資料1 体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループ(第8回)における主な意見(未定稿)

体育・保健体育、健康、安全WG(第8回、平成28年4月28日)における主な意見【未定稿】


1.現行学習指導要領の成果と課題及び、育成すべき資質・能力を踏まえた教科等目標と評価のあり方について

○  体育・保健体育の特質に応じ育まれる見方や考え方というところに、「共生」という言葉が入っていることについて、とても良いと思う。
それは、体育・保健体育の特質は、健康とかスポーツに価値があるということを子供たちに教えていくことによって、子供たちが幸せな人生を送り、豊かな社会ができることにあると考えているからである。

○  表現について、同じような言葉が違う形で幾つか入っている。例えば、「キョウドウ」が3種類ぐらい入っているが、どれを使うのかというのは合わせた方が良いのではないか。 教科全体として考えるという意味で、体育、保健どちらも同じような書きぶりするべきではないか。何で評価するのかという視点にも立って言葉の整理をしてほしい。

○  内容が難しく一般の先生方が読むと、すんなりと頭の中に入ってこないのではないか。1文が長くなりすぎないようにできるだけ区切った文章にした方が良いのではないか。それから、保健において、「認識」という言葉を使って示されていることについて、世の中健康志向が非常に高まってきているので、教える側としては「認識」という言葉を使用することで指導の仕方も絞られてくる感じがする。したがって使っても構わないのではないか。

○  保健に関しては、この「共生」は少し意味が違うのではないかと思ったけれども、今回、これが入ったことは大変意味があるのではないか。
多分、今までこういう表現が保健体育の教科書にはあまりなかったと思うので、極めて画期的な表現であり、大変良いのではないか。

○  保健のところについて、「批判的」という言葉が少しマイナス的なイメージがあるのでないかと感じた。

○  目標が現行の学習指導要領とあまり変わっていない。しかし、議論が反映された結果であれば良いと思うが、運動することによって健康になっていくとか、あるいは疾病のリスクが下がるということも運動の価値だと思うので、保健については「運動やスポーツの価値を理解する」ということが目標構造の中に入った方がいいのではないか。

○  また、教科の目標で生涯にわたってスポーツに親しむと言っている以上は、主体的な学習のところで「運動の楽しさや喜びを味わう」というふうに言ってしまうと、事前に運動はスポーツを含んでいるということを触れておかないと、やはり語義矛盾を起こしてくる可能性がある。かなりのところで「運動」という表現のところ、「運動やスポーツ」というふうに置き換えていかなければいけないだろうというふうに感じる。さらに、運動という言葉を抜いてしまうと保健の方との絡みが出てくるので、運動という言葉も大事なのではないだろう。
それから、評価の観点について、主体的に学習に取り組む態度という態度領域のところで、目標構造の中に運動やスポーツの価値ということが入ってくると、恐らくここももう少し膨らんでこなければいけなくなってくるのではないか。また、各教科の指導内容についても、自己肯定感や有用感を味わうといったことは教えていかないといけないのではないだろうか。
最後に、体育と保健をまたでつないでしまうと、「また」というのは前と後ろの構文が関係しないということになってしまうので、ここの接続詞を少し工夫する必要があるのではないだろうか。

○  「回復」、「共生」ともに、疾病等のリスクを減らしたり、生活の質を高めたり、こういう表現とか内容というのは、保健の新しさとか、それから幅の広さを表すものとして非常に好ましいと思われる。しかし、その一方、言葉自体、保健では内容をどう捉えるかということで、中身も議論していかなければならないのはないだろうか。例えば回復の内容は非常に広く、薬物乱用防止教育の際には、薬物乱用を行っても回復するというような情報は子供たちに与えてはならないとされている。つまり、それをやっても何とか立ち直れるというような印象を与えかねないからである。ただ、基本的には「回復」を取り上げるというのは賛成である。
それから、「共生」については、これも肯定的な捉え方をしているが、「共生」といった場合にやはり社会的な取り扱いというのがより重要になってくると思われる。高校の保健など、健康課題を社会的に取り扱うので、「共生」など非常にマッチする。あるいはヘルスプロモーションの考え方というのは、「共生」を促すようなものとして取り上げられるかなと思うので、非常にイメージしやすいが、これが小学校あたりになってくるとどういうふうに「共生」を捉えるのか。さらに議論が必要ではないだろうか。
また、今回の疾病のリスクを減らす、マイナスを小さくしようという発想、それに加えて「生活の質を高めたり」という表現がされているが、これは、非常によくできていると思う。しかし、一方で、「生活の質を高めたり」というのが欠けている部分もあり、入っている部分もあるというので、統一されていない。これらは意図的にしたならば、どういう考え方で、そうしたのかを整理する必要があると思われる。

○  「健康の大切さの認識」について「認識」という言葉をここに入れることによって、態度として見ているわけだが、それが知識のところとかぶりはしないかということであるが、むしろ価値的な部分を取り上げているので、この書き方で特に気にはならない。
ただ、主体的に学習に取り組む態度の部分においては、今度は単に「健康を大切にし」としているが、ここと整合性を持たせた方がよいのではないだろうか。

○  保健において、「情報を捉え」という表現があるが、やはり情報を捉えるのはいきなりではないので、ここは「課題を捉え」というような表現の方がいいのではないだろうか。また、「回復」、「共生」も、基本的に非常にすばらしい、新しい改善点だと思う。ただ、保持増進と「回復」と「共生」を出すとなると、どういう具体的な内容を扱うことになっていくのか、もう少し見通しを持った上で判断する必要があるではないだろうか。
それから、共生に関わって「自他」という表現については、小学生とはいえ、他の子供の健康、命などを理解し、思いやる、大切さを認識できるという観点は重要で、それが現行の学習指導要領で示された中学校からというのが本当に妥当のか、本当は小学校から「自他」は必要ではないのか。その「自他」をうまく使うことによって、「共生」まで使わなくても、そのような内容を取り上げて教育していける可能性も出てくるのではないだろうか。
また、保健と体育で統一性がない部分があるので、統一した方がよいのではないだろうか。

○  知識と技能との関連については、もう少し補足をした方が良いかと感じた。
例えば、現行の学習指導要領の中にも、「暗黙知を含めた知識への理解を基に運動の技能を身に付けたり・・・」という表記があるので、パフォーマンスを発揮するに当たっての知識も含めて知識を捉えていくというところも入れてほしい。

○  現行の学習・指導でも同様であるが、体力の向上というのが別に取り出されているところが気になっている。つまり、トータルの見方をすることがすごく大事で、そのことが結果的にスポーツライフにつながって、健康の保持につながっていくというような見方を考察するときに考えていくことが大事なのではないだろうか。
また、運動が嫌いな子が問題なわけで、いろんなところで運動をやらない子のことは言われるが、僕運動が好きであれば、苦手な子だとか、あるいは自信のない子はいいと思う。問題は、運動が嫌いになってしまうところなのではないだろうか。その解決策として、体育や保健体育の中で、子供が運動することを心地よく感じるということが大事だと思われるので、その辺は少し考慮した方がいいのではないだろうか。
さらに、保幼小連携というのは、文部科学省の大事な施策であるから、ここで考えられている小学校体育の流れが、幼児教育の中での運動や、あるいは健康の在り方に反映されても良いのではないだろうか。

○  このまとめが今後の学習指導要領の改訂や現場の先生に何が変わるかを伝えるメッセージになっていくと思われる。そこで、「共生」という言葉や「する・みる・支える・知る」という言葉が新しく入ると、新しいものというのはすごく注目されると思うけれども、一方で、なくなってしまう言葉なども丁寧に説明しておく必要があるのではないだろうか。
また、校種を超えた4・4・4という区分けや幼小の連携なども関連しながら述べられてもよいのではないだろうか。
さらに、共生社会の中で障害者も含めて、いろんな指導の充実を図る必要があり、三つの柱の全てのところで、そういう配慮をしていく必要があるのではないだろうか。
そういった全体のバランスと書きぶりも含めて統一化を図ってほしいと思う。

○  今回、育成すべき資質・能力が三つの柱に分類されているのがとても分かりやすいと思うのだが、その中で「目標に準拠した評価」に向けた評価の観点の在り方というところで、意見を申し上げたい。実際現場で今まで知識というと、保健の領域でとっていることが多かった。今後、運動領域の方でも知識を見取っていくということになったときに、基本的な知識が身に付いているかというのをどのように見取り、評価するのかといったことが、不安要素になるのではないだろうか。また、保健の領域で技能も評価することになった場合、同じく基礎的な技能を、どのように見取っていくか、どのように評価するかということも同様だと考える。

○  すべての校種共通の見方・考え方と、三つの資質・能力ごとに示された目標との関係性を整理することが大事ではないだろうか。
体を動かすことの意味や価値というのは、愛好的な態度、それを通して学んでいかれるものであると思っている。今までの学習指導要領も、そういう部分を柱として非常に大事にしているところだと思うので、その辺の関係を、不易の部分だと思うけれども、やはり変わらないというメッセージを内容に盛り込んでいく工夫ができたらよいと思っている。


2.資質・能力の育成に向けた教育内容の改善・充実について

○  学びに向かう力、人間性と主体的に学習に取り組む態度というふうに書くときと同じように扱っていると思うけれども、統一する必要があるのか、あるいは分けているのか、吟味する必要があるのではないだろうか。
それから、「オリンピック・パラリンピックに関する指導の充実を図るため」ということは、オリンピック・パラリンピックの授業内容にする指導のという意味だと思うけれども、分からない人がこのまま読むと、オリンピック選手を指導するための充実を図るとかというふうに読み取れないこともない。そういったところも気を付けなければいけないと思う。
また、スポーツライフというふうに使っている「スポーツ」という言葉と、「運動」という言葉の使い分けについては、相当議論を尽くさないといけないと思われる。
このことに関しては、本当はもっとワーキンググループの議論の前半の回で議論したかったことであるが、もう、まとめに向けて時間がないので、これ以上の発言は控えようと考えている。

○  小学校の保健の安全に関する内容を早めるということだが、例えば中学年になってくると、安全に関する発達から考えると5年生に比べてまだまだ未熟な面があると思う。そのような点から考えた場合、この安全に関する内容が単にルールを守ろうとか、気を付けようということに終わらないようにしなければならない。そういう点で、教材の充実などとも関係するのかもしれないが、小学校では身近な課題を取り上げるということで、身近な課題についてICTなどを使って具体的に取り上げ、子供たちに具体的にイメージしやすいような形で進めていかないといけないと思う。そうすることで、思考力・判断力等も育っていくのではないのかと考える。
それから保健の技能において、特に不安や悩みの対処とか、ストレス対処についての技能で、取り上げるかどうかは別として、呼吸法などが比較的技能として設定しやすいと思う。しかし一方で、ストレス対処で大事な認知的な技能、例えば、ストレスに対して不合理な考え方をしてしまう自分への対応など、二次的なスキルのストレス対処法なども取り上げる必要があるのではないだろうか。そういったところまで技能に含めるのかどうかという議論を進めていかなければいけないと考える。

○  引き続き保健について、けがの防止を早めてはという話だが、先ほどの発言にあったように危惧される部分というのはあると思う。しかし、東日本大震災の後に出た「防災教育の展開」という文部科学省から出されている冊子にもあるけれど、学年別で見ていくと、中学年でももう危険に気付いて、それを避けるということなんかも挙がっているので、特に東日本大震災以降、それまでの約束を守るというところから危険回避の教育というふうに大分シフトしてきているため、その辺のところも生かしていくと4年生でも十分指導が可能であると考える。
そうすると、今度、体の発育・発達が心の発達と一緒になるということだが、発育のための食事と休養というのがあるが、その食事の内容は割とレベルの高い内容をやっている。カリキュラム・マネジメントの考え方で整理すると、家庭科が5年から始まるので、整合性がある感じがする。よって、このようなカリキュラムの並び替えにいついては賛成である。
また、中学校については、現行では中学校3年生の内容が重いと感じているので、健康な生活と疾病の予防を帯状に変えていくということは大賛成である。これまでいろんな調査で中学生の保健に対する興味・関心が少し低いというようなことも指摘されているので、改善が図れるのではないかと期待している。
高校については、がんと精神疾患を取り上げるということについても、特に精神疾患については、健康日本21の第二次でも一つの柱としてメンタルヘルスが入ったので、自殺防止の視点からも、是非、適切な形で入れてほしいと思っている。

○  小学校の配列の再構成について、子供の発達段階と各校種とのつながりの関係も意識しながら、三つの校種を意識しての再構成を是非お願いしたいと思う。
また、中学校において、全部の学年で健康な生活と疾病の予防を帯状に子供たちに学ばせていくことで、意識が変わると思う。保健内容の定着のためにも、3学年を通してやってほしい。

○  アメリカではスポーツの学部とダンスの学部は明確に違う。そういう意味で運動を残すべきだということの中に、それは含意したつもりで、多分、その議論になってくると、柔道、あるいは武道はどうだという議論が必ずや起こってくる。
これは、今、国レベルで議論している体育・スポーツの概念整理の問題と直接に絡んでくるわけでもあると思うが、そこに踏み込んで議論するつもりはない。ただ、運動やスポーツの中にはすべてのものが含まれるという合意を作っておく必要が、だからこそあると思う。
また、本当は、オリンピック・パラリンピック教育と書きたいところだろうと思うが、教育と書いてしまうと、特出しし、そういう教育をやらなければいけないのかとられるので、あえてこういう記述にしているのはよく分かる。
さらに、オリンピック・パラリンピックに関する指導の充実を図るとするならば、オリンピック・パラリンピックで運動をやっているわけではないので、スポーツという言葉を取り入れていく必要があると考えている。
それと、保健と体育の書きぶりについてはある程度合わせていく必要があると思う。
共生を引き取った教育内容の見直しが、共生が方法のレベルなのか、あるいは内容のレベルなのかということを考えておかなければいけないだろう。
それから、握力とか投能力の低下の著しいというのは、投動作をたくさん授業で取り組んだらよいのか、あるいは身体をねじる、絞る動作を含む運動をたくさんやったらよいのかということなのか、あるいは全身運動そのものが不足しているから、こういうのが特に落ちるのかということによって書きぶりがかなり変わってくるだろうと思われる。
体つくり運動については、名称を改めて、内容の改善を図ることで、学習したことが実生活や実社会で生きて、運動の習慣化につながるのかといった観点で考えてほしい。
全体的に、書きぶりを統一していく必要があるのではないだろうか。

○  運動する子とそうでない子の二極化については、全校種に言えることなので、中学校だけを特化する必要はないだろうと思う。
それから、特に握力、投能力の低下が著しいことからというふうな書きぶりをしてしまうと、かなり危険性がある。一番怖いのは、最近、小学校の授業なんかを見に行くと投げることしかしない授業が淡々と続くことがある。
今回、文部科学省が子供体力向上の課題別のプロジェクトを作っているけれど、ここでは確かに投能力あるが、それはモデル事業としてやられているわけで、別に投能力だけを伸ばすための授業を作れといっているわけではない。危険性がすごくあると思うので、「握力及び投能力の向上を中心に、それぞれの領域において取り上げる運動」というふうにすると少し緩やかにすると良いのではないだろうか。つまり、これは別に体つくり運動だとかゲームボール運動だけではなく、いろいろな領域にまたがっている、身体能力全体のことを捉えるという考えた方が良いように思う。
「実生活や実社会で生かし、運動の習慣化につなげる」というのは、もちろん体つくり運動だけではなく、全ての領域の中で、進めていくことである。だからこそ、体つくり運動の領域の名称を含め内容の改善を図るというところは、確かに12年間の体つくり運動の中身を系統的に考えていくことは難しい面がある。体つくり運動の中身を充実させるというところでいいと思う。

○  現代的な諸課題を踏まえた教育内容の見直しにおいて、高校現場では、体育と保健の一層の関連を図った指導の在り方がすごく大事だと思う。しかし、なかなかイメージが湧きにくい。どういったことをどんなふうに関連付けていったら一番良いのかということを、イメージのフレーズを入れると、改善の方向に教員自身も臨めると感じた。

○  保健の話題に戻ると、カリキュラムの並び替えは賛成である。
ただ、平成10年の学習指導要領の改訂のときに、体の発育・発達に関して、5年生から4年生に位置付ける、学年を下すというときに、かなり議論している。子供たちの羞恥心などが全体として上がってこないうちに、早いうちに教育した方がいいという考えで、そのようにした経緯である。その後、平成20年の改訂のときでも、それを継承してきた。今、心と体一体化を重視することでという理屈だけだと、弱い。そこで、エビデンス、データに基づいた議論が大事だと思うので、ある調査結果を紹介する。全国調査の中で、小学校5年生に初経、精通に関しての知識調査をしているが、なかなか正答率が上がってこない。正答できるのが、男子で約18%、女子でも30%ということである。こうしたデータから見ると、体の成熟について、4年生の段階での教育というのはやはり難しいと思われる。そうした反省に立って、今度、高学年に上げるということが考えられても、それなりに説明は付くと思う。特に思考・判断を重視して、主体的に・協働的に学ぶといったときに、こうした体の成熟に関しての学習は高学年で勉強するということが次は考えられても良いのではないだろうか。
また、精神疾患自体は、これまで保健ではなかなか扱ってきていないところがあるわけだが、ここ10年ぐらい精神疾患に関する国際共同研究などの成果、知見がかなり示されてきていて、10代での発症が急増しているとか、成人の精神疾患のおよそ50%が14歳までに発症しているとか。いずれにしても、そうした学齢期において精神疾患についての基礎・基本について勉強することが、先進国においては特に重要だというような指摘が出てきているので、そんな知見を基に今回、学校の保健の教育で、学習内容として位置付けているのは妥当だと思う。

○  現行の学習指導要領のときにはなかった内容で、社会変化の中で新しく生じてきた内容と、もう一つ現行の学習指導要領で課題として残っている内容があるように思う。
そうすると、「現行の学習指導要領の成果と課題」の部分で課題として述べられているところが、ここで見直しが図られていく必要がある。一方で、教育内容の見直しに書かれているところが課題として指摘されていないとつじつまが合っていかない気がする。
そういった点では、先ほど中学校において運動する子供とそうでない子供というのは課題のところで述べられているので、それは挙げていかなければいけない気がする。一方で、個人的にはもっと低学年の子供と運動との出会いや、いろんな運動感覚が身に付くような時期の運動はもっと大切にしていくことは、引き続きやっていかなければいけない。これらのことが、現行の指導の成果と課題のところに述べられ、それを踏まえて、こちらの方にも反映していくことが必要ではないかと思う。
先ほどの体つくり運動の領域の名称を含めのところについても、今、体つくり運動で何が課題なのかというところが指摘されて初めて、直していこうというきっかけになるのではないだろうか。


3.学習・指導の改善充実や教材の充実及び必要な条件整備等について

○  疾病を持っている子供の中には、それを考慮されずに事故が起きてしまっているケースや、逆に病気があるからさせないというようなこともある。それは生活管理指導票にきちんと示されているので、その障害の有無の問題だけでなく、こういう疾病のことについては運動の場面の学習においてこそ、必要ではないかというふうに思う。
また、教員養成において、これまでもいろいろ要望を出してなかなか実現しなかった学校保健、学校安全について、全ての教職員が、教員になる人たちが学べるよう、学校でそれを必修にし、子供たちに対して、そういうことを分かった上で保健体育の指導ができるのではないかと思うので、保健体育の教員のみならず、全ての教員に学んでほしいと思う。

○  体育の方ではICTの活用というのは随分挙げられているが、保健では取り上げられていない印象ある。体育で技能を高めていくような使い方を、保健の技能を高める場面でもできるのではないかと考える。また、グループワークも随分増えると思うけれども、グループワークで出た意見をまとめたものを各グループ例示していくようなこともICTなどを使うと、かなり効率的に学習を深めていけるのではないだろうか。よって、保健でもICTの活用を取り上げていってはどうだろうか。

○  「従来から取り組まれてきた一斉指導に加え」という表現は削除してほしい。また、できるだけいろんな表現を使わないで統一してほしい。
それから、教材の在り方で保健のところに関して、「教科書も含めた教材の工夫」という表現で、良いと思う。ICT機器について、もう少し表現を整理するとさらによくなると思う。
必要な条件整備について、「研修の充実」ということは是非書いてほしい。保健体育教師の保健に関する研修というのが、企画し、募集しても、なかなか参加されないような実態があるようなので、そのことの改善も含め、「研修の充実」という文言を是非入れてほしい。
また、指導方法等を履修することができるように改善することについて、保健内容、方法論等に位置付けるなど、履修することができるような改善、もう一つ、教育実習でなかなか保健の授業の実習ができない状況にある。条件的なところもあるが、教育実習で保健を経験しないで保健体育教師になって、良い授業というのは難しい。経験することの意義というのがデータ的にも出ているので、是非教育実習での指導を充実することが必要という文言が入るような文章の工夫望まれる。
最後に、「他教科」等いう表現には、「等」を入れていかないといけない。

○  指導方法の不断の見直しということで、深い学び、対話的な学び、主体的な学びということで出ている。対話的な学び、主体的な学びというのはとても分かりやすいが、この深い学びの過程については、どのくらいの学びの質の高まりを「深い」とするのか、どこをもって、何を持って「深い学び」と捉えるのか、現場としては分かりづらい部分があると感じた。

○  個に応じた学習の充実のところで、やはり支援が必要な子供たちにはきちんと指導もしたいし、できるようにさせたいという気持ちがある。しかし、きめ細やかな指導をするためには先生方の研修も必要あり、もし可能であれば支援者も十分に確保するということが大事だと思う。小中、中高とか、幼小とかの連携というのをよく聞かれるが、特別支援学校のように特化した学校との交流や研修も深められたら、より現場の先生たちは自分のこととして捉え、自分が関わったときに何かできるではないかと感じた。

○  教員養成について、根本的に学習指導要領そのものの趣旨や内容についてしっかり伝えていくとか、指導していくことがまず前提にあるので、学習指導要領自体をしっかりと教員養成の中で扱っていくということを付記すれば良いと思う。

○  これから先、子供たち、いや、もっと人間が、どのように進化していくか、あるいは変化していきそうなのかということを頭の中に入れておく必要がある。したがってそのようなことを一緒にざっくばらんにいろいろ話し合ってみることが大事になってくると思う。生活環境がどんどん変わってきているから、これから先、随分変わっていくと思う。私たちが生きている今の感覚で子供の将来を考えていくというのは、それだけでは十分ではない時代になっていくと感じるのでそのような感覚も大事にしないといけないのではないだろうか。
併せて、オリンピック・パラリンピックについては、取組の様子を見ていると日本全国温度差がかなりあるという気がする。他県の教育長が集まって情報交換をしたときも、東京では、各学校に1校当り50万~30万円の予算をつけ、取組をはじめていると説明したら驚いていた。したがって、各都道府県がどのようにオリンピック・パラリンピック教育を進めようとしているのか、その辺のところをしっかり見極めた上で、どこにでも通用するような書き方が必要ではないだろうか。
それから、小学校においては体育を専門に研修している先生ばかりではなく、そうではない先生が圧倒的に多い。そういった状況の中で、指導内容や方法を理解して、こちらが期待するような授業ができるかというと、それは非常に難しいところがある。小学校の体育は、これから先新しい授業の構成の仕方や指導方法などについて広く研修する機会を設ける必要があると感じた。

○  健康に関する「知識・技能」について、健康の前に、心と体やそれらの健康に関する「知識・技能」というふうにしてほしいと思う。健康といいましても、その前に心とか体がどういうふうになっているかということをまず知らないと、それが健康であるかどうかということになかなかたどりつかない。だからこそもう少し子供たちが心や体について知る機会が本当は必要だと思うが、他の教科等で教え切れていないという非常に大きな問題があるので、是非保健の方で、時間が限られていて難しいとは思うが、考えほしい。

○  学習・指導の改善充実や教材の充実について、「交流及び共同学習の更なる充実が求められる」という記載のところで、この交流と共同学習というのはどのレベルでの交流で、どのレベルの共同学習かがよく分からない。「運動やスポーツを通しての交流及び共同学習を行う」ぐらいの方が、限定的にイメージが湧くのではないか思う。
また、「『主体的な学びの過程』については、運動の楽しさ」の部分について、「運動」ではなく「運動やスポーツ」の楽しさというように修正してほしい。これは、全般的にそのように修正してほしい。
さらに、運動やスポーツの価値を理解することによって主体的な学びの意味を深めていくという表現に少し階層を変えていく必要があるのではないか。そうでないと、対話的なところと主体的なところと深めるということとの違いがよく見えなくなってくるので、少なくとも深めるというところと対話的なところと、それからもう一つのところの違いは少し意識的に文言で整理していった方がいいのではないかというふうに思う。
それから、教員養成について、教員法との関係もあるけれども、例えば障害者スポーツの指導法なんていう文言は要らないのかというふうに少し思ってしまう。

○  主体的な学びの過程について、「三つの視点はそれぞれが独立するものではなく、むしろ」云々と書いてあるが、これは、非常に抽象的で、それぞれの内容の違いは分かるけれども、その内容の違いをさらに理解するためには、実践の中では、それらがどういうふうに関連していくのかということのモデルとかイメージが付かないと、目標の構造というところにも行かないと思う。その辺のところを一連のものとして具体的にもう少し関係性を示した方が分かりやすいと思う。一つだけ示すと、これしかないというふうに思われてしまうので、幾つかモデルを示すぐらいのことは必要だと思う。それでもって、ある主体的な学びの過程の中で、楽しさや意味に気付いて、価値の方に行くと、その価値をまた知識として学ぶことによって、また楽しさというものがより広がって深まっていくという、そういうイメージが、具体的な体育の学習の過程の中でできるのではないだろうか。
やはり指導者がイメージできないと、教わる子供たちがどういうプロセスでそれを学んでいるのかということも理解できない。また、それは当然、評価の問題にも関わってくるはずである。

○  ここに書いてあるのを見ると、やること満載で、全部学校でやるのかと、現場としてはそういう感じがする。同じことを繰り返して、結局、お金がないからできなかったり、人がいないからできなかったりと、同じことの繰り返しになっていると思う。よって、今回、開かれている教育課程という話が出ているので、どこに入れるか分からないが、「地域とか社会的な資源を活用して子供の学習の充実を図りましょう」という視点を入れてほしいと思う。
具体的に言えば、部活の外部人材であったり、地域のスポーツクラブと連携したりとか、または行政がやっているスポーツのイベントなんかの時期に合わせて、教育課程にそういう領域を入れるとか、そういうような視点を入れてほしいと思う。


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