小林(2005年4月25日)
Postdoctoral Appointments: Roles and Opportunities: A Report on an NSF Workshop, May 11-13, 2003, National Science Foundation
日本語仮訳、抜粋
ここ数十年で、博士課程修了直後から専任の職位に就くまでの間のポスドクの雇用は、学界と産業における多くの仕事において事実上の必要条件となった。わが国のキャンパスにいるポスドク科学者(「ポスドク」)の数は大幅に増加し、今ではポスドクが国の科学研究の相当な割合を行うところまできている。だが、ポスドクのこうした激増に対し、計画、綿密な調査、学術機関の監督はほとんどなされないままである。
職業的な向上のためのこうした任命の役割と意義は、分野ごとに異なる可能性があり、また実際にそうなのだが、一方でいくつか共通の要素もある。主な共通点は、大学院研究とは対照的に、研究に関して一般に常勤が重視されている点である。ほとんどのポスドクは、産業界や政府の研究活動の場またはマネジメントにおいて、教育にほとんどまたはまったく参加していない。産業界や国の研究所における一部の職位と同様、ポスドクが教師として働く職位も多少はあるが、それらは少数派である。
それまでに受けてきたトレーニングの量と仕事の責任の重さと比較して、ポスドクの平均的な給与水準は非常に低い。大学教育の現場で働くポスドクの平均年収は、約30,000ドルであると報告された。また、化学部門の給与水準は平均を下回りがちだという。さらに、多くのポスドクは、健康保険、退職金、児童手当、その他の手当を受けていない。そして、多くのポスドクが家庭を持ったり、家族を扶養したりする時期に、経済的なプレッシャーがかかってくる。出席者の指摘によると、産業界や政府の研究室に配属される場合、概して賃金は高めであるが、一般的に他の職業に就いた仲間と比較して、ポスドクの賃金はずっと低い。
給与水準が低く、手当がないことから、多くの人はポスドクとして就職する意欲を失ってしまいかねない。ワークショップに出席した、ポスドクの経験を持つ常勤の学術研究者数名は、ポスドクの雇用には経済的に魅力がなかったため、もう少しで他のキャリア・パスを選ぶところだったと述べた。ポスドクの期間中に、別の財源に頼ることができるポスドクもいる。そうした財源を持たない人々は、経済的にさほど厳しくない職業ルートを選ぶかもしれない。
経済的な負担以外にも、自分たちが必要とし、受けるに値する尊敬または知名度が得られていないと感じているポスドクも多い。地位が過渡的で標準化されていないため、多くのポスドクは、自分の属する学術機関で目立たない存在だと感じている。実際、多くの大学は自校のキャンパスで働くポスドクの数や特徴をほとんど把握していない。基本的に、確立した立場としてのポスドクの数は激増したと認識されているが、ポスドクにふさわしい認知度と尊敬は、それに見合って上昇してはいない。
多くの学術機関は、ポスドクの雇用や待遇に関してほとんど基準を持っていない。ポスドクは、年次業績評価、苦情処理制度、または著述業指針の恩恵を受けることがほとんどないと報告している。扶養家族のいるポスドクの必要に応える規定を備えた学術機関は非常に少ない。ポスドクが十分なガイダンス、指導、能力開発を受ける権利を持つことが明確にされているケースは稀である。
最後に、ほとんどのポスドクは、自分たちの職務がきわめて不確かなものであると感じている。ポスドクの主たる目的は、若い研究者の間に主体性と創造性を育てることだが、多くのポスドクは、この目的を遂げることは難しいという。アドバイザーから十分なガイダンスを受けられなかったり、他のポスドクと協力することができなかったり、プロジェクトに対する貢献が十分に認められなかったり、能力に釣り合った責任が与えられなかったりする。多くのワークショップ参加者が、多くのポスドクの雇用に特徴的な緊張関係を指摘している。すなわち、アドバイザーはポスドクができるだけ多くの研究を生み出すことを願っているのに対して、ポスドクは研究以外にも目標を持っているのである。
ポスドクの雇用で決定的な技能を育てることができなかったために、大きなマイナスの結果が生じることがよくある。ポスドクの雇用期間を満了した人々の雇用主がよく口にすることだが、そうした雇用期間を終えた人の多くは、大学教員または政府や産業界の研究者として成功するために必要な資質を身につけていない。ポスドクの期間を満了した人は、技術的には熟達し、科学の特定の分野に精通しているかもしれないが、その一方で、科学の担い手として必要な創造性、主体性、順応性、協調性、コミュニケーション能力を欠いている場合がある。研究に割く時間が減るという対価を支払うことになったとしても、ポスドクの経験によって、これらの能力が養成されるのでなければならない、とワークショップの参加者は語っている。
ワークショップの参加者は、ポスドクの経験において欠如している要素があるために失われている機会がほかにもあることを指摘した。具体的には、(そうした欠如がなければ)ポスドクは米国の研究インフラの強化において現状よりもはるかに大きな役割を果たすことができると思われるのだ。たとえば、米国の学部生の半数がコミュニティ・カレッジに入っていて、小中高校の教師の4分の3が受ける唯一の科学教育はコミュニティ・カレッジで受けていると、ワークショップのある参加者は指摘した。これらをはじめとする学術機関の研究プログラムその他の活動にポスドクを活用すれば、学術機関にとって多くの点で有益であり、多くのポスドクが現状では身につけることができていない技能に習熟できるようになるかもしれない。
近年、ポスドクのあり方に新たなモデルが生まれている。産業界や政府の研究室にポスドクの職位を設けたり、複数の学術機関に複合的に配属するなどの形式である。ポスドクのこうした多様化は、普及・強化される必要がある。また、新たなモデルは、個人、学術機関、そして国全体のニーズに応えるための有益で貴重な方法として支持されるべきである。だが、ある参加者が指摘したように、ポスドクのためのどんなプログラムでも、そのプログラムによって人々にどんな準備をさせるのか、参加者にどんな職業の進路を開くのか、そして、参加者が社会、知識、およびその他の分野に対してどのような範囲の貢献をなし得るのかを踏まえておく必要がある。
Toward a New Paradigm for Education, Training and Career Paths in the Natural Sciences: Report on a Meeting held in Strasbourg, France, November 29-30, 2001 on International Training and Support of Young Investigators in the Natural Sciences, HFSP & ESF, 2002
日本語仮訳、抜粋
幹は、大学での最初の学位から大学院、博士課程修了後の研究までの科学の教育訓練の全レベルを表している。幹は中間部の枝につながり、その枝の広がりには、実に幅が広く評価の高いキャリアが含まれているが、学術界や産業界における科学研究に直接関わるものはその一部にすぎない。むしろ科学教育は、科学が必要とされる多種多様なキャリアにつくための優れた準備であると考えるべきである。
会議参加者は、科学の訓練やキャリアの枠組みを考え直さなければならないことで意見が一致し、下記の提言を行った。
科学の訓練の系統樹の上方にある枝は、科学者が博士課程修了後の訓練を終えてからのさまざまな機会を表している。自然科学の諸分野の訓練に当たるごく一部の人々は独立の研究職を得て、学術界での階梯を上がっていくことができるだろう。残りのグループにとっての選択肢には、産業界で研究を行うこと、研究チームのメンバーを務めることや、官民部門で高次の管理職に就くことなどが含まれよう。
多くの国々では独立性のある研究職の数が限られているため、研究というキャリアに特別優秀な青年を集めて引きとめ、画期的な研究を促すために下記の提言がなされた。
幹と中間部の枝は若手科学者の形成を示している。全行程のうちこの部分では、学生たちは多くの研究分野やキャリアの機会に接し、それらの科学分野の中で、現状よりもっと広い範囲から職業を選べるように自分たちの才能を生かすマッピングができることが望ましい。大学での訓練プログラムを構成する際にも、各集団のあらゆる社会的、人種的グループの学生たちを自然科学にひきつけて、スカウトできるような構成にすべきであろう。
多くの科学研究、特に生命科学では、その経路は従来の研究分野の境界を越えているということは今や広く知られている。このことは、研究の訓練がより広い教育の基礎を必要とし、単一の研究室や研究部門を越えた経験を要するということを意味している。多くの大学では古典的に定義された研究分野に基づく訓練を学生に提供しているが、そのような伝統的な科学教育や訓練のモデルは、今後ますます時代遅れになっていくと考えられる。研究分野を複数とし、学部間の障壁を壊すことを強調することによって、学生たちが複数の科学分野に接し、分野から分野に移動することが容易になってくるはずである。現在の生命科学の革命は物理学、化学、情報工学、エンジニアリングの分野で開発された新しいツールを使うことで大いに推進されてきた。大事なことは、自然科学全体が生物学に収束集中している今、科学者たちが伝統的な研究分野を越えた訓練を受けることが真に必要とされているということだ。
多くの助成機関は異なる研究部門出身の教授陣による学際的な訓練を授けるモデル・プログラムを用意しており、産業界における設定も含む、多種多様な研究の場で経験が積めるチャンスも設けている。また、生命科学の文化において早急に変えられなければならなかったこと、すなわち学生を共同研究のメンバーとしてではなく独立した研究者になるように訓練してきたことについても、これらのプログラムによって取り組みが始まったところである。プロテオミクス、ゲノミクスなど、生命科学における大型研究が伸びてきたことにより、複雑な生体系の多くの局面を共同で探求しようとする大規模な学際グループの数も増えている。この新しい大規模かつ学際的に行われている生命科学の諸問題へのアプローチは、長く物理科学の特徴だったアプローチであるが、すでにいくつかのモデル・プログラムに取り入れられており、生命科学の学生たちのための訓練のオプションとして強力な構成要素になるはずである。研究の訓練や経験を積む際に、たとえばNSF IGERTプログラムやマックス・プランク国際リサーチ・スクールなどのプログラムのように、異なった研究分野や研究機関を結集させるよう配慮されているプログラムは、優秀な学生をひきつけ新しい学際文化を育成することに成功してきている。このレポートではそのようなプログラムの成功例と科学訓練のための新しいパラダイムが提示されており、これは対話を促してやがてこれからのプログラムにおいて科学教育を再構成することになるだろう。
過去20年にわたり、科学訓練のプログラムを強化、構築し、科学以外の分野にも触れさせ、指導と支援の機構を改善しようと人々は協力して努力してきた。同時期に、世界が科学やテクノロジーの革新や好機により影響を受けて動くことが増えた。産業界、政府、管理、教育、ジャーナリズム、その他多くの分野からのニーズにこたえるためにも、科学教育を十分に受けている人間の需要はこれまでにないほど高まっている。助成機関によっては管理、教育、倫理などの訓練をも含む訓練プログラムをサポートして、科学研究の活動を活発にし、新しいタイプのキャリアのための土台を築こうとしているところもある。しかし、そのような広範囲の訓練は大抵の大学や国の研究機関では標準的なものではない。訓練プログラムはできれば教育の初期の段階で、学生たちに大学環境の外での研究や訓練の経験ができるようにすべきなのである。また、このようなプログラムでは学生たちにキャリアについての助言を与えるべきである。一般には博士号への踏み台と見なされている科学修士号に関しても、正式な科学訓練の中で修士号自体を価値のある終着点と見るべきあり、教育、管理、産業などの様々な重要なキャリアへとつながるものだということを明確に伝えなくてはならない。
博士号の研究をしようとする学生たちは科学にとっても社会にとっても極めて貴重な人材である。助成金による研究プロジェクトに取り組む学生たちの場合、より幅広い教育的目的があるというよりは、概してひとりのアドバイザーの研究目標を達成するだけというケースが多く、当の学生にとってそれが長い目で見て最善の道だとは限らないということも多い。大学としては科学方面のキャリアをめざしている学生たちにキャリア開発のための適切な指導と助言を行い、正式な教育的終着点というものは多数あって、そのどれもが素晴らしい職業へとつながる可能性があるのだということを明確に教えるべきである。学生だけでなく科学関係の仕事にたずさわる人間は皆、研究の際の倫理的行動についても訓練を受け、科学が大衆から信頼されるようにしなければならない。科学に進む人間の数が減少している事実は、国籍や性に関わらず全ての才能ある人間に対し、科学のキャリアを必ず開いておくこといかに重要かを示している。更に、プログラムは、女性でも男性でも、科学の仕事をしながら同時に家族に対する責任を果たすことをも可能にするような仕組みでなければならない。
博士課程終了後の訓練期間は科学者(特に生命科学の科学者)が独立した研究ポジションを取得する準備として必要欠かせないものとなった。このときに研究経験の幅が広くなり、新しいテクニックやスキルを身につけ、新しい科学的手法やアプローチにも触れることになるため、この時期の訓練は重要である。一般的に若手科学者が、自分たちのやる気を証明する最善のチャンスを得、独立したよいキャリアをめざす準備をするのは、この博士課程終了のフェローである期間である。しかし、実際には、しばしば見受けられるケースは、博士課程終了のフェローは、訓練中の科学的知性の持ち主というより、ただ高い技巧を持ちよく働くテクニカル・アシスタントとして扱われていることが非常に多い。更に、博士候補をモニターする学問的メカニズムは存在するものの、その後で、博士課程終了のフェローたちを指導する同等のメカニズムは滅多にないのである。ポスドクターのための学生本位の訓練環境は健全な科学活動のためにも緊急に必要とされているものである。ポスドクター向けの特別な指導プログラムの開発は、ペンシルバニア大学を始め多数の研究機関で開発されており、重要なニーズを充たしているが、これらはインターネットをベースにしたテクノロジーによって簡単に応用できるはずである。助成機関は助成を授けるすべての研究機関に対し、全米科学アカデミーから最近出された報告書 にまとめてあるような種類の指導と訓練を行うことを要求すべきである。
インターネットは科学教育や指導においては依然として未開発の資源であると言えよう。個人にとってはウェブサイト上で各自が経験した情報を交換することができるし、助成機関を含む研究所や諸組織にとっては研究訓練の途上にある者にオンラインでアドバイスすることができる。たとえばNext Waveのように職業協会や助成機関などがスポンサーとなっているサイトや、あるいはマリー・キュリー・フェローシップ協会のように学生やフェローのグループが支えているサイトでは若手科学者たちに巨大な情報源へ即時アクセスできるようにしており、これらは地球レベルの重要な資源と言えよう。
科学の木の上方の枝はこれまでの伝統的な科学のパイプラインの多くの終着点を示している。これらの枝では博士課程終了後の訓練を終え、自分の研究室を持つ独立したポジションにまで到達した優秀な若手科学者たちがいる。科学者という職業の地位がいったん確立されると、通常は純粋な研究だけでなく、大学の様々なレベルの学生を教えたり、大学院やポスドクターの学生を訓練したり、またしばしば学科長や研究所所長などの多種多様な管理業務も引き受けることになる。最近では産業界での試みが優秀な科学者たちをひきつけており、将来は学会と産業界の共同作業が、研究コミュニティにとってより重要度を増していくことが期待される。もうひとつ忘れてならないことは、科学の指導者たちがたとえば国立の科学アカデミーなどで政府のためのアドバイザーとして働いたり、またしばしば政府機関の中で重要な任務に就いたり、政府のメンバーとして選出されたりしていることである。最後に、このツリー構造のあらゆる段階で、科学者たちはジャーナリズムや法律など別のキャリアに移ることもあるということも付け加えたい。
科学が大きな発展を遂げるのは主として上方の枝においてである。独立した研究者あるいは科学研究グループのリーダーという地位に就くのは、自然科学の訓練を受ける学生のうちほんの少数の者だけである。しかし、多くの国において取られている、組織に関する政策がこの問題を悪化させている。ひとりの部門リーダーに財政的、科学的に依存しているような大研究グループを中心にして科学事業を構築する国からは、独立した科学者はなかなか生まれてこない。そのため、たとえ第一級の若手科学者でさえ ?博士課程終了後のフェローシップやそれと同等のものを立派に終え、資質、技術、知的鋭敏さ、独創性、想像力が豊かであることを示している者たちでさえ? 独立した地位をなかなか得られない事態になっている。これにより、創造力に富む才能が無駄になってしまうだけでなく、「頭脳流出」に拍車をかけることにもなってしまっている。せっかくその国の活力となるような才能があるのに、優れた若手科学者達は、自分の研究進路を決定する機会や自分の科学チームを組ませてくれるような機会を与えてくれる他国へと移っていってしまうのだ。
これの問題はよく認識されている。実際、ストラスブール会議に出席した国々では皆この問題を取り上げ始めており、自国のもっとも有望な研究者たちが独立した地位に移行しやすくする革新的なプログラムを作り始めていた。そのような助成の賞では多くの場合、外国での一定期間のトレーニングを受けてから自国に帰るという訓練内容を組み入れている。新たに認定された若手研究者たちは新しいスキルを学んで科学の新分野を探求していくチャンスを与えられるだけでなく、これから国を越えた共同研究を行うために必要になる重要な人とのつながりを築くことにもなるわけである。
マーキー・トラスト、マックス・プランク・ソサエティ、EMBL、フォルクスワーゲン財団などが設立したプログラムはどれも、独立への移行を促しグループリーダー的ポジションの人々を支援するもので、すでにヨーロッパや北米で第一線の独立した研究者たちの一世代が世に送り出されている。これらのプログラムは他の国でも見習われ始めている。また、管理構造のために新しい地位が制限され科学者の可動性に乏しいところでは、たとえばフランスのL'Avenirのようにそれらの障害を回避するように工夫した新しいプログラムが企画されている。
研究チームのリーダーシップをうまく取れるかどうかは、研究のスキルだけでなく、相当額の財政資源と人的資源をうまく管理できるかどうかにもかかっている。このような活動をうまく管理するためには、小規模な会社を経営するのに必要な多くのスキル ?企画、財政管理、社員の能力開発、折衝、外部組織との連絡や協力など? が必要とされる。会議参加者は、若手科学者に適切なマネージメントの訓練を与えるよう、内容のある計画的努力をすべきであると呼びかけた。すでに述べたように、そのような訓練は新しくグループリーダーに任命されてから初めて受けるのではなく、博士号前の訓練からすでに訓練し始め、キャリア開発を通じてずっと続けられるべきである。また更に、科学者はどの段階にいる者もすべて、自分の発見を広い科学コミュニティや政治指導者たちや一般大衆に効果的に伝えることができるように、コミュニケーションのスキルを磨く訓練もすべきである。
学術的な研究における昇進は、出版物や助成その他の受賞など多くの評価ポイントに基づいて決められる。これらの評価基準は定量化できるものであるが、研究達成のもっとも重要な判断基準である科学的思考の質や独創性については充分に査定できないこともある。またそういう評価基準では、家族生活に関しては、家庭を切り盛りする人、特に女性を差別することになる可能性もある。昇進や賞の授与に関して研究機関が採用する基準が、単に出版物の数などではなく、優秀さと独自性を重視するものであることが大切である。助成の要綱などを通じて助成機関は研究機関に対し、家族にやさしいインフラを開発し、才能のある人々をひきつけ、つなぎとめ、サポートしていくように奨励すべきであろう。
教えることは科学のキャリア開発のすべての段階を通して重要なものであり、大学コミュニティでの生活の鍵となる要素である。昇進や評価の際にも高い価値を認められるべきであろう。多くの国においては教えることは大学教員の主要な仕事であるが、一方、最高の科学者というと学生、特に大学での訓練を始めて間もない学生との接触がないような研究所にいる印象も強い。そのように分離されている結果として、学生たちは最高の科学に接する機会が持てなくなってしまい、そのため上級の科学の学位をめざそうとする人間の数の減少にも反映してくるかもしれない。HHMIの例は、助成機関が最近認識するようになったひとつの解決方法である。ここでは研究者は給与と研究支援を受けるが、同時に大学環境の中にとどまっている。このようにして学生たちは最高の科学者たちと接することができるのである。
科学技術・学術政策局基盤政策課
-- 登録:平成21年以前 --