教育課程部会 国語ワーキンググループ(第1回) 議事要旨

1.日時

平成27年11月19日(木曜日) 10時00分~12時00分

2.場所

合同庁舎第7号館東館3F2特別会議室
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 国語教育の改善充実について
  2. その他

4.議事要旨

1.国語科を通じて育成すべき資質・能力について

資質・能力

 小学校、中学校、高等学校の国語でどのようなことをやってきたのかを聞くと、ほとんどの方が作品名を挙げられるが、どのような国語の力が身に付いたのかを聞いても答えていただけない。今回の改訂は、学校教育でどのような資質・能力を身に付けるのかが大変重要視されており、この国語WGで考えていきたい。国語教育の歴史をみると、昭和52年に、表現・理解・言語事項という能力ベースの学習指導要領があり、その後、「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」という活動ベースの学習指導要領となり、現行に続いている。そういうことを含めて、国語における資質・能力というのはどのような方向にあるのかを考えていかないと、次の時代の国語の力、国語の学力というのを育てられないと考えている。

 国語科という教科において何を育成すればいいのか、国語力というものをどう捉えるのかについて明確にして議論すべき。その際、文化審議会答申の「これからの時代に求められる国語力について」が、大きな枠組みとして使えると考える。例えば、コミュニケーション能力については、考える力、感じる力、想像する力、表す力までを含めた総合的な能力として捉えている。これまでの学習指導要領の中での国語力の捉え方があると思うが、その点を明確にして今後の議論を進めるのがよいのではないか。

 国語が重要なのは、思考言語の基礎であるためである。コミュニケーション重視の方に傾き過ぎるような傾向があるので、まずは、自分で考えるということの重視、そこに国語教育が位置付けられるということを打ち出していただきたい。

 論点整理では、社会との関わりを重視していかなければいけないとされていたが、そのためには、母語としての言葉の持つ役割を定義しておくことが必要と思う。これは、考える言葉-“思考”と使う言葉-“使用”という概念で捉えると、クリティカルに考える力に必要なのは語彙力であり、それをどういうふうに組み立て、国語として表現するのかが重要と考える。その際、学力として定着させていくためには読書が密接に関わると考える。

 国語の力を身に付ける基本は読みである。うまく国語の力が身に付いてこなかったのであれば、授業時間だけでは読む量が足らず、課外の時間で十分読書がなされなかったためではないか。授業だけで国語の学習が終わってしまっては国語の力は十分身に付かないため、自分でじっくり本を読む習慣を付けさせることを打ち出していくことが重要である。

 大学生を見ていると、必ずしも国語の力、特に書く力が高いとは言えない。文系・理系を問わず、小・中・高でいかに国語の力を上げるかということを考える必要がある。現在のネット社会では、相手がどのように読むのか、誤解が生じないのか、どこまでが事実でどこまでが主観なのかということが全く曖昧なまま、垂れ流しのように発信され、多くの人の目に留まる時代を迎えている。基本は読み書きであり、「書く」ことについて、じっくり書くのはどういうことなのか時間をかけて教えていく必要がある。

 グローバルコミュニケーションについては、英語の力だと誤解されている場合があるがそうではなく、これまで出会ったことのない背景や文脈を持つ人たちとどのような関わりを持つかということを考えていくことが前提になる。ローカルコミュニケーションスキルはグローバルコミュニケーションスキルにつながっていくものであり、コミュニケーションをどう考えていくかが重要である。

 高等学校の中で、一番、授業改善ができていない教科が国語だと感じている。小学校や中学校の授業は変わってきているが、高校の授業は数十年前とほぼ変わっておらず、詳細な読みにかなり偏った形の指導が今でも行われている。学習指導要領には、「読むこと」以外にも「話す・聞く」「書く」の領域があるにも関わらず、ほとんどの国語教員がそれを意識できていないのが現状。このため、学習指導要領本体を変えるだけでなく、それをどう具体化していくかが課題と考える。その一つが教科書の問題で、読むことの教材が多くを占めているため、どうしても授業が活動中心に変わっていかない。能力ベースの教育にしていくためには、その点を変えていく必要がある。

系統性

 今回は特に高等学校の出口の問題が大変重要になってくると思う。小・中・高等学校を通じて育成すべき資質・能力について、評価規準の在り方も含め、高等学校の出口との関係でどのようにしていくか議論する必要がある。

 高校卒業時点で身に付けるべき資質能力に関し、選挙権年齢が18歳に引き下げられたことを考えると、主権者としての国語の力をどのように付けていくのかが大切である。その一つとしては、単にうまく話せるとか空気が読めるというレベルのコミュニケーションではなく、本当によく考える、受け取って考えて判断して表現するというサイクルがつながっていくような言語の力としてのコミュニケーションを、母語である日本語でできる必要があるとの問題意識を持っている。

 国語の授業の中で、社会に送り出すまでにどのような力を身に付けていくのかというゴールのイメージを明確にすることが重要であり、それがないと、高校の3年間、あるいは中学校、小学校の9年間の教科内容が明確にできないと考える。例えば小学校1年生の授業と小学校6年生の授業で同じ説明文、同じ文学的文章を読んだときにどのように違うのか。ゴールの設定と同時に、小学校の低学年、中学年、高学年、中学校、高等学校の学びがどのように違うのかという点を明確に打ち出していく必要がある。また、どのような教科内容を設定して、どのように具体的に指導していくのかも意識化しないと、小学校から高等学校まで学習の指導法を変えることはできないと思う。

 小学校教員には、今の子供たちが社会人になったり、大学受験をしたりする年齢に達した時にどういう力が求められているかといった視点から、日々の授業をどう改善していこうかというような意識が少し弱いと感じている。また、基礎基本の学習と思考力・判断力・表現力等の育成のつながりをどう考えるのか、そのためにどう授業を作っていくのかという点の見通しが少し弱いと思う。

 幼児教育部会においても、就学前までにどんな力を養っていけばよいのかを明確にしようと議論されており、それが高校の出口のゴールまでつながっていくとよいと思う。例えば、伝え合いなどの芽生えは幼児教育の中に既にあるので、それをどう伸ばしていけばよいのかという過程を考えていけるとよい。また、幼児教育の指導方法と小学校以降の指導方法は大きく違うので、その点も参考になるのではないかと思う。また、言葉の習得といっても、言葉だけではなく、表情や身振り手振りなど言葉以外の文脈に依存して発達するところもあると思う。そういった点を言葉の習得にどのように取り入れていけばいいかということも、幼児教育からつないで考えていきたいと思う。

指導内容

 近年、文語の表現が使われなくなっており、正しい文語の表現を知らない人が多くなっていることが気になっている。例えば、正しくない文語の表現が書かれた絵本があったが、作者も編集者もそれらしい感じが出ればいいとして問題視していなかったと聞いた。文法的な理解ができるようにするということよりも、間違った表現に対する違和感を育てていくこと、それが言葉の基盤であり、国語教育として大事なことだと考える。

 論点整理には、古典学習の充実や伝統的な言語文化への関心・理解を深めるという方向性と、実生活に役立つ力を付けていくという方向性の両方が書かれているが、この両者をどのように結び付けていくのかが重要。知識として伝統的な言語文化を知るということだけではなく、また、従来の古文・漢文の学習という概念から、より広がりのある内容として考える必要がある。

 現在の情報化社会においては、手で字を書くことが極端に減少してきているが、言葉を獲得するという手段として、今後も手で字を書くことは非常に重要であると考える。書写に関しては、お手本を見て、ただそれを写すという旧態依然とした学習が行われているのが現状であるが、手で字を書くということは、頭の中に描かれた文字について、それがどのように構築されていくかという知識や経験がフル活用されて文字が形成されていくものなので、そのことが自覚できるような学習にしていくべきと思う。

 書写は文字を書くものなので、漢字学習や文字学習との関連を深めていくということも必要であり、書写が独立しているのではなく、「話す・聞く」「書く」「読む」の「書く」の部分との密接な連携があるべきと考える。

 大学生にはがきで礼状や挨拶を書かせてみると、はがきに書く形式等は小学校の教科書に載っているにも関わらず、書けない学生が多い。また、年賀状と暑中見舞い以外にはがきを書いている学生はほとんどいない。そのような社会だからこそ、国語科で育成すべき力の一つとして、日本固有の書き文字の文化というものも充実させていく必要があると思う。また、漢字は画数が増えれば複雑になり、平仮名は曲線的な線を描かなければならず、それぞれ難しい。特に平仮名については、なぜ平仮名が曲線でできているかということの背景なども、日本固有の文化として指導することも大事だと思う。

他教科との連携

 外国語教育との連携による言語能力の向上については、日本語と外国語の言葉の仕組みを学ぶことでそれぞれの違いを理解することよりも、日本語と外国語はどのように同じなのか、つまり人にとって言葉とは何なのか、言葉というのはどのように働くのか、どのような役割を果たしているのかということを、特に小学校で重点的に学ぶことが言語能力の向上に資すると考える。これは国語の学習の中でやるべきことと思う。

2.アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき国語科の指導等の改善充実の在り方について

 現在、各教科等で言語活動が行われているが、実際には、教師が話合いの仕方やホワイトボードの使い方などを指示してしまっていて、児童生徒がどのようにコミュニケーションを行うかについて自立的に思考・判断し、コミュニケーションを通して課題解決に向かうという活動にはなっていないのではないか。このような、思考や判断に支えられるコミュニケーションについては、国語科の「話す・聞く」の学習の中で取り入れていけるのではないか。

 現行の学習指導要領においては、実生活に生きて働く言葉の力を育成することや、国語科が基盤となって言語活動の充実を図っていくことが求められており、多くの小学校において実践されてきていると感じる。例えば、子供たちが受け身とならない読みの授業の在り方についても、言語活動を充実させていくことで徐々に改善が見られてきているように感じている。また、学校図書館と連携して、読書活動と国語の授業をつなげていく実践も見られるようになってきている。書くことにおいては、学習を通して身に付けた力を教室内にとどめるのではなく、家庭や地域社会などの外の世界でも発揮していくような、相手意識、目的意識を基にした子供たちの実生活につなげていこうとする実践も見られてきている。ただし、小学校は学級担任制であるため、国語を専門とする教員によってこれらの実践が進んでいる一方で、すべての教員に広がっているわけではないことが課題である。

3.資質・能力の育成のために重視すべき国語科の評価の在り方について

 

4.必要な支援(特別支援教育の観点から必要な支援等を含む)、条件整備等について

 カリキュラム・マネジメントの問題になるが、学年・教科ごとに作成している年間指導計画については、年度当初に作られたままになっており、教科部会や担任によって、年度中に改善していくことは十分には行われていない。また、各教科の特性を生かしながらも、自分の専門性を向上させていくということとともに、子供たちに幅広い学びの場を提供できるようにするためには、外部の講師を授業に積極的に招聘して、体験的な学習を充実させていくということも必要であると思うが、学校外の人々との連携を模索するという開かれた意識というものが、学校現場にはまだ十分育っていないと思う。

以上。

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