教育課程部会 国語ワーキンググループ(第6回) 議事要旨

1.日時

平成28年4月20日(水曜日) 14時00分~16時00分

2.場所

文部科学省 東館3F2特別会議室

3.議題

  1. 国語養育の改善充実について
  2. その他

4.議事要旨

1.アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき国語科の指導等の改善充実の在り方について

見方や考え方について

 国語科の学習で、読んだり書いたり話し合ったりする対象は、環境の内容だったり福祉の内容だったり様々であり、それをこれまでの学習指導要領では「ものの見方・考え方」としていた。今回の改訂においては、対象に対する認識の更新や深まりというものが、国語科の学びの中で明確に位置付けられる必要があると考える。それに伴って、対象の認識を支えている言葉の働きにメタ的に気付いたり、協働的な学びを支える他者的な認識や、主体的な学びを支える対自分的な認識へ学びが広がっていったりするのではないか。そして、そうした言葉の働きは、他教科においては意識されないが、他教科においても言葉が教科内容を支えているという観点で、重要になってくると考える。

 国語科で読んだりする自然科学的なものや社会科学的なものは、それ自体は他教科の目指すところであり、国語科で目指すところは、やはり「言葉の働き」を捉えることである。それは、言葉によってつなぐ側面と、言葉によって言葉に立ち止まる側面であると考える。つまり、言葉と対象との関係をどうつなぐかという側面と、そのつないだ関係性(自分と対象、自分と社会など)を言葉を通して問い直す(さらには問い直す中から創造的なものが生まれてくる)側面が、国語科ならではの見方・考え方だと考える。

 例えば、読書を通じてものの見方・考え方を広げるといった場合、そこで広げるものの見方・考え方は、社会科的だったり理科的だったりする。国語科では、そのものの見方・考え方を身に付けていくために、言葉をどのように操作していくかという問題になると思う。それは、端的に言うと、語彙の問題になるのではないか。「つまり」「例えば」「しかし」など、思考を深めたり活性化させたりしていくための語彙というものがあり、これは教科を越えて使えるべき能力であるので、このような語彙を一つの系統性の中で確かめてみる必要があるのではないか。

 対象に対する認識の深まりを考えた時に、その対象を何にするかで授業過程は大きく変わってくると思う。単に内容的な部分での見方・考え方を深めるよりも、そこを通して言葉の持つ力に対する見方・考え方を成長させる学びがあるといいと思う。

 形式をいくらそれらしく見せても、アクティブ・ラーニングになっていないというメッセージをもっと強く出すべきだと思う。短絡的に言うと、黙って授業を聞いているよりは、話合いや作文など活動をしている方がアクティブであるとなるが、それらは子供自身に主体的な活動を促す上で非常に意味があるが、それだけでなく、少なくとも子供にとって自分自身の学びが説明可能になっていないと意味がないと考える。アクティブ・ラーニングが充実していけば、子供は、自分自身の学びがどこまで達成されていて、何が問われていて、どういう意味があるのか説明でき、自分を評価する言葉が豊かになっていくはずである。そこにアクティブの根幹があるというメッセージを国語として強く示していく必要があると思う。

 一般的に授業改善に積極的でないと言われている高校の教員が、「アクティブ・ラーニング」に対しては非常に関心が高いと感じるが、本質を捉えて関心が高まっているのではなく、型を求めているのではないかと思う。本来、アクティブ・ラーニングは手段であって、根本的にはアクティブ・ラーナーの育成であるはずなのに、そこが抜けてしまっているように感じる。改めて、アクティブ・ラーニングは能力を育成するための手段であることを打ち出してほしい。

 アクティブ・ラーニングについて、活動や動きにばかり注目が行き過ぎているので、活動がどう学びにつながるのかというところを丁寧に整理しておくことが必要だと思う。

 深い学びを考えた時に、「単に授業を振り返る」「感想を書く」ということではなく、どういう観点からその授業や単元を振り返らせていくのかという動機付けを教師たちが明確にもつことが、深い学びを評価したり、子供たちが自分の思考の過程をたどり、それを表現するなどして、自分の学びを自覚したりすることにつながるのではないか。

 授業を実践する教員にとっては、アクティブ・ラーニングの手法の型ではなく、思考の型というものはほしいと思う。特に高校段階では、無批判に知識や情報を集めようとするのか、批判的に真理を追究しようとするのかといった、どういう思考の在り方を求めていく活動なのかという型を示すことができると、各学校において、それらの思考の型を実現する活動は何かという方向性の議論になるのではないか。

 国語科においては、従来、「読むこと」との関連で「深い」という言葉を使ってきているので、これまでの国語教育の蓄積から、読みが深まったときに、どういうことが起こるのかということを具体的に示すことができると良い。その際、鍵となるのは、学習者自身の変容であり、教師だけでなく、自分自身が見取ることができるようになることが、アクティブ・ラーニングの胆だと考える。

 個人の中で、どれだけ国語の力として獲得できたのかという、メタ認知的なものを文言として入れてほしい。書写書道で言うと、言葉の豊かな学生は、自分が表現したものをうまく説明でき、うまく説明できるからうまく表現できるという相乗効果があり、言葉が何かを生み出していくという実感があるので、語彙の豊かさなども重要だと思う。

 最近の大学生の勉強の仕方をみると、論文から情報だけをピックアップするような読み方をしていて、論文の書き方や論述の仕方を学んでいない。本来、著作から表現の仕方や考え方を学ぶものがあり、国語科としての見方・考え方というものは、言葉を通して認識するということを自覚することであり、それは、表現の仕方でもあるということを強調した方がいいのではないか。

 「言葉の働き」という言葉自体が非常に広い言葉の意味を含んでいて、逆に、語や文法などの狭い範囲の働きを捉えることだと誤解されてしまわないようにする必要がある。「言葉の働き」には、言葉とは何かという言語的な要素や、言語活動の種類や、思考したり判断したりというレベルでの働きなど、色々な大事な要素が組み込まれているので、それらが整理できると、国語科における「深い学び」やそれが実現するアクティブ・ラーニングがどういうものかが明確になるのではないか。

2.資質・能力の育成のために重視すべき国語科の評価の在り方について

 「主体的に学習に取り組む態度」とはどのようなものかを考えた時に、子供自身に、自分が立てた課題に対して自分なりに方法を考えながら解決しようとしている姿勢が伺えたり、それ以前からの変容があったりすれば、主体的な態度が育まれてきていると評価できると思うが、国が国語科における学習評価を示すときに、何をもって関心・意欲・態度を評価していくのか、もう少し具体的な説明が加わるといいのではないか。

 領域をベースにした観点別評価では、関心・意欲・態度を育成するための手立てが、読むことなどの領域の能力を育成するための手立ての後ろに背景化してしまい、うまく評価しにくいということがある。資質・能力をベースにした評価観点にすることで、「主体的に学習に取り組む態度」を育成する手立てが用意されるようになり、それに伴って評価も可能になってくると思う。また、こうした学習指導の“ねらい”の部分は観点別評価で見取り、こうなってほしいという“願い”の部分は個人内評価で見取るという整理ができると、学習指導の改善につながると考える。

 幼児教育においても、1日の生活の中でどんな楽しいことがあったかを伝え合い、次にどんなことがしたいのかということを子供自身が納得して次の展開につなげていくということをしている。同じように、「主体的に学習に取り組む態度」では、自分の変容をメタ的に捉えるという子供自身の視点を入れると、アクティブ・ラーニングの視点ともつながるのではないか。

 評価とは、自分が自分で分かること、子供に「あなたはいま、こういうところにいます。そんな自分に気付きましょうね」という励ましだと思う。何のために評価するのかということを、再度、見直してみる必要がある。その意味で、学びと評価の一体化、つまり、学ぶということは、何がそこで変容され、何がそこで獲得され、何がまだなのかということを、常に自分でモニタリングしながら更新していくということであり、そのために評価があるという視点が必要だと考える。

 現場の先生にしてみると、領域あっての評価から大きく変わることになる。先生方に趣旨を正しく理解してもらえるように、研修や資料などの準備が必要だと考える。

 現行の評価になれてきている教員にとっては、4観点から3観点への変化は戸惑うことだと感じている。特に、「個別の知識や技能」にある話し方や書き方、表現の工夫などと、「思考力・判断力・表現力等」の「表現力」の整理を、現場の教員に正しく理解される必要があると思う。

以上。

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