教育課程部会 国語ワーキンググループ(第2回) 議事要旨

1.日時

平成27年12月14日(月曜日) 10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省3階3F2特別会議室
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 国語教育の改善充実について
  2. その他

4.議事要旨

1.国語科を通じて育成すべき資質・能力について

資質・能力の三つの柱について

 資質・能力の三つの柱には、コンテンツとコンピテンシーの両方が組み込まれている。言葉で学ぶことは、全ての教科のベースとなっているが、国語科は、その言葉そのものを学習の対象としている。その学習の要素を三つの柱に分けて示していくことが、これからの国語教育において重要である。

 全ての言語に関わるものは、すべてコミュニケーション的(伝え合う力)なものだと考える。話すことを考えると、表面的には自分が話しているだけであるが、実際は、自分や相手との内面的対話をしていたりする。表面的に見えている部分だけでなく、その前提となる能力の表のようなものを作った上で整理し、学習指導要領としてどう示していくかを考える必要がある。

 「和語・漢語・外来語の由来、特質、使い分け」「仮名・漢字の由来、特質、使い分け」については、平成17年度の教育課程実施状況調査(高等学校)において課題だった点なので、「個別の知識や技能」として、再度、しっかりと位置付けるべき。

 「個別の知識や技能」において、学校図書館の利用の仕方は、情報収集だけではないので、「情報活用に関する知識・技能」としていただきたい。また、「学校図書館の役割や意義」なども必要だと思う。

 インターネットを使った情報収集については、便利さとともに、1つの間違いが引用されて拡散されていくなどの怖さもある。現代では、そうした情報の扱いなどを学ぶことも必要なのではないか。

 書いたものについては、何に書くのか(メールなのか一般の文書なのか)によって、意味や責任が違い、また、過去に書いたものが社会人になって影響を持つ場合もある。このような問題についても検討する必要がある。

 言語活動においては、受け取る力、考える力、判断する力、表現する力の4つの力が重要であり、行ったり来たりしながら一つの流れになっていると考える。

 コミュニケーションは対人行為であるため、うまくいかないことが多い。その時に、何がうまくいかなかったのかを見通せる力が必要。

 話すこと・聞くことに関して、一番大事な力は「問うこと」ではないか。相手に対してどういう言葉を投げ掛けると、相手から自分が求めたい情報が得られるかというのは、高度なコミュニケーションの要素である。問うというのは、理解するという行為を表現するという複合的な行為であるので、どう位置付けるのかが重要である。

 メモを取る力をどのような形で付けていくのかを真剣に考えるべき。

 高校段階であれば、論拠の妥当性を吟味しながら読むという、批判的に読む能力を出口においてもいいのではないか。

 大学で学生を見ていると、情報収集のために、情報だけをピックアップしていくような読み方になってしまっており、問題であると感じている。

 小学校の現場においては、例えば校内研究などで「自分の思いや考えを・・・」という表現が使われている。「考えの形成」だけでなく、「思い」についても触れて欲しい。

 国語科で育成する資質・能力のポイントを考えた時に、より基本的なこととして、心を伝え合うということを盛り込んだ方がいいと考える。言語を支えている一番大きい部分は心であり、言語表現の限界を補う部分でもある。このため、「思考力・判断力・表現力等」に、「他者の心を想像する力」を入れていただきたい。また、「学びに向かう力、人間性等」に、「他者の心と共感する力」を入れていただきたい。

 「学びに向かう力、人間性等」にある読書の記載について、これまで読書というと、どちらかというと文学を読んで心を育てるという側面ばかりが強調されてきたと思うので、文学を読むイメージに偏らない表現にしていただきたい。

 国語は、日本の言語文化を内包している。グローバル化を考えた時に、この言語文化は、日本に限らず、世界の言語文化のことだと思う。どのような人間を育成しようとしているのか、ということの方向性も含め、言語文化の捉えを整理する必要がある。

 書写は、ただ字を正しく整えて速く書けるという技能の面に特化されやすいが、字を書くには、字体を可視化して字形にするプロセスの中で、どのように書いたらいいかということや、また、他者のために書くという他者意識などを学ぶ必要がある。また、書写に関する資質・能力には、このほか、指先の巧緻性や文字の歴史的な背景、成り立ちなども含まれる。書写が書写でおわるのではなく、色々なところに波及し、応用されていくことが、今後の書写教育にとって大切である。

学習プロセス(イメージ案)について

 注釈で、「順序性のある流れではない」と書いてあっても、「プロセス」と書かれていると、基本的には順番に進んでいくものと受け取ってしまう。

 ブロックの積み重ねのようなものと捉えられてしまうと誤解が生じると思う。これは、ある段階で焦点化される学習活動のイメージとして捉えるべきではないか。

 パーツとして捉えるべき要素と、終始一貫して配慮・意識しておくべき要素の両面があると思う。

 これを国語の学習のプロセスを一般化したモデルとして捉え、一般化の際に捨象された部分については、今後、学校段階に応じて検討していけば良いと思う。また、それぞれの段階の軽重についても、分かるように示すかどうか、判断が必要と思う。

 子供の側から見ると、学習過程として受けとめることもできるかもしれないと思う。また、教師の側から見ると、一つ一つの項目が小学校の実際の授業の中で行われていることに当てはまるため、学習要素として捉えることができる。

 例えば、聞くことにおいて、受容的に聞くことと、考えながら聞くことと、批判しながら聞くこと、また、読むことにおいて、分析的に読む読解と読書では、それぞれ学び方が少し異なるのではないか。このため、細分化して示した方が分かりやすいかもしれない。

 現行の学習指導要領の指導事項の学習のプロセスを表したものとして見ると、1つの授業、単元としてイメージしやすく、過不足なく整っていると思う。指導者が、子供の思考の流れがこうなっているから、この力を付けるために、この段階の学習をしているということが押さえられるようにするためには、このような学習のプロセスがあることに意味があると考える。また、実際に授業を行うときには、いつでも全てを網羅しているわけではなく、単元によってそれぞれの段階に軽重を付けて行うものと考えている。

 現行の学習指導要領の内容の要素を表したものと考えると、特に違和感はない。ただ、高等学校は必履修科目と選択科目があるため、科目全てを一括りにして、それぞれの段階の軽重を検討するのは難しいと思う。

 話す・聞く、書く、読むという技能に関する思考・判断は、常に通底するような形で存在していると思う。それぞれの段階での思考・判断はどのように働いているのかという検討ができるといいのではないか。

 「振り返り」は、自分の学びに関して色々なことを考え、精察をしていくプロセスなので、一連の学習活動が終わった後で総括的に行うものに限定されるのではなく、常に行われるものだと思う。

 読むこと、聞くことは入力であり、書くこと、話すことは出力である。まずは入力から出力という順番にした方がいいのではないか。また、コミュニケーション重視のせいか、話すこと、聞くことから始まっているが、基本は読むことにあると考える。

 学習指導要領において、話すこと・聞くこと、書くこと、読むことの3段階になっているのは、言語生活が、まず音声をベースにしたものから始まるところに原点がある。これを踏まえるのか、入力・出力という関係で考えるのかで判断が必要。その際、原理的な問題と、学校現場で何をどう指導すればいいのかを理解してもらうための表現としての学習指導要領の在り方は、別の問題として考えるべき。

 伝統的な言語文化に関する知識・技能や、国語の特徴に関する事項などが、3領域に直接関与することが見えるようにしていた方がいいと思う。

 実際の対人コミュニケーションにおいては、表情や声の調子などノンバーバルな次元で伝達する要素がかなりある。話すこと・聞くことにおいて、話し言葉の言葉さえうまく操作すればよいのだという誤解を与えないようにしていただきたい。

 幼児教育の立場から見ると、子供が話すことに関する活動の大きなまとまりは、この流れの中で見ることができると考える。そのまとまりの中で、具体的にどのような知的な活動の要素があるのか、という点を考えるとよいと思う。

考えの形成について

 一番大事な部分は考えることである。特に書くことや話すことにおいては、まず自分で考えて能動的に仮説を立て、その上で必要な情報収集を行って、自分の考えを修正していくという過程がループすることで、自分の思考形成になる。資料3の図では、とりあえず調べてみるというように読めるので、ネット検索からスタートするということを助長しかねない。まずは「考える」ということが前面に出るようにしていただきたい。

 話し合うことにおいては、その場で直接相手に話したり相手の話を聞いたりしながら、自分の考えが広がったり、深まったり変わったりして、最終的には自分なりの結論を見付けるという考えの形成である。書くことにおいては、自分と向き合い、過去の経験と結び付けたり、周りの世界と自分を結び付けたりする作業を通して考えが定まっていき、書きながら違う自分を作っていくという側面があると思う。

 読むことや聞くことにおける考えの形成については、初読の段階では分からなかったこと、知らなかったことが、読みが深まっていくことによって、間違った読みが是正されたり、新たな課題が見つかったりということが大事だと思う。

指導内容、発達段階について

 学術的な研究としての成果は、そのまま学校の授業や子供達の学びに当てはめられるものではないため、そうした研究の成果を、子供の学力をどのように形成していくのかという問題に少し置き換えて考えることが必要。

 例えば、読むことにおける考えの形成に関しては、“広げる、深める、再構築する”とすると、段階性がでるのではないか。

 ジャンルとして、韻文と散文を小中高の各学校段階においてどのように位置付けていくのか検討が必要。また、短歌や俳句については、生涯にわたって嗜む人も多く、文学的な領域に関して、そのような点も踏まえた位置付けが必要だと思う。

 演劇は、他者の立場に気付いたり、それを通して自分に気付いたりする点など、コミュニケーションということを考えると非常に重要である。

 伝統的な言語文化を広く考え、古文、漢文、文語調の文章だけが伝統文化なのではなく、今もある伝統文化という意味で、例えば短歌や俳句などを子供達に書かせるということも考えてはどうか。小学生は詩を、中学生は短歌を、高校生は俳句を書くこととして、より言語が洗練されていくように、系統性を持たせていくことも考えられる。

 現代の言語文化の中に伝統的な言語文化がどのように生きているかを知るという観点が薄いので、例えば、高校の出口の段階で、「古典の一節や故事成語等を適切に引用しながら日常のコミュニケーションに生かして、言語生活を豊かにする」など、伝統的な言語文化の継承に直接的につながることがあるといいと思う。

 各学校段階における卒業時の姿を考えると、理想と現実の落差を感じる。現実に役立つ学習指導要領の改訂を行うには、現行の学習指導要領において、足らない点、時代にそぐわない点などの具体例を積み上げて議論をしていく必要がある。

以上。

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