資料1 第5回体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループにおける主な意見(未定稿)

□体育・保健体育等の育成すべき資質・能力の整理について

1.体育の視点から

○ 運動発達そのものの系統性は、小学校の4年生、5年生あたりぐらいから大きく変わってくる。それまでの神経系の発達がうまくいって、あと筋力系の発達が出来上がってくる頃に、運動が加速度的にうまくなってくる年齢があると言われている。

○ 現行の指導要領上で言うと、発達の段階に配慮した指導内容、系統性、それから、他方で指導と評価の一体化ということが言われてきた、保健と体育の一体化と。この件に関しては、また後で保健のところと絡むと思うが、そういう点からすると、小・中・高というところを、例えば発達の段階というところからすると、どういうキャッチフレーズでつないでいくことができるのかということをうまく表現できればよいのではないか。

○ 系統と指導と評価の一体化との絡みでいうと、同じ内容だけれども、期待している達成度が違うということが考えられる。より複雑な状況で、初めてできるようになる。例えば、いろいろな人たちと関わると言うが、上の学校段階に行けば行くほど、能力差が大きくなってくるので、その人たちと一緒に関わるというのは、上の学校段階の方が、むしろやりやすいという状況が起こってくるとすると、一見同じ内容に見えるが、期待する達成度が違うので、それは後ろの方に書きましたといった、そういう整理の仕方というのもあるのではないか。

○ 発達の段階のところで言えば、今子供さんたち、いわゆる不器用な子供さんたち、動いてきていないということと、過体重というか、肥満の問題が出てくる。それから、人とうまく関われない。こういうベースを小学校のところで、むしろ重点的にやる方が、後につながるのではないか。そういう意味では、今4・4・4で区切られているキャッチフレーズ、そのまま大体行けるものなのか、どこかで修正が必要なのかということの確認がもう一度できればいいのではないか。

○ 「学びに向かう力、人間性等」というところで、私自身が気に掛かるのは、基本法との関係で言うと、文化としてのスポーツということがずっと言われてきている。この文化としてのスポーツの価値をちゃんと尊重するだとか、それをより豊かなものにしていくような態度を身に付けるだとか、何らかの形で書けた方がいいのではないか。

○ 高校の「学びに向かう力、人間性等」のところの多様性という言葉も、実はここに書かれているのは参加する人たちの多様性だと思うが、スポーツそのものが多様であるということも当然考える必要がある。いろいろな形態、いろいろな目的というのが当然存在すると思うので、そのような多様性をちゃんと承認しながら、自分たちにとってより豊かなスポーツ文化を創造していけるところに貢献できるような能力というものがうまく書き込めないか。

○ 教養としてというところで言うと、2020年のオリンピック・パラリンピック教育といったところとも、世界の中でスポーツをどのように評価して、子供たち自身もそれをどのようにというところは盛り込まれていくべきかなと感じる。

○ 小学校と中学校と高校との違いというと、指導者が中学校からは専門的な保健体育の先生、小学校は担任の先生ということで、体育が苦手な、余り得意ではない先生が、結局授業を教えられたりしていると、子供も遊びからだんだん体育に移っていき、4年生ぐらいから本格的に実施することになるけれども、伸び悩んでいるということがある。

○ 中学生に得意な教科、苦手な教科と聞くと、苦手な教科に体育を言う子が結構いる。そういう体育苦手な子は、「では、どうして? どこが?」と聞くと、「体力がないから」とか、「うまくできないから」ということを子供たちが言う。そうしたことから、人との比較ではなくて、自分の中で、例えば健康のために縄跳びをやったり、走ったり、そういうことをして、自分が体力を高めるように、自分の中でできることをやればいいんじゃないという話をしたりする。やはりこれは小学校から始まっている。他人との比較の中で、自分ができないとか、弱いとか、そういうところを配慮するような、健康とか安全とつながりがすごくあると思うが、そこを具体的に配慮できるような、小学校の先生が二極化している中で、苦手な子供への配慮をできるような文言が具体的に入っているとよいのではないか。

○ 高等学校の科目体育の中に競技会の仕方や審判の方法などの知識、これは当たり前に必要だとは思うが、多くはスポーツに特化している言葉だと思う。例えば、体操やダンスの領域というのは、競い合ってというよりは、祭りとか、発表会とか、そういうことができるか、高校から大学、あるいは生涯へ向かって、地域を巻き込んで盆踊りをするとか、自分たちの発表の機会を有料老人ホームに行ってやってみようとか、そういうふうに考えると、これは発表会と入れたらいいか分からないが、そういう言葉も入れていく必要があるのではないか。

○ 「思考力・判断力・表現力等」と、「学びに向かう力、人間性等」の2つの柱のところの記述の仕方では、保健体育でしかできないとか、でこそできるという、何か説得力のあるような具体的な書き方をする工夫が必要ではないか。例えば、1枚目の進んで学習活動に取り組むとか、約束を守る公正に行動する、友達と協力して活動する云々、これは、我々は運動領域の授業でどういうことがあるからこれだというのは了解するが、これは他の教科でも、特活でもという話になってきかねないのではないか。

○ 中学・高校の方も、単に健康・安全を確保するというと、これは学校教育全体でやっていますという話になりかねない。思考・判断の方でも、合意を形成するための適切な関わり方を見つける力、思考・判断したことを、根拠を示しながら相手に伝える力。これらについて、私たち関係者は、体育の授業を想像して理解できるが、その他の教科の方々にも保健体育でしか、でこそできるいうことが伝わるような書きぶりを工夫する必要があるのではないか。例えば、健康・安全を確保するという項目では、「身体活動に伴う」とか、「スポーツ活動に伴う」とか、そんな表現を加えることになろうかと思う。

○ 一般の先生方は、新しいものが出ると一生懸命読むことから、是非理解しやすいもの、簡潔な中にも分かりやすいものを用意する必要がある。自分の専門とする教科のところはよく見るが、総則についてもよく見るので、その辺のところの書き方を様々工夫する必要があるのではないか。

○ 小・中・高、それぞれ指導の仕方、もちろん内容も違うが、小・中・高がどんな指導の仕方で緩やかに進んでいくのかといったあたりも示す必要があるのではないか。それによって小学校の先生方も随分指導の仕方が変わってくるだろうし、中・高も変わってくるものと考える。

○ 東京オリンピック・パラリンピック教育の取組の中で学び方をいろいろ分けた。その中の一つに支えるという分け方をした。高校生ぐらいになると、中学生もそうかもしれないが、いろいろな地域のスポーツ大会があることから、そういった中で自分たちが今度はする側はもちろん参加するのだけれども、支えるというか、そういう立場で、自分も動く必要があるということが分かるような何か書き方があるのではないか。

○ 「学びに向かう力、人間性等」が新しく出たときに、これは従来の態度がそのまま入るという意味なのか、少し捉え方が違うということなのかが、メッセージとして分かるようになっていた方がいいのではないか。

○ 態度のところは、恐らく、学力の要素の構造にもつながっていると思うが、特に今回は主体的に学習に取り組む態度、まさに主体性が重視されており、例えば、運動好きにしようという現場の先生の望みや、豊かなスポーツライフを実現することに向けての態度を大切にしていこうというメッセージがもっと入ってくるといいのではないか。

○ 限られた時間の中でたくさん入れると大変だということとともに、実際、一人の先生が体育も、保健も行っている状況もあるので、例えば「思考力・判断力・表現力等」の対象はそれぞれ独立していると思うが、そこで身に付ける力は、ある意味共通するところもあるのではないか。表現する力というのは、書きぶりによっては、同じ言葉にできるのではないか。そうすると、対象は違うけれども、身に付ける力としては少し整理して示すこともできるのではないか。

○ 体育なのか、スポーツなのかといったところで、義務教育の小学校・中学校は体育といったところ、トレーニングではなくラーニングさせていくということがとても大事であると考える。学び方を学ばせていくといったところで、子供たちに体育が果たす役割というのは、大きい。特に、小学校の「学びに向かう力、人間性等」のところに書いてあることは、その中心になると考える。それが中学校にどのように広がっていくのかと考えたときに、人間関係づくりといった視点は、とても大切である。

○ 小学校の学級で体育の授業がうまくいっている学級は、とても人間関係がいいというのが、幾つか見ていく中で実証されていると感じる。人間関係づくりといったところでは、教え合いだとか、認め合いだとか、励まし合いだとか、そういったところが大事であると思っている。特に教え合いのところでは、分かるとできるという、できないんだけれども、ある程度いろいろなことが分かっている子が友達に教えてあげて、自分はできないけれども、その友達ができるようになったときに、今まで体育は苦手だなと思っていた子が、体育が好きになるといった現場を何回も見てきたので、教え合いといったところが、この学習指導要領の要素の中に一つ入ってくるとよいのではないか。

○ 4・4・4のまとまりを継続していく考えであるとするならば、小学校の5・6年生と中学校1・2年生のまとまりということを、この学習指導要領上でもう少し強く、つまり小学校と中学校のつながりがどうなのかということを分かるような書きぶりをすべき。

○ 「学びに向かう力、人間性等」が、今までの態度がそのまま位置付くならば、これでいいが、そこに今までと違うんだよというものを加えるとすれば、スポーツの価値ということをここに今回は入れて、そしてそれを系統的に育てていくということが分かるような書きぶりが必要ではないか。つまり体育、スポーツには価値があるということを体育の授業を通して国民全体に伝えるということをメッセージとしてここに載せるということはすごく大切なのではないか。

○ 「思考力・判断力・表現力等」とか、「学びに向かう力、人間性等」というところでいくと、結局は体育で言えば、スポーツを通してとか、運動を楽しむ過程でとか、健康について考えたことをとか、活動やプロセスを通して約束を守り公正に判断するとか、他者に伝える力という話にならざるを得ないと思う。なかなか体育・保健体育独自のということは難しいけれども、むしろこれは小学校の立場であるが、例えば約束を守るとか、友達と協力するといった特別活動とか、道徳で培った力を体育を通して深化、深めていくという捉えで授業をしていくと、汎用的な力、つまり総則部会でも話されているようないろいろな教育活動を通して国民として養っていく資質・能力が高まっていって、そこに体育も貢献していると理解できるのではないか。

○ スポーツについての知識と、あるいはスポーツをどのようにプレーするかについての知識というのは、全く階層が違う知識だけれども、これが同じ「個別の知識や技能」の知識の中に書き込まれていくと、実は小学校の低学年、中学年で行くと、知識と技能というのはほぼイコール。ところが、中学校から高校へ行くと、知識と技能が全くイコールではない部分が出てくる。運動や身体活動が、人間にとってどのような意義があるかということから、スポーツの価値、意義までの階層性が、実はある。階層性というのは発達段階に応じて違うので、小学校から高校に至るまでの間で、恐らく知識イコール技能ではないところの知識については、どのように表現して扱っていくのかということの工夫が必要。

○ 中学校・高校の「個別の知識や技能」のところには、体力の要素や高め方の知識という、「体力」という言葉が入っているが、小学校の個別の知識や技能といったところに、「体力」という言葉がない。それこそスポーツの価値、体力向上の価値、そういうものにつながってくると思います。そもそも何で体力が必要なのか、運動しなければいけないのかということを、体力の言葉が小学校から入っているのもいいのではないか。

○ 運動を通してとか、スポーツを通してという書きぶりというか考え方は、できるだけ避けるべきだろうと思う。それは、やはり方法の話であって、ここは目指す育成すべき資質・能力自体を書くわけなので、少し違うのではないかなと思う。

○ 小学校の運動領域の思考のところでは、「思考し判断したことを言葉や動作等で他者に伝える力」ということにおいては、「チームプレーなどにおいて」とか、あるいは「自己の運動課題について思考し判断したこと」とか、体育の学習場面がイメージできて、ここでこそ、この能力を体育でしかできないものということが伝わるようなところを狙っていくべきではないか。

2.保健の視点から

○ 情意・態度に関わる部分で、「学びに向かう力、人間性等」のところの主体的に学習に取り組む態度というのがあると思うが、体育の方は「進んで」とか「自主的に」という言葉が入っているが、これが保健にはない。要するに、主体性が希薄であるという感じがした。例えば中学校のところでは「自他の健康の保持増進に主体的に取り組む」、あるいは「自他の健康の保持増進の学習に主体的に取り組む」ということがあった方がいいのではないか。

○ 高校で健康・安全な社会を優先するというところでは、これは健康で安全な社会を優先するということではなくて、社会生活の中で健康・安全を優先するということではないか。要するに、健康・安全な社会を優先するのは当たり前のことで、そうではなくて社会生活の中で健康・安全を優先するということなのではないか。

○ 保健は今まで思考・判断だけだったので、表現力を新たにどう書き表すかというところが課題だと思う。案を見ると校種別が分かりにくい。表現力を校種別で見たときに、目的が違うのか、対象が違うのか、伝え方が違うのかというところが、どれか、あるいは全部かもしれないが、それがどうもはっきりしない。中学校は、「対象に応じて」と、対象が違うと書いていて、高校は「健康な社会づくりを目指して」と、目標・目的で書いている。これは統一して書いていった方がいいのではないか。

○ 技能について、ストレス対処のところで少し気になることは、これまで保健で扱ってきたストレス対処の話というのは、自分に合った方法を選ぶという内容だった。これが、今度は技能にするということは、何かできるようにするということになる。そのときに、例えば、信頼できる人に相談できるというのは、技能として成り立つような気がするが、何か具体的なストレス・マネジメントをするということになると、それも学校の教科の中でやるということが御墨付きになるということ。要するに、ストレス対処というのは、結構いろいろ流派があったりするところで、もしその辺が入ってくるとなると、少し慎重に扱っていく必要があるのではないか。

○ 東京オリンピック・パラリンピックがあるということもあるが、病気や障害の部分もできればプラスして知る必要があるのではないか。これからインクルーシブ体育が進んでいくと思うし、また、実技の方もそうですが、障害を知っていれば、これはできて、これはできないということが、先生以外に子供たちが知っていることで、これはできるから一緒にやろうとか、これはできないねという形で子供たちが判断できていくと思うので、基礎知識としては、こういうものをなるべく早く知識として伝える必要があるのではないか。

○ 「個別の知識や技能」のところに、「基礎的な」という文言があるが、何に対する基礎ですか、何が応用ですかみたいな話になる。そうすると、「思考力・判断力・表現力等」では、「そこに関わるような基礎的な知識や技能というのは何ですか」と言われたときにどう回答するのかという問題が出てくるような気がする。それは、逆に言うと、「個別の知識や技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力、人間性等」に書かれている最後の動詞をどういうふうに書き分けられるかというところに、また来るような気がする。それは、別に保健ということだけではなくて、体育のところにも当然戻ってくるような話だと思うが、多分動詞でそういう書き分け方ができるのかどうかということは、どこかで多分検討する必要があるのではないか。

○ 「基本的な知識」という表現は、運動領域の小学校ではしているが、保健の方では「基礎的な技能」。基礎と基本をどうするかというあたりも共通して考えていかなければいけない。知識が「基礎的な知識」で、技能が「基本的な技能」という感じもするが、保健体育だけでは決まらないのかもしれない。

○ 高校のところには「意志決定・行動選択」という言葉が出ていて、今、保健体育では意志決定は「志」になっている。薬物をやっても、やらなくてもいいのではなくて、やらないという意志決定をしてもらわないといけないということがあって、「思う」ではなくて「志」ということでこれまで表記していると思っている。家庭科の意思決定は、現行でも「思う」になっている。今回、特に「学びに向かう力、人間性等」という柱においては、むしろ「志」の意志決定になると思われる中で、「思考力・判断力・表現力等」の意思決定は「思う」ではないかという意見もあるようである。保健体育として、そこのところを他の教科との共通性で考えていかなければいけないのではないか。

○ 健康情報に関して、このときの表現も、「健康情報の収集」とか、集めるというフレーズのときには、「適切な」というのを必ず入れておいた方がいいような気がする。その他のところも、「適切な」という言葉を意識して配置することが必要ではないか。

○ 技能について、小・中・高で、どう切り分けていくかということがあろうと思うが、2本柱としては、不安や悩み、ストレスのマネジメントスキルと応急手当というのは妥当と考える。

○ 学習として身に付ける技能というものは、全て基本、基礎の技能だと思うので、小学校だけではなくて、中・高も「基礎」、「基本」、どちらかの言葉を入れるようなものにしていくことが狙いどころではないか。

○ グローバル社会ということを念頭に置くと、高校での社会生活では、国際社会という視点でもう少し加えることがあるのではないか。例えば、環境問題としての大気汚染等や、感染症などの問題について、国際社会の視点からの思考力を身に付けていくことが求められているのではないか。

○ インクルーシブの視点では、障害による差別解消法が4月からスタートすることも踏まえて、どうしていくのかということについても、今の課題ということだと考える。

○ 保健のこの書きぶりでは、現行でも中学校で「科学的な」というところが入っていますが、小学校では「基礎的な」、高校では「総合的な」という言葉の中に「科学的な」というところで、現場の教員が最初、現行のときに「科学的」とはどういう意味だろうということで非常に迷った。ここのところを、科学的なことが内容に生かされているような書きぶりとか、それを解説するところで、もう少し分かりやすく現場の教員に出す必要があるのではないか。

○ 現代的健康課題というところで、本当に今はいろいろがあります。例えば「がん」だとか、「アレルギー」とかが入ってきている。アレルギーについては、保健学習ではほとんど少なかったと思うので、学習内容にアレルギーのことも触れることが必要ではないか。自他ということで、他人のことも知っておくことが大事と考える。

○ 「個別の知識や技能」について、今の中学校の生活改善や高校の環境確保等になると、非常に幅広い内容で、当然技能だけでは解決できないので、その中でどういうものを技能として想定しているのかというのが見えるような形にならないといけないのではないか。例えば、生活改善で、自分の生活を改善して、そのとおりいくようモニタリングしていくようなことも一つの技能かなと思う。それが、恐らく絶対ではありませんので、これを書くならば、もっと具体的なものを挙げなければならないのではないか。

○ 「思考力・判断力・表現力等」に関して、健康情報について、集めた健康情報をどのように思考していくというか、操作していくかというところの小・中・高の表現が、発達段階も踏まえたものになっていないのではないか。例えば、小学校ですと、「健康課題の解決方法を予想し考える力」。「予想し考える力」と、この並び自体ももう少し検討しないといけないのではないかと思うが、予想するというのは結構高度なもの。それが、中学校になってきますと、「健康情報を収集、選択し、まとめる力」とか、次に「健康情報や知識を活用して」ということで、これが曖昧になっている。さらに、高校になると、「分析する」という表現だけになっている。そうしますと、それぞれの校種の段階で何をやるのかというのを、もう少し見えるような形で、発達段階を踏まえて、もう少し具体的に書いた方がよいのではないか。例えば、先ほどの予測などを見ると、年齢段階が低いと、短期的な影響を予測する。中・高になると、それを中長期的な結果を予想すると、これはもっと後の段階かもしれないが、発達段階を踏まえたような表現ができるのではないか。

○ 「思考力・判断力・表現力等」について、健康に関する自己の考えを表現するということであるが、この意図が少々分かりづらい。何のために表現しているのか。要は、それぞれの持っている健康について表現することによって、多様性を認識したり、改めて自分の健康について自覚したりということがあるのかもしれない。中学校の方だと、自他ということで、健康問題について、あるいはその解決方法について考えが違うというときに、協議するようなこと、あるいは討論するようなことが含まれているのかもしれない。この意図が少々分かりづらいのではないか。

○ 「学びに向かう力、人間性等」については、レジリエンスを踏まえて、「健康の保持増進や回復」と、「回復」というところにそれを込めたということであるが、レジリエンスというと、メンタル面の内容が色濃かったり、はたまた、回復するときに周りのサポート、ソーシャルサポートが大事になってきたりということあり、回復という表現だけでそれを表そうとすると、単に健康状態が元に戻ればいいんだろうという誤解があるかなと危惧する。この表現を考えたらどうか。

○ 健康問題を解決する場合に、個人の責任か、それとも社会の責任かということが非常に議論されて、ともすると自己責任を押し付けられるようなことが多い。そういう点で、自分の責任を果たすということ、社会的なサポートや資源を活用するということが、特に中学校や高等学校になってくると大事になってくるのかなと思うが、そういう視点は学びに向かう力なのか、思考力・判断力なのか分からないが、そういう視点があってもいいのではないか。

○ 小学校の「学びに向かう力、人間性等」というところであるが、現在でも発育、発達の学習では、一人一人の成長には違いがあってよいということを学習している。中学からは自他ということで、他者理解ということもある。小学校の段階でも、共生、協働、他者理解ということも含めて、自他ということも盛り込んでもいいのではないか。

○ 保健では一つ一つの黒ポツが高まりとして系統的に書かれているので、運動領域の方も同様にできないだろうかと思う。運動領域に戻って見比べてみたときに、中学校は小学校よりもより詳細に、細やかに書かれている。例えば公正という部分で、小学校では「約束を守り、公正に行動する」というところを横並びにして中学に持っていったときには、「ルールやマナーを大切にする」とか、「フェアなプレー」とか、より具体的なことが盛り込まれているので、書きぶりも保健と運動領域と近付けてもいいのではないか。

○ 保健の「思考力・判断力・表現力等」と「学びに向かう力、人間性等」という部分については、保健について、今まで学習指導要領に知識の部分はありましたけれども、書かれていなかったものを、多分今までの授業をイメージしながら明文化していったと理解していて、それはすごくよいと思っている。ただ、内容が書かれていることがすごく多い、悩ましいところで、短く書いたら「分からない」と言われて、たくさん書いたら、「書き過ぎだ」と言われるので、バランスの問題なんですけれども、この表レベルで言えば、もう少し精査して書いてもいいのではないか。

○ 「学びに向かう力、人間性等」というところに視点として、自尊感情、レジリエンス、健康ということを挙げているが、それはすごくよいと思う。自尊感情が総体的に各国と比べて低いというのは、補足資料とかにも書いてあるし、レジリエンスということで言えば、数はそんなに増えてはいないが、いじめであったり、虐待であったり、性暴力であったりという表に出てこないものが深刻化しているという中で、こういう力は是非必要と考える。もちろん、健康についても、高齢化社会という流れの中で、やはり小学校のときから必要という意味で、今回ここに位置付けるのはすごくよい視点と考える。

□体育・保健体育等の資質・能力を育成するための学習過程について

○ どのように学ぶかということを重要視し、アクティブ・ラーニングを取り入れたスタイルを考えたときに、以前のスタイルとは差異があった方がいいのではないか。

○ 体育・保健体育については、一つの例として取り上げられているが、小学校から高等学校まで、この形で授業実践が可能かどうか疑問である。

○ 保健の「学びのプロセスの例」のところで、「健康課題の発見」が最初に出てくる。課題を発見するときには、最初から、「さあ、何か発見してください」は出てこない。何かそこで教えられること、つまり問題提起があったり、あるいは自分の生活と対比させたりしながら、そこで疑問を持ち、課題をつかむという段階が出てくるのではないかと考える。現行でも、「教えて考えさせる」というところを重視しているので、「プロセスの例」に示された高等学校においても、最初は何か問題提起の中でつかませる段階が一つ入ってきてもいいのではないか。

○ 健康課題の発見というより、まず健康である、元気であるということの価値観が大切だと思う。子どもでは、自分は満たされているということに、より近いのではないか。WHOが規定している、WHO憲章が言っているところの健康は、ただ肉体的に強いということではなく、心身ともに、そして社会的にも満たされて安寧な状態である、スピリチュアルにも満たされているといった、詳しい定義がある。自分も、それから他者も、そういう状態であることを尊重する、そういう個人と社会の健康が非常に重要だという認識あるいは1両辺観みたいなものを小さいときに持ってもらうことだ。だから、健康を害さない、持っている健康状態を維持するということが大事だという、そういう価値観に立って、障害や疾患があるということに対する理解を深めていくことが大切だと考える。

○ 課題を解決しながら人生を歩むのはよいとしても、今、かつてとは違った、人生が100年にも届く時代を迎えている。そういう中で、医学がどんなに進歩、発展しても、衰えていく健康を認識しつつ、共有して、各自がそのステージなりの健康を維持しながら社会に貢献するということが大事だ。子どもには遠い話だが、こういうことも教えて、認識してもらわないと、結局、不老長寿のような認識を是とすることになりかねない。だからこそ、健康情報や医療情報の対処の仕方が大事で、自分の年齢、ステージで健康観をどのように持つのかということだ。そこはまさしく技能なのではないか。

○ 子供が自ら健康でないとか、何かぐあいが悪いところがあるということを認識する仕方とか、子どもなりの訴え方などを認識しないと、なかなか教育の現場では、書かれたことをどのように教えるかということは難しい。健康情報の分析や予想といったことは、現在、大人でも全くできていないわけで、いかに教えるか、かなりの工夫が必要なのではないか。

○ 自分が健康であるかどうかというのを認識する。それは、知識、技能といったところにも、もしかしたら入ってくることなのではないか。

○ 体育の「学びのプロセス例」では、技能についてのプロセスと見ていました。今まで、学校現場で、技能は当然大事ですけれども、当然思考、判断、態度、知識ということで、四つの柱で学習を進めており、その中にプロセスがあるのではないかと思っているが、このように資料で見ると、技能だけのプロセスが示されていて、知識や態度はどこにあるのかと見て取れるところもある。過程のイメージの中では三つの柱であると思われるが、少し加えて書くと、学校現場は考える視点ということで非常に参考になるのではないか。

○ 思考力・判断力・表現力のところで、例えば、「自己やチームの能力に応じて課題を見つける」といったときにも、発達段階に応じて、子供たちだけではなかなか見つけられないという場面があるので、このプロセスの中に、例えば、教師の関わりなども入ってくると、ポイントを提示するとか、課題解決の場の工夫を子供たちにいろいろ紹介するということとか、そういった教師の関わり方なども入っていると、より具体的で現場でも分かりやすいのではないか。

○ 運動学習領域については、過去に構造化は断念している。飽くまでも認識領域は明確に構造化してきたが、運動については、たしか明確化していなかったのではないか。例えば、中・高の先生方は、この表を見ると少し違和感があるのではないか。小学校の先生方は、いわゆる運動の初発段階から学んでいくときには、こういう分節化というのは、方法論としてはよく理解できるのではないか。ただ、運動学習の方法論を見たときに、技能の学習のプロセスと戦術の学習のプロセスが混在化されて書き込まれている。つまり、チームで扱う戦術の学習のプロセスと、個人が技能を学んでいくプロセスとは違う。ところが、ここでは自己やチームの能力において課題を見つけるという矢で結んでしまっている。これは間違いではないけれども、少し乱暴なくくり方になっているのではないか。

○ 実際には運動学習というのは、今の運動学習の学問的な成果を見てくると、分節化して運動を理解していかない。つまり、全体として運動を理解していくというのが一般的な知見だと考えている。それから見ると、まずは模倣するということです。まねるということをまずやってみる。まねて、まねる間にも思考したり、あるいは判断したり、もちろん表現でまねるわけですから、その中にはいろいろな認識作用が行われている。それから、まねた後、何をやるかといったら、トライ・アンド・エラー。つまり、トライアルを何回も繰り返していく。エラーを失敗していく。その中で、フィードバック情報を自分で、あるいは他者からもらったり、ここで教師が介在したりしてくる。ここで教師が、例えば主導権を発揮しながら、自分の運動の修正が行われていって、より精緻になっていく。最終的にはオートメーション、つまり、運動の自動化現象が起こってくる。無意識のうちに運動ができるようになっていく。これが、いわゆる技能の上達のプロセス、あるいは学習の過程ではないか。その観点から言うと、スパイラル型で発展していく。ステージで分節化して発展していくわけではないので、少しそこのところは意識して、このイメージ図を出さないことには、間違いではないけれども、小学校の低学年の段階で言えば、こういう丁寧な見取りが必要だけれども、恐らく、小学校の低学年の子供でも模倣して、トライ・アンド・エラーをやって、自動化現象が起こっていく、つまり、スパイラル型で運動学習している。そう考えたときに、このイメージ図の扱いを少し検討しておく必要があるのではないか。

○ 現行の学習指導要領で技能の定義をはっきり示している。それと、中学校のところだったと思うけれども、戦術の定義もはっきり示しているので、それと矛盾しないような形で、いわば技能の学習課程、もちろん技能に含まれるところの思考や判断、こういうものとの関連もうまく図示していく必要があるのではないか。もう少しスパイラル型の図を示していくというのも一つの方法なのではないか。

○ 体育の方では、学習過程のイメージに関して、体育理論も非常に重要なもの。したがって、その学習過程の例の検討をする必要もあるのではないか。

○ 保健の方になりますが、最初から健康課題を発見するというのは、何かの学習がなければ発見は難しい。なかなか表現としては難しいところがあるが、例えば、「気付く」という表現でいくと、そういった懸念は少し払拭できるのではないか。

○ 健康課題に関わって、解決できない課題が、むしろこういう時代においては増えてきているので、課題解決できないことを前提としたものもあるということを含んだ考え方を取り入れる必要があるのではないか。そういうことから、「学びのプロセス例」の「課題の解決」、「生活の改善」という表現は、「課題の解決や生活の改善に向けて取り組む」という表現でもいいのではないか。

○ 「思考力・判断力・表現力」のところの健康情報についてですが、適切な「健康情報を収集、分析する」という表現と、「選択する」と二つに分かれているんですが、分析したら、もう選択できているのではないか。したがって、収集するだけではよくないのでということで、「収集、分析する」という一つの枠に入っているのだと思うが、これはいずれにしても、二つの枠をセットでと考えるのであれば、一つ目の枠では「収集する」のみとし、下の二つ目の枠では「選択」の前に「分析、選択する」と合わせた方がよいのではないか。

○ 「健康課題の解決を予想する」というよりは、「方法」を加えて「解決方法を予想する」という表記ではいかがか。

○ 「新たな知識・技能」ではなくて、これは「習得した知識・技能」ではないか。また、その下の「生活改善に生かす」というのを、あえて「生活」と入れないで広く「改善に生かす」という表現もいいのではないか。

○ 「整理し、まとめ、解釈する」という、これは少し分かりにくい。「まとめ」を除いて「整理し、解釈」も分かりにくい。「整理し、発信する」では狭過ぎるか。

○ 「新たな健康課題を創造する」は「他の健康課題に適応する」、あるいは「応用する」などではどうか。

○ このようなイメージ図が示されるということは、現場にとっては非常にプラス。授業の組み立てをする上で、非常に参考になる。一方で、余り細かく書き過ぎても、それがスタンダードではないかと思われて、ほかの多様な授業が行われなくなる危険性もあるので、その辺をどこまで書き込むかというところを精査されるといい。例えば、保健の資料だと、最初に知識、技能を習得して、その後、思考、判断をしていくという形をもし出すとした場合、今までの三つの観点というのは、階層性、上下というのはないとのことですので、授業が画一的に行われるような状況にならないような記載の仕方をする必要があるのではないか。

○ このモデルが何のモデルなのかを、より具体的にメッセージとして伝わるようにしたらいいのではないかと思う。この表で言うと、右側に「主体的・協働的な学び」という枠がある。今、特にアクティブ・ラーニングを視点にしたということが強調されていて、それはどの教科もやっているので、これが体育で言うアクティブ・ラーニングの視点を意識した学びのモデルという形になるのがいいのではないか。

○ 体育で言うと、「思考力・判断力・表現力」の上側は、アクティブ・ラーニングの三つの視点の深い学びにつながっていて、真ん中が対話的な学び、下側が主体的な学びという形の構成になっていると思う。それが、よりメッセージとして伝わるようにしていく方がいいのではないか。

○ 「学びに向かう力」のところが、先ほどの資質・能力と同じ言葉が入っていて、資質・能力と学習過程の学びのイメージが混同してしまうのではないか。ここでは学習過程の道筋が、どのように学ぶのかというモデルとして、特にアクティブ・ラーニングの視点で示されているということなので、下のところが隠れてしまうのが、本当に学習過程のイメージとして捉えられるのだろうか。

○ 「思考力・判断力・表現力」と「学びに向かう力」だけがものすごく多くて、技能や知識というのはどこに行ってしまったのだろうという誤解を与えないように、シンプルにする必要があるという、非常に大変だと思うのですが、先ほどから割に1枚目の学びのプロセスは、運動的な部分で知識はどうだったというのが次々出てくるのかも分からないですが、そんなことを感じた。

○ 例えばダンスだと、風が吹いてきて、ばーっとなるというのは、小さい子でも、大きな人でも、すごく基本的な部分。丸ごと学習したところから、それを易しいというか、本質的な学びの基になっていると言うかは、いろいろ考え方があるかも分からないが、スパイラルに変わっていくものだと思うので、もう易しいものができたからという高次な部分だけが残るのではない。そういう意味でも、体ほぐしのようなものから、ダンスのようなものから、スポーツのようなものから、本当に多彩なものがここに入って1つの例示をするというのは、物すごく大変かもしれませんが、1回図式が出てしまうと、あっ、これかと多くの人は捉えてしまいがちになるので、そこは十分考慮しないといけないのではないか。

○ 「学びに向かう力」の「勝敗などを素直に受け止める」というのはとても大事かもしれない、できない自分とか、できる自分を受け入れるとか、それも肯定的な部分かもしれない、それをひっくるめて多様性に気付くということかも分からない。気付くことがなぜ大事かというと、気付かなければ、次の行動が変容しない。学習の最もベースになることで、多様性に気付くという言葉はとても好きだなと思っているが、ここの一例で「勝敗などを素直に受け止める」でいいのかどうかということを検討しなければならないのではないか。

○ 保健の「学びのプロセス例」について、必ずしも一方向の流れではないとか、あるいはプロセスの一部を扱うこともある、要はスキップすることもある。これは、特に保健の授業は大事なのではないか。そういう点で、こういうプロセスが1つだけ出てくるというのは、これがスタンダードなものだと捉えられかねないか。多様なステップの構成があるということで、ほかの例なども示して、それに応じて、「思考力・判断力・表現力」の書き方も変えていかなくてはいけないが、複数示すということが、どうしても保健の授業では大事になってくるのではないか。

○ 高校をイメージしたということであるが、特に「思考力・判断力・表現力」などのところに、自他の生活がクローズアップされていて、どちらかというと中学校のイメージが強いのではないか。やはり高校の特徴は社会生活ではないのかと思うので、社会生活に関わるような表現や内容を中に入れた方がいいのではないか。

○ 「学習の広がりや深まり、主体的・協働的な学び」というものがどういうふうに展開するのかということが見えた方がいいのだとすると、例えば上に書いてある「学びのプロセス例」というのと、下の「思考力・判断力・表現力」の関係が見えるような書き方はないのかなと思う。例えば、体育のところで、「目標に向けた運動課題とその解決方法を知る」と書いているところに、「主体的に課題解決方法に取り組む」だとか、「協働的に取り組む」だとか、そういうことが入っているだけでも、この下のところとの関係がもっと分かりやすくなるのではないか。

○ 下に書いてあるものと、資質・能力のところの違いは何かということになる。ここでは、授業で成果を出すための手続だけが書かれてくるのか、それともこういう資質・能力を身に付けるためには、上のやり方があるという形で示すのかで、大分イメージが違うのではないか。

○ この表の縦横の関係を「主体的・協働的な学び」というものが見えるような形に表現しようとすると、資質・能力とここの表の関係をもう一度整理できるのではないか。

○ この図を見て、指導者がこれを使っていくことになると思うが、どこに指導する楽しさというか、醍醐味というか、そこを失わないようにしてほしい。今、ここに細かく書いていただいたこれは、大変参考になって、イメージがおおよそ分かるが、指導していてどこが面白いか、もっと子供たちを楽しませる部分というのがないのではないか。

○ こういった図は各学校の研究会、あるいは各地区のブロックの研究会、そこでいろいろ作る。それで提案する。ここでは、基本的なところの本当に骨組みのところは示して、あとは学校や研究会で、それぞれの考えで外れないような形で作ってもらえれば、大変有り難いのではないか。余り細かくすると、学校が研究する部分がなくなってしまうのではな

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