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障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見) 第1 はじめに

1.序

 “Nothing about us without us”(私たち抜きに私たちのことを決めるな) は、「障害者の権利に関する条約(仮称)(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)」(以下「障害者権利条約」という。)策定の過程において、すべての障害者の共通の思いを示すものとして使用された。これは、障害者が一般社会から保護される無力な存在とされ、自分の人生を自らが選択し、自らが決定することが許されなかった障害者の共通の経験を背景としている。そして、一般社会による保護的支配からの脱却と普通の市民としての権利を持つ人間であることを強く訴えるものであった。

 しかし、このような障害者のあたりまえの思いを一般社会が受け入れるまでには、長い歴史の時間を要した。日本においても、戦前の国民優生法(1940)を戦後に強化した優生保護法(1948)が「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という目的を掲げ、強制的な不妊・断種手術が障害者を始め1万6千人以上に対して実施された。まさに障害が本来あってはならない存在であることを国家が法律で規定していたのである。同法の優生条項が削除され、母体保護法となったのはようやく1996 年であった。

 障害者に関連する施策が徐々に進展してきたことは事実である。しかし、依然として、日本の障害者は、多くが貧困層に属し、本人が希望する地域での普通の生活を許されずに施設や病院で一生を過ごす人も数多く存在する。およそ1世紀も前に、精神科医の呉秀三は日本の精神障害者の置かれた状態を「此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」と述べているが、その状態は時代の進歩を経た現在においても基本的には変っていない。障害者に一般市民以下の生活と権利が十分守られていない状態をもたらしている私たちの社会の認識と国家の政策をどう変えるのか、そしてこのような社会の在り方が障害者の現在の状態を生み出している状況をどのように転換していけるか、まさにその大きな変革(Change)が求められている。

 戦後、日本の障害者に関連する法制度は日本国憲法が保障する社会権を基盤としながら順次整備されてきたが、自由権を基盤とする権利を保障する法律は皆無に近い。その結果、社会権を基盤とするサービスは自由権的基盤を有しない無権利性と、自由権そのものを侵害しかねない一般社会からの排除ないし隔離的傾向をもたらしている。障害者権利条約の視点に立ち、自由権と社会権を二分する枠組みを越え、市民との実質的な平等を基礎とした人権法に向けたパラダイムの転換が求められている。
 そうしたパラダイムの転換があってこそ、社会権を基盤とするサービスも真に障害者のニーズに基づく形で提供されるようになるとともに、その充実にもつながる。福祉・医療・教育などの社会権の実現は、依然として自己責任や家族依存の色彩を強く残し、質的にも量的にも不十分である。今後は障害児・者が個人として尊重され、差別なく平等に地域社会の一員であることを認められることが政策目標とされなければならない。

 今、世界の障害者は、障害者権利条約の策定過程への参画(決定権を持つ参加)を通して、自らの存在を示すとともに、障害種別を超えた連帯による変革の可能性を明らかにした。障害者権利条約は、障害関連の政策決定過程に障害者自身の参画を求めている。それは障害者の主体的な参画が、政府及び一般社会との新たな関係と協働を創造し、障害者自身を含む社会のすべての人の意識と制度を大きく変える原動力となるからである。障害者を含む、あらゆる人の参画によって、私たちの社会は一層、本当の意味で豊かで、個人や集団の違い・多様性を尊重する、真に創造的で活力ある社会となることができると、私たちは確信している。

 2009 年9月に誕生した政権は、この障害者権利条約の趣旨に即して、障害者の制度改革の新たな枠組みとして、「障がい者制度改革推進本部」の下に「障がい者制度改革推進会議」(以下「推進会議」という。)を設置し、障害者とその関係者を中心とした改革のための「エンジン部隊」を用意した。
 私たちは、かつてないこのような画期的な推進会議の一員として制度改革の重責を自覚し、本年1月より関連する制度全般にわたって各回4時間を超える議論を全 14回にわたって重ねてきた。
 ここに提示する第一次意見は、私たちの総意として日本の障害者制度の諸課題について、その改革の基本的方向を示したものである。

2.国際動向と障害者権利条約

1)世界人権宣言と条約化の背景

 国際連合は、人権が保障されることが平和の礎として極めて重要であることを確認して、戦後いち早く世界人権宣言(1948)を発し、以後、人種差別撤廃条約(1965)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(1966)、市民的及び政治的権利に関する国際規約(1966)、女子差別撤廃条約(1979)、拷問等禁止条約(1984)、児童の権利条約(1989)等の条約を採択し、各国に締結を求めた。

2)障害に関連した国際連合の動き

 これらの人権条約の中で最初に障害を理由とする差別を禁止したのは児童の権利条約であったが、国際連合は 1970 年代から障害問題に注意を向け、精神遅滞者の権利宣言(1971)、障害者の権利宣言(1975)を出し、さらに、障害者の「完全参加と平等」の実現を目指して、1981年を「国際障害者年」とし、1982年には「障害者に関する世界行動計画」を採択し、1983年には1992年までを「国連障害者の十年」と宣言して各国に、同行動計画の実施を求めた。
 「国連障害者の十年」の中間年(1987)には専門家会議が開かれ、法的拘束力のある障害者差別撤廃条約の必要性を訴えた。これを受けてなされたイタリア(1987)およびスウェーデン(1989)の条約化に向けた提案は、いずれも国連総会で合意が得られなかったが、これらの動きは障害者の機会均等化に関する基準規則(1993)に結実した。

3)障害に関連した諸外国の動き

 アメリカでは、1973年に連邦ないし連邦から補助を受けている団体による差別を禁止するリハビリテーション法 504 条が追加され、1975年には統合教育を基本とする全障害児教育法が制定されるなど、障害者に関連する様々な権利法の制定を経て、1990年には合理的配慮を明文として掲げた法律である「障害のあるアメリカ人法」(ADA)が制定された。この ADA は、その後、オーストラリアやイギリスをはじめ、多くの国の差別禁止法の制定に貢献することになった。
 これらの各国の動向は、1999 年の障害者に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する米州条約の採択、さらには2000年の雇用及び職業における均等待遇のための一般的枠組を確立する閣僚理事会指令(2000/78/EC)などにも結実し、このような世界的な動向が障害者権利条約策定の背景となった。

4)障害者権利条約

 障害者権利条約は、2001年メキシコのビセンテ・フォックス大統領の提案を機に以後2002年から 2006年まで1回の作業部会と8回にわたる特別委員会と開催され、2006年12月に第61回国連総会で採択され、2008年5月には発効した。
 障害者権利条約は、前文、本文 50ケ条及び末文から成る。なお、この条約と同時に採択された、個人通報制度等に関する障害者権利条約選択議定書(Optional Protocol to the Convention on the Rights of Persons with Disabilities)は、前文、本文18ケ条及び末文から成る。

 この条約の特徴は、“Nothing about us without us”のスローガンに象徴されるように、その制定過程に障害当事者を始めとする障害関連団体が参画したことである。さらに、非差別・平等を基調とし自由権と社会権を包括していることである。
 この条約の目指すところは、障害者の実質的な権利享有上の格差を埋め、保護の客体でしかなかった障害者を権利の主体へとその地位の転換を図り、インクルーシブな共生社会を創造することである。
 障害者権利条約は、前文に引き続き9ケ条の総則にあたる規定を設けているが、この中で条約の原則として、以下の内容が盛り込まれている。

  • 固有の尊厳、個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び人の自立に対する尊重
  • 非差別
  • 社会への完全かつ効果的な参加及びインクルージョン
  • 差異の尊重、並びに人間の多様性の一環及び人類の一員としての障害のある人の受容
  • 機会の平等
  • アクセシビリティ
  • 男女の平等
  • 障害のある子どもの発達しつつある能力の尊重、及び障害のある子どもがそのアイデンティティを保持する権利の尊重

 その上で、21 ケ条の各則にあたる規定を設け、個別の人権を幅広く規定している。さらに、条約実施を担保する国内的、国際的モニタリング、国際協力等についての規定を設け、最後に、条約の効力発生等の規定が設けられている。

 日本は、2007 年9月に条約に署名したが締結には至っておらず、後述するように、現在、同条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする障害者に係る制度の集中的な改革に取り組んでいるところである。同条約の締結に際し策定される日本語の正式な訳文においては、この条約の趣旨・目的に照らし、条約で示された障害者の人権とその確保のための締約国の義務が明確に表現されるものとすべきである。

3.障害者制度改革

1)障害者制度改革に向けた動き

 障害者権利条約の策定に深く関わった日本障害フォーラム(JDF)は、策定段階から各省庁との意見交換などを通して、この条約の締結に際して必要とされる国内法制全般にわたる改革を申し入れてきた。
 障害者権利条約の締結に関して必要とされる措置につき、具体的な検討を明らかにしたものとして、厚生労働省において2008年4月から始まった「労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会」による差別禁止を含めた条約対応への在り方に関する議論、及び障害者施策推進本部の下に置かれた障害者施策推進課長会議において、2008年12月、障害者基本法に「合理的配慮の否定」が差別に含まれることを明記するとともに、中央障害者施策推進協議会について監視等の所掌事務を追加するとの結論を出したことが挙げられる。
 また、文部科学省においても2008年8月より「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」の中で、合理的配慮やインクルーシブ教育についても議論された。

 このような状況の中で、2009年3月、日本障害フォーラムは拙速な条約の締結に反対の意を表明し、条約の実施を担保するに足る法制度の変革を求めた。一方、当時の野党であった民主党が2009年4月に提出した「障がい者制度改革推進法案」は衆議院の解散により廃案となった。
 その後、同年9月に成立した政権の下で、12 月「障がい者制度改革推進本部」が閣議決定により発足した。
 関連した重要な動きとして、2010 年1月7日の障害者自立支援法違憲訴訟原告団・弁護団と国(厚生労働省)が基本合意を交わしている。同合意には、障害者自立支援法廃止の確約と新法の制定が明記されているほか、障がい者制度改革推進本部における「障害者の参画の下に十分な議論を行う」ことが求められている。

2)障害者制度改革に関する審議の経過

 先にも述べたところであるが、2009年12月、障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする障害者に係る制度の集中的な改革を行い、関係行政機関相互間の緊密な連携を確保しつつ、障害者施策の総合的かつ効果的な推進を図るため、内閣に「障がい者制度改革推進本部」が設置された。
 さらに、同本部の下で、障害者施策の推進に関する事項について意見を求めるため、障害者、学識経験者等からなる「推進会議」が開催されることとなった。

 推進会議は2010 年1月から審議を開始し、障害者基本法の抜本改正、障害者差別禁止法制の制定、総合福祉法の創設に向け、障害者の雇用、教育、医療、司法手続、政治参加等の各分野及び「障害」の表記、予算確保に関する課題等について幅広く審議を行うとともに、関係する民間団体や所管府省からのヒアリング等、計14回にわたり精力的に審議を行ってきた。
 なお、同年4月から推進会議は、その下に「障がい者制度改革推進会議総合福祉部会」(以下「総合福祉部会」という。)を設け、障害者に係る総合的な福祉法制となる「障害者総合福祉法」(仮称)の制定に向けた検討に着手しているところであり、障害児・者の実態調査にも取り組むほか、改革が必要な他の分野についても、今後、推進会議の下に部会等を設け検討を進めていく予定である。
 このたび、推進会議におけるこれまでの議論を踏まえ、障害者制度改革の基本的な方向について取りまとめたものが本第一次意見である。

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初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成22年07月 --