【資料1-1】 高輝度放射光源とその利用に関する中間的整理


平成29年2月7日
科学技術・学術審議会
先端研究基盤部会
量子科学技術委員会
量子ビーム利用推進小委員会

高輝度放射光源とその利用に関する中間的整理


1.はじめに

  我が国で放射光の研究が開始されてから約半世紀が経過し、放射光は、物質の構造や性質の解析・分析等により、様々な分野において学術研究から産業利用まで広く利用され、我が国の科学技術イノベーション政策における極めて重要な量子ビーム利用に係る研究開発基盤となった。放射光施設・技術の面でも、我が国は世界の先頭集団を牽引し、最先端研究施設から生み出される研究成果は、高温超伝導体や固体セラミック電池の材料研究、自動車用排ガス触媒や高性能タイヤの開発など、サイエンスのみならず社会・経済的にもインパクトを与えている。
  他方、世界的に、高輝度の軟X線領域に強みを持つ放射光施設(以下、軟X線向け高輝度放射光源とも言う。)の整備が相次いで進行している。電子エネルギーが比較的低い領域でも、技術の進展により高い輝度の放射光を発生させることが可能となったためであり、2000年代での各国での整備に続き、2010年代に入り、米国、台湾、昨年6月にはスウェーデンで、更に性能が高く、一部性能は我が国のSPring-8をも凌ぐ次世代の放射光施設が稼働を開始している。
  昨年閣議決定された第5期科学技術基本計画を踏まえた、超スマート社会やSociety5.0という未来社会や光・量子技術をはじめとする科学技術の進展にとっても、最先端放射光施設がもたらす先端研究は重要な鍵となる可能性があり、上述の国際競争に鑑みても、我が国における放射光利用環境に関する政策的な検討が早急に求められている。
  これらを背景として、量子ビーム利用推進小委員会(以下「小委員会」という。)において、次世代の軟X線向け高輝度放射光源やその利用について、平成28年11月より、具体的な調査検討を開始した。
  本中間的整理は、内外の研究動向及び施設動向、求められる性能等の技術的事項、我が国における政策的意義、その他上記に関連する事項について、これまでに小委員会で行われた議論を整理したものである。


2.内外の研究動向及び施設動向

  平成27年4月に取りまとめられた「次世代放射光施設検討ワーキンググループ報告書」でも指摘されているように、第4期科学技術基本計画期間までの間に継続的に整備されてきた我が国の放射光施設の総数は2017年1月現在で9つを数えている。これらの放射光施設はこれまで物質科学、生命科学、地球科学分野等の幅広い分野で数々の高インパクトな学術成果を生み出すとともに、創薬から新材料開発等の広範な産業利用や応用展開を通じて幅広く社会に還元され、様々な科学的・社会的課題の解決に資するイノベーションの源泉としての役割を果たしてきた。
  一方、我が国には、軟X線領域に強みを持つ高輝度光源の放射光施設が存在せず、この波長領域を重点的に利用する分野の研究開発において世界と互角に競争していくための環境が整っているとは言えない状況にある。
  海外においては、2000年代に数ナノメートルラジアン[nm・rad]級のエミッタンス性能を備えた軟X線向け高輝度光源が相次いで建設されたのに加え、2010年代には更なる低エミッタンス化を目指したNSLS-II(米国)、TPS(台湾)が建設され、2016年6月にはマルチベンドアクロマット(MBA)ラティスの採用によりエミッタンス0.3 nm・rad程度を目標とするMAX-IV(スウェーデン)が稼働開始している。さらにDIAMOND(英国)及びSOLEIL(仏国)においてもMBAラティスの採用による低エミッタンスリングへのアップグレードが計画されており、3 GeV級の低エミッタンスリングの整備が進んでいる状況であり、世界的にMBAという新しいラティスにより第3世代放射光源よりもエミッタンスを下げた第4世代放射光源を目指すという方向性があると言える。
  海外で3 GeV級の光源建設が進んでいるのは、いわゆるテンダーX線(2~5 keV)及び軟X線(2 keV以下)のエネルギー領域は科学的及び産業的なニーズが高い領域であるとともに、このエネルギー領域に加えて硬X線領域(5~20 keV)もカバーできる加速器技術が進展してきたことが要因である。
  これまでの放射光研究は構造解析に重きが置かれていたが、物質の機能を調べるには物質内の電子状態も同時に調べることが必要であり、近年、放射光を利用した電子状態研究が非常に重要な役割を果たしつつある。硬X線分光は、機能に直接関わる電子状態を間接的に観測することしかできなかった。軟X線分光では、軽元素のp軌道、遷移金属のd軌道など、機能に直接関わる電子状態を選択的に観測することができる。高輝度光源では、電子ビームの低エミッタンスにより、既存施設に比し100~1000倍の高輝度の放射光が得られ、局所領域を対象に様々な測定手法でより鮮明な観察ができる。このため、既存施設に比して1/100の時間(100倍の時間分解能)でも鮮明なデータが得られるようになり、物質の反応等の速い時間変化も観察が可能になることが期待される。また、3 GeV級放射光源では軟X線領域で高いコヒーレンスが得られるため、コヒーレンスをいかに使うかという視点も重要である。ビームを絞ると試料ダメージが生じるが、絞らずにコヒーレンスを使う(コヒーレント回折イメージング)ことで、試料ダメージを抑制しながら、1 nmの空間分解能を出すことができる。これにより不均一で複雑な系の材料解析が進むと期待されている。
  産業利用においても、これまで硬X線による構造解析が様々な製品開発に活かされてきた。一方、製品で起こる複雑な現象の理解には、物質構造に加え、機能に影響を与える「電子状態」、「ダイナミクス」の統合的理解が重要であり、軟X線向け高輝度光源を複雑な材料系である実際の製品の開発に積極的に活用することが期待されている。


3.軟X線向け高輝度放射光源の科学技術イノベーション政策上の意義

  小委員会では、様々な分野の有識者からのプレゼンテーションを通じて、国内外のサイエンスの動向、それを踏まえた軟X線向け高輝度放射光源の具体的な科学技術イノベーション政策上の意義、将来の利用環境について考慮すべき事項等について議論を行った。


【軟X線利用の特徴と基本となる分光技術】
  小委員会では、軟X線の特徴と基本となる3つの分光技術(光吸収分光、光電子分光、発光分光)について、次世代の軟X線向け高輝度3 GeV放射光源(以下、「次世代光源」という。)の実現による利点とその課題について調査検討を行った。
  まず、硬X線は重元素の分析が中心になるのに対し、軟X線は軽元素の分析が中心になる。また、硬X線は、透過力が高いため、物質内部までの分析が可能であるとともに、大気中での実験が可能なため実験が容易という特徴があるが、軟X線は透過力が低いため、物質表面の分析が主となり、高真空、若しくはヘリウム中での実験を行う等の工夫が必要になる。実験手法としては、硬X線では回折による構造解析が基本であるが、軟X線では分光による電子状態解析が中心になる。
  軟X線光吸収分光は、物質の機能に関わる軌道(非占有軌道)の情報を、ラベルフリーで(NMRや電子顕微鏡のように重元素を加える等の試料の修飾をせずに)元素選択的に観測することができるという特徴がある。軟X線吸収のエネルギーレベルは化学結合状態に非常に敏感であるため、高いエネルギー分解能が重要である。既に第3世代光源において光量は十分であるため、次世代光源においては、光量を落とさずエネルギー分解能をさらに上げることが可能になり、化学的環境変化によって生じる数meV単位での軟X線吸収スペクトルのシフトが観測可能になるなど、詳細な化学状態の分析が可能になると期待される。また、空間分解能に関しては、フレネルゾーンプレート(FZP)を用いて集光する手法では、既に限界となっている20~30 nmの空間分解能を達成している第3世代光源以上の利点はないと考えられるものの、次世代光源においては、軟X線領域で高いコヒーレンスが得られるため、コヒーレント回折イメージング(タイコグラフィー等)により、1 nmの空間分解能を出すことも可能になると期待される。
  軟X線光電子分光は、内殻電子のスペクトルのシフトを測定することにより原子の価数や結合状態の情報を得ることができるという特徴がある。光電子分光においても、空間分解能とエネルギー分解能を向上させることが重要であるが、エネルギー分解能に関しては既に第3世代光源で十分なレベルに達している一方、エネルギー分解能と空間分解能を両立することが困難であった。次世代光源ではコヒーレント成分が増えることによりエネルギー分解能を犠牲にせず空間分解能を上げることができるようになると期待されている。
軟X線発光分光は、軽元素のp軌道や遷移金属のd軌道など、物質の機能に直接関わる電子(価電子)を元素選択的に観測することができるという特徴がある。軟X線では発光確率が非常に小さく、これまでは空間分解能を犠牲にしてエネルギー分解能を上げる方向で進展してきたが、次世代光源の実現により、空間分解能との両立が可能になると期待される。ただし、光量が多くなることから試料ダメージが課題になると考えられる。


【個別分野における具体的な意義】
  軟X線向け高輝度放射光源は、基礎科学だけでなく産業利用も含め、広範な分野での利用が期待されるが、これまで小委員会では、触媒化学、生命科学、磁性・スピントロニクス材料、タイヤゴム材料等を個別分野の例として、軟X線向け高輝度放射光源の科学技術イノベーション政策上の意義について、有識者からのプレゼンテーションに基づき、調査検討を行った。


(触媒化学)
  触媒化学においては、固体表面の化学過程を理解することが不均一な触媒学理を理解するための鍵となっている。2007年に独国の化学者Gerhard Ertlが固体表面の化学過程を精密科学の対象にまで引き上げたことを評価されてノーベル化学賞を受賞しているが、Ertlの方法論は多くの触媒化学者の研究に影響を与え、「その場観察」を目指す強い流れにつながっている。触媒化学は、触媒反応機構の解明を通じた触媒学理の発展と学理に基づく触媒開発によって進展しており、反応過程の「その場観察」がその鍵となっている。放射光は「その場観察」に優れた光源であり、これまでに放射光を利用したオペランド観測手法が発展してきた。触媒解析に用いられる手法が多くある中で、放射光による触媒解析は、構造解析能、化学状態解析能、オペランド解析能の点で優れており、例えば不均一な触媒のナノスケールの局所構造や化学状態分布解析が可能であり、放射光は透過力が高いことから反応ガスや溶液が共存する作動環境下でのその場観察も可能である。
  硬X線による触媒解析では主に重元素を含む触媒側の構造や化学状態に関する情報が得られるが、軟X線では軽元素を含む反応・生成種側の両方の解析が可能であり、特に軽元素感度が活かせる触媒関連物質として、カーボン系触媒、有機分子触媒、生体触媒などの軽元素触媒の詳細解析が可能になると期待される。また、通常の触媒においても、自動車触媒における一酸化炭素、窒素酸化物やハイドロカーボン、合成触媒におけるポリエチレン、エチレンオキシドやアンモニア、電極触媒における水や酸素など、軽元素で構成される反応種・生成種を触媒と併せて総合的に解析することが可能になると期待される。これにより、これまで観測することができなかった吸着過程と活性相再生を含む触媒サイクルのダイナミクスの解析や、反応種の顕微分析によるマルチスケールの不均一性と触媒機能の関わりの解明が期待される。また、構造だけでなく反応中の電子状態の解析も可能になることから、微粒子効果、担体効果、合金効果といった触媒作用における重要因子を詳細に解析することが可能になると考えられる。
  産業利用の観点では、軟X線オペランド観測により触媒の活性起源や劣化機構の解明が期待されるが、これらの情報は企業の触媒開発においても非常に有用であると考えられる。オペランド観測による活性制御因子や最適利用条件の調査、新しい反応機構に基づく新規触媒の開発、その性能を引き出すための条件の解明などを通じて、企業における新規触媒開発を促進することが期待される。


(生命科学)
  生命科学においては、軟X線向け高輝度光源が開く電子状態生命科学への期待が述べられた。21世紀の構造生命科学は2000年代の構造ゲノムプロジェクトに端を発し、生命現象の理解と医療・創薬に向けて生命現象を多階層(個体・組織から細胞・分子・原子レベル)で可視化することで進展してきた。生命現象の理解には「多階層構造の理解」と「局所構造の理解」が必要であるが、各階層において必要な可視化技術は異なり、それぞれの長所短所を見極めて、多角的アプローチを通してタンパク質の生体中における真の働きとメカニズムを解明するハイブリッドメソッドが有効である。その中で放射光は、原子構造、分子構造の解明を通じて、構造生命科学の進展、医療・創薬への応用展開において大きな役割を果たしてきたといえる。
  生命現象の本質的な理解にはタンパク質の静的な状態だけでなく、タンパク質の動的構造変化とそれに伴って起こる化学反応の原理を理解することが重要であり、構造変化の各ステップで止めた中間体の構造解析を行うことで化学反応のメカニズムを推定するというアプローチでの研究が行われている。一方、構造解析では反応そのものは見ておらず、化学反応の真の理解には電子状態の詳細解析が必要である。これまでは、大気中で実験ができるなど実験が非常に簡単な硬X線分光を中心に発展してきたが、硬X線では電子状態を間接的に見ることしかできず、電子状態の詳細解析には不十分であった。
  高輝度軟X線光源の実現により、軽元素のp軌道や遷移金属のd軌道など、タンパク質の機能に関わる電子状態を、高いエネルギー分解能で元素選択的に精密解析することが可能になり、タンパク質の「機能の見える化」が期待される。例えば、メカニズムの解明が期待される光合成タンパク質においては既に精密な構造解析が行われているが、その化学反応過程は構造解析に基づく推定しかさなれておらず、軟X線向け高輝度光源により化学反応過程の可視化が期待される。また、SPring-8における軟X線の100倍の光量になれば、これまで1試料の分析に1時間かかっていた分析を30秒でできるようになり、系統的に試料分析を行うことが可能になる。これによって、電子論に立脚したタンパク質研究という新しい分野が切り拓けるようになると期待される。
  ただし、軟X線発光分光で高い空間分解能を出そうとすると照射ダメージの問題も生じるため、高速フローシステムやX線自由電子レーザー(XFEL)施設で開発が進められている液体ジェットシステムなどの試料更新技術を活用していくことが重要と考えられる。


(磁性・スピントロニクス材料)
  磁性・スピントロニクス材料分野においては、希少元素を使わない省エネ新規磁性材料、データストレージにおける磁気記録の高密度化、IoT社会を支える磁気センサー技術、及びコンピューティングメモリの省エネルギー化等を目指した研究開発が行われている。このためにはナノスケールで界面構造の理解が重要であり、軟X線向け高輝度放射光源が大きな役割を果たすと期待されている。
  希少元素を使わない新規磁性材料においては、非常に貴重な元素であるディスプロシウムを使わないネオジム磁石が注目されており、電気自動車への応用が広がっている。このような新規磁性材料の開発においては、保磁力の向上が求められており、結晶粒の微細化によって高保磁力化を目指す流れがある。保磁力を理解するには、磁界をかけながら磁区のその場観察を行うことが重要であるが、例えばMOKEマイクロスコピーを用いた方法では、きれいに研磨した表面上の磁区しか観察できず、実際の磁石で起こっている磁区と異なる情報しか得られないという問題がある。透過型電子顕微鏡やホログラフィー電子顕微鏡も試料を薄膜にする必要があり、同様の問題がある。
  SPring-8に整備された軟X線MCDでは、結晶粒界に沿って破壊された破面における磁区構造の様子を最も現実に近い形で観察することが可能となっており、軟X線が磁区のその場観察を行う上で重要な役割を果たしている。一方、磁性材料の研究で扱う結晶粒のサイズは微細化が進んでおり、現在では200 nmとなっている。SPring-8の軟X線ビームサイズは最小でも100 nm程度であり、このような超微細な磁石の磁区構造を観察するには、軟X線向け高輝度放射光源のコヒーレンスを利用して1~10 nmスケールの空間分解能を実現することが重要である。
  このように1~10 nmスケールの空間分解能を実現することができれば、バルクの磁石だけでなく、データストレージやスピントロニクス素子の研究にも応用できる強力な開発ツールとなると期待される。例えばデータストレージにおいては、クラウドやAI等の進展によって大量のデータが保存されるようになり、データセンターで使われる消費電力が課題となっている。このため磁気記録の高密度化を目指した研究が産業界で進められており、熱アシスト磁気記録やマイクロ波アシスト磁気記録という技術が注目されている。これらの技術の研究を進める上では磁化反転のダイナミクスを観察することが重要であり、磁石と同様に10 nm以下の分解能が必要とされている。また、磁気記録に書き込むヘッドも重要であり、電気抵抗の低い磁気抵抗素子を、ホイスラー合金というスピン分極率の高いハーフメタルを用いて開発しようという研究が行われている。ハーフメタル材料は磁気ヘッド以外にも高感度磁気センサーや大容量のMRAMなど様々な応用が期待されているが、温度が上がると磁気抵抗比が著しく減少するという課題がある。その原因を解明するためには、スピン分極率の測定によって原因を解明することが必要であり、軟X線向け高輝度放射光源を用いたスピン分解光電子分光の活用が期待される。
  コンピューティングメモリにおいては、磁性体を用いることで、DRAM等の電源の供給を必要とするメモリを、電源の供給を必要としない不揮発性メモリに置き換えることで省エネルギー化を実現することが期待されている。一例として、内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)では、電流を流さず、電圧による磁化制御で省エネルギー化を目指す電圧トルクMRAMの実現に向けた研究開発が行われている。電圧トルクMRAMには、酸化還元反応に基づかず大きな電圧効果を出せる材料が探索されているが、酸化物の生成の有無を判断するためには現状より2桁の測定精度向上が必要であり、軟X線向け高輝度放射光源の実現が期待される。


(タイヤゴム材料)
  小委員会では、産業利用の一例として、タイヤゴム材料における軟X線向け高輝度放射光源への期待が述べられた。タイヤゴム材料はポリマー、フィラー、架橋剤、添加剤等の10数種類以上の素材からなる非常に複雑な系となっている。各素材の構造や物性は既知であるが、ゴムとして混ぜた場合には、空間構造的にも時間構造的にも非常に幅広いスケールでの階層構造によって機能を発現しており、そのメカニズムの解明は非常に難しい課題であった。
  このような非常に複雑な系の理解において、放射光は本質的な役割を果たしてきており、X線プローブサイズと強度が向上するにつれて、2000年頃に材料構造と物性との相関解析による推定に基づく素材開発から、材料構造にダイナミクスを含めた機能発現の理解に基づく素材設計・開発が行われるようになった。その結果、放射光の成果を活かした高性能タイヤが製品化されている。さらに近年では化学(電子)状態変化まで含めた複雑系の理解に基づく実製品を開発しようという流れになっており、高輝度軟X線放射光源が重要な役割を果たすことが期待されている。
  具体的には、ナノビームによる高空間分解能により、従来のビームでは埋もれていた、材料中の局所で発生し物性に大きく影響する部分の情報が得られるようになることから、ゴム材料のような複雑系の解析に有効であると期待される。また、局所情報と大スケールでの測定を併せることで複雑系における統計的な正しさの検証にも有効であると考えられる。また、軟X線観察の元素選択性を活用することにより、ゴム材料の劣化機構を元素ごとに詳細に解析することが可能になり、例えば、ゴム内部のあるポリマーだけが選択的に劣化されているといった情報を得られると期待される。
  コヒーレンスを活用するという観点では、タイコグラフィーのような高空間分解能の軟X線観察ができれば、従来の電子顕微鏡ではシリカやフィラーしか観察できなかったところを、元素選択的に顕微観察ができるため、様々な材料を分離して解析することが可能になり、飛躍的な材料開発につながることが期待される。また、XAFSによる化学状態解析を組み合わせることによる新たな展開も期待される。加えて、X線光子相関分光法において、広角側のコヒーレンスが向上すれば、より速いダイナミクスの観察が可能になることも期待される。


(将来の利用環境において考慮すべき事項)
  小委員会では、各分野での高輝度軟X線利用環境について考慮すべき事項についても調査検討を行った。
  触媒化学における軟X線利用においては、幅広い元素を対象とする観点から0.15~4 keVのエネルギー領域(BのK端からCaのK端まで)、分子反応種の局所構造解析に有用な可変偏光性、高空間分解能を得るための高コヒーレンスといった光源性能が得られることが重要である。また、エンドステーション側では、マルチスケール階層構造の解析に必要なビームサイズの可変集光性や準大気圧実験や界面におけるオペランド分光を進めるための分析器・検出器の開発・運用が必要である。
  磁性・スピントロニクス材料研究における高輝度軟X線光源の利用環境については、軟X線MCDによる磁性の高感度検出が必須であることから、光学系による偏光制御が重要である。スピン角度分解光電子分光(スピン分解ARPES)も微小磁気構造の解明に効果的であり、MCDと併せて整備することが重要である。また、作成された試料を測定施設まで搬送するまでの間に受ける酸化の影響が測定結果に大きく影響するという課題があり、成膜装置を整備することによって、デバイス作成過程における表面、界面の状況を正確に測定することが可能になれば、デバイス開発の強力なツールとなり得る。デバイス開発においては、埋もれた界面の磁性評価のための高感度検出器の開発も重要である。また、多くの材料研究者は放射光を利用した計測手法に必ずしも精通しているわけではないことから、技術的に支援できる体制を整え、効率的に成果が創出される環境を整備することが重要である。
  また、産業利用の観点では、光学系調整のオートメーション化が高精度実験を行う上で重要である他、外場、in-situ/オペランド実験が可能な試料周りの自由度、実製品の試料導入等に必要な準大気圧実験環境、施設間・ビームライン間のデータフォーマットの統一化なども重要である。


4.求められる性能等の技術的事項

  小委員会では、軟X線向け高輝度光源の施設性能の考え方について加速器技術の観点から検討を行った。
 軟X線を主波長域とする3 GeV級放射光源においては、加速器技術の進展により、世界的に低エミッタンス化が進展しているが、実用光源としてのシステム設計にあたっては、エミッタンスの最小化を目標にするのではなく、実効的な総合性能の最適化を図る必要がある。例えば、2014年に稼働開始したNSLS-II(米国)では、旧来のダブルベンドアクロマット(DBA)とダンピングウィグラー(DW)を組み合わせることで0.55 nm・radを目指すとしていたが、目標の0.55 nm・radではエネルギー広がりが2倍以上になり、輝度のメリットが得られないことが分かっている。このため、実効エミッタンスは1.5 nm・rad(※1) にとどまり、792 mという大きな周長の割にエミッタンスを低減できていない。また、MAX-IV(スウェーデン)では、1セルあたり7つの偏向磁石を用いたMBAラティスの採用により、エミッタンス0.3 nm・rad程度を目指すとしているが、当面は50 mA運転とするとしており、稼働開始から1年半を経てもなお、所期の実効性能を発揮できていない状況である。MBAラティスを採用する場合、セル内の偏向磁石の数を増やすに伴い、4極磁石、モニター、ステアリング磁石、光アブソーバー等の機器が同時に増加するため、スペースの問題が非常に厳しく、実効性能を発揮できる現実的な設計とすることが重要である。以上のように、3 GeV級放射光源に求められる施設性能を議論する際には、エミッタンスだけでなく、エネルギー広がりの増大、コヒーレンス比、そして現実的な設計による実効性能の発揮、といった観点から総合的に検討する必要がある。
  目標とすべきエミッタンスについては、実用電流に基づく実効エミッタンスとゼロ電流エミッタンスの乖離が小さい領域とすることが、実効性能の発揮及びコスト低減の両観点から効率的な設計範囲である。実用電流とは、電子ビームエネルギーに依らず挿入光源からの放射パワーを一定とするために必要な電流であり、蓄積電流の目安を与えるものである。SPring-8の蓄積電流を参照点として試算した場合、3 GeV級放射光源においては500 mA前後の実用電流とすることが適当と試算される。実用電流500 mA、垂直と水平のエミッタンス比1 %、リングの約70 %に電子ビームを薄く入れるというマルチバンチフィリングを仮定して試算した場合、3 GeV光源においては、1 nm・rad前後から実効エミッタンスとゼロ電流エミッタンスの乖離が見られることから、目標エミッタンスを1 nm・rad前後することが合理的である。
  また、エミッタンスの低減によるエネルギー広がりの増大にも注意する必要がある。3 GeV級放射光源は軟X線領域でその強みを活かせるが、アンジュレータの高次光による硬X線領域(10~20 keV)も一部利用できると有益であることを考えると、エネルギー広がりが小さいことが重要である。3 GeV級放射光源の場合には1 nm・rad前後からエネルギー広がりの増大が見られるため、エネルギー広がりの観点からも目標エミッタンスを1 nm・rad前後することが合理的である。
  目標エミッタンスを1 nm・rad前後とすれば3 GeV級放射光源の主波長域である軟X線領域において、高いコヒーレンス比を得ることができる。例えば、1 keVの軟X線では10 %のコヒーレンス比が得られるが、これは世界中で検討が進められている硬X線(10 keV)の目標エミッタンス(0.1 nm・rad前後)で得られるコヒーレンス比と同等の高い値である。このような高いコヒーレンスにより1~10 nmという高い空間分解能が得られるなど、前節の例を始めとする様々な分野における科学技術イノベーション上の課題解決に貢献することが期待される。
  目標エミッタンスを1 nm・radとした場合の3 GeVリングの周長は、SPring-8のフォームファクターを仮定したモデル計算により見積もることができる。その際、上述のように低エミッタンスを闇雲に追及するとシステム全体が歪なものになる恐れがあることに注意する必要がある。現実的な設計が可能である4~5個の偏向電磁石を用いたMBAラティスを仮定すると、目標エミッタンス1 nm・radの3 GeVリングの周長は325~425 mと見積もられる。海外で新設が進む3 GeV級放射光源の周長が500 mを超える(※2) のに比べ、コンパクトな周長となっており、建設コストの観点からも合理的であると考えられる。
  以上のように、これまでの我が国における技術的な実績と経験から、MBAラティスの採用により、世界レベルの先端性(エミッタンス1 nm・rad前後)と安定性(実効性能での定常的運転)を両立し、かつ、コンパクトな3GeV級放射光源(周長325~425 m程度)の実現が可能である。



<求められる主な施設性能>

パラメータ

目標値

エミッタンス

0.9~1.1nm.rad

蓄積電流

400~600mA

エネルギー広がり

<初期値×1.1

周長

325~425m


※1 DWを1つ挿入し、ビーム品質に問題がないことが確認されている場合。DWを3個挿入した場合にはエミッタンスを1.0nm・radまで低減できるが、ビーム品質に悪影響があるという報告がある。
※2 海外で新設が進む3GeV級放射光源の周長はNSLS-II(792m)、TPS(518m)、MAX-IV(528m)。


5.考慮すべき事項

 小委員会では、軟X線向け高輝度放射光源やその利用に関して考慮すべき事項について様々な観点からの検討がなされた。


(産業利用促進の観点)
  我が国の放射光利用の全般的な強みは、国際的に見ても産業利用が進んでいることであり、この強みを活かした戦略を構築すべきであるという指摘があった。我が国では2017年1月現在で9つの放射光施設が整備されており、創薬から新材料開発等の広範な産業利用を支えている。SPring-8では産業利用課題が全課題数の約2割を占めている他、製薬中心の海外放射光施設と異なり、自動車触媒、エコタイヤ等様々な製品が生まれている。また、SAGA-LS(2006年利用開始)、Aichi-SR(2013年利用開始)等の小型放射光施設においては産業利用に重点を置いた施設運営がなされている。
  軟X線向け高輝度放射光源では、実験、データ解析など様々な面での困難さが出てくると考えられ、産業利用を促すためには、学術側のサポートが必要であると考えられる。従来の成果公開、成果非公開の枠にとらわれず、学術的に共有できる部分は「協調領域」として共有して基盤を作り、それが出来た上で各社における課題に関しては「競争領域」で進めていくなど、本格的な産学連携を促すための柔軟な利用体系及び体制の構築が重要である。また、利用手法や解析手法等の助言・利用支援等により放射光利用とイノベーションや学術的成果の橋渡しを担う専門人材(言わば、コンシェルジェ、コンサルタント、若しくはコーディネーター)の育成も、企業を始めとする産学における課題を解決する上で重要である。学術利用においても、コヒーレンスの利用等の新たな切り口の学術的課題に取り組む人材の育成が重要であり、学術利用と産業利用は軟X線向け高輝度放射光源を社会に還元していく車の両輪として捉えるべきである。
  また、光源が不安定で実験ができないということになれば、企業にとってリスクであり、機会損失につながる恐れもある。したがって、産業利用促進の観点からも光源の安定性が重要であるといえる。
  3 GeV級放射光源は軟X線に強みを持つ一方、アンジュレータによる高次光で硬X線(10-20 keV)を出すことも可能である。軟X線だけでなく、硬X線も一部利用できるようにすることで産業的にも利用価値の高い放射光源になると考えられる。


(官民地域連携の観点)
  また、小委員会では、財政事情の厳しい折、地域や産業界の活力を取り込むことが重要であるという指摘があった。
  国立研究開発法人理化学研究所の試算によれば、SPring-8が誘起する民間の研究開発投資の誘発効果は、1次的な効果(実験装置の整備費・保守費、試料作製費、人件費、成果占有費用)に限っても年間17.2億円、2次的な効果も含めると約70~260億円と推定される。放射光施設は単なる分析ツールではなく、産業界にとって重要な経営戦略ツールとなっており、産業利用に関わる研究者からもその実現が強く期待されている軟X線向け高輝度光源は高い民間研究開発投資の誘発効果が見込まれる。また、軟X線向け高輝度放射光源は広範な分野の研究機関及び産業の利用が見込まれ、来訪者数の増、産業の発展や雇用の創出等により、地域の産業及び経済活性化にも貢献するものと考えられる。産業利用においては、軟X線自体は既に広範に利用されており、軟X線向け高輝度放射光源は、他の先端的光源・研究施設に比し、産業界の実利用が当初段階から想定される。成果占有、反復計測、継続利用等の様々な観点が重要であり、新光源を整備する際には、産業界も早い段階から入って議論していくことが必要であると考えられる。産・学・施設が協同して新光源を活用した解析手法を開発・整備し、常時更新していくことが、持続的なイノベーション創出のために重要である。Aichi-SRでも地域の産学行政が一体となって計画を推進したことにより、高い産業利用割合で施設運営をすることに成功しており、官民地域が連携して取り組むという観点が重要である。軟X線向け高輝度放射光源は、高い民間研究開発投資誘発効果が見込まれ、財政事情の厳しい折、地域や産業界の活力を取り込むとともに、国費投入をできる限り低減する観点が、プロジェクトの実現や成功にとって重要である。


(その他の観点)
  以上の他、小委員会では、加速器だけでなくエンドステーションにおいても克服すべき技術課題があることから、軟X線向け高輝度放射光源の建設・利用技術の開拓には高い技術力を持った研究者・技術者が協力していくことが重要であり、オールジャパン体制で進めるべきであるという指摘があった。また、放射光施設間の役割分担、連携強化によって、通年的な利用環境の整備を含め、日本全体でのパフォーマンスを上げるという観点が重要であることが指摘された。なお、軟X線向け高輝度放射光源が実現されたとしても、サイエンスや技術の進展に応じて、引き続き我が国の将来の放射光源の在り方を議論する必要があることは言うまでもないことであり、オールジャパンでの議論がなされることが望まれる。



6.終わりに

  最先端のサイエンスは、物質の構造解析から物質の機能の理解へと向かっており、機能を理解するためには軟X線光源が非常に有用であり、様々な分野の研究及びイノベーション創出の飛躍的な進展が期待され、求められている。産業利用においても、物質の構造だけでなく機能の理解が重要であり、軟X線向け高輝度放射光源の実現が大いに期待されている。
  このように科学技術イノベーション政策上の意義は高く、必要性は高まっており、科学的にも産業的にも利用価値の高い軟X線向け高輝度3 GeV級放射光源の実現が技術的に可能となっていることから、我が国における利用環境の整備を推進することが必要である。
  世界的に第3世代放射光源より更にエミッタンスを下げた第4世代3 GeV級放射光源を目指すという方向性がある中、我が国の高輝度軟X線利用環境は立ち遅れている状況であり、その早期整備が求められる。
  整備に当たっては、現実的かつ合理的な設計とすることが重要である。これまでの我が国における技術的な実績と経験から、世界レベルの先端性(エミッタンス1 nm・rad前後)と安定性(実効性能での定常的運転)を両立し、かつ、コンパクトな3 GeV級放射光源(周長325~425 m程度)の整備が可能である。
  国の財政が厳しい折、軟X線光源は産業利用も期待されることから、国だけでなく、地域や産業界の活力を取り込み、財源負担を含め、言わば官民地域パートナーシップにより推進することが、プロジェクトの実現や成功にとって重要である。今後、更に調査検討を進める際、具体的な施設計画や地域構想がある地域からいずれかの段階でヒアリングを行うことがあり得る。

お問合せ先

文部科学省 科学技術・学術政策局 研究開発基盤課 量子研究推進室

Adobe Readerのダウンロード(別ウィンドウで開きます。)

PDF形式のファイルを御覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、まずダウンロードして、インストールしてください。

(文部科学省 科学技術・学術政策局 研究開発基盤課 量子研究推進室)

-- 登録:平成29年04月 --