法科大学院特別委員会(第16回) 議事録

1.日時

平成19年9月4日(火曜日) 15時~17時30分

2.場所

学術総合センター特別会議室

3.出席者

委員

臨時委員
 田中委員(座長)
専門委員
 林委員、磯村委員、井上宏委員、小幡委員、鎌田委員、川端委員、川村委員、小島委員、中谷委員、諸石委員、山中委員

文部科学省

 清水高等教育局長、久保審議官、土屋審議官、藤原専門教育課長、鈴木企画官、堀大学改革官、新田専門職大学院室長、神田専門教育課課長補佐

4.議事録

 事務局より配付資料の説明が行われた後、司法制度改革の本旨に則った法科大学院教育がどうあるべきか意見交換が行われた。

司法制度改革の本旨に沿った法科大学院教育の在り方について

  • 実態調査の報告と本委員会の審議のとりまとめは区分して考え、本委員会においては各法科大学院に現状における問題点を周知し、法科大学院設立時の理念の徹底を促すためのメッセージの作成、整理を行いたい。
  • 基本的に法科大学院の教員が法科大学院の中で活動する以上は、法科大学院の側で責任を持たなければいけない。ただ、補習的な教育についてまでは直接的な言及をするのは困難ではないか。
  • 学生主催の学生活動というのは切り分けが微妙で、それをどのように把握するのか非常に難しい。
  • 補習という概念と、受験指導という概念を少し整理する必要がある。補習とは本来のロースクールの教育の不足を補うものであり、受験指導とは受験をにらんでのものであるため、本来的に性質が違い、それに対する対応策も相当違うのではないか。
  • 受験指導であろうがなかろうが、普通の授業でできないからと、何回も補習が行われるのは、法科大学院教育の趣旨としておかしくはないか。さらに「補」という名目で受験指導が行われているというのであれば、問題が大きい。
  • 学生の理解度の問題もあるが、過度の補講を実施することや、1つの科目に非常に時間をかけることは、本来の教育の理念からずれが生じ、知識の詰め込みになってしまっている。
  • 結局、たくさん知識の詰め込みをした方が、この競争的な司法試験で有利だという共通認識が変わらない限り、問題が消えることはない。司法試験の合格が第一ということになると、司法試験に関係しない科目を学生は選択したがらず、選択しても、なかなか熱心に取り組まないという問題が起きてきてしまう。法科大学院の制度・教育は非常にいい制度で、この制度・教育を前提にこれからの法曹を育てていかなければならないのは確かだという考えは全員に共有されていると思うが、その阻害要因になっているものを改善していくという方向で思考をしていかなければいけない。
  • なぜ各法科大学院がそれほど受験を意識し、そして受験の指導に傾斜しようとしているのか、制度のレベルにおけるその根源的な理由も同時に理解しなくてはいけない。法科大学院は法曹養成のプロセスの中で相当重い負担を負っている。つまり、法科大学院の教育、司法試験、司法修習という3本柱のプロセスが存在する中で、この制度の発足のときに、法科大学院が本来担うべきでないことを担いすぎている現状がある。制度のあるべき姿とその趣旨、それから、法曹の長いキャリアの中で何をどの時点に勉強して、身につけるべきかということについての、根本的な再構成、再定義を、制度開始から3年たった今、第2期として始める必要があるのではないか。
  • いわゆる答練的な受験指導は、本当は試験を受ける上では余り懸命ではないという考え方が浸透することが望ましいが、それだけ言っても一般社会には浸透しない。法科大学院の教育と司法試験と司法修習を全プロセスとして考え、法科大学院の3年間の教育で、司法修習ができる程度の能力が身についているかを判定する方向に持っていかなくてはならない。
  • 確かに新司法試験を考えたときに、従来型の、整理した論点や定型問答を覚え込むことは、それほど成果に結びつかない。一方、合格者数が決められていることから、相対評価で採点をせざるを得ない。ある面で、悪貨が良貨を駆逐するような危険性もはらんでいるので、こういう教育は良くないということは明確にする必要がある。
  • 第三者評価や設置基準等によってカリキュラムが既に定まっている中で、あとは自分で勉強して合格するのが本来の姿だと思われる。「事例の解答の仕方に傾斜した技術的教育」は、新司法試験・法曹としての役に立たないと強めに言っておいた方がよい。
  • 旧司法試験も悪くはない試験であったが、合格者数を増加させ、合格させる水準の人がそれだけいないにも関わらず合格させてきた、その繰り返しが、本質的に法律を理解しなくても試験に通ることのできる技術を成立させてしまった。それと同じことが新司法試験に、ほんの数年の間に起きる危険性というのは大いにある。だから、技術的教育は役に立たないとここで強調すると同時に、実際にも期待した水準に達しない人は、合格者数の枠に捉われず合格させないことが重要。
     また補習も、学生の学習活動も、全部それは受験を意識したものではなく、実際では自主的な学習活動が多数あり、我々はそれを大いに奨励するのであって、余りやると自学・自習に差し支えるから禁止するという結論となってはならない。十把ひとからげに補習について議論した中で、自主的な学習活動を阻害することのないようにする必要がある。
     それから、最低限の基礎、特に基礎的な科目についてのカリキュラムが現状で良いのかという問題はきちんと考え直す必要があるのではないか。
  • 余りコア・カリキュラムを確定しすぎると、学習指導要領のような話になっていく問題はあるが、コア・カリキュラム的な教育内容の標準化をしないと新司法試験との十分な連携も図れないのではないか。
  • 法曹像の役割の多様化と拡大は社会的に必要とされている。日本における法律家の役割は余りにも限定的に解されている。アメリカでも、ドイツでも、フランスでも、イギリスでも、法律家は広い範囲で活動している。それが社会の活力を、そしてまた公正で堅実な社会発展、経済発展を可能にする力になっている。日本の経済界から見れば、日本の現在の法律家の活動範囲というのはやや限定的すぎて、広い範囲でやっている方もいるが、数は少ない。旧来のような一握りのエリート500人だけが法律家になればいいということでは、現在の社会的ニーズに応えていない。多様な人間を、法曹に取り込んでいかなければいけない。
     現に、日本より人口の少ない国でもより多数の法曹を生み出している。もし定員が3,000人になったらもう質の高い法曹はいないとか、答案の質が低いというのなら、日本の職業教育や中等教育、日本の社会に根本的な欠陥があるということになる。今は、法曹だけで判断するのではなく、社会の各層の方々のご意見を伺うことが必要ではないか。双方向から考える必要がある。
  • コア・カリキュラムの問題は、法科大学院協会でも委員会の今年度の検討課題事項とされているが、作成者の問題に加えて、例えばアメリカなどの例は、ある種の命題やルール、知識を知っているということは、試験が短答式であることとも連動して作成しやすい面はあるが、論文式試験までを視野に収めたときに、コア・カリキュラムの作成が本当に可能かどうかは難しい問題。また、現在の司法試験の出題範囲は、法律の分野でも制限がなくなってきているため、例えば特別法において重要な問題がどこまで含まれるのかのように非常に見えにくくなっている現状がある。他方、要件事実教育などは、各法科大学院においてカリキュラムに差があることは課題。
     他方で、現在の新司法試験に対して、各法科大学院に対して行ったアンケート結果を見る限りは、比較的肯定的評価が与えられている。それほど奇矯な問題が出ているわけではなく、本来の法科大学院できちんと勉強し、自学・自習をして対応すれば当然に解けてしかるべきである。法科大学院の教育も、自然と新司法試験に対応できるような教育をもう一度原点に戻ってするべきであって、そういう意味では、技術的対策が必要ではないという点は強調されるべきかと思う。ただ、学部教育の在り方に関する指摘は、違う考え方がある話なのではないかという気がする。書くとしても少し位置づけを考えるか、あるいはそもそも今回の整理とは違うところで議論をするべき話である。
  • 法科大学院制度の当初の構想の中では、法学既修者という枠が徐々に減少し、法学部が基本的に社会科学の一般的な素養を身につける部門に変わり、法学未修者が原則型になるというイメージであった。しかし実際は法学既修者の枠が残っているため、ある種の実定法教育が法学部において行われているというのが現状ではないか。
  • 結局、法学部について大きな変化が生じなかったのはなぜか、いろいろな指摘ができると思うが、1つは日本には法曹隣接職種が相当数あり、少なくない数の法学部の卒業生もそれを目指すような傾向があること、また、公務員制度の在り方との関係でも、法学部は依然として大きな供給源になっていること等、様々な社会的な基盤との関係があり、法学部の転身が難しい面がある。
  • 法学教育の改革については、現在は法科大学院に力を取られているので、法学部教育の改革どころではないというのが実態ではないか。また大学のレベルによっても大きな違いがあり、それが結局、悪貨が良貨を駆逐するという形で、システム自体が崩れていく問題がある。あらゆる大学に多くの要求をしても、無理な大学もあることは事実だと思う。ただ、きちんとしたところにはきちんとやってもらわないと困るというのが制度の意味するところではある。
  • ロースクールがきちんとした姿を示して、制度を確立することも大きな課題である。余り端ばかりに気を取られると、論じるところがないがしろにされかねない。
  • 法職課程については、更に検討すべきであるけれども、法学部そのものについての議論は、別に行うことが必要ではないか。

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