資料3 第7回 学術の基本問題に関する特別委員会概要(ポイント)

資料3
科学技術・学術審議会 学術分科会
学術の基本問題に関する特別委員会
(第7期第8回)
平成26年8月1日

 

○森は、ヴァナキュラーな価値(一般市場で売買できない恵み)に溢れており、人為でコントロールできるものではない。また、こうした価値を持つ森の育成には時間がかかる。まさに学術も森と同じように「ヴァナキュラーな価値」を持っており、研究者の自由な発想、創意、情熱等が一番の活性力のベースである。こうしたいわば学術の森についても、自然活性力を誘引するためには学術政策は当然必要。国家や指導者の立場に立った学術政策の審議も必要だし、個々の研究者のコミュニティ保護の問題も重要。

○こうした特性を持つ学術の森全体の中で、人文学は「教養」という地面、土台であり、地味で日が当たらないものであるが、重要である。感性や思考力、言語性や歴史観、倫理性等を養い、自然科学者等、全ての研究者の内的活動を支えている。

○学術施策は学術の森にとって重要な役割だが、イヴァン・イリイチの言う「逆生産性」に留意する必要がある。これは自然の内発的な活力をたわめて、抑圧して、かえって生産性が上がらなくなってしまうものであり、例えば、信仰の手段であった儀式が精緻化されることで、かえって信仰や祈りが空洞化してしまう。学術研究においても、イノベーションに対する社会的期待が大きくなる中で、競争が加速化し、課題達成や業務遂行の要素が大きくなり、自由で内発的な研究動機が希薄化してしまう恐れがある。

○学術研究は本来内的な必然性(necessity)から始まるが、いつの間にかニーズに合わせろ、となり、necessityが抑圧されている。多種多様な学術活動が単純化され、画一化されている。自然活性力が学術の森でも中心であれば、自然の息遣いに忠実にする施策が一番重要ではないか。慈雨の思想、つまり見返りを求めず与え続ける発想が必要である。

○人文学の活発な活動の一例を紹介したい。例えば、考古学の分野では、世界の津々浦々の発掘現場に必ず日本人の研究者がいる。日本人の手先の器用さ、熱心さ、そして科研費がそれを支えている。また、仏教研究では、日本仏教学会が仏典の電子化を行い、世界中からアクセスがある。死生学は東大の死生学・応用倫理センターが今やサナトロジーの世界的拠点等々。また、人間文化研究機構の各研究所でも面白い研究が行われている。

○中間報告におけるデュアルサポートシステムの再構築は非常に重要。運営費交付金の削減による疲弊が著しく、図書費の打ち切りなどもあり研究が進みにくいという話もある。また、基盤的経費削減の埋め合わせのために間接経費を使うことも多いが、本来研究環境の整備に使われるべきであるのに、なかなかそうなっていない。また、常に競争的資金を獲得していかなければならず、毎年申請・評価にかなりの時間が割かれている。研究費もさることながら、研究時間が非常に重要であり、研究費が研究時間の増大に繋がるような仕組みが重要。

○国際交流に関しては、人文学・社会科学では英語も重要だが、母語も非常に重要。また、国際発信について、英語による弊害もあり、英文のジャーナルに出す時に英語圏のレフェリーの関心に近いテーマでないと採択されない、されにくい傾向がある。さらに社会科学の場合、国単位で研究を行うことが多いが、英語圏で活躍している研究者の中には、日本のことを分かっていない人が少なくない。そうした人がいると日本に対して海外から誤解されることもある。

○人文学・社会科学と自然科学はよく「学術の車の両輪」と言われるが、学術の裾野の広がりや研究者の層、研究費の配分などを見るととても学術の両輪とは言えない。比喩するなら「飛行機」であり、理工学や生命科学が主翼で、人文学・社会科学は尾翼になる。重要な点は、尾翼のない飛行機は飛べないということであり、これを大事にしないと学術自体が安定飛行できない。また、「社会の側に研究への参加を求める」、「分野間連携による共同研究」、「理工系のプロジェクトの中に人文学・社会科学が積極的に参画する」などの提言が行われてきたが、果たして、うまく機能する条件が今、学術の側に整っているだろうか。例えば、社会の側に研究への参加を求めることは、評価の中に実務者の視点を入れることだが、成功例もあるものの、残念な例もかなりある。実感として何も残らず、それを継承していくような研究者にソリッドな研究基盤ができるかどうかは大きな問題。実務者の視点を入れるなら、相当な覚悟と見識が必要である。共同研究・学術の連携など、あるいは理工系分野のプロジェクトに人文学・社会科学が参画することには留保条件をつけたい。人文学・社会科学の中には固有の研究分野で非常にソリッドな研究をしながら光の当たらなかった部分が非常に多数にあり、それを補強するのが人文学・社会科学への振興助成の主眼であるべき。それが成功して初めて自然科学との連携やミーニングフルな共同研究が期待できる。

○新たな助成推進制度の設計作業と並行して、人文学・社会科学の研究に対する評価制度の再検討を避けずに取り組むべきである。学術会議の中では、学術会議全体として学術と社会というリンケージの責任をとる立場であったので、理工学や生命科学全部含めて学術全般に関してかなり議論を重ねた。研究計画の評価について、色々な研究プログラムにおけるピアレビューの活用は、申請側にも審査側にも負担感と疲労感を生み出しているが、最善とは言えないまでも次善の制度ではあって、これを批判するなら改善案を出す義務がある。人文学・社会科学の多くは、雑誌論文よりも著作の形で研究成果を評価しているため、単年度での業績評価は必ずしも実態を反映せず、研究業績が正当な評価を受けるまでに数年以上の期間を要することも多い。このため、引用頻度やインパクトファクター等の数値尺度は的確な評価の手がかりになりにくい、人文学・社会科学の有用性を測る時間的スケールは、自然科学系の学術と異なって遥かに長く、スローサイエンスとしての独自のアイデンティティを確立して、固有の評価制度を確立するべきである等の意見が出されるが、代替的な評価制度が提案されたことはない。代替的な制度を持たない限り、研究助成のメカニズムは動かない。

○現在の学術政策には大学の二極分解化のイメージがあるように懸念される。二極分解化の是非について踏み込んだ議論が必要であり、既存のハイラーキーを保存してそれを固定化するようになると、日本の学術はますます硬化現象を起こすばかりで、国際化の中での競争的な機構としての日本の大学の足取りは重くなってしまう。

○人文学・社会科学はお金がかからないと言われ、相対的に見るとその通りであるが、「ヴァナキュラーな価値」を踏まえて言うと、人文学・社会科学は、静寂な環境と国際的なヒューマンネットワークの中で研究を深めていくものであり、それを保障することは国際交流のための人の移動コスト以上に価値があり、その意味において人文学・社会科学を安い分野とは思ってほしくない。また、特に社会学者は、動きつつある社会のデータ化のために継続的な研究助成を必要としているが、それが非常に短く切られており、国際的に後れをとっている。

○人文学・社会科学における研究スタイルは、例えば論文より著作の重要性が大きい等、自然科学におけるそれとかなり違う。ピアレビュー制度に関しては、分野を越えた評価者が多数決的に評価をすることになり危険だという指摘を頂いたが、例えば今試みている特設分野のように、第一段の審査をした人が第二段階でも審査をして、そこに色々な人を含めることで、少々多数・流行に逸脱しているものであっても拾い上げることができるのではないか。

○人文学・社会科学の研究は金がかからないとよく言われるが、実際には科研費の申請数は人文学・社会科学において増加しており、例えば考古学などは費用が大変かかる。さらに、例えば本屋さんの書棚を見れば人文学・社会科学系のものがずらりと並んでいるところに見られるように、一般国民に対して人文学・社会科学がかなり影響を与えており、それがさらに国際取引や会議に自然に情報を提供しているなどの効果はある。また、日本に関する言語学や歴史学など、日本語による研究が世界一のものもあり、外国人が日本語を勉強するという期待を持っても良いのではないか、という意見もある。さらに、人文学・社会科学は国際的なプレゼンスが弱いとよく言われるが、英語で発表すればよいというものではなく、英語で論文や本を書くよりも日本語で書いた方がよいよいものを多く書けるという意見もある。

○ピアレビュー制度は次善の制度だと言ったが、次善とは、最善ではなくともそれほど悪くはないという意味。問題は、これまで改善を忘れてきたこと。多数決でやるほかないにしても、仮に他の人がその価値を見抜けなくて評価が低くても、その価値がよく分かるという人が確信を持ってサポートするなど、改善を重ねる余地はあるのではないか。また、英語や日本語での表現に関して言えば、同じものを書く場合でも表現が違うものもあり、使い分けをすれば良い。むしろ、外国人に対して「もっと深く勉強するために日本語の勉強をしなさい」ということを、英語で説得力を持って言えるようにすれば良い。

○人文学・社会科学と理工学等の自然科学を両方理解するのは中々難しく、対話をするだけでは解決しない。そのためにはまず、例えば人文学・社会科学と自然科学の両方で博士号を取得した研究者等、どちらの分野も理解できる研究者を増やすことが大事であり、そうした努力を文部科学省で行って頂きたい。その上で、人文学・社会科学のハイレベルな研究が行われる国は力がある国であり、日本はアジアの中でそういう役割を担うべき。その際に人文学・社会科学の研究者はお金がかからないとよく言うが、それは遠慮であって、本来は人文学・社会科学にこそ持続的・安定的な研究環境を整える必要がある。その際、科研費や基盤的経費がその役割を担っているが、科研費の充足率が10%低下したことや基盤的経費の継続的な減少等の事実は、こうした人文学・社会科学の研究者にはいわばボディーブローのように影響している。科研費が不安定化することは国力としての人文学・社会科学に大きな影響を及ぼす。

○人文学・社会科学系の研究における不正行為については、1つは未出版のものを引用してしまうことや、ある文献を参考にしていながらその引用を示さないこと等が考えられる。研究費の不正使用等については、自然科学と同じパターンである。

○我々の世代における文学部の教育では、研究は基本的に全部自分で行うものであり、教授たちはそのサポートをするだけであったが、如何にオリジナリティを出せるかが重要であり、それが研究だと教育されてきた。また、人文学及び社会科学の振興の報告だが、人文学ではプロジェクト的なものが少ないので、対話や他分野と一緒に考えることが必要だろうという理解。人文学全体に関して言えば、やはり研究の多様性を確保しつつ継続性を如何に確保するかという問題が非常に重要な点だと思う。

○文系の研究者は、研究内容を本としてきちっとまとめることが重要なプロセスとなっており、理系のものとは異なっているので評価が難しい。また科研費におけるピアレビュー制度での審査について言えば、大きく評点が外れた研究を見直すことは何回もやっており、それがあって初めて芽が出る。申請された研究と違う分野の先生が審査をするときに、その筋と異なる話が出たときにどこまで入れていくのかは重要な点。その上で、科研費だけで対応ができるのかといった疑問もあり、基盤的経費で支援できると良いが簡単ではない。

○人文学・社会科学の研究については、金が「かからない」のではなく金が「ない」のが現状。実際には基盤的経費が減少し、研究者等の給与を払うのでやっとであり、研究費自体は理系の間接経費から引っ張ってくる形でまかなうしかない。またスローサイエンスを支えて行くに当たって、デュアルサポートシステムが非常に重要だが、現実にはデュアルサポートがちゃんと研究者に届くようなシステムを作れるかどうかが大きな課題になっている。

○人文学・社会科学における実際の評価に関して、まず本については、本のコアになる研究はピアレビューのジャーナルにあった柱が立っている。なぜなら、ジャーナルには全てを書けるスペースがあるわけでなく、結局それは本でしか書けないので。また、論文として書こうとすると一つ一つに分解され、まとまったメッセージとして受け取ってもらえないようなものもあり、これも結局本でしか書けない。こういった場合に、クオリティーをどうやって保障するのかという点が重要になる。目利きの評価で「あんなもの」と言われてしまうようなものを審査員に出すことは、自身のレピュテーションにものすごく大きな傷をつけることであり、そうした評価が行われているような賞は、それなりにプレステージがある。
さらに、人事も重要な点。妙な人事で、学術的価値や指導力に卓越したものを持っている人ではないような、その他の交流で人を採ることが重なれば、大学は必ず没落するわけであり、これはまた時間がかかることではあるが、みなこのような要素を頭に入れて評価していると思う。

○研究評価の課題に関しては、人文学・社会科学だけが特殊なわけではない。例えば数学では世界に1人、2人しか理解できる人がいないような研究をやっている研究者もおり、そうした人の評価をどのようにしていくのかは重要な問題。一番分かる人間が、これだというものを周りが評価するやり方はどこかで作らないといけない。また、スローサイエンスについても人文学・社会科学だけの問題ではない。例えば医学分野においてコホート研究というものがあり、これはある特定の人を数十年追いかけて調査することで環境等色々な要素が健康にどのような影響を及ぼすのかを調べるものであるが、評価は数十年先になり、抱える問題は同じ。人文学・社会科学に特有の問題ではなく、学術内で多角的に評価する必要があると認識するべき。

○学術会議で行った学術大型研究計画の立案では各分野から200件の計画が選定されたが、その際の分野ごとの比率は、人文学・社会科学系が10%、生命科学系が25%、理学・工学系が65%くらいであった。人文学・社会科学でもよく吟味された提案が出されている。これはまさに、飛行機の主翼と尾翼くらいの比率になっているのではないかという印象を受けた。

○人文学・社会科学の研究においても、評価は究極的には人事であると思うし、ある期間をおくとその世界を変えるような研究成果が出てくることも時々ある。一方、毎年、よいものを選出して賞を与えるという取組も少しずつ進んできており、それが日本学術振興会の振興会賞である。現実には、まだここから推薦がないのはおかしい、ということもあるが、人文学・社会科学の中でも、こうして選んでいこうという姿勢も広がってきている。「リスク社会」報告から出てきた課題設定型の事業は、自由度を持って良い研究を探せる枠を頂いている。科研費とは異なり、議論の上で委員の提案があり、その中で具体化していくので、新しい領域を改革する可能性があって非常によい。


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