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資料4
中央教育審議会大学分科会
将来構想部会(第4回)H13.12.25
 
大学等の設置認可制度の望ましい在り方に関するこれまでの意見
(大学分科会及び将来構想部会における意見)
 
総論

○   外形的な資格があれば認可しているが、大学全入時代をひかえる現在、将来的な展望をもって認可すべきではないか。

○   我が国は進学率一つをとってもマーケットメカニズムに任せ、ナショナルポリシーがなかったのではないか。今後は国としてのポリシーを出してそれぞれのシェアを決めていくべき。

○   規制緩和には、全体として規制がかけられたものにどう穴を開けるのかという方法と、規制を全部外した上で最低限必要な規制を設けるという方法があるが、今ある規制の中で穴を開ける方向でいくことになるのではないか。

○   各大学が目標を定め、自律的に運営していくためには、文部科学省が認可をするのがいいのか、自由化してアクレディテーションに委ねるのがいいのか、ということを検討することが必要。

○   設置認可の弾力化とアクレディテーション制度の創設は、切り離しては考えられない。

○   基本的には市場原理を導入するにしても、設置時に最低の質の担保は必要であり、また、アクレディテーションは学生の立場を保護するものとして重要。

○   規制緩和により粗製濫造的に大学設置が自由になると、学生に被害が発生するため、自由化に必要な点を押さえるべき。

○   これまでは認可申請の段階での規制が行われてきたが、それがユニバーサル化により上手く機能しなくなっており、今後は認可申請以外の歯止めが必要。

○   今の大学の問題点と設置認可制度とは、どのような関係があるのか、十分に検討すべき。

○   例えば、大学が持続する能力があるのかどうかは、もっと厳しくしてもいいのではないか。逆に特色があり十分継続できる大学には思い切った弾力化を適応してもよいのではないか。

○   米国と日本では精神の根本が違い、米国の制度を日本に導入しても、うまくいかないのではないか。日本の大学については、市民社会に既に評価基準があり、ある程度、市場原理が働いてきたのではないか。

○   教育政策と他の政策との連携の不足は大きな問題で、根本的にはどこまでマーケット的な原理を使うかだ。国のコントロールとマーケット原理の適度なバランス関係が重要。


設置認可の対象

○   設置認可も評価の問題も従来の枠組ではうまくいかなくなってきている。学部・学科の枠組を含め、どこまで認可や審査の対象にし、どう弾力化するのかを判断すべき時期なのではないか。

○   (設置認可を)自由化した時の学位の水準が国際的にどういう評価を受けるかが問題。

○   ミニマム基準があれば大学が残りを主体的に判断するのではないか。大学が主体的に判断する環境づくりが重要であり、それを阻害する部分はなくすべき。

○   将来は(設置認可について)原則自由化の方向で考えざるを得ず、その為の過渡的な様々な準備をすべきだ。

○   大学は学部によってその性格が決まるのであり、これを自由にすると大学自身の在り方が問われることになる。

○   設置認可に対する規制は現在でも十分に緩和されているのではないか。定員増減はある程度の認可が必要であり、学部の中の学科の改編は自由にするのが適切。学部に関しては、学校のポリシーに関わる部分であり認可が必要。

○   学部の設置を自由化にすると学部の中身が幅広になりすぎるのではないか。学科であれば各大学で決めてもある程度の範囲に収まるだろう。この場合、大学の意思決定の仕組みの重要であり、現在は大学側の決意が足りないのではないか。

○   従来は学部も学科も審査の仕方は同じだった。仮に学部の設置は従来通り認可制度を維持し、学科については大学に任せるとすると、従来同じ扱いだった学問体系が変わる可能性があり、学部と学科の区別をはっきりさせるべき。

○   定員の概念は終局的には取り払うべきではないか。

○   国は、私立大学について許認可や質の保証には責任を持つが、財政上の責任を持たない以上、大学の学部・学科の設置は定員の枠内で基本的に自由化されるのが望ましい。


設置基準等

○   大学設置・学校法人審議会の審査は、確かに弾力化されてきているが、部分的な緩和を積み重ねてきたため、全体として整合性に欠ける。

○   認可制度を維持するのであれば、最低基準をどうするのかについて議論すべき。

○   設置基準は本来、最低基準であり、それ以上の教育水準を達成するために各大学の努力を求めているが、事実上最高基準扱いされてきたたため、評価の制度が育ってこなかったのではないか。

○   大学の質を評価する場合に最低限度客観的な指標は教員数に対する学生数の比率ではないか。

○   設置基準を逸脱した大学が見受けられるが、文部科学省が的確に規制する体制を整備することは重要である。

○   認可の更新制がないのが問題ではないか。新たな取組をする大学には規制がかかる一方、何ら改革をしない大学は、規制がかからないのは問題ではないか。

○   設置認可基準の中に、高等教育政策(地方分散や特定分野の人材育成等)が含まれているのが、問題を難しくしている。

      高等教育政策は、国の施策として打ち出すことも考えられる。

○   日本の設置認可基準は、ソフトの面はフレキシブルになってきていると思われるが、ハードの面はきつく、これの弾力化が検討対象ではないか。


高等教育の全体規模

○   生涯学習需要も含め、進学率の上昇を政策としてどう扱うか判断すべきであり、進学率を高める方向で考えるべき。

○   4年間の教育費負担は大きく、専修学校は低コストではないが年限が短いので、短大の代わりをしているという実態を踏まえ、専修学校を除いて大学・短大だけを考えていると進学率については不十分な理解になる。

○   国立大学が国立大学法人へと変われば、設置認可の仕方は現在とは違ってくると思われるので、それを視野に入れて、これまでの新増設の抑制の見直しが必要。

○   工業(場)等制限法等による制限は、撤廃すべき。

○   戦後、政策的配慮として、量的規模が拡大する中で教育の機会の平等化を図るために、地方分散政策を採り大都市集中は望ましくないとしてきた。現時点で規制を大幅に緩和すれば政策の大転換となるので、今後もある程度の規制をしないと一極集中が強くなる。

○   定員割れの状態が地方では起こっており、大学収容量の地域分散を無くすることは、慎重に検討すべき。

○   地域的・個性的な大学ができる可能性がある一方で、国レベルでの人材の養成を考えなければならない。経済界の高等教育機関卒業者に対するニーズは、グローバルな状況下で変化が激しいと思うが、求める人材を出来る限り明確にしていただきたい。

○   医学部・薬学部・看護系等は厚生労働省の枠が別にあり、規制緩和をすることはできないのではないか。

○   質の高い教養ある事務・技術職(中間層)の養成は社会的・国家的に重要であり、短期高等教育機関を社会的に活用すべき。


設置認可の手続

○   現状の大学設置認可では、数量的な部分のチェックと、教員審査は専門分野の委員のチェックがあるが、それ以外の内容により質の確保が不可能であることが明白な場合も認可しなければならない。その辺りについて再考すべきだ。

○   現時点ではある程度の規制が必要だが、外形的な基準でいいのではないか。大学が意欲的な新しいカリキュラムを組むと、設置審議会の専門委員が古い固定的な形態に変えようとすることがあるが、それはよくないのではないか。


評価

○   日本では私立大学の設置認可に文部科学省が大きな関わりを持ち、これにより一定の水準を維持している。アメリカはそれが無いのでアクレディテーションを用いている。

○   アメリカでは、設置認可の緩やかな所はアクレディテーションが厳しく、設置認可が厳しい所はアクレディテーションが緩やかであり、両者を合わせて一つと考えているようだ。

○   アメリカのアクレディテーション団体は各団体が専門的職業人の集まりで、プロフェッショナルなアカデミックな団体である。その団体が大学院を作り、その質を担保する仕組みだ。日本では大学卒業者が専門職になるだけなのでアメリカのようにはならないだろう。

○   大学内部も揺れていて、設置認可システムがこれでいいのか、日本の評価システムが不充分な段階で緩和が進んでいってよいのか、迷いが見えていると思う。

○   第三者評価の法的位置付けについては、どこまで踏み込むか現段階で判断することは非常に難しく、各評価機関が一定程度成熟するまで待ち、その期間は認可制度の緩和を一気に行うのは避けるべきではないか。

○   評価は、学界の代表としての団体を作り、そこがヘゲモニーを握りながら各学会に下ろす仕組みが日本全体として定着すれば本来の意味での評価になる。

○   アクレディテーションを行うに当たっては、大学人のコミュニティが健全であれば事前基準は必要ないが、そうでなければ一定の基準を作りその後の大学が機能しているかどうかをアクレディットするシステムが必要になる。民間に任せるかも含めて国としてきちんと考えなければならない。当初は大学人のコミュニティを作り、そこで工夫しつつ進めていくのがよいのではないか。

○   日本では国の認可を受けたことで国民が安心出来るという面があり、大学を自由設立にすると社会的混乱が起きる恐れがあるので、認可制度は残すべきだ。その上で認可制度と第三者評価を組み合わせるシステム作りが必要だと思う。

○   設置認可の在り方を弾力化・規制緩和しつつ、大学の質のボトムラインは国が維持すべきで、アクレディテーション制度の導入が重要。
      なお、評価主体は、むしろ民間委託した方がよいのではないか。委託先は、複数決定し、どの評価が最も適切かを競争的に比較することも考えられる。評価機関を評価することも重要。

○   評価の評価を行う場合には、オープンで議論できる場で行うのがよいと思う。

○   評価は、自主的なコミュニティによるアメリカのような自由なボトムアップ型の仕組みが適切ではないか。

○   現在は第三者評価が未確立な状態の一方、規制緩和だけが進んでいる。

○   大きな意味で規制緩和の方向なのだろうが、様々な問題があると言われているものを何らかの形で行政として関与し修正させるメカニズムがないのは大きな欠落だと思う。
      また、学生の苦情を取り込むシステムを設けることが、ユーザー中心の市場メカニズムによる評価につながるのではないか。

○   大学基準協会や大学評価・学位授与機構等という二つの機関を前提に第三の機関を作るのか、二つの機関の改編は考えずアクレディテーションの方法だけを対象にするのか、アクレディテーションの機関を日本にも作るべきなのか、その辺りを整理すべき。

○   アクレディテーションの団体を作る場合には、公平な評価をする団体をどう作り、どう担保するのかが重要。JABEEのような民間の評価団体が更に必要で、国が政策を変えればすぐに出来るというものではない。

○   評価も大学の連合組織体で行われるべき。大学基準協会やJABEEのように、今後作られるであろう非営利の評価機関の評価結果を国が様々な形で参照することについて、一定のルールを作り互いに協力し合うことは国益として大事。
      非営利の様々な第三者評価機関に対する国の補助の在り方についても考える必要がある。

○   大学基準協会と大学評価・学位授与機構の評価の大きな違いの一つは、コストの問題だと思われ、評価をする場合のコストを誰が負担するのかは、大きな問題。

○   私学は第三者評価により画一化されることを懸念しているので、画一化されない評価基準が出来れば評価を受けるようになるだろう。

○   特定の機関が一つの物差しで測るのは非常に難しい。国公私立に関わらず各大学の個性をどう上手く評価できるかが重要。

○   機関に着目したアクレディテーションの場合は、その機関の使命を明確にし、その使命に応じてどれだけ成果を上げているかを評価していくことが必要。日本の場合、とかく画一的な物差しで測る傾向がある。

○   目標がないところに評価はなく、評価はその大学が何を目指すかを市民に訴えるものだと思う。各大学が目標を持たないと評価が出来ないのではないか。

○   大学の評価は、目標に対してする評価ではなく、学生がどれだけきちんと教育されてきたかという評価にすべきだ。

○   評価については、評価結果の公表の在り方や、評価により問題があるとされた場合の扱いや改善のための方策に関してきちんと議論し整理しないと、時間と労力をかけて評価を行っても効果が上がらないのではないか。結果を公表し、国民がそれを評価するようにすることが必要。

○   評価には大変な労力がかかるので、ルーティン化する部分を作る必要がある。イギリスで教育評価に対して手厳しい批判があるのは、大学側の負担が非常に大きいからである。

○   学問領域と学部等の対応関係が非常にルーズになってきている現状にどう対応していくべきか、ということは評価の際の深刻な問題となるのではないか。

○   学部と大学院のアクレディテーションの問題は別に考えた方がよい。

○   質的向上のための評価と、資源配分のための評価は切り離して考えるべきで、そうしなければ大学に大きなダメージを与える可能性がある。

○   大学の現状を知らせる情報公開の仕組みを強化する必要があり、このような情報公開は、事後評価をする上で重要。

○   経営困難になった大学について、統廃合に関する基準を作成したり、学生の救済のセーフティーネットを検討するなど、適切な処理を考える必要があるのではないか。

○   セーフティーネットについては、情報開示が重要で、学生には不利を被ることを未然に防ぐ権利がある。ただ、財務状況の悪い機関が、情報開示により、経営的に成り立たなくなるおそれもあり、その辺が難しい。


寄附行為の変更認可関係

○   学校法人は人・物・金を扱っているが、規制緩和されてルーズになっている。学生に大変な迷惑がかかるものを認可すれば、それに関する責任問題も出てくるとも考えられるので、もう少しシビアに見るべき。

○   主に人だけを見る大学の設置認可と、物と金を扱う学校法人の認可の在り方は、併せて考えていくべき。

○   現在の日本では国か学校法人か地方自治体しか大学を作れないが、国際化が進む課程で外国の大学や法人が日本で学校を作ることや、株式会社が学校を作るのはなぜいけないのか。設置形態の区分や実態を踏まえ認可自身も見直していくべき。

○   学校法人の認可は規制がほとんどなくなっており、元金無しで学校法人ができる状態まで来ている。一番の原資である土地については、それが担保されていない学校法人の認可は軽々にすべきではない。既に十分に緩和されており、これ以上の緩和は必要ないと思う。

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