教育課程部会 国語ワーキンググループ(第5回) 議事要旨

1.日時

平成28年3月14日(月曜日) 16時00分~18時00分

2.場所

文部科学省 東館3F2特別会議室

3.議題

  1. 国語教育の改善充実について
  2. その他

4.議事要旨

1.国語科を通じて育成すべき資質・能力について

高等学校国語科の改訂の方向性(素案)全体について

 国語科において育成する資質・能力は、他教科等の学習においても汎用的な言語能力として生かせるものであるため、その点がより強く示せるとよい。

 資質・能力の「学びに向かう力、人間性等」にある、社会の在り方や自分の生き方に向かっていくというところを、科目の名称や内容から十分伝わるようにしてほしい。

 高校生の国語離れの一因に、易しさにつまづくという点がある。分かりきったことを教えられても、学ぶ実感に欠けるので、選択科目については、高校で学ぶ国語として、小中学校とは違い、少し専門的にしていく必要があると思う。

 選択科目の中で、話す・聞く、書く、読むの3領域全てをカバーする総合科目がないと、実際に高校で教育課程を組んでいく場合に難しい面が出てくるのではないか。

 国語における探究的な科目が「古典探究」だけでいいのか、疑問がある。探究する素材として、近代以降のものについても取り上げる必要があると考える。

 小中高を通じて、言語運用能力を主とするところと、言語文化を主とするところの2本の柱で通していくと、非常に分かりやすいのではないかと考えている。

 今回の改訂で、必履修科目が随分と変わるという印象がある。一方で、このような変化に現場の先生が対応できるのか、大学入試が変わらないと何も変わらないのではないかという危惧がある。いま議論しているようなことを、最後まで学習指導要領に書き込んでいただきたい。

 全科目において、音声や動画などのメディアについても、教材として取り上げたり、表現の対象としたりすることを進めてはどうか。

「現代の国語(仮称)」について

 弁は立つだけでなく、相手の心を揺さぶるような言葉を使えるようにする必要がある。言葉の美しさ、言葉に対する感覚の鋭さ、豊かさなどの言語感覚に関することは、「現代の国語」においても求められる資質・能力だと思う。

 すべての言語活動のスタートが、「根拠に基づいて」とはならないのではないか。例えば、何か気付いたことを言語化している中で、根拠を見付けていくこともある。疑問や自分が気付いたことを具体的に論理的に言語化する力が重要である。

 幼児教育からのつながりを考えると、「根拠」をもつ前に、自分は何を伝えたいか、自分は何に疑問をもっているのか、というところから始まっているのではないか。

 「社会に出て困らない程度の日常生活の書式」ということについては、生活の中でどう機能していくかが重要なので、生活という言葉を少し前面に出してほしい。

 「言語生活」という名称を検討していただきたい。

 「言語生活」という名称は、西尾実の言語生活に結びついてしまうので、難しいのではないか。

 後の2文字を重視して「生活言語」という名称はどうか。

「言語文化(仮称)」について

 今の案は読むことに偏っている感じがするので、落語や漫才、歌舞伎、狂言など、話すこと・聞くことの文化、話し言葉の文化も「言語文化」に含めていく必要がある。

 小さい子供にとっては、言葉の前に体で表現してみたり、昔話も言葉だけでなく、絵本で絵とともに経験してみたりということがある。このようなことも含めて多角的に捉えることができれば、幼児教育からつながっていくのではないか。

 「多様な文字文化について考察する」とあるが、単に文化だけではなく、他の要素、例えば古典などとどのようにリンクして文字文化を捉えていくか、という視点も大事。

 後の2文字を重視して「文化言語」という名称はどうか。

「文学国語(仮称)」について

 鑑賞と批評は、内容に対しても表現に対してもどちらもあるので、読み味わうことと評価することは分けない方がいいと考える。

「古典探究(仮称)」について

 「国語としての古文・漢文」というニュアンスを明確に打ち出してほしい。

 読み深めるということの中身が、批評や鑑賞を含み、少し専門的なものになるといいと思う。

言葉の働きと仕組みについて

 言葉そのものをメタ的に捉えていくこと自体が重要な「見方・考え方」になるので、この点を高校の各科目においてどのように扱うのか、位置づけを明確にしておく必要がある。

読書活動について

 絵巻のような絵画的な資料も、言語文化や古典探究において読む対象となるという読書活動のメッセージがあって良いと考える。

小中高を通じた伝統や文化に関する学習の改善の方向性(素案)について

 漢文の書き下し文が、今は、入門期の補助のような扱いになっているが、書き下し文も日本語の重要な要素であり、古典の一部なので、ある程度の長さのものを取り入れてはどうか。

 高等学校で「言語文化(仮称)」を新設するのであれば、その基礎になる部分として、例えば、日本の詩や漢文を題材に、歌ったり踊ったり、何度も口ずさんだりといった体験を、小中学校の段階や幼児期にするなど、高校につながっていく流れを考える必要がある。

 現在、小学校では、様々な伝統や文化に関する学習が行われており、今の小学生が高校生になる頃には、古典は必要ではないと回答する高校生がもっと少なくなるのではないかと思っている。

 小学校では、古典に対して親しむだけで終わってしまっていて、その学びが自分の今とどうつながっているのか、自分の生活にどう生かしていくのかまでいくことが少ないので、小、中、高と進むにつれて関心が薄らいでいってしまっているのではないかとも思う。このため、中学校の学習では、親しむだけではなく、自分の生活や生き方につながるところも含めてほしい。

 項目の分類基準が明確でなく、内容も混在しているので、整理する必要がある。

 言葉だけを手掛かりにするのではなく、古典とどう接して入っていくかというところの間口を広く取っておくことが必要だと考える。

 文字文化について、書記言語としての文字というのはどういうものなのか、書くことだけではなく、どう使うかという観点も必要。

 項目にある「昔の人」という表現を再考してほしい。ここは、現代につながってくる日本人の伝統的なものの見方、価値観等を表しているところであると思う。

 伝統的な言語文化に関わるものは、民俗学でいう祈りや暮らし、生業など人々のこれまでの様々な生活場面を支えている事項が関わっている。そういった視点から再考する余地があると考える。そうでないと、中学校以降において、結局は古文・漢文を読む授業という形が消えないのではないかと思う。

 「文字文化の表現の豊かさ」などは、高等学校の芸術科書道につながる部分だと思うので、中学校において、このような要素を考えていってほしい。

 文字というと、1字1字をどう書くかというところに特化しがちであるが、もっと言葉をどう書くかという視点をもつ必要があると思う。

 昔から受け継がれてきたものを自分の今の生活や生き方につなげるという側面を、改めて古典の中に位置付ける必要がある。文章の働きというものを古典を通して学び直すということがあってもいいと考える。「言語文化(仮称)」や「古典探究(仮称)」にも、それぞれに応じた形で入ることを意識して、科目の名称、内容を考えていく必要がある。

 現行の学習指導要領にもあるが、文や文章を漢字と仮名を使って、どう交ぜ合わせると読みやすいか、書きやすいかなど、どのように漢字仮名交じり文を書き表すかという観点も入れてほしい。

 伝統的な言語文化を、できるだけ子供たちが我がこととして学ぶためには、方言カルタや地域にある文学館などを積極的に学習に活用していくなど、地域というキーワードを入れていくことが必要と考える。

2.必要な支援、条件整備等について

 今回の改訂によって国語科は大きく変わるので、現場で教えるにあたっては、教職員の養成課程への対応や研修、色々な資料の提示など、文部科学省の支援が必要である。

 新しい科目構成に変えても、大学入試の在り方に影響を受け、結果的には、いま、議論しているようなことが生きないということになってしまっては困る。

 学校でどのような授業がなされるのかということに対しては、教科書の影響が大きい。学習指導要領を基に教科書も変わるよう、検定基準などの見直しが必要と考える。

以上。

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