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中央教育審議会大学分科会将来構想部会

2001/12/25議事録
中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第4回)

中央教育審議会大学分科会将来想部会(第4回)


1 日   時  平成13年12月25日(火)16:30〜18:30

2 場   所  文部科学省別館大会議室(郵政事業庁庁舎11階)

3 議   題

(1)大学等の設置認可の望ましい在り方等について

(2)その他

4 配付資料

資料 1    将来構想部会(第3回)議事要旨(案) (略)
資料 2 大学等の設置認可制度に関する主な論点例
資料 3 規制改革の推進に関する第1次答申(平成13年12月11日総合規制改革会議)−抄−
資料 4 大学等の設置認可制度の望ましい在り方に関するこれまでの意見
資料 5 大学分科会の今後の日程について
     

5 出席者

(委   員) 鳥居泰彦(会長),木村 孟(副会長),茂木友三郎(副会長),吉川弘之(部会長),高倉翔(副部会長),中嶋嶺雄の各委員
  (臨時委員) 天野郁夫,石 弘光,猪口邦子,荻上紘一,黒田壽二,島田Y子,関根秀和,西室泰三の各臨時委員
  (専門委員) 青山善充,越原一郎,鈴木 忠,中津井泉,松本浩之の各専門委員
  (文部科学省) 御手洗文部科学審議官,結城官房長,工藤高等教育局長,石川私学部長,板東高等教育企画課長 他
   
6 議 事
   
(1) 事務局から資料についての説明があり、その後大学等の設置認可の望ましい在り方等について自由討議を行った。
   
(○:委員,●:事務局)
   
   ○  前回は設置認可とアクレディテーションの問題を独立に議論するわけにはいかないという論点が出た。また、地域バランス等の政策調整と最低限の質の確保としての設置認可とを同じ設置認可制度の中で行っていることに対する理念的混乱が指摘された。今回は更に議論を深めていただきたい。
   
   ○  資料2のアクレディテーションシステムのイメージ(案)の認証基準例に「適切なアクレディテーション」という表現があるが、アクレディテーション団体が複数存在する場合には、各団体が各々の基準でアクレディテーションを行うという理解でよいのか。
   
   ●  アクレディテーション基準は各団体が独自に定めることとなる。団体ごとの基準が適切であると文部科学大臣が認めれば認証することになる。
   
   ○  各アクレディテーション団体で基準が異なり差が出ると思われるが、大学側が任意でアクレディテーション団体を選ぶとすれば、その選択によりリーグが発生する可能性が出てくるのではないか。
   
   ●  どの団体のアクレディテーションを受けるかは各大学の判断によるので、結果的にそういうことも考えられる。アクレディテーションの基準や結果が公表されることにより、社会的にも判断されることになるだろう。
   
   ○  アクレディテーションの機関が幾つか出来た場合に、全て類似のものになるのか、それとも各々特色のあるものとして残るのか。  
   
   ●  画一的評価は適切ではないので、各々特色を持ってアクレディテーションを行うことが相応しいと思う。その結果は実施してみないと分からない。
   
   ●  大学設置基準を踏まえたものになると思うが、具体的なイメージとしては大学基準協会や大学評価・学位授与機構、その他にも新しいものも出てくるだろう。団体により幾つかの選択肢や視点が出てくるのではないか。
   
   ○  機関別アクレディテーション団体が各々排他的になり、その結果階層構造が出来る危険性があるが、それは想定しているのか。
   
   ●  各団体・大学がそれぞれの理念を持ち、それに相応しい定性的な質的基準を考えていくこともあり得る。特定の基準だけで多様性を有する全ての大学に対して画一的なアクレディテーションを行うことは適切ではなく、複数のアクレディテーション団体の存在を認める必要がある。
   
   ○  アメリカのアクレディテーションは地域的なもので、一つのアクレディテーション団体のメンバーに様々なレベルの大学が加わっている。今回の案では、全国的にエリアは一つで、その中に複数の団体が存在するイメージのようだが、その解釈でよいか。
   
   ●  アメリカでは地区ごとに基準や審査手続が異なるが、日本ではそのやり方は難しいと思う。ゼロから団体を作るのは困難なので、現在ある団体がどう発展するのかを想定しながらイメージ図を作らせていただいた。
   
   ○  設置者別にアクレディテーション団体が出来るという意味で複数の団体を考えているのか。
   
   ●  国公私立を通じて幅広く大学が加入することにより、大学基準協会や大学評価・学位授与機構がより一層効果的に機能するというイメージがある。現在あるアクレディテーションの仕組みが発展していくのではないか。
   
   ○  アクレディテーション団体が幾つも出来るイメージのようだが、どういうふうに出てくるのか。仲間うちだけで評価をしても意味がないのではないか。
   
   ○  アクレディテーション団体には財政基盤が必要だが、それはどうなるのか。公的資金なのか、アクレディテーションを受ける大学から費用を取るのか。
   
   ●  JABEEのように、審査を受けるものが審査料を支払うことが基本だと思う。アクレディテーション団体はそれほど多く出てこないと思うが、大学基準協会以外に短期大学基準協会が立ち上がりつつあるように、幅広く新しいものが立ち上がる余地もあるのではないか。
   
   ○  新たに出来ないかもしれないと思うが、増えると考えているのか。
   
   ●  制度設計にもよるが、評価する側にもされる側にも既存のものでは満足できないというところが出てくると思う。
   
   ○  制度設計の際にアクレディテーションの目的を明確にしておくことが必要である。JABEEの場合、ワシントン・アコードという国際的な技術者教育に関するアクレディテーションの相互承認の枠組みに加わることを目標にしている。アメリカの認定団体のABETでは、大学卒業者の約3割しか認定コースの卒業者にならないくらいに厳しいアクレディテーションを実施しているが、卒業者の水準は国際的に通用するものだ。そのようなメッセージ性が必要ではないか。
   
   ○  JABEEは、大学教員や企業人等、自分達で教育を良くしようという人達が仲間内で費用も出しながら準備を行っている。教育を良くしようという目的は教育者の根底的なものだ。
   
   ○  複数のアクレディテーション団体が必要という考えに賛成である。質の確保という観点から見れば、設置認可からアクレディテーションの方向に動いているが、継続的な質のチェックは事後評価ではなくプロセスにおける関与のように思える。プロセスへのチェックが、新しい学問領域や根本的な学問環境の多様性を許容するものとなることが必要だろう。現行の設置時のみの審査の良い部分は担保し続けなくてはならないが、それは複数の団体が存在することで担保され得るのではないか。
   
   ○  設置認可での1回限りの審査では質の確保という政策目的が十分に反映できないので、現行の設置認可制度に代わる継続的なチェックが必要だ。高等教育機関の質を担保するためには、アクレディテーションによる継続的なチェック以外の方法は考えにくい。総合規制改革会議の議論も我々の考えと同様だと思う。アクレディテーションのイメージ案が現行制度とどの程度異なるのかを踏まえて、この案にプラスαしたようなものが望ましいのではないか。
   
   ○  大学の質の保証にかかるトータルシステムのイメージ(案)によると、アクレディテーション団体が設置基準等の法令違反の有無についても審査するように見えるが、実際はアクレディテーション団体にそこまで期待するのは難しいし、行政が行った認可の継続的な担保をアクレディテーション団体に期待すべきではないのではないか。
   
   ●  アクレディテーション団体に設置基準違反を監視してもらうことを期待しているわけではない。アクレディテーションの結果として違反が分かった場合に、文部科学省として放置するわけにはいかないということである。
   
   ○  最低基準である設置基準を違反した場合には、文部科学大臣の措置がある。アクレディテーションの基準違反は質的にもそれとは別の基準なので、文部科学大臣の措置がないのだろう。両者の役割は自ずから異なるのではないか。
   
   ●  両者の役割や観点は基本的に異なる。アクレディテーション基準の審査の課程で設置基準違反について明らかになることもあるだろう。
   
   ○  アクレディテーション取り消しになった後はどうなるのか。
   
   ●  このイメージはあくまでイメージであって決定したものではなく、この場で更に議論していただくことを期待している。設置認可については、規制緩和の流れもあり現行制度上も国の関与を出来るだけ少なくしている。その結果として一部に適切ではない運営がなされていることもあるが、それを基に全般的に日本の大学が良くないと考えられるのは寂しいことだ。また、規制には弱者保護の機能も含まれているが、緩和によりそこが薄まる。そのセーフティーネットをどうするのか。今後、可能であれば設置については大学人同士の切磋琢磨に任せたいと考えている。更に、アクレディテーションを導入した場合に、どのアクレディテーション団体にも属さない大学の設置認可を取消すこととするのかどうかは議論していただきたい。
   
   ●  イメージ図は基本的に総合規制改革会議の答申に基づき作成したものである。いずれのアクレディテーション団体からも評価認証がなされない場合に、文部科学大臣の是正措置によっても改善されなければ設置認可を取り消すかどうかについては議論の余地があると思う。
   
   ○  評価とアクレディテーションの区分けがはっきりしていないのではないか。アクレディテーション団体は国際的に通用するものでなければならない。設置認可を緩めた結果、日本は大学が多すぎる状態になっていると思う。また、将来的課題だが、現在は設置者として国公私の形態しかあり得ないが、例えば、お台場の国際大学村のように絶好の条件が整っている場に、国という枠を越えたユニバーシティを設置できるよう、多国籍団体や株式会社等も大学の設置者として認めることもあり得るのではないか。
   
   ○  国立大学については、独法化と設置認可の緩和とアクレディテーションへの移行等多様なものが絡んでいるが、その辺りをどう考えるのか。
   
   ○  現在大学評価・学位授与機構で行っているのはアクレディテーションではない。各大学が目的・目標を出して、その実現の結果如何を審査している。99ある国立大学のうち、幾つかが国際的スタンダードに達する大学になるだろう。例えば、イギリスでは評価を使って限られたファンドを分けるので、非常に厳しく評価している。日本の評価はそれとは異なり、「競争的環境の中で個性輝く大学」の育成を目的とした評価だろう。アクレディテーションは団体毎にボトムラインを決めるので、レベルの区別が出来るのは当然である。そのために、アクレディテーション団体は複数なければならないのではないか。
   
   ○  アクレディテーションはこれまでにないもので、設置認可とは質的にも違い、設置認可を補完するものでもない。その違いを認識した上で慎重にその在り方を考えるべきだろう。
   
   ○  アクレディテーションの過程で設置基準違反が判明したとしたとしても、それを文部科学大臣の設置認可取消しにつなげるべきではないと思う。アクレディテーションは、それぞれの団体が定める独自の基準に基づいて審査を行うことで、大学の教育研究の質の向上に資することに良さがあるが、設置認可の取消しという役割を与えることによって本来の審査よりも設置基準を満たしているかどうかの審査に終始してしまい、結局は文部科学省の下請け機関になってしまう。むしろ、アクレディテーションの結果が公表されることにより、市場によるサンクションを受けることにこそ意味があるのではないか。
   
   ●  大学基準協会の評価については改革案が出されており、平成14年度から実施予定である。その案では、異議申立システムの導入や外部有識者の参加等システム的に現行のものとは大きく変えようとしている。
   
   ○  設置基準の法令違反は完成年度のアフターケア以降はどうしているのか。
   
   ●  現在はアフターケア以降は基本的にチェックする仕組みはない。視学委員の視察の際に、設置基準違反について併せてチェックする程度で、以前の部会の議論でもあったとおり、不十分な面もある。
   
   ○  総合規制改革会議の答申で、文部科学大臣が認可を取り消すことも検討されるべきとあるが、現在はどうなっているのか。
   
   ●  私立大学については、その自主性を尊重するという建前があり、指導以上の関与は出来ない。法令上は設置認可と閉鎖命令しかない。過去に定員超過の是正でずいぶん苦労したことがあり、指導では実効性がないが閉鎖命令を行うと在学している学生がかわいそうなのでずいぶんと歯がゆい思いをした。システムとして問題を起こした大学に対する対応が現行制度では不十分な面があるのは確かである。
   
   ○  目的の違う制度が幾つか重なって出来ていて、制度の整合性がなくなってきている。大学の存在の必要条件が設置認可で、自ら立てた目標を実現しているかについての評価がアクレディテーションである。両者は質も目的も違うので制度矛盾するに決まっている。単に設置認可を緩めるだけでは駄目だ。
   
   ○  複数の様々なアクレディテーションの結果を誰が判断するかが重要で、それがないと実行力がないのではないか。このイメージでは文部科学大臣に最終権限があるようだが、その先の制度設計まで考えるべきではないか。
   
   ○  このイメージの案も混沌としている所がある。なんとなく始めるのでは意味がないと思う。
   
   ○  大学の設置認可は私立大学対策だが、規制緩和した時に国がどこまで担保するのかが問題だ。機関としての設置認可やアクレディテーションを考える場合には、複数のアクレディテーション団体が出てくる必要があると思う。設置認可後の私立大学の経営・運営の評価は国に責任があるのではないか。アクレディテーション団体が文部科学省の下請けになってはいけない。そうでなければ、ボランタリズムの建前が崩れ、私立大学に対する統制を強めることになりかねない。
   
   ○  アクレディテーション取消の決定に関する最大の問題は、限られた資源の配分に関わる場合のアカウンタビリティである。定員超過の問題は改善命令が可能な法令を別途作って対応すればよいのではないか。アクレディテーション団体が納税者の負担による公的資源の配分に関わることになるが、加入する団体によって資源配分に不公平が出るべきではない。市場評価を通じた審査や評価が必要ではないか。
   
   ○  例えば、青木建設がつぶれた時に改革が進んでいる証拠だという意見があったが、大学の場合にも市場から退出する大学が出た時にチェックシステムが機能しているということになるのではないか。アクレディテーション違反による資源配分の制限については、自然淘汰による市場原理が働かない場合にのみ行うべきではないか。チェックシステムが作動するかどうかは重要だが、その後のセーフティーネットについてきちんとした対応がなければシステムとして問題が残るだろう。
   
   ○  アクレディテーションと資源配分とは中身も目的も違うので両者が関係し得ると考えるのは、理念的におかしいのではないか。設置認可した者の責任は資源配分まで含めて最後まで残るので、それとは独立した形のアクレディテーションも必要だ。資源配分とは独立したアクレディテーションにより全体として多様性を持った大学像となるのではないか。
   
   ●  アクレディテーションや事後チェックに関しては、事前関与である設置認可をどうするかということと密接な関係がある。しっかりした大学は学部学科の改編等を自らで行いたいという意欲があるが、その一方で任せるのが心配な大学もある。認可制度の改正の在り方に伴って、事後の在り方も変わってくるだろう。
   
   ○  一つの国民の合意に対して、国はこれまで全体の責任を持つ者だった。しかし、現在はその合意が多様化のために明確に出来にくい状況だ。その多様性を促進するためにアクレディテーションが必要なのだと思う。
   
   ○  認可者の責任としての資源配分という話だが、それは違うのではないか。大学の費用を負担するのは設置者なので、認可した文部科学省が負担するというのはおかしい。設置認可の責任と資源配分の責任とは分けて考えるべきだと思う。設置認可の責任に関して言えば現行では文部科学省には閉鎖命令の権限しかないが、閉鎖命令はこれまで全く活用されたことがない。規制緩和の方向に反するかもしれないが、大学の設置を認可した者の責任を問うのであれば、法令に違反する場合には閉鎖命令の制度を活用するということを明確にすべきだ。
   
   ○  日本ではこれまで設置認可とアクレディテーションが一体化していたために、大学基準協会が育たなかった。最近では規制緩和が進んだために設置認可とアクレディテーションが分離し、どこかでアクレディットをする必要が出てきた。これまでは文部科学省がアクレディットを担っているという自覚がなかったので、事後チェックが疎かになっていた。今後のアクレディットに公的にどう関与するのかが重要だろう。  
   
   ○  設置認可と資源配分、アクレディテーションの各々の主体は誰で、責任はどうなっているのか。その辺りの実施権限と責任の所在がはっきりと見えるイメージが必要だと思う。
   
   ○  規制改革を議論する上で、大学の質を担保することの重要性を忘れてはいけない。大学で教育を受ける人の大部分は、人生で一度しかない大事な時期に学ぶために入学してくるので、入学先である大学の質を設置当初から担保しておく必要があることは明らかである。私立学校法では、他の方法により監督の目的を達することができない場合に限り、解散を命ずることができるとある。これをベースに置いてアクレディテーションを整理するべきだろう。大学基準協会が昭和24年以来行ってきたのは、加盟判定審査と相互評価だが、加盟判定審査こそがアクレディテーションである。自分としてはアメリカのアクレディテーションがよいと思っているが、それは各々の大学が目標を定め、その目標に対してしっかりとした努力を行っているかどうかをリーグが加盟時に審査するものであり、個々の大学の個性や特色も尊重される。そういう方法が日本で受け入れられるかどうかが問題だろう。
   
   ○  学校教育法第13条は学校閉鎖に関する規定で、私立学校法では学校法人の解散について規定している。設置認可との関係では、閉鎖命令だけでなく事前にもう少し何か出来ないかということだと思う。
   
   ○  設置認可、アクレディテーションについては、かなり具体的な方向性が見えてきた。これに、資源配分という新たな視点が本日の議論で加わったが、設置認可、アクレディテーション、資源配分という3つの角度から調和的な制度を作るために更に議論を重ねたい。
   
   ○  グローバル化の時代においては、国という単位を超える問題が出て来るのと思われるので、いずれはその辺りについての展望も考えていただきたい。
   
7 次回の日程
 次回は、日程調整の上決定することとなった。

(高等教育局高等教育企画課)

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