大学教育部会(第10回) 議事録

1.日時

平成24年2月22日(水曜日)15時~17時

2.場所

文部科学省東館3階3F1特別会議室

3.出席者

委員

(部会長)佐々木雄太部会長
(副部会長)谷口功副部会長,黒田壽二副部会長
(委員)安西祐一郎,浦野光人,長尾ひろみ,宮崎緑の各委員
(臨時委員)林勇二郎臨時委員
(専門委員)高祖敏明,篠田道夫,鈴木典比古,田中愛治,長束倫夫,濱名篤,山田礼子の各専門委員

文部科学省

山中文部科学審議官,田中総括審議官,小松私学部長,德久政策評価審議官,常盤高等教育局審議官,奈良高等教育局審議官,義本高等教育企画課長,勝野私学行政課長,池田大学振興課長,髙橋国立大学法人支援課企画官,合田高等教育政策室長,森友教育改革推進室長,樋口大学改革推進室長,坂下国際企画室長,石橋大学振興課課長補佐,西川高等教育政策室室長補佐,小山田高等教育政策室専門官 他

4.議事録

(1)学士課程教育の実質化について,文部科学省から資料1~資料3の説明があり,その後,意見交換が行われた。

【佐々木部会長】 まず,資料1ですが,これが審議のまとめの骨子です。「まとめ」を意識して事務局で整理していただいたものです。「前書き」に続いて,求められる方策として学士課程教育の実質化,そしてそれを促していく評価制度の見直しという2つの大きな柱が立っております。本日は,評価制度の問題を少し後回しにしまして,まず前回までにいろいろご意見をいただいた資料1の学士課程教育の実質化の部分について1時間ほどご意見をいただきたいと思います。また,「まとめ」全体のつくり等についてもご意見があれば,ぜひご遠慮なくご発言をいただきたいと思います。

【濱名委員】 資料2との関係もありますが,評価制度の見直しの前のところに評価の話がきちんと位置づけられてないと,議論がやはり混乱するのではないかと思います。つまり,資料2でまとめていただいたマトリックスのような形で,ではそもそも中教審は評価をどうとらえているのかということに対するパートがないと,後ろとつながりが悪くなるだろうと思います。
 それともう一つは,学習成果という言葉が出てきますが,教育研究成果を重視したという,その用語はどう使い分けているのかということをかなり前のほうに入れておかないといけないのではないかと思います。

【合田高等教育政策室長】 本日,評価についてご審議をいただいた上で,学部教育の質を改善する中で評価というものがどう位置づけられるかという本日の議論を踏まえ,整理をもう一度したいと思っています。

【佐々木部会長】 たしかにこれまでは、この「評価」という問題を正面から取り上げたことはありませんでした。前回の資料から「まとめ」のひとつの柱として「評価」が出てきていますので,「評価制度」が「学士課程の質保証」にとって持つ意味というようなことを,どこかできちんと位置づけをする必要があるのだろうと思います。

【高祖委員】 今のことと関連いたしまして,今日提案されている「評価制度の見直し」は,認証評価のほうに重点を置いたまとめになっています。しかし,認証評価は,各大学の自己点検・評価をベースにするという位置づけになっています。そうしますと,きょう前半で紹介されました学士課程教育の実質化は,まずは自己点検・評価でやる評価を対象にするということが前提になると思います。そうした自己点検・評価を重視しているというメッセージを,やはりこの頭のところに持ってきて,それを踏まえた上での認証評価になっているという流れに整理していただいたほうが,前後のつながりがよくわかると思うのです。そうしませんと,今,濱名委員がおっしゃったように,せっかくこの最初のところを5つの両括弧で分けていただいて,こういう項目ですと言ったものが,後の評価とのつながりが今のままでは見えない形になっています。そのあたりを整理していただきたいと思います。

【田中委員】 私も高祖委員と同感ですが,やはり大学をよくしていく,教育なり研究をよくしていくということは,教員と職員の気持ちというか,プライドです。いかに評価されるかという努力です。やはり研究者仲間で「あなたの研究はおもしろい」と言われることが励みになりますし,学生には「あなたの授業がよかった」と言われることが励みになっているわけです。そういう自己点検・評価がやはり大学が存続するかなめ,基盤と思うのです。そうすると,この資料1の最初のほうにあります大学教育の質的転換という,転換をするというところも,どのように転換していくかの中には,その先には普段のたゆまぬ自己評価・自己点検というものがあるということは言われてもいいと思うのです。
 もう一つ,それとの関連で申し上げると,大学教育の質的転換の資料1の前書きの(3)「カリキュラムを担う教員の教育力の向上」です。教員の教育力の向上といいますと,単純にはSDとイメージされるわけですが,おそらくここで求められていることはそれ以上のものであろうと思います。単に授業の教え方が上手とか努力するというだけではなくて,これもうちの大学で,今,議論し始めているところですが,本来,教員はどういうことをするべき役割を担っているのか,もしくはどういう役割を期待されている人間かということからもう一回考え直す必要があると思っていて,もちろん教育は第一義的ですが,研究も当然しなければなりません。そして,若干のアドミニストレーションもしなければなりません。場合によっては社会貢献もすることが期待されていると思います。そういうさまざまな役割があるのですが,どういうことが期待されていて,自分たちでもどういうことをすべきだという価値観を共有しているかということが必要と思います。そういうものなしには,単なる評価にはならないと思います。勤務評定とは違いますから,教員の期待されているタスクというものに対して,どれだけ自分たちがそれを達成しているかということで評価されるのだろうと思うのです。それが自己評価になり,他者からの評価にもなると思うのですが,(3)も単なる教員の能力の向上だけではなくて,やはり期待されるべき役割というようなものを踏まえた上での向上の目標,そして評価となるのではないかという気がいたします。

【浦野委員】 今の高祖委員,田中委員の意見に大賛成ですが,やはり認証評価ということが我々民間から見ると,7年に1回ということで,大変そのことに違和感を持っているわけです。やはり大学はみずから自己評価というものを毎年やって,毎年変わっていくのだろうというサイクルがものすごく大事と思うのです。企業の場合ですといろんな側面にわたって必ずアニュアルレポートというものを出すわけです。そのことをぜひ期待したいと思いますし,そういう意味からしますと,求められる方策以下のところも,方策という言葉にこだわるわけではないのですが,やはり産業界から見ると仕組みづくりです。まさに大学が期待されている部分をどう実現していくかという仕組みのところがまず見えるようにしていただきたいと思います。
 それからもう一つは,先ほど田中委員から教員の役割という話がありましたが,やはり産業界から見たときに,もちろん大学が研究の最先端に立って頑張ってもらわなければ日本の国力は落ちてしまうわけなのですが,一方で,大多数の人が大学を出て社会に出ていくわけですから,そういう意味ではやはり教育の役割ってものすごく産業界は期待しているわけです。ですから,先生方が研究のほうに重きを置くという理由はもちろんわかるわけですが,やはり国民の多くの期待はこの教育の部分にもあるということをしかと受けとめていただいて,教育の価値を高めていく,成果を出していくためにはどういった仕組みづくりが必要というところに注力をしていただきたいと思っております。

【鈴木委員】 先ほどの資料1の前書きの(3)のところのカリキュラムを担う教員の教育力の向上に関して,田中委員からご発言があって,私も全くそのとおりだと思います。濱名委員は,教員の評価,それから大学の評価等々,資料2で評価の位相という言葉をお使いでした。位相の一番直截な,現場に近い教員の教育力の向上ということについてここに書いてあるわけですが,それを評価するという場合に特に大学の教員が,評価を受ける前の段階として,教育とは何かとか,あるいは教育を行うとは何かということに対する訓練,トレーニングが必要ですが,今の大学の場合にそういうことがないままに,博士号を取れば教壇に立つという前後関係に大方の場合はなっているのだろうと思います。そういうトレーニングなしに,そのまま教壇に立って,それで評価をする,あるいは評価をされるという不十分さがあるます。私はこれを,組織,制度的と言ってもいいかもしれませんが,大学としても十分考えなければいけないと思います。さはさりながら,それが大学教員の資格の認定とかそういうことが必要ということになると,また慎重に考えなければいけない面があると思います。慎重にしなければいけないと思いますが,とにかく大学の教員になって教育の現場に立つという人間が,前もってトレーニングやら何やらを受ける機会がないということ自体が非常な問題であると思います。
 先ほど来,話に出ている教員のアメリカ等におけるいろいろな処遇のされ方やら何やらということも含めて,やはり教員を評価するという場合には,評価する側が,こういう能力,あるいはこういう方法でやってもらいたいということをまず述べて,それに対してこういう教育の実績があって,それを評価するというならばよろしいですが,その最初の前段階が全くないままに評価するということは,先生にとってもフェアなことではないし,評価するほうにとっても十分ではないと私は思います。これをどういう制度にするのか,あるいは,制度ではなくて,各大学が率先して自分の大学の教員のティーチング・ケイパビリティをやっていくのか。私は現在のFDでは全く不十分であると思います。

【濱名委員】 鈴木委員がおっしゃることとつながりを考えながら発言させていただきますと,まず,先ほど申し上げた資料1のほうですが,こちらの前段の部分は一番重要なポイントになるのですが,最後の○のところで見ていると,ここで各大学に対する期待が出てくるのです。重大な責務であるという認識の後,方法論に飛ぶのです。実はここはその次の文脈としては,私が前回申し上げたように大学としての学位授与の方針ということを含んでいるようなのです。そうだとするならば,ここへ書かないとだめだろうと思います。つまり,責務に対して大学としてのポリシーあるいは基本的な学位授与の方針があって、その方向性に向かって方法論の工夫もしなさいということが総論に出てこないと,不十分であろうということが1点です。
 それともう一つは,先ほど来,話題に出ている資料2のチャートですが,私は,抜けているところがあればという呼び水をいただいているので言いますと,何が抜けているかというと,学生評価からプログラム評価まで飛ぶと飛び過ぎだと思います。問題は個々の教員の授業です。だから,科目ベースの評価がないとやはり難しいのです。例えば,この中でティーチング・ポートフォリオの話が出てくる,あるいは授業評価も活用しろ,公表しろということを言ってきたのが,どこで生かされるのかというと,実は学生(個人)とプログラム(課程)の間に科目,これは実は教員がその授業の中で全学の教育の目標あるいはディプロマポリシー,カリキュラムポリシーに合ったものとして,あるいはシラバスに沿った授業が展開されているかということを評価していかないといけません。その評価の主体が教員組織であったりする場合には,ティーチング・ポートフォリオとかシラバスチェックであるとか,相互に他者がシラバスを組織としてチェックするとかという仕組みも出てまいりますし,何よりも大学としての確認も求められる。このまま行くと大学が教員に何も働きかける材料や方法がないチャートになってしまうと思います。重要なことは,私どもの大学もかなり苦しい時期に出た話は,一生懸命大学のために貢献しても,昔ながらにのんびりマイペースでやっていても,同じ処遇しかない大学では,やはり不合理だと思うという声です。そういうことを言った人たちの真の意図は「給料を上げてくれ」だったかもしれませんが,資源が限られていると,やはり評価制度で所得の再配分をやっていかなければいけません。そのようなことを考えていくと,大学が個々の科目担当者を評価していくという側面がないと,いくらガバナンスということを語ったとしても,ポリシーがあったとしても,それを具体化するすべがないのです。レベルとしてはミドル・レベルによる評価というか,そうしたものを設定する必要があるのではないかと思います。そうすると,具体的に組織目標あるいはポリシーに沿った形で結果を出していただく先生方にはもう少し高い評価があっていい。また,それは各機関がそういうことをやろうとすると目標をより明確に示さないといけません。構成員である教員に対して,先ほど鈴木委員が言われたように何を期待するのかということを示さねばならない。例えば東京大学と関西国際大学は同じミッションであるわけもないわけですから,そのことを具体的に語り,具体的な年間目標を示すということをやっていただけば,先生方が一律ではなくて、自らも考えて評価を受けるように努力をしていただくのです。また,そういうことを各大学がやると同時に、国も考えていただかないといけない。科研費はあるが,GPもなければティーチングアウォードもなければ,個々の教員が要するに自分たちがよりよい教育活動をやろうとしても,教育にいざなうような仕組みがないと思います。ここはやはり国としても施策として,GPでなくてもいいのですが,そういうイノベーションを促進する仕組みがほしい。民間では「世界で一番受けたい授業」とかがになっているわけですから,それに匹敵する仕組みを国としても設け、さまざまな形でプロモーションというか,促進する意図があるのだということを示していただく必要があると思いますし,中教審としてもそういうメッセージを出していかなければ,教育を改革するための推進力がなかなか発揮できないのではないかと思います。

【林委員】 前段の骨子案ですが,グローバル化の進展に伴う学生の資質や大学の役割等々において,一定の枠組みのなかで体系的なカリキュラムを組み,学習密度の高い実質的な授業をする。それから,ひとりよがりにならないグローバル対応,これが国際標準性だろうと思います。問題は,教育環境そのもののグローバル化について触れられていないことです。実際にはキャンパスアジア構想もあるし,海外インターンシップ等々も動いています。要するに国内にあってカリキュラムを体系化し,きちんと授業をやって,それから標準性も確保したから,あとはグローバル人材が育つというだけでは少し寂し過ぎる。大切なことは,学生がグローバル人材として活躍するわけですから,教育環境そのものグローバル化する必要があるということです。1単位45時間の話があり,キャップ制,GPA,それからボランティア単位というのも出てきているし,動くかどうかわかりませんが,ギャップタームの話もあります。要するに,学生が主体的にやる部分がかなり重要になっているこの時期です。海外という教育環境をどうするかというメッセージをどう出すのか。それを大学がどのように受け止めるかは別にして,出すか出さないかで随分違ってくるのだろうと思います。ぜひ1つ柱としてあったほうがよろしいのではないか思います。

【濱名委員】 先生おっしゃるとおりだと思うのですが,あと必要になってくることは,今のショートステイ・ショートビジットのように学生の背中を押す環境が必要だと思います。もう一つは,大学間連携だろうと思うのです。昨日コンソーシアムの理事会だったのですが,リソースのそろっている大手大学は実はあまりコンソーシアムに乗り気ではないと思っていたら,最近,そうでもないのです。自分たちがあまり選抜度の高くない大学の学生といろいろなコンテストをやって,逆に有名大学ではないところがグランプリをとったりすると,すごい刺激を受けていたりするのです。グローバル化対応はやはり多様性理解です。そうなると,グローバル化に向けて、大学間連携の促進という意味でも多様性理解という点でも役に立つので,それは柱として含めて考えてはどうかと思います。

【鈴木委員】 先ほど濱名委員が,教育研究の成果と学習の成果という2つをお使いになって,教育研究の成果は教える側からの成果で,学習成果は教わる側からの成果ということをおっしゃりましたが,この両方があって初めて成果,十全の成果になるわけです。それで,グローバル化における教育研究の成果と,グローバル化における学習の成果は,国内だけに限った場合と全く違ってくるわけです。これは,例えば学習の成果といった場合には,海外から来た学生もこの授業を受けて,こういう学習の成果がありましたということが言えなければいけないわけですから,ここの成果の2つ,教育と学習という2つは,日本の中だけではないのです。外部のファクターが入っていないと,グローバル化における教育の成果と学習の成果というペア,セットにならないということですから,この成果のベンチマークは何なのかということをよくよく考えないといけないと思います。私はこれは,ここに書いてあるように,シラバスがどういうつくられ方をしているのかということ,あるいはシラバスの集合としてのプログラムがどうなっているのかということになると思うのですが,その辺のところをしっかり,あるいははっきりと我々が自覚しないと,構造化ができないだろうと思います。

【山田委員】 体系的なカリキュラムについてですが,前回,私は,休んでおりましたので,わからなかった部分を少しご質問を込めて聞きたいところですが,ナンバリングというようになったときに,今,国際的通用性ということで言えば,ナンバリングそのものが,例えば,想定されるとしたらアメリカになると思うのですが,アメリカで言われている経済学1であれば,それと同じようなものが日本の中でもナンバリングで1になってくるのか。つまりそれは,日本の大学間連携ということも考えたときに,ある大学で使われているナンバーというものはある程度他の大学にも通用するものなのか。あるいは,海外での通用性ということを考えていくと,それこそ海外との連携ということもあるわけですから,そことも同じような通用的なナンバリングというように考えていくものなのでしょうか。

【佐々木部会長】 これについては、前回か前々回に,まずひとつには,その大学の中でのカリキュラムの体系性をつくるためのナンバリングという問題と,いまひとつには、それが整っていれば、同じジャンルあるいは同じレベルの大学間の連携や単位互換が容易になるのではないか、というご議論があったと思いますが,このあたりについて鈴木委員,少し解説をしていただけませんか。

【鈴木委員】 山田委員のご質問は非常に大切なご質問で,これを実施するというときには十分に検討しなければいけないと私は思います。ナンバリングは,基本的には今申し上げたようなグローバル化に対応するためにはどうしてもやらなければならないハードルであると思っております。これを,まずは大学でやって,次に大学間でと思います。大学間は,日本の大学の間,それから日本と海外の大学の間という2段構えがあるかもしれませんが,私は,まず大学でやると同時に,ナンバリング制度というものはこういうものであるというモデル的なものをお示しする必要があるだろうと思います。山田委員が先ほどアメリカと日本の間で考えるのかということをおっしゃっていましたが,最終的には,アメリカだけではなくて海外の大学といろいろな交流をしていくときに,単位の互換というのもナンバリングがなければ実質的にはできない話ですから,それを行わなければならない。例えば基礎科目的な,あるいは一般科目を100番台とするなら100番台の科目はかなり似通ったものであって,それはどこの大学に行っても,例えば経済学の100番台というものはこういうものだということが共通のものとしてあるだろうと思うのです。ところが,300番,400番という専門科目になってくれば,非常に厳密に言えば大学のミッションに照らしてカリキュラムをつくっているわけですから,そういう観点からしても差が出てくるはずだと思います。あるいは,出てこないといけないと思います。出てくるということが各大学の多様性を保証しているのであって,100番,200番台から何も変わる必要はないのです。そこは類似のものであってもいいと思います。だから,300,400で各大学が工夫をしたカリキュラムをつくって,それぞれの特徴を出していくということによって,ナンバリングというものが実はカリキュラムの標準化と,それから多様化というものを同時的に達成するものなのだということを理解しておく必要があると思います。

【山田委員】 お聞きしたかったことはまさにその点でして,各専門分野は300番,400番は大学の多様な個性の中でつくり上げていくものと思うのですが,いわゆる共通教育といいましょうか,一般教育のほうが正しい言い方になると思うのですが,一般教育は,今,日本の大学で考えますと非常にばらばらで,実はこれは国際的通用性が本来はあるべき分野であると考えているのです。ですから,そういうことも視野に入れて,いわゆる一般教育の部分はある意味で,どの大学に行ったとしても100番台あるいは200番台までであればある程度中身が標準化されているということを意識してつくっていかなければいけないのではないと思っておりましたので,鈴木委員のご回答を聞いて,そのとおりだと思っております。

【田中委員】 ナンバリングは,私自身もそういう教育を受けたので,非常に大事と思っております。それで,簡単にやはりこの内容を共有しておいたほうがいいと思うことは,原則としては100番台が1年生,200番代が2年生,300番台が3年,400番台が4年生ということが大まかな切り分けだと思うのです。ですから,300,400番台は専門課程ということと思うのですが,アメリカの大学は3桁で大体済んでいるわけです。ということは,2けた目のところは領域を示しているのだろうと思います。例えば政治学で言うならば,1は理論であるとか思想であるとか,2は国際関係であるとか,3は国内政治であるとか,何かそういうこと思います。そうすると,その下の1けた目のところが0から9までしかないわけですから,それぐらいで科目は足りるということなのです。アメリカでナンバリングを使っているということは,A,Bもあってつけたりとかやりますが,4けた使っていないということは,設置科目のメニューは大体そこで十分であると思います。十分吟味して体系化していけば,そんなに多く数は要らないという考え方でもあります。それがこのカリキュラムの体系化のための授業科目数の削減というところとも関係があると思うのです。前回,佐々木部会長が最後非常にきれいにまとめてくださったことは,ナンバリングであるとか科目数の削減って何のためにやるのかは,それは学生にわかりやすく,教育効果が上がるためにやるのであり,教員がそこに対してエネルギーをたくさん投入して,数少ない科目に大量のエネルギーを投入して,課題を多くして学生に勉強させるような科目をつくっていくことを体系化するためにあると佐々木部会長がまとめてくださったわけですが,まさにそういうストーリー,そういうシナリオのもとでナンバリングであるとか科目の削減とか科目間の連携という話になると思うのです。ですから,ここにも大分きれいに前回よりも非常にシナリオが見えてきているのですが,さらに,いっそ佐々木部会長のおっしゃったようなシナリオのもとにそういう個々の話が出てくるほうが,読み手としてわかりやすいのだろうと思いますので,文部科学省にはそういうことをお願いしたいです。そこがやはり,この部会が,先生方がおっしゃっていることは,そういう目的に向けてのシナリオを書いて,どういう教育が必要かというところで出てくる。ナンバリングも,そういう大学間を超えての共通性もあれば,大学の中での縦の体系性もあるのだと思うのですが,そこら辺は非常に重要な観点だろうと思っております。

【佐々木部会長】 その点について,私も、(1)の「体系的なカリキュラムの構築」以下に入るその前段の部分の叙述をもう少し充実できないかと思います。ここはかなり議論を重ねてきたところです。学習時間が少なく,学習密度が薄い現状をどう克服していくかという観点でいろいろ議論をしたところですので,もう少しその点をそれこそ密度濃く書いていただいた上で「5つの課題」に導入していきますと,読むほうはわかりやすいと思います。

【濱名委員】 同じところですが,「ツールの活用」という見出しもまたあまりよろしくなくて,ここはやはり「仕組みの確立」だと思うのです。仕組みの確立であるし,それとあと,「授業科目数の削減や科目間連携」と書いてありますが,これは少し切り方が違って,科目数の削減と,科目間連携や週複数回授業の実施です。つまり,組織的に横の連携,教員が横の連携をとってくれないと,先ほど鈴木委員がおっしゃったように,科目数が3桁で済まない,科目が1単位,2単位ものがはんらんしているがために、連携がとりにくくなっているということに対するメッセージがいつの間にか消えてしまっているので,そこは非常に重要なところなので,今,部会長がおっしゃったように,その記述の中で書いていただくのと,切り方も少し変えていただいたほうがいいのではないかと思います。

【佐々木部会長】 「学士力」とは何かについて,前回の議論で黒田委員がおっしゃっていた「学び続ける力」という概念は非常に大事なキーワードだと思うのです。何を専門にしようと,そこで「学び続ける力」を学び取るということが「学士力」と言われるものの基本になるのではないかという点がまずあって,次いで、そのために学習時間や学習密度の希薄さをどう克服していくか、そして、そのために「カリキュラムの体系化」が必要であり,また、教員が整理されたカリキュラムに教育力をどう集中的に投入するかという問題が出てくる――そういう論理があったのです。その論理をここにしっかり書き込んでいくことが大事と思います。

【高祖委員】 今,部会長がおっしゃってくださったので,私も発言しやすくなったのですが,資料1の(4)の黒ポチの3つ目ですが,「分野別コア・カリキュラム(日本学術会議の参照基準等)」と書いてあります。日本学術会議のこの参照基準はコア・カリキュラムではありません。この認識がまずもって違っていると思います。むしろ,今,部会長がおっしゃった学び続ける力を各分野別で育てるにはどうするかということの仕組みを考えていますので,日本学術会議の参照基準は,むしろ「体系的なカリキュラムの構築」という(1)の大事な,それこそ参照するものというように入れかえていただきたいと思います。各分野別でコアになるものというよりも,何をカリキュラムに組み,学生たちにそれをどう学ばせることによって学び続ける力が身につくのかを中心に,解のない問題にどう取り組んでいくかそれをどう提案しようとしていますので,そこは訂正をお願いしたいと思います。

【篠田委員】 ガバナンス,それから教学マネジメントの部分について少し発言をさせていただきたいと思います。「審議のまとめ」は、前回までの議論を丁寧に踏まえていただき,補っていただいており、教学を担うFDとかSDの課題もきちんと位置づけていただいていてありがたいと思っております。黒田委員が前回もご発言されていたように,学士課程の実質化を図っていく,例えば体系的なカリキュラムの確立といっても,これを変えるには相当大変な力が要る。教員が個々がばらばらにやっていてもだめだし,学部任せでもだめだし,やはり学長以下の推進体制がきちんと確立して,改革のシステムを整備していかないといけない。そういう流れでまとめて頂いているということで,基本方向には賛成です。実は私が所属している私学高等教育研究所で最近調査をしたデータがあります。これ自身は中長期の経営システムの調査ですので,直接教学については聞いていないのですが,多少関連をするところを少しだけご紹介をさせていただきたい。例えば「学長のもとで教育開発センターやIR組織などが機能し,全学一体で教育改革を推進しているかどうか」というような設問をしています。このアンケート,200大学ぐらいご回答いただいていますが,これで「推進している」とはっきりお答えになったところが18%で,「やや推進できている」というところが37%ぐらいです。学長の下で、きちんと全学的な教育改革について「推進がまだできていない」というところが35%で,「全くできていない」というのは8%というような状況です。さらに別の設問では,「学長の方針の学部へ徹底が不十分」または「学部の意向によってしばしば調整が必要になる」と回答したところが3割とか,それから,ほかのところで見ますと,「理事会と教授会で方針や意見がたまに食い違うことがある」と回答したところも3割,「学長の補佐体制が不足している」と答えたところも6割ぐらいあります。こういう教学に関るマネジメントの改善ということについて言うと,多分、前進はしているのではないかと思いますが,やはり課題も多いということだと思います。「審議のまとめ」の前段で言っているような学士課程の実質化のための改革をやろうとすると,あわせて改革を推進するための組織とか運営体制の改革は不可欠で,これをかなり強調していく必要があると思います。具体的な方法をどこまで書くかということはもちろんあるかと思いますが,重要な課題として位置づけていくことが大切だと思います。これが実はこの後議論をする,どういう視点から評価をしていくのか,つまり評価の問題、評価基準にも連動してくるところだと思いますので,そういう意味でも重要だということについて発言をさせていただきました。

【林委員】 グローバル化にあたっては,内なる体系化による対応と,グローバル化された全体の中での通用性の両面があると理解しています。日本人の学生がグローバル市場の中で活躍すると同時に,海外からの学生が国内にも入ってくるし,さらに問題は大学だけではなくて,多国籍化された企業が,これは海外の企業に限らず日本の企業も含めて,人材の雇用にあたって,接続や通用性をどのように見るかです。
 初等・中等教育を経て高等教育を学んだ学生達の需要と供給が内需型から外需型に変わっていくとすれば,これと同じことが知財についても言えると思います。おそらく知財についてもナンバリング的なもの,あるいはプラットフォームのようなものが,企業と大学の間の仕組みとして議論されるはずです。冒頭に「知識基盤社会化」の文言が出てきましたが,グローバル化により,知財も人材も広域的に動き出すときに,日本モデルがどうなるのか。おそらく文部科学省はこのことを考えているだろうと思います。ここでの議論ではないかも知れないが,そこら辺のところも視野に入れておかないと,日本という国における知財と人材の接続や循環がなくなってしまい,いわゆる知識基盤のない国になってしまう。高度情報化時代において,技術と情報という知識基盤が必要だというだけではなくて,本当の意味での知識基盤社会を日本がどう構築するかが,今,問われていると思います。その辺の全体像をここでは描かないにしろ,ある程度は想定しながらやる必要があるのではないかと思っています。

【鈴木委員】 林委員のおっしゃるとおりだと私も思います。高等教育機関と産業社会の間の人材をめぐるマッチングあるいは需要と供給という感じからすると,今,メディアで,日本の企業が日本人の卒業生よりも外国人を採用する,その比率が多いということがまことしやかにニュースになっていますが,何も大学側がこれに一喜一憂する必要は全くないのです。しかし,市場における人材に関する需要と供給で,供給した側と需要側がどうもミスマッチングが起こり始めているのではないかというところが感じられて,これは供給側が心しておく必要があります。とにかく我々が送り出す学生たちがキャリアを積んでいくにあたり,その将来の最初のところでつまずいてしまうということは,我々供給する側としては非常な問題と私は思っております。
 それからもう一つ,全く違ったところなのですが,この「○学士課程の教育の実質化」に(2)でシラバスという言葉があります。「学習時間の目安や必要な課題の明確化等」とシラバスの内容が書かれているのですが,やはりシラバスの持っている役目,機能は,これは授業がどのように行われていくかということの一番根本的な工程表なわけでして,これが不確かなものであっては教育の成果もおぼつかないし,学習の成果もおぼつかないということになります。シラバスが性格としてどうしても持ってないとならない,予習ができるシラバスであると信じております。学生がそれを見て授業に行く前に自分が準備をできる,そういう手だてになるシラバスでないとシラバスの役目は果たせないと思います。ですから,みずから学ぶということは,復習だけができてもみずから学ぶということにならないわけで,予習ができるということは象徴的にみずから学ぶという出発点ですから,このシラバスが予習ができるシラバスでなければいけないという文言をもしできれば入れてもらいたいと思うわけです。それで,予習ができるシラバスとはどういうものかということはまた別の機会に議論すればいいかもしれませんが,これは工程表であって,科目の説明ではないと,要約ではないということです。そこが必要だと思っています。

【浦野委員】 先ほど来の議論の中でグローバル化の課題ですが,これも私,最近論じられているグローバル化で1つ視点が欠けているのがあると思うのです。グローバル化というと,何か地球が画一化していくみたいな,それに乗りおくれまいとする,いわゆるグローバルスタンダードみたいな言葉で語られる部分があると思うのですが,こういう一面ももちろんあるのですが,やはりもっと大事なことは,我々日本の中から世界に出ていくときに,マルチドメスティクスという理解のもとに,各国の中で固有のもの,そこにも溶け込んでいけるということがものすごく大事なことと思うのです。もし本当にグローバルスタンダードだけで切り分けていったら,そのグローバル化って成功しないと思うのです。そういう意味で,ナンバリングとかシラバスの問題について1つ質問したいことがあるのですが,これらが学部教育だからといって知識の積み重ねだけではありませんよね。多分,ナンバリングとかシラバスに応じてきちんとやっていくと,それぞれの学問分野における方法論といったものがきちんと身について,そして答えのない課題に対して,こういった方法論を使えば問題が解決していくのではないか,あるいは,この地域のドメスティックな問題についてはこんな方法論を使っていけばよい,そういったことが学べるようになっているのですよね。単なる知識の体系ではないのですね。その辺を少しお伺いしたいです。

【鈴木委員】 まことにそのとおりでして,ナンバリングがあればみんなグローバルスタンダードになってしまうという懸念を持つかもしれませんが,全くそうではなくて,私は,自分の造語なのですが,学士力空間という,2次元ですと学士力マップですが,3次元にして学士力空間というようなものを考える必要があると思っているのです。1つは,3次元の3つの軸ですから,1つ目の軸は,コースナンバリングの100番,200番,300番というもので,それからもう一つは,先ほど山田委員もおっしゃっていた一般科目,それから専門の基礎科目,それから専門科目,それから卒業論文という感じの積み上げです。もう一つは,「学士課程教育」の中で言われてきた知識理解,汎用的な技能,態度・志向,それから創造的な思考という4つの積み上げがあります。これを3つの次元に分けて空間ができてくるわけで,その中でとにかく3つの合わさったところがどういう意味を持っているかということを考えると,カリキュラムの構造が本当にアクティブラーニングで考えさせる力を持ったカリキュラムになっているのかどうかがわかってくると思うのです。確かにおっしゃるとおりで,きちんと考えないといけないと思います。ただ,ナンバリングを取り入れたからといって,グローバルなスタンダードになってしまって日本的なものがなくなるということではなくて,逆に,そういうことを利用して日本的なものは何かということをよくよく考えて,それを大切にしないといけないと思っています。

【濱名委員】 1つ,今のお話を伺っていて思ったのですが,この中に非常に欠けていることは,我々社会とか産業界に対して極めてへりくだったうようなトーンが多くて,社会に対してもう少し大学教育をグローバル化するために協力をしてくれということがメッセージとしてないという気がするのです。例えば,いつの間に消えたのかと思ったのですが,体系的なカリキュラムの実効性を高めるための学習環境の整備ですが,これは教室内の話だけにいつの間にかなっています。例えばサービスラーニングとかインターンシップの話はいつの間にか消えていると思います。本当はそういうところをやらないとグローバルな人材になっていかないと思います。そのために評価で産業界の声を聞くことはいいのだけど,そういう学習機会を社会的に提供してくれと,産業界に対して物を申さないといけないのではないのかと思います。そういうことなしで,大学の世界だけで人材育成を完結して責任を負っていくということは,初中等教育には多少触れているのですが,あまりにも難しいのではないかと思います。やはりSS・SVとか海外インターンシップをやろう,あるいはギャップタームをやろうというときに,60万人の新入予定者をだれが面倒見るのだと思います。身分の問題だけではなくて,それは社会が一緒に,要するに産業界がいわばカスタマーとして採用するだけではなくて,一緒に育てていただくという視点にをもう少し盛り込まないと,こうした教育はやはり完成できないのではないかと思いますので,それを柱として入れていただく必要があるのではないかと思います。

【高祖委員】 今の濱名委員の意見に,大賛成です。資料1の体系的なカリキュラムの構築のところになって,この3つの方針が出てきます。学位授与の方針,教育課程編成・実施の方針,入学者受け入れの方針です。一方,前書きのところで,学士課程教育の学士力をはぐくむための体系的なカリキュラムの項目が出ています。本来,この学士力を育てるためにこの3つのポリシーが打ち出されたと思います。ところが,今,濱名委員がおっしゃったように,ここの文章を見ると,話がみんな大学の中の話になっていて,もともとこの3つのポリシーは,例えば,出口のところのポリシーには社会,職業界,産業界とどうつながりを持つかというメッセージがあったのです。それから,入口のところのポリシーは小中高とのつながりです。ところが,本日の骨子案を見ると,キャリア教育や職業教育については初等中等のつながりが言及されているのですが,何かこのあたりはもう少し本筋を取り込んだ接続について書き込む必要があるのではないか。そして,前回,私も申し上げて,(2)のところに「就職活動の早期化・長期化の是正」って書いていただいているのですが,ここに入れるのは少し問題が違うのではないかという気がするので,是正をお願いするとともに,濱名委員がおっしゃったように,産業界,職業界に大学の質を向上させ改善させるためにこういうことをやってくれませんかというメッセージを,やはりもっと前段のところから書き込んでいく必要があると思います。そのヒントがこの3つのポリシーのところではないかと私は思います。

【佐々木部会長】 ここは非常に難しい問題かもしれませんが,おっしゃることに私も大賛成です。少し工夫をして,そこの書きぶりを考えたいと思います。

【濱名委員】 つけ加えて,私はもう一つは人材養成の問題になると,やはり地域社会というユニットは,産業界だけではなくて,これは地方公共団体とか自治体を巻き込んでいかないとなかなかできないということがあると思うので,入れていただくのだったら,産業界のみならず,やはり地域社会あるいは地方自治体等々に呼びかけていくというようにしておいたほうがいいのではないかと思います。

【長束委員】 2点ほどお話しさせていただきます。1点目,少し戻ってしまうかもしれませんが,最初,委員の方々が,方策の前に大学は何をするべきところかというような理念的なことを入れるべきだというお話がありました。非常にそのとおりだと思うのですが,以前にも申し上げさせていただいたかもしれませんが,私は高校現場の教員ですので,高校現場は基本的に生徒を育てる教育の面がほとんどの役割を占めている。ただ,その中にもちろん研究という面もないわけではないですが,やはり教育は非常に強いと思います。大学はということで先ほど何度かお話ありましたが,やはり教育と研究という両輪があるのではないかと思います。その中でもやはり研究という面が非常に強くて,さまざま大学や先生方のご苦労で,教育という部分を今,重視し始めてはいますが,まだそれが広がりきれていないというようなところがあるというように現状としては考えます。浦野委員のほうから,産業界としても教育の重要性というか,教育を頑張ってほしいというようなお話がありましたが,高校現場からしても,大学,教育というところで力を注いでもらえればと思います。もちろん,研究者として将来,社会の先端というか,国際的にも活躍する人材を育成するというのもありますし,一般に生きていく中での人材の育成というのもあると思うのですが,そう考えたときに,先ほど海外の事例で教育と研究というのを明らかに分けて考えるという,研究だけという部分の研究を重視する人は研究,または教育という場面で教育のほうを重視するというようなお話をお聞きしたのですが,大学が行う役割は何かといったときに,教育と研究と2つを並列に並べることは可能なのかどうかというのを少しお聞きしたいです。実は認証評価のところも教育研究成果という書き方がされていて,分けていないのです。もしかすると,分けたほうがそれぞれに特化していける部分もあるのかもしれません。もちろん,教育と研究が一体化して一緒にやっているということはわかった上で,あえて教育を重視するのであれば,分ける指標というか,分けた形での評価というのをすることは可能なのかどうかというのをお聞きしたいというところが1点です。
 もう1点は,先ほど方法論の中で学び続ける力という方法論,これも浦野委員のお話でしたが,方法論のような力を評価する指標ということだったのですが,高校現場では思考力,判断力,表現力というものを学び,力をつけていくということが,今,新学習指導要領でもあるのですが,各教科の中でそれぞれ扱うのですが,それをどう目に見える形で評価をするかって非常に難しいのです。先ほど大学のナンバリングの中でというところも,そういうことができ上がるとすれば高校でもすごくありがたいと思います。そこをうまく連携していけるのではないかと思います。なかなか指標をつくるということは難しいですし,入試等でもそういう力を見ていくことになっていますが,現実には難しいところもあったりするというところで,そこについて,これはお伺いというよりは,どうしたらいいのでしょうかというようなところです。

【濱名委員】 やはりそうなってくるとルーブリックのような形で,評価の構成要素の中に知識の定着であるとか,問題発見能力とかというのをつくっていく。アメリカの高等教育でいえばAAC&Uがルーブリックをつくって,それを科目評価の一部に組み入れていく形で測っていくものと思います。つまり,テストで知識の測定だけを行うと,それは絶対できないので,多元的な評価をしていく必要があります。つまり定性的にしか見えなかったものを可視化するためにはルーブリックを活用していく必要があります。今のところ,ルーブリックはあまり資料にクローズアップされていないですが,もう少し書いてもいいのではないかと思うのです。
 それと,教員に関する評価は,グッドティーチャーとかそういう形で評価をされている大学はもう既にありますし,方法として言うと科研でも教育学などの領域で,『知へのステップ』というテキストを書いた本学の上村和美という教員がいますが,この内容は学習技術で,現在この種のものでは,日本中の大学で一番使われているテキストですが,これは実は科研をスタートにしてつくっているのですが,こういう領域をもっと拡張していけば,教材開発とか方法論開発ということが広がっていく可能性があります。個別大学の中では私どもの大学もやっておりますが,基本的に教員の教育に対する評価をやっていこうとすると,組織目標を示しながらその中で組織としてどんなことを達成したいのかということを示し,それを参考に個々の教員が目標を定めていく。学部長と新任の教員では目標設定のウエートづけは同じではないので,一定の幅の中で,例えば教育のウエートが新任教員だったら50%だが,学部長になったら50%から例えば25%の枠内で、自分で決めてもいい。そのかわり具体的な目標はそれぞれを明確にして,それを教員自身が自分で評価材料をストックして,まさにティーチング・ポートフォリオですが,そういう形で自己評価をして,期首・期中・期末という形で学部長と面談し、形成的評価を積み重ねて評価をやっている大学は,国内にもいくつかあると思います。やはりこれはかなり勤務評定と違うところは,組織目標を参考にしながら個々の教員が最終的には自分で目標を設定して,自己評価に基づく組織評価につなげていく方法としてやっていかないと難しいと思います。これは可能性としてはまだまだこれからだろうと思います。

【山田委員】 長束委員のことに関連してですが,資料1の前書きのところで,「初等中等教育と高等教育の円滑な接続」という文章が出ています。先ほど長束委員もおっしゃったのですが,実はこれは私,ずっと前から言っている考え方ですが,一つのパラダイムとして考えたときに,教育の最終的な目標とかは初等教育,中等教育,そして高等教育もほぼ学士力ということを考えると一種の共通性があるはずです。ただ,それがそれぞれの初等教育,中等教育で分断されてきていて,そこの縦を考える,先ほど林委員もおっしゃいましたが,知財や人材という養成から考えたときに,枠組みがなかなか標語としてないのです。これは米国では昔はK-12と言っておりましたが,今はもうK-16という考え方になってきて,キンダー,つまり幼稚園です,幼稚園から大学卒業のところまでK-16で考えるという枠組みですが,やはり日本でもよくよく考えてみると,そういう一つの縦の枠組みというような考え方があってもいいのではないかと思います。ここで接続ということがあるので書かれているのであれば,もう一つ踏み込んでK-16という考え方というのも少し検討していただければと思います。

【鈴木委員】 今,山田委員がおっしゃったことはまことにそのとおりで,私はICUでリベラルアーツを行っておりますが,これは入学するときには自分のメジャーを決めないでください,自分は文系だ,理系だというのを決めないでくれということでやっているわけです。お隣に先生がいて申しわけないのですが,高等学校の段階で文系です,理系ですと分けられて受験をしてきた学生に「さあ,ここでもう一度まっさらになってください」,「自分探しをしてください」って,これは非常な矛盾でして,高等学校と大学は,特に大学の2年間と高等学校の3年目のあたりは逆でないといけないと私は思うのです。高等学校のときに自由にというわけにいかないでしょうが,自分の方向はどういうものなのだろうということを考えながら高等教育である大学に来て,そこで自分を確定していくというプロセスでないといけないのに,高等学校までで自分は数学ができるから,自分は英語ができるからということで,文系だ,理系だって学部が決まってしまうような制度で人材を育成するのは,20世紀までの少品種大量生産の人材の育成の仕方であって,21世紀これを続けていくということは非常な問題と思います。やはり日本の教育は隘路に入ってしまうと思います。

【長束委員】 今の点について,ICUは全科目の試験をやっていますが,大学の入試は基本的に文系,理系で分かれていますので,高等学校は基本的に大学入試に合わせてカリキュラムを組み,生徒もそれに適応するように選択せざるを得ないので,それを変えるとなると,やはり入試の問題となると思います。

【安西分科会長】 私はたびたび「具体的に」と申し上げてきておりまして,横から申し上げるとあれかもしれませんが,ナンバリングのシステムを導入せよということが大学教育部会の主張だということは非常にはっきりしておられて,これは非常に具体的なのです。そういうレベルでもってやはりぜひご提言をいただければと思っておりまして,大学入試についても,もう今までのような科目入試はやめろというのだったら,やめろと言っていただきたいのです。これから検討しましょうというのだと具体性はないということであります。
 ほかにもいろいろありまして,先ほどの研究等にしましても,やはりこの配られている資料ではどうしても機能別のことが出てないのです。大学全般についてこうあるべきだということは言われているのですが,やはり私は,日本をリードしていくような,世界でもってリードしていくような大学については,そこの大学で教える人は世界で一流の研究者であって当然だと思うのです。そういう人たちが1年次,2年次の100番台の授業を教えるということがそういう大学のやるべきことであって,そういうふうに考えますと,機能というか何というか,そういうミッションによって,研究の評価,教育の評価等々は変わってくるのではないかと思うのです。そういうことをやはりしっかりおっしゃっていただきたいと思いますし,さらには,教育はこうあるべきだと言われますが,一番の問題点は教員がなかなか変わらないということです。教員の教育の仕方を変えるにはどうしたらいいのかということを強制力を持って半強制的にやらない限り,なかなか変わらないということはみんなもうわかっているわけです。そこのところの方法を提言していただきたいということであって,こうするといいのではないかという時期にはないということです。少しストレートな言い方で申しわけないのですが,あと数回しかないということですので,是非よろしくお願いします。
 さらに申し上げれば,ここで議論されていないことの1つが,学生の授業評価,学生による授業評価をどうすべきかということです。学生による授業の評価がプラスに働いている例は結構あると思います。さらにさっきの入試の問題もそうですが,なかなか難しいとは思いますが,ぜひお願いを申し上げたい。そうでないと,大学教育部会の提言にさらにつけ加えてそういう具体的なことをやっていくことになるのではないかと思いますので,できるだけやはりこの大学教育部会でもってご提言をいただければありがたいと思いました。よろしくお願い申し上げます。

【佐々木部会長】 分科会長から、具体的な提言をという強いご意向が示されましたが,その際には,何のために例えばナンバリングが必要なのか,何のためにシラバスが必要かという点をきちんと訴えていく必要があるのだろうと思います。ナンバリングについては,先ほどは国際化の視点で鈴木委員からお話がありましたが,前回は,「学部教育」から「学士課程教育」へ動かしていくためにナンバリングやシラバスが必要だという議論をしました。つまり,一般的に言って極めて「属人的」な授業科目の設定の下で行われている「学部教育」を打破して、カリキュラムを体系化していくためにナンバリングが必要だということが強調されたと思うのです。提言を書くに当たっては、いろんなツールや方策を列挙するのではなくて,何のためにそれが有効というあたりを強く意識してまとめていく必要があるのではないかと思います。

【田中委員】 安西分科会長のお話を聞いて,少し遠慮して申し上げたので,少しはっきりと申し上げたいことは,カリキュラムを体系化せよというときに,ナンバリングを入れろということと同時に,科目数の削減をせよ,それから科目間の連携をとれ,つまり教員間の連携をとれということです。それをやらないと日本の教育は質が上がらないのだろうと思うのです。そこまで言っていただいた上でカリキュラムの体系化ということだと思います。それがまた評価のほうにも移っていただけると思います。

【佐々木部会長】 それでは、「評価制度」についていかがでしょうか。このペーパーでは認証評価制度を中心にご説明をいただいたのですが,審議の冒頭にご意見がありましたように,むしろもう少し多岐にわたる,多様な評価の制度が検討対象になるのではないでしょうか。濱名委員からは、学生、教員,教育プログラム,大学など、評価対象を区別した多様な評価が必要ではないかというご意見もありましたが,この「評価制度の見直し」についてご意見をいただきたいと思います。

【高祖委員】 資料2のマトリックスに今ご指摘があったような区分示されております。認証評価ということが右の下のところに入っております。そうして,ほかのところを見ていきますと,自己点検・評価が提示されていまして,これとセットになる形で示されています。ただ,これまでのここでの議論あるいは私の毎日の経験からすると,自己点検・評価との関連が本当にうまく回転するのかというあたりに問題があるのだろうと思うのです。そうしますと,この自己点検・評価を各大学に自主性を持ってやってくれということと,認証評価とがしっかりとかみ合うのかという疑問を持っているのです。認証評価もそういう質保証に向けたシステムがあるかどうかを,今回,第2サイクルで取り入れるとは言っていますが,基本的に認証評価機関は判定機関だと思います。その大学が適格かどうかを判定するということです。だからそうなると,この自己点検・評価と認証評価をとの間に何かを考えるほうが得策ではないか。例えば,外部評価委員会を設置することを義務づけるなどが考えられます。そうやって各大学の自己点検・評価が認証評価に行く前にきちんと社会の人たちも入れて点検してもらうのです。ピアレビューでもいいと思うのですが,そういう仕組みを考えないと,ここは何かうまく動かないような気がするのです。ですから,安西分科会長が言われるようにもっとはっきりと言うのだったら,そういうものをつくったほうがいいという提案になるのかもしれませんが,少しまた検討していただければと思います。

【浦野委員】 今の高祖委員の意見に大賛成ですが,認証評価のことは少し置いておいて,一番大事なことは自己評価と思うのです。そういう意味で,この大学ポートレートは重要です。きちんと位置づけてほしいと思います。毎年,必ず大学はこれを出さなかったら認められないということです。なおかつ,そこには仕組みをまず書きなさいということだと思います。どういう仕組みで本学は学習成果を出そうとしているかという仕組みから始まって,そしてそれをこういうサイクルで自己評価していますということが必要です。その上で,具体的な定量的な成果目標があれば,それはそれで書いていただければいいのですが,その際に,やはり先ほども議論に出ていましたが,本学の目指すところはという機能別分化という前提に立ったものがないと,それはもう非常にあやふやになります。ぜひそういったことでやっていただければと思っております。その形の自己評価に加えるに,先ほども高祖委員から出ていましたが,企業でもアニュアルレポートには必ず外部評価というものを入れているわけです。ですから,外部評価というのも必ずこのポートレートの中に入れていただきたい。それは産業界なのか,あるいはもしかしたら高校側なのか,それは自由に選んでいいと思うのです。一方でもう一つ大切なことは,やはりこの学習成果はかなり専門的なことですから,ピアレビューも要ると思うのです。安西分科会長が今,日本学術振興会の中で理事長をされておられますが,科研費については6,000人のピアレビューをやっているわけです。これを学習成果の評価の中にも入れたらいいのではないかと思うのです。各大学は別の大学の学習成果についての評価を行うということになります。ピアレビューと外部評価,この2つをセットで毎年のポートレートの中に入れていくようなことをやっていかないと,社会からは透明化したものには見られないと思います。

【田中委員】 この評価に関して,認証評価という制度的なものはそれなりに重要だと思いますが,やはり高祖委員,浦野委員のおっしゃっているとおり,自己点検でみずからよくしていくという努力が重要だと思うのです。そのときに,学生とかプログラムとか大学という,濱名委員も先ほどご指摘でしたが,その3つの分野だけでなくて個々の科目もありますが,やはり教員の評価というものも入ってくると思います。先ほど申し上げたとおりで,大学の基本は何をするべきか,どういう役割を担うべきかという期待されている役割があるわけで,それに照らし合わせてどういう仕事をしているかということを自己点検して,また,ピアレビューするべきだろうと思うので,もちろん,機能別分化によって大学の機能によって期待される役割も異なると思うのですが,例えばアメリカではメジャー・リサーチ・インスティテューションという研究を推進する大学と,それからエデュケーション・ウィズ・リサーチ・オリエンテーションというような研究の方向性も強いが教育をする大学と,それからいわゆるリベラルアーツというような教育をする大学とに機能別分化しています。日本はさらに地域に貢献するというようなこともあると思いますが,そういった機能別分化の中で期待される役割は出てくると思うので,その役割を決めたときに,教員がどういう仕事をしているかということをみずから評価していくことで,お互いに見合う,もしくは他大学の方のピアレビューも入れるということも必要だと思うのです。単なる勤務評定とは違うと思っています。今,我々が何を糧に頑張っているかというと,単に本当に学生が「先生の授業はよかったです。役に立ちました」と言ってくれることだけです。給与は全く一緒ですから,それ以外に何もないのです。それから,研究に関しても,同僚や大学院生が「あなたの研究はおもしろい」とか「興味深い」と言ってくれることだけが糧です。それぐらいしか褒め言葉はないわけです。でも,そのプライドでみんな頑張っていると思うのです。ですから,そのプライドを捨ててしまった方は,何もしなくても同じ給料がもらえるような状況です。給与体系がどうのということではないと思うのですが,その頑張っている方に対しては頑張っている方に対する評価というものがないと,伸びないと思います。頑張る方の気持ちが続かないと思うのです。ですから,ティーチングアワードであるとかリサーチアワードであるとか,その頑張っている方を評価して,それを顕彰していくというシステムが必要であろうと思います。そういうことを怠っていくと,やはり日本の大学の競争力というものは国際的には到底追いつかない,また,産業界が期待しているような役割を果たせないということになると思うのです。

【濱名委員】 これまで出ているように,認証評価だけでは足りないということはおっしゃるとおりで,具体的に,評価,評価と言い始めてから時間がたったのび、なぜ今日もなお評価がうまくいっていないかというと,2つ問題があると思うのです。大きな問題の1つは,評価文化の普及をするのに一部の人しか直接的な評価対象になってないということだと思うのです。先ほどの教員の評価の仕組みは,認証評価だったら担当部局の長とか担当者は一生懸命ですが,大多数の教職員は直接関係ないのです。これではやはり非常にまずいです。教員は授業評価をうけるぐらいでしかありません。授業評価はいいこともありますが,問題もあって,最近,授業評価で学生に名前書かせないと,もう全部1とか全部3とか全部5とか,つまり考えずに書いたりするケースもあるのです。それは残念ながらこの国の社会の中にある評価文化の未定着な部分だと思うのです。だから,教員や職員も評価の対象にしようとすると教員評価も必要になるし,職員の評価も必要になるのです。やり方をどうするかは第1段階ではどういうやり方でもいいことにしてでも,そういうことをやっていくことです。考えてみれば,アメリカのIRは何万人の大学でも数人でやっているわけです。何故その数でできるかというと,末端までその評価文化が行き届いていけば情報を提供させることもできるからです。コーディネーターがいればIRの仕組みは成り立つのです。
 もう一つは,評価人材の育成が非常に遅れていると思います。評価の専門家がいないのです。認証評価の専門家はいますが,例えば自前でテストをつくるノウハウはない。あるいは,教員評価の専門家がいるのかというと,ほとんどいないのです。我々も手探りでやってきたわけですから,その評価人材をどう育成していくか。大学院政策が欠如しているのはこの国のもう一つの大きな問題と思うのですが,そういう分野が必要であるならば,例えば篠田委員がこういう点では造詣も深くていらっしゃるのだけど,高等教育のアドミニストレーター養成と言っているのだが,漠然とアドミニストレーションの話ではなくて,どういう分野でのアドミニストレーターが必要なのか,教員がやっていけばいいのか,これについては両方が足りないと思うのです。やはりそういう分野での人材養成をやっていかないと,より多くの大学や,社会的に定着しようとするとその2つの解決が重要になってくるのではないかと思うのです。

【鈴木委員】 認証評価は,具体的には,セカンドサイクルに入っているわけで,認証評価の各機関,今まででしたらいわゆる分野別と機関別の2つをやってきたわけです。今は例えば大学基準協会の場合には分野別はやめて,機関別,大学全体を評価しますとなっているわけです。要するにこれは,いろいろな国の評価も評価をする側が労力をあまり使わずに,しかし実質を上げようという動きになっているわけで,日本もそういうふうになってきていると思います。さはさりながら,教育の実質化という観点からすると,やはりこの評価が教育の現場までおりていって現場では本当にきちんと教育をやっているのかということが問われている。シラバスをきちんと見て,そのとおり授業をやっているのかというところまで見ていかないといけない。ですから,上からと下からの質の保証をどうしても考えないといけないのです。上からというのはこの認証評価機関が行っている機関評価ですが,それは大学全体を見るということになりつつあるわけですから,実質的な,今,濱名委員がおっしゃったような形の例えば評価委員を育成するとか,あるいは先ほど高祖委員がおっしゃった外部評価の形をつくるとかという,だんだんと下に向かって評価の次元が下がっていくと,最後のところは,このマトリックスの3つの組織の学生のところまでおりていくしかないのです。グレーゾーンが非常にあって,濱名委員は先ほど教員のところももう一つ入れるべきとおっしゃいましたが,私もそう思うのです。それから,外部評価委員というのもここに入れたほうがいいのかもしれません。ただ,認証評価の役割は,大学として評価するというシステムがないとだめだと私は思います。ですから,評価の抽象度が上がっていかざるを得ないのですが,PDCAサイクルというものがきちんとワークしているのかということをどこかで担保する必要があります。
 私は,比喩的に評価制度を,水車小屋の水車がきちんと回っているかということを調べるのが評価制度であると書いた覚えがあるのですが,たとえば水車小屋の粉つきのうすときねが幾つもあって,それが回っている。それで,そこに入れる穀物はどういう種類のものをどのくらいの粗さか細さかにするか,これは各大学がきちんとやっていいのだということだと思います。しかし,水が水車を廻すことによってそのうすときねがきちんと動いているということを確認するということが認証機関の役割だと,私はそのくらいまで評価の抽象度を上げていかざるを得ないだろうと思うのです。ですから,お米を五分づきにする,七分づきにする,それは各大学の責任でやってくださいということです。それは輩出する人材をどういうふうに思っているかというものの直截な表現で,各大学の建学の精神に基づいているわけですから,その辺のところをきちんと可視化する必要があると思っています。

【佐々木部会長】 私は,この後半部分の「評価制度の見直し」について,やはり違和感を覚えます。というのは,この部会で取りまとめていく「審議のまとめ」は,「学士課程教育の実質化」をどう進めるかということが基本的な課題です。したがって,「学士課程教育の実質化のための評価制度はどうあるべきか」という観点でここを組み立てていかないといけない。本日の審議の冒頭で議論があったように、「学士課程教育の実質化」は認証評価制度ではできない,そこにはあまり期待できないのです。「学士課程教育の実質化」に求められる方策をこれだけ打ち出すわけですから,その方策がどのように具体化されているかを評価するためにはどういう評価制度が必要かという観点で、少し組み直しをしていただく必要があるのではないでしょうか。認証評価ではなくて,自己点検・自己評価が必要であるし,それに基づく外部評価,ピアレビューが必要なのだと思います。それから,「大学ポートレート」はどこまで、どういうスピードで制度化されるのかを後ほど伺いたいのですが,これを活用するとすれば,「ポートレート」の中に必ず学士課程の教育の実質化にかかわる項目をきちんと報告することを義務づけるとか,もう少し「学士課程教育の実質化に引きつけた評価制度」をここで論じるべきではないかと思うのですが,いかがでしょうか。

【田中委員】 全く賛成です。認証評価は確かに歴史的な役割が大きかったと思いますが,最初2000年から入ってきたときに,私も自分の学部の教務主任をやっていたので,それをまとめることをしましたが,全員でそろえてきて,とても分厚いものを書くわけです。そのときに思ったことは,こんなものを書く暇があれば論文の二,三本も書けるとか思いまして,かなり時間が無駄と思ったのですが,ただ,なぜそうなったかというのは,それまでそういう蓄積を何もためてないから,各教員が何をしてきたかとか,どれだけ学生が出てきて,どのぐらい卒業していったかとか,そういうことのデータがないから,全部掘り起こしたわけです。認証評価が入ったことによってそういうものが蓄積してきた。鈴木委員がおっしゃるように,毎年毎年それを蓄積してきていれば,今,それをやることはそれほど大変ではないので,そういう意味では認証評価は重要だったと思うのです。そういう制度が入ったことはよかったと思いますが,ただ,佐々木部会長のおっしゃるとおり,もう機械的なデータだけでは質は見れなくなっていると思いますので,さらにピアレビューとか厳しい自己点検は必要になっていると思いますから,認証評価制度の外部から与えられた基準だけにこたえて満足していればいいのではなくて,本当に競争を勝ち抜けるような教育の質,研究の質を担保するような評価の仕組みというものを考える必要があるのだろうという気はいたします。

【佐々木部会長】 つまり,「質保証」といったときに,何か一律の基準を設けるというようなことは不可能ですから,それぞれの大学が養成すべき人材像をクリアにして,これを「大学ポートレート」という形で発信して,その人材像に近づける努力をするような仕組みを作る、というのがここでの議論だったと思います。ですから,そこを点検するシステムとしての評価制度の問題を、ここできちんと整理しておく必要があるのではないかと思います。

【義本高等教育企画課長】 今までのご議論を踏まえまして修正・整理はさせていただきたいと思います。自己点検・評価も,全体含めて,その評価のあり方の問題として後半の部分については整理を考えたいと思います。ただ,少しここで整理しておきたいことは,これまでのご議論としては,ポートレートもそうですが,機能別分化をどう進めていくのかということについては,大学分科会あるいは大学教育部会にご議論いただきましたし,その中でポートレートの話が出てきたという文脈もありますし,また,その中において評価をどうするのか。あるいは負担感の問題もありました。ですから,今の書き方としては,その辺がいわゆる密度の問題と学習成果の問題とさらに混在しておりますので,その辺の整理をさせていただいた上で構造を明らかにし,また,資料1にありますように,ここでは一応の審議のまとめですので,それ以降もご議論をさせていただくということにしておりますので,そういう形で全体の構造がわかる形で整理をさせていきたいと思っています。ですから,評価の問題については,負担の問題とあわせて機能別分化の問題の中でどう位置づけていくかという問題がありまして,その辺が今の中で表現としては混在していますので,その辺を整理させていただきたいと思います。

【佐々木部会長】 「機能別分化」を重視した評価制度が必要だという課題はあると思うのです。ただ,この大学教育部会の「審議のまとめ」にそれがどこまで必要か。むしろ今回の「まとめ」がフォーカスすべきは「質の保証にかかわる評価」をどう組み立てていくか,仕組みをどうつくるかというところではないのか,ということですので,よろしくお願いいたします。

【浦野委員】 今のお話を聞いていて,民間との違いということが頭に浮かぶのですが,今,例えば上場企業という責任を持っていれば,有価証券報告書とか四半期報告書は提供パターンできちんと決まっておりまして,分厚いものを毎期毎期つくるわけです。あるいは四半期ごとにつくっているわけです。一方で,企業の企業別分化と言うとおかしいですが,企業もそれなりいろんなレベルがあって,ねらっていることが違います。そうすると,そこでは,例えば営業報告書とかCSRの報告書とか環境報告書は,企業がどういうふうにつくろうが,これは全く自由です。ただ,それをごらんになる投資家の方あるいは生活者の方は,そこに企業の方向性というのを報告書の中でやはり見出すわけです。非常に厳しい評価もあれば,「いや,いいね」と言っていただく場合もあると思います。そうすると,やはり大学の場合も,大学ポートレートの中できちんと,企業でいえば有価証券報告書に当たるようなものと,もう一つ別に各大学はそれぞれ年度ごとに本学の成果と課題みたいなことを,例えば教育分野において,研究分野においてということをきちんと発表していくことを,やはり生活者というか,ステークホルダーの皆さんは思います。東京大学はこうなのだとか,あるいは,この大学はこうなのだという,そこにやはり機能別分化がおのずとあらわれてくる。そんな姿が一番望ましいのかと思って,企業社会とあまり変わらないのではないかと思いました。

【鈴木委員】 大学も毎年,事業計画というものを立てて,それに基づいて事業を行って,学年度が終われば事業報告というものを出しています。これは公表しているわけですから,毎年ごとの精粗はあるとしても,今年はこういうことをやっていきます,こういうところに力を入れますということは内外に公表はしているのです。ですから,これが企業の4半期毎の有価証券報告書のような形でそれこそ政府刊行物センターで売られるとか,そうまではならないまでも,何かやはりこういうことを,今度,教育情報の公開とか大学ポートレート,そういうものがてきることによって,こういうものをそこに添付するといった工夫は可能だと思います。

【谷口副部会長】 本日の話では教育の悪いことばかりが出てきたので,何か少しがっかりするところもあるのですが,我が国の教育は,すべてが悪いのではなく良いところももちろんたくさんあると思います。この部会では,改善するところについてどこまで何をしっかり提言するのかということをもう一回整理をさせてもらったほうがいいのではないかと思います。今なぜ教育を変えないといけないかという話は随分出てきたという感じはします。学生諸君が現在また近未来の社会に対応するためにやはり教育を変えないといけない,そこまでは皆さん共通していると思います。カリキュラムをどうつくるかというあたりも,実は文系と理系では全然違います。おそらく理系とか医学系はある種のコアのカリキュラムは基本的にはできています。今,それだけでは足りないなら,それに何を足さないといけないかという議論をして,ここまでやりなさいと,それはこのためですというのを明確に出して提言をしたらいいと思います。また,情報公開をここまでやらないといけないということの具体的なものを明確に出したほうがいいと思います。もう一回か二回の会議で,どこまで何をやらないといけないか,最終的にはきちんと提言しないといけないということですから,ここまでは必要というレベルを少し整理をさせていただいたらいいのではないかと思っています。

【長尾委員】 ここではっきり提案をしていただきたいことは,多様な言葉が出てきています。まとめてあるようですが,統一されていません。機能別分化という言葉をずっと皆さんおっしゃっています。機能別分化によって教育の質をどのように評価するのか,そしてどのような入試制度を用いるのか,こういった事をやはり一本化するために何か仕組みを考えないといけない,それを提案しないといけないと思います。これらは,ばらばらのものではなくて一貫するのもです。ただ,今おっしゃったように,理系と文系とは全く違います。学校によって試験制度も全く異なります。それらを一括して考えるのではなく,例えば,機能別分化でまとめ,教養教育を担っている分野は1つになってピアレビューの組織をつくり,自己評価の基準を考えたら良いのではないでしょうか。そして,それぞれ異なる分野で異なる基準を考えるということをスタートしたらどうか,と提言できないかと思います。そうすることにより,例えば,教養教育における入試制度は今後少しずつ高校と連携して考えられるのではないでしょうか。

【宮崎委員】 例えば世間に公表する,大学の入口と出口で試験をして伸び率をはかるとか,そういうインパクトのある具体的な策をどんどん発信していくべきということは私も思っております。では何がそういうことかというのを考えた場合に,今の一連のお話の中でいくと,やはり評価ということが質保証を実質化するために何をしているかという部分で,やはり教員一人一人の行動にまで落とし込まれていかないと,どうしても実質化はできないだろうと思います。そのときに初めて,では教員をどう見ていくかというときに切り口が幾つかの柱があって,教育なのか,研究なのか,あるいは学務というのも大変です,学務の業務も,入試があったり,就職があったり,いろいろあります。そういう軸をどのようにとって,一人一人の教員がどのような報告書を毎年自己点検として公表していくということを具体的にやっていくと,この大学はこの機能ですと言わなくてもおのずと見えてくると思います。どういうことをしている先生たちが集まっているのかということなので,評価という部分は,かなり大胆ではありますが,個別のところにまで切り込まないと実を上げないと思っておりますので,それを結構ダイナミックに提案すると激震が走って改革の歯車が回るという感じがします。

【黒田副部会長】 きょうは皆さんからすごくいい提言をいただいているわけですが,それではどのように具体化するかということです。それから政策の具体化における根本的理念ですが,これらはこの部会だけでまとまってきているものではないということを皆さんにご理解をいただく必要があると思うのです。過去の答申で,21世紀の時代はどうなるのだということも答申に出ていますし,それから,知識基盤社会での人材像はどうなのだということも答申に出ているわけです。そういう答申を踏まえてこの議論に移ってきているということを理解しないと,過去に議論したことまでここに書き込むということになってしまいますから,それは少し無駄だろうと思うのです。だから,それがわかるような前ぶりを少し書いておくということは必要と思うのです。こういう答申が過去には出ていますということだけは知らせる必要があると思うのです。その上で,具体的な提案としてこうなのだということをここに書いていただくということが必要だと思います。
 先ほどから,議論されています学士課程教育のありようについては,各大学が構築し迅速に進めていったらよいのかということだと思います。しかし,これが非常に難しいことです。学部体制の組織で動いていたものが,今度,課程という格好での先生方の意識改革がなかったら何も進まないわけですが,その辺をどう動かすかということについて具体策をここで提案してもらうことと,それと,機能別分化については,これは一応7つの機能別のサンプルがありますが,それにこだわってしまうと何も変わらなくなってくると思いますので,それぞれの大学がその立場において,その地域において,どのような教育をして,どういう人材を世に送るのかということをはっきり示せば,それがポートレートになるのでしょうが,それを示していけばおのずと機能別分化が生まれてきます(3つのポリシーの明確化)。また評価においては,教育に係第三者評価の実施と認証された評価機関による評価(ピア・レビュー)を組み合わせて如何に評価していくかということだと思います。示された機能についてきちんと実施されているかどうかを見ていくということで,足らないところはきちんとサゼスチョンしていくということをやっていけば機能別分化はできてくると考えます。ですから,あまり7つの分類にこだわらずに,各大学が置かれた立地性,地域性や大学の持っている機能によって,大学の果たすべき役割が変わるということを大前提にして評価基準を策定しなければならないだろうと思いますので,その辺がうまくいくように評価制度を考えていただくということだろうと思うのです。

【鈴木委員】 いろいろな議論がなされて,私も刺激を受けているのですが,例えば今,留学生30万人ということを言っており,これは海外から30万人の学生が日本の大学に来て勉強するということですが,どうも日本の大学の中でそれに類似したような学生の流動化は全くなく,学生を囲い込み,1年生から4年生までは1つの大学内で終了するということがまず出発点になっているわけです。例えば私立大学は経営問題もありますから,そう簡単には言えない面もあるのですが,私は,国立,公立,私立をあわせて学生が,渡り鳥化できるようなシステムというものをつくることが必要だと思います。それで,学生の学習の成果をはかる,あるいは教育の評価をするということも非常に重要と思うのですが,A大学の学生がB大学に行って,そこの大学の評価をする。あるいは逆も真なりなのですが,そういう形で教育あるいは学生の囲い込みを一応解く必要があるのではないのかと思います。完全に流動化すると非常に問題はあるかもしれませんが,一部の学生というか,やり方によってやはり渡り鳥化できるのだというシステムをつくって,学生がとにかく,例えば高等学校のときからここの大学のために受験勉強するとか,そういうことで要するに精力をそがれてしまうようなシステムではなく,大学に行ったら,あそこの大学にもここの大学にも行けると思います。それで単位を持って帰ってこられるという柔軟なシステムというものを日本の中でも考える必要があるのではないかと思います。これは,EUのボローニャ宣言,エラスムス計画で実際やっているわけですが,複数の大学に在学することということが卒業にとっては望ましいという取り扱いになっています。私は,日本でもそういうことをやるべきだと思います。教学改革,教育改革と言っていますが,学生を抱え込んでいて,そこで改革をするということは,私はもうナンセンスだというくらいに思っています。

【濱名委員】 全然内容は変わるのですが,前提になっている機能別分化をどう確認しようと文部科学省は考えているのか,私はよくわからないのです。そこをスタートラインだとするならば,僕は申し上げているように,大学の学位授与の方針を学則に書くという形で設置基準をまず変えないとだめだろうと思います。その書き方の幅があって,このとおり7つの機能の何をとるって書かなくてもいいのですが,そこがやはり一丁目一番地だと思うのです。その中にあらわれている機能を果たすというところからスタートしないといけない。では,大学ポートレートのどこかに丸をつけてやるとかという形ではなくて,そのスタートラインがないと,なかなかやはりフォーカスを絞れないのです。だから,そこはぜひ今回のまとめの中でも明確に書いたほうがいいのではないかと思うのです。同じ学内の中でも多少の幅があったのだったら,それを両方書けばいいことで,そこがやはり学士課程教育という124単位を1つのユニットにする教育を評価していく大原則になるのではないかと思うのです。どう機能別分化を把握し,可視化しようと思っていらっしゃるのでしょうか。

【義本高等教育企画課長】 少しなかなかお答えしにくいところではあります。確かに,今,これまでのご議論がありましたように,まずは大学自身が自分たちのミッションをどう規定し,それによって,それを出発点にするということはここでのご議論もありますし,そのとおりだと思います。それを逆に制度上どう位置づけていくのかと思います。それは設置基準という形がいいのかどうかといったことも議論がありますし,また,情報の可視化とか,あるいは評価の中でそういうものをどう位置づけるかと,多分いろんなものを積み重ねる中において考えないといけないところだと思います。ただ,出発点としては,先生がおっしゃるように,大学自身が自分たちのミッションないし使命をどういうふうに規定し,それによって進めていくと,そこがやはり出発点だということについてはベースだと思っております。

【宮崎委員】 こういう問題って,文部科学省が決めて降ってくるのではなくて,大学の側で決めて政策として採用していただくもので,矢印が逆だと思いますので,今,濱名委員の質問は,逆に濱名委員から「こうしなさい」とおっしゃるべきではないかと思います。

【濱名委員】 私は設置基準に書くべきだと思います。やはりそういう形で各大学は表明すると思います。ただ,その前提として機能別分化に基づく認証評価と言われるので,想定しているものは,違うことを考えていらっしゃるのかという確認がしたかったということです。

【佐々木部会長】 これはもう少し先の議論につながっていくと思います。
 そろそろお約束の時間ですが,前回の部会では,インパクトのある答申をということが強調されたと思います。大学分科会としての「答申」は,夏の8月ぐらいを考えているのですか。

【義本高等教育企画課長】 夏ごろを目途におまとめいただく方向で,今,準備しています。

【佐々木部会長】 「インパクトのある答申」であるためには,あまり総花的にならずに,この部会のタスクは「教育の質保証,実質化」というところですから,そこにきちんとフォーカスして,何のために、何をすべきであるかという具体的な提言につなげていきたいと考えます。

【安西分科会長】 部会長のおっしゃるとおりですので,具体,具体とずっと申し上げていることは,もう本当に日本にとって時間がないということでありますので,今の機能別分化についても,さっき黒田委員が言われておりましたように,また事務局からもありましたように,あるいは宮崎委員も言われたように,大学が自主的に決めていくべきことなのです。ただ,大学分科会ももう本当に長いこと機能別分化と言っていて,そういうふうに言っていながら,なかなか大学のほうは,端的に言って,ホームページを見てもみんな何となく似た文章が書いてあって,ステークホルダーのほうではどう違うのだかわからないって,そういう状況が続いておりまして,そうだとすると,濱名委員が言われるように,設置基準と言われましたが,大学がこうだということをきちんと言い切ってもらうように,ある意味,半ば強制的と言うといけませんが,ここでは私自身の個人的な考え方ですが,やはり国からの予算の構造が機能によって全然同じなので,そういうところも,もちろん予算の配分額を違わせるという意味ではないのですが,仕組みを変えてもらうべきではないかと思います。やはりミッションによってどういうことにお金をつけていくべきかということは変わるべきと思います。それから設置の問題等々も,やはりそういう意味での具体性が必要ではないかと思います。今のは一例ですが。部会長のもとで,やはりある理念に立った,あるいは目的を持った具体性のある提言をぜひお願いしたいと思います。

 

(2)事務局から,大学教育部会の次回以降の日程について資料4の説明があった。

 

―― 了 ――

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