量子情報処理・通信(うち量子コンピューティング)に係る議論(H28.5.10、第3回)の骨子案

平成28年6月20日
科学技術・学術審議会 先端研究基盤部会 量子科学技術委員会

量子情報処理・通信(うち量子コンピューティング)
に係る議論(H28.5.10、第3回)の骨子案

研究動向

○ 量子コンピューティングは、量子力学的な効果を用いて超並列・大規模情報処理を行う技術であり、現在の最速スパコンでも例えば数千年を要するなど現実的な時間で解けないような一部の問題を、短時間かつ超低消費電力で計算できるようになると期待されている。(注1)

○ 1990~2000年代から、量子情報処理を可能とする物理素子、先端レーザーによる量子状態制御といった要素技術や、量子誤り訂正といった理論に進展があり、近年、欧米政府やGoogle社等の世界的企業が中長期的観点からの投資を拡大している。(注2)

○ 現在のコンピュータが「0」か「1」の二進法を用いて計算を行うのに対し、量子コンピューティングでは「0」と「1」が重ね合わせで存在する状態を情報処理の単位(量子ビット)として計算を行う。このような量子ビットを用いることにより超並列・大規模情報処理が可能となる。

○ 量子ビットを物理的に実現する素子として、超伝導量子ビット(超伝導材料からなる回路を流れる電流の巨視的量子状態を「0」と「1」の重ね合わせとして利用するもの)、スピン量子ビット(固体中の電子や原子核のスピンと呼ばれる物理量の量子状態を「0」と「1」の重ね合わせとして利用するもの)が、現時点で研究が進んでいる代表例として挙げられる。

(超伝導量子ビット)

○ 超伝導量子ビットは、我が国研究者が世界に先駆けてデバイスを開発し、1999年に論文発表された。量子ビットは外乱で壊れやすいのが本質であり、当初は、量子ビットの状態を保持し情報処理に利用できる時間(コヒーレンス時間、いわば寿命)が短かったが、日、蘭、仏、米などの研究者がしのぎを削って現象解明に取り組みながら発展し、これまで約10万倍の100μ秒のコヒーレンス時間が実現されている。

○ 一方、個々の量子ビットの寿命の延伸は有限なため、複数の量子ビットを一まとめに捉えて、個々の量子ビットの誤りを訂正するアルゴリズムを組み込むことで、実効的な1つの論理ビットとして量子状態を長い時間保持することが行われる。十分長い任意の時間、情報処理に利用するには、更に誤りに対する耐性を持たせるようにすることが必要となるが、現在、世界的に、9量子ビットを集積化して、簡単な誤り訂正アルゴリズムを動かすことが実験的に行われている。

○ 今後は、量子ビットのより大規模な集積化と、誤り訂正を組み込んだ論理ビットを1つでも十分長い任意の時間、保持することが次のマイルストーンとされている。 (なお、現時点で、既存のスパコンを凌駕するような計算には107個以上の論理ビットが必要と想定されており、その実現には数々のマイルストーンの達成が必要と考えられる。)

(スピン量子ビット)

○ スピン量子ビットも、我が国研究者が世界に先駆けて1996年にデバイスを開発した。日、蘭、英、米、豪などの研究者がしのぎを削って現象解明に取り組みながら発展し、2012年にはコヒーレンス時間が短い(55n秒)ものの、潜在性の高い材料であるシリコン中に1 つの電子スピンで量子ビットが実現された。さらに、我が国研究者が作製した、電子スピンに外乱を与えない同位体組成のシリコン結晶がブレークスルーとなって、1m秒のコヒーレンス時間が2014年に実現されている。

○ また、シリコン結晶上に2次元の電子回路を組み合わせることで、演算に参加する電子スピン量子ビットの選択性を確保すること、2つの電子を並べて相互作用を使って簡単な演算を行うことが実験的に行われている。

○ 今後、シリコン中のスピン量子ビットについては、量子ビットの小規模な集積化方法の解明と、誤り訂正を組み込んだ論理ビットの確立が次のマイルストーンと考えられている。

(各アプローチの概観)

○ 個々の量子ビットのコヒーレンス時間は、超伝導量子ビットに比し、シリコン中スピン量子ビットの方が長い時間が実現されている。一方、量子ビットの集積化や相互作用の操作では、超伝導量子ビットの方が道筋が見えているとの特徴が挙げられる。何れも極低温で実現されるという特徴があり、組み合わせる古典制御技術の極低温領域での確立も課題として挙げられる。

○ スピン量子ビットでは、常温で実現され、量子コヒーレンス時間が比較的長いダイヤモンド中の電子スピン(0.5秒のコヒーレンス時間が報告されている)も、我が国をはじめ世界的に注目されている。2014年には、常温動作のスピン量子ビットとしては世界で初めて誤り訂正が実現された他、理論主導で大規模な量子コンピュータを実現する素子とアーキテクチャ双方の詳細が世界で初めて示されるなど、ダイヤモンド中の電子スピンにおいても我が国研究者による先導的な成果が生まれている。また、新しい材料によるブレークスルーも期待されるが、集積化のみでは課題があるため、小規模な集積素子をつなぎ、分散型の情報処理を目指すという方向も一つの世界的な流れである。

○ 何れも、量子ビットのコヒーレンス時間の保持・向上を目指した上で、スケーラブルな量子情報処理アーキテクチャに基づく、更なる集積化と、誤り訂正を組み込んだ論理ビットの確立が次のマイルストーンと考えられている。誤り訂正の方式や量子情報処理アーキテクチャについても、現在用いられている方式がベストの解という証明はなく、理論的なアプローチからもブレークスルーがあり得る。このように、実験的なアプローチと理論的なアプローチ、さらにはブレークスルーが相互作用・融合しつつ、更なる発展が遂げられると期待される。

○ 量子ビットを物理的に実現する他の手法としては、イオントラップ法(電場等でイオンを捕縛し、その原子核のスピンと呼ばれる量子状態を利用するもの)や、トポロジカル量子ビット(未発見・未解明のマヨラナ粒子と呼ばれる素粒子を利用しようとするもの)、光を用いる方法が挙げられる。イオントラップ法では複数のスピンを相互作用させられることが確認されているが集積化に工夫が必要と考えられ、現在は主に海外で集積化が試みられている。トポロジカル量子ビットは、安定な量子ビットが実現できる可能性があると指摘されているが、主に海外で基礎的な探索が行われている。

(量子アニーリングマシン)

○ 量子コンピューティングに向けては大きく二つの方向性が模索されている。一つは上述の量子ゲート方式と呼ばれるデジタル型の量子コンピューティングであり、もう一方は量子アニーリングマシンに代表されるアナログ型の量子コンピューティングである。

○ 組合せ最適化問題が短時間かつ超低消費電力で計算できると想定されている量子アニーリングマシンの例としては、カナダのベンチャー会社であるD-Wave 社の世界初の商用機「D-Wave」があり2015年には1000ビットの商用機を発表している。D-Wave には我が国研究者が世界に先駆けて開発した超電導量子ビットの技術が適用されている他、我が国研究者が1998年に理論提案をした量子アニーリングの手法が適用されることで実現したものである。

○ 一方、組合せ最適化問題に関しては我が国においても、ImPACT「量子人工脳を量子ネットワークでつなぐ高度知識社会基盤の実現」プログラムにおいてコヒーレントイジングマシンと呼ぶ、量子ビットに相当するレーザーパルスを用いる、量子アニーリングとは異なる新たな計算手法が提案・実験されている。本プログラムにおいては2018年度の終了時点で10000ビットの達成を目指しており、今後の展開が注目されている。

日本の強み・課題

○ 超伝導量子ビット・スピン量子ビットに係る世界初の要素技術や、量子アニーリングの理論提案をはじめとして、量子コンピューティングに係る枢要なアイディア・要素技術が我が国研究者の研究に端を発することは特筆に値する。これは、我が国に物理学や材料科学の強みがある上で、長年にわたる連綿とした基礎研究の取組と人材育成があってこその成果と考えられる。

○ 超伝導量子ビットやスピン量子ビットの更なる集積化という面では、電子回路設計・レイアウト・プロセス技術といった半導体技術や光技術など、これまで我が国で培われてきたような技術の活用・開発が鍵と考えられ、日本の強みとなる期待や可能性がある。

○ 要素技術を開発した我が国でなく、欧米で多量子ビット集積化が進んでいることについては、これにはある程度の研究資源が必要であり、欧米の研究者はそれを獲得できているという面がある。また、欧米における更なる集積化に集中したプロジェクト的な研究開発投資や民間企業による研究開発投資の存在も挙げられる。

○ 研究者数で言えば、超伝導量子ビットを例にとれば、米国では数百人に対し、我が国では数十人といった人材層の厚みの違いがある。欧州はその中間と言える。実験だけでなく、誤り訂正といった理論的なアプローチについても、同様の人材層の厚みの違いがある。ただし、我が国には国際的に活躍する優秀な若手研究者が存在することも事実。

○ 我が国においては、ある研究の進展により新たな領域で若手研究者が育っても、大学等の研究室を主宰できるポストに全体として流動性がなく、ポストに限りがあることも課題。推進方策の検討にあたって考慮すべき点

○ 我が国の限られた資源と欧米の投資規模を考えると、正面突破は難しく、現時点で本命技術を決めて集中投資するのは時期尚早で失敗する確率が高いと考えられる。

○ 独自の視点やアイディアを生み出すことが非常に重要。欧米とは地理的にも距離があるが、それを逆手にとって勝負すべき。

○ 世界的に興味深い技術、アイディア、ソフトウェアが出続けており、現在ある点や線を深掘りするより、突出した点と点をつないで新しい領域を拓くような、ハイブリッド的な推進方策が望ましいのではないか。

○ その際、世界的な潮流は理解した上で、若手研究者のアイディアを開花させるような、探索的でクリエイティブな研究の新しい芽を育てることが重要。クリエイティブな人材を生み育むための方法でもある。

○ 2016年度から開始された戦略目標「量子状態の高度制御による新たな物性・情報科学フロンティアの開拓」では、特にさきがけで、探索的でクリエイティブな研究の新しい芽を見出し育てることが期待される。

○ 量子コンピューティングの実現に向けては数々のマイルストーンが存在するため、国際的にも、基礎研究の成果としてオープンな研究交流がなされることが重要であり、その切磋琢磨の中でブレークスルーが生み出されるのではないか。他の量子情報処理・通信技術と同様に、量子コンピューティングにおいても、一国に閉じた開発が可能であるとは考えられておらず、国際的な協力のもと推進されていることが、欧米における量子コンピューティングの急速な進展の一因であると考えられる。

以上

注記

(注1)
デジタル量子コンピュータでは、素因数分解(例えば通信暗号の解読)やビッグデータの超大規模検索など特定のアルゴリズムが超高速に超低消費電力で計算できると想定されている。例えば、キャッシュカード取引・銀行間の秘匿通信やインターネットの電子決済に用いられている現代の暗号通信は、「公開鍵暗号」が基盤となっており、現在のコンピュータ(フォン・ノイマン型)が素因数分解の処理に超天文学的・非現実な時間を要してしまう事実から成立しているが、量子コンピューティングが実現すれば、公開鍵暗号を合理的な時間内に解読することが可能になり、現在の暗号通信インフラの前提が覆る可能性がある。また、アナログ量子コンピュータの一つである量子アニーリングマシンでは、組合せ最適化問題が超高速に超低消費電力で計算できると想定されている。膨大な数の選択肢の中から一番良い選択肢を見つけ出す問題であり、例えば、セールスマンが複数の都市を回る際に所要時間が最短になる経路を求める巡回セールスマン問題が代表例である。カーナビのルート検索、複数の飛行機の最適配置・最適経路、大きさの異なる貨物の積載といった、交通・物流の経路や配置の最適化、携帯電話等の無線周波数割当てなどの有限資源の最適分配、集積回路設計や工場の行程設計等のものづくり利用など、様々な現実の経済・社会における課題の最適化を促す可能性がある。

(注2)
2010年、カナダのベンチャー企業であるD-Wave社が量子アニーリングマシンと呼ばれる世界初の商用機(128ビット)を発表。2015 年までに1000ビットの商用機を発表しており、ロッキードマーチン社やGoogle社等が導入している。米国では、政府のファンディング機関である国防省傘下のDARPAや情報機関傘下のIARPAが量子コンピューティングに関して大学や企業への研究開発投資を活発に行っている中、2013年にGoogle社がカリフォルニア大学サンタバーバラ校の研究グループを吸収。2014年にはIBM社が5年間で$3Bの量子コンピューティングを含む研究投資を発表している。欧州では、2013年に英国政府が5年間で£270M、2015年にオランダ政府が10年間で€135Mの量子コンピューティングを含む研究イニシャティブを発表。オランダ政府が投資するデルフト工科大学には、Microsoft社やIntel社(10年間で$50Mの支援を2015年に発表)も投資している。また、欧州委員会でも、2018年から「Quantum Flagship」と呼ばれる研究プログラムに€1Bを投じる計画を進行中。

用語解説

(※必要に応じ追加的に記述)

お問合せ先

科学技術・学術政策局 研究開発基盤課 量子研究推進室

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(科学技術・学術政策局 研究開発基盤課 量子研究推進室)