教育課程部会 国語ワーキンググループ(第2回) 議事録

1.日時

平成27年12月14日(月曜日) 10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省3階3F2特別会議室
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 国語教育の改善充実について
  2. その他

4.議事録

【北原主査】
 おはようございます。朝早くから御苦労さまでございます。まだ2分ぐらいありますけれども、皆さんおそろいですので、始めたいと思います。
 中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会国語ワーキンググループと、非常に長いワーキンググループですが、その第2回目でございます。お忙しい中、御参集いただきまして、誠にありがとうございます。
 最初に、事務局から前回欠席された委員の方々の紹介及び配付資料について、確認をお願いします。

【小林教育課程課課長補佐】
 おはようございます。それでは、前回欠席された委員の皆様の御紹介をさせていただきます。
 まず初めに、井田由美委員でございます。

【井田委員】
 日本テレビアナウンサーの井田由美と申します。前回は失礼いたしました。
 まだ、何もよく分かっておりませんけれども、恐らくしゃべる、話すということで、何か実践的なことを求められているのかと思います。微力ですが、何とかお役に立てるように努めますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【小林教育課程課課長補佐】
 続きまして、高木まさき委員でございます。

【高木(ま)委員】
 高木です。よろしくお願いします。前回は中学校の方で少し関わりを持たせていただきましたけれども、引き続き参加させていただきます。よろしくお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 続きまして、野秋愛美委員でございます。

【野秋委員】
 失礼します。浜松市立庄内小学校・庄内中学校校長をしております、野秋と申します。本校、小中一貫校です。何かお役に立てればと思います。よろしくお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 続きまして、藤森裕治委員でございます。

【藤森委員】
 信州大の藤森裕治でございます。よろしくお願いいたします。
 ただいま、信州大の附属の長野小学校・中学校、それから特別支援学校と3つの校長をさせていただいております。
 一昨日、イギリスから帰ってまいりまして、まだ向こうは未明でございますものですから、時差ぼけが治らない状態ですけれども、どうぞよろしくお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 続きまして、森田盛行委員でございます。

【森田委員】
 おはようございます。全国学校図書館協議会の森田と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 続いて、配付資料の確認をさせていただきます。
 本日は、議事次第に記載してありますとおり、資料1から5、そのほか机上に参考資料を配付させていただいております。不足等ございましたら、事務局にお申し付けください。
 また、机上にタブレット端末を置いていますが、その中には本ワーキンググループの審議に当たって参考となる関係する審議会の答申や関係資料等をデータで入れております。詳細は、次第の裏面の目次をごらんください。
 また、本日、国語ワーキング第1回の主な意見を配付しております。本日、メールでも同じものを送付いたしますので、期限までに御確認いただければと思います。
 以上でございます。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 それでは、これから議事に入ります。初めに、本ワーキンググループの審議等について、初等中等教育分科会教育過程部会運営規則第3条がありますが、それに基づきまして、原則公開により議事を進めさせていただくこととともに、第9条には、議事録を作成し、原則公開するものとしておりますので、そのように取り扱うことといたします。どうぞよろしくお願いいたします。
 なお、本日は報道関係者から会議の撮影及び録音の申出がありまして、これを許可しておりますので、御承知ください。
 それでは、本日は、資料1をごらんいただきまして、論点1ですね。それから、論点2、この2つについての意見交換を行いたいと思います。
 議事の流れとしましては、議論の許す限り、論点1、論点2について意見交換を行いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 まず、事務局から資料に基づきまして説明を頂いた後で、自由の討議に入りたいと思います。資料1はお手元にありますか。説明をお願いしましょう。お願いします。

【大杉教育課程企画室長】
 失礼いたします。それでは、資料の説明に先立ちまして、本日、総則・評価ワーキングにおける状況の報告をさせていただくということの段取りとさせていただきたいと思います。まず私から、先日行われました総則・評価特別部会の状況を御報告させていただき、その後、小林補佐から本日の論点等の御説明をさせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
 先日、第2回の総則・評価特別部会、これは前回御説明させていただきましたように、各教科横断的な議論の取りまとめを行う責任を有する特別部会でございますけれども、そちらにおきまして、本国語ワーキングの議論の状況も含めまして、教科別ワーキングの議論の状況を御報告をさせていただきました。特別部会の場におきましては、国語ワーキングも含め、論点整理に沿った御議論を頂いていることに感謝の意が述べられますとともに、以下5点についてお伝えくださいということでありましたので、羽入主査に代わりましてお伝えさせていただきます。
 まず1点目でありますけれども、例えば、言語能力でありますとか、情報活用能力でありますとか、他の教科においても重要な内容に関わるような議論の内容につきましては、なるべく早い段階で議論を行っていただきまして、総則・評価部会でありますとか、各教科ワーキングにおいてもしっかり御検討いただけるような進め方としていただきたいということでございます。
 それから、2点目でございますけれども、今回、社会に開かれた教育課程ということで、学習指導要領の分かりやすさ、例えは教職課程で教師を目指している学生さんたちが読んでも分かるということでありますとか、地域で学校に関わっている様々な方々が読んでも分かるということを目指していきたいということでございますので、学習指導要領の法的な性格を踏まえつつも、様々な方に読んでもらい、その趣旨が伝わるような構成や文章となるという方向性を心掛けていただきたいということでございます。
 3点目は、小・中・高と発達に応じた目標や内容の系統性という縦の軸と、それから様々なテーマに教科横断的に対応していくという横の軸、これを意識しながら、各教科の意義ということを御検討いただきたいということでございます。
 4点目でございますけれども、卒業後、必ずしも特定の学問分野や職業に進むという場合だけではなく、どのような職業に就くとしても生かすことができるような教科の本質的な学びということを重視して、資質・能力の在り方ということを御検討いただきたいということでございます。
 最後、5つ目でございますけれども、国語ワーキングも含め、各教科、各校種別の特性を踏まえた御議論を進めていただいておりますけれども、一方で総則部会でありますとか、小・中・高の部会などで、様々な取りまとめを全体的に行っていく議論も進んでおりますので、そういった全体的な構成に関わる議論の状況を踏まえながら御議論を進めていただきたいということ。
 以上、5点でございます。ありがとうございます。
 それでは、小林補佐にお譲りいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 それでは、配付資料の説明からいたしたいと思います。
 まず、資料1でございますが、その論点の説明に入る前に、資料2から4についての説明をいたしたいと思います。
 まず、資料2でございます。横長の資料でございます。
 前回、国語科で育成すべき資質・能力を考えるためには、各学校段階、小・中・高といった学校段階におけるゴールを明確にする必要があるという意見を頂いたところでございます。そういったこともございまして、今回、資料2の国語科で育成すべき資質・能力を考えるに当たっての各学校段階における卒業時の姿、検討のたたき台でございますが、作成いたしました。
 この資料は、一番左に現行の学習指導要領、小・中・高の目標を掲載しておりまして、あと、3つの側面という部分で、国語力の答申にありました知的活動、感性・情緒、コミュニケーションといったものに沿いまして、児童生徒が何ができるようになるかということを小・中・高ごとに具体的に例示したものでございます。
 その感性・情緒の部分でございますが、前回の意見でも言語文化や古典の重要性といった意見もございましたので、2つに分けて記載ということにしております。
 今回、例えば、「知的活動の側面」ということで、小学校の部分をごらんいただきますと、「例えば、身近な問題について、必要な本や情報を選び、集めた情報を比較・関係付けて理解し、理由や事例を挙げながら、自分の考えを筋道立てて表現することができる」ということで、中学校ですと、「例えば、社会に関わる問題について、本や新聞、インターネットなどから必要な情報を収集し、それらを整理・関係付ながら、適切な根拠を示した上で自分の考えを論理的に表現することができる」と。あとは、高等学校ですと、「例えば、社会問題や文化・思想などの課題について、新書や新聞社説などから必要な情報を収集し、整理・解釈しながら得られた知見を体系的にまとめ、論拠の妥当性を吟味しながら、具体的かつ効果的に短い論文を書くことができる」というように、学校種ごとにこういったものを卒業時の姿という、あくまでイメージということで作成したものでございます。
 以上、発達段階を考える上でのイメージの資料ということでございます。
 続けて、資料3でございます。資料3につきましては、今の資料2のようになるためには、国語科においてどのような学習が必要なのかについてのイメージを作成してみたところでございます。
 現行の学習指導要領の指導事項、3領域ございまして、話す・聞く、書く、読むということができるようになる。そのために必要な学習プロセスの案ということになっております。今言った3領域については、一番左の部分、話す・聞く、書く、読むということで、それぞれについての学習プロセスというものを示しているものでございます。
 例えば、一番下の「読むこと」についてでございますが、まず、プロセスの最初として目的の設定・目的の理解というものがあって、それに応じて選書、情報選択といったこと。それらに応じて、内容・構成・表現の把握といったこと。その把握に応じて、文章・情報の解釈をする。また、それら応じて、批評・考えの形成をしていく。その後、それに応じて交流をしていく。それらの学習を通じて、振り返りということで、自分の学習に対する考察を入れていく。それらが終わって、次の読むことへの活用という部分につながっていくということで、国語科において、そういったプロセスが考えられるのではないかという資料でございます。
 また、このプロセスにつきましては、一番下の米印にもありますように、必ずしも一方通行ということでもなく、順序性のある流れというものでもなく、常にこのプロセスをやらなければいけないというものでもないというものでございます。
 また、この学習プロセスについては、小・中・高といった、今回、発達段階まで分けておりませんので、次回以降、こういった意見を頂きながら、そういった分け方については作業を進めていきたいと思っております。
 続けて、資料4でございます。資料3の学習プロセスを行う際に必要な3つの柱です。知識、技能、思考力・判断力・表現力等、学びに向かう力、人間性等ということを書き出した、国語科で育成すべき資質・能力といったものをまとめたものでございます。
 特に資料3の話す・聞く、書く、読むといった3領域を統合した形になっておりまして、それぞれ一番左が「個別の知識や技能」ということ。真ん中が「思考力・判断力・表現力等」、一番右が「学びに向かう力、人間性等」ということになっております。
 例えば、「個別の知識や技能」ということでございますが、特に現行の指導要領ですと、言語事項が中心になるかと思いますが、言葉の特徴や決まりに関する知識・技能ということや、真ん中あたり、文字に関する知識・技能、また書写に関する知識・技能といったことや、伝統的な言語文化に関する知識・技能ということ。
 また、思考力・判断力・表現力といった個別の知識、技能といった、知っていること・できることをどう使うかということになりますが、どういった力が必要になるかということで、話す・聞く・話し合う、書く、読む際の目的を設定したり、目的を理解したりする力ということです。また、その3つ目になりますが、収集した情報を活用しながら、自分の伝えたい内容を表現するとともに、相手の伝えたい内容を理解・解釈するといったことで、相手等をきちんと考えて理解・解釈するということになります。
 また、一番右の「学びに向かう力、人間性等」ということで、いわゆる関心や態度ということです。国語や言語文化に関する関心といったことや、また国語を通じて積極的に人や社会と関わり、自己を表現し、他者を理解するなど、互いの存在についての理解を深め、尊重しようとする態度といったことで、関心や態度といった部分で記載しているものであるということでございます。
 また、この資質・能力の資料でございますが、これらもまた学校種ごとに分かれているものではございませんので、また今後、意見等を伺いながら、そういった分けについて議論していきたいと思っております。
 それで、済みません、資料1に戻っていただきまして、一応本日、第2回における論点ということでございます。論点1につきましては、特に資料3の国語科における学習プロセスの部分でございます。
 論点1です。発達段階を考慮せず、国語科における学習プロセスを考えた際に、資料3の学習プロセスの流れに過不足等はないかという話。また、発達段階を考えたときに、留意すべき点は何かないかということで、一応例示といたしまして、例えば、高等学校ではこの部分を重点的に指導すべきではないかといった意見や、小学校の低学年では、例えば分けて指導することが難しいので、まとめて記載すべきではないかといった意見等を例示として挙げさせていただいております。
 続いて、論点2につきましては、今の資料の2から4において、小・中・高等学校の現状を踏まえまして、特に課題と考えられるような点やもっと重点的に指導すべき点といった皆様の専門的な知識等からその点はどこかという部分での御意見を頂ければと思います。
 資料の説明は以上でございます。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 最初に大杉室長から御説明がありましたけれども、あれは、我々は国語ワーキンググループにいるわけですけれども、総則・評価ワーキンググループというのがあって、そこからのお願いが5点あったということでございます。これは皆さん、その辺を考慮しながら審議を進めていくということです。
 それから、小林補佐からお話があった資料の説明ですが、これが、きょう皆さんに具体的に御意見を頂く資料であります。資料2は、各学校段階における卒業時の姿のイメージであります。小学校ではこんなことを卒業するまでには教えなければいけないのではないかということ。それから、高等学校ではこんなことを教えなければいけないのではないかというのが、資料2に「検討のたたき台」と書いてありまして、これは論点2のところでまたやりたいと思います。
 それから、資料3は、繰り返すことになりますが、話すこと・聞くこと、話し合うこと、書くこと、読むこと、おのおのどういう学習のプロセスが考えられるか。ここに案が出ている一つのイメージ案に過不足があるかどうかということを議論していただきたいというのが資料3の資料でございます。
 それから、4番目は、「その場合の」と言ってもいいかもしれませんが、国語科で育成すべき資質・能力というのはどういうものであるかということについて、御意見を頂きたいという資料でございます。
 それでは、今の資料説明を踏まえまして、意見交換の時間とさせていただきます。まず、論点1からまいりますが、論点1は書いてありますように、資料3について御意見を頂くことになるかと思います。学習のプロセスの流れ、プロセスは流れですが、プロセスについて、順序は右下にも書いてあるように、一方通行ではないということがありますが、何を学習するかということで、特に落ちているところや御質問があればですが、そんなことをいろいろ御意見を承りたいと思います。
 御意見のある方は、これを立てていただくんでしたっけ。立てながらお声を出していただくと私の方で指名させていただきますので、よろしくお願いいたします。それから、発言が終わりましたら、立てたものを直していただきたいということでありますが、マイクをオンにして御発言いただきたいと思います。
 いかがでしょうか。論点1、この資料3について、御質問なり御意見がありましたら、どうぞお手をお挙げください。はい、どうぞ。

【酒井委員】
 3点あるんですが、まず1点目として、やはり上下が逆であろうと思うんですね。読むことは基本にあって、どうもこれだと、私も前回発言したんですが、コミュニケーション重視になっていて、まず話して聞くというところから、非常にイメージが入ってきます。ですから、やはり読むことを基本にして、それを書く、それを話す、聞く、これも逆なんですけれども、聞いて話すという順番にした方が分かりやすい。というのは、ここできちんと整理されていない点は、読むことと聞くことというのは入力なんですね。ですから、その情報が入ってくるということと、逆に書いて話すというのは出力であるという一番分かりやすい切り口がごっちゃになっています。ですから、少なくとも入力を上に上げて、出力を下げるという区別をすべきだというのが大事だろうと思います。
 もう一つ大事なのは、考えることの部分なんですが、どの図にも考えの形成というのが書かれているので、その部分が大事だと思うんですが、どうも我々、分かりやすいことだけで表面的なものを捉えがちなので、今のように話す・聞く、書く、読むというこの順番だけで網羅した気になっていますが、一番見えない大事な部分は考えることなんですね。ですから、その考えることというのが前面に出るような工夫を。特に書くことや話すことというのは、自分が考えて発信するわけですから、そこに考えることという丸い何か見やすいようなものを一番左に入れるとか、それが2番目です。
 3番目は、「考えの形成」という位置が問題であります。それから、資料2の方もそうなんですが、基本的に情報を収集して、考えて発信するという流れが、全て同じ直列的な流れになっているというところが、それ自身は問題ではないんですが、読むということは入力を入れて思考形成をするという流れ自身は正しいと思うんですけれども、問題は書く、若しくは話す方なんですが、これはまず考えて思考が先立って出力していく。その上で、必要な調査、情報収集を行って、自分の考えを修正しというループになるわけです。ですから、この図では、とりあえず調べてみるということになって、これだけネット社会になって、とりあえずネット検索からスタートするということを助長しかねない、非常に危険なスタイルだろうと思います。つまり、まず自分が考えて能動的に仮説を立てる、その上で情報を検索するなり、収集していかないと、自分の思考形成にはならない。
 ですから、学生を見ていますと、とりあえずキーワードを入れて検索するところからスタートするんですね。やはり、まず考えるということを打ち出すためには、その順序を逆にするということを、この図のイメージ案の中にはっきり折り込むことが、まず大事かなと思います。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 非常に基本的なあれですけれども、何かこの図を作った側として、補足がありましたら、おっしゃってください。はい、どうぞ。

【平野教育改革調整官】
 失礼いたします。この順番自体は、今の学習指導要領の順番が、この話すこと・聞くこと、書くこと、読むことの順番になっているということで、事務局としてはその順番で書かせていただいたというものでございます。今、頂いた御意見なども踏まえながら、次の指導要領ではどう変えていくかという御議論もこれから出てこようかと思います。
 ほかの皆様方からもこういった点も含めて御意見を頂ければと思っております。

【北原主査】
 どうぞ、藤森さん。

【藤森委員】
 藤森です。よろしくお願いします。
 3点ございます。1点目ですけれども、今、酒井先生の考えることに関連するんですけれども、「振り返り」が一番最後のところに来ているんです。振り返りというのは、自分の学びに関していろいろなことを考えたり、それに対して省察をしていくプロセスですので、この図で見ますと、一連の学習活動が終わった後で総括的に行うものに限定されていますが、常にこれは行われるものだと思うんですね。例えば、学習の始まる前にも、これまでの自分は何だったのかを含めて、これはかなりサイクルをもって常に行われていると思いますので、この「振り返り」という部分の位置付けがこれでいいのかということが気になりました。
 2点目、3点目は、話すこと・聞くことに関連します。「音声による表現」とありますけれども、実際に対人でコミュニケーションしていますと、表情ですとか、声の調子ですとか、ノンバーバルな次元で伝達する要素が実はかなりありまして、このままの表現ですと、とにかく話し言葉の言葉さえうまく操作すればよいのだという誤解を与えかねないような印象があるんですね。
 それから、3点目は、この中で私なりにこれまでずっと話すこと・聞くことに関わってきて思うんですけれども、一番大事な力は問うことではないかなと思っています。質問をして、自分が求めたい情報を相手に対してどういう言葉でもって投げ掛けると相手からその言葉が得られるか。実は、これは表現的に情報を収集する行為で、極めて高度なコミュニケーションの中の一要素だと思うんですね。必ずしもそれが話すこと・聞くこと、話し合うことという活動で分かれてしまうと、質問する、問うということがどういうふうにここで位置付けられるのかということが若干不明瞭な気がするんです。
 問うというのは、理解するという行為を表現するという複合的な行為ですので、そこのところをどう位置付けるのかということは、酒井先生が先ほどおっしゃった理解と表現との関連を含めても大きな問題だと思っています。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 これもまた大変貴重な御意見ですが、ここには問うという言葉はないですね。この行程には、聞いたり、書いたりして、聞くという字が違いますけれども、問うのでしょうけれども、それとは少し違う。
 ほかにいかがでしょうか。はい、どうぞ。

【高木(ま)委員】
 今、お二人の先生がおっしゃられたこと、よく理解できると思うんです。この学習指導要領の話すこと・聞くこと、書くこと、読むことという3段階になっているのは、恐らく戦後の指導要領を見ますと、全てこの点に音声言語が先に来てということになっています。その理由は、やはり言語生活そのものが、まず音声をベースにしたもので始まるというところにもともとの原点があったはずなんですが、それを踏まえるのか、例えば先ほどのように入力、出力という関係で考えるのか、それが一つ、大きな判断のしどころかと思います。
 その観点自体は僕は大事だと思いますが、その原理的な問題と、それから一般の人に伝えるときに、つまり学校現場で何をどう指導したらいいんだということを理解させるための表現としての学習指導要領の在り方とは少し違うと僕は思います。やはり原理のレベルをどう考えるかというと、先ほど総則部会で分かりやすくという話がありましたけれども、それを踏まえたときに、では、どう実現していくのかというレベルを分けて考える必要があるだろうと思います。
 そのときに、藤森先生も振り返りのことをおっしゃいましたが、これは多分そんなつもりではなくてここにあって、こういう表現をされていると思うんです。つまり、これはこういうブロックを積み重ねたようなイメージになってしまうと、少しいけないんだろうと。そこで僕が思うのは、つまり、これはある段階で焦点化されるであろう学習活動というイメージなんだろうと思うんです。振り返りなんかは常に行われていますし、交流だっていろいろな場面で行われると思うんですが、それをこういう形で表現している。ただ、これはある意味で誤解を招きかねないので、多分この前の段階として、学習プロセスではなくて、言語行為としてのプロセスみたいなものが本来あって、それが考えることから始まり、情報収集から始まり、それで最後に表現……、最後が表現かどうか分かりませんが、そういうプロセスを踏んでいく。
 例えば、情報収集や考えること、それから理解や解釈に係ること、それから評価や交流に関わることというような一連の流れが、読むことでも話すことでも書くことでもあって、それがどこに焦点化されるかというイメージで作っていかないと誤解を与えてしまう。それを、今度は学習指導要領のプロセスの中、指導事項の中にどう表現するかというレベルがまた次にあると思います。
 恐らく、全ての言語に関わるものは、話すこと・聞くこと、書くことも、基本的に対話的なもの、あるいはコミュニケーション的なものだと思います。そのときに、話すことが正面に見えるときは、自分がしゃべっていることだけのように見えますけれども、実は相手を意識していて、相手との内面的な対話をしながら、あるいは自分との内面的な対話をしている。そういうものが見えたり、見えなかったりする部分があるんですけれども、その見える部分だけブロックで積み重ねてしまうといろいろな誤解が生じかねないので、やはり僕は原則的にはさらに前提となる能力の表みたいなものを作った上で整理していって、それを学習指導要領としてどう示していくかということがあった方が、誤解がないし、分かりやすくなるし、説明もしやすくなるのではないかと思っています。
 基本が、全てはコミュニケーションなり、あるいは伝え合う力というところで、この原点になるようなものを整理するということが必要なのではないかなと思っております。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 これまた大変貴重な根本的な御意見ですが、ほかにいかがでしょうか。はい、どうぞ。

【中村委員】
 失礼します。前回も思考力、判断力に支えられたコミュニケーションが英語とは違う日本語のという発言をさせていただいたんですけれども、この「考えの形成」という部分が、部分的にこのブロックでは示されていますが、恐らく内容に関する考えの形成はこういう形かもしれませんが、話す・聞く、書く、読むという技能に関する思考・判断は、常に通底するような形で存在しているかと思います。
 話題選択でも思考・判断をしますし、情報収集やその他も含めて、そうした話す・聞く、書く、読むという技能に関する思考・判断を高めていくということが、自立的にそうした言語活動ができるようになって、他教科・領域での言語活動とつながっていくのではないかと考えますので、そのような形での図示の仕方、あるいはそれぞれの段階での思考・判断というのはどういうふうに働くのかというあたりの検討ができると、プロセスとしていいのではないかと考えました。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 そうですよね。今までお聞きしていますと、プロセス化を見えるようにするのは、色々と大変だなという感じもしています。ここの右下に書いてありますように、「順序性のある流れではない」というよりも、また戻ったり、振り返ったりしていくのがプロセスで、こういうふうにきれいに書いてしまうと、そんな順序だけでやるのかという意見が出てくる可能性があるのかもしれませんね。
 ほかにいかがでしょうか。はい、どうぞ。

【吉田委員】
 私も2つ申し上げたいと思います。
 一つはこれまでの議論に重なるかも分かりませんが、いわゆる言語行為、言語活動、言語生活というのは、学問研究の対象にもなります。その学問研究の対象となったときには、言語行為、あるいは言語活動、言語生活というのを、その領域からの深め方が、内省も含めてできますけれども、ここで求めているのは、それを子供の学習として小学校、中学校、高等学校の児童生徒の国語の学びとしてどう考えるかということですので、必ずしも研究学問の世界、あるいは日常生活でこうあるから、あるいはこうあるべきだから、学習の方もというように、なかなか総括はしにくいのではないかと思うのです。だから、ここでは学習プロセスということが求められていますので、子供の学び、あるいは子供の学力というのをどのように形成していくのかということに少し置き換えて考えなければいけない部分があるのではないかというのがまず第1です。
 そう考えていったときに、多分子供の国語の学び方、国語の勉強の仕方を求めていると思いますので、例えば、私たちが今話すことだったら、どのように学びの過程、学びのプロセス、どのように学んでいくことが、初めはどうあって、真ん中でどうで、終わりがどうでという、そのあたりを示すことが求められているということかと思います。
 そのためには、同じく話すことを学ぶといっても、あるいは読むことを学ぶといっても、結構多岐にわたる部分があります。つまり、ここから2つ目になるんですけれども、一つ目は学問研究、即学習、あるいは授業、学びとは、少し難しいところがあるのではないか。その点を踏まえて、2点目は、例えば聞くことといっても、今も議論がありましたように、聞くことというときには、とにかく相手のことをじっくり聞こうという、本当に受容的に聞くということもあり得るし、自分はこの専門ではないから、とにかく一生懸命聞いておきたい。相手がどのように言うのかを踏まえたい。そう受容的に聞いたりする場合もあるだろうし、あるいは考えながら聞く、自分の考えを幾分か含みながら、人さまはどう言うだろうかというので、そうやってじっくり耳を傾けて聞く。
 あるいは、3つ目には、批評しながら、一般的に批判しながらとも言っていいかも分かりませんけれども、批評したり、あるいは批判したりしながら聞くという聞き方もあるんだろうと思うんですね。だから、今のように受容的に聞いたり、考えながら聞いたり、批評、批判しながら聞くということになると、多分学びのプロセスも、少しずつ微妙に違うのではないか。だから、聞くということでの学びという具合に言われても、多分そういったところを考えていくと、少しずつ微妙に違っていくかもしれない。そうすると、大きく聞くということで言うならばこうだし、それから、それを少し細分化していくと、こうなるかもしれないというような枠組みも、あるいは必要なのかもしれません。
 聞くということで言えば、聞くに3体ありと、北原先生も先ほどお触れくださったと思いますけれども、聞くというのは漢字で書いたら3つあるというふうに考えていくと、まさにまた少し違った要素も加わってきます。
 それから、書くことについても、私たちはこれまで小・中・高、押し並べて、取材、構想、記述、推敲という、そのプロセスを取ってきました。これは多分、ものすごく分かりやすかったんだと思うんです。ところが、研究の世界では、書くというのは必ずしも取材、材料を集めて、これを組み立てて、そしてそれを下書きに書いて記述して振り返るという、これは実際に書くことの姿とは少し違いますよということは、これまでいくらでも研究が重ねられてきました。ライティングプロセスという形で、学会でも多く発表されてきています。
 でも、実際に書くことの研究というのと、子供たちが書く、あるいは子供たちに書くことを教えるということになったときに、いつも考えながら書いていますよ。書くことというのは、常に取材の段階でも、構成の段階でも、記述の段階でも、推敲の段階でも、常に書くことはあります。そのとおりなんだけれども、やはり取材、構想、記述、推敲という、この学習課程、あるいは指導課程が、私は極めて分かりやすかったことが、多分昭和33年の学習指導要領から今日に至るまで用いられている、一つの書くことの学習課程のある意味では代表的な形になっているものかと受け止めています。
 もう一つ、読むことですけれども、読むこともすごく研究が進んでいますから、たくさんのことに及ばなければいけないかも分かりませんが、とりあえず、今一つの視点として、例えば、読解の側面。読解力と言われますけれども、読み解く、ここに何が書いてあるかということが分かるという読み方をする段階と、それは分析的に読む読解の側面ですね。もう一つ、やはり読書の側面。つまり、今子供たちの読書、読むことになかなか時間が割り当てられていない、割かれていないという読書の側面というのがあると思うんですけれども、こうなると、読解の学習と読書の学習、読解の学び、読書の学びということを考えていくと、やはり学び方、学習方法というのは少し異なってくるのではないかと思います。
 ということを思うと、やはり今、読むこと、書くこと、聞くこと、話すことというふうにして、こういう形で概括的に出されている部分があるけれども、そのように示すことができる部分と、少し機能的に分けて考えた方が了解が得られやすい。
 つまり、一つのタイプで示すことが必ずしも分かりやすいのではなくて、幾つか考えられる側面を設定して、細分化して示す方が、あるいは分かりやすいかもしれない。まとめることが分かりやすいとは限らなくて、少し細分化してでも、今のような話すことの代表的なものはこうだけれども、話す、聞く、書くということで言うならば、もう少し細分化したときにはこうだとか、あるいは読むことで言うならば、読解と読書という形で分けていくと、少し理解しやすいものになり得るかと思いました。
 以上、2点です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 この学習プロセスは、学校種を超えた原理みたいなものを、通してみようという一つの考え方だろうと思うんですね。今、吉田先生がおっしゃったのは、私は資料2の高等学校、中学校、小学校に分かれて、私なんかは教育の素人なもので、読んでも分からないんですが、小学校から少しずつ高級になっているんですよね。そこら辺、赤線を引いてみましたけれども、本当に微妙に上がっているんですが、こういう図で、これまた後で議論していただきますけれども、資料2ですよね。例えば、感性のあたりですね。小学校では、読みたい詩や物語を取り上げる、中学校になると、物語や随想を取り上げる。「感性・情緒の側面」の現代文の方です。それから、高校になると長編小説をというふうに、だんだん読む対象も上がったり、高校になると、もう感じ方、考えを深めるというのが入っていますが、中学校ではまだ考えを深めるの考えは入っていないとか、微妙に高度化したイメージになっていて、これが指導要領を作るときの基本にしていただきたいような卒業時の姿を我々が考えなければいけないんだろうと思います。
 そういう成長別と、それを超えた国語科で学習する、話すこと・聞くこと、書くこと、読むことはどんなプロセスが考えられるかというのが、今議論している資料3だと思うんですね。はい、どうぞ。野秋委員、お願いします。

【野秋委員】
 お願いします。
 私は、つい最近まで教壇に立って、実際に授業をしておりましたので、この表を見たときに、すぐに現行のものの指導事項、これは学習のプロセスを表したものであると思うのですが、これと比べて、過不足はないかという視点で見ました。そういう意味では、非常に過不足なく整っていて、「目的の設定・理解」から「振り返り」までが一つの授業、単元としてイメージしやすくなっているなと思いました。
 実際の授業というのは、付けたい力が何なのかということをしっかり押さえてやっていくわけです。今子供の思考の流れがこうなっているから、この力を付けるために、この段階の学習をしている。そういったことを指導者がきちんと押さえているということが大事であると思います。そういう意味で、こういったプロセスがあるというのは、意味があることだなと思います。
 ただし、自分が授業をしていたときには、このプロセスをいつでも全て網羅していたわけではなくて、単元によってはここの部分は軽く扱い、ここの部分に力を入れるということを、自然にやっているわけです。そういう意味では、先ほど、高木先生がおっしゃった、これはブロックの積み重ねというよりも、ある段階で重点として扱いたいものという意味では、納得ができるなと思いました。
 プロセスという点とは違いますが、もう一点だけ、自分の考えというところで思ったことを述べます。実際に自分が授業をイメージしたときに、自分の考えがどう形成されるかという点で考えたとき、「話し合うこと」のところに書いてある考えの形成と、「書くこと」のところに書いてある考えの形成は、少し違うものであるなと思います。
 話し合うというと、その場で相手に直接話しながら、あるいは人の考えを聞きながら、その場で自分の考えが広がったり、深まったり、あるいは変わったりということを繰り返していきます。そして最終的に、何かしら自分なりの結論めいたものが見つかるのではないかなと思います。書くことの考えの形成というところでは、書くことによって、話し合うよりはもっと、じっくり自分と向き合い、自分の過去の経験と結び付けてみたり、自分の周りの世界と自分を結び付けてみたりといった作業を通して、だんだんに考えが定まっていく。書きながら自分と対話をし、書き終わったときには、書いてあることとはまた少し違う自分が見えて、それが次の自分を作っていく。そんなふうな書くことの学習ができるといいなと、考えながらやっていたように思います。

【北原主査】
 ありがとうございました。はい、どうぞ。

【藤森委員】
 提案を一ついたします。今までの議論を拝見していますと、プロセスの中には、重点化して段階、段階に高木さんがおっしゃるようにパーツとして捉えるべき要素と、それから先ほどから議論になっているように、終始一貫してそのことについては配慮をし、意識しておくべき要素と、その両面があるのではないかなと思うんですね。
 今のこの図ですと、全て左から右への一連の流れになっていますけれども、我々、学びの中では、自分がどういうふうに学んでいて、今どういう状況にあるのかということを常に言語化して、自己評価しながら、そして学びを推進していくという、これを駆動させていくための言葉の力という要素は一貫して働くと思うんですよ。
 その意味で、このプロセスモデルは、モデルとして有効だと思うんですが、これだけですと、段階的な一連の流れになりますので、終始一貫してこれについては常に進めていくべき要素と、少なくとも、その2つの面について構造化しておく必要があるのではないかなと思いました。提案です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 要するに、「何々こと」はこういうプロセスでやりたいと。しかし、各学校段階、学年段階では、どこに重点を置くかというようなことを考えた資料だと思いますが、いかがですか。

【平野教育改革調整官】
 まず、このプロセス自体は、できるだけ分かりやすく、単純化して書こうということで書かせていただきました。当然、考えの形成みたいなものは全体に係るような要素もあるでしょうし、一旦ここに行って、また戻るというのも当然考えられますし、あるいは途中から始めるとか、途中で終わるというのも、実際の指導の場面ではあるだろうと。ただ、全体を俯瞰してみた場合に、こういう流れで考えると、きちんと書くというのはどういうプロセスなのかということがイメージできると、これからそこに働かせるべき資質・能力というものを考えていくときの一つの出発点になり得るかなと。そういうものにできないかなということで作らせていただいたものでございます。
 したがいまして、御指摘のとおり、ここのブロックみたいになっているのが、確かにそういう意味では、ここでしか働かないみたいな形に捉えられてしまうというのは、少し工夫させていただければと思いますけれども、全体として見た人にどういうふうにプロセスが進んでいくのかというのが分かりやすく伝わるということも、一方では考えなければいけないと思うので、できるだけ単純化して作らせていただいたという性格のものでございます。

【北原主査】
 こういうことを全ての学年でと心掛けるけれども、アクセントというか、高等学校になったら、この辺を重点的にやろうということがあっても、これは全体を通しているイメージなんでしょうね。

【合田教育課程課長】
 ただいまの点について、少し補足をさせていただきます。
 今、主査からおっしゃっていただきましたように、これは国語における学習プロセスということでございまして、まさに実際に国語で指導内容として、指導プロセスとしてどういう要素があり得るかということを整理させていただいたものでございます。
 きょう、是非御議論賜りたいのは、先ほど酒井先生からもお話がございましたように、実際に生きて働く中では、情報を受け入れて、思考して、判断して、表現するという、このプロセスであります。それから、これから他教科でますます歴史的な事象を比較で考えるとか、因果関係で考えるとか、相互作用で考えるとか、そういう学びの上で育まれる資質・能力を明確にしていくというのが他教科でこれからどんどん広がっていく、明確になっていくという構造になってございます。
 その中で、まず一つは、国語科の中で育むべき資質・能力。これは、先ほど酒井先生がおっしゃっていただいたこととかなり重なると思うんですけれども、これは何かということを、まず御議論いただき、押さえていただいた上で、今御議論いただいております資料3というのは、その中で個々の国語の授業の中で、内容事項として何を押さえるのかというものを整理させていただいたものでございます。
 その中では、先ほど主査がおっしゃいましたように、学年により、あるいは単元により、授業によりアクセントを付けていくということは、当然あり得るんだろうと思っておりますけれども、一つ目は、より他教科が資質・能力ベースで実際にいろいろな、まさに考えの形成ということを資質・能力として可視化していくという構造になる中で、国語が何をすべきかという観点。その国語で何をすべきか、国語で育むべき資質・能力を育むという観点から、この学習プロセスというものが、これで過不足ないのかという観点で御議論いただければ大変有り難いと思っております。
 以上でございます。

【北原主査】
 そういうことでございますが、それを踏まえて、氏原さん、何かありますかね。

【氏原委員】
 今、私が申し上げようと思ったことは、この資料3が何のためにあるのか、何のためにこれが作られているのかというところですね。確かにこういう形で書くと、それぞれの活動の多様性やレベルの問題というのは、当然、項目として出てくるだけになるので、捨象されてしまうわけですよね。ですから、半分質問として申し上げようと思っていたのですけれども、この資料3が何のためにあるのかというところを、きちんと確認しておく必要があるのではないかということを強く感じました。
 そういう意味では、これはそれぞれのところで、先ほど北原主査がおっしゃったように、小学校段階ではどうなるのかとか、同じ読むにしても、それぞれ段階があるわけですから、そういう段階、つまりレベルの問題だとか、それから、同じ聞くにしても多様性があって、どういう目的で聞くのかとか、そういったものが全部捨象されて項目として出ているわけですね。
 ですから、これはそういう項目を見るための資料だと理解して、それぞれのレベルに応じて、では学校種間でどういうふうにしていくのかということは、また次の問題としてあると思うんですね。
 これは、国語の学習のプロセスを一般化したモデルである。一般化してあるので、捨象されている部分については、今後、併せて考えていくというような理解の仕方がいいのかなと思ったということが一つです。
 もう一つは、プロセスと書いてしまったので、プロセスというと手順や流れと読んでしまいますので、下に「順序性のある流れではない」と書いてあっても、やはり学習プロセスというものが目に入ると、基本的にはこういう順番で進んでいくのかなと普通は受け取ると思います。そのあたりの問題もあるのかなというのが2点目。
 それから、3点目は、やはりこのプロセスにしても、先ほど酒井先生がおっしゃった、一番の重点は、考えるところではないか、それに対して、それが分かるように明示すべきではないかという御意見があって、このプロセスのところにも、何が重点で、何がそうでないのかということまで見えるようにして示すことが必要なのかどうかという問題もあると思います。そのあたりのところをどう判断するかという点が、私としては気になりました。
 以上でございます。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 確かにプロセスと書いて、右下に必ずしも一方通行ではないと。プロセスというのは流れですから、少しそういう点で誤解されるような点がありますね。
 それから、学年が入っていない、成長段階が入っていないというような点も気になるということですね。
 ほかにいかがでしょうか。はい、どうぞ。

【大野委員】
 大野です。小学校の立場から、このプロセス、イメージ案を拝見させていただきました。既にお話があったことと重なるところがあるかと思いますけれども、学習プロセスとなりますと、このことは、子供の立場から見ていると、学習過程ということに受け止めることもできるのかもしれないと思いました。これを教師が見ると、授業の要素である指導技術、指導過程、指導形態とありますけれども、その中の指導過程なのか。そうしますと、紫色の部分が左から右に流れていくとなると、少し真ん中の緑や青や赤の部分に必ずしもそのとおり過程として流れていくものではないように思いました。
 そういうことで、この学習プロセスという言葉で判断してしまうと、少し間違った形に捉えてしまう。これは、学習要素なのか、それとも学習段階ではないと思いますけれども、学習要素のような形で見てみると、一つ一つの項目が小学校で実際の授業の中で行われていることに当てはまるかなと、そのように捉えさせていただきました。
 ただ、学校現場で、よく校内研究などで取り上げられることに、学習指導要領には自己の考えの形成といった学習課程の一つとして捉えられたこともありますけれども、よく校内研究の主題に、「自分の思いや考えを持って何々をする子供を育てる」とか、「何々する力を育てる」という表現があるわけなんですけれども、思いというものや、あるいは考えというものを教師が使うときに、子供たちは全部同じような意味で捉えてしまうのかもしれないんですけれども、国語の授業の中で、その使っている言葉に対する定義付けというのか、教師の意図というか、考えというものが、ある意味で明確ではない。それで授業が進められる、あるいは研究が進められるということがあるように捉えています。
 そんなことも、この中で過不足があるかどうかということであれば、特に指導要領には「思いの形成」という言葉はないので、特段私がどうこうということではないんですけれども、実際の現場では、「自己の思いや考えを持って」という表現が多いので、このあたりはいかがなものなのかなと、小学校の現場ということでは、感想を持たせていただきました。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 考えと思いを区別して、思いも入れてほしい。入れたらどうかという御意見と、それから、確かにプロセスというと、過程を思ってしまうので、緩やかなプロセスを含む学習要素ですかね。そういうものはどうかという御意見ではないかと思います。
 ほかにいかがでしょうか。

【佐藤委員】
 よろしいでしょうか。

【北原主査】
 はい、どうぞ。

【佐藤委員】
 では、私から高校の立場から感想を述べたいと思います。
 まず、資料3の全体なんですが、我々は当然なんですが、学習指導要領に基づいて授業をしていますので、その点から言いますと、この資料3自体が、これまで話があったとおり、現行の指導要領の内容の要素を表したものであると考えました。その点から言いますと、特に違和感はないと。
 これも、先ほどからお話があったんですが、基本的には単元なり、学習のまとまりの中で、この要素を使ったり、使わなかったりしてぐるぐる回していますので、プロセスとあるんですが、我々はプロセスというイメージでは捉えていません。
 同じように、実は「話すこと・聞くこと」が一番上にあって、「読むこと」が一番下にあるんですが、これも、私個人的には、特に話す・聞くが重要であって、だから上にあるというイメージではなくて、現行の領域順で捉えていますので、特に違和感はありません。
 ただ、高等学校の方から言いますと、例えば論点1の中の例として、特に重点的指導すべきことは何かということがあるんですが、高校の場合、実は小・中と既習した後に学習していますので、基本的には全ては既習事項に載っていますので、一つは、その上でなおかつ単元ごとにそれぞれ学習の課程が違うものですから、特にどこを重点的というイメージは正直持っていません。
 あともう一点言いますと、高校の場合は、国語総合は必履修ですが、その上にまた選択科目がありますので、その科目の特性によって当然この中の軽重が付くものであると考えていますので、高等学校一括りでどの部分を重点的に指導するかというのは、非常に難しいかなと感じています。
 あと、過不足の点で1点、少し思ったのが、「話し合うこと」のところに「評価」というものがございます。これは何か理由があるのかなと思いましたので、これは質問です。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 特に今日の論点のところに特に高校ではということがありましたので、先生は高校の立場からですね。確かに教科があって、そこでまた重点があるわけですね。
 はい、どうぞ。

【横山委員】
 幼児教育の立場から、横山です。
 このプロセスを見せていただいて、子供たちが話すということを考えると、何を話すか決める、どんなことを話そうか、それで実際話してみる、お友達に意見を聞いてみるというように、活動の大きなまとまりというのは流れで見ていけるのかなと思います。
 ただ、そこで具体的にどんなことを子供たちがやっているかを認知のレベル、知的なレベルでみてみると、考えたり、振り返ったりというのは、それぞれの活動のレベルの中で、いろいろ繰り返しやっているのかなと思います。
 また、幼児であれば、話しているときに、先生の援助がとても大切なので、先生とやり取りしながら話すということもやっていきます。そう考えると、ここで出してくださっているのは、大きな活動のまとまりで示していただいていて、その中で具体的に知的にどんなことをやっているかというのがいろいろな要素で入っていくのかなと捉えました。幼児教育の立場なので、そのあたりは小学校以降の捉え方と同じかどうか分からないんですけれども、そのように感じました。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 論点2の方で、まだ御発言いただいていない委員の方がいらっしゃいますが、そこで論点1も絡めて結構だと思いますので、資料2と4をごらんいただいて、今度は学年段階ですかね。小学校、中学校、高等学校、高等学校にもいろいろな高等学校があると思いますけれども、その現状を踏まえて、特に課題と考える点、これがまたプロセスのどの辺だということにもなるかもしれませんが、より重点的に指導すべきと考える点はどこかということについて御意見を承りたいと思います。
 資料2が小学校、中学校、高等学校というので分かれている文であります。それから、資料4が、先ほど説明した資料で、資料3は今ずっと議論してきたものですが、加わるのは資料2と4ということになりますかね。
 資料4が「国語科で育成すべき資質・能力」ということで、まず「個別の知識や技能 何を知っているか、何ができるか」。知っているというのは知識ですね。
 それから、今度は力ですね。思考力・判断力・表現力と、教科等の本質に根差した見方や考え方で、左の「何を知っているか」の知っていること、それから「何ができるか」のできることをどう使うか。思考に使うか、判断に使うか、表現に使うかということで、具体的には下に力とまとめてあります。
 そして、一番右には、「学びに向かう力、人間性等」ということで、「情意、態度等に関わるもの(どのように社会・世界と関わりよりよい人生を送るか)」と、このように3段階に分けたものがこの資料4でございます。
 これについて、現状も踏まえて、課題と考える点、付け加えていただく点とか、あるいはこれが重点的に指導すべきだということなどを含めて、御意見を伺いたいと思います。
 はい、どうぞ、児玉先生。

【児玉委員】
 先ほどの論点1の議論のところで、資料3の学習プロセスのことが問題になったと思うんですけれども、私もこれを見て、活動なのか、能力なのか、その辺を区別した方が分かりがいいだろうなと思いました。やはり今回の学習プロセスというのは、活動の要素が書かれているんだろうと、そういうふうにする方が、先ほど吉田先生がおっしゃったように、教室での学習指導において、どこを重点にするのかということが明確になるという意味で、これは能力よりもどちらかというと活動の要素が入っていると私は理解をしていました。
 となりますと、能力としての、今回の中核的な能力である思考・判断・表現というものが、このプロセスの中では、例えば「考えの形成」というところに強く表れているように一見見えるんですけれども、ではここだけで働かせるのかというと、全然そういうことではなくて、ここのところは思考・判断・表現は全てのプロセスの中で働くんだという理解でいいのかなと思っています。
 私が申し上げたかったことは何かというと、この「考えの形成」のところで、まずは読むことなんですけれども、古く学校の現場では、三読法などといって、通読をしてから詳しく読んで、そしてという流れがあって、その中で先生方が大事にしてきたことは、読みが深まるということだったように思うんですね。その読みが深まるということと、この「考えの形成」というのがどういう関係にあるのかというところが、実は難所になっていて、今回の資質・能力の資料4を拝見しますと、自分の考えのところに「自分の考えを深める力」とか、「自分の考えを明確にし、再構築する力」と書いていただいているんですね。
 ここはとても大事なところで、初読の段階では分からなかったこと、知らなかったこと、例えば間違った読みなどがどんどん深まっていくことによって是正されていったり、新たな課題が見つかったりということ。特に読むことにおいての現場の先生方がこれまで御苦労してきたことと、読むことというのは、深まりとか再構築という言葉によって、より確認されていくのではないか。そういう意味では、「考えの形成」というところは特に聞くことや読むことに関しては、そのように捉えるといいのではないかと思いました。
 それから、求められている発達の問題で言いますと、さあ、深まりと再構築というものを小・中・高どこにも全部求めるのはある意味理想なんだけれども、例えば広げる、深める、再構築するみたいにすると、一つの段階性が出るのかなとも思ったりしました。
 ただ、各学年、どの学校種でも、やはり広げること、深めること、再構築することというのは求められているので、そのゴールをどこにするかという意味では、そういうふうに考えてはどうかなと思いました。これが1点です。
 もう一点だけあります。今回の資料2です。卒業時の姿のところで、大変興味深いところがありました。それは何かというと、「感性・情緒の側面」のところの右側です。特にこれは伝統的な言語文化を意識したものかと拝見している列ですけれども、その高等学校の最後のところに「随想や小説を書く」というのをゴールにしておられる。これは大変面白い、興味深いところだなと思ったんですね。
 こういうふうに創作の系列というのは、現行の学習指導要領の書くことにおきましても、アの系列で文学的な文章を使って書くとか、詩、短歌、俳句を書くというふうに設けられているので、それを卒業段階でこのように示すというのは、かなり魅力的だなと私は思っています。
 その意味で、もしこういうように創作を入れていいということであれば、さらに伝統的な言語文化も少し広く考えて、古文、漢文、文語調の文章だけが伝統文化ではなくて、今もある伝統文化という意味で、例えば短歌や俳句などを子供たちに書かせる、日本人のたしなみとして書かせるということもゴールの姿の一つとして入れてはいかがだろうかと思ったりもします。
 ただ、発達特性を考えますと、例えば小学生であれば、詩の方が自由に書けて書きやすい。中学生は短歌、高校になると俳句、俳句甲子園などもあります。そのようなものを一つのゴールにして、より言語が洗練されていくように系統性を持たせていくということも一つ考えられるのかなと。こんなふうに伝統的な言語文化と創作を絡めた一つの系列軸があってもいいのではないかなと思いました。
 以上、2点です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 北村委員、お願いします。

【北村委員】
 同じく検討のたたき台、資料2のところで、少し別の観点になりますが、情報収集、情報選択というものが全ての基本になっていますが、卒業時の姿というところで、中学校の「知的活動の側面」については、「本、新聞、インターネットなどから必要な情報を」となっていて、これが高校の卒業時の姿では、「新書や新聞社説などから」となって、インターネットがなくなるわけですね。ここには、恐らく高校卒業ともなれば、インターネットなどには寄らず、本から得たことによって書いてほしいという理想論が出ているかと思うんですが、酒井先生のお話にもありましたが、大学の学生であっても、まず何か調べたいというときは、キーワードから検索するような現状があると。
 それは、実際痛感しているところでありますし、さらに社会人になってプロの書き手になりましても、私も最近経験しましたが、ある方が、ある作家のエピソードを書いていて、これがネット情報なんですね。ネット情報、一つだけならあれなんですが、幾つもある。要するに、面白いとそれが拡散していって、ネットの中でたくさん使われてしまうので、そうすると、それを大人の書き手であっても使ったりする。
 それから、私の経験を一つ述べると、ネットのいい点と怖い点なんですが、今からかなり前になりますが、ある俳句について、おぼろに浮かんでいるが、これがはっきりした形で出てこない。こういうときにネットはキーワードを入れれば出てくるので、非常に楽なんですが、有り難いと思って見てみたら、出てきた俳句が「吾子(あこ)はみな柚子湯の柚子を胸に抱き」という句が出てきたんですね。子供たちはみんなユズ湯のユズを胸に抱いていると。文句です。つまらない句なので、これだと私の記憶に残るはずがない。おかしいなと思いつつ、しかし、ネットの功徳で作者が分かったので、その本を探したら、私の思った形で出ていました。ネットは平仮名1字が抜けていたんですね。わいうえをの「を」が抜けるんです。」「を」をどこに入れるか。「吾子(あこ)はみな」の「みな」の前の方に入れるんですね。「吾子(あこ)はをみな柚子湯の柚子を胸に抱き」。そうなると、ああ、小さい子だった。だけど、この子は女だったんだという小さい子供が胸に抱いている。自分の子なんだけれども、そこにこれから女になって、母性になっていき、そして子供たちをという感銘が非常に浮かんでくるんですね。
 これは、恐ろしいことで、ネットに出ている情報だけを見ていくと、「吾子(あこ)はをみな」だと字余りなんです。だから、形のいい形でネットにはそれが出てしまって、1人が間違えると大勢が引いて、これが多数決でいくと、その例が非常に多いんですね。私、そのことを本に書きましたけれども、「吾子(あこ)はをみな」が分かってからそれで引いたら、1例だけ出ていました。ということで、物を調べるときに役に立つことはあるが、非常に誤った情報も拡散してたくさん出ている。多数決でそれを取るということは非常に怖いことで、大手の出版社であれば、校閲部、ちゃんとしたものを抱えていますが、1人出版社とか何かになってくるとこれが難しい。さらに言えば、ブログとか何かになれば、書いたままですから、そのインターネットの怖さ。
 まさに中学校のところで「整理、関係付けながら、適切なこと根拠を示した上で」といいますが、適切に整理、関係付けながら、根拠を示した上でということになるかと思うんですが、高等学校ともなれば、新書や新聞社説から見るのでネットは……ということでは現状としてはないし、これからもどんどんなっていくので、そういうふうなネット情報というものの便利さとともに、非常に怖さがある。そういう扱いなども現状からすると、本当に必要なのではないか。高校生になれば、もう本を読むんだよということで、簡単にいけるのかなということも感じます。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 大変効果的なエピソードもお使いいただいて、今お聞きしてあれですけれども、これからの国語教育にもう少しインターネットという要素を入れる必要があるのかなと思いながら、「書くこと」というところに、「書くこと・打つこと」ぐらい。字はもうペンで書くのではなくて、指で打つんですよね。これが、書写関係の教育漢字は、読めればいいと。
 僕なんか、書けないけれども読める。何かあんな形だったんだがなと、忘れて書けないんですけれども、出てきた漢字は読めますよね。そういうことで、電子化の時代だと、やはり読める漢字と書く漢字は区別すべきだということも考えたり、文章を書くときも、あるいは打つときも、少し作法が違うのではないか。作法が違うのではないかという気がありました。
 こちら、では、西さんからいきますかね。

【西委員】
 西です。よろしくお願いします。
 先ほど児玉委員からもお話が出たんですけれども、資料2の感性・情緒のところで、高等学校の右の方の欄に、最後の出口が小説、随想という具体的な文学ジャンルが出されたと。たたき台ということで、そういった出口が作られることは大変興味深く拝見しました。
 その一方で、知的活動の側面の方も、やはり書くことで論文を書くという形で、いずれも書くという学習活動で具体的な要素が示されたというところは一方でいいかもしれないなと、分かりやすくなったということがある一方で、随想や小説が書けるという、そこの評価をしたときに、感性や情緒というものが学びとしてあるのかというところは、私、少し疑問を抱きました。
 小学校のところで、短歌、俳句という、読む、理解するという活動ですので、やはりそこの系統性を何らかの形でもう少し取るべきなのではないだろうかという思いがしております。比較的、短歌、俳句については、生涯にわたって学ぶ、たしなまれる方が多数おりますので、そういったところも踏まえた位置付けが一つ文学的な領域に関しては必要なのかなという思いがしております。
 そうやって見ますと、系統性ということを考えると、やはり韻文と散文というのをどういうふうにイメージしながら指導要領を3校種の中で位置付けていくのかというところが、やはり韻文と散文、そしてまた散文というような形になるのか、それとも散文、韻文、韻文というふうになるのか。そういったあたりのジャンルの問題も絡めて、やはりこの部分、「感性・情緒の側面」というのは、もう少し表現を練っていった方がいいかなと感じた次第でございます。
 以上です。

【北原主査】
 どうもありがとうございました。
 では、島田さん、お願いします。

【島田委員】
 島田です。ただいまの西先生の御意見も踏まえつつ申し上げます。
 資料4でありますけれども、「学びに向かう力、人間性等」の下から2つ目のポチのところに、「言語文化を享受し、生活や社会の中で活用し、継承・発展させようとする態度」とございます。このことを一つの目標として卒業時の姿、資料2を見たときに、特に言語文化に関するところ、「感性・情緒の側面」という欄を見ていったときに、どうも小・中・高を通じて、現代の言語文化の中に伝統的な言語文化というものがどのように生きているかを知るという側面は、少し薄いように感じました。
 高校の卒業の出口のところで、古典の中の具体的な一節、故事成語等を適切に引用しながらということであれば、最後のところは、例えば「日常のコミュニケーションに生かして、言語生活を豊かにする」ということであれば、これは伝統的な言語文化を継承するということに直接的につながっていくのではないかと考えました。
 もう一点あります。その資料2の左の欄です。「知的活動の側面」であります。論理的な表現というところで、小・中・高というところが貫かれております。下から筋道を立てて、さらに根拠を示して、論理的に表現する。最後は論拠の妥当性を吟味しながら、短い論文を書くとございます。ただ、高校あたりになれば、論拠の妥当性を吟味しながら読むという、批判的な読みというのも出口のところではあってもいい一つの能力ではないかと考えました。
 最後にもう一つだけ言わせてください。資料4です。資料4の左から「個別の知識や技能」のあたりです。これも「言葉の特徴やきまりに関する知識・技能」、最後のところに「和語・漢語・外来語の使い分け」というのがあったり、その下に「文字に関する知識・技能」のところに「仮名・漢字の由来、特質」というのがあります。では、「和語・漢語・外来語の由来、特質」というのもあっていいように思いますし、「仮名・漢字の使い分け」というのもあっていいのではないか。これはまとめてそれぞれ両方に掛かってこようかなと感じました。
 実は、このあたりは平成17年度の実施状況調査では、一番結果の芳しくなかったところであります。今回の同じ実施状況調査の中でも、同様の傾向が引き続き見られるとしたら、このことは重要なこととして、もう一回位置付け直してみるのがよいのではないかと思います。
 もう一つだけ言ってしまいます。同じように、「伝統的な言語文化に関する知識・技能」が左の欄にはあります。それから、右の「学びに向かう力、人間性等」というところにも出てきます。しかし、真ん中の欄には、この伝統的な言語文化に関する内容がどうもどこにも入っていないようにも見えますので、このあたりも少し整理が必要かなと感じました。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 特に資料4については、具体的な付け加えがあって、参考にしたいと思いますが、よろしいでしょうか。
はい、どうぞ。

【森田委員】
 全国学校図書館協議会の森田と申します。
 私の方からは、学校図書館の立場で少し御意見を申し上げたいと思います。資料4の左側、「個別の知識や技能」の一番下、「情報収集に関する知識・技能」というところでございます。ここには、「学校図書館」という言葉も明示してありますので、大変うれしく思っています。
 この前の学習指導要領の改定以来、学校図書館について、大変国語科において学校図書館の利用の仕方が取り上げられてきております。大変うれしく思っておりますが、今回のものを見ますと、情報収集に関する知識や技能ということで、学校図書館の利用の仕方は、収集だけというイメージがあります。収集だけですと、いかがなものかなという感じを受けております。
 具体例として、「索引の利用、目次や奥付の見方」ということで、これだけですと小学校だけで行う形になってしまいます。今では、小学校でもウェブサイトの検索等々もしておりますし、利用活用もしておりますので、ここの部分をもう少し広げた方がいいのではないかなと思っております。
 ですから、例えば「情報収集に関する」ではなくて、「情報活用に関する知識・技能」と。
 それから、「索引の利用、目次や奥付の見方」と余り具体的に書きますと、これだけやればいいのではないかと思ってしまいますので、ここはもう少し概括的に書くか、又はもう少しぼやかして書くかというのが必要かなと思いました。
 それから、一番下に「学校図書館等における情報検索の仕方」と書いてあります。これも、大変結構なことなんですけれども、その一つ前に、学校図書館の役割や学校図書館の意義等も入れていただけますといいかと。ここは「個別の知識や技能」というところですので、意義というところはこの場所にはふさわしくないとは思いますが、どこかのところに入れていただけると有り難いなと思います。
 それから、本当にささいなことなんですが、少し気になるのが、真ん中へんの「思考力・判断力・表現力等」の上から2つ目の丸に、「目的に応じて話題や題材を設定・選択したり、本や情報を選択したり」ということで、本というのは媒体の一つということです。情報といいますと、その媒体に載っかっているものだというのが一般的な理解だと思いますけれども、媒体と情報が並列で置いているのは、少し違和感があるかなという感じがしていますので、ここは表現を直した方がよろしいのではないかなと感じました。
 それから、一番右側の「学びに向かう力、人間性等」の一番下です。「自ら進んで読書をし、読書を通して人生を豊かにしようとする態度」ということで、ここも大変結構なんですけれども、少し誤解が生じやすいのかなと懸念されるところがございます。今もそうなんですが、読書といいますと、どちらかといいますと、文学を読んで、情緒を豊かにする、心を育てるという側面が今までずっと強調されてきておりますが、この部分も「読書をして人生を豊かにしよう」ということで、文学の本を静かに読むというイメージがどうしても浮かびがちです。ここも、「人生を豊か」という形ではない表現の方がいいかなと思っております。
 済みません。ついでに、資料2ですが、「知的活動の側面」で、小・中・高の校種別に書いてあります。この中に、中学校には「本や新聞、インターネットなどから」と書いてありまして、小学校では、「本や情報を」と、ここの並びもおかしいんですけれども、本や情報ということで、これを素直に読みますと、卒業時、小学生は本だけから情報を得て、中学生になって新聞、インターネットからと読み取れますが、現実にはもう小学校において既に新聞も取っておりますし、インターネット等も、それ以外の資料も学校図書館にたくさんございますので、この部分が少し現実と即さない。現在の実情とも合っていないかなと思いますので、ここは工夫されたらいいのではないかなと思っております。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 いろいろ具体的な御指摘もありましたけれども、ほかに。はい、では、中村先生。

【中村委員】
 済みません。失礼します。
 一つだけ。この2つの資料の個々の文言ということではないんですけれども、きょうの会の冒頭に大杉室長から小・中・高の縦軸と教科のつながりの横軸ということでお話がありましたし、また論点整理の中にも、教育課程全体でという課題が示されておりました。
 それを受けたときに、国語科の中で小・中・高の出口を考えたり、あるいは資質・能力の3本柱の中身を整理していくとともに、高等学校卒業段階でどういう児童生徒を育てるのかというところのゴールイメージというか、そこで必要な資質・能力は何で、それが、例えば小学校卒業時にはどういう資質・能力が必要で、それに向けて、例えば日本語を担当している多くの子供にとっての第一言語である国語、日本語を担当している国語科は、どういう資質・能力を高めるのかという点があると、例えば資料2にありますような内容がどうして必要なのか、あるいはほかにどういうものが必要なのかということになるかと思います。
 先週、OECDのジャパンセミナーがありましたけれども、そこで各国の教育改革の幾つか事例説明の中で、韓国の教育改革、ナショナルカリキュラムの報告の中で、まずジェネラルコンピテンシーを定めて、そこからサブジェクトコンピテンシーを抜き出していって、サブジェクトコンピテンシーに応じて、各教科のアクティビティーがどういうものが必要か。そのアクティビティーをする中で、そのコンピテンシーが育まれるかという御報告があって、私はなるほどと思ったんです。一つには、そういう全体像からの個々の検討という方向からの議論の在りようというのはどうなのかということをお聞きできればと思って、今発言させていただきました。

【北原主査】
 どうもありがとうございました。

【大杉教育課程企画室長】
 失礼いたします。今、御質問でございましたので、恐縮ですが、お時間を頂きます。OECDセミナーの件も御指摘いただきましたけれども、そこで我が国として発言させていただきましたのは、特にコンテンツとコンピテンシーのバランスを考える必要があると。例えば、イギリスでばっとコンピテンシーが流れて、今コンテンツに戻っているというような揺り戻しではなくて、我が国はしっかりとバランスを組み立ててやっていこうという方向性でございます。
 したがいまして、論点整理に基づきまして、今、各教科の御議論を頂いているということ。これが、ある程度まとまりましたら、今度は荒瀬先生に主査をお願いしております、高等学校部会の方で、それを全部1回整理をさせていただきまして、それを踏まえまして、もしかしたらまたこういうことをお願いしますということもあるかもしれません。年明け以降は、少し学校種別のそういう部会も走ってまいりますけれども、そういう構造になっております。
 失礼いたしました。

【中村委員】
 ありがとうございました。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 では、宮澤先生。まだ1回も発言していらっしゃらないので、まず。

【宮澤委員】
 先に失礼します。宮澤です。
 最初の論点1のところで、少し感想を述べさせていただきますと、国語科における学習プロセスと、先ほど来、議論になっているプロセスという言葉ですが、やはり私も何人かの先生がおっしゃったように、要素的なところが強いのではないかと思います。もちろん、プロセスではない要素だよと述べられていますが、要素と私は捉えさせていただきました。
 それから、先ほど、どなたか御発言があったような気がしますけれども、この国語科の基礎的な内容である、現在では伝統的な言語文化に関する知識、技能とか、あるいは国語の特徴に関する事項という内容も、やはりこの辺に付随させていく必要があるのではないかと思いました。
 もちろん、従来の言語事項は、全ての3領域に溶ける形で行うということで、言語事項というのはなくなったという背景があるわけですが、やはりそれらが見える形であった方が、取り立て指導であっても、この3領域にそれらも当然直接関与するよということが見える形になっていた方がいいかなと思いました。
 それから、順序性ですけれども、かつて10年ぐらい前に、話すこと・聞くこと、この順序というものが、果たしてこれが順序性のあるものかどうかという議論があったように記憶しております。そのときに、やはり話すことを優先させながら、コミュニケーション能力を高めるというお話があって、話すことを先に持ってきているということがありましたけれども、先ほど酒井先生でしたか、冒頭でお話がありましたけれども、やはり情報を入れるということを優先させながら思考していく、あるいはコミュニケーションを取っていくという日本人的体質というか、そういうものがあって、そしてコミュニケーションというものが成立しているという背景もあるから、そのときには、聞くこと・話すことという順序ではないかという議論もありました。そんなことを少し思い出しながら聞いていたわけです。
 それから、私は書写に関する領域ということで少しお話しさせていただきますと、資料4の「個別の知識や技能」というところに、「書写に関する知識・技能」というのが1行書かれております。書写というと、ただ字を正しく整えて速く書けるという技能の面の部分に特化されやすいんですけれども、字を書くこと自体が、様々な知識、経験を踏まえた上で字が書けるということなんですね。
 これを発達段階別に考えていくと、やはり最初は文字指導と書写指導というのは、ある意味では同じところを指している。ところが、どこが違うかというと、文字指導では字体、いわゆる文字の骨組みを書くという部分で学ぶんだろう。書写では、それをどう書くか、そしてまた、字形になるときにどうなるか。いわゆる字体を可視化して字形にするというプロセスの中で、どのように書いたらいいのかということを学ぶということがあるわけで、そのことをきちんと押さえていかなければならないだろうと。そして、また発達段階に応じて、それをどのように効果的に書くかということをやっていくということが求められていくと思います。
 それから、学校現場で考えますと、今の子供たちの指先の巧緻性というものが非常に劣り始めている。これは、箸の持ち方から、鉛筆の持ち方などを指導する時期がありました。2本の箸を持って、下にある箸を1本抜けば、それが鉛筆の持ち方だよという指導ができた時代があったわけですが、今は箸の持ち方そのものができないと。ですから、どっちを向いても正しい持ち方にならない。こういう書写においては、指の巧緻性というものを通しながら学んでいくという過程もあるだろう。
 それから、さらに書写に関して、ただ字を整えて書けるというのみならず、やはり自分のために書くということと、それから、ある程度発達していけば、他者のために書くという他者意識というものをそこには入れていかなければならないだろうと思います。そういう意味で、他者を意識する書写学習。これをもう少し前面に、これから出していくべきであろうということだと思います。
 そのためには、やはり先人がどのような文字を書いてきたかという文字の歴史的な背景、それから、文字の成り立ち、こういうものを早い時期から見せていく、そして知らせていく。そして、それが先ほど来、出ていました短歌や俳句、そういうものとのつながりも出てくるということで、書写が書写で終わるのではなくて、いろいろなところに波及する、そしてまた応用されていくということが今後、書写教育では大切になるのではないかなと思います。
 そんなところ、少し書写に特化した話になりましたが。

【北原主査】
 どうもありがとうございました。
 書写も伝統的な言語文化の一つではありますから、そういう観点も必要だと思いますよね。
 では、井田さん、先にお願いしましょうか。

【井田委員】
 井田でございます。
 資料2の各学校段階における卒業時の姿というのを見ておりますと、理想と現実の落差というのを感じます。これは、卒業時にはこうあるべき、こうありたい、あってほしいという理想は高らかにうたい上げられていると思うんですが、私自身のことを考えてみても、これは小学校卒業時の姿にまで至っているだろうかという感じです。大学を卒業して、アナウンサーとして入社してくる、言葉に多少なりとも関心のあるであろう人間を見ても、うーん、どうかなというぐらい、こうありたい理想はともかくとしても、現実はなかなかここまでは至っていない。なかなかというか、かなり至っていない。
 それで、学習指導要領を改訂するということは、今の学習指導要領に何か足りない、あるいは時代にそぐわないものがあるから改訂するのだろうと思います。ですから、今、箸や鉛筆が持てないというお話、また先ほど来、ここが足りないという具体例も出てきていますけれども、今の学習指導要領では、現場の先生がここが教えづらいとか、ここが育たない、身に付かないと感じているというような具体例をたくさん挙げていただいて、そこから現実に役に立つ学習指導要領の改訂でなければ意味がないと思いますので、そういう形で対応していける。現実的な改善を図るということを目的に議論を積み重ねていければと私は思います。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 本当に根本的な話だと思いますよね。では、何が問題で改訂するのかと、簡単に答えられる方がいたら教えていただきたいんですけれども、そういう点で、荒瀬先生。

【荒瀬委員】
 そういう点ではないのですが、私は言語活動という点では、4つの力というのをずっと大切だと思ってまいりました。
 その一つは、受け取る力、考える力、判断する力、表現する力。これらはぐるぐる回りますし、終わらないといいますか、閉じない。また、あっち行ったり、こっち行ったりしますから、先ほどの学習プロセスみたいな御説明と一緒で、必ずしも順番とは言えない。しかし、一つの流れとしてはそういうものがあろうかということを考えています。
 それに基づいて、2点、今議論の中で出てこなかったことについて、細かいことなのかもしれませんが、非常に気になることを申し上げたいと思います。
 一つは、資料4のところで、これは「何を知っているか、何ができるか」というところ、あるいはまた、それをどう使うか、また「どのように社会・世界と関わりよりよい人生を送るか」全てに関わる、3つの要素に関わることかと思うのですが、具体的に指導を進めていく上で、分かりやすさという点では、メモを取るという力をどのような形で付けていくのかというのは、相当真剣に考えなければならないと思います。高校生や大学生を見ていますと、人の話を聞いているときにメモを取れないといいますか、メモの取り方というのは、訓練すると相当に巧みになるということもありますので、そういったことを強調していく必要があるのではないかということが一つ。
 もう一つは、演劇の分野というのが、触れられていないように思うのです。現行の国語の教科書には、戯曲が載っているということがありますが、国語の教員が得意、不得意というのがありまして、なかなか指導ができないというところもあるようですが、演劇の活動、体験というのは、他者の立場に気付くとか、あるいはそれを通して自分に気付くという点でも非常に重要な側面があって、コミュニケーションということを考えましても、非常に重要ではないかということを思っております。ですから、その点につきましても、今後、御議論いただければということを思います。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。

【酒井委員】
 一つだけ、具体的に資料4の追加をお願いしたいと思うんですが、これを見渡して、他教科の資質・能力と対比したときに、何が国語科のポイントなのかということを考えたときに、より基本的なこととして、やはり心を伝え合うということを盛り込んだ方がよいのではないかと思いました。つまり心というものは、言語を支えている一番大きい部分なんですが、それがこの資料4には見られていないように思います。ですから、やはり言語表現には限界があって、そこを補う部分が必要だと思います。
 ですから、具体的には、「思考力・判断力」の真ん中の部分に、「他者の心を想像する力」というような形で想像力を入れていただく。
 それから、一番右の「学びに向かう力」としては、「他者の心と共感する力」というような項目を入れることで、言語表現だけでは意を尽くせない部分に思いをはせるということを、是非国語科の1つの目標に入れていただければと思います。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。心ですね。
 では、藤森先生、高木先生から簡単にお願いします。

【藤森委員】
 具体的に2つ申し上げます。
 1点目ですけれども、資料2です。コミュニケーションの側面についてです。先ほど、井田先生もおっしゃったように、ここに書かれているコミュニケーションのできる形態は、多分大人の世界でも難しいという印象を前提として申し上げます。その上で、この内容ですと、高等学校の姿と中学校の姿が逆になっていると思います。その原因はどこにあるかというと、現行の学習指導要領のところにあるんですが、この資料2で抜けていると思われるのは、現行、国語総合では、自己評価や相互評価を行うという、つまり一体このコミュニケーションによってどういうことが自分でうまくいかなかったのか。むしろコミュニケーション行為というのは対人行為で、うまくいかないことが結構多いんですね。そういうときに、何がうまくいかなかったのかというところまで見通せるような力がないと、社会に出たときに高校生を社会に送るときに、多分そこでつまずくだろうと思います。この要素は既に現行にありますので、もう一度御検討ください。
 2点目です。資料4で気になる部分があるんですが、「学びに向かう力、人間性等」で、「国語や言語文化に対する関心」とあります。この言語文化が何を示すのかということなんですが、もしもこれが日本の言語文化であるとすると、現行の学習指導要領の言語文化の記述の中で、国語はこれを内包しているんですね。それで、グローバル化を考えた場合、多分これは日本に限らず、いろいろな世界の言語文化だろうと思うんです。それは、現代文A、古典Aの中で示されています。先ほどイギリスがコンテンツベースになったというお話がありましたけれども、つい先日まで行ってまいりまして、どうなっているかと言いますと、やはり文化に対する関心を持っていて、ブリティッシュバリューという目標設定の中で、どういうふうにいろいろな文化を受容し、いろいろな文化で関わり合っていくのかという問題が大きく取り上げられています。ついては、どういう人間に育てるのかという問題で、どんな人間を育てようとしていくのかということへの方向性を示し得るような要素を含みつつ、この言語文化の捉えを少し整理しておかないと、何を指すのかということが分かりづらくなっているなと思いました。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 では、こちらの高木先生、それから最後は代理の高木先生からお願いしましょうかね。

【高木(ま)委員】
 はい。簡単に申し上げます。
 この資料2の知的活動のところで、どうしても気になるところで、もしかしたらこの中にも含まれているんだということかもしれませんが、「情報を収集し」というところが出てきます。学生たちを見ていますと、当然、情報収集のために読んでいる感じがあるんですけれども、論じ方や考え方を読み取らないために、例えば情報だけをピックアップしてくるような読み方になってしまっていると。そこが、非常に読みを痩せたものにさせているのではないかというところが気になります。それが1点です。
 それから、ネットの話が先ほど出ましたけれども、これは国語でどこまでやるかという問題もありますが、どこかでやっていただきたいという意味で申し上げますと、書いたものについては、メール、一般のワード等の文書で、それぞれ意味が違ってくるし、責任がある。それから、いつまで残るかという問題があって、実は過去に書いたものが、社会人になってからすごく影響を持ってしまっているということもありますので、そういうことも含めたところを、国語ではないかもしれませんが、考えていただきたいということが1点です。
 それから、先ほどの資料3のところで誤解をされているかもしれませんが、私はこの前提となる枠組みがないと、ここに何が足りて、何が足りないかというのが見えてこないだろうということで申し上げました。この図で言うならば、資料2のところのいわば横軸にバーが1つあって、こういう項目があるから、ここには「話すこと・聞くこと」にはこういうことが入るでしょうというものが必要なのではないかと。その前提となるものが必要だと言っただけであって、この表を否定したわけではございません。それがあることによって、より明確になるのではないかということです。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 それでは、主査代理からまとめてもらいましょうかね。

【高木(展)主査代理】
 まとめになるか、少し疑問なんですが、先生方のお手元に論点整理がありまして、これは前回も見たと思うんですが、恐らく附箋が入っているページがあると思います。ここの下のところに図がありまして、「育成すべき資質・能力の3つの柱を踏まえた日本版カリキュラムデザインのための概念」。これが実は資料4のところになっているということをもう一度確認しておきたいと思います。
 それは、どういうことかというと、言葉として学ぶということは、全ての教科のベースになっていきます。国語においては、まさにその言葉を対象化して、意識化していくということをこれからやるわけですが、きょうの御議論の中にもその中の要素というものが幾つか出てきておりまして、この要素をどういうふうに資料4のような形の中で表していくかということが、これから国語の大きな課題になっていき、さらにそれが仕上がったところでは、資料2のような形の文章として、指導要領の形になっていくということになります。
 まさに、これからやろうとしているのは、先ほどコンテンツベースとコンピテンシーベースということが出ていますが、この三角形の図は両方を組み込んでいるものでありまして、この中でコンテンツとコンピテンシーを考えながら、資質・能力として全ての教科のベースになる国語、さらに国語で育成すべき資質・能力というのは何か、今後の御議論の中で是非深めていきたいなと思っています。
 以上です。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 本当にいろいろ貴重な御意見を頂いていい会になりましたが、時間が足りないのが申し訳ございません。議長の不行き届きをおわびいたします。
 それで、きょうの御議論は以上にさせていただきますが、延長できればいいんですけれども、そうもいきませんので、資料5というものがございますが、これは時間があれば少し説明していただこうと思ったんですけれども、次回の議題にさせていただきますので、お持ち帰り頂いて、読んでおいていただきたいと思います。よろしくお願いします。
 小林補佐、いいですね。資料5はそういうことで。
 では、きょうはこの辺で終わりといたしたいと思いますが、本日頂いた御意見については、お聞きになっただけではお分かりになりにくいところもあったかもしれませんので、事務局で論点ごとにその趣旨を整理していただくようにお願いします。
 それから、きょう、時間がなくて御意見を出していただけなかった、あるいはその後、気付いたことなどがありましたら、ペーパーで事務局にお送りいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 本日予定されていた議題は、時間不足でしたけれども、ここまでといたします。
 次回以降の日程について、事務局から説明をお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 それでは、次回の会議につきましては、1月19日、火曜日、10時から12時の開催を予定しております。場所は未定でございます。
 また、主査からお話がありましたように、ペーパーによる御意見等も頂戴いたしたいと思っております。ファクス又はメール、郵送でも結構です。
 なお、本日の配付資料は、机上の封筒に入れていただければ、後ほど郵送いたします。
 また、資料5につきましては、次回、高等学校の科目構成についてということで、実際の論点整理に示された新たな科目の前提となる課題等をまとめさせていただいておりますので、また次回、説明いたしますので、よろしくお願いいたします。
 以上でございます。

【北原主査】
 ありがとうございました。
 それでは、本日の国語ワーキンググループを終了いたします。
 ちょうど11時59分30秒でございます。御協力ありがとうございました。

‐了‐

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程第三係

電話番号:03-5253-4111(代表)(内線2076)