資料1 第7回体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループにおける主な意見

□体育・保健体育等の育成すべき資質・能力の整理について(見方・考え方)

○体育の案に示されている「豊かな関わり方」という表現について、専門の先生方においては、具体的に何を指しているのか説明できると思うが、多くの人が読んで共通理解できるような表現の工夫が必要なのではないだろうか。

○保健の案に示されている「ために考察する」という表現について、体育の「について」という表現に合わせて、「高めたりすることについて考察する」という表現にしてはどうだろうか。

○保健の案に示されている「対処法」という表現は、その言葉自体がかなり確立されたきちっとしたものであるようなので、「対処方法」あるいは「対処の仕方を見付ける」という表現にしてはどうだろうか。

○ほかの教科を見ると、見方・考え方が複数あるものや、校種別であるものもあるようなので、場合によっては、体育・保健体育でもそういった捉え方ができるのではないかと思う。

○イメージ図を見ると、それぞれの資質・能力ごとに見方や考え方があって、それぞれで成長していくように見える。うまくイメージが伝わっていないように思われる。

○見方・考え方に、何を書かなければいけないのかということを、最初に合意形成のための議論をした方がよいのではないだろうか。しかし、全員で議論することは難しいと思われるので、ワーキングを作って議論してもよかったと思われる。

○教科目標がいつも示されてきたように、見方・考え方のイメージの中に、保健と体育をつないだ保健体育という一つの教科の見方・考え方のイメージを提案されていく必要があるのではないだろうか。このつなぐ教科イメージを体育、保健の案の上に提示することを提案したい。

○この機会に保健体育という教科としての特質ということでそれをつなぐ一文がもう一つ示せたら、とても素晴らしいと思うが、十分議論する時間がない今のタイミングで示すのは難しいのではないだろうか。

○目立てばよいというものではないが、オリンピック・パラリンピックというタイミングでの改革、あるいは、社会の変化が著しい中での改善で、もっと大胆な、すてきな改善があってもよいと思われる。

○小学校、中学校、高等学校での教育が、まさに21世紀社会において市民度を上げるという意味で、大学と同じような資質、大学である意味で求められている資質・能力を、積み重ねていくんだというように聞こえ、これはある意味では、非常に大変なことであると感じる。現場の先生方の学び直し、すなわちリカレント教育を大々的に行わないと大変なことになるという印象を受ける。

○育成すべき資質・能力、三つの柱、アクティブ・ラーニング、学びのプロセス、さらには、見方・考え方、などたくさんの言葉が出てきている。新しいものを現場に普及させるときには、なるべく言葉は少ない方がいいと思っている。分かりやすく伝えていくにはどうするかという視点を大切にしてほしい。

○何かもっと大きな改善がないかと、そういう気持ちがある一方で、変えるには根拠が必要である。

○言葉の問題については、新しい言葉というのは私たちにとっても非常に関心があるので、またもう一回勉強しようという気持ちになるけれども、やはり言葉の問題については、今までとどこがどのように違っているのか具体的に示してほしいと思う。また、小学校は体育の専門家ばかりではないので、そういった先生が受け止めたときに、すんなりと入っていいけるような感じにしてもらえると有難い。

○確かに変える根拠も大事であるが、例えば教科の見方・考え方に対しては、むしろ方向性をしっかり示すことができ、人々がそれに対して納得、合意が得られるものであればよいと思う。

○今、示されている見方・考え方の案をアレンジすれば、うまく妥当するところのラインまで行くのではないかとも思っている。例えば、体育という教科から社会に向けて何が発信できるのかという視点を少し加えていく、あるいは多様性をどうやっていくのか、共生社会に体育という教科はどう取り組むのかということも少し足せば、かなり違ったメッセージ性やイメージを持ってくると思う。

○一番懸念するのは、指導要領は変わったけれども、実践が全然変わらないということは避けなければいけない。

○見方・考え方の支えとなっているのは、価値である。その教科について、社会との関係を考えるときに、こういう考え方が次の社会にとって望ましいといったことが、関連してくると思われる。

○教科の成立、教科それ自体というのは、決して本質でも何でもないと思っている。教科というのは、あくまでも社会と教育の関係の中で出てきた近代以降の一つのサブジェクトとして成立していったものなので、これは当然、21世紀、これからの社会に向けて教科が変更される、変わる可能性も大いにありえるのではないだろうか。よって、そういう意味で言うと、教科の成立、教科がそこに存在するということと社会との関係というのは、常に見ていかなければならない。

○原点に戻って、どんな授業を教員にやってもらいたいかと考えたときに、今までの体育の授業は、一斉に集団で動くような指導に感じられた。今回の改定では、一人一人の子供たちがそれぞれの自分の課題を持ちながら、体育の授業でも、保健の授業でも取り組めるような授業を作ってほしいとすごく思う。もちろん、これはやってきてはいるけれども、もっともっと教員が一人一人の子供たちの指導に対して、もう少し深く取り組めるような、そんな授業を作ってほしいと思う。

○一つの参考意見として、この会議全体でずっと議論してきたのは、教科の中だけに閉じ込めてはいけない。学校を開き、教科を開き、地域へ社会へということの関連性を考えたときに、「運動やスポーツを通して社会や地域との豊かな関わり方について考察する」という書きぶりも一つあると思う。

○保健の案に「健康」と示されているが、「心身の健康」あるいは「心と体の健康」という、より明確化した方が、これからの時代は非常に重要なのではないかと思うので、これは要望ということで、お願いしたいと思う。


□資質・能力の育成のために重視すべき体育・保健体育の評価の在り方について

○資質・能力の「三つの柱」に基づき、体育の内容を構造化していくということであるが、第1回からずっと自分自身、「知識」と「技能」が同じカテゴリーの中で括られていることに対して整理できずにいる。保健体育の「体育分野」、「科目体育」は、これまで自らの身体を直接的に教材として学びを作ってきた教科で、座学を基本とする、他の教科で言う「技能」の捉え方とは意味が若干違うところにあるのではないかと思っている。

○今回示された資料はだいぶ整理できていると思うが、実際の授業の実践と最後の評価までを一貫性のあるものにさらに整理をして、実際に授業をするものが迷ったりしないように明示していく必要があるのかと考える。

○技能の中では、勘とかコツとか、そういった「暗黙知」としての知識を含んでいるというのが非常に大きいと思う。できる、できないがはっきりしている教科であり、さらに、身体の発達に伴って、これまで出来なかったことがある時急にできるようになったり、いろいろなやり方や行い方の理論は教わってもうまくいかなかったりする場合もある。

○体育も含め、音楽や家庭、技術等々の技能の習得も重要な内容としている教科において、共通するようなところで技能に関しての評価の在り方も含めて成り立っていくのではないかと思っている。

○体育は現行の学習指導要領において、4・4・4といった学年の分類を示している。それをもっとアピールして、次の改訂に向けてよりよくしていってはどうであろうか。

○保健の評価における知識について、事実的知識と構造化された概念的知識、これを分けて考えるというのは、保健にとってはある意味プラスになると思う。概念的な知識をどのように評価していくのかというのは、難しいけれども、保健として取り組んでいかなければいけないことなのではないかと考える。

○保健の技能というのは、知識を学んだ上で技能を身に付けていくというのが結構欠かせないのではないかと思う。技能をせまい意味での技能として捉えるのではなく、その技能を習得させるためにどんな知識が必要なのか、どんな学習の在り方が必要なのか、こういうことも含めて考えないといけないと思う。

○技能という評価が、実際これができているかどうかというのを確かめられるものと、保健だとそれが難しいようなものがあるかと思うので、評価の仕方を工夫しないといけないと思う。

○思考・判断・表現についての評価は、課題を見付けて解決していくプロセスに関わって思考・判断・表現が述べられているけれども、健康の課題解決を取り組んでいくようなテーマは、そんなに設けられるはずがないと思う。こういう健康の課題解決に至るプロセスの中での思考・判断・表現と、そうではない箇所での思考・判断・表現があるのではないかと思う。

○体育の技能と、他の座学を中心とした教科の技能との違いを認めて、書きぶりを変えていくか、あるいはもう1回、ここのところをどうするのかということを、ここの中で合意しておいた方がよいと思う。

○体育授業の現場では「分かっていて、できる子」、「分かっていてもできない子」、「分かっていなくても、なんとなくできちゃった子」、「分からなくて、まったくできない子」という四つのパターンが混在している。そこで授業がすごく良いもので、結果的に「分かってできるようになった」時の子供たちの喜び、それが生涯スポーツにつながっていると実感して育てているつもりである。よって、今回、技能と知識が一緒になるということで、評価に関しては「分かる」ということをぜひ評価できるような整理の仕方にしていただきたいと思う。そのことが子供たちの意欲にもつながって、分かっていることがスポーツへの関心を呼んだり、日常生活に結びついて実践していくように、「する・みる・ささえる」の、「みる・ささえる」の大事な部分につながっていくと思う。「分かる・できる」が一緒にならなくても、そういうところが残るような形での評価ができることが望まれる。

○特に高等学校であると、できた生徒はすべて良いという形で指導していくと、できない子が漏れてしまう。漏れてしまうことは、生涯スポーツに関して非常にマイナスであると思うので、より丁寧に学習させ、きめ細かい評価をしていく方が望ましいと感じている。

○4観点から3観点になるということでは、とてもすっきりしてよいと思う。

○「分かって、できる」ということが一番よいことであり、それが思考力・判断力・表現力にもつながると思う。「分かるからできる」だから、それを友達に「こういうところがコツなんだよ」、「こういうところがポイントなんだよ」ということで説明できる。しかし、言葉では説明できないけれど、なんとなくできちゃったよという子供もいるわけで、その点で「わかる」といった「知識」の面をどのように評価規準として記述していくのかということを悩ましく考えている。

○今までも、「知識」というところでは、中学校でも筆記テストで見取っているというところもあったと思う。小学校の場合は、とてもそういった筆記をするような時間も取れないので、「知識」をどこでどのように先生たちが見取っていくのかが課題であると考える。

○具体的な内容については課題があるが、3観点になることで、育成すべき資質・能力の3つ柱と結びつき、指導と評価の一体化なんだということが現場の先生にも伝わるというメッセージ性があり、分かりやすくていいのではないかなと思う。ただし、知識と技能がセットになった時の評価方法の難しさというのはすごくあると思う。そこはやはり研究等が必要であると思っている。

○現行の4観点では、小学校の中学年の4観点目、これを評価するのは保健の知識の内容になる。中学年の保健の授業時間は105時間のうちの4時間であり、全体での4%の実現状況が、総括的な評価をするときには、25%の重みになる。たった4時間の成果が総括の時には25%になることは、構造的な問題であると思っている。しかし3観点にすると、それが解消されるように思われるので、この3つの資質・能力の柱の裏返しの評価にすることが望ましいと思う。
○言葉にすることができるかということを基準に知識を考えると、体育の場合は非常に狭くなると思われる。なんだかわかっているような感じだとか、なんだか知らないけれどもできちゃった、と。しかし「できたコツを述べなさい」と言うと、答えられないことが往々にしてあると思う。表現力のところに言葉や動作などで他者に伝える力と、言葉でうまくできないけれども、こうなんだよみたいに伝えることも含めて、知識だと考えてもらえるとうれしいと思う。知識と言った途端に、それは「言葉で分かること」としてしまうのではないかと非常に危機感を持っています。

○現行の関心・意欲・態度が入った時に、どうやって見取ればよいか、現場は非常に戸惑った。回数だとか、忘れ物をしていないとか、どうしても数値化しようとする姿が見られた。最近やっと、子供たちの態度とか授業観察によって、関心・意欲・態度を見取ることができるようになってきていると思っている。

○現行の4観点の評価において、当初は技能の方に重み付けをして、関心・意欲・態度は比率が低かったけれども、最近やっと、25%ずつというのが定着してきたように思う。しかし、今度は三つの観点になることで、どういうふうに先生たちが捉えるのか、また、保健での技能をどのようにとらえるのか心配である。これについては具体的に基礎的な技能が示されていると分かりやすいと思う。

○保健においても、観点別に評価するという認識をすべての教員が持つことが非常に大事だと思うので、資料があるとよいと思う。

○「毎回の授業ですべてを見取るのではなく」と示されているが、この観点別評価が入ってきたときに、当初、どうしても全観点を1単位時間で見ようという動きがあったが、最近ではそれを重点化していいんだということが、やっと浸透してきたところでもある。一方で、小学校のように4~5時間で一単元が構成されているにもかかわらず、重点化するあまり、それでも1単位時間で1観点しか評価していない事例も出てきてしまっている。これらのことからも、現場に示すときには、主旨がずれないよう表現に気を付けた方がよいと思う。

○今後、技能について考えていくと、知識を伴った技能と、思考・判断を伴った技能というのも出てくると思われる。そうなると、その辺の評価の事例などは詳しく、分かりやすく示した方が現場は分かりやすいと思う。

○特に評価規準をこれから示していくにあたって、知識や技能のところについては、やはり「保健」と「体育」では書きぶりはかなり変わってくるかなと思う。

○評価について、非常にかっちりと捉えてしまうと、学習内容がそれによって狭められてしまうようなところもあると思う。

○体育の歴史を振り返ってみると、技能を重視し過ぎてきた部分がある。それは、学校の運動部活動を通して全国大会やいろいろな競技会が一方であって、それに引っ張られていくことで、体育の先生がそこに力点を置いてどうしても物を見てしまう傾向があったからである。すべてを見るのではなく、どうしても一部の見方で子供たちの運動を評価してしまうということがあった。

○「主体的」という言葉には、プラス面の部分もあれば、マイナス面の部分実はある。教育は常にプラスの部分で主体性を捉える、もちろん、体育の主体性というのは、かつてはそうだったかもしれないけれど、脅されて強迫観念で主体化するのではない。体育が好きになる、運動が好きになる、自分からそれを行っていく中で、自分たちでそれをコントロールしていく、その成果がルールに表現されていることになる。つまり、同じルールに従う、従属しようとすること、まさにそこに主体性が存在する。そのように捉えれば、主体的な学びというものを、これまでのルールに従うとか、公正な態度だとかというところと絡めて表現するのは、何ら問題ないと考える。

○指導と評価は一体であるので、評価の内容として、授業がイメージできるように書かれているといった点が現場では生きるのではないかと考える。

○全教科を見渡した時、かなり違うんだというような方向で議論するのではなく、全教科、共有・共通性といった視点の中で特色を見出してもよいのではないだろうか。

○最終的には、測定可能なものでないと、実は評価できないということの前提をこのあたりで確認してはどうだろうか。また、4観点が3観点になるというのは、資質・能力の最初の指導内容のカテゴリーが決まった時点で対応してやらないことには、それと評価の観点がずれてしまうというのは基本的にはありえないことも概ね合意ができつつあるように思う。

○評価というのは、評価したことによって本人が変わるというか成長していくという姿が見られなければ、適切な評価だといえないと思う。評価の観点も分かりやすくなっていることが一番大事なところだと思う。また、今の時代は、きちんと説明ができなければいけないから、具体的に本人に説明したり、あるいは保護者に説明できるぐらいの気持ちで、しっかりと評価していくことが大事だと思う。


□その他 体育・保健体育における資質・能力を育むために重視すべき内容等について、2020年オリンピック・パラリンピック競技大会を契機として、育成すべき資質・能力を含めて

○「オリパラ教育」こそ、「カリキュラムマネジメント」の視点から、保健体育の分野だけでなく、道徳、総合的な学習の時間、社会科など、いろいろなところで取り組んでいく。関連性を持ってより学習を深めていくところではないかと考える。

○保健でパラリンピックを扱う可能性として、障害のある方々が活発に活動されているような写真とか教材がよく見受けられるが、これらを基に健康の回復や、あるいは持っている機能をよりよく発揮していくようなことに触れることができると思う。

○スポーツが嫌いな子、できない子も含めてに関して「どうしてスポーツって大事なのか、大切なのか、素晴らしいことなのか」ということを指導することが必要だと感じている。特に東京オリンピック2020を契機に、もう一度原点に戻って、ぜひ、「スポーツの価値」について、重視すべき内容に触れてほしいと思う。

○人間はやっぱり運動するようにできているというメッセージはどこかに端的に示してほしい。人間は運動しなければいけないというメッセージをどこかに入れてもらえればと思う。

○体育や保健は、自分の体を大事にし、そして肯定的に捉えるということが一番大事な要素だと思う。

○オリパラは見る人が大半で、子供たちもそれに影響されると思う。スポーツを批評したり、観賞したりするという領域として捉えていく。そういうきっかけとして何か打ち出せないかと思う。

○日本の中高生は、全米的に必修ではないアメリカの中高生よりも運動していない。この実態を踏まえ、健康につながるスポーツ、運動の促進、実践の促進に結び付く内容の充実を考えていってもいいと思う。

○子供たちが主体的に体を動かすんだという気持ちになることが大切であり、それが健康寿命を延ばすことにつながっていくと思う。

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