資料1 家庭、技術・家庭ワーキンググループにおけるこれまでの主な意見(未定稿)

【技術・家庭全体について】
○ 国連では、SDGs(持続可能な開発目標)が示されたところであり、今後、貧
  困問題やガバナンスも含めてどうあるべきかを考える態度を身に付けさせることが必要。このため、持続可能な開発やグローバル化といった文言を明示していくとよいのではないか。

○ 倫理や公正さというものを考えるようにしていきたい。18歳選挙権が実現し、1票投じることがどのような社会選びになるのかを理解させていく必要がある。最近は自動車会社の不祥事や建築会社のくい打ち問題など倫理観が欠如した状況もみられる。これらのことについて大人がきちんと回答していかないと、自分のよりよい人生を考えようとはならない。

【家庭科教育について】
○ 高校家庭科では、少子高齢化、環境問題、グローバル化への対応や家族の問題など現代社会にかかわる課題を扱っている。特に、ホームプロジェクトや学校家庭クラブは、家庭科を通じた学びを実践して課題を解決していく力を養うものである。このような取組の中には、地域を動かすエンジンの働きをしているものもあり、課題解決の力を養うことはますます重要である。また、学校経営者の立場としてみると、地域に開かれた学校経営という観点からも重要な時間と考える。家庭基礎2単位を履修させる学校が増える中、どのように授業を充実させるかが課題である。

○ 主に0~3歳児を受け入れる親子の交流広場(地域子育て支援拠点)を運営しているが、近隣の連携している高校では、学年ごとに取り組み方を決めていて、授業の一環で手作りのおもちゃを作ってくるなどの交流がある。また、県立高校の取り組みとして学生はボランティアで単位が取れるので、ボランティア活動にくる生徒がいる。取り組んだ生徒にとっては、大学進学など進路選択にもつながる経験になっているようだ。盛んに取り組む学校とそうではない学校の違いが大きい。中学校では、職業体験的に取り組む学校もみられる。
横浜市の調査では、子供が生まれる者に乳幼児にかかわる経験があるかと尋ねたところ、4人中3人はないという。経験を積むことは重要で、一歩踏み込んだ関わりに取り組むことが必要である。少子高齢化や生涯未婚率の割合が増えており、家庭で経験することが難しくなっているので、家族をもつということの価値観について、学校の役割の重要性を感じている。

○ 高齢者や幼児のいない家庭が多い。学校は同年齢の者同士が集まっており、リーダー的な立場の子もいれば付いていく子もいる。幼児触れ合い体験を通じて、生徒は今まで面倒をみてもらう立場から、面倒をみる立場を経験することになる。このことにより、どの子も自己有用感を感じることができ、教育効果は高いと考える。
様々な家庭状況の中、家庭の中で自立に必要なことが伝承されていくことが難しいところもある。小学5年の家庭科の授業で初めて針と糸や包丁を持ったり、中学校2年で洗濯機を初めて使ったりする。今の家庭では、昔は当たり前であった、うどんをうったり、出汁(だし)をとったり、ミシンを使うといった経験が積めなくなっていることから、学校で指導することは生活文化を継承させる意義もある。その際、地域人材の活用が重要である。家庭科は社会と関わりをもてる教科である。

○ 小学校は6歳から12歳までの児童が在籍し、発達の違いが最も大きい。社会に出て健全に生きる素地を養うことを目指して、学力の充実、ルールや規範意識、健康な体で生きることついても指導が行われているが、その中で家庭科の果たす役割は重要である。課題意識をもって、自分の家庭生活や社会に目を向けるということが指導されている。
家庭科では、買物の学習をするが、モノの値段が毎日変わることを知る。そのことは、社会科で学ぶ流通や農業などに視野が広がるきっかけにもなる。家庭科では、課題意識をもって生活を見つめる目を養うことが重要である。

○ 経済格差が大きく経済的に困難な家庭も多い。家庭科は家庭と連携して実践することが重要と言われるが、実際できていないところもある。実践をしないと教科の本質が成り立たない。家庭の機能は昔のようには回復しないとの考えもあり、実践する場のない家庭をどのように受け止めていくかが課題である。中学の生活の課題と実践、高校のホームプロジェクトのような取組を、小学校でも実現できるとよい。
アクティブラーニングを全教科で進めていくとなると家庭科の特徴は薄れていくが、実践化を図る上では家庭科での取組を通じて生活価値観を作っていくことが重要である。
学習内容が盛りだくさんであるから、規定を大綱化することが必要。カリキュラムマネジメントの在り方を踏まえ、教員全体に共通理解を図っていくことが重要である。

○ 生活から離れないということが家庭科の特徴である。例えば、スクールシューズを買うことになっている学校で、はきにくい、よごれ、足の疲れなどの課題をもとに、どのような靴が欲しいかを考える取組がある。消費者の視点から考えるものである。また、スーパーに出かけてモノの値段をみるなど、子供に選択する力を養っている。
中・高校の家庭科では、エシカルコンシューマーを育む指導もみられるところ。フェアトレードや児童労働問題も取り扱うが、問題は時間がないことである。
アクティブラーニングには、家庭科はこれまでも取り組んできたが、問題解決の部分をどこまで丁寧にやっていくかが重要である。
思考力、判断力、問題解決力は家庭科で取り組んできたところである。今後、他教科との関わりの中でどのように進めていけるか可能性が楽しみである。

○ 先の学習指導要領改訂で、総則に食育の推進が規定された。食育は教科横断的に進めていく必要があり、小学校ではかなり取組が進められているが、中・高校はこれからである。その中で、小学校では、いろいろな教科での取組が5年の家庭科で整理することになるが、それは家庭科ならでは取組である。
食は健康のためにあるのであり、間違うと健康を阻害することになる。このような指導の中で、倫理的なことも学ぶことができる。
家庭により事情は様々であり、児童生徒個々に課題は異なる。食についてはこうでないといけないということはないが、理由をもって実践できる力を育むことが必要である。

○ 衣食住を媒介として考えている。衣はライフスタイルを表現する手段であり、生活を多面的に考えることのできる教材である。生徒はあふれるモノの中で生活をしているが、モノを十分見つめられていない。背景にある文化や科学技術を受け身的に受け入れている。なぜその形なのか、その素材なのかを根拠をもって考えさせることが必要である。そのため、思考力育成を意図した問いかけと題材構成が課題である。学校におけるものづくりの意義を考える必要がある。取組の中で、生活の土台となる感性を育むことにもなる。


1.家庭科、技術・家庭科(家庭分野)における教育のイメージについて
○ 高大接続改革実行プランの中で挙げられた、課題の発見と解決に向けた主体的な協働的な学びの推進は、これまでも家庭科教育の中で育んできたことでもあり、これから更に充実させるべきことと思う。小・中・高の地域との関わりでは、小学校高学年では地域の人々との関わり、中学校では地域の人々と協働、高等学校では地域の生活を創造するということで、身近な地域を含めた社会とのつながりの中で課題解決に取り組んでいく流れがよく分かってよい。
地域の中での異年齢・世代の方との交流から、コミュニケーション能力が育ったり、学びに向かう力を育んだり、柔軟な発想力が育ったりする。地域の教育力を利用することはこれから大切なことではないか。

○ 生活文化の視点から、小学校では「日本の生活文化についての理解を深める」、中学校にも同じ文言が重なり、高校では「日本の生活文化を継承・創造する力」と、高められる形になっている。生活文化に注目することについては、地域に学習の根を下ろして世界に発信していくという意味で、グローバル化の視点からも地域学習を充実する方向性と思う。
さらに、憲法25条に、「全ての国民に健康で文化的な生活を営む権利が保障されている」ことがうたわれているから、国としては、その能力・資質を付けていくことが義務として求められているのではないか。これは家庭科の本質的な存在意義になる。生活文化の視点はこの観点からも大切。
日本の生活文化については、現行でも、例えば、小学校で御飯とみそ汁、住居ですだれやうちわ、打ち水、中学校で和服等、学習題材として生活文化に関連するものが盛り込まれており、特出しすることに異議はないが、小学校では、理解を深めるというよりは、学習を通して関心を高めて大切さに気付いていくというレベルにとどまっている。
理解を深めるということになると、生活文化そのものについての知識・理解が求められることとなり、スリム化が求められる一方で、更にまた新たな学習内容が入ってくることに疑問を持っている。表現について、もう少し慎重に扱ってほしい。

○ 中学校の二つ目で、生活をよりよくしようと工夫する能力とあるが、今の子供たちが学習して得た知識や技術が、実生活の中で十分生かし切れていないと感じる。子供たちが得た知識や技術をどのように結び付けていくのか、それを活用していく力を育成していかなければならない。家庭の機能が低下していることもあり、少子高齢化への対応、環境、省エネ等について、継続的に段階を踏んで指導していく必要がある。

○ 身近に幼児や高齢者がいない家庭で育っている生徒も多い。少子高齢社会を踏まえて、中学生というまだ成長過程にある時期に幼児や高齢者と触れ合ったりするような学習を入れていくことは、とても大事なことである。忙しい生活の中で、全くそのような年代の人たちと関わらずに、学校と家庭の往復だけで終わってしまうところもあるので、このような学習をこれからも充実させていくことが必要である。
食生活の自立を図る力に関して、ある生徒が「便利になって、自分で食べるものをコンビニで買うことはできるが、おなかいっぱい食べるためには費用も掛かってしまうし、栄養的にも偏ってしまうから、家庭科の中で食を学ぶということはすごく大事なことだ」と言っていた。食育は学校教育全体の中でやっているが、調理の技術を身に付けさせられるところは家庭科だけ。食育推進の核としても家庭科は非常に重要な教科である。
家庭の教育力の低下と言われ、子供たちは自分の家庭しか知らずに、家庭の中でやってきたスタイルが当たり前と思っている。自分が家庭の担い手になったとき、自分の家庭でやってきたようなやり方を繰り返す。家庭生活そのものを学習対象にしているのは家庭科だけである。望ましい家庭生活の在り方、家族の在り方などの学習を通して、家庭生活というのは不変的なものではなく、いろいろな工夫があり、よりよくしていけるものなのだということを子供たちが理解し、必要な能力・態度を身に付け、今後、自分が家庭の担い手になったときに実践できるような生徒にしていくことが、家庭の教育力の低下に対応していく一つの手段になる。

○ 少子高齢化で豊かな長寿社会を目指していくためには、地域の教育力を生かし、子供が高齢者と関わる機会も大事なこと。一方、例えば、小中学校の子供たちも含めて、地域の防災活動や、避難所の対応など、地域に協力してほしいと求められても、子供たちが非常に忙しく、参加したくてもできないような生活である。生活そのものを題材とする家庭科教育が、授業の中で地域との関わりを取り上げて、実践的・体験的に学習活動を行い、その価値を見いだすというところが大事である。
生活に必要な基礎的・基本的な知識及び技能を習得するとあるが、生活というのは非常に多岐にわたり、子供が一つ一つに価値を見いだして自分の生活に生かそうと思うまでは時間が掛かる。例えば、小学校家庭科の最初にお茶を入れるという学習があるが、お茶の入れ方を調理室で学び、それで終わるのではなく、家庭でやってみて、家族に感謝をされ、その報告を学級で行う。お茶を入れることで楽しい団らんができるとか、上手にお茶を入れる工夫が分かるとか、一つ一つに時間が掛かる。系統的に価値あるものが言葉で並べられているが、これを子供たち一人一人に、自分の明日の生活に役立つものなのだと理解させるには、課題が大きい。そこを厳選して取り組む方法、小学校段階で実体験を伴うホームプロジェクトのような形で授業の中に組み入れられるような、子供が価値判断を自然と身に付けられる取組なども研究していく価値はある。

○ 地域の子育て支援をしている立場から、少子高齢社会に対応する力を育むという視点で、家庭科、家庭分野に期待感を持っている。
ここで捉えている家庭像について、一人親家庭も多いし、ステップファミリーとか、単身で父親が離れて暮らしているとか、家族の在り方というのも非常に多様である。その多様性もどこかで見せていくことは大事。また、子供たちが、家族があって自分はその一員であるという自覚や、家族に対して自分は何ができるのだろうかという視点を持つこと、特に、中学校くらいで、育てられている私から今度は育てる側に回っていく転換の部分が見えてくるということが大事。このため、子供の世話をする、ケアをすることができる自分という体験が大事。例えば、小学校での保護者会で下の子をなるべく連れてこないでくださいという学校がある。そこで、地域の方が下のお子さんの預かりを体育館や教室の一角でやり、そこに高学年や家庭科のクラブの子がお手伝いに来るとか、何か現実的に学校の現場の中でもそれを見せられるようなことができないかということも考える。

○ 家庭科教育は、自らの姿について価値観を形成できる、資質や能力の育成できる重要な教科である。生活価値観、家族を持つ価値観という言葉が出ているが、変化が激しくて情報量の多い社会を生き抜く子供たちに、自分の価値観を確立し、いろいろな情報から自分の価値観に合ったものを取捨選択して、しっかりと生きていくことができる力を付けられるのは、家庭科教育である。
そのような意味で教科を学ぶ本質の図を見ると、よりよく生活するというのも価値観から成り立っていると思うが、その言葉がどこにも出てこないので気になる。よりよい家庭生活を考えるためには、やはり価値観の形成が一番重要になる。

○ 少子高齢社会に対応する力が、小中高と三つ入っている。こういう捉え方で家庭科は対応している、こういうことを考えさせるということを明示しているところはいいが、中学校の「家庭の機能や子育て理解、高齢者理解等」について、中学校の保育というのは、子育て理解というよりは、子供の育つ成長・発達への理解が内容かと思う。
高齢者理解も、高等学校でやるような高齢者理解というのは、中学校では学習時間的にも無理なので、ここでは、地域の高齢者と交流していく、いろいろな活動を一緒にやっていくというような、元気な高齢者と活動していくというようなことだと思う。このままだと、高校の高齢者理解が中学校に入ったのかというように誤解されるかもしれないので、文言の整理をした方がよい。
高等学校の「高齢者の肯定的理解」という「肯定的」という言葉は、高齢者を正しく理解していくということで、肯定的とか否定的とか、いろいろな側面があるので、多様な面から正しく理解することと思う。
五つの文章がどのようにつながるのか分かりにくい。右側にでも発達段階に応じた学習視野の広がりがどうなっているのか、自分自身が中心なのか、そこから地域も入ってくるのか、その視野の中に社会的な広がりや価値判断が出てくるのかといった縦軸のようなものを作って明示していくと分かりやすくなるのではないか。

○ 小・中・高の系統性について、家庭科の最終目標である生活をよりよくしようとする態度とか生活を創造する能力、そのための背景には生活価値の育成が必要だというような方向が家庭科で求められるが、そのためには、小・中・高の丸印で出ている一番最初に、どの校種にも書かれている基礎的・基本的な知識や技術、これをどのように習得させていくかということが密接に関わってくる。
何を基礎・基本とするのかというのは非常に難しいことであり、小・中・高で系統的に考えていかないといけない。家庭科は小学校高学年から始まるが、小学校低・中学年のところに、生活科として「基本的な生活習慣や生活技能」という言葉がある。これが、教科を越えての生活技能というものの学びの一番最初のスタートのところにある。生活科は小学校2年生までということは、小学校の中学年での生活技能の育成ということが、家庭科につなぐ上で抜けている。系統的に考えたときに、そこが弱いのではないか。物を作るとかいう技能ばかりでなく、広義に生活技能というものを考えたときにも、そこで何らかのフォローが必要ではないか。

○ 確かに生活技能という側面ばかりではないが、幼児教育から見てきたときに、中学年が他教科でどのように取り組んでいるのかと見ると、薄いのではないか。家庭科は技能の側面ということもあって高学年に入っていると理解しているが、早熟化ということもあり、内容面においても、中学年で他教科でどのように膨らませるかということも視野に置いておく必要がある。

2.家庭科で育成すべき資質・能力について
<個別の知識や技能>
○ 高校の個別の知識や技能について、中学校で家庭の基本的な機能が内容にあるが、高等学校でも家庭の機能というのは重要なところだと思う。思考力・判断力・表現力にもつながるが、自分だけではなく、自分以外の誰かのために、何か家庭科で学んだことを生かしてということが高等学校では非常に重要なことでもある。家庭の機能という中で、また、地域の中で、自分の力を発揮できることもある。自立した生活者というのが強調され過ぎていて、もう少し自分以外の誰か、家庭や地域のためにという視点が入ってもいいのではないか。

○ 中学校の一つ目「家庭の基本的な機能及び家族」の後が、「幼児」となっている。高校の方は「乳幼児の子育て支援等」という形で幅広に書いてあるが、ここが幼児だけでよいのかどうか。赤ちゃんとの触れ合いとか、赤ちゃんが学校に来るとか、いろいろなプログラムが既に実施されている部分もある。ここを幼児だけに限定するかどうかについても議論いただきたい。

○ 系統性ということをどのように考えるかということもあると思うが、中学校の学習をして、そこからまた広く深く学習するということで捉えると、決して取り組まないわけではないというふうにも考えられる。当然、乳幼児のことや高齢者のことなどを取り上げるときには、そのバックボーンとしては家庭の機能ということを踏まえて学習が展開されるのではないかという考え方もあるかと思う。

○ 個別の知識・技能のところで、例えば、「衣食住の生活に関する知識・理解、技能」と言っているところは、小・中・高を見ると、「技能」が「技術」に変わっているだけで全部同じ表現になっている。違うのは、小学校は「家族の一員として日常生活に必要な」、中学校の場合は「生活者として自立するために必要な」である。家庭科の場合には、同じことを小・中・高で繰り返し行う。他の教科はあることをやったらそれを土台に次が重なり、前のところと重複する部分と切り分けて考えることができるが、家庭科の場合、例えば、栄養の学習だと、基本は栄養のバランスを、よく食べるということを小でも中でも高でも行う。その違いが発達段階の中でどう捉えて、どのように指導することが子供たちの生活にとっていいかということと、将来的に自立していくために理解をする栄養の学習というのはすごく難しい。最終的なところに到達するまでに段階を踏んでいく。
ところが、家族の部分は、衣食住の部分とは違った書きようになっていて、項目の中に少し具体的に小・中・高の違いが入ってきて、そのために高校のところで家庭の機能が外れたように見える。実は外れているわけではなく、残った上で、子育て支援とか高齢者と書いている。高齢者は家族の中にいるケース、外にいるケースがあるので、表現を上手にしないといけない。

○ 衣食住の生活に関する知識・理解、技能は小・中・高で内容は違う。より発展させているとか、小学校でやったところは中学校のところではそれに付け加えてやっている。同じ文言では、同じことをやっているように誤解されるので、文言を工夫した方がいい。
小学校では「家族の一員として日常生活に必要な」とあるが、小学校家庭科5・6年生は、自分自身が日常生活に関心を持ってやれることを増やしていくというところが非常に重要になってくる。それが分かるような文言を、「家族の一員として」だけではなく、その前に中・高の「生活者として」のような文言を入れる必要がある。
中学校の高齢者に関する知識・理解が入っているが、高校と同じようにやるのかと誤解されることになるので、文言を慎重にする必要がある。
家族、家庭の機能の部分は、高校では、家族を作る側としての視点というのが入ってくるので、独立させなくてもよいが、文言としては触れておく必要がある。

<思考力・判断力・表現力等>
○ 三つの柱にどのように少子高齢社会に対応する力を盛り込んでいくかに難しさも感じる。今度は自分が家族形成に向かってというところ、ライフステージのようなこと。今、家族を持つことのハードルの高さというのが非常に議論になっているところだと思う。第1子の出産年齢というのは30歳を超えている現在、高等学校を卒業してから家族形成というところまで非常に長い時間が掛かっていく中では、高校の学習に何を盛り込んでいくのかという難しさも感じながらも、何か入れていく必要性がある。

○ 学びに向かう力・人間性のところにも、高等学校のところで、家族を作るなどを少し強調したらよいのではないか。

○ 生活文化について第1の柱の理解のところで意見を述べたが、資料では三つ目の柱に入っているので、その辺りの整合性をもう少し明確にして整理する必要がある。
三つ目の柱について、例えば、「地域の人々と協働し」とか、「地域社会に参画し」というのは、地域の人々と協働できるということを求めているのだろうと思うし、参画についても地域社会に参画できる力を育てようとしているのだと思う。そうすると、一番初めの力のところに括弧書きで「何ができるか」と書いてあるので、これは「できる」に入るのか。「できる」という中にも、段階、レベルがある。
「できる」ということについて、例えば、今、保育学習が中学校に入っているが、幼児と関わることができるのは見取れないということで、評価規準には「できる」が入っていない。だとすると、やはり見取るのが難しいから、協働する力とか参画する力は評価できないから「できる」から外すのか。しかし、むしろ評価として積極的に入れるという考え方もあるので、その辺も評価と含めて少し整理する必要がある。

○ 生活文化について、個別の知識や技能としての家庭科での扱いとか、他教科、総合、全体的なカリキュラムの中でのことということでもある。評価については深めなければならない大事な内容である。

○ 学びに向かう力について、例えば、小学校で生活を大切にする心情を養うとか、中学校で地域と協働して生活をよりよくしようとするとか、高校の社会に参画するというところに向かっていったときに、何がそういう向かう力となっていくのかというと、他教科ともつながる。そこでの喜び、幸福感が学びに向かう力になる。家庭科でやっている様々な行動が、自ら積極的に動いていこうとする原動力になる。幸せに思う気持ち、相手を大切に思う気持ちというものは、道徳等とつながるが、そのような幸福感、満足感といったものがうまく表現できるとよい。

○ 消費や環境に係る生活事象というのが別枠で出ているが、中学校の学習を考えたときに、やはり消費や環境に係る生活は、衣食住に係る生活事象を学習するときに関連して学習しているのではないか。衣食住に係る生活事象を活用したり探究したりする際の視点の例に環境とか消費が入るのではないか。
消費や環境に係る生活事象の視点が持続可能な社会となっているが、環境や消費というのが、衣食住に係る生活事象の中から知識を活用してよりよくするというようなことを考えたときに、環境とかという視点が入るのではないか。
持続可能な社会については、どのように社会・世界と関わりよりよい人生を送るかといったときに、持続可能な社会を構築していくような力、考え方、態度が一番右側に入るのではないか。

○ 三つのポツで示されてそれぞれに視点のキーワードが示されているが、検討が必要。例えば、健康という、衣食住のところに示されているキーワードについても、上の、家族や家庭に係る生活というところでも関わってくるものであり、家庭科の内容をもう少し構造的に見ていく中でこの視点を捉える必要がある。
一番上に「身に付けた知識、技術を活用したり、探究したり」とあるが、個別の知識や技能が何らかあって、思考力・判断力・表現力というものが育成されるというふうな考え方もあるが、逆に、生活の見方や考え方が育つ中で、個別の知識や技能、どうしても必要なもの、自分にとって有効な知識や技術というものが見えてくるというような学習の方向もある。技能、知識も含めて、技能というのはこの三つの柱を総合した形で発達していくものと思う。この表現だと、まず個別の知識や技能が身に付いて、それからこの2番目という捉えになってしまうのではないかと懸念される。

○ 協力・協働・共生は、家族や家庭に係る生活事象とつながっているが、住居のところで、バリアフリーな住環境を整えようということになると、共生の視点も入る。持続可能な社会は消費・環境だけではなく、例えば、食品でどういう食品を選択するかというときに、より持続可能な視点を入れて選ぶというようなことは授業でも行う。三つのキーワード、視点は見通しみたいなことかと思うが、生活事象や領域に対応させるのではなくて、家庭科全体を貫くものとして設定をして、いろいろな内容がこれに関わっていくという整理にすると、よりいろいろな学習が想定できると思う。
生活文化について、三つとも「日本の生活文化」という、「日本」というのが付いているが、授業をするときには、世界のいろいろな住形態とか、食文化とかを出しながら、その中で日本ってどうなのかと見ていくので、「生活文化への理解」という言葉に統一してもいいのではないか。あえて「日本」とすると、焦点が狭まってしまうのではないか。


3.家庭科、技術・家庭科(家庭分野)の学習プロセスについて
○ 調理実習とか、物を作るような製作の実習とか、幼児との触れ合い体験実習とかはこの流れで今もやっているし、きちんとした形でできるかなというふうに思う。調理実習、被服製作等の時間が多い時代はこれでできた気がするが、例えば、栄養に関する5大栄養素とか、幼児の心身の発達という単純に知識として学習するときにどこに入れるのか。固有の知識や技術があって、それを探究したり活用したりしていくということになる。その基になるような知識や技術を学習する時間というのはこのプロセスの中のどこに入るのかというのが、実際に教えているときも疑問である。

○ 問題解決的にやる場合、どれほどの知識とスキルを使うのか、それが学習指導要領で押さえられている学習項目のどこの部分をカバーできるのか、全体としてカバーできるのかどうかは、本当に限られた時間の中で現場の教師は悩んでいるところ。アクティブ・ラーニングを入れていくということであれば、知識・理解の部分のある程度の大綱化、細かいところまで押さえなければならないとなると、現場はすごく難しくなると思う。
プロセスの解決方法の検討と計画とは、解決方法の立案と検討と思う。生徒自身が生活から問題を発見するところは大変難しい。次の解決方法を検討する段階では解決方法はどんな方法があるかをいろいろな例を挙げながら考えていく。その後、どの方法がよいのか比較検討して決定をする。これで行こうとなったときに、次の実践部分で細かい計画を立てるとなる。解決方法の立案と検討というところは、思考・判断ということでいうと、非常に醍醐味もあり、生徒も頑張るところになってくる。その部分をもう少し丁寧な図解にしておくと、授業を作るときにイメージが作りやすい。
実践して評価して、それを更にというのは実際そうだが、実践して更に地域へというところまで行ける題材、学習機会というのは実際には各教科とも少ない。難しいところなので、授業時間の中で思考力・判断力・表現力を付けさせるとすれば、今の2番目のところを膨らませて丁寧にプロセスを作っていくと、授業が作りやすいと思う。

○ 小学校から見ると、この流れはすごくいい。小学校では解決方法を考えてある程度検討するが、実践しながらそれを振り返って、更によりよい方法を見付けて、もう一回また実践してみるという、思考がサイクルで回っているということを大切にしている。生活を見つめる段階である程度の知識・理解をこちらで付けてやり、見つめる目を持たせて、それから課題を設定するというふうな段階で学習を進めている。それで、どこが問題なんだろうと考えながら解決方法を見つけてやるということになっている。

○ 幼稚園や保育園、認定こども園など、今、新制度でいろいろ子育てのところが大きく動いているところ。家族が非常に核家族化し、家族だけでいろいろなことをやっていくというのが難しくなっている中、協働という形で、地域の社会資源をうまく使って家族生活を送っていくという視点が非常にこれからの生活には大事になってくると思っている。ここで議論しているプロセスの中で、生活の課題発見ということで言えば、少子高齢化という社会であったり、待機児童問題というようなことだったりをテーマに、高校あたりであれば、夫婦でどんな役割を果たしながら、どんな地域資源を使いながら家族を形成していくのかというような、具体的な実践のイメージを膨らませていくことができる。目の前のいろいろな課題を学習プロセスの中に入れて、自分の生活、これからの将来に活用できるような学習が進められるといいと思う。

【技術教育について】
○ 技術ガバナンスの力を育むことは国民的な課題である。例えば、夏にエアコンを使うが、快適に過ごすために職場にいる間から自宅を冷やすこととする。すると、CO2はそれだけ多く排出されることとなる。トレードオフになりがちな関係性の中で、日本に住む1名としてどのように生活すべきなのかを考えることが必要。また、古いエアコンを使い続けるのもよいが、環境に配慮した新しいエアコンを使うこともよい。新しい技術をどのように導入していくか。原発が駄目ならどのような技術開発をするか。新しい時代、新しい技術をどのように作り出していくかを考えるのは技術教育しかない。
インターネットにはマイナスの側面もある。新しいサービスにはよくないものも出てくるだろうが、それをどう取り扱うか。誰がどこでどう選ぶかは、国民一人一人であるべきだ。無条件ではなく、使う国民に判断するための知識や能力を身に付けさせることが必要である。

○ 2030年には、人工知能の進化や産業構造の変化など、技術は相当変化しているだろう。そのような中で、技術をどのように使うかを指導することは重要。少ない時間数の中で、アクティブラーニングを通じてできる限り取り組んでいく。
政府の成長戦略ではIT人材の養成と言われているが、中高の情報はつながっていない。両者を連携させて指導することが必要である。
情報をどのように使っていくか。知識の習得が目的ではない。技術教育の指導を深めていくことが重要である。

○ ダイソンでは財団をイギリスにおいてエンジニアリングの教育を支援してきた。イギリスでは小学校から技術を指導するが、日本では中学校のみである。日本の生徒には、技術が生活の一部という意識が少ないようだ。
取組としては、機械を分解して、また組み立てるというもの。その中で、ドライバーの使い方を含めて学ぶ。また、エンジニアリングの考え方を学ぶ。そのような取組の上で、生徒に生活の中で問題を見つけさせるのだが、その指導が難しく教師は困っている。生徒が考えるとビックリするような発想が出てくるが、教師が受け止めることが難しい。
技術開発はチームワークで行うが、そこも総合的に学べるのは技術教育である。
技術教育の課題としては、授業時間が少ないことと、教師が孤立していることである。

○ 技術・家庭科は子供が大好きな教科だと実感している。今回提言されているカリキュラムを構成する3つの柱では、「どのように社会・世界と関わっていくか」という点が重要である。
できなかったことができるようになるということを実感したり、そのことを周りの者に認められたりすることもできる教科である。
技術・家庭科ではこれまでもアクティブラーニングに取り組んできたが、形だけにとらわれないよう慎重に捉えていく必要がある。生徒が集まって簡単に話合いを行うことをもってよしとしてはいけない。何のためにアクティブラーニングに取り組むのかきちんと示していくことが必要である。

○ 時代とともに教育内容が変わるのが技術の特徴。10年たてば指導内容、タイトル自体が変わっている。必要な指導内容をどのように捉えるかが重要である。技術教育の中で変わらないものは、制約条件の中で最適解を求める力である。育むべき資質・能力としては、1 課題解決の態度、2 技術を評価する力、3 手先の巧緻性、4 社会参画のキャリアをどのように積ませるか、などということであろう。
技術教育では、アクティブラーニングには以前から取り組んできた自負心があるが、3つの柱のうち、課題解決には取り組んできたが、協働性や主体性は更に考えていく必要がある。


1.技術・家庭科(技術分野)における教育のイメージについて
○ 技術を創造できる力、技術を適切に評価していく力、多面的に現状を見ること、設計について十分なアイデアが出せるような段階について、少なくとも今の技術教育の実践では十分育成しきれていない状況である。新しいものを作り出していく力を身に付けさせる点に重点を置いて指導をしていく必要がある。

○ 中学校のところで、材料と加工を分けて表記しているのは何か意図があるのか。

○ 中学校のところで、二つ目の丸はよりよい社会の構築とあり、三つ目の丸は安心・安全な生活とある。「安心・安全な生活の実現に向けて、技術分野における見方や考え方を踏まえて、技術を評価・活用できる力を育成する」はガバナンスのことを意図していると思うが、ガバナンスは、生活の実現というよりは社会の構築という意味合いが大きいように思う。そして、よりよい社会の構築がイノベーションを指すのであれば、イノベーションは社会の構築だけなく、安心・安全な生活の実現にも関わると思われる。安心・安全な生活の実現もよりよい社会の構築に収まってしまうと思われ、あえて違いを出すならば記述の整理が必要である。

○ 生徒たちにはいろいろな作品を作る際、構造や強度を踏まえて製作する力を付けてやりたい。デザインは大変凝っているが、実際、身の回りに置いたら実用的でないような場合があることを身をもって体験してほしい。

○ 将来の変化を予測することが困難な時代を前に、生徒たちが、技術の光の部分と影の部分を見立てていく力を付けていくことが必要である。表現等についてはまたこれから練るとして、まずガバナンス、そして、創造できる力は非常に重要である。

○ これからの技術という意味では、イノベーションをキーワードにしたい。技術教育でこそできることを考えたとき、考え抜いていく力、あとはパッシブではなく、プロアクティブに意見を述べ合って、切磋琢磨して考えを構築していく過程を検討することが非常に重要である。

○ 「技術について関心をもたせ、安心・安全な生活を実現し、よりよい社会を構築するために」という表現も社会と生活がつながった形になっており、両者の切り分けがよくわからない。

○ 中学校のところの一番下の丸に、職業への関心が出てくるが、どのような意味か。もともと技術教育は職業科からスタートした経緯があり、職業教育の意味合いは多分に含んでいるはず。一方、学会等で考える技術教育の意義というのは、全ての国民に必要な能力というもので、必ずしも職業に直結するものだけではない。ここにある「職業への関心を高め」を狭い意味で捉えてしまうと、技術・家庭科の技術は相変わらず職業につながる教育なのかと思われてしまう。

○ イノベーションの力は、ひらめくとか発見するというような印象があるが、それだけではない。質のいい試行錯誤や自分と違った考えを持っている人たちと一緒に取り組むことで、イノベーションにつながる力が育成できるのではないか。

○ 技術は、算数や理科、家庭科で習ったことなどを、物を作っていくときにどのように生かしていくかということが総合的にできる教科である。例えば、中学校の学校のプールはコンクリートですごく熱い。そこに問題意識を持ったチームが、学校にはそんなにお金がないことも踏まえ、色を考えてみようとか、サーフェスをでこぼこにしようとかいった案を出した。子供たちは、一つ疑問を持てば、他教科で習ったことを応用して考え、評価していく議論をしたりする。そういう過程をみなで考えて、一つの物を作り上げることこそがイノベーションにつながると思う。

○ 職業への関心という表現について、義務教育段階において、様々なプロセスを経て価値を付加し、人々に喜ばれたり社会が動いたりするという実際的な喜びを感じることのできる教育として、技術の存在意義は非常に大きく、ここで表現されている職業というものの意味は、かなり深いものと考える。

○ 技術ガバナンスについては、私は、全ての国民に必要な能力という意味合いで使っている。全ての国民に必要なので、普通教育としての技術教育の中で扱っても全然差し支えない。一方、イノベーションについては、国民全員が発明、発見をし偉大な技術者になる訳ではないが、その芽を育むことは全ての国民に必要と考える。

○ 技術教育では、イノベーションのきっかけになるようなところを身に付けてほしい。このことは他教科にも関わる話であり、例えば、特に理科の指導主事と宇宙に住むという話をした場合、宇宙はこのようなところだという部分を指導するのは理科で、そこに住める家を造るのは技術教育である。そのような夢をかなえようとする際、実現可能なものにしていくのが技術教育であり、イノベーションは一つ一つの夢を実現していくためのきっかけだと考えている。

○ いろいろな自動車の企業などが改善というプロジェクトで大きな成果を出しているので、改善というのは日本のお家芸だと考えてられているが、世界的に見たら、日本の国際競争力は低下しているし、インターネットを含めて、世界をけん引するような新しい発明も日本から出てはいない。だから、これから先100年後を見据えたときには、日本を支えていくような人材を育てる種をまかないといけない。育つのは100万人に1人かもしれないが、その種をまくのが技術・家庭科の技術分野の役割だ。

○ 技術を創造する力は確かに大きいが、技術教育で養うべき能力とは、技術的な課題を創造又は工夫してそれを解決していける力や態度だろう。

○ 日本の技術教育と、例えば、イギリスのテクノロジー・アンド・アートがどのように違うのか見比べてみたことがある。日本の技術は、基本的にすごく物を作るときの巧緻性などに時間を掛けていることに気付いた。それは完成品が精密にできていることを目指すもの。ただ、D&Tというのは、どういうビジョンを持ったか、何のためにそれを作るのかから始まり、どのような知識と技術が必要かというところに試行錯誤して落としていくところに時間をかける。それが最終的に、その人だけにしか考えられないアイデアやイノベーティブなものにつながっていく。

○ 「技術・家庭科におけるイメージ」の図中、【中学校】では、家庭分野においては「基礎的・基本的な知識及び技術」と表記され、技術分野においては「基礎的・基本的な知識と技能」と表記されている。技術・家庭科は分野名に「技術」を冠しており、この「技術」の意味するところは「テクノロジー」である。一方「技能」は「スキル」を意味する。現行学習指導要領の「技術・家庭科の目標」に記されている「基礎的・基本的な知識及び技術」の「技術」は「スキル」を意味しているにもかかわらず、「技能」と表現されていないことに違和感があった。「技術」と「技能」の意味を明確にした上で使い分けるべきであり、少なくとも教科内での文言の統一をすることが望まれる。

2.技術・家庭科(技術分野)で育成すべき資質・能力について
<個別の知識や技能>
○ 材料、加工、エネルギー変換、生物育成、情報「等」の技術に関する基礎的な概念とあるがどのような意味か。

○ 今の技術教育では、子供たちにしっかりと3年間を見通したガイダンスの指導が行われている。また、卒業する前にどのようなことを勉強したのかをまとめる時間を取る場合がある。材料、加工、エネルギー変換、それぞれでまとめるが、中学校の中で学んだ技術の時間全体で、このような力が付いたと生徒自身が確認できる、高等学校で言うような課題研究のような時間があるとよい。

○ エネルギーの変換について中学校でかなりいい内容を教えているが、高校に行くとそれが切れているのはなぜか。私たちは、エネルギーを使うことに関して、変換を求められているのか、それとも省エネなのか。

○ みなが共通に実感を持って具体的なことで学習することの重要性を踏まえ、高校の理科など関係教科で中学校の技術分野の学習を受けて、アクティブ・ラーニング的に学習していくことが望ましいのではないかという提言をしていくことが必要ではないか。

○ 小学校にも技術教育の中心的な役割を果たす教科がないので、小学校から中学校、高校につながるような技術教育を作れないか。

○ 現在、材料、加工、エネルギー変換、生物育成、情報等の技術に関する基礎的な概念というところについて、材料と加工を分けると、加工が機械の何分の1かを占めているので、自由度が増えるのかなという気がする。

<思考力・判断力・表現力等>
○ 視点の例の四つ目は情報のことと考えるが、「処理」という言葉は「情報処理」という意味だと思われ、「情報」という言葉を付けた方が理解は容易になる。単に処理というと、意味が発散し過ぎである。

○ 概ね原案の流れで、思考力・判断力・表現力を身に付けるという方向性でよい。

○ 技術・家庭科の中で使われているキーワードとして、「自分なりの」という言葉がある。中学生という発達段階から理解すると、身近なイノベーションとして、自分なりにそれぞれ力を付けていくというぐらいがいい。また、社会的・環境的・経済的側面というのは必要と考えている。

○ 「社会的・環境的・経済的側面から技術を評価し、目的と制約条件を踏まえて、選択、管理・運用する能力」とあるが、管理については保守点検のような意味が入ってくると思うが、例えば、人事管理などの意味に使われることも多いので、別によい表現はないのかと思う。運用については、応用や活用とはどのように違うのか、文言を整理した方がよい。

○ 「材料の構造、形状、接合方法の最適化」とあるが、材料の構造といった場合に、金属や木材、プラスチックの組織を指すのか、材料で組み立てるときの構造を指すのかを明確にするとよい。

<学びに向かう力、人間性等>
○ 安心・安全な生活やよりよい社会の構築といった表現については、表現上の工夫が必要ではないか。

○ 職業に対する関心はとてもいいキーワードだと考える。今、幼・小・中・高とキャリア教育に関する取組がされているが、中学校での職場体験にはある程度制限があって、サービス業などが中心で、技術開発などの体験のチャンスは少ない。その点、技術教育の中で、技術とともに、技術開発に携わる者やテクノロジーそのものを尊敬する態度などが育成できるとよい。

○ 技術評価というアセスメントは非常に大事だと思う。ただ、生活の基盤となる高度な技術や伝統的な技術と、社会・環境との関わりとの理解をしてアセスメントするのはよく分かるが、「経済的側面から」コストパフォーマンスまで含めた評価には懸念がある。経済的な知識が中学校のレベルでどの程度身に付いているのか。

○ 日本には材料や資源があるわけではなく、他国から輸入している。そのときの影響評価を考えないと、労働コストだけ評価しても意味がない。日本の技術、ものづくりの背景には他国と協働、協力しながらできているというところを見せるべきだと考えるがどうか。

○ 「技術に関わる倫理観」については、少し説明は必要ではないか。倫理観には幅広い意味があり、生産や利用、消費、それから廃棄までも含めた倫理観という意味で捉えればよいのか。


3.技術・家庭科(技術分野)の学習プロセスについて
○ 全日中の調査でも、教師が実際はものづくりに結構時間を取られているという現状がある。最終的に物を作ること自体が目的ではなく、設計の時間に重点を置いていく必要があるだろうと思う。そういう意味で、「試行」「試作」といった言葉が入っているのは適切である。

○ 子供たちにガイダンス的な指導をすることはとても重要なことであろう。子供たちに興味をもたせたり、最終的にどのようなことが身に付いているのかを、授業の最初に示していくことが必要である。いきなり作品を作らせて後からまた別なものを考えさせるという方法もあるから、四つの内容それぞれにガイダンス的な機能を持たせていく必要もあるだろうと思う。

○ 大体四つの内容としては原案のとおりかと思う。ただ、A、B、C、D四つの現状の内容をそれぞれ課題の設定からスタートした方がいいのかどうかは分からない。内容によって、製作から始まるものもあるかもしれないし、設計で終わるという場合もあるかもしれない。そういう意味では、内容とのつながりや、3年間を見通して内容を学年に割り当てることも考えられるのかなと思う。裁量が広いのはよいが、特に、技術という教科は免外の方が担当する割合も案外多いように聞いており、技術教育になじみがない教師にとってはやりにくいというところはあるのではないか。

○ プロセスは、原案のとおりでよい。この四つの段階は、最初はつかむ、2番目は見通しを持つ、3番目はやってみる、最後に振り返る。見通して取り組めるよう、ガイダンスなり、あるいは各内容の始めに見通しについて指導してはどうか。また、四つの内容のつながりや図画工作などの内容を踏まえれば、材料や加工に関しては早めに指導した方がよいのではないか。そして、高等学校における教育や他教科の学習内容も踏まえ、プログラミング等はしっかり力を付けていきたいところであり、3年生あたりから高等学校へつなげるよう指導していくことを規定した方がよいのではないか。

○ 問題の発見について、社会の中から技術的な問題を見いだすということで、技術的なものに狭めてしまっているのはなぜか。

○ 「改善」という言葉が最初に来るというのは、それでよい。アクティブ・ラーニングというのは、全教科に言われていることだとは思うが、やはり技術・家庭でも自分の考えを発表したり、議論したりすることが非常に重要な時代になってくる。また、考えたことを他人に発表してもらう時代ではなくなってくるはずだから、問題を見つけてどのように考えたかを学習プロセスの中で、例えば、チームで考えをシェアするとかいうことが入っていてもよいのではないか。

○ アクティブ・ラーニングについて、技術教育の中では、一つは設計・計画のところで出てくる。もう一つは、一番最後の評価のところ。例えば、工場の生産や工場等での設計段階を単独でやるということはほとんどあり得ない。そういう意味では、分業でコラボレートしながら設計を進めていくというのが通常である。また、最後出来上がったものをどう評価し、これからの社会につなげていくかについても、生徒同士が議論するといった学びの場面があってもいいのではないか。技術教育においては、設計部分は深く学んでいく部分であるし、最後の振り返りで、社会と技術、環境とのつながりを深く理解していく。それを協働的に学ぶことにより、自らやってみたいという主体的な学びが付いてくるだろう。

○ 学習のプロセスの重点の置き方は、これまでものづくりのところに余りにウエートを置き過ぎていた。やはり物を作って評価して活用してイノベーションを起こすことから考えると、設計・計画のところにウエートを少し重点を移すべきではないか。

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