやったらどうか、ということでよいか。

【事務局】
 ごく簡単に言えばそうなる。

【委員】
 最後に39ページであるが、大学における特定運営費交付金、つまり客観的な指標によることが困難な特定の事業等に対する所要額は例えば具体的にはどんな例が挙がるのか。

【事務局】
 例えば国立大学の内部組織を見ると、大学によって様々な組織形態をとっている。この資料の85ページに「現行の国立大学における一般的な教育研究組織の例」という絵がある。学部や研究科などは各大学共通で算出ができると思われるが、例えば附置研究所や学内の共同教育研究施設、全国共同利用施設など大学によって置かれていたり置かれていなかったり、またそれぞれが極めて特色がある。こうした共通のルールで算出できないようなものの中で別途計算が必要であると思われるものが主として想定されている。

【委員】
 研究、教育、その他、といったくくりではなく、例えばある大学では附置研があったりなかったするといった点をこの特定という言葉で表しているということか。

【事務局】
 主としてそういうことを念頭に置いている。

【委員】
 国立大学の制度設計をする上の理念にかかわるが、この報告書では、これまでの国立大学があり、それを何とか変えていきたい、ここを変えればこうなるだろう、ああいうことをしたいからこう変えればいいだろうというトーンで全体が動いているように見える。それは一つの接近法かと思われるが、もう一つ別の接近法として、大学という教育組織の理念型あるいは理想型を念頭に置いて、制度設計をするという視点はなかったのか。例えば、評価を採り上げると、いわゆる大学評価の結果を予算配分、運営費交付金に反映させようとしているが、これは世界の大学の中でいえばイギリス型である。
 アメリカは全然違う形をとっており、大学の個々の活動に選択という形で評価と資源配分が関わっている。例えばNSFが特定の活動をするセンターを創るときには、そのセンターの目的、機能を提示し、それに対して全国の大学に応募を求め、その中でベストのもの、地域の支援が最高のもの、など様々なファクターを見てお金をつける。非常に大型のセンター、設備等もこの意味で競争的に配分されていく。さらに、大学の個々の先生の研究について競争的資金からお金がくる際も、同僚評価を含めた評価の上でお金がつく。そのような大学の個々の活動に対する評価と資源配分の集積として大学全体が社会から評価されている。大学を丸ごと評価しようというアクティビティ(事業)は、ランキング(順位付け)システムとアクレディテーション(資格認定)の二つしかないが、アクレディテーションもランキングも資源配分とリンクしてはいない。
 日本の場合、なぜイギリス型を選ぶのか、その辺の議論はどうであったのか。

【事務局】
 議論の中では、国立大学を法人化した場合に、どういうファンディングのシステムを創るのかということについて、諸外国の例もそれぞれ研究してもらいながら検討してもらったと思う。現実の問題として、既に日本の大学に対するファンディングのシステムについては、国立、公立、私立と、機関の縦割りに応じた個別のお金の出し手が存在しており、縦割りのファンディングを行っている。その一方で、国公私の枠組みを超えた個人ベースのファンディングシステムが、科研費などを中心に、既にシステム化されている。そうした中で、さらに、国公私トップ30を育成するという観点から、今度は国公私共通の枠組みでの評価システムを入れて、機関支援に対する横割りの新しいシステムを導入するということも挙げられている。このように国公私の枠組みを超えた様々なファンディングシステムが導入され、また新しく導入されようとしているときに、まず考えたのは、国立大学に対するファンディングシステムを国としてどこまで責任を負っていくのかということである。アメリカ型のような、一遍に大学の枠組みを超えて、すべて国公私共通の土俵でのファンディングシステムという形にするのではなく、まず現在国から国立大学に出している予算の出し方を大きく変える、その方法としては評価に基づく予算措置によるという枠組みが一番適切ではないか、といった議論の流れではないか。

【委員】
 今ずっと説明を聞いていると、国立大学を何らかの形で組織防衛するという論理であり、高等教育全体の中での位置付けがどうもあまりはっきりしないというのが、私の素朴な質問の一つである。それから2番目は、これも大変僣越な言い方であるが、アカウンタビリティ(説明責任)などいろいろと書かれているが、この改革によってお客である大学生はどのような満足度を得られるのか、この改革によってその大学からどのようなことを産業界は期待できるのか、といったことが書かれていなければ、仕組みがいくらできても中身がないということにならないか。高等教育の中における位置付けと同時に、お客様に対する満足度をどうするのかという視点が是非必要ではないか。これはあくまで大学内の組織の問題であり、国民に対するサービスの道具として考えておらず、文部科学省の機関としての組織の考え方だけしかないと思われる。どのようにこれを通じて高等教育というサービスを日本政府は提供するのかといった視点が必要ではないか。

【事務局】
 この調査検討会議においては、これから私学の方も相当入ってもらうことになっており、また産業界の方にも入ってもらい議論してもらっている。ただ、法人の設計図であるので、なかなかその点を制度として示すことが難しかったところがあると思われる。先生方に相当議論はしてもらっており、例えば4ページから5ページにわたって、基礎基本の考え方として国民へのアカウンタビリティを重視することの中で、大学の運営に当たって、教育研究のサプライ・サイドからの発想だけではなくて、学生、産業界、地域社会などのデマント・サイドからの発想を常に重視する姿勢が重要であり、特に学生の立場に立った教育機能の強化が強く求められるという視点に立っている。その視点は強調しているが、そのための具体的な制度設計については、なかなか難しいところがあると思われる。議論の中では、まさにそうしたことが大切なんだということが、何度も繰り返して強調されていたと記憶している。

【委員】
 昭和24年度の新教育制度を作ったときの、民主主義になるためにといった骨格の上だけで行ったことと同じような感じがする。

【委員】
 制度設計する場合、現状の国立大学をどう直していくかという方法と、ある種の理想型を考えてそれを実現するためにどうするか、の二つの方法がある。後者の立場から、先ほどはファンディングの理念型について発言したが、もう一つ制度設計の理念として、各大学はそれぞれの責任において多様な目標、理念を設定して、それを実現するべく最大の努力をするというものがある。制度にその努力の邪魔になるようなものがあれば、それらを全部取り除いていき、あとは社会的な淘汰にかけるという理念型を考えてみようという意見はなかったのか。

【事務局】
 おそらく先生が言われているのは、評価に関する話かと思われるが、そうした意見はなかった。国立大学だけではないのかもしれないが、大学改革が難しいのは、企業と異なり、教育はもちろんのこと研究面も含めて本当にその組織がいいパフォーマンスを上げているかどうかという判断が難しいところにある。そこがはっきりしないから、なかなかその改革が進まない。かつ市場原理に任せていたのでは、なかなかそのあたりが明確にならないということが委員の皆さんの意識にあったと思われる。議論の余地はあるが、できるだけ信頼性の高い客観的な評価システムを構築し、各大学ごとのパフォーマンスをきちんと明示して国民に理解を求めていく、あるいは逆に国民の批判を受け入れていく、といったことが大学には必要ではないか。特に公的投資を私学に比べて多く受け入れている国立大学については、その点を徹底させるべきであるという考え方に立って議論が進んだのではないかと思う。

【委員】
 その点で、私の意見は決定的に違う。大学の教育研究について評価が難しいというのは日本における幻影であり、世界を眺めればはっきりとした評価が決まっている。例えばある分野において世界のトップはどこで、2番目はどこというのは研究者の間であれば常識である。それを、いわゆる客観的評価という形で数字に書き出そうとすると、わからなくなる。わからなくなる理由は、評価には客観的評価というものが存在しないからである。価値というものは内在しているのではなくて、お金の価値だろうが、ダイヤモンドの価値だろうが、必ず外在している。外在しているということは、評価は本質的に主観的なものである、ということである。その主観をどこに求めていくかということだけが問題であり、その観点で見れば、教育も研究も評価は難しくない。そして、それに基づいての社会的淘汰があり、日本においても現実に社会的淘汰はある。
 その常識を脇において、数字か何かに移していこうとするから話がややこしくなる。その点さえ割り切れば、私は理念的な制度設計というのは可能だと思う。あるいは、社会的淘汰にかけて、そこでつぶれていくものはつぶれていく、伸びるものは伸びる、といった姿勢は採り得るのではないか。ただ、大勢の方が集まって、皆さんが納得するものをまとめようとすると、この報告書にあるようなことになるのかと思う。
 話は変わるが、本文の中に「学内コンセンサス」という言葉が方々に出てくる。私はこれを全部削除していただきたいと思う。これは結局何もできないことにつながる。学内コンセンサスに留意して学長がリーダーシップを発揮する、という矛盾したセリフを並べるのは理解しかねる。リーダーシップというのはコンセンサスをとることではなく、ある事を達成するために必要十分な了解を取りつける能力である。特に怖いと思うのは、「大学の主体性」という非常に聞こえのいい言葉とリンクすることである。主体性の基盤は一体どこにあるのか、大学の経営の責任を負っている人が大学の主体なのか、従来の教授会が主体なのか、教授会を構成している学科あるいは教員までが主体に加わっているのか、主体性の定義によっては従来と何も変わらない形になる。リーダーシップが発揮され、何かが実現したとき、それに不満な教員は他所へ行けばいいのである。それが大学がもつ多様性あるいは教員の流動性の本来の意味である。すべてが不満をもたないようにして、すべてを抱えて生き残ろうというのは、機能体ではなく、原始共同体である。したがって、大学がもっている多様性の意味と流動性の本当の意味をつかまなければ、「学内コンセンサスに留意して」という文言は将来に大変な禍根を残すと思う。
 また、教員採用について、公募とか選考基準及び選考結果を明らかにすると、何箇所か書いてあったと思うが、これはおかしいのではないか。それは国が教員選考の過程に介入していることになる。最も大事なことは世界からベストの人間を選ぶことだけである。ベストの人間を選ぼうとするならば、誰がベストか、ナンバー2かは、その領域分野にいる人にはわかっている話なので、そうした人をもってくればいいだけである。そのような人に公募に応じていただくのは失礼な話で、三顧の礼を尽くして来ていただくものである。そうしたときは選考基準を明示する必要はない。選考の結果を公示する必要もない。あの人はあの大学に行ったのか、ということは世の中全部が認識する問題である。そうしたことが積み上がって、大学が評価され、大学の重みと社会における認知が出てくる。よって、できるだけプロセスに介入するのではなく、結果で判断するという形に制度を創っていただきたい。

【委員】
 まず独法に関しては、本当にやりやすい面があるので、あまり悩まずに、国家公務員型でも非国家公務員型でも、早く移ったほうがいいと思う。組織を自由に作れるとか、定員がなくなったとか、予算を自由に使えるということにより、人が雇えるようになったことは、特に我々旧国立研究所にとっては非常に大きなメリットがある。ただ問題なのは、法人化によって何かをやれるということをいろいろと書いてあるが、前のことをやってはいけないとは書かれていないことである。このため前と同じでいいんだということに対する職員の意識改革が大変である。特に事務職などがそうである。こういうことがやれるとは書くが、前のどこをやめる、やってはいけないということはどこにも書いていないので、全部読んでみても、前とほとんど同じでもいいんだという結論になってしまう。これが意外に苦労する点である。
 それから、大学で上をいじればよくなると思っている節があるが、大学というのは部局の自治というのがかなり強く、更にそれより強いのが学科の自治である。これは質問であるが、その辺の自治の問題まで踏み込んだ話としてこれは進んでいるのか。そうではなく、とりあえず上のほうだけ考えようということで進んでいるのか。
 次に、学位授与機構と評価についてであるが、またもう一つ別の評価機関を創るということで、すべて官製でやるという意識が強い。先日、朝日新聞が30の大学を選ぶとかいうランキングを出していたが、そちらの評価のほうがいいのではないかと若干思った。それを何十倍かのお金をかけて、ものすごい時間をかけて、また官でやらなければならないというのはどうしても理解ができない。そのため、民間的手法を入れるといって、官製の事業評価機構を創るというやり方にすごく疑問を感じる。
 特に、部局単位の自治の話まで踏み込んだことがあるのかどうかだけでもお聞かせ願いたい。

【事務局】
 そうした議論はあった。議論がいわゆる役員レベルの話で相当沸騰していたので、スペースをそちらのほうに割いてしまった。11ページの一番最後のところに、事務組織からして変えなければいけない、これまでのように法令を守っているかどうかという仕事ではなく大学の運営に参画していくということが必要であるということや、学部の運営については、教授会における審議事項は純粋な教学事項に絞った上で、やはり学長に権限と責任を集中させていくことが必要ではないかということが指摘されている。それに関連して33ページの人事のところでも、「教員の任免等」で、これからはもう少し教員人事において、本当にいい教員を学部長の責任で連れてくる、探してくるという方向ではないかという議論があったかと思う。かなり表現が少なく、ところどころにいろいろな修飾語がついており、その中には「学内コンセンサス」という修飾語もあるが、結論として、ある意味では過激な方向性を書いているのではないかと思う。
 それから、評価については、いろいろな議論はあると思う。しかし、100年後がこうした姿かというのはわからないが、現実の問題として、国立大学に毎年1兆6,000億の税金が投じられており、そうではない500校の私立大学があるという世界がある。そうした中で、国民の税金を使うわけであり、文部科学大臣の権限をある程度抑制しなければいけないときに、その税金の使い道について、それなりに国民に説明できる仕組みを用意すべきである。法人化によって相当日常的な規制は緩和されるので、より私学的な運営が可能となる一方、一定程度の予算は引き続き出していくということになると、しかるべきシステムを創らなければならなくなる。そのため考えられたのがこうした仕組みだと思う。法人化に当たってはこういう仕組みでどうだという提案ではないかと思う。

【委員】
 どんどん仕組みが増えていく感じがする。

【委員】
 10ページの上のほうの3.で、「経営、教学両面において、学内コンセンサスの円滑な形成に留意しつつ、従来以上にダイナミックで機動的な意思決定」とあるが、よく理解できなかった。これは、基本的には最終的な意思決定は学長等にあるけれども、今までの経緯や組織であることを留意しながら、一番いいことを探しましょう、そうすることにより、今までは学内コンセンサスのみが非常に強かったのを、今度は最終的には学長の権限が強くなるけれども、集団として少しうまくいくように考慮してほしいという意味で従来とは変わったと解釈すればよいのか。そうでなければ、「コンセンサスに留意」かつ「ダイナミックに」という非常に矛盾したことになり、また、従来と変わらないのではないか。

【事務局】
 これはおそらく普通の組織であれば当たり前のことしか書いてないという文章であるが、国立大学の現役の先生が見ると、何だこれはと怒鳴られる文章だと思う。指摘されたとおり、かなりデフォルメして言うと、国立大学というのはコンセンサスオンリーという感じがしている。特に全学的なコンセンサスというよりも各部局ごとのコンセンサスがあり、どこかの部局が反対すれば何もできない世界ではないかと思う。また、正直なところ、部局の中でも結局コンセンサスばかりで大胆な改革はできない現状にあると思う。以前よりも変わってきてはいるが、やはりそうしたところがあるので、その点も留意はするけれどもという気持ちで書いており、「けれども、これからは違う」というふうに読み取っていただければ幸いである。

【委員】
 全体の感想としては、瑣末なことを一生懸命やって、それをまとめた感じがすごくする。しかし、多分この場では、そうしたことよりもむしろ産学連携の立場から、今度こうしたものができたらどうなるかということについて考えなければならないのではないか。そうした観点から見ると、法人化によってむしろ産学連携がやりにくくなるのではないかという感じがしないではない。今まで国立大学は、大学として何も先生方に関与してこなかったので、私が教授をしていたときには、大学からの援助は得ない代わりに、自分がやろうと思ったことをどんどんすることができた。しかし、法人化になると、役員会が強くなり、そんなものは中期目標に書いてないからやるなとか、逆に、団体として強くなる代わりに、個人プレーがやりにくくなるのではないか。また、中期目標を大臣が認可する、予算を決めるというのは、政府のコントロールが結果として今まで以上に強くなると思う。大学の先生としては、むしろ中期目標に産学連携が入っていなければ、やりにくくなるのではないか。そのほか、産学連携がやりにくくなる理由として、事務がすごく忙しくなるということがある。今まで文部省がやっていた部門を内部に取り込むことになるわけであり、事務量が増えてしまう。トップがあまり産学連携に関心がないので、オーバーヘッドを大学が取るようなシステムにすれば一生懸命やってくれるだろうが、今度は逆に大学の先生が一生懸命集めたものが上にいってしまうと、産学連携の立場からプラスになるかマイナスになるかというのは、あまりよくわからない。むしろマイナスになるものが多いのではないかという危惧があるので、その点から検討してもらったほうがいいのではないか。

【委員】
 現実に、目標もステップもわかったわけであり、言ってみれば、欧米のキャッチアップに近い形なので、通る道というのは何個かあると思われるが、実際にこうしたことをやろうとした場合には、ある種のタイムテーブルというか、できるものとできないものをしっかり分けてやらなければならない。例えば、我々が今産学連携の組織を創って、それを実際に動かしていこうとしたときに、そうしたタイムテーブルがなく、場当たり主義に行うと、いろいろなところで矛盾が出てくる。特に、管理系とプレーヤーである教官、そのマネジメントなど全部にかかってくる話であり、それらの人員のすげかえなどにはそれなりのルールがあるはずなので、一度に全部すげかえることはできない。また、教育期間中にすべてが失速してしまうということや、とにかく生きている人間の治療をするわけであり、いったん殺してからやるというわけにはいかないので、その辺のタイムテーブルやアクションプランといったものをしっかり設定してもらわなければならない。そうしなければ、現実に新しいことを行っている人間にとっては、この状況を解決するためにせっかくプランを作っていたのに、その場その場で方針が急に変わってしまうと、風が急に変わればヨットが沈むように台無しになってしまう。その辺のアクションプログラムをどこかでもう少し丁寧にやる必要があるのではないか。

【事務局】
 全体のスケジュールは、先ほどの2枚紙の資料において、これから先のところ、何年度というのは未定であるので空欄にしている。ただ、常識的に言えば、おそらく今年度いっぱいこの調査検討会議で検討して、それから法案を作らなければならない。かなり大作業になるので、あれこれ考えて法案を作り、法案を通して、それから移行の準備のために各大学ごとに試算を確定するなどを行っていくとなると、一番早くて16年度から移行ということになるのではないかと思う。今から2年半後であるが、16年度に移行ということが一番早いスケジュールではないかと思われる。このことについてはあちらこちらでしゃべり始めており、各大学では、対応の差はあるが、事務職員の研修を始めとした事務組織の見直しや学内組織の見直しなどについて既に検討を始めているところもある。16年度をターゲットにいろいろ準備を進めていただきたいと各大学には話をしている。

【委員】
 14ページの上から4行目の「他の法人への出資」と、その下の「収益事業」について意見と質問を簡単に述べたい。TLO自体は大学とは現在別組織になっているわけであるが、TLOについては具体的に国立大学の内部に設けることも可能になるのか、あるいは株式会社のような形で大学の外に出しておいて、大学がTLOの株式の一部を持つことになるのか。また、大学発ベンチャーという話の中で、大学が設備なり研究シーズを提供する際に、単なる知的財産権のリターンだけではなく、ベンチャー企業に対して一部株を持つ、あるいはストックオプションを持つといった具体的なニーズが現場で出てきているが、その辺についてどう考えているのか。私自身は株式の取得についてもなるべく弾力的に可能になるようにしていただければと思っている。
 また、収益事業については、大学の運営は独立採算制を前提にせず、必要経費に関しては国の予算措置が講じられることから、これを限定的に考えるという意味で、「教育研究等の業務に密接に関わる事業に限定して」と書いてあると思われる。もちろん国の機関がいたずらに収益事業を拡大することは不適切かと思われるが、これを税法上の収益事業ということで考えると、一見公益性があるような事業も含めて収益事業にカウントされて財団法人等が苦労している現実がある。もともと全体のトーンとして自己収入拡大など経営努力にインセンティブを付与するという基本的な考え方がある一方で、収益事業について厳しくすると、身動きがとれなくなるのではないかという危惧がある。特に事業実施のために長期借入金を導入するといった話になると、すぐにその議論が出てくるので、もちろん国の機関としての一定の限界等はあると思うが、極力弾力的にやれるようにお願いしたい。

【事務局】
 TLOについては、特にどちらだということを決めようとしているわけではなくて、どちらでも対応できるような弾力的な枠組みにすることだけを入れているので、むしろ法人化後はどちらのほうがより産学官連携に資するのかという観点から、いろいろこちらで議論していただき、その成果をいただきたい。2点目については承っておく。

【委員】
 この中間報告を読んだ限りにおいては、これは現在の国立大学の例えば予算、大学の規模あるいは入学定員とほとんど枠組みは変わらないと理解できる。にもかかわらず、これだけ学長に権限を集中し、学部役員を導入する。一連のこの改革によって、今よりは良くなるであろうという立場で作っているように思われる。私はこれは大学が将来あるべき姿、国立大学も含めて、日本の大学をあるべきところへ持っていく一つの段階と理解できると思う。したがって、先ほどタイムテーブルの話があったが、もっと長期のタイムテーブルで、かくあるべき大学というのが5年先か10年先にあって、そこへ行くまでの一段階としてこれをやる、そうした位置付けで置いてもらうと、我々としても非常によくわかる。その次は、例えば非公務員にする、あるいは10年先には民営化するなど、できるかどうかはともかくとして、そのような最終目標を明記してもらえれば、これは我々も協力できるし、非常に国民の理解が出てくるのではないか。それを要望として是非お願いしたい。
 次は、産学連携に関してであるが、この改革によって先生方の産学連携に対する活動が盛んになるためには、一つは制度上の問題があるが、もう一つはインセンティブの問題である。研究上の外部資金獲得のインセンティブについては割合に出そうであるが、以前から議論されている昇格や昇任のインセンティブについては今は研究業績一本やりというところがある。例えば特許を幾つ取ったとか、それが評価になるかどうかはともかくとして、これだけのことをやっているという評価は各大学で自由にやりなさいということで理解してよいか。

【事務局】
 2点目のところについては、これは各大学で判断する世界になるので、そのとおりである。それから1点目の指摘については、いろいろなところからそうした指摘を受けている。この参考資料の77ページにもデータを入れているが、議論をしていく中で、案内のとおり先進国の大学制度ということを考えたときに、フランスはほぼすべて国立大学、ドイツもほぼすべてが州立大学というように、アメリカでは非常に優れた私学がたくさんあることは置いておくとして、学生数で見て7割は州立大学という、およそ大学の教育研究というのは国ないし連邦政府における州が責任を負うことが先進諸国の常識である。その中で唯一日本だけが多くを私学の努力に委ねている。国立大学は2割から3割のシェアを占めるにすぎない。その制度の中で、果たして国立大学をすべて民営化していくということが適切な手法なのか、それともむしろこうした国公私のいろいろな制度が混在しているという現状を生かしながら、高等教育の予算規模、財政規模の全体のパイを拡大することによって、私立大学あるいは公立大学の中でも頑張っているところに国立大学並みのファンディングをしていくというシステムに持っていくべきなのかということを議論していくと、必ずしも前者ではないのではないか、むしろ後者ではないかということを前提に議論があったかと思う。そうした発想があるので、実際のファンディングに当たっては、徐々に大学の特性を見ながらも、国公私を超えた共通のファンディングシステムを入れていかなければいけないという意識を委員の皆さんが持っていたと思う。その一つの取組としてトップ30のような新しい枠組みが出てきている。そうした基本的な問題意識の下に、100年後、200年後はわからないが、このような議論がされていたのではないかと、蛇足ながら紹介させていただく。

【委員】
 私は何も民営化にこだわっているわけでは決してないが、よく言われるように、財政的な面も含めて同じ基盤に立って国公私立が競争するというようなことを目指すといったことをどこかに入れておいていただければ非常にありがたいと思う。

【委員】
 国立大学法人は確かにすばらしい一歩だと思うが、ただ、産学連携の目から見ると、一時的な技術移転の停滞ということが起きる可能性はあると思う。従来は、教官が個人で持っていた特許をTLO等技術移転機関が比較的自由にアプローチして、自由に取得して、民間に技術移転できたということが、おそらく組織有になることによって必ずギャップが生まれ、それを超えるために一時的ないろいろな問題による停滞が出ると思われる。それに対する手当てが産学連携の視点から言うと、非常に重要ではないか。
 制度設計についてであるが、今まで我々が技術移転をやっていて非常に障害になっていたのが国家公務員法と国有財産法だと思う。国家公務員法については、兼業の問題とかいろいろあった。国有財産法の関係では、これは聞いた話であるが、例えば債権放棄が自由にできないという話がある。共同研究をやっていく中で、例えば何か機械が壊れた、あるいは備品が壊れたので、何か債権が発生したけれども、それは放棄したいということがある。民間ではそうしたことは当たり前であるが、国立大学においては債権放棄ができない、あるいは会計が単年度で窮屈で使い勝手が悪いなどいろいろあり、結局国有財産法も非常に障害になっていた。もし非公務員型になれば、そうした障害がかなり取り除かれると理解してよいのかというのが、まず一つ質問である。
 それから、仮に公務員型をとった場合にも、29ページの(1)身分のところ、上の丸の6行目のところに、「給与や勤務時間等については、非公務員型と同様に、法人が基準等を決定」と書いてあるが、仮に非公務員型になって法人が基準等を決定することになるという建前というか原則はあったとしても、現実問題として、今までの給与体系ですべての職員なり教職員が動いている中で、ある部門の人だけ突然高額の給与の人が入るというのは、システム設計上無理であるという話を聞いている。もしそうであれば、仮にこのように基準を決定でき、専門的な人材を機関に登用しようと思っても、公務員型では実際上不可能ではないか。これはTLOとかそうした専門的な業務を内部に取り込む際には、非常に障害になる可能性があるという気がする。その点もどうなのか伺いたい。

【事務局】
 国立大学が国の行政組織の一部、言葉を換えると、文部科学省の一地方支部局というような位置付けになっているために、国の行政組織全般にかかわる様々なルールが、一部緩和されているとはいえ、指摘があった公務員法から会計法、財政法、国有財産法、いろいろな規定がかぶさっていて、それが事実上いろいろな規制になっているという事実がある。法人化によって、かなりの部分で緩和される。例えば予算の単年度主義というのが外れるので、余れば繰越しを自由にできる、非公務員型になれば当然国家公務員に関する規定は全部外れるので相当弾力化されるし、公務員型であっても幾つかの法律が外れるので弾力化されるということが挙げられる。
 債権放棄のところは勉強不足のため、よく調べてみたいと思うが、できるだけ規制を外すという方向であり、特に日常的な規制というものは事後チェック方式に変えようという方向にある。
 それから、給与基準についてであるが、実際のところ、やってみなければわからないというところがあると思われる。例えば、私立大学の場合でも、実は国家公務員の給与体系を見て給与体系を作ってみたり、人事院勧告を見て処理したいという実態がある。ただ、公務員型であっても、今度は事務職員も含めて人事は学長の下に一元化されるので、その意味では、非公務員であろうが公務員であろうが、人の動きについては文部科学省が絡む余地がなく、個別の大学の相談、あるいは個々人のベースで、どこの法人に行くか行かないかという話になるので、おそらく両者で大きな違いはないのではないかと思う。ちなみに、人の流動性のためには同じ給与基準のほうがいいと言う人もいれば、移動するためには格差があるほうがいいと言う人もあり、いろいろな議論があるが、指摘のあった点については考え方に特段の差はない。あとは、実際にそういうメリハリのついた給与基準を、労使交渉の中で各大学が本当に導入できるかという問題になっていくのではないか。

【委員】
 多分この委員会は、産学連携についての議論を中心にすると思われるが、私もこうした仕事をし始めてみて、少しわかり始めたことは、法律にやって悪いと書いてあることはもちろん絶対できないのはわかるが、やっていいと書いてあることすらできないということがある。一々お上というか、本省に相談をして、実際に交渉するときに、また元に戻されて、それからまた関連する別の本省の部署に行くということを何度も行わなければいけないということが、産学連携では日常茶飯事に起こっている。前例のない新しい制度を創っていくときに、少なくとも研究とか教育というのはたくさん前例があるので、各大学共通のものがたくさんあり、それに対しては問い合わせをすればすぐ答えが出てくる。学長、総長に責任を任すとあるが、結局それは事後チェックするという話が先ほどから出ているので、総長や事務官がやったことに関して事後チェックがされて、それがマイナスになってしまったら、多分今度は事務官にいろいろな評価が入ってくるため、やはり事務官は非常に保守的になり、一々細かいことまで本省に聞かなくてはいけなくなる。先ほど旧国研は独法化後うまくいっているという話があったが、国研の場合は数が少ないから現状はまずうまくいっているのではないか。約100ある大学が、更にその中にある学部等が自治的にそれぞれ個別に動き始めたら、何千というところからの問い合わせに対して、瞬時に判断をもらうという制度が大変難しくなるのではないか、ということについて、先ほどのタイムテーブルの問題も含めて、私は非常に危惧している。
 特に産学官連携において新しい制度を動かそうとするとき、早くやらなくてはならない仕事がたくさんあるので、基本的には法律に書いてあることはどんどん行っていくといった、文部科学省の制度を変えるに当たっての事務的な立場を示してもらわなければならない。総長だけに権限があり各大学は自由に決められるということをいくら言われても、法人化後の現実問題として我々のTLOやリエゾン組織は混乱期がしばらく続くのではないかと思われる。そういう意味で、事後チェックも必要であるが、フリーハンドに対して是非間違いのない範囲内のガイダンスをいろいろなレベルで示してもらわないと、細かいことを一々総長に決裁なんか仰げないので、そうした形を少し考える部分を入れてほしい。

【委員】
 根幹にかかわる部分、財務会計にかかわる部分で可能性を検討してほしいことがある。運営費交付金と自分で稼いだ金については帳簿を別にして、しかも稼いだ額は運営費交付金には反映しないようにするということは大変結構だと思われるが、第三のカテゴリーとして「基金繰入れ」を考えていただけないか。
 運営費交付金という形で、大学の運営にかかわるものを全部お国からいただいていて、しかも、研究教育は自由にやらせろというのは、ある意味で、国民に対してマーシー(お慈悲)を要求しているわけである。ところが、国民の方々というのは豊かなときには豊富なマーシーを持っているが、そうでなくなると、厳しくなってくる。そういうときに本当に学問の自由を保障するものは何かというと、自己資金である。その根源としての基金繰入れが必要である。運営費交付金を基金に繰り入れられないことはよく理解できるので、自分で稼いだものは繰り入れられるようにしてほしい。私学にはたしか3種類ぐらいの基金の形があると思うが、国立でも検討してほしい。
 例えば、アメリカの大学では研究契約や委託という形でカレント(流動的)に入ってくる資金で雇う人については当然のことながら任期付きにしている。資金が契約の年数しか保証されないためである。したがって、パーマネント(終身制)に雇うのは、それに見合う基金が獲得できたときに限る、と限定している大学がかなりある。例えば、私学なので参考にならないかもしれないが、プリンストン大学の場合、基金が日本円で3億円増えたときに、初めてプロフェッサーのポストを一つ増員する。アメリカで利率6%で回すと、日本円で1,800万になる。その先生を雇うことと教育の面倒が見られる金額である。研究費は本人が稼ぐ話なので完全に別である。そういう意味で、基金という枠の設定とそれへの繰入れということを検討してもらいたい。

【委員】
 産学連携をこうした形態でプロモーションするためには、私は教学の部分と経営の部分を別の組織にすべきだと思う。社会に対するアカウンタビリティ(説明責任)とファンドレージング(資金調達)その他の部分は、理事会なり何なりの別個の経営組織で行うことによって、ものすごく変わると思う。しかも、それは上下関係ではなく並列に設置しなければならない。カナダの大学へ行ってきて、私は非常に感銘を受けた。そこでは、はっきりとアカウンタビリティ(説明責任)とアカデミックフリーダム(学問の自由)を分けて、その間をビジビリティ(透明性)を上げながら競争させており、ファンドレージングをやる経営者側はプロモーション(売り込み)を行って産学連携を推進していた。これらを一緒くたにして、学長がいて、経営もやって、教育もやるということでは、今までとあまり変わらないので、是非そこは政府そのものも含めて、しっかりと考えてほしい。

【主査】
 本日は経済産業省からも出席していただいているが、何か特に感想なり注文なりがあれば伺いたい。

【オブザーバー】
 我々の産業構造審議会の小委員会でも、産学連携推進という立場から、大学改革に当たってはやはり非公務員型を選択する余地を残しておかないと、人材の自由な交流という点で、非常に大きな阻害要因になるのではないかという指摘がある。もちろんこの中間報告は産学連携に限らず、大学制度そのものに対して中間的な取りまとめがされたと思われる。詳細に分析してみないとわからないが、おそらく今の時点では、いろいろな立場の意見が入っているのではないかと思われる。我々の目から見ても、大学で本当にこんなことまでやっていいのかなと思うような、逆の意味で思い切ったことについても意見が出たと書いてある。ただ、それを最終的な形でまとめる際には、本日の委員会でたくさんの先生方から指摘があったように、バックボーンというか、何十万という人間を動かす以上、理念をきっちり立てて、それに向けて制度設計をするということが欠かせない作業ではないかと思う。それでこそ大学人あるいは大学の活動を支える大学周辺の人たちがそれに賛同して力を糾合することができるのではないか。そうした意味で、表現は悪いが、今の時点は検討段階であるので、いろいろな人たちからの意見に対して一々応えて、ばんそうこうを張っていくということをしていくと、いずれそれはすべてどこかではがれ落ちてしまうことになるのではないかということが心配される。我々も、小委員会を近々また再開して、来年度末に向けて、追加的な議論をさせていただきたいと思っているので、その過程で、こちらの委員会の議論をいろいろと参考にさせていただきたい。

【主査】
 二つだけ中間報告について意見を述べさせてほしい。一つは、10ページに、外部の有識者の意見を反映させるのはアカウンタビリティの視点からとあるが、これはそうではなく、大学をより良く運営するために、活力ある運営をするためにやるのではないかという気がする。その点についてどうしてこのような表現になっているのかということである。
 それからもう一つは、国際化の視点で言うと、外国人の教員や管理者が雇える範囲は、公務員型か非公務員型かによってどれくらい違うのか。もしその点で非常に制限が強いのであれば、おそらく産学連携といっても世界のトップの大学でなければ産学連携ができないということが産業界の非常に強い要請であるので、どうしても国際化しなければいけないが、その阻害要因にトップを含めてなっているとすると、どちらかを強くサジェストすべきではないのかということである。

【事務局】
 ここの10ページの記述は、特に国の関与を制限する代わりにというところを強調したためにこういう表現になっている。先生の指摘している趣旨は、もっと基本的なところ、5ページの一番最初の「また」以下のところで、不十分ではあるが、おそらく入っているのではないかと思う。
 それから、外国人がどこまで採用できるのかについては国家公務員に伴う当然の法理と言われており、明文上どこまでということがはっきりしないところはあるが、学部長以上については現在でも採用できないと理解されているので、そうしたところではないかと思われる。

【主査】
 かなり徹底した国際的な大学を創ろうとすると、公務員型ではダメだと考えてよいか。

【事務局】
 そうなるのではないか。フランスみたいに、国立大学の学長は絶対フランス人でなければ駄目だとしているような国の発想を採らない限り、外国人でも学長を連れてくるということを目指すとなれば非公務員型ということが間違いないと思われる。

【事務局】
 本日は大変多角的に議論していただき、本当にありがとうございました。言うまでもなく法人化の今回の制度設計は、当然大学自身が自己責任で、自律性を持って、自分たちの大学の教学、経営について責任持って運営していくというのがねらいで、このように行われている。先ほど委員の先生方からあった、逆に産学連携についてはブレーキがかかるのではないかという懸念について、そうしたことがあるとすれば、これをしっかり認識した上で、制度設計の際に運営面で相当気を付けなければならないと思う。この点は、役所の立場として十分自戒して進めなければいけない。
 それからもう一つ、一般論としては、よくこうした議論をすると、大体総論はいいが、各論になったときに事務運営、実務的なところで本当になかなか変わらないということがあるので、その点こそが我々役人が最も気を付けなければならないところである。先ほど指摘のあった、法律に書いてあったことは当然できるというのは当たり前のことであり、結局我々自身の頭の中も柔軟にならなければいけないし、我々の事務の末端まで、そういう意味で柔軟性を持たなければならないと改めて思った。この点については、これからこの法人化の実現が早くても16年度ということではあるが、現実の問題として今からしっかり柔軟性を持ってやらなければいけない。

【委員】
 私は大学で、法人化に向けてのいろいろな仕事をしており、非常にいい機会なので、これを機会に大学の中を変えないといけないと思ってやっている。ただ、大変心配しているのは、例えば病院の稼ぎであれば、「うちが断トツ1位だが、ちゃんとそれに見合った予算が入ってくるのか」「本当に文科省が言ったとおりなのか」「我々が220億で、2位の大学が180億か何かで、我々が断トツであり、しかも人が少ないのにこれだけ稼いでいるのに、我々の大学の仕事をちゃんと認めてくれているのか」と学長によく言われるので「先生、そんなもん文科省に言ってください」と答えているように、評価がはっきりとわからないことである。そうしたことの他に、学生の定員をどうするのか、それから予算案をどのように執行するのか、などについて透明性を持ってやってもらえれば、かえって我々のほうが励みになって頑張れる。これはいい機会だと思ってやっているので、是非透明性というか、どこで頑張れば評価されるのかということを明確にしてもらうようお願いしたい。

【委員】
 先ほど説明の中であった国立大学評価委員会の話を聞いて、また委員会ができるのか、そのメンバーがどのような方たちなのか、どうしたチェック機能がつくのか、事務的な処理が大変なのではないかという感想を持った。あと、9ページに役員のところで、「役員を始め大学運営のスタッフに、女性の積極的な登用を進める」とあるが、ここだけ女性が出ているのはなぜなのかという素朴な疑問がある。

5.今後の日程

 次回は10月10日に開催する予定であることを事務局から説明した。

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研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室

(研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室)