資料2 「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」における主な意見(案)-「人文学」関係-

第1 人文学の現状と課題

(人文学の現状と課題)

  • 大学における教養教育の衰退に伴って、「哲学」、「歴史」、「文学」といった、人文学の中核をなしてきた枠組みや名称が、教育の場面から急速に失われている。しかし、一方、研究の場面においては、「哲史文」の枠組みが、研究者の帰属意識として十分に引き継がれている。
  • 一般的に社会が「哲史文」に求める役割や機能、即ち、「人間」や「歴史」に対する大きな認識の枠組みの構築と提供に対して、あまりにも研究の細分化、固定化が進んでしまっているという現状に留意する必要がある。
  • あまりにも細分化しすぎるのも問題ではあるが、新しい歴史像といった認識の枠組みの創造の前提には個別的な実証研究の積み上げが必要であり、非常に重要なのである。このようなメカニズムは、自然科学において実験や計測を積み重ねることなしに創造が生まれないというのと共通している。
  • 人文学の衰退が叫ばれる一方で、知的関心の高い人々を引きつけている斬新な研究があり、これを人文学の覚醒への期待と見ることもできるのではないか。
     例えば、哲学や倫理学といった分野では、終末期医療や生殖医療における人間の尊厳といった課題を扱う生命倫理の問題や、現代人を引きつけている新宗教の問題など、哲学者や倫理学者、宗教学者の研究により様々な学説が提起されている。
     また、歴史学の分野では、現代の国際社会を理解する上で不可欠な要素であるイスラーム史に関する研究の興隆や、日本社会の包括的な理解という観点から網野善彦氏の中世社会史の研究に対する期待感といったものを挙げることができる。
     文学研究の分野では、今年、執筆後1000年を迎えた源氏物語を東アジア世界の文学表現全体の中で考察した研究や、「カラマーゾフの兄弟」の新訳が大ブームになっていることなどを挙げることができる。

第2 人文学の学問的特性

(1)総論

人文学

  • 人文学とは、「(精神的価値、歴史時間及び言語表現に関する)世界の知的領有」と「知識についてのメタ知識」である。
  • 人文学は、「教養教育」、「社会的貢献」、「理論的統合」という3つの機能に立脚した学問であり、どれか一つの機能が欠けても人文学は成立しない。
  • 「哲史文」という研究領域の背後に、より高次のあるいはより根底に関わる「人間研究」という研究領域がありうるが、現実には、「人間」を全体として考えるための様々な手段を構築しつつ、個別の研究を支えるための仕組みを考えていかざるを得ないという難しい課題がある。

文学研究

  • 「文学研究」とは、「研究者個人の精緻な読解力」、「イマジネーション」そして「人間そのものへの洞察力」を通じて、重層的かつ派生的な複合体として存在するテクストから、新たな読みの可能性を引き出すことであり、当該テクストのうちに隠された文脈と世界のモデルを発見し、それを限りなく更新していく営みことであって、これを一言で言えば、「人間の多様性の解明」である。
     研究者は、このような人間と人間間、及び人間社会の隠された多様性、多元性の発見を通じて、それぞれが与えられた存在のあり方と運命への認識を深めることになる。

(2)人文学の機能

 人文学の機能として、「教養教育」、「社会的貢献」、「理論的統合」の3つの機能を挙げることができる。

教養教育、基礎学

  • 人文学は、基本的に「教養教育」、「基礎学」としての機能を有している。
     例えば、ヨーロッパにおけるリベラル・アーツが、ヨーロッパにおける学問研究、学問教育の基礎をなしてきたことは言うまでもない。また、中国では、四書五経の読解が世界や人間を考えるための教養や理念を提供したものと言うことができる。さらに、これらリベラル・アーツや四書五経は、物事を考える上での思考のパターンや、学術上の概念の使用方法といった方法的な基礎を与えるものでもあり、これらが、法律学や医学といった専門の学問を学ぶ上での前提にもなっていた。
  • これらは現在で言えば、人文学の基礎教育とか、基礎教養と言われているものにほぼ相当している。
  • 世界や人間を考えるための教養や理念は「古典」を読むことを通じて修得できるという考え方が、ヨーロッパや中国において受け継がれてきたと考えられる。このような歴史的背景を踏まえると、現代においても、高等教育とか、生涯学習といった場面で、「古典」を読むことが推奨されることは容易に理解できる。
  • ただし、「教養」については、それぞれの地域に固有の「教養」が存在しうるものであり、さらに、それぞれの地域の固有の伝統に基づいたリベラル・アーツを前提とし、その教養の上に立った学問を作ることが重要である。世界中どこでも同じ学問ということでは必ずしもない。
  • 「教養」とは、世代間のコミュニケーション及び共時的なコミュニケーションという2つの観点から、ある種の共通のコミュニケーションの道具、即ち「共通規範」と言ってよい。
  • グローバリゼーションの時代の中で、相手とネゴシエーションをして問題解決を図ることができるかは、「教養」に幅広く立脚しているかにかかっている。

社会的貢献

  • 人文学の社会的実効性については、様々な議論があるが、やはり、公共物としての学問や、公共物としての大学あるいは高等教育という観点から、何らかの社会的実効性があることを証明しなければならない。
  • 人文学の知見が、政策形成や、制度・機構等の形成に当たって、サポート要因となることが重要である。
     例えば、文学やその他の言語表現が人々のコミュニティー形成にどのような役割を果たすことができるか、博物館・美術館等の施設や機構がどのようにして利用者に対してメッセージを発することができるのか、再生医療や終末期医療等のいわゆる生命倫理の問題について、価値や倫理の問題から人文学としてどのような考え方を提示できるのか、このような試みを通じて、人文学の知見が社会や政策に対して何らかの貢献ができるものと考えられる。
  • 人文学は、文明社会の根底にある人間観を基礎付けている。現在、情報技術やバイオテクノロジーの進展に伴い文明社会の在り方が変容しているが、そのような中で人間がどうあるべきかを人文学が提示していくことが求められている。また、その際には、人文学と自然科学とのコラボレーションが課題となる。
  • 現代社会においてあらゆる領域を覆っているグローバリゼーションの流れの中で、文化の多様性や個性との調和の観点から、人文学が果たす役割は大きい。
  • グローバリゼーションが進行する中で、固有の文化がどのようにして成立するかということに人文学者は大きな責任を持っていると考えられる。固有の文化を創り上げるためには、多様なチャネルを通じた多様な知識の蓄積が必要である。

理論的統合

  • 人文学は、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」を研究対象としている。
     即ち、人間の社会・文化が成立するに当たって人間の「精神的価値」はどこにあるのか、また、「精神的価値」は単に現存するだけのものではなく、「歴史時間」の中で形成されてきたものであり、その歴史的な脈絡はどのようにして理解できるのか、さらに、「言語表現」を理解する在り方はどのように説明できるのか、といった問題を人文学は伝統的に取り扱ってきた。これらの問題は、古典的な問題であると同時に、現在でも決して十分に説明できていない重要な問題である。
  • 人文学には、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」といった個別の研究対象に加え、自然科学的知識や社会科学的知識、技術的知識も含め、それらの知識が人間、社会及び文化に対して、どのような意味を持っているのかについての知識いわゆる「メタ知識」を取り扱うという機能がある。
     このような観点から、人文学は、個別の研究領域や研究主題を超えて、社会科学、自然科学及び技術に至るまで、これらのものを学問的に統合し、もしくは連携させるための重要な位置を占めていると考えなければならない。
  • 「知の体系化」、「知の構造化」については、「メタ知識」を取り扱ってきた人文学には、自然科学的知識、芸術的知識等々を統合することができる可能性があるということができる。
     その可能性は、かつてのアリストテレスの知の体系や、ディドロ、ダランベールの「百科全書」といった形で、その時代においては成功をおさめていることからも分かる。ただし、現在の知の蓄積は、かつてと比較にならないほど膨大であるので、情報集積、情報処理のための技術的な手段の開発という課題がある。
  • 「文学研究とは、人間を研究することである」という考え方がある。これは、「文学研究」が、根本のところで諸学の上に立っているという信念の表現とも言える。

(2)対象

  • 人文学は、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」を研究対象としている。
     即ち、人間の社会・文化が成立するに当たって人間の「精神的価値」はどこにあるのか、また、「精神的価値」は単に現存するだけのものではなく、「歴史時間」の中で形成されてきたものであり、その歴史的な脈絡はどのようにして理解できるのか、さらに、「言語表現」を理解する在り方はどのように説明できるのか、といった問題を伝統的に取り扱ってきた。これらの問題は、古典的な問題であると同時に、現在でも決して十分に説明できていない重要な問題である。【再掲】
  • 人文学には、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」といった個別の研究対象に加え、自然科学的知識や社会科学的知識、技術的知識も含め、それらの知識が人間、社会及び文化に対して、どのような意味を持っているのかについての知識いわゆる「メタ知識」を取り扱うという機能がある。
     このような観点から、人文学は、個別の研究領域や研究主題を超えて、社会科学、自然科学及び技術に至るまで、これらのものを学問的に統合し、もしくは連携させるための重要な位置を占めていると考えなければならない。【再掲】

(3)方法

  • 人文学という学問が取扱う「真理なるもの」とは、「自然にできあがったもの」ではなく、「作られたもの」である。すなわち、人間と関係のないところに存在するものを扱うのではないのだということ、全ては歴史の内に存在するのだということが、人文学者にとっての共通理解である。
  • 人間の存在は、社会であれ、文化であれ、基本的にはみな歴史の中で構築されてきたものであり、歴史について考察を行う人文学者もまた歴史の内にあり、自らも歴史に参画する者として歴史を解釈せざるをえない
     このような方法的な前提を確実に理解した上で、人文学者が何を求め、研究の成果を社会や文化に対してどのような形で提供しているかということをはじめて理解できると考える。
  • 文学研究について言えば、インターネット上の圧倒的な言語の力、即ちグローバリゼーションの力を前にして、ポスト構造主義的な理論による精緻な方法には限界があるようにも見える。むしろ、研究者個人の体験と想像力とを他者のテクスト、しかも『古典』を通じて普遍化していくという方法が重要であり、グローバル化時代においては、むしろ先端的な研究になると考えられる。
  • 従来、人文学研究は個人研究が中心であったが、共同研究により新たな知見が得られる可能性について、検討することが必要である。
  • 人的にも、情報ネットワーク的にもグローバル化が進んでいる中で、人文学研究がこのような状況を研究の起爆力としていくことができるかを検討することが必要である。
     例えば、近年、かつて海外に流出した美術品等が世界各地で発見されているという現状を踏まえ、外国に存在する文化資源を通じて、日本文化を今一度理解し直す方法があるのではないか。このような試みが、グローバル化の進行の中で現実となってきている。
  • 人文学においては、英語以外の言語の重要性を視野に入れる必要がある。

第3 社会との関係

(1)教養教育

意義

  • 人文学は、基本的に「教養教育」とか「基礎学」としての機能を有している。
     例えば、ヨーロッパにおけるリベラル・アーツが、ヨーロッパにおける学問研究、学問教育の基礎をなしてきたことは言うまでもない。また、中国では、四書五経の読解が世界や人間を考えるための教養や理念を提供したものと言うことができる。さらに、これらリベラル・アーツや四書五経は、物事を考える上での思考のパターンや、学術上の概念の使用方法といった方法的な基礎を与えるものでもあり、これらが、法律学や医学といった専門の学問を学ぶ上での前提にもなっていた。
     これらは現在で言えば、人文学の基礎教育とか、基礎教養と言われているものにほぼ相当している。【再掲】
  • 世界や人間を考えるための教養や理念は「古典」を読むことを通じて修得できるという考え方が、ヨーロッパや中国において受け継がれてきたと考えられる。このような歴史的背景を踏まえると、現代においても、高等教育とか、生涯学習といった場面で、「古典」を読むことが推奨されることは容易に理解できる。【再掲】
  • ただし、「教養」については、それぞれの地域に固有の「教養」が存在しうるものであり、さらに、それぞれの地域の固有の伝統に基づいたリベラル・アーツを前提とし、その教養の上に立った学問を作ることが重要である。世界中どこでも同じ学問ということでは必ずしもない。【再掲】
  • 「教養」とは、世代間のコミュニケーション及び共時的なコミュニケーションという2つの観点から、ある種の共通のコミュニケーションの道具、即ち「共通規範」と言ってよい。【再掲】
  • 教養教育には、大衆教育という面もあるが、才能を発掘する一つの方法という側面もある。
  • 教養教育には、人生哲学的意義とともに、社会における自分の適性を知る上で有用な側面があると考えられる。
  • 教養教育とは、人生のきっかけづくりである、多様な個性的存在が出会うということに最大の意味があると考える。
  • 古典を学ぶことを通じて、人間の在り方、社会のダイナミズムを知ることができる。このような意味で、古典を学ぶことには社会的有用性があると言えるのではないか。

課題

  • グローバリゼーションの時代を迎え、古典的な人文学的教養が通用しなくなる時代が来るのかもしれないが、古いけれどもやはりそのような教養のあり方、教養のイメージというものが、今後も長く残っていくのではないかとも考えている。
  • 画一性の論理を前提とし、個性を剥奪していくというグローバリゼーションの流れの中で、個性を前提とした「教養」というものが具体的にどうあるべきなのか、困難な問題に直面している。

充実方策

  • きわめて個人的な営みである「文学」がどれだけ普遍的な意味を持ちうるかについては、どれだけ「読者」を獲得するかということが価値基準として見られているようなところがある。
     その際、「読者」とは、いわば「教養教育」を受けた人間の数ということであり、いかに「読者」を獲得するかということが、言ってみれば、「人文学」のあるいは「文学」の最終的な目的となる。しかも、ただ「読者」を集めればよいというのではなく、できるだけ高い水準における読者を集めるということ、これが最大の問題になる。
  • 文学を全く必要としていない人間がいるのも事実である。ただし、文学を必要としている人間も確実に何パーセントかはおり、この人々に何らかのきっかけを与える道筋をつくること、これが教養大国をつくる一つの細い道ではないかと思う。
  • 「教養」の社会的拡がりを確保するためには、メディア関係者の理解を得ることが重要である。メディア関係者の理解を得られることで、効果は何倍にも拡がっていく可能性を有している。
  • このような社会的な機能を有している『教養教育』の充実のためには、教養知と最先端研究の結合という観点から、『共通規範』である古典研究への集中的な知の投資が、そして、文学の国民への還元という観点から翻訳や出版に対する支援策が求められる。
  • 大学教育の場面においても、やはり本物の授業をしている教員、本物の研究をしている研究者が、やはり学生の支持を得ている。したがって、本当に学生を感動させる教育や研究を創造していくことが重要である。
  • 学生が知的なものに対して興味が薄れているというようなことが言われているが、必ずしもそういうことではない。大学の教育の中で少し刺激してやれば、多くの学生がそれに反応することは間違いないと考える。したがって、教養教育は、教育組織や教育に携わる教員や研究者の集団というものが適切に機能すれば、成り立つと考えている。
  • 「教養」は個人に関する事柄であり、本来は個人のモチベーションと個人のアクティビティよって獲得されるべきものという考え方もあるが、学校教育や生涯学習といった側面で、行政の支援というものがあってもってもよいのではないか。

(2)社会的貢献

  • 人文学の社会的実効性については、様々な議論があるが、やはり、公共物としての学問や、公共物としての大学あるいは高等教育という観点から、何らかの社会的実効性があることを証明しなければならない。【再掲】
  • 人文学の知見が、政策形成や、制度・機構等の形成に当たって、サポート要因となることが重要である。
     例えば、文学やその他の言語表現が人々のコミュニティー形成にどのような役割を果たすことができるか、博物館・美術館等の施設や機構がどのようにして利用者に対してメッセージを発することができるのか、再生医療や終末期医療等のいわゆる生命倫理の問題について、価値や倫理の問題から人文学としてどのような考え方を提示できるのか、このような試みを通じて、人文学の知見が社会や政策に対して何らかの貢献ができるものと考えられる。【再掲】

第4 人文学の振興方策

(1)研究者養成

  • 研究主題の細分化という研究現場の現状に照らし、総合学としての人文学を担いうる人材の養成には大いに課題がある。
  • かつて人文学の世界には「巨人」がいた。ただ、そのような「巨人」は、何か特定のカリキュラムがあったから養成できたというものではない。
     しかし、歴史家であれば歴史学の歴史を、文学研究者であれば文学研究の歴史を学ぶことにより、人文学がこれまで果たしてきた役割や、あるいは欠陥も含めて学んでいくことができる。このことは、優れた研究者養成の一つの方策かもしれない。
  • 人文・社会科学分野においては博士号の取得が容易ではないという現状は、やはり国際的な視点からみて課題があるのではないか。世界から優れた人材を大学院に受け入れていく観点からも、取り組みが必要である。

(2)学協会の役割

  • 人文学研究や教養教育の振興について、学会が果たす役割というのがもっとあるのではないか。

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研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)