大学教育部会(第11回) 議事録

1.日時

平成24年3月7日(水曜日)10時~12時

2.場所

文部科学省東館3階3F1特別会議室

3.出席者

委員

(部会長)佐々木雄太部会長
(副部会長)谷口功副部会長,黒田壽二副部会長
(委員)金子元久,長尾ひろみ,宮崎緑の各委員
(臨時委員)川嶋太津夫,林勇二郎の各臨時委員
(専門委員)荻上紘一,篠田道夫,田中愛治,長束倫夫,納谷廣美,濱名篤の各専門委員

文部科学省

山中文部科学審議官,板東高等教育局長,田中総括審議官,小松私学部長,常盤高等教育局審議官,義本高等教育企画課長, 勝野私学行政課長,合田高等教育政策室長,森友教育改革推進室長,坂下国際企画室長,石橋大学振興課課長補佐,西川高等教育政策室室長補佐,小山田高等教育政策室専門官 他

4.議事録

(1)学士課程教育の質的転換について,文部科学省から資料1~資料3の説明があり,意見交換が行われた。

【合田高等教育政策室長】それでは,主として資料1に基づいて,部会長のご指示により,これまでの部会のご議論を整理いたしましたまとめ(素案)について,そのポイントをご説明させていただきたいと思います。
 前回,佐々木部会長から,今回は学士課程教育の質的転換というテーマにターゲットを絞って全体の議論を整理すべきとのおまとめがありました。そのため,5部構成のまとめの素案は学士課程教育の質的転換という視点で貫かれています。
 資料1の「1.問われる学士課程教育の『質』」という表題のもとに四角囲みがあります。以下,四角囲みはそれぞれの章の要約です。前回,黒田委員からこれまでの長年にわたる大学審議会,中央教育審議会の議論の積み重ねを踏まえたまとめをというご指摘をいただきました。したがって,ここではこれまでの議論の経緯を簡単にレビューした上で,四角囲みですが,「大学の教員は教育に比較的多くの時間を割くようになっており,改善のための様々な工夫も進んできている。にもかかわらず,国民,企業そして学生自身の学士課程教育に対する評価は総じて低い状況にある。これには種々の要因が関係しているが,特に,高校までの受け身の勉強とは質的に異なる主体的な学びのための学修時間が今日においても少ないという大きな問題がある」と,学士課程教育の問題の所在を整理しています。
 特に,「1.問われる学士課程教育の『質』」の五つ目の○ですが,金子委員からもご提起がありました,大学における学修状況等の整理をしています。
 その上で,「2.学士課程教育の質的転換の確立」というところです。四角囲みのところですが,「学士課程教育に対する厳しい社会の評価の背景には,大学に対する高い期待がある。具体的には,」ということで,一つには,若者や学生といった個人の立場からすれば,グローバル化や少子高齢化,情報化といった急激な変化の中,雇用構造や労働市場の変化も加わった先の見えがたい時代を生きる若者や学生にとって,これは本部会でもご議論がありましたように,「『生涯学び続け,どんな環境でも勝負できる能力」の育成や知的な基礎に裏づけられた技術や技能などの習得は自らの人生を切り開く上で切実な問題であるということです。
 それから,「他方」ということで,二つ目に,社会の側からすれば「先が見え難いという点では産業界や地域社会も同様であり,今後の変化に対応するための基礎体力を固め直したり,先端的な活路を見出したりする原動力となる人材を切望している。社会が大学とそこではぐくまれる若者や学生に対して大きな期待を抱いている所以である」。
 その結果として,そのことを背景とした学士課程教育に対する社会の期待と厳しい評価に応えることは,我が国の成長や発展の重要な基盤であるとともに,国際的な信頼や貢献につながるということでございます。
 「それを実現するためには」ということで,飛んでいただいて恐縮ですが,2の七つ目の○ですが,これは本部会でもさまざまなご提案,ご提起がございましたように,「それを実現するためには,高校までの勉強から大学教育の本質である主体的な学修へと知的に跳躍すべく,学生同士が切磋琢磨し,刺激を受け合いながら知的に成長することができるよう,課題解決型の能動的な学修(アクティブ・ラーニング)といった学生の思考や表現を引き出しその知性を鍛える双方向の授業を中心とした質の高いものへと学士課程教育の質の転換をする必要がある」との部会の議論を整理した上で,その下,最後の○では,平成20年12月の,いわゆる学士力答申でご提言いただいたさまざまな諸政策,諸方策を提示いたしております。これは学士力答申のおさらいということになろうかと思います。
 それを前提として,「3.好循環の始点としての学修時間の確保による主体的な学びの確立」というところです。四角囲みにございますように,「学士課程教育の質的転換については様々な見解や論点,手法,切り口が考えられるとしても,学士課程教育の質的転換は『待ったなし』の課題である」という前提をお示ししています。
 その後,二つ目の○ですが,「このような状況やそれを踏まえた国民の大学教育への高い期待を考えた時,学士課程教育の質的転換については,既に,何をすべきかを議論する段階ではなく,具体的な行動を今から始め,すべての大学の学士課程教育が質的転換のために大きく動き出し,成果を挙げ,その実感を学生や保護者,企業,非営利法人など広く社会で共有し,大学の学びへの信頼が高まるという好循環を形成していくことが求められる」という認識を整理させていただいています。
 四つ目の○で,「このような認識に立ち,中央教育審議会大学分科会大学教育部会としては,学士課程教育の質的転換については様々な見解や論点,手法,切り口が考えられるとしても,『待ったなし』の状況を踏まえ,具体性や効果,緊要性などを考慮し,各大学においてまず取り組むべき課題は,学士課程教育の質的転換への好循環の第一歩(始点)としての『学生の学修時間の増加・確保による主体的な学びの確立』である」という,これまでのご議論をおまとめさせていただいています。
 その理由ですが,六つ目の○ですが,「第1に,予習・復習などを含めた学修時間の確保による主体的な学びは,大学における学修の本質だからである」ということでございます。
 一文飛ばして,「高校までの勉強から大学における学修へと知的跳躍を図り,学生が主体的にその『答えのない問題』を考え,最善解を導くために必要な専門的知識及び汎用的能力を鍛えることに学士課程教育の本質がある」。また一文飛びまして,「したがって,主体的な学びが本質である大学の学修において,学修時間は単に学修の量の問題ではない。学修時間は,主体的な学びの確立の一つの指標である」という整理をしています。
 その次ですが,「第2に」ということで,「学修時間の増加・確保は,授業計画(シラバス)が学生が予習など主体的に学ぶに当たって必要ないわば授業の工程表として機能しているかどうかだけではなく」,その後ですが,カリキュラム全体の目標,あるいは各科目同士がどのように連携・関連をし合うのか,学生に主体的な意欲や関心,学びを引き出す効果的な教育方法や成績評価とは何か,教員にはどんな教育力が必要か,マネジメントはどのように変えていくべきか,「といった課題に大学全体として取り組み,学士課程教育の質的転換への好循環が動き出すためのいわば始点となるからである。その意味でも,学修時間は単に学修の量の問題ではない」という認識を整理してございます。
 第3として,「我が国の大学が海外から信頼を得るに当たっても,学修時間の増加・確保による学生に主体的な学びの確立が欠かせない」という認識をお示しいただいています。
 以上を前提として,最後から二つ目の○ですが,「各大学における学士課程教育の質的転換の第一歩として学生の学修時間の増加・確保による学生の主体的な学びの確立を図るために,例えば,関係機関が,各大学における学生の学修時間の把握,その結果の学士課程教育の質的転換への活用,学修時間の増加・確保による主体的な学びの確立に向けて全学としての具体的な取組,これらの結果や取組の公表といったそれぞれの大学の積極的な取組を資源配分の際の参考資料の一つとしてエンカレッジすることが考えられる」。
 最後に,一番下の○でございますが,「なお,」といたしまして,「当部会としても,各大学における学修時間の増加・確保に当たっては様々な課題があることが言を俟たないことは深く認識している」といったことで,関係機関による実態把握の必要性を指摘してございます。
 以上,学修時間を始点とした好循環についての整理ですが,もちろん,これはあくまでも始点です。好循環の全体については,「4.さらなる学士課程教育の質的転換への好循環に向けて」というところで言及してございます。ここでは,好循環をしっかり働かせるために,特に文部科学省など関係機関が取り組むべき施策について,前回までのご議論を踏まえて整理をしています。
 (1)「学位プログラムでどのような力をつけるか」ということです。ここでは,前回,特に学位授与の方針についてご議論がありました。この学位授与の方針があることにより,科目等との連携,あるいは教員の教育力の評価というものができることになる。また,そういった取組をエンカレッジするという観点から,ティーチング・アウォードなどの取組が考えられるのではないかということです。
 それから,(2)として,カリキュラムや学修支援環境の充実ということで,ここでも前回の議論を踏まえてシラバスですとか,あるいはナンバリングというものが何のためにあるのか。授業の工程表であるシラバス,あるいは教員は個々の科目の充実にエネルギーを投入できるということのためのナンバリングと,それぞれの目的を明確に整理をいただいています。
 さらに,前回,産業界や地方公共団体の役割の重要性についてご指摘がありました。(2)の一つ1つ目の○の真ん中ごろですが,「産業界や地方公共団体,地域が学士課程教育に積極的に協力,参画することが重要」という認識,あるいは,就職活動の早期化,長期化の是正といったことについて整理をしています。
 併せて,その次の○ですが,学修支援環境についても実態把握,コスト分析,支援,それから教材や方法論の開発などの研究についての積極的な支援という,これまでの議論を整理をしてございます。
 (3)「どのような入学者を受入れ,はぐくむか」ということです。ここでは,前回,「K-16」など初等中等教育と高等教育の接続やあり方についてご議論がありました。(3)の一つ目の○では,最近の小中教育の動向を踏まえた上で,「高校教育と高等教育,職業を教育内容という観点から円滑に接続し,一人一人の能力をいかに伸ばしたかをベースに学校教育が柔軟にその役割を果たす」という観点から議論を深めていくということの重要性。
 それから,(3)の二つ目の○では,前回ご議論がございました「K-16」,あるいは「カレッジ・レディネス」,これらの用語について,おまとめさせていただく際には脚注や用語解説をつけさせていただきたいと思いますが,こういったものに言及いたしました上で,(3)の最後の○ですが,中教審大学分科会の認識として「初等中等教育分科会と連携の上,多様化する高校教育,一般入試以外による選抜を経た入学者の増加,学修時間の少ない学士課程教育という構造の中で,それぞれの学力層に着目した学修時間の増加・確保のためのきめの細かい施策を講じることにより,各学校段階において個々人の能力が実際に伸長する仕組みを検討する」という,今後の方向性をお示しいただいています。
 なお,(4)「学士課程教育の改革サイクルと全学的な数学ガバナンスの確立」について,(4)の二つ目の○ですが,「学生の学修成果の把握」ということについては速やかな研究開発の推進を,それから学修評価,教員評価についてはその評価手法の研究・開発,評価に関する専門的な人材の養成方途について,前回のご議論を踏まえ,言及をしてございます。その下の丸では,「大学ポートレート(仮称)」の早期整備です。
 四つ目の○ですが,前回,評価についてご議論いただきましたが,「関係機関が,学士課程教育の改革サイクルが適切に機能しているかどうかなど学修成果を重視した評価が認証評価で行われることを促すということが重要である」といったことなど,認証評価については学士課程教育の質的転換という文脈で位置づけて,ご議論を深めていただきたいと思っています。
 最後の○では,ガバナンスについても同様に,引き続き審議を重ねるということでご整理をいただいているところです。
 以上をごく簡単な図に整理をさせていただいたものが,資料2です。学修時間の増加・確保による主体的な学びの確立という,資料2で申しますと,「始点」と書いた色刷りの資料ですと,黄色くなっているところがありますが,ここを1つの始点としつつ,学士課程教育の質的転換の好循環が働くということがポイントです。それが働くことにより,社会や海外のトラストも高まるという好循環が働くということで,簡単な図をお示しさせていただいています。
 あと,資料3ですが,1点だけ言及をさせていただきます。資料3「参考資料」の5ページ目をお目通しいただければと思います。前々回の部会で,濱名委員から評価の位相という話がありました。また前回の議論では,学生とプログラムの間に授業科目という評価対象の相があるのではないかというご指摘をいただきました。そのご指摘を踏まえて整理をさせていただいております。またお目通しをいただき,ご指摘をいただければと思っています。

【長束委員】大学教育,学士課程教育がどういうふうに変わっていくかという方向性については,このような形でと思いますが,高校現場の話がかなり出てきまして,この中で,高校は受け身の勉強であるというような限定と,高校と大学の勉強が質的に異なるという部分が書いてあるのですが,そうなってくると,主体的な学習は大学に入ってやるべきものでというふうにとらえられてしまうのかと思います。学習指導要領で,高校でも思考力,判断力,表現力の育成ということをうたっておりますし,大学に入ってからというよりは,大学で培う力を小学校・中学校・高校から培っていって,最終的に力になるということが理想ではないかと思いますので,そういう部分を少し変えていただきたいと思います。
 資料2のほうでも,その中に高校との連携のような部分を入れていただけるとありがたいです。あくまで連携をしていくという,最終的に大学を出て力をつけると。高校の現場も,大学で学ぶべき力に必要なものを身につけていくという面では,連携していく必要が非常にあると思いますので,そこのところを考えていただければと思います。

【佐々木部会長】(3)のあたりで接続の問題を論じているところですが,おっしゃる趣旨はよくわかります。

【合田高等教育政策室長】おっしゃるように,高校と高等教育の接続ということで,みずから学ぶということは大変重要なポイントだと思っております。他方,大学においては自学が学修時間に制度上組み込まれた単位制度で,主体的な学びが制度的にその本質として位置づけられているというところはありますが,今の先生のご指摘を踏まえて,表現を整理をさせていただきます。

【金子委員】ここまでの受け身ということは,確かに少し言い方は修正すべきと思いますが,ただ問題は,高校も学習時間が少ないことは非常に大きな問題であるということは,やはりここでもきちんと押さえておく必要がありまして,今までは日本の高校生は大学入試で勉強するものだと思っていたわけですが,今,大体,大学に入る人の3分の1くらいは,高校3年生で1日1時間も家で勉強してないのです。これはやはり受け身です。そういう人たちが大学に入ってきているという非常に厳しい現実ですので,これは別に,だからこれはいけないとかいいとかという問題ではないかもしれませんが,しかしやはり,いけないことはいけないので,高校改革と連携して主体的な学びを確立していくということはやはり重要だと思います。

【谷口副部会長】高校もということもありますし,小学校・中学校みんなそうだと思います。基本的には同じ方向に向かっての背景は同じです。それを,それぞれのレベルで違うところを力をつけていくということがあるのではないかと思います。
 先般,熊本では,中学校とか小学校の先生を入れて,教育学部の音楽とかが一緒になって新しい指導要領を中学校,小学校と,小学校は今年から変わりましたし,中学校は来年から変わります。そういうものをどうやって具体的に教えていくのかという議論がありました。先生方はものすごく熱心にやられています。
 現場の方は,どういうふうにやったらいいかということを非常に苦労されて,やはり双方向というか,学生,生徒が主体的に学習するということにならないと,やはりうまく勉強というか,そういう時間の確保もできないし,本当の学習ということになっていかないということが,もう皆さん,議論の中でやられておりました。ただし,どうやっていくか。先生方はどうやって力をつけるかというようなところも非常に大きな問題にはなっておりましたが,それはやはりそれぞれのレベル,小学校は小学校,中学校は中学校,高校,大学と,中身は違います,質が違うと思いますけど,それを具体的にやっていきながらトータルで人材を育成するということだろうと思います。
 だから,高校は必ずしも受け身という感じではないということは確かだけれど,やはり全体で上げていかないといけません。ただ,全体的に勉強する,時間だけではない,質がやはり今のままではだめだということの認識は一貫しているのではないか,一致しているのではないかと思っております。

【長尾委員】資料2ですが,本当にうまくまとめていただいていると思います。
 ただ,始点と書いてあるところの「学修時間の増加・確保による主体的な学びの確立」というところで,たくさん時間を割いて我々が議論したことが少し具体的に理解できるようになっていたらいいと思います。といいますのは,ここで学修時間の増加は,ただ単にたくさん勉強を,長時間勉強をさせろということではなく,15コマではなく15週が1学期であって,そして1単位に対して45時間勉強させる。2単位であれば90時間学修させるというところをきちんととらえた意味での学修時間の増加・確保であるということの確認が必要であると思います。
 それを保証するためには,それぞれの大学が15コマ授業をすればいいということではなくて,90時間をどのように保証するかというアカウンタビリティが,担当する教員それぞれが,シラバスも含め,フィールドワーク,インターンシップも含めてどうカウントしていくかという説明能力を持つということです。ですから,折りたたんでも構わないということです。
 それの結果として,思考できる学生,理論的思考ができる学生を育て,結果的には企業に役立つ,あるいは日本を背負う学生を創造していくことができるということですが,ただ,そこのところでこのサイクルがぐるぐる回っていきますが,各大学の努力がどう評価されるのかというところで次の評価につながってくると思います。その評価を,では,どういう評価をすればいいのか,どの分野で,ということの議論をもう少し深めないといけないのではないか。そこのところまでは行っているのですが,止まっていると思います。
 で,その評価にA,B,C,Dとかランキングがあって,それぞれの大学のやり方によっては,AであったりBであったりするでしょう。でも,そこにはある共通した評価体制があって,ステークホルダーによってその大学が評価され,またそれによってうまくいく大学,あるいは募集停止にならざるを得ない大学も出てきても仕方がないと思います。
 要するに,質の保証をするために大学がどう努力するかということを評価し,できれば,先ほどまとめて書いてくださっておりましたように,努力する大学に対するインセンティブあるいはエンカレッジメントを,何億円とかいう多額の補助ではなく,少額でもいいからコンスタントにその補助をつけてエヴァリュエートしていただくことができたらと思います。
 そして今,高校とのつながりですが,教育の仕方が変わることによって入試の体制が当然,変わっていく。そこのところが高大連携ができたらなと私は思って,そこも模索しないといけないところだと思います。今は1点,2点,合格するかしないかの線ぎりぎりを,どう点を取るかという教育で,受験体制にしっかり乗っかった生徒は,金子委員おっしゃるように何十時間と勉強している。けど,受験ではなくすっと入る,あるいはもう大学へは行かないと決めた生徒は1時間しか勉強しないという,その格差がすごく出てきているのだろうと思います。
 ですから,今のサイクルの中で,うまくいけば高大連携しながら入試のあり方,そして高校と大学が信頼しながらの人間教育ができていければと思います。
 これは大変うまくまとめていただいているので,ポイントポイントを具体的にしていけばいいと思っております。

【濱名委員】今までご発言のあったこととかかわりのあるところで申し上げたいと思いますが,一つは学修時間です。先ほどの資料2でいうと,「学修時間の増加・確保による主体的な学びの確立」を始点に書いているのですが,逆に言うと,終点ではないのかと思います。主体的な学びの確立が,学修時間を確保したらできるということは少し短絡的で,むしろ,主体的な学びの習慣が身についた学生を最終的に育てていくということのほうが,流れとしてはいいのではないかということが,まず一つあります。
 それともう一つ,先ほど高校教育の話があったのですが,ずばり長束委員に申し上げると,高校教育の質保証ができてないと,我々は思っているわけです。そのことをどう表現するかの話で,そのときに受け身的な学習がだめだったら,学習習慣の未確立な状態のまま高校を出ている子供たちがいるということです。それは後ろのほうで入試の書きぶりのところで,一般入試以外の者,つまり全員がそうでないと言っているわけですから,そこのところはそういう表現もあり得るのかなという気がいたします。始点のところではポイントとして2か所,気になりましたので申し上げました。

【佐々木部会長】いかがでしょうか。これは「始点」か「終点」か。ある意味では「始点」であり,「終点」であると思います。「始点」とは,「とっかかり」ということです。質保証にかかわる改革,変革を進めていくとっかかりとして,問題提起としてここが重要ではないかという意味に私は読んでいるのですが,おっしゃるとおり,それが「終点」でもあることは間違いないと思います。

【合田高等教育政策室長】ご指摘のとおりかと存じます。主体的な学びの確立ということが大きな目標でして,これまでの部会でご議論いただいたさまざまな仕組みも,そのためにこそとの位置づけだったと思います。そういう整理をまた,ご議論を踏まえてさせていただきたいと思います。

【林委員】今の議論ですが,始点でいいような気がしないでもないです。
 学生の教育は大学教育だけで閉じているのではなく,社会とのかかわりの中で行われています。大学のミッションはミッションとしてありますが,社会のための大学であるからには,社会の力,産業界からの力,市民の力を借りる,これが公教育と言えます。学生の教養は,社会でのいろいろな体験を通して獲得するというような構図です。4の(2)の二つ目の○に,インターンシップが書いてあり,社会体験活動やサービス・ラーニングが効果的だと書いてあります。これはある意味では,学生は主体的に学びなさいということをここで受けていますので,非常に重要なポイントと思います。
 資料2に戻りますと,大学が中央にあって,海外に対して地域社会に対してかかわりを持つときに,ステークホルダーに対して大学が直接的に連関をするだけではなくて,学生の学修時間の中に絡んで来る必要があると思います。1単位15時間の残りの分は社会とかかわり,あるいは生活の時間になりますので,学生に長時間取りなさい,学修時間を確保しなさい,しかもそれを主体的にやりなさいと言っているわけですから。
 社会のステークホルダーの上に大学と結ぶだけではなくて,学生の始点のところまで大きく結んで,自学自習も含むしアクティブ・ラーニングも含んで,地域社会というものが上にあって,下に海外があるという,そういう構図にすれば全体が取れるのではないかという感じが少しします。

【佐々木部会長】2次元の図で,おっしゃることを全面的に表現することは難しいかもしれません。

【田中委員】今のお話ですけど,学修時間の増加について,長尾委員,林委員のご意見と大体同じですが,もう少しここを深く掘り下げる必要があると思っているのです。
 学修時間の増加は,長尾委員がおっしゃったとおり,授業時間数に多く出席させればいいということではないのです。90分で2時間だとするなら,それに対して,前と後ろに同じだけの勉強時間が必要であるということです。
 それを実際にどういうふうに教育させるか。そしてまた,学生が主体的に,ただ単に知識を詰め込むのではなくて,自分の頭で考えるということはどういうことかということを,少しうまく踏み込むべきだと思っています。
 例えば,そういうふうに書けるかどうかは別としまして,私の経験を申し上げると,アメリカの大学に行ったときに非常に衝撃は大きかったわけですが,どういうことを求めていたかというと,これは大学院レベルですから学部の倍ぐらいは読ませていると思いますが,1週間に300ページぐらいはアサインメントを出して読ませるわけです。それで,例えばそれは月曜日と木曜日にたしか授業はあったと思いますが,月曜日の午後の授業ですと,月曜日の昼までに300ページを読んできて,クエスチョンを二つ出せということになります。クエスチョンというのは,何が何だかわかりませんという意味ではなくて,疑問点を出せということです。だから,専門論文が20本とかあって300ページとか読むわけですが,この著者の内容はこのデータからここまで言えるのかとか,その前提となっているアサンプションである仮定条件が本当に正しいといえるのかというような疑問点を出すということです。すなわち,みずから問いかけるという,その問いかけることを求めていたのです。
 それで,私どもはどういう目に遭ったかというと,月曜日のお昼までにきちんと質問を出さなかった学生は,10人か8人のセミナーですが,150分の授業中,1回も当てないのです。その厳しい先生は,何回手を挙げても絶対に当てないのです。参加するにはそれだけの勉強をしてきて,自分で考えてこいということを要求していたわけです。全員がそういう教え方をしているわけではないですが。
 そういうことが最も厳しい形だと思いますが,求められている。すなわち,予習してくること,そして自分で考えること,疑問点をきちんと提示して,それに対する解決策なども自分なりに考えることが求められているということです。学部レベルではそこまでいかないかもしれませんが,欧米の一流大学は大学院の多分,半分ぐらいの要求はしていると思います。そういうことが必要になっていると思います。
 そのために教員は何をするか,少しこれも申し上げます。1度お話ししたかと思いますが,その科目を担当した教授ですが,大分終わりころになって博士論文を書いているころに彼が話してくれたことは,9月に言っていたのですが,この夏休みは6,7,8月と3か月はすべて,家族と1週間旅行したいから,すべて毎日シラバスをアップデートするために論文を読んだ。300本の論文を読んだと言っていました。レフリードジャーナル,世界中のトップジャーナルに出ている英語の論文を300本読んで,自分のシラバスは200本ぐらいあると思いますが,100本ぐらい入れかえている。すなわち,どれが意味があってどれに意味がないかを吟味するわけですね。彼は3年間研究ばかりしてきて,教育のほうが少しおろそかになっていたから,この秋のシラバスのためにひと夏全部つぶしたというわけです。それ1科目だけのためにです。それぐらいのエネルギーを教員は割いているということが,私は終わりぐらいになってわかったわけです。
 ここでおっしゃっていることは,まさにそういうことです。そこまでできるとは私自身も思いませんが,それぐらいのことが求められていると思います。教員はそれぐらいのエネルギーをかけて教えることが求められていて,学生はそういうふうに頭を使うことが求められているのです。
 そのためには,設置科目数が多くて,例えばここの最初のところにありますが,日本では教員の負担が比較的高く,平均8コマと言っていますが,8コマ教えていたらそれはできないのです。せいぜい通年で4,5コマの担当で,半期で2,3コマの場合に,一つの科目にそれぐらいのエネルギーをかけることができると思いますが,設置科目数が多すぎるということです。つまり,体系的ではなくて,似たような科目が幾つも幾つも並列的に並ぶと教える側も力が抜けますし,教わる側も力が抜けますから,1科目に対する投入エネルギーは,教員の側も学生の側も減るのだと思います。
 肝心なことはそこのところであって,カリキュラム体系化,科目同士の整理をしてということは,結局,設置科目数を減らすことであり,それは何を求めるかというと,教員が投入するエネルギーを増やすということです。学生が1科目に投入するエネルギーを高めるということです。そこが始点であり,終点であると思います。それが目的で始点でもありますが,最終的にそこまで行かないとならないから,濱名委員おっしゃるとおり,終点でもあるのだと思いますが,そういう理解をしていただかないと,結局,ゆとり教育からまた厳しい教育に変わったのだみたいに,一般的にメディアでは非常に表面的にとらえるかと思いますが,授業時間を多くして多くの授業で教室に座らせることが目的ではないのだと思います。自分で考える時間を増やさせること,教員がそれに用意する時間を増やすことが,恐らく目的ではないかと思っております。

【谷口副部会長】先程の林委員の社会とつながっているという話ですが,それは当たり前ですけど,ここにそう書くと非常に分散してしまい,大学の責任というか,どこが主体ということが少しわかりにくくなる面があるので,社会とつながっているのはもう当たり前ではないでしょうか。

【林委員】これはかなり重要だと思っています。今,田中委員がおっしゃったようなことはかなりギャップがありますし,一挙に8コマを4コマに持っていけるかどうか。学生が主体的に学ぶためには,生涯教育もそうですが,自分が,一体,社会に対してどういう役割を持っているのかという存在理由が大切ですし,そのためのモチベーションも上げないといけないと思います。
 社会の中に自学自習の場があり,同時に社会貢献がありますので,例えば教員になりたい学生は高学年での教育実習だけではなく,1年生のときから初等中等教育のクラスに入って行くことが大切です。福祉をやるのだったら,看護をやるのだったら病院や施設で学ぶことがたくさんある。いろいろなボランティアがあり,サービス・ラーニングあります。すなわち,モチベーションと自学自習と両方絡めるとすれば,社会というものがここにないとまずいと思います。
そんなに難しいことではなく,矢印を一つ入れるぐらいですので。

【谷口副部会長】やはり大学を中心に書かないといけないということだけです。

【林委員】もちろんそうです。それはそうです。配置はこのままでいいのです。

【川嶋委員】一つは始点・終点の議論ですが,これについては,要するにアウトカムベースの考え方からすれば,最終的なアウトカムが目標として設定されて,それからその最終的なアウトカムである目標に達するためのプロセスを逆に考えていくことになりますから,今の議論は非常にわかりやすいと思います。
 そこでで,話は変わって,少し文章のスタイルについてお伺いしたいのですが,この囲みの位置づけはどういう意味でしょうか。文章の一部のようにも読める箇所があり,たとえば,囲みの後に「このように」とか「他方」とかいう接続詞があり,囲みと,それ以降の文章が一体と文章とも読めます。
 それからもう1点は,これは個人の好みだと思いますが,文章表現上で非常に口語的な表現と言葉が幾つかあるのが気にかかります。「勝負できる」とか「固め直す」とか,がその例です。またカタカナの表現が多いのも気になります。これは非常に個人の好みの問題でもあるのですが,個人的には少し工夫していただきたいと思います。
 それから最後に,教員が変わらないといけないということですが,私たちは,私たちの先生の後ろ姿を見て大学教員になったわけです。これは日本だけではなくてほかの国でもそうなのです。ですから,今いる先生方の意識や,さらには行動を変えていくということは,このように言うは易いのですけど,それを実現するのはなかなか難しいだろうと思います。そういう意味で,イギリスでは未来の大学教員である大学院生全員に研究者ではなく教員になるための研修を義務づけて,時間をかけても教育を改善していこうという方向を取っているわけです。そこで,この審議のまとめの提案は,どのようなタイムスパン,あるいは,スケジュールで実現を図るのでしょうか。これについてお聞きしたい。

【合田高等教育政策室長】四角囲みですが,これは臨時教育審議会をはじめさまざまな審議会でこういうサマリーを冒頭に書かせていただいて,理解を深めていただくという手法がとられておりまして,事務的にはサマライズをさせていただいたつもりです。表現等については,今,川嶋委員からお話もございましたように,また個別にご指摘をいただければ,より練れたものにさせていただきたいと思っております。
 時間的な枠組みは,むしろこの場でもご議論いただければと思っておりますが,4.で整理をさせていただいた,開発や研究を要するなど少し時間のかかるものと,それから3.で書かせていただいた学修時間の確保といったものについては,直ちに取り上げるものという形で,このまとめでは整理をさせていただいているところです。
 ただ,これについてもぜひご議論,ご指摘をいただければと思っております。

【佐々木部会長】つくりの問題については,また最後にお話をいただこうと思っています。1,2,3,4のうちの2,3,4は「囲み」がサマライズというのはよくわかるのですが,1のところは書きぶりが少し違います。少し整合性がないようにも思いますから,スタイルの統一ということはまたこの後お考えいただくことにしたいと思います。

【宮崎委員】これまでディスカッションしてきたことが非常に,効率よくまとまっていると思います。確かにそうなのですが,ご配慮が行き届き過ぎていてインパクトがないです。それで,むしろ,確かにこういうことを話しているのですが,それよりも,例えば世の中が響くことは何かというと,少し前に,これはかなり勇み足のニュースで出た,入り口と出口で試験をして伸び率をはかるとか,あるいは今9月入学を考えているところがあるとか,あるいは今,大阪で議論されているようなこととか,そういうことのほうが世の中に大きな影響力を持っていると思います。
 ですから,もっと具体的に,例えば最初の背景のところ,質保証をどうするかという背景のところなども,高校卒業程度の学力を身につけずに高校を出てきてしまった学生を受け入れざるを得ない大学はどうするべきかとか,そうではないところももちろんあると思いますが,そういうもっと具体的な,非常に影響のある書き方をしていただきたい。
 今,始点と終点の論議がありましたが,主体的な学びの確立といいますけど,こんなことは中学生か高校生でやっておかないといけないことです。それを大学に来てやらないといけないということは非常に情けない状況ですが,それをもっとはっきりと書いてはいかがでしょうか。本来であればもう主体的な姿勢ができている学生が,それを元に大学でもっと専門分化していって,何を行っていくかということが大学の使命のはずと思いますので,でもそれがそういう現状だったら,そういう現状だということをもっとはっきりと書いたほうがいいのではないでしょうか。
 さらに一歩進めますと,例えば今行っているセンター入試のようなものを大学入学資格試験として全員に受けさせるとか,ごめんなさい,これは少し過激な意見過ぎたかもしれませんけど,そうではないと,こういうやわらかい言い方していると,だんだん伝達していかれる間に,現場の隅々におりていったときに希薄になって,拡散してしまうのです。それで,あまり心にもとまらないということになってしまうと,せっかく書いても意味がないので,その辺をはっきりしていただきたい。
 これは後で出てくると思いますが,ナンバリングだったら,これからは必ずナンバリングをしなさいと書くとかです。もちろん,できないところもあるから例外は認めるというような書き方をするとか,そういうほうがいいのではないかと思います。

【納谷委員】これを文書として出すときには,もう少しイントロならイントロらしくまとめるというようにして,むしろ3,4のほうへ力点が入るようにお願いしたいです。「主体的な学びの確立」ということがメーンで,そのための第1段階が学修時間の増加・確保となっています。これだけのことをやらせるためには,今のようなことではだめだということがイントロで出れば,よろしいのではないかと思います。それをはっきり出していったほうが3,4の部分が生きてくるので,そういう答申にしたほうが,人びとにはよくわかります。我々が議論してきたことはそういう中身だということをきちんと出したほうがいいのではないか。
 資料2について,林委員が言っておられました「社会と大学の関係」は,ここの学位授与とか,ここのプログラムなどできちんと示せばいい。それを受けてこの図左側からの循環に入っていくという,そこをきちんと示すことでいいのではないかと私は思っています。谷口委員の意見でいいと思います。
 それと,長束委員がおっしゃられたことについては,この場の議論はやはりベクトルが高校ではなくて,大学にあるということでこの文章ができあがっているので,高校の教育はそうあってほしいということとは少し違う視点だと思います。表現の仕方は文部科学省のほうでお考えいただくにしても,あまりならしていくと今の大学の問題点が見えなくなるので,この答申では少し強めに出して対応できるようにしていっていただいたほうが,こちらの部会の意向が明確に伝わるのではないかと思います。決して高校教育はやってないとか,何かそういうことではありません。
 ただわかっていただきたいことは,高校までの生徒とは,いろんな意味で,やはり学生とは違うので,その違いはもう1回ここでしっかりとこの答申の中に入れ込んでいったほうがいいのではないかと思います。生きていくための智慧をいろんな問いを発して,学ぶという場が大学です。このことをもう少し表に出だしていくという答申にしていけば,3,4の部分がもう少し生きてくるから,その第1段階が,学修時間について今のような時間では,とてもそんな学び方はできません,しっかりしてくださいというようなトーンのほうがいいということを,私は,感じています。

【黒田副部会長】先ほど田中委員から学修時間の件で,アメリカではこうだという話がありましたが,あれは非常に重要なことです。今ここで転換をしようとしていることは,学生そのものが学びの主体性を持つということです。今まではどちらかというと,「教員が何を教えるか」ということについて議論をしてきましたが,ここではその転換を図り,「学生が何をできるようになるか」ということを中心に学生主体の教育をしようということです。
 そういう点で,資料2の図に始点と書かれている中での学修時間をどう確保するかということですが,これがなぜ始点になっているかということは,ここを変えなかったら終点もないわけですね。これが回り回ってここへ来て終点になるのかもしれませんが,学修時間を確保するためには教員の意識がまず変わらないといけません。
 最後の資料4でMITの資料が出ていますが,教師のためのバイブル的存在であり,第1章には教育は教師のチームワークで行われることが書かれています。また教育で大切なことは,学生の学びの意欲を引き出すことだと書かれています。学修時間を確保するためには,教員がアメリカのように教科書をしっかりつくらないといけません。日本の教科書は,せいぜい100ページか200ページ程度の教科書で済ませています。アメリカでは1,000ページを超えるような教科書になっているわけです。それを作っていただくことが,私は重要だと思います。
 そのためには,先生方の教育にかける情熱,先ほど言われたような情熱が生まれてこないとできないわけですが,それを生むためにはここで国としての支援が必要です。研究に対して,いろんなインセンティブを与えて研究費を出していますが,そういう教育に対する教科書をつくる作業についてもきちんと支援をしていくということをしていくと,先生におのずと教育に対する情熱がわいてくるのだろうと思います。
 そういうことをぜひともやっていただかないと,これの出発点である学修時間を増やすということがなかなか難しい。だから,その辺はしっかりと踏まえて,最初の始点である学修時間のことと,学生が主体的に学ぶ力をどうつけていくかということが問題ですから,そういうみずから学べるような教科書がないといけません。こういう参考書を読んでおきなさいとかいう予習のための資料が教員のほうから示されないと学修できませんから,そういう制度をぜひともつくり上げて,それが始点になって循環していくと,うまく好循環が生まれるのではないかと思います。
 大学を評価する場合でも,これはもう既に教育システムがPDCAサイクルに乗って機能しているかを評価する評価制度のシステムも今変わりつつありますので,そういうところともつながってくるということです。
 繰り返しになりますが,教室の中での授業時間と,教室外での学修時間をどう増やしていくか。それには先生方の教育へのかかわりかたということが非常に重要だということを申し上げておきたいと思います。

【長束委員】まず,高校を代表してということで申し上げたいと思います。
 先ほど,高校教育の質の保証ができていないというお話と,あとは大学に入学する力がないような生徒を受け入れざるを得ないという話がありました。高校教育は,足りない面もあると思います。ですが,今いただいた意見に対してはやはりさまざまな場でもお伝えしているのですが,発言させていただきたいと思います。私は進学校に今勤務しておりますので,生徒の勉強時間もかなりあります。本当にこんなに勉強してというぐらい勉強して大学に進学をするという形をとっていますし,また違うような学校では,確かに勉強時間は少ないですが,社会に出て生きていくための何とか力をつけさせようということで教職員も頑張っているというところがありますので,そこは発言させていただきたいということが1点です。
 もう1点ですが,今のお話ですと,高校の中でこういうような状況に今あって,大学に入ってくる生徒がこうだから大学教育が,というようなお話の流れもあるのかと思いますが,例えば質の保証ですとか,入試でそういう力がない子が入ってくるということでいえば,高校側から言えば,大学で勉強するのに必要な人材を採るような入試をしていただいて,そういう人材を採ってもらえばいいと思います。逆に,大学でそういう力がない子は入学させないというふうになって,現実には難しいことはわかっているのですが,理論的にはそう言えるのかと思います。
 この場は大学の教育を考える場だと思いますので,大学でこういう力をつけさせたいのだと,社会に出ていく上で,グローバルな社会で活躍するために,こういう力をつけさせたい,こういう教育をする,そのために高校にこういう力をつけさせてほしいとか,そういう流れの要求であれば非常に必然性があるというか,なるほどとなるのですけど,逆の流れで行くとなかなか,どうなのかとどうしても思ってしまいます。
 高校の教育と大学の教育の違いが明らかにあることはわかります。ただ,割合の問題かと思います。多分,大学でも答えのある学問をやることもあるのでしょうが,本質は違うということだと思います。高校では確かに答えのある学習が中心なのは確かですが,答えのないものもやります。小中高の学習,全部割合の問題だと思います。だから,それがわかった上での違い,高校と大学では違うと書いていただくのであればよいのですが,全くもちろんですが,明らかに質が違うのだとどうかと思います。そして,流れとしては逆です。大学はこうでこうなるのだから高校へという流れでいっていただいたほうが,納得できると思います。

【田中委員】小中高校の教育というものが必ずしも主体的ではないということはないと思いますが,大学というか,自分で答えのない問題なり,問題を自分で設定するときのための基礎的な物の考え方でしょうか。基礎的な知識とか基礎的なツールを身につけるのが小中高校の教育だということはあるとは思います。それをどう伸ばすかですからそれはもちろん割合の問題だと思いますし,長束委員がおっしゃっているとおりだと思いますが,何というか,モチベーションのつけ方が重要だろうと思っています。動機付けです。
 この議論になりますと,本当に,日本社会のあり方全体を変えることになると思いますが,高校生の動機付けがどういうふうに勉強しているかというと,いい大学に入るための動機で勉強している可能性があるわけです。そうすると,いい大学に入らないと決めた生徒には,動機がなくなるというような社会になっているのではないでしょうか。メディアも社会も全体にそういうふうにつくっているのではないかと思います。そうではなくて,自分が社会に出たときに,生きていくためにどういう基礎知識が必要かという動機付けが必要であります。
 大学に入ったときに,新しい答えのない問題に取り組むときに,どう考えないといけないかということを自分で考える動機付けが必要です。それは職業によってもすごく違うし,大学の機能別分化によっても変わると思いますが,ただ共通していることは,ある目的をはっきり持った学生なり生徒は動機付けられて,そのことはかなり主体的に学ぶと思います。それは大学であれ,高校でもそうだと思います。大学はアプリケーションというか,新たな問題に取り組むための考え方を,高校はそのために必要な基礎的な学力を身につけると思いますが,それが今は,いい企業に入るためにいい大学に入って,そのためにいい高校の成績を取るという動機付けになっているのではないかと思います。本当に日本社会自体が,どうやって自分は生き延びるかというために教育が必要だということを,一人一人の生徒なり親なり学生が理解しないと,いつまでたっても悪循環から抜けられないと思います。
 先生がおっしゃっているのはまさに正しいと思いますが,本当に社会全体のあり方から変えていくというような提言が必要ではないかという気がします。

【金子委員】今の高校の話は,中教審で高等学校教育部会ができていまして,私はそれに入っておりますのですが,そういった議論がされているところです。
 ただ,今まで,高校と大学との関係は接続でしか考えていなかったのですが,議論に参加していますと,大学教育をどのように考えていくのかということは,相当大きく高校教育の考え方に影響を与える可能性が出てきて,そういう意味で,ここでの議論はかなり高校教育にもインパクトを与える可能性があるのではないかと思います。
 ここの表現自体は別ですが,そういった意味では,ここでしっかり議論することは高校教育にもかなり大きな影響を与えることになるだろうと思います。
 もう一つ,先ほどから議論になっています3の学修時間ですが,これはこの報告が学修時間に目をつけたということは,やはりこれは一つのメッセージ性を持っているということで,非常に私は重要だと思っています。今回の報告はこれで,学修時間が大切だということを出すこと自体,それ自体,非常に大きな意味があるのではないかと思います。
 今まで,中教審で大学教育についての答申とかいろいろと思い起こしてみますと,1990年代ぐらいには厳格な成績評価とかGPAとかと,その次はシラバスとか小道具類の話をして,前回の答申ではもう少し中身に入る,コンピテンスとか学士力というようなことを言ったのですが,GPAとか小道具はやはり小道具でして,道具です。どこに到達するかという問題ではないのです。やはり周辺の問題です。それからコンピテンスと学士力,これは非常に抽象的にしか言っていませんで,どうするかという話には全然入れませんでした。こういうことも重要だということでした。
 やはりもう既に中身に入らなければいけない時期に入っていて,ただ中身といったって,大学力の一番本質的なところは,一つはものすごく多様であって,専門分野でも非常に違うわけです。どうやって中身に入るのだと考えてみると,実はそんなに簡単にできるわけではない。
 ただ,そこで着目できることは時間の問題です。特に学生がどれぐらい時間を使って自分で勉強しているのかということだと思います。それはやはり,ここで言っているように,主体的な学習を示していて,主体的な学習自体が非常に重要な時代になっているということは言われるので,学修時間は始め,始点であって,終わりになるかもしれませんが,今のところ,目のつけ方としては非常に重要です。
 ただ,先ほど納谷委員がおっしゃったように,そこに至るまでの議論があるので,少し学修時間がかすんでいるのではないかとかいうところがあるかもしれませんが,これは表現の問題としてもう少し考える必要あるかもしれませんが,やはり学修時間が重要ということをメッセージとして出すということです。かなりこれ地味といえば地味で,やはり業界の問題のようにとらわれがちかもしれませんが,ここでは出していませんが,文章に出すこと自体がどうなのかもわかりませんが,私どものやった調査などでは,明らかにアメリカとは差があって,一定時間以下の学修時間が週5時間以下の学生はアメリカでは2割ぐらいしかいないのに,日本は6割とか,かなり衝撃的な数字も実はあるのはあるわけでして,そういうものをどう使うのか,使っていいのかという問題で,文書でそこまで出していいのかという問題もありますが,本来はかなり衝撃的な事実はあるわけです。
 地味ですが,これは大切ということを訴えていくということもやはり重要で,少し高校の問題に返りますが,高校も今,ここ15年ぐらいで学修時間がものすごく減っています。劇的に減っています。特に真ん中あたりの高校生の学修時間が減っていて,本当にトップの大学を受験する子はまだ同じですが,真ん中あたりがものすごく減っているわけです。これも衝撃的ですが,だれも取り上げてないです。高校の先生もどこかで問題にしていたわけではないし,なぜかと思うと,この大切だって位置づけないとだれも気がつかない,議論もしないというわけです。そういった意味では,取り上げて,これは大切だということを訴えていくということも重要だろうと思います。
 特に大学の先生については,私どもの大学の先生にしたら,1コマの時間は大体2単位ですが,学生が何時間勉強することを期待されていますかというと,1時間ですね。本来は2単位ですから,授業時間は2時間で学修時間は4時間期待しないといけないのですが,1時間しかしてない。しかもそれをやってないと先生方は文句を言っているわけです。
 授業には出席していると言っているのです。ただ,足りないと言うことです。でも,先生方もどれぐらい本当はリクワイアしていいのかって,あまり自覚してないのです。大学内部でも実はあまり自覚されていません。そういう意味では,こういったメッセージ性を十分伝えていくことは,今の段階では必要だろうと思います。
 ただ,時間といっても,では,その時間を増すために何が必要か。モチベーションはどういうものがあるのか。あるいはどういう方法があるのか。どういう組織だったらそれは可能かという議論があるわけで,それはある程度ここで見出しすることは必要だろうと思いますが,やはりそれはもう少し具体的な議論として後のほうでもう少し整理しつつやるということは必要で,今の段階では時間に焦点を当てることと,それが重要な問題だということを訴えることは,この報告の趣旨となるべきところではないかと思っています。

【佐々木部会長】私も40年教鞭をとってきて,改めて思うのは,授業そのものについてはいろいろ工夫してきたのですが,前後に予習復習を促すような授業をしてきたかと問われると,にわかに「イエス」と言いがたい部分があります。それはひいては,学生が持っている潜在的な可能性を引っ張り出す努力を欠いていたということかと,今になって反省をしているところです。このあたり,ほかの先生方いかがでしょうか。パート3のところで少しご意見をいただきたいと思います。

【宮崎委員】そうすると,シラバスの中に予習の部分と復習の部分もきちんと書いておくというような,いわゆる具体的な示唆を与えるということはいかがなのですか。

【濱名委員】少し気になるのは,先ほど資料2の中で,まず細かいところでいうと,3の二つ目の○にステークホルダーの話が出てきて,図と資料2とは対応していると思いますけど,「地方公共団体」が本文のほうには出てきていないのです。
 実は,我々はあまり目配りをしてないのだけど,社会という話を先ほど林委員がおっしゃったのですが,社会とは何かというとき,そんなに漠然としたものではないと思います。やはり地域社会です。
 ところが,地域によって高等教育に対する政策的な関心を非常に持っている自治体と全くない自治体とがあるのです。例えば兵庫県ですと,ほとんど県立大学の話だと思っているのかと思うぐらいで,大学政策はないのです。京都府や大阪府は大学政策を地方公共団体がつくっていたりするのです。文部科学省がどのぐらい把握しておられるかわかりませんが,そういう自治体にも参画してもらわないと,ステークホルダーと言うのだけど,パートナーにはなりません。むしろ,自治体の予算が少なくなってくると大学に泣きついてくるというようなケースもあるので,そこの位置づけをしておかないとまずいのではないかということです。
 それともう一つは,学修時間を強調することは結構ですが,全く触れてないことは,なぜ学生が学修をしにくいかといったときに,教員の側の仕掛けの問題もあるのですが,やはりアルバイトに依存していている実態があります。最近,新聞等に出ていたと思いますが,仕送り額が下がってきているということです。東京あたりではアルバイトをしないと学生は生活していけないという状態になってくると,奨学金の話が全然出てこないで,学修時間を増やせということだけではシステムとしては不十分で,そのこともやはり書いておかないといけないのではないか。
 先ほど来,話が出てくるように,時間の話と,これまで議論してきた小道具,金子委員に言わせると小道具かもわかりませんが,具体的にモチベーションを上げるための施策をもっときちんと文章で書かないとだめではないかと思います。例えばキャップ制が機能してないと,学修時間といってもうまくいかないのです。例えば,うちの大学でグループワークアワーを時間割に入れてくれと教務に頼んだら,入れられてせいぜい1年生だけですと言われたのです。つまりそれは,本学でもやはりまだ科目数が多くて,選択の幅などを考えると,そんな時間を時間割に組み込むのは非常に難しいということです。だから,科目数の削減,週複数回科目をつくることとか,あるいはキャップ制が機能していかないと,学修時間を増やせということを幾ら言ってもシステムとして機能しないと思います。
 つまり,組織的な教育の重要性という議論をしてきたと思いますが,学修時間の重要性の強調に隠れて,そのあたりのトーンが薄れています。だから,それを可能にするためには組織的な教育が必要だというところについての書き足しを常にして,シラバスに教室外学修時間を書けばいいだけなのかと受け取られないようにしないと,やはりシステムとして機能しないのではないかと思います。

【佐々木部会長】ただいまの意見,私も大事だと思います。
 我々は,主体的な学びを促していく,学修時間と学修密度を高めていく,そのためにカリキュラムの体系制を整え,教員が組織的に教育にかかわり,授業科目の設定が属人的に終わらないようにすべきである,という議論をしてきました。3の「第2に」のあたりに,そういう方策,全学的に取り組むべき方策は出ているのですが,ここをもう少し書き込んでいく必要があるのでしょうか。

【川嶋委員】学修時間から始めるのがわかりやすいということはわかるのですが,資料2の図にあるように,本当にこの矢印はスタートし始めるのか,動き始めるのだろうかと危惧します。つまり,始点のところからカリキュラムの体系化,教育方法の改善というところに,審議のまとめや答申出して提言しても,実際にはなかなか動かないのではないか。要するに改革を推し進めるガソリンがないと,実際,大学は動かないのではないかと思います。
 今回の提言は,やる気さえあれば確かにそれぞれの大学でやれることが多いのです。カリキュラムを変えたり教員同士の連携を取るということは,新たなリソースがなくても,やればできることと思いますが,やはりガソリンというか,後ろから大学を押すものがないと,実際には,始点から次のカリキュラムの体系化とか教育方法の改善につながっていかなくて,結局,これまでのように答申は出したが,先ほどのシラバスもそうですが,形だけつくりましたになってしまうおそれがあります。やはり何らかのインセンティブがないと,残念ながら日本の大学はこれまで動いてこなかったという現実もあるのです。今回のまとめの後半の所々に,資源配分を考えてエンカレッジするというような文章もあるのですが,これだけの表現では大学は動かないと思います。
 それから,学位授与方針や教育課程編成・実施の方針,いわゆるDP,CPですが,これも今のところ制度的には明確に義務化されていません。学士課程答申でこういうことをやってくださいと提言しているだけです。それから教育情報の公表の義務化のときも,結局,卒業までに獲得させる能力の設定と公表は国際的な活動を目指す大学のみのオプションになってしまって,公表義務の項目にはならなかった。義務化されているのは,学部,学科の養成すべき人材像のみです。この図にある,学位授与の方針や教育課程編成・実施の方針は必ずしも制度的な枠組みの中に入れられてないので,すべての大学にDP,CPを求めるにはどうすべきか,検討が必要です。それをしないと,これまでと同じ,形式的で,中途半端な改革になってしまうおそれがあります。
 最後に,資料2の教員の教育力の向上は,カリキュラムの体系化,教育方法の改善,アセスメントなどの,すべての基盤になると思いますので,図における位置づけとしては全学的な教学マネジメントのあたりに置かないといけません。FDは単に教育方法の改善だけでなく,カリキュラムを考えることもFDですし,アセスメントの方法を考えることも含めて,教育の全体を支えるのがFD活動ですので,この図のFD,教育力の向上はもう少し基盤的なところ,基本的なところに置いていただきたい。

【林委員】学修時間の確保が大前提になると思います。ただし,それを動かすためには,やはり学生が主体的にやるという動機付けがどうしても必要です。インセンティブを与え,それをFD側がどう支えていくか。この両者がなかったらなかなか動かないです。
 どう学ばせるかというためには,教員の努力が必要です。教科書もつくらないといけないし熱意を持たなければならないが,ただ,それだけでできるかというとなかなか難しいです。
 日本の大学は戦後,新制大学になって,職業教育を切り離してきた。多くの大学は,より学問の体系化された学問分野でもって学部・学科というものをつくりながら,ディシプリン中心の教育をやり,そこに職業というものをつなげて専門職業人を養成しているという感じがします。どちらかというと,スコラ的教育と申しますか。
 それに対して,いわゆる教育の実質化が言われている。学生が入ってきて,出口のところでどういう社会人になろうかという目的にかなった,いわゆる実践的な教育がなされているかは疑問です。職業人教育のために実質化されたプログラムになっているかどうかは非常に重要ですが,大学のなかで実践教育の場を持つことはなかなか難しい。例えば教育学部では教員実習がありますが,学生にモチベーションをもたせた実践教育を行うためには,例えば入学した当初からどこかの学校に行ったらどうかということがサービス・ラーニングだと思います。法曹を希望する学生にも看護をやる学生にも言えることで,いわゆる産業界との連携が非常に重要で,それがある意味では臨床場になっていると思います。医師だとか薬剤師,薬剤師の臨床場は調剤薬局でしょうか,持っていますが,医者の場合は,いわゆるメディカルサイエンスというものを座学で分厚い教科書でやりながら,隣の附属病院へ行って実習を繰り返しているわけです。

【金子委員】先ほどの濱名委員のアルバイトの話ですが,やはりアルバイトは大変だし,比較的,制限要因として外国にはあまりない原因で大きいのは,結構,通学時間も大きいです。2時間ぐらいかけて通学したりしている人もいることが多いのです。
 ただ,私たちがした調査を見ますと,アルバイト,それから学修時間,授業の出席等々含めて,学修に関連するものとアルバイトと部活を含めて,総計時間,日本の学生は平均8.2時間です。8.2時間って,全部含めてです。いわゆる社会的活動を含めて8.2時間です。これは少ないです。8時間寝て,あとの8時間は何をやっているのかという話です。どうも,アルバイトと学修時間とがネガティブな相関にならないのです。要するに,日本の大学生は,あとの8時間が相当あるから,活動的な学生は使っていて,アルバイトがそんな制限するところまでいってないです。多分,一部の学生は,アルバイトがかなり学修時間に食い込むような生活をしている学生はかなりいるのでしょう。いろいろとそれを調べているのですが,しかし,なかなか出てこないのです。どうしてかと思ったら,やはり総計時間がすごく少なくて,今,互いに食い合うところまでいってないのが現状で,日本の学生の現実だと思います。
 単位の積算根拠が書いてありますが,学修時間が8時間になるという計算です。ですから,ほかにあるという計算ですが,日本の学生はほかの数を入れても8時間です。要するに伸びしろはまだかなりあるという状況です。
 これは,だから,遊んでいるというわけでもなくて,いろいろと勉強しているといえるかもしれませんけど,しかし,こういう社会の中で準備をしている人たちにとって,十分に有効な時間の使い方を学生時代にしているかどうかといえば,これはやはりかなり問題があります。それはかなりの部分は大学のあり方で,出席していればいいという大学であれば,こういう行動になってくるのかもしれないと思います。
 そういう意味で,日本の学生がどういうふうに生活していて,どう学修しているかということは,いろいろと考えてみて,まだ相当いろんな問題があるということは,一つ,考えるべき必要があると思います。
 それとあともう一つですが,先ほどからこれから考えるべき問題がいろいろと出てきて,それはそれぞれごもっともですし,特にモチベーションの問題は大きな事実でありまして,日本の学生の学修時間の規定要因で一番大きいのはモチベーションのです。何に将来なりたくて,その将来と自分が学んでいる科目が一致している学生が,一番学修時間が高いのです。これはもう,ほかのどんなファクターよりも一番これは強いファクターです。それは確かですが,しかし同時に,モチベーション自体,はっきり持てない学生は半分以上なのです。職業イメージがはっきり持てる学生のほうが,むしろ非常に少ない。それは学生が悪いのではなくて,就業構造自体がそうなっているからだと思います。だから,それを含めてどうするのかということを考えるということが必要です。
 とにかくそういうことを考えると,かなり考えることはいっぱいあるのですが,まだ学修時間は非常に,ある意味で,形式的にわかりやすいとっかかりを見つけただけに過ぎなくて,これは今度は何をするかということになればものすごくいろんな問題があって,今列挙されたものだけでもいっぱいあります。それで,今度の報告でどの程度それに具体的に突っ込むかです。
 私は,これはこの委員会としてさらにやるべき,もっとインテンシブに議論されるべきことは将来いっぱいあると思いますが,ここの段階でどの程度細かく具体的に言うのか。それはやはり,それぞれについて議論が必要なところはいっぱいあるわけですから,十分に議論されているわけでは必ずしもないように私は思います。
 そういう意味で,今後どういう問題があるのかということを列挙する,あるいはどういう形で議論していくのかということを考えるということです。
 次の段階ですが,多分データなんかもかなりまた別の形のデータが相当必要になってくるような議論になってくると思うので,そこらを,私はもう少し体系的に議論を進めるということをここで言っておくということが重要ではないかと思います。

【佐々木部会長】いろいろご意見をいただきましたが,意見は4の「好循環に向けての処方策」にもかかわってまいりましたので,そこらを含めてご意見をいただけたらと思います。

【荻上委員】この資料2は非常に工夫してつくられていると思います。色分けなどをしてあって,楕円が五つありますが,一つだけ黄色になっていて,ここが一番重要であるという意味だと思いますが,それはここで議論している我々にとってはそういうことがわかりますが,世の中に出ていくときにそれが十分伝わるかどうかです。黄色い丸と白い丸,随分性質の違うものが並んでいるだろうと思います。濱名委員には怒られるかもしれませんが,白い丸のほうは小道具的なものが並んでいる。
 こういう資料が世の中に出ていくと,あるいは各大学がこれを見ると,どうしても小道具のほうに目が行きがちで,小道具の,特にカナ文字で書かれている類のもの,これを始めました,本学ではこういうことを始めましたというような説明もしやすいわけです。それで話が終わってしまうと,黄色いところに結びつきません。私はそうなってしまうことを非常に恐れます。
 では,どう書けばいいのかと言われると難しいのですが,とにかく黄色いところ,つまり,主体的な学びの確立ということが重要で,その大前提として,とにかく学修時間は絶対に確保しなければいけないということです。これは小道具の問題ではないので,そこをまず第1に強調して,それから小道具の話にいくというふうな2段階でしょうか。小道具のほうはある意味では,中教審がああいうことをやりなさい,こういうことをやりなさいというようなことを言わなくても,各大学の主体的な取り組みに任せるべきで,ここに例えばポートフォリオと書いてある,あるいはルーブリックと書いてある,それを導入したらそれでもういいということかというと,決してそんなことではないわけです。それが黄色いところに結びついてこそ意味があるわけですから,その辺のところを世の中にというか,各大学にきちんと受けとめてもらえるような提示の仕方が必要ではないかと思います。
 学修時間についていえば,日本の学修時間は間違いなく少ないです。国際的に見て間違いなく少なくて,時計時間は60分が1時間ですが,大学時間は日本では45分でしょうか。最近,アメリカでは,大学時間を50分で数えるということになったという話で,だとすると,もうそこで日米で比較してもはっきり差がついてしまうわけです。
 ですから黄色い部分,ここをまずきちんと各大学並びに世の中に伝えるということができて,それから次のステップとして,それを具体化するのには何が必要かというふうにいかないと,これ並べてしまうとどうも話が小道具のほうで終わってしまう恐れがあると私は危惧いたします。

【佐々木部会長】資料2の趣旨は,大体おっしゃっていただいたような位置づけだと思います。
 私たちは,「主体的な学修時間」と「カリキュラムの体系化」と,それから先ほど濱名委員が言われた「組織的な教育」を議論してきたわけですが,これらの課題を列挙したときに,どこからアプローチするべきか,ということが問題だと思います。今回,「カリキュラムの体系化を進めるべきである」と提起すると,それだけで済んでしまう可能性がある。むしろ,それは何のために必要かということをぐっと打ち出すために,黄色い丸の「学修時間の増加・確保,主体的な学び」という点を協調するのがよい――そういう意味で色づけがされているわけです。外へ向かって,あるいは大学の教員に訴えていくときに,「カリキュラムの体系化が必要です」,「組織的な教育が必要です」というのではなく,それが何のために,何に資するのか,ということを示していくことが大事ではないかという趣旨で,この「始点」という表現が出てきたと私は理解しているところです。

【濱名委員】前回,荻上・金子両委員はおられなかったので,私は小道具と言うのはやめましょうと,そういう軽視する言い方はやめましょうと提案したのですが。要するに,これらは仕組みです。組織的な教育をやっていくための仕組みで,一つ一つが独立した小道具ではなくて,それらを組み合わせて組織的な教育をつくり上げていくということです。学修時間を増やそうとすると,そういう仕組みをつくらないといけないので,あまり小道具,小道具という言葉がひとり歩きするとまさに小道具化するので,それは少し考えたほうがいいだろうということが一つです。
 それともう一つは,4のところを見ていて,前回までの議論からするとややトーンダウンしていると思うことは,全学としてのディプロマ・ポリシーというか,これを見てると,(1)のところを見ると,さも学位授与の方針は問題がないかのような書きぶりになっているのだけど,そこがまず問題ではないかと思います。全学的な組織的な教育を進めようとすると,それはきちんと書かないとだめではないかということですが,書きぶりが弱いような気がします。
 それともう一つは教員評価の話ですが,4のサマリーのところでは1として最初にティーチング・アウォードが出てくるのだけど,その見出しを探すと下にはないのです。(1)の中でティーチング・アウォードが出てくるだけです。むしろメッセージをはっきりさせるのだったら,これの位置づけも行いたかったのだけど,資料3の5ページのこれは一体何か。ここに入っているということは,どう最終的に使うのか。ほかの資料はほとんど参考資料ですが,ここへ入れると位置づけがわからない。私は,だから教員評価をすべきであるということを書くべきだと思います。多かれ少なかれ,やり方はアウォードを与えて顕彰するやり方もあれば,あるいは処遇に跳ね返すのか。それは各大学に任せばいいのですが,やはりきちんと教員が組織目標,DPであるとかCPに基づいて教員がやっているかどうかということも,きちんと各大学の責任において確認をするということを,項目を起こして書くべきだろうと思います。そこがないと推進するエンジンとしては機能してこないだろうと思います。
 そこはそういう流れであったと,前回までのことを理解しているのですが。

【篠田委員】今の濱名委員のご発言にも多少関連をするかと思いますが,4の(4)ところ,「学士課程教育の改革サイクルと全学的な教学ガバナンスの確立」について発言させて頂きます。学修時間への着目や,それを全体的に実現するための,この資料2の図に書かれている,全体の課題を回すことによって学修時間を増加・確保するということで,これはかなり教育改革の本質に迫る指標であり,提起だと思います。その全体を回すために,一番下にある「全学的な教学マネジメント」が要るという構造だと思います。
 黒田委員がおっしゃったように,「教える」から「学ぶ」への転換は,大学自体の教学ガバナンスというかマネジメントを,今のままにしておいたのでは多分,実現できないと思います。マネジメントを具体的にどう改革するのか,あるいはどういう評価システムにするのかということはまだこれからの議論ということです。今回は,これらのテーマについては具体的に書くことはしておらなくて,今後の課題のほうに載っているので,それはそれでよいかと思います。ただ,(4)の「学士課程教育の改革サイクルと全学的な教学ガバナンスの確立」のところに書かれている,例えば「積極的な発信」とか「学修成果の把握」とか,三つ目にも出てくる「積極的な発信」とか,四つ目の「評価」の問題は,これは認証評価であったり,それから大学ポートレートであったり,大学間の連携や大学団体の取り組みであったり,要するに大学本体の教学マネジメントやガバナンスを変えるという提起の文章にはなっていません。そのあたりの,大学自身の教学マネジメントを変えるということ,本当にこの学修時間を確保するということを基軸にしてこういう教学改革の全体のサイクルを回していくように各大学がマネジメントを変えていかなければいけないという位置づけの一文を加える。つまり,大学自身の運営システムを変えなければ,外のシステムだけでは絶対に実現できないということを,やはりはっきり述べておく必要があると思います。
 その点では,前回のまとめは,今日は配布されてないのですが,「全学的な学士課程教育の充実のためのガバナンス」ということで,「学修密度を高めるためには教員主体の授業科目の編成から教育課程中心の授業科目の編成が必要である」。それを進めるためには「学長のリーダーシップによる全学的な合意の形成が不可欠であり,またそれを可能とする実効性のある全学的なガバナンスの確立が求められる」。さらには,「教学システムの再構築や,それを支援するスタッフの充実が必要である」というような提起がされている訳です。このように大学自身が相当システムを変え,それから教職員の意識を変え,それに向けて全学で努力をするというふうにマネジメントを変えなければいけないというメッセージだけは,こうした形ではっきり出しておいたほうがいいのではないかと思います。

【佐々木部会長】5の一番最後の丸に,今後も引き続き審議する課題としてうたっているのですが,おっしゃるとおり,それが不可欠であるということは書き込んでおいたほうがいいかもしれません。

【篠田委員】これからついでに,図のほうでは全学的な教学マネジメントという言葉を使われておりますが,本文のほうには教学マネジメントという言葉は入っておりませんので,これは本文の中でもぜひ教学マネジメントという言葉も位置づけていただいたほうがいいのではないかと思います。

【川嶋委員】事務局のほうに確認をお願いしたいのですが,先ほど濱名委員のほうから話があったティーチング・アウォードの件ですが,資料3の5ページだとティーチング・アウォードと,なぜカタカナでわざわざ括弧書きしているのか,その辺の事情もよくわかりません。これを見ると,各個別の大学ではもうやっている大学が多くあると思いますが,一方で資料1の4のほうですと,四角囲みの中には「関係機関には」という流れの中で書かれているので,これは国なり全国的な組織が全国優秀大学教員賞みたいなものを授与するという意味でしょうか。私はそれは,先ほどの黒田委員のお話と同様に,小中高校までは文部科学省から教員表彰があるみたいですが,大学教員については残念ながらないので,もしそういう関係機関が顕彰するという意味で優秀大学教員賞をつくれということだったら,私は大いに賛成です。ただ,実際には,どうやって選ぶかとかいろいろ方法の問題があります。
 この点について,資料3だと大学であり,資料1だと関係機関という流れですが,どちらなのかを確認したいのです。

【合田高等教育政策室長】ここの部分,前回の部会の議論の中で,各大学が教育に力を入れている先生方をそのようにエンカレッジしていくかという議論の中で,各大学のこのような取り組みをエンカレッジするためにこそ,全国レベルの取り組みが必要ではないかというご議論があったのを踏まえたものです。ご指摘いただいたものも視野に入れたご議論を賜った上で,こういう整理をさせていただいているとご理解ください。

【濱名委員】たしか全国でやろうという話を,私は発言したと思います。オーストラリアはやっているから,日本でもやったほうがいいです。

【川嶋委員】どこでもやっています。イギリスでもやっています。

【佐々木部会長】それでは,今回の「まとめ」は,「主体的な学びの確立,そのために学修時間の確保」ということが非常に重要であるという,ここを軸に展開するという点についてご異論ございませんか。
 では,ご同意をいただいたこととさせていただきます。その上で,全体の構成とか,あるいは具体的な書きぶり等々,ほかにご意見がありましたら伺いたいと思います。

【田中委員】文章はすごくよくなっています。失礼な言い方ですけど,非常によくなっていて,理由がはっきり出てきていると思います。
 例えば,4の(2)のところの最初の○,「科目同士の整理・統合と連携により教員が個々の科目の充実にエネルギーを投入する」という,こういう目的がはっきりして,「することを可能にする『ナンバリング』」というふうに,ナンバリングが何を目的とするかも明確に出ていて,それのさらに大きな目的が学修時間の確保であるということになっています。
 この文章もそうでありますし,それからその一つ上の(1)の学位プログラムの中の○のところで,「教員が他の科目を担当する教員と連携しながら設計できるとともに」と,それから「個々の教員が自分に求められている役割を理解し」というふうに,何のためにどういう形で学生の学修時間を確保していくか,増加させるかと。それで,それの小道具というよりも仕組みです。そういったシステム,さまざまなデバイスといいますか仕組みをなぜ入れるのか,それは何の目的かということを,かなり書いていただいていると思います。その意味では非常にわかりやすくなっているし,よく読んでいただいた方には,何を目的としているかが見えてくると思います。
 ただ1点,3のほうに戻るようですが,シラバスのところで「第2に」のところです。これもよく書けていると思いますが,「シラバスが学生が予習など主体的に学ぶに当たって必要ないわば授業の工程表として機能しているかどうか」。それだけではなくて全体のカリキュラムの中で使われるとお書きになっているわけですが,シラバスについてもう一つ理解が必要と思うことは,シラバスはつくれば済むのではない――ナンバリングもそうですけど,この後の問題は,ナンバリングは必要ですし,さまざまな仕組みによって体系的に教員間が協力しながら教えていくためにはよいし,学生にも体系的に学ぶにはよい仕組みだと思いますが,ただナンバーをつければ済むわけではないということです。それから,シラバスはただつくればいいのではないということです。
 例えば,私の所属する大学でも各学部ごとにシラバス集というものが出るわけですが,シラバス集というものが,私は意味があるかどうかよくわからないと思っているのですが,存在はシラバスをつくったという証拠にはなります。ですが,あんなに厚いものを持って授業に毎回学生が行くことは,多分ないのです。あれをばらばらにしないといけません。シラバスは授業のはじめに配って,学生はそれを毎回授業のたびに持ってくる。毎日,前の晩とか授業前にはそれを見て,何を予習するか,今度の授業には何が行われるかを予測して,授業が終わってから,次はどうなるのかということを考えるためのガイドですから,シラバスは,あした三つ授業に出るのだったら,その授業の三つのシラバスを学生は持って大学に行かなければならないものです。ですから,シラバス集は全体を見渡すにはいいのですが,これは逆にいえば講義概要,コースカタログといわれているものと同じだと思います。
 そういうものも必要だと思います。コースカタログはかなり詳しくて,授業体系まで,計画まで入っていることはいいことだと思いますが,でもそれはシラバス集で,それでシラバスが終わったと思っては,本当の教育にはなっていないので,毎回,学生がシラバスを持って授業に出て初めてシラバスが生きてくる。そういうこともあります。ですから,ナンバリングなんかでも何でもそうですが,サービス・ラーニングでも,動機付けのために非常に重要だということです。
 やはりこの専門家の中ではそれが大体共有されているわけですが,一般の方々,そしてまた一般の大学の教員の一人一人にそれを理解してもらうには,もう少し踏み込む必要があるように思います。それはこのまとめの中には入り切らないかもしれませんが,何か違う補足,補遺をつけるなどしてでも,本来の目的と本来の使い方まで出すことも必要ではないかという気がしております。

【荻上委員】今のことで,大分前の資料はコースカタログとシラバスは違うということが書かれていましたが,いつの間にか消えてしまっています。今,田中委員の言われたことを何らかの形で書き込んでおいていただいたほうがいいのではないでしょうか。ここはシラバスとしか書いてないので,1ページでもシラバスだと,世の中からは受け取られると思います。

【佐々木部会長】鈴木委員からも,現在の多くの教科案内は,「コースカタログ」であって,本来の意味での「シラバス」ではない,したがって,シラバスとは何か,それは何を目的としてどう構成されないといけないか,この点をはっきりさせるべきである,というご意見をいただいております。
 3の「第2に」というところは,もう少し積極的,具体的な方向で,大学がこういう課題に取り組まなくてはいけないと書いたほうがいいのではないでしょうか。その一つにシラバスがある,等々,列挙したほうがわかりやすいと思います。

【川嶋委員】学生の主体的学びは,非常に大切なことですが,残念ながら,学生の声を金子委員の調査を通じてしか,我々は全然知らないわけです。前々から,認証評価でも学生のボイスをきちんと入れてくださいというようなことを提言しているわけですが,今回のこういう提言についても,学生抜きにこういうことを我々は議論していても,現実感は全くないわけですから,図では真ん中に学生を置いてあるのですが,全く白い,存在感のない学生のように私には思えますので,学生の声をこういう提言等にも具体的にも取り組むような工夫をぜひしていただければと思います。要するに,親の心子知らずで,学生は全く違うことを考えて,こんなこと嫌だなんていうことを思っているかもしれませんし,その辺の一工夫をぜひお願いしたいと思います。

【納谷委員】まとめ方で思いますけど,これを出すときのタイトルとして,何をつけるかということが非常に重要です。要するに,もらった先生方が,学修時間の何とかだけでは,すっとどこかに行ってしまう可能性があるので,やはりまずタイトルをどうつけるかが大切です。
 それで,資料2のタイトルで答申のタイトルをつくるのか。資料1はタイトルがどうなるかということは決まってないので,それを次回までにしっかり示しておいたほうがいいのではないか。
 私としては,「確立するために」という目的は,あくまでも「主体的に学ぶ」ということをしないと今の大学は,その役割を果たせないということをもう1回自覚してほしい。それで学長が徹底してそれぞれのところに改革を求めていくことです。そういう中に,例えばこういうカリキュラムというか資料にいろいろ書いてあることを,そうするために考えていただかなければならない。ここのところについてはこういうように考えていく,教育方法はこうだとかいう形で少しまとめておいて,それに資料をつけて出されたほうがいいのではないかと思います。まとめ方の問題ですが,そういう具合になされたほうがよろしいです。
 そういう意味では,篠田委員が最初に言ったように,大学では,こういうことをするというところを責任持って確立に向けて努めますということを,社会に,それからマスコミにきちんと伝えていく答申にしたほうがいいのではないかと思ったのです。
 タイトルの取り方,それと構成の仕方が重要な意味を持っています。せっかくここまで議論したことが,そういう形で受け取ってもらわないとつまらないと思ったもですから,発言させていただきました。

【合田高等教育政策室長】今日のご議論を踏まえて,またご相談をさせていただきたいと思っております。本質は何か,何を目的としているのかということがご理解いただけるようなタイトルになるように,またご指導を賜ればと思っています。

【濱名委員】先ほど聞いたつもりですが,資料3の,例えば「学修成果を重視した評価」ですが,ほかの関連資料は出典がある資料集だけど,これは,要するにここでの議論を踏まえて整理していただいたのですが,こういうものの位置づけと,あと資料1で出てくる中で用語集をつけると言ったのだけど,多分,用語集では足りないのだろうと思います。
 それを,では,具体的にどこを見ればどんな情報があるとか。例えば,ナンバリングを鈴木委員がいっぱいおっしゃられたので,議事録を見てもかなりのことはわかるのだけど,例えばルーブリックもそうですし,例えば学習行動調査も,何がどう有効かとか,あるいはどう使えばいいのか。つまり,小道具ではなくて仕組みとして使っていくときにはどうすればいいのかということを,どう資料としてまとめるのか。つまり,審議に参加していない方はこのポンチ絵1枚見て,次の手がかりがないという状態ではいけないと思うので,だから,どこかのウェブサイトを見れば参考資料が載っているという状態にしていくのか。あるいは資料集の中でもう少し解説をつけた形で用意していくのか。重要なものは本文にきちんと,なぜ,例えばルーブリックというのが出てきたのかということについても書いていただいたほうが,読む側から見て親切ではないかと思いますので,その辺,アイディアがもしまとまっていれば,お聞かせいただきたい。

【長尾委員】この答申というのに,1年間話をしてきた中のものがかなりしっかりとまとまっているとは思いますが,せっかく1年間でいろんな具体的なことまで持っていっているのに,内容としてはやはり,宮崎委員もおっしゃったように,インパクトがない,抽象的になってしまっています。もったいないと思います。
 例えば,さっきのティーチング・アウォードのところですが,今,全国版をつくろうという意見はここで出たという確認があったわけです。でも,ここは,途中から読むと,「教員評価の結果を教員への顕彰やその処遇の決定等に活用している大学をエンカレッジする観点からも,関係機関が優れた授業を顕彰などの取組を行うことは必要である」と,すごく抽象的にまとめてしまっています。
 また,7ページの,さっき,どうやってエンカレッジして,評価して取組を進めるためのガソリンと言われましたが,そういう後ろから押すものが要ると,きちんとここには書いてくださっているようには思います。「これらの結果や取組の公表といったそれぞれの大学の積極的な取組を資源配分の際の参考資料の一つとしてエンカレッジすることが考えられる」。これは,資源分配を考えるとか,はっきりと書かれていたらわかるのですが,すっと読んで,補助金が出るの出ないのといった印象です。多分,今後出そうという意図がわかる人はわかるけど,わからない人は素通りしてしまいます。今後これをやるとか,もっと具体的な締めが文章としてないと,せっかく1年かけてこれだけみんなが集まったものが,ふわっとした抽象的なものになってしまいます。
 キーワードとしていろいろ出ています。入試や,評価やら,補助金やら,時間の取り方とか。そういうものは今具体的に出せなくても,今後,これをさらに深める,あるいはこうしよう,ここまでは具体的な模索を,せっかくだからもう少し鋭くしていただきたいと思います。

【谷口副部会長】この部会ですべてどんどん出したらいいのです。

【長尾委員】そう思います。

【谷口副部会長】この部会で言ったことが全部やれるかどうかは別として,ここで出して挙げていくということで,事務局に書きなさいということではなくて,皆さんが言ったことを出していくということが大事だと思います。

【合田高等教育政策室長】ただいまの長尾委員のご指摘については,そういった,この大学教育部会のご意志というものがより明確になるように工夫させていただきたいと思います。
 また,濱名委員のご指摘ですが,例えばそういうものが,一つ一つの仕組みが単なる道具立てではなくて,全体として仕組みが回ることが大事だということが,それぞれの一つ一つの根本にさかのぼってご理解いただけるような情報を,本文,それから資料,それからデータというものにバランスよく取り込んで,かつ,それを一体としてまとめてお示しをするという工夫を,ぜひさせていただきたいと思っています。

【長尾委員】これは簡単な話ですが,資料2は色がついているから強調点がとてもわかるのですが,これをいろんなところでどんどんコピーして白黒になると,全然強調点が見えなくなるので,そこら辺も位置を変えるなりして,そうなったときのことを想定して,もう1回組み直していただいたらと思います。

【宮崎委員】すみません。テクニカルなことですが,今の長尾委員がおっしゃったようなことをどう実現するかというときに,構成から,結論から先に書くということです。それをきちんと,中でティーチング・アウォードとかいろいろ書いてあるところも見出しに太字で持ってくる。そういうすごくテクニカルなことではありますが,訴える力としては大事な発想ではないかと思います。構成も,起承転結で背景からいって,テーマからいってではなくて,結論を先に持ってくるというような構成を,少し工夫するといいかと思います。

【佐々木部会長】具体的提案については,この部会で「やります」と約束することはできませんが,部会からの「提言」という形できちんと示すことができるように,また整理をお願いしたいと思います。

【金子委員】これは審議のまとめで,これが具体的にどういうような政策に結びつくかということはまだ尚早で,あまり細かいことを具体的にばっと出すということには問題がまだあるのではないかと思います。ただ,これをどう受けとめてもらいたいのか,だれがどう受けとめてもらいたいのかということは最後に書いてもいいのではないかと思うので,今後の検討課題と書いてありますが,例えば各大学,特に学長が責任を持ってこういったことについてどのような方針を出すのか,各大学段階で考えてもらうことは必要であると思います。あるいは,各大学教員も,こういった問題に関してどのように考えるのかということを考えてもらいたいとか,そういった形の,だれにどうやってどう受けとめてもらいたいのかということは,最後に書いておいても,私はいいのではないかと思います。

【林委員】顕彰は載せるのですか。
 教員が教育のための研究を行うための経費支援の話がでていますが,これについては今後どのように扱われるのでしょうか。科学研究費は学術研究の推進に非常に大きな意味を持っていますが,これの一部分でもいいから教育支援に充てられないか。是非検討していただきたいと思います。

【義本高等教育企画課長】先ほど,金子委員がご発言されたことに関連しますが,これは部会としての審議のまとめですので,最終的には大学分科会で,夏ぐらいに答申をおまとめいただくということですので,何が重要であるかとか,何のためにやるかとか,その構成はメッセージ性高くするという工夫をした上で,これを出した以降ですが,例えば全国で大学の関係者と対話する場を持ったりとかいう形で議論をする中において,あるいは場合によっては,この大学分科会のほうでご提言いただければ,文部科学省として実態の調査をするということも含めて,それらを全体として整理した上で,具体的な政策につなげていく,答申にも反映させていくという道筋がありますので,そういうことも含めてご議論いただければと思います。

【田中委員】1点だけ質問させていただきたいのですが,今回のまとめでは,もう大学の機能分化には踏み込まないという感じですか。もうあと1回でまとめになると思いますが,そのまとめを受けて実態調査に入られるということですから,その実態調査の中で考えていく必要があるかと思います。
 今,なぜ質問させていただいているかということは,例えば4の(3)のところの最後,高校との教育の連携のところが出てきて,一般入試の話が出てきています。長束委員もおっしゃっているのですが,大学の教育のあり方とか大学の入試のあり方が変われば高校の教育が変わるということをおっしゃっています。まさに大学はそこに責任を持っているわけで,それを大学は十分に自覚してないで長年きたと思いますが,例えば一般入試だけでは,もう学生の力を十分に見極めることができないというところまで来ていると思うので,さまざまな入試とかさまざまな能力を見る必要があると思いますが,ともすれば何でもいいということではないと思います。やはり基礎学力はしっかり押さえた上で大学に入学してもらうということも必要ですし,大学に入ってからでもそれをしっかり押さえることも必要です。だから,基礎学力さえ修められていれば入試のあり方も相当柔軟に,とんがった学生を見つけ出すことも可能だと思います。そうすると,大学の機能分化とか,目的によって入試のあり方も変わると思います。
 ここでは今そこまでは入らなくてよろしいのでしょうかという質問です。

【合田高等教育政策室長】今,先生がおっしゃった趣旨については,まさに4の(3)の○にあるように,中教審ご自身でもご議論を深めていただくべき事柄だと存じますし,それから機能別分化については,4の(4)ですが,「学士課程教育もそれぞれの大学の機能や学生の能力や適正によって」異なってくるということを前提にした教育研究や教育活動に着目した評価など認証評価の改善ということもありまして,学士課程をどう改善していくかという観点から,引き続きご審議をいただきたいと思っております。

【佐々木部会長】「主体的な学び」を確立する前提として,「学位プログラム」あるいは「学位授与方針」の重要性ということはうたってあります。ここで,養成する人材像をそれぞれの大学がクリアにするという,そこに「機能別分化」の議論がかかわってくるのだと思います。今回の「まとめ」については,ディプロマ・ポリシーとかかわって養成すべき人材像を明確にした上で,「体系的なカリキュラム」と「組織的な教育」を行うというあたりが,その守備範囲だと思っております。
 先ほど川嶋委員から,学生を含めてというお話がありましたが,私もそう思います。ずっと思っていることですが,この部会をはじめ大学分科会の議論を,その結論はともかく少なくとも議論を,学生を含めて多くの大学人が共有する必要があると思います。例えば,地域ごとに学生を含めた教育改革のフォーラムを行うとか,こういうことが計画されてもいいのではないかと思っています。
 じつは,私の大学でも学生の自主的なグループが「学生による学生のための授業改革案」を出してきたのです。なかなかよく勉強しているのです。中教審の答申も読んでいるのですね。そういう学生も出てきていることですから,答申自体が学生にも読みやすい,わかりやすい書きぶりであることが必要でしょうし,地域的にフォーラムを主催して教員と学生が向き合って議論するというようなことが必要ではないかと思います。これもまた事務局でご検討してください。

【板東高等教育局長】今,局のほうでも少し具体的に議論しているところですが,私も前,生涯学習政策局というところにおりましたときに,「熟議」というものをいろいろな教育に関連して各地でやっていただくということをやっておりまして,大学も幾つか,地域と大学との連携という話でやっていただいたりしているのですが,熟議というものは,いろんな当事者がフラットな立場で課題とかその解決方策ということを,皆さんで小さなグループに分かれながら議論しましょうというやり方で,ワークショップのようなことを持っていくということで,学生にも随分参加をしていただく形で,先生とか地域の方々とか企業の方々とフラットな形で議論していただくということをやっておりましたが,これが非常にこのテーマに関しては有効ではないかと思っております。
 ですので,ぜひそういう形も工夫をして,特定の方がシンポジウムみたいな形でしゃべられるということではなくて,すべて,全員参加のような形で議論していただくということが,一つの運動を起こすためにもいいのではないかということで,ぜひそのやり方をまた工夫させていただきまして,ここでもご議論いただきたいと思います。

【宮崎委員】一つだけ情報提供です。今のようなことは既に行われていますので,学生FD委員会ないしはそれに類するようなことを持っている大学はたくさんありまして,学生が自主的にやっています。千葉商科大学もありますが,佐々木委員のところもあります。それで,20ぐらいの大学が集まって,毎年シンポジウムをやっております。ですから,そういうことを有効に使っていただくということも大事かと思います。

(2)大学分科会の日程について,事務局から資料6の説明があった。

 

―― 了 ――

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