第4回小学校部会における主な意見

■.「社会に開かれた教育課程」の実現に向けた小学校の教育課程の改善・充実

○ 確かに地域や社会との連携、協働が大事だということは基本的にオーケーだが、その地域の人的・物的資源は一体何なのかというところが、意外とイメージしづらい。例えばPTAや地域の自治会など、いろいろな団体があろうかと思う。そうした点も、もう少し具体的に記述できれば、イメージとしてつかみやすいのではないか。

○ 発達段階ということに関しては、発達のゆがみ、ひずみといったことについて強調しておく必要があのではないか。生活年齢、即発達の段階ではなく、生活年齢が低学年に達した場合には、こういったことができるようになる子供が多くなってきているという理解であって、特に現代は個人差が大きくなっている。低学年での学力差がそのまま尾を引くから低学年でうまく慣らしておかなければならないということは正しいが、それを低学年の時期に解決できるかというと、中学年、高学年になって、やっと伸びてくる子供たちもいる。そうした個人差、それから発達障害という発達上の非常に大きな個人差に対応できるようなカリキュラム・マネジメントが必要なのではないか。

○ 実際に学年ごとに示されている内容を、その学年で習得できるかというと、かなり難しい子供もいることから、どんな内容について、ほぼ習得できたのかという簡単なチェックリストのようなものを補助表として、要録というほど位置付けなくてもいいが、この内容についてはほぼ習得できたということで、チェックを付けるようなものがもしあれば、個人のカリキュラム・マネジメントというところまで踏み込んで学校が一人一人の学びを保障できるのではないか。

○ 現在の学習指導要領は2年間を一つの学年の区切りにしながら提示している。目標・内容ともに。生活科が登場して以来、各教科等を2年間でというのが随分多くなってきたが、改めてそうした組み立て方や、扱い方、動かし方が、真の意味で成果をどんな形で上げているのか。今回の英語に関わって、その辺りをどう扱っていくのかも、一つの検討事項になるのではないか。そうしたときに、長く慣行として低学年、中学年、高学年と、こういうことで来たが、2年間ということの持つ小学校教育における意味をもう一度確認をしつつ、この教科としての英語の導入というのも捉えていくのが必要。

■.言語能力の育成と国語教育、外国語教育の改善・充実

(言語の役割及び言語能力について)

○ 言語能力の育成に関わって国語教育、外国語教育の改善・充実という点が示されている。自分の考えや自分の意見を形成できる表現力、言葉の力を育成することは重要、自分で考えたことが自分の言葉で言えるということは、民主社会を形成する上でも基本。同時に、この自分で考えて自分の言葉で表現できる力を育成するとともに、そのことが実現できる社会、つまり、自分の考えたことを自分の言葉で言える社会、あるいは環境、黙る社会ではなくて、積極的に発言する、それが認められていくという社会や環境が形成されることが必要。

○ 外国語と国語の効果的な連携について書かれていたが、もう少し国語以外の他教科との連携にも、触れておくのがよいのではないか。コンテンツによっては、外国語と国語以外のほかの教科との連携が、うまくとれるのではないか。

○ 言語に関する資質・能力の三つの側面の「創造的思考(とそれを支える論理的思考)」という表現が気になった。これを読むと、最終的に創造的な思考を求める、論理的思考がそのための手段のように読めてしまう。指導要領全体を通して育成すべき資質・能力、汎用的な資質・能力が、ほぼ、この言語に関する資質・能力とイコールになるイメージを私は持っている。初等中等教育段階では、まずは論理的思考力、ロジックが一番大事であると考える。その先の創造的な思考力が前面に出てくると、創造的思考力とは何かを具体的に説明しなければならない。また、もし創造的な思考力ということを出すのだとすれば、批判的思考力も出てこなくてはいけない。特に外国語で相手とコミュニケーションをするときに必要になるのは、論理性と、それから批判的な思考力ではないかと思う。

(小・中・高を通じた国語教育の充実)

○ 国語教育と外国語教育の効果的な連携の意義として、母語である日本語について、文の構造に関することを小学生が学んでいるのかというと、学習指導要領を見た限りは、余り学んでいない。伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項ということで、主語と述語があることとか、修飾と修飾語の関係などとか、実際に読んでみると、表記のための約束事を学ぶことは幾つかあるが、文の構造、つまり文法について子供たち、自分たちが話している日本語についての理解がほとんどない中で、いきなり英語の文の構造に気付けということは難しいのではないか。国語教育の5年生、6年生あたりで日本語の構造について体系的に学ぶ必要がある。加えて、日本語文法というのは、まだ確立していない学問の分野であると。例えば形容動詞という品詞をありとする学者となしとする学者がいるんだというようなことが書かれている。とすると、小学生に教えるべき日本語の文の構造とか文の仕組みについて、早急に確立していただかないと困る。それを国として後押ししなきゃいけない。そうすると、正しい文法にのっとった正しい日本語の表現の仕方、それを基本とした外国語を使った豊かな表現力と、順調につながっていくのではないか。

○ 国語の立場からすると、言葉はどれが正しいのかを決めるのは難しい側面がる。言葉は動いているものなので、最大公約数でもって測るところが多分にある。例えば日本語の文構造。主語が来て、そして述語が来てという構造そのものについては、きちんと小学校の低学年の段階で教えている。また、主語と述語の並びというものも教えていく。これは基本的に、きちんと教科書の中でも、誰が何々ですと、そういう文構造を教えて、低学年の段階で、きちんと教科書の中で反映させている。英語の構造を教える、その前に日本語の構造をということで言うならば、学習内容としては、教科書などにも反映されている。日本語と英語を比較することによって、英語を学ぶことは、日本語を学ぶことだと思うし、日本語について考えることは、逆に英語について考えることにもつながっていくという意味で、言葉に関しては、比べて、その違いを見ていくことが、その言葉の性格、日本語について考えたり、英語について考えたりする機会を非常に如実に反映してくれるのではないか。

○ 発達段階ということに少しこだわると、例えば小学校の低学年で主語と述語の違いということはルールとして理解できたとしても、彼らの段階では恐らく抽象的な言語の働きとして、どういうことなのかということを理解するには、もう少し上の段階にならないと理解できない。外国語が高学年で入ってくるとしたら、高学年の国語で、またそこに戻って、日本語と外国語の違いで比較したら、こういうふうに、よりよく理解できると、メタ認知という言葉があったが、言語の仕組みを言語を使って理解するというところを更に充実させていくことによって、言語能力全体のレベルアップということが図れるのではないか。

(小学校の外国語教育における改善・充実)

○ 指導の点について、段階に応じた指導の体系、系統性というのは良い。特に高学年では、発達段階に応じた「読むこと」「書くこと」に慣れ親しみ、積極的に英語を読もうとしたり書こうとしたりする態度の育成を含めたというところが大変よい。

○ 小学校段階における基礎的なものは何かと考えると、体系的なものを分化させて小学校段階に下ろすという考え方では、英語嫌いが増える。どう評価するかに掛かっている。態度や意欲をより評価する、その比重をより高くしていかないと、間違いを指摘することによって、言語の習得は進まなくなる。大体の意味がつかめる、初めから部分を与えるのではなく、全体を捉えられる、言葉の機能を捉えながら進んで活用しようとしているなどの態度や意欲の部分が、より評価できるような形で現場に下ろされてくるように望んでいる。

○ 資料の2-1の11ページのところに、小学校高学年の英語についての記述、その最後のところに例として、「馴染みのある定型表現を使って云々」とあるが、すぐ上のところで、「中学校で学ぶ内容を小学校高学年に前倒しするのではない、小学生らしさを出すとあること」からすると、この例は、誤解を与えてしまうのではないか。日本語を母語として話している、日常的に使っている子供の目線からみた、この例示に対応する例も是非セットで示していただきたい。例えば自分の好きなもの、家族、生活について、既にこの4、5年までのところで子供たちは、かれらなりに、国語科、生活科等、いろいろな教科において日本語で表現してきている。それがもし英語で書かれたとしたらどうなるのかというのを子供に考えさせても無理なので、例えば、子供たちが意味のよく分かっていることがらの英語で見て、語順や主語の省略など、日本語と英語の違いに気付くことのレベルでよいのではないか。小学校の高学年レベルの英語教育、外国語教育は、「気付き」とか、それに伴う「なぜ」ということを思ってくれれば、もう十分だと思う。それを受けて、その「なぜ」にどう答えるかという文脈で、文の構造についての着目、表現の方法についての着目ということで、中学校、高校の英語が積み上がっていけば、問題や課題の発見から展開する主体的な学びとしてのアクティブ・ラーニングの趣旨に合致していくと思われる。

○ 11ページのところ、「前倒し」という言葉が出てくるところがあるが、確かに、この部会は小学校部会なので、小学校部会の言葉の言い回し、そこからの提言ということからこういう言い方にもなるのかもしれないが、この10年間、あるいはもう少し長く見れば15年ぐらい、小・中連携や一貫ということについて、研究開発学校の取組を含めて、蓄積は随分積み重ねられてきている。前の改訂の時期よりも、より小・中のつながりに関わっての知見を我々は持っている。そうすると、従来の英語の取組は、小学校ではまだ見ぬ世界として中学校の英語が捉えられてきた。あるいは中学校というのは、何かその先にあるものだと、そういう前提で小学校の英語の在り方を考えてきた。しかし、今は9年という視点でカリキュラムを考えるとすると、新たな見解、知見が生まれてくる可能性があるのではないか。要するに、小学校と中学校のカリキュラムのつながりは、かなり接近してきて、物事を考えなければいけないところがでてきているのではないか。小学校の段階では、低・中・高という、この2年間の刻みというのは、その下で考えていくわけだが、9年間と見たときには、もう少し、学年の捉え方とか区切り方にしても、様々な工夫も出てくる。小・中の連携や、中学校の存在を小学校部会としてどう捉えていくのか、そのあたりの視点も意識すると、この「前倒し」という言葉は、その一つの象徴になってくるのかもしれない。

○ 小学校英語の導入について、35時間を加えることは基本的に了解した上で、その導入の仕方について、短時間の活用、モジュールの活用は有力な手だてであるけれども、現状として既にその時間を様々な他の教科その他で使っているということを踏まえながら、可能性としてはいろいろなものを示すということに落ち着いてきた。ただ、一つは、5年生から教科としてしっかりやっていくということは確認したい。教科として行うということである以上は、学習指導要領上のカリキュラムの規定が、少なくとも小学校5年、6年、小学校の教科としての新たな在り方というのを明確にしていくことが必要。つまり、今までの小学校の英語活動のやり方に中学校1年生のやり方がまぶされるということではなく、新しい小学校英語、教科としての英語を作るということが肝心。その際には、本来的には専科教員を配置すべきだと思うが、現実には教職員定数の問題とともに養成、研修、間に合い兼ねる部分がある。英語の専科の教員と、あるいは中学校の専科教員が小学校に回ってくるということを含めるのと、ALTの配置と、さらに担任の教員で組合せを様々にやるということが全国的には展開されると思うが、方向性としては、より専門的な教科という方向に進めていくのだと、指導要領の実施、即そうだということではないけれども、そういう方向性ははっきりさせた方がいい。

(短時間学習等の活用など、柔軟なカリキュラム設定に関する考え方)

○ 各学校の実情、多様性がますます広がっていくので、学校の目指す方向や、地域の状況などを総合的に判断して柔軟に対応できるような仕組みと、そのために必要な情報の提供を優先する方向で、プラス35時間の運用の仕方について対応していただくのがよろしいのではないか。

○ 各学校では45分で全部やらなければいけないという理解ではない。時間を長くする、あるいは短くする、その組合せをすることはできるとは理解しているが、例えば45分と15分を組み合わせたときに、残りの30分をどこに充てるのか。これがなかなかできないところで、難しさが出てくる。また、日課表、生活時程表は、チャイムを1時間目と2時間目の間、鳴らさないなどの工夫をしている学校があるが、学校としては、その学級、あるいはその学年だけで動いていくわけでないので、ここがまた困難なところ。多くの学校が年間指導計画については45分を1単位時間で作っているというのが実態ではないかと思うが、これは他教科と時間を組み合わせていくのは非常に困難な部分があるからだと考えられる。

■.次期改訂に向けた授業時数の考え方と「カリキュラム・マネジメント」

○ 年間、高学年では35単位時間の増という要性は十分理解できた。それに対応して柔軟なカリキュラム設定ということで、是非この柔軟なというところは大切にしていきたい。例えば短時間学習だけに限定をしてしまうと、授業規律との関連から難しい実態もある。短時間学習だけでなく、60分の扱い、あるいは長期休業日の活用、それから週当たりのこま数の増と、バリエーションのあるもので設定いただきたい。

○ 土曜日の活用については25%の学校が現在行っている。学校週5日制が始まったとき、これは家庭、地域に子供を返すという趣旨であったと思うので、土曜日授業を行う際には、その趣旨を生かした取扱いが必要。

○ 今、授業時数を70時間、35時間どうするかという話で、短時間学習や、土曜授業、長期休業中の運用など、いろいろやり方はあろうかと思うが、現在この短時間学習は、ほかの活動の中でも様々取り上げられていて、それを授業時間に含めるかどうかが混在している。高学年の35時間増えた分をという議論の中では当然、授業時間で行うわけであって、例えば15分で行うときに、その15分の授業時間帯で目標があり、指導内容があり、子供たちが身に付ける内容があり、そして評価をするという流れが大切。授業時間に含めるという点は、もう少し丁寧に議論をされると良いのではないか。

○ この短時間の学習をモジュール等々含めて導入することについての、導入の仕方についての習熟についての経験は、少なくとも現場にあると思う。それをもう一度掘り起こし、あるいはそれぞれの各地域のそうした情報等をある程度整理して再度お伝えすることが必要になる。そのとき、校長先生がこのことについて御理解いただくことが重要。カリキュラムの作り方や、動かし方について御理解が深まっていくと、その先に学校の中に展開していくことができるので、そうした御理解を図っていくための環境を整える、情報の提供の仕方があるのかと思う。

■.小学校の教育課程の改善・充実を支える方策について

(学校現場等への支援の充実)

○ 今回随所にカリキュラム・マネジメントの大切さが盛り込まれており、そのことによって学校ごとに、その地域性や、その特色を生かした教育課程の編成が柔軟に進んでいくと思われる。これは教育のグローバル化、それぞれの学校のグローバル化を目指す上で、多様化が進むので、よい方向だと考える。公教育の段階では、国や地域からのサポートは公平になくてはならないが、学校の教育課程がそれぞれ多様化していくと、どうしても差が出てくる場合がある。その差が出てくるという前提の上で、どうサポートをしていくのかを考えることが必要。

○ それぞれの学校、地域での教育課程の編成については今に始まったことではなく、随分以前からそれぞれの学校、地域に応じて教育課程を編成していく積み重ねが現在に至っている。今回は、外国語の授業について今、焦点化しているわけだが、現状認識として、それぞれの学校、地域では、ノウハウを習熟していて、応じることができる、そういう経験とノウハウの蓄積は既に一定の程度、あるいは相当程度蓄積されていると捉えるのか。それとも、それぞれの地域、学校の実情によって非常に難しい状態があるという状況認識なのか。学校裁量の時代から、地域と学校の実情に応じてということを様々に重ねてきている。また短時間、モジュール学習もこれまでの間、全くそういう実践がなかったということでもなかった。これらの取組が改めて今回、問い掛けられている。仮に後者だとしたら、改めてどういうサポートをしていくべきなのか。こういうサポートが必要であるとか、あるいはこういうこととつながっていくと現場の対応とサポートする側とが相互につながっていくんじゃないかとかという議論、御意見もまた重要。

○ モジュールについては総合が入る頃から、繰り返し教育課程の編成の中で出てきているが、受け取る教育委員会によって、習熟だけの15分は教科として認めない、これは授業として成立しないなど、教育課程の届出を突っ返されたこともある。この部分をICTのスキットなりドリル学習で押さえていくという位置付けがあれば、子供たちも見通しが持てて安定するし、教師も対応がしやすい。余り制限を付けずに、モジュールの時間としてオーケーというものを文科省の方で出せると、校長の迷いは少なくなる。

○ 学校では1単位時間を45分標準としていて、これを柔軟にしていくということも理解をしていますが、例えば図工であるとか家庭科、理科などは45分を二つ続けて行うというような取組は多くの学校で行われている。ただ、例えば算数で問題解決を行うといったときに、45分プラス15分で60分、じっくり子供に考えさせようというときには、そのようなことが必要だと思うが、今度これが残りの30分を他の教科のどこに充てるのか。そこがなかなか組合わせができず、非常に難しい。柔軟なカリキュラム設定では仕組みと情報が必要で、どういうふうにやったらできるという情報が各学校に行くと、より取組が進んでいくと考える。

○ この英語活動は保護者の皆さんも興味持っていらっしゃる。一番心配するのは、経済的に、家庭教師が入ったり、塾にやったりできる家庭と、そうじゃない家庭の子供との差が出てくること。そのために、学校で、中学卒業の英検3級、50%という目標が書いてあったが、そこまで行かなくとも、それに近いところに行くような、教員も一生懸命になり支援するとともに、学校が環境的、財政的、いろいろな面で支援が得られるようにしていただきたい。特に公立小・中学校は、そういう気がしてならないので、どこかで配慮していただきたい。

○ 英語の力がどのように習得されたかということを今後、学力テストのような形で測っていくだろう。加えて、例えば英検や高校生になればTOEIC、TOEFLのような外部機関のテストを受けることもあるだろう。その際、外部の点数で測ろうとすると、お金が掛かる。今後、学力テストではなくて、世の中一般に認められるような標準テストをどう各学校が実施していくか、その予算をどうしていくのか、例えばTOEFLやTOEICが値下げしてもらえるのかなども国全体で考えていかなければならない。大学でもTOEICのスコアを英語で要求することが出てきてるが、高校生がそれ何回か受けるというのは結構な負担となる。そういう意味でも、差が出やすい。ある程度の差が出てくることは仕方がないという前提に立った上でも、極力そういうサポートや、関係団体への呼び掛け等ができていくとよいのではないか。

(教材開発等、環境整備の促進)

○ 将来的展望についてはこの方向性で良いと思う。ただ、現実の一歩を踏み出すには、私の学校の場合、枠はなく、人もいない。目指す方向性の実現のために、環境整備の点と、指導の点で充実が必要。

○ 教材の開発もさることながら、ICTの設置の話の方が先だと感じる。加えて、専科制。この二つは、「もう少し、検討されるべき」ではなく、もっと強力に書いていただきたい。これが実現できれば、他の事項はそれぞれ地教委なりがそれぞれの実態に応じて実現でき、現場は喜ぶ。ICTの環境整備。併せて専科をいかに早く取り入れるか。これで他の生徒指導のことも含め、いろいろなことも含めて、かなり進んでいく。

○ 具体的な環境整備としては、イメージとして、日本中のどこの教室にも、電子黒板までいかなくても、パソコンとスクリーンがあって、実物投影機があって、それに関わるドリル的な習熟に関わるようなフラッシュの教材があって、又は会話のスキットみたいなものがあって、それが共通項として幾つかあるものを学校や教師によって持ってきて使えるという、そこがまず整備されているということが必要。

○ 教科書等の在り方については、教科書を早めにということと、様々な音声、映像、教材を、多分インターネット等の配信も含めて行うと思うが、これもいずれは電子教科書の導入を構想しながら、多分2、3年先はちょっと厳しいのかもしれませんが、進めていくべき。

○ どういう時間帯にせよ、例えば15分授業とか、30分とか、土曜日使うとか、夏休みの集中とか、どうであれ、今までの小学校の通常のやり方ではないわけなので、それ自体として、それをきちっとした教科でやることの、いろいろな意味での実用、実際的な難しさと。それから先ほど申し上げたように、それを、しかも教科でやる。単なる英語活動ではないという難しさ。また時には、もしかすると担任がある程度やらなければならないという、いろいろな事情を考えたときには、相当に教材とか指導法などの提供を、国とは言いませんけれども、国に準ずる機関で示すということでやらなければならない。早めに英語活動、英語教育について充実させることが方向だと思うので、かなり早急にそれを取り組んでいただきたい。

(専科教員の配置促進)

○ 環境整備として、時間については、様々な可能性が示されたので、どれが、この地域、この学校にとって最善であるかという方向で考えていきたいと思う。人については、現在、学校規模に応じて専科の定数が決められているが、この英語、外国語の導入に当たって、それがプラスになれば大変ありがたい。そうでなくとも、音楽や、図工、家庭科、理科とかが一般的に専科として、規模に応じて優先順位を校長が判断して入れている中に、英語の教員、専科を入れることができると考える。人材確保と、スムーズな配慮・配置が進められる必要がある。

(教員研修の在り方の見直し)

○ 外国語の特性の一つとして、担任はじめ全教員が日常的に外国語に触れる、交流していく環境づくりのために力を発揮する必要がある。研修体制や教員の資質の向上の観点からの環境整備が必要。

○ 教員に関しては、全校にALTがいて、希望すれば専科の配置が可能なこと。また、実際7時間45分の勤務になって、6時間の授業が終わると、あと10分ぐらいしかない。その中で研修をて、会議をして、打合せをして、教材の準備をしているので、教員研修に関わる、マニュアルのような、これならできそうという具体的な事例やテキストがあると進めやすい。

(教員養成の在り方の見直し)

○ 現在、小学校の教員を目指している学生の相手をしているが、カリキュラム・マネジメント、あるいは英語教育の問題を議論していくと、今の4年間の教員養成で十分対応できるかということを心配している。教員養成に関わることは別なところで議論されていると思うが、4年間でやること自体を見直していかないといけないのではないか。この「まとめ」の最後のところ、今後のことについては、もう少し広い視野から教員の養成、採用、現職研修の教職生活全体を通しての対応ということをしっかりしていかないと、この重要なカリキュラム・マネジメント自体ができる教員の育成が遅れてしまうという点までも視野に入れた改善の方向をお願いしたい。小学校だと新採用、4月1日、担任が決まって教壇に立つが、マネジメントということを考えると、お手伝いをする期間として1、2年間は、採用されても必要であろう。この養成と採用、直後までのところのスケジュール、仕組みを抜本的に見直すようなことも、是非この会から御提案いただきたい。

○ 小学校における英語の導入は人的な条件、その整えは、欠かせない。定員の手当て等いろいろあるかと思うが、一つは教員養成と研修の在り方。学習指導要領改訂の条件整備としての教員養成の在り方とするならば、ある程度、今から始めていく必要があるのではないか。学習指導要領が走ってから、教員養成がついていくのではなく、先に教員養成があり、それと改訂、この話とが符合していくような、そういう形になっていくといいと思う。小学校部会として、それぞれの委員の方のそれらについての言及等もこの中に盛り込んでいただきたい。

(小中連携の充実)

○ 小・中連携の改善・充実という観点で、特に外国語授業の中で、中学校には当然、英語指導の専科の先生がいる。中学校の先生方が、例えば小学校に行って、小学校で外国語の授業をやることの可能性、また小学校の教員が中学校に行ってという、実態をそれぞれ見ながら、しかも授業を一緒にやっていく中から連携が図られていく、それぞれの学校の状況がお互いに理解ができるということも連携の一つの形。この点について、もう少し触れて、学校の教員自体も小・中の方をそれぞれ行くことが可能となるような記述をしてみて欲しい。

(効果的な先進事例の創出)

○ 単位時間の弾力的運用については、すでに平成元年の改訂のときに、話題になっている。年間のカリキュラム、指導計画、週の計画との関係で、どういう組合せがいいのかということで、当時の教育課程の研究指定校では、一番先生方の負担が少ないのは、15と30と45と60と90、この組合せということだった。例えば15、30とか、15が含まれるのは何時間目と何時間目のところに入れましょうと、いろいろなことを決めて、調整して、皆さん御苦労されていたが、一定の成果はあったと思う。ただ、先生方は45分に慣れているので、30分と60分は、結局30分だと、無理やり45分を詰めようとする。60分だと45分で、ちょっと時間の余り間延びする、こういうことが現実に起こったので、具体的な例として、おすすめの例とそうでない例の双方を視野に入れていろいろな研究開発学校ないしは教育課程の指定校などのものから提供して、まさに力が付くように効果的に運用できるための仕組みを提示したり開発したりしていただき、それらを共有していくという仕組みが必要になるのではないか。

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