資料1 言語能力特別チーム(第1回)主な意見

教育課程企画特別部会 言語能力の向上に関する特別チーム(第1回、平成27年10月22日)における主な意見

1.「国語科」及び「外国語科・外国語活動」を通じて育成すべき言語能力について

(1)育成すべき資質・能力の可視化について

・知的活動(論理的思考とそれに支えられた創造的思考等)の基盤としての言語能力
○ 論理的な思考は、理数系に限らず、人文系も含めて必要である。言語能力が基礎となり、いかに論理的に組み立ててものごとを考えるかという意味では、言語として人に伝えるための中間の段階として、思考、論理化という点が大切である。
○ 世界は、結構、非ロジカル的な論理で動いているところがあり、多くの人が非常に非論理的にしか行動できなかったり、発話できなかったりする。そうした非論理性を読み解く能力も、言語能力の1つの大きな能力であると思う。
・感性・情緒の基盤としての言語能力
○ 言語能力は、表面的にはコミュニケーションや自発的に脳から出てくる行為であるが、それは感情、意識、心といったものが支えている。このため、いかに言語能力を支える心を育むかという視点を強調してほしい。
・他者とのコミュニケーションの基盤としての言語能力
○ 昨今、インターネット上で一方的に大量に発信するという時代を迎えている。相手を常に想像しながら発信するという能力を、特に小学生から高校生に、どうやって身に付けさせるのかを考えていかなければならないと思う。
○ 私たちは1人で生きているわけではなく、そして、言語というものは、もともと他者とのコミュニケーションの道具、それが内化して、思考に使われているというところから考えると、「論点整理」にある「変化の中に生きる社会的存在として」は、とてもいい観点だと思う。
○ 私達は、日々、異なる文化的背景を持っている人と接するために、絶えず自分自身のペルソナを変えていかなければならない。
そうした場合に、私達は1つのスタイルではなく、かなり多くの他者に対する「ペルソナ(仮面)」を持たなければならない。他者があってのコミュニケーションであるということ、他者に対する共感力、想像力を持った人間を育てないと、正しい受信・発信はできないということを強調しておきたい。

(2)他教科における言語能力の育成との関係について

○ 言語能力の向上を考える場としては、中心は国語WG、外国語WGとなるが、その他にも、芸術WGから芸術としてはどう捉えているのかをフィードバックしてほしい。
芸術は、言語以外の方法で伝達しようとする能力を高めていくものであるが、非常に深い意味で言語化の能力に支えられている。芸術のように、言葉で伝えにくいものを、別のチャンネルで伝える能力を育成することが、最終的には言語能力の向上にもつながっているということを考える必要がある。
○ 国語や外国語以外の教科においても、思考や情操、情感が発達していく中で言語が中心的要素であることから、全体の検討体制として、この言語能力の向上に関する特別チームが、国語WGと外国語WGに限らず、各ワーキンググループの中で行われる議論に目配せをしながら、検討を進めていく必要がある。

2.言語能力を向上させるための、「国語科」及び「外国語科・外国語活動」における指導内容の系統性について

○ 新聞記者の仕事というのは、非常に言語能力が必要な仕事だと思う。しかし最近、若い記者たちが書いたものを読むとその表現に疑問を感じることがある。
日本語は豊かなものであり、例えば、どの一人称を使うか、語尾を1つ入れるか入れないかでもニュアンスが変わる。そういう意味で、豊かで美しい日本語をこれからの人たちにも引き継いでいってもらいたい。それに一番必要なことは、読書であると考えている。
○ これまでも言語能力ということについては学習指導要領にも示されてきた。しかし、大人になったときに、例えば学校の国語の授業でどのような言語能力が育成されたか、答えられない。「何をやったか」と聞けば作品名が出てくる。国語の授業で言語能力の育成のために何をやってきたかを考えることが、言語能力を国語と英語、さらには他教科にまたがる資質・能力として考えていくときに重要だと思う。
○ 外国語教育の中でも言葉を使う活動というのが重視されてきたが、反省点としては、活動してどういうことができるようになったのか、どういう活動を組み合わせて経験していくと、どういう力が付くのかということなど、長い目で目標設定ができていなかったと感じている。
このため、近年、外国語教育ではCANDOリストの形の目標設定ということが実施されてきているが、言語活動をした結果、どういう力を身に付けているのかということを議論していくことは、日本語でも英語でも重要なことだと思う。
○ 国語と外国語との連携を考えるに当たっても、具体的な学習指導については、“言語活動を通して”という大前提は揺るがないと思う。一方で、学校現場では、言語活動を通して指導事項を教えるのだが、言語活動は言語活動で行い、指導事項は指導事項で明示的に教えるという形の授業になりやすい傾向にある。
教えるべきことを直接的に教えず、活動を通して教えるというのが基本であるが、そのためには、子供が活動を通して教師が教えようとしているところに、一歩ずつどのように近付いているのか、教師が想定できないと授業が組めない。これがうまくいかないと、活動と、教えるべきことを教えることが分離されてしまう。国語と英語についても、この点について工夫が必要だと思う。
○ 国語教育の読むスキルの中に、見る、見えるという視覚リテラシーが取り上げられている。まだ具体的な議論はされていないが、興味深い可能性を秘めていると思うので、考えていきたい。

3.言語能力を向上させるための、「国語科」及び「外国語科・外国語活動」相互の連携について

(1)目標・指導内容(当該教科において育成すべき資質・能力)等全体に関して

○ 国語科と外国語科の教育をすり合わせることは非常に重要。また、国語科、外国語科だけでなく、すべての教科において言語能力を育んでいくことに取り組むことが重要。
○ 国語教育でできることと英語教育でできることのつながりを考えたり、両教科で行い補強するべきことなのか、他の教科において強化していくべきことなのかなどについて整理したりすることで、各教科における言語活動がもっと有効になると考える。
○ 言語能力の向上のためには、日本語・国語と外国語を何らかの形で連携させていくことが必要。日本では、英語を教室以外の場面で実際に活用する場面がほとんどないので、同じ言語能力である日本語でいかにうまく補完していくかが大切である。
○ 例えば、小学校国語科の指導内容に「文や文章にはいろいろな構成があることについて理解すること」があるが、外国語科でも同じような指導内容があると思う。その場合、外国語科ではおそらく中学校、高等学校の段階で指導することになると思うので、校種を超えた連携も考えると効果的である。
○ 言語活動・体験活動を中心とした学習にしていくことは非常に難しいが、生徒がその中で自由に体験できるような環境作り、カリキュラム作りというものができるといいと思う。
この点について、国語科と外国語科において、どのように活動及び指導の内容をすり合わせていくのかに期待したい。例えば、日本語でディスカッションした後、英語でディスカッションしたり、社会科の授業で学習した内容について国語科や外国語科でディスカッションしたりするという流れができると良い。
○ 課題や問題を追究していくプロセスの中で、コミュニケーション能力や言語要素的な知識を身に付けていく学習を、国語科・外国語科の両方でできると、言語は違っても問題を追究するプロセスというのは同じだということが分かったり、英語を使うからこそ見えてくる地域の問題があったり、英語の学習をきっかけに、国語の学習の中で英語を使っているある国のある地方はどういう問題を抱えているかを考えていったりするなど、国語と英語の両者が連携するからこそできる学習のテーマがあると思う。
○ 小学校段階の国語と外国語の連携に関して、言語要素的な部分は両者を比較すると、共通点や異なる点に気付くと思うが、それを教師が教えてしまうのではなく、子供が国語の学習を通して英語との比較をしたり、英語の学習を通して国語との比較をしたりできるような言語活動を、具体的に組むことが必要。両者の連携が、それぞれのことを教えて終わりとならないためには、連携の足場になるような教材やテキストなどが必要。

(2)言語の仕組み(音声、文字、語句、文構造、表記の仕方等)に関して

○ 具体的には、例えば小学校の国語教育の中で、節、文、段落がどのように成り立っているかという足場を意識させるなどメタ言語的な感覚や気付きを促したり教えたりすることは、外国語を学ぶときにそのまま活用できる非常に重要なスキル、感覚になる。
そのような装置としての言語を、どこまで小学生に教えることができるのかという点も検討しなくてはいけない。つまり、文法ばかり教わり、活用できない、使えないとなってしまってはならないが、一方で、低学年から上の学年にいくにしたがって、英語と連携ができるように、例えば英語の語順や指示語、時制、数の確定などを考えるための準備期間や土台として、日本語の文法を学習することも重要だと思う。
○ 日本語を習得している子供たちは、日本語の背景を基にしながら、第二の言葉を学んでいくため、学びやすさという観点から、言語の仕組みのつながりを考えていけるといいと期待している。そういう意味で、文構造、表記の仕方、文と文のつながりに関する談話構造などに関しても、日本語で書く場合、英語で書く場合など、広い点で国語・日本語と外国語の連携を考えていけたらいいと思う。
・ローマ字学習の取扱いについて
○ 例えば、外国語活動では“音に触れる”というものがあるが、母語の日本語とは異なる外国語の子音や母音、その組み合わせを意識することが、その後の書くことにつながるという指導の連携がある。このとき国語科のローマ字学習で、日本語の子音と母音の組み合わせという意識が明確になるのであれば、児童が円滑に学習できる可能性がある。

(3)言語の働きに関して

○ 言語能力の向上のためには、言葉の仕組みのほかに、言葉の役割、働きという大切なことがあると思う。学習指導要領では、小学校国語科の低学年で「言葉には事物の内容を表す働きや、経験したことを伝える働きがあることに気付くこと」という指導事項があり、言語の役割、機能としての“表出や伝達”という内容が入っている。また、中学年で「言葉には考えたことや思ったことを表す働きがあることに気付くこと」という指導事項があり、言語の役割、機能として、“思考する”という内容が入っている。このような言語の役割や働きというものを、国語と外国語との連携の中で、考えていきたい。
○ 国語と外国語の連携の軸として、言語の働きというものを設定できるのではないか。例えば国語で作品を読み、その中の情景や作者が伝達しようしたことを考えるときに、日本語では曖昧な部分を、それは本当に曖昧なのか、解釈の余地をあえて残しているのかということを見える化、可視化するために、英語へ翻訳してみるということがある。
例えば、若山牧水の短歌「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」を英語に置き換えるには、鳥の数や鳥がどこにどの程度の高度にいるのかなどを決めなくてはいけない。他の言語との差異を示すこと、気付かせることによって、日本語の特徴を可視化できると思う。

4.効果的な指導及び学習評価の在り方について

(1)教科担任制の中・高等学校における連携の在り方

○ 先生方の教科に対する意識というものを大きく変える必要がある。特に中学・高等学校は教科担任制なので、先生方には、自分の教科の枠に閉じこもるのではなく、より広々と、自分の教科を軸として、他の教科とつながっていくという思いを持っていただく必要がある。
小学校における英語教育などに対しても、国語科は、各教科等の学習の基本となる言語の能力を育成するという視点でやらなければならないことがたくさんあるはずである。その点について、考えを整理し、先生方の意識を改革していただくということが大切になる。
母語をしっかりとした形で身に付けておかないと、それは外国語教育だけではなく、それ以外の各教科等の学習も基本的にはうまくいかない。このことは、「言語活動の充実」として現行の学習指導要領で打ち出されているが、色々な枠組を作っても、魂が入っていないと結局枠組だけとなってしまう。その魂を入れるという点で、先生方の意識改革が望まれる。
○ 併設型の中高一貫教育校である本校の取組を紹介したい。 中学校では、教育課程の特例により、ことば科という教科を設定している。第1学年から第3学年まで、週2時間、年間60時間あり、国語科の教員と英語科の教員が中心となって、部分的には数学科、理科、社会科の教員も含めてチームティーチング等を行っている。
例えば、中学校第2学年の時には国語科と社会科を中心とした日本語のディベートを徹底的に指導し、それを受けて、第3学年では、今度は国語科と英語科の教員が英語によるディベートを指導している。チームティーチングの中で、単に国語科教員と英語科教員が足して2人いるというわけではなく、2人で指導する以上の相乗効果が生まれてきている。成果の1つとして、例えば全国学力・学習状況調査のB問題では非常に高い成績が出ていたり、英語力の調査においても、4技能のバランスが非常に良いという結果が出ていたりして、非常にバランスのいい学力、言語能力が身に付いていると思う。
ことば科の学習は、高等学校では総合的な学習の時間に接続している。第1学年では、例えばグローバル課題について、様々な社会問題を取り上げて議論するなど、学び方を徹底的に学んでいくという学習をし、第2学年の後半から卒業論文の作成に入る。中学校で培った言語能力の基礎を応用して、社会的な課題に取り組んでおり、その卒業研究、卒業論文を使って、大学の推薦入試に臨む生徒もいる。

(2)学習評価の在り方

○ 現場の教員から、グループ学習などをした場合に、成果が見えない、学力が付いているのか分からないという声をよく聞く。その時言われている成果は、学力テスト等による点数のことを指している。そうであるならば、学力テスト等においては、「論点整理」にあるような「社会的存在としての」という点がうまく測れていないということだと思う。
○ 資質・能力としての言語能力を考えたときに、育成された言語能力をどのように測るのか、その評価の観点を考えていく必要がある。 例えば、現行の国語科の評価の5つの観点のうち、3つは、活動領域である3領域(「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」)と結びついていて、能力領域としての観点ではない。国語科においては、言語能力を評価するために、どのような評価の観点を示せるかが課題である。また英語科においては、これから4技能をどうするか、CANDOリストを用いたものを他の観点とどのように関係しながら評価として定義していくかなどを整理する必要がある。
ただ、その指針は「論点整理」にあると考える。20ページに「評価の観点については、『知識・技能』『思考・判断・表現』『主体的に学習に取り組む態度』の3観点に沿った整理を検討していく必要がある」と記載されており、まさに学力の重要な三要素として学校教育法に示されている3つの観点による評価を、国語や英語でも考えていく必要がある。

(3)短時間学習の活用

○ 短時間学習というのは、練習、繰り返しを中心とする場面であるが、現実にその言葉を使う場面があってこそ練習が役に立つのであって、現実に使う場面がないところで練習をしても、語学力にはつながらない。特に小学校においては、例えば英語であれば、英語を活用する場面に取り組む時間をきちんと設けることができれば、短時間学習も効果を示すかもしれないが、そうした時間がないのであれば、非常に問題があると思う。

5.その他

○ グローバル化に関し、英語だけでなく多様な言語を使うということを、念頭に置いていただきたい。地球には極めて多様な言語があり、様々な考え方や文化、見方が広がっている。このため、英語圏以外の人たちにも通じるような発信の仕方や考え方の伝え方を学ぶ必要がある。
○ 将来的に、中国語が英語と変わらないくらいの重要性を持つ可能性がある中で、国語教育や英語教育がどうあるべきなのかということを視野に入れるとともに、世界の多様性に向けて、多言語性をどのように担保していくかという視点も必要と思う。   以上。

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