高等学校教育部会(第15回) 議事録

1.日時

平成24年11月19日(月曜日)10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省庁舎3階 特別会議室1

3.議題

  1. 高等学校教育の質保証について
  2. その他

4.議事録

【小川部会長】
 定刻となりましたので、ただいまから、初等中等教育分科会高等学校教育部会の第15回を始めたいと思います。
 委員の皆様には、お忙しい中、御出席いただきまして、ありがとうございます。
 まず、最初に、配付資料について、事務局からお願いします。

【塩原教育制度改革室長】
 よろしくお願いいたします。
 本日の初等中等教育分科会高等学校教育部会の配付資料でございますが、お手元の議事次第のとおりでございます。配付資料は、資料1から資料7まで、資料4につきましては、資料4-1と4-2に分かれております。以上、8点。参考資料が、資料1、2の2点でございます。
 不足等がございましたら、事務局にお申し付けくださいますよう、よろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 資料、よろしいでしょうか。
 それでは、これから議事に入りたいと思います。
 前回まで、主に高等学校教育のコアを中心とした議論をしてきたわけですけれども、今日は、これまでの議論を踏まえて、質保証の在り方について議論を深めていきたいと思っています。
 今日は、質保証の評価指標の事例として、関西国際大学の濱名学長より、大学の学習のパフォーマンス評価の一つであるルーブリックによる評価方法について、御報告いただきたいと思います。
 では、配付資料1から5に関わって、まず、今日の論議に関わる内容について、説明いただければと思います。

【塩原教育制度改革室長】
 本日、質保証の仕組みについて、御議論いただくに当たりまして、事務局からは、配付資料1から5までの資料を御提供させていただいているということでございます。
 まず、資料1でございますが、こちらは、高等学校教育の質保証のための仕組みについての検討をいただくに当たって、論点メモのような形でまとめたものでございます。1枚目の上の部分、大きな括弧がございますが、前回までの御審議を踏まえまして、今後、質保証の仕組みについて御検討いただくに当たって、こういう検討のスタンス、基本的なスタンスで御議論を進めていくこととしてはどうかという案として、お示しさせていただいているものでございます。
 前回までの御議論でございますが、前回までは、全ての生徒に共通に身に付けさせるべきコアについて、これを中心に御議論いただいてきたところでございましたが、そういったものも踏まえながら、この括弧の中の白丸にございますとおり、高等学校教育の質保証に向けては、そうしたコアについて、生徒の習得の状況を的確に把握して、改善につなげるための評価の仕組みが重要なのではないかといったスタンスで、これからの質保証の検討を、更に進めていってはどうかということでございました。とりわけ、生徒の習得状況の評価、学習評価の観点に着目をして、これの検討を進めていってはどうかということでございます。
 前回までの御議論の中では、どこまでを高等学校教育のコアと捉えるのかということについて、様々御議論いただいたところでございまして、その中で、そもそも学校で評価できないようなもの、ないしは、客観的な評価が難しいようなものまでコアに含めるのかとか、実際、コアに含めたところで、評価できるのかといった観点からの御議論も、種々いただいてきたわけでございます。
 最終的には、大きな括弧の中の一つ目の米印にもございますとおり、とりあえず、確かな学力、豊かな心及び健やかな体(知・徳・体)のいずれの領域にも、そういったコアの要素は含まれるのではないか、コアの範囲は、こういった知・徳・体全体に及ぶのではないのか、こういったことについて、おおむね、委員の中での共通理解をいただいたのではないかと思っているところでございます。
 また、二つ目の米印でございますが、学習指導要領が示す必履修教科・科目等は、全ての生徒にコアを身に付けさせるための共通の枠組みを、教科・科目等の形で示したものと捉えることができるといった視点についても、前回の議論の中で出てきていたかと思っております。
 その上で、三つ目の米印にございますとおり、コアの要素を含む領域の中にも、筆記試験や技能試験等による客観的な評価の対象にしやすいものと、それ以外のものとがあって、このことを踏まえた上で、その下の丸1、丸2にあるような方針でございますが、客観的な評価の対象としやすいものについては、客観的な評価の取組を進める。
 その他のものについては、評価の妥当性の確保や信頼性の向上に向けての調査研究を行って、その成果を踏まえて、可能な限りの評価の取組を進める。これを、これから更に検討を進めていくに当たっての基本的なスタンスとしてはどうかというところでございます。
 これが1枚目の上段の括弧のところでございますが、このような前提に立った場合についてでございますが、1枚目の下段以降でございますが、評価の仕組みの在り方について、とりわけ生徒の学習評価、習得状況の評価等の観点から、議論を深めるための幾つかの論点例をお示しさせていただいているところでございます。
 まず、1ポツでございますが、筆記試験や技能試験等による客観的な評価の対象としやすいもの例えば、その内容としては、基礎的な知識・技能や思考力・判断力・表現力等の評価。思考力・判断力・表現力等につきましては、その全部が全部、客観的な評価を簡単にできると言い切れるかどうかということはありますが、こういったものが対象になるのではないかということを前提といたします。
 その下、論点例でございます。まず、客観的な評価を進めるに当たっての目的、ないしは、その評価結果の活用の面でございますが、そもそも評価の取組の目的についてどう考えるのか、また、評価の結果はどのように活用するのかという点が、スタート時点での一つの大きな検討のポイントになるかと思います。
 例えば、この後、御報告をさせていただきますが、各都道府県の中には、県内の統一的な学力テスト等を行っている県も少なからずございまして、そういったところでは、学習の状況の把握を通じて、指導の改善につなげていくといったところを目的に置いているところが、大勢のようでございます。いずれにいたしましても、客観的な評価、何のために行って、その結果はどう活用していくのかという点が、まず大きな検討のポイントになろうかと思っているわけでございます。
 2枚目に参りまして、2枚目の上の丸でございます。客観的な評価の対象とその評価の手法の部分でございます。基礎的な知識・技能、思考力・判断力・表現力等のどの範囲について評価の対象とし、客観的な把握の対象とし、そして、どのような手法で、これも把握していくのか、このようなところでございます。
 例えば、普通科目(必履修教科・科目ないし共通必履修科目)で学ぶような基礎的な知識・技能、思考力・判断力・表現力等については、筆記試験により把握する。
 職業系の専門科目で学ぶような知識・技能、思考力・判断力・表現力等について、技能試験の実施により、又は、資格試験・技能検定の活用により把握するなど、様々な手法ないし対象の区切り方があろうかと思いますが、この部分についても、御議論の対象になろうかと思っているわけでございます。
 その下でございます。評価の実施主体でございます。客観的な評価の取組を進めることとした時、その実施主体についてどう考えるかということでございまして、学校ないし各設置者による実施、国による統一的な実施、ないしは、校長会、民間の検定団体等で行っている評価の取組そういったものの活用などにより、進めていくなど、様々な形はあろうかと思いますが、この部分をどうするかということでございます。
 次でございます。2の1ポツ以外のもの。客観的な評価の対象となりやすいもの以外のものでございますが、様々な社会・職業への円滑な移行に必要な力、市民性など、幅広い能力について、これをどう評価していくかという観点でございます。
 これらにつきましては、評価の妥当性の確保、信頼性の向上等の課題にどう対応するか幅広い能力等のどの範囲について、どのような手法で把握するのか。評価の手法の在り方はどうなるのかといったところが、論点になってくるかと考えているところでございます。
 評価の充実方法例としましては、ルーブリック、ポートフォリオ評価等の活用、様々な評価指標例の提示、指導要録の記載事項の改善など記載させていただいておりますが、本日は、関西国際大学の濱名学長もお招きしています。濱名先生から、ルーブリックを活用したアセスメントという形で、本日、御発表いただく予定でございますが、こういったところについての更なる検討もお願いしたいということでございます。
 以上、資料1でございますが、引き続きまして、資料5でございます。前回、部会長からの御指示をいただきまして、全国の都道府県における学力調査等についての取組につきまして、前回部会以降、文部科学省事務局の方から、各都道府県に対し調査をさせていただきました。その結果をまとめたものが、資料5でございます。
 概要を御説明させていただきますが、まず、47都道府県に調査いたしましたところ、何らかの学力調査、学力テストのようなものを行っている都道府県が12道府県、さらに、学力テストという形ではないのですが、いわゆるアンケートのような形におきまして、学習状況等につきまして調査を行っている県、そのほか2県、いただいたところでございます。
 その趣旨・目的といたしましては、学力テストのところについて見てみますと、いずれも、学力の状況の把握を通じて、指導の改善につなげていくというところで、おおむね共通している状況でございます。
 また、対象者でございますが、対象学年については、高等学校1年生、2年生がほとんどというところでございまして、多くは、全ての生徒、悉皆での調査という形で行っているようでございますが、一部には希望制のものも見られるところでございます。
 また、調査対象でございますが、これは都道府県の教育委員会に調査をいたしましたが、公立のみとしているところが大勢でございますが、一部に私立も参加して行っているものが見られるところでございます。
 一つ飛ばしまして、実施時期でございますが、全体状況といたしましては、おおむね1学期、4月から7月に行われているものが多い状況が見受けられますが、その他、11月、12月、1月といった例、さらには、新入生に、その入学前に行うといった、少し変わったケースなども、一部には見られたというところでございます。
 そのほか、対象教科・科目でございますが、こちらにつきまして、国語、数学、外国語、とりわけ英語でございますが、これを対象とするものが、ほとんどございます。
 以上、全国の学力調査等の状況につきましての調査結果報告でございます。

【小川部会長】
 引き続いて、お願いします。

【奈良参事官】
 初等中等教育局参事官の奈良と申します。
 前回、委員から御指摘、御質問のあったことにつきまして、簡単に御紹介させていただきたいと思います。資料4-1を御覧ください。
 まず、文部科学省が実施しております、全国学力・学習状況調査の概要でございます。本年は4月に、抽出調査で実施をいたしました。小学校6年生、中学校3年生が対象でございます。抽出率が約30%でございます。
 なお、来年度、平成25年度につきましては、小6、中3の全児童生徒を対象とした、きめ細かい調査を実施する予定にしてございます。
 教科でございますけれども、従来の国語、算数・数学に加えまして、本年度は初めて理科を追加して、実施をしたところでございます。
 2ページを御覧ください。
 まず、教科の概要でございますけれども、今年初めて追加をした理科でございますけれども、特に観察・実験の結果を整理・分析し、説明するというところに課題が見られたところでございまして、例えば、中学校理科の1番最初のポツで、電流・電圧の考え方を用いて、正しい実験方法を説明するという設問でございましたけれども、これは7.8%ということで、正答率が非常に低かった質問でございます。
 右側は、国語、算数・数学における課題でございますけれども、いずれの教科におきましても、記述式問題を中心に課題が見られたところでございます。
 次の3ページに参りまして、子どもたちの意識の調査でございますけれども、まず、勉強が好きかという項目でございますけれども、これにつきましては、国語、算数に比べて、小学校、中学校ともに、理科が高いという結果が出ております。
 勉強は大切か、将来、役に立つかということについては、国語、算数に比べて、理科が低くなっているという結果が出ております。
 授業の内容がよく分かるかという設問に対しましては、いずれの教科につきましても、小学校から中学校にかけて大きく低下をしておりますが、特に理科につきまして、21ポイントの低下ということで、大きく低下をしているところでございます。
 続きまして、4ページを御覧いただきたいと思います。子どもたちの学習に取り組む意欲、態度に関する調査の概要でございますけれども、いずれにつきましても、小学校から中学校に行くに従って、低下傾向を示しており、勉強が好きかという項目、あるいは、勉強が大切と思うか、将来、役に立つかという項目がいずれも低下をしている。
 ただし、5ページでございますが、算数・数学の勉強は大切だと思いますかという問いだけには、小学校から中学校に、逆に増えているという傾向が見られております。
 最後に、6ページでございます。勉強時間に関する質問でございますが、普段、平日に何時間勉強しているか、学校の授業時間以外に何時間勉強しているかという問いでございますけれども、小学校では、全くしていないのが3.7%、中学校では6.6%でございます。
 土日の学校が休みの日に、どれくらい勉強していますかという問いについては、全く勉強していないのが、小学校で11.2%、中学校で12.6%という結果でございました。
 続きまして、資料4-2を御覧ください。PISA調査の概要につきまして、御説明いたします。
 OECDが実施をしているものでございまして、15歳、高等学校1年生を対象に実施をしております。
 読解力、数学、科学の3分野を対象にしております。
 抽出率は約185校、6,000人が参加しているという状況でございます。
 最新の状況は2009年でございまして、3年に1度やっておりますので、2012年が終わったところで、結果の公表が2013年末ごろの予定でございます。
 2ページを御覧いただきたいと思います。教科の概要でございます。2003年、2006年にいくに従いまして、若干低下している傾向が見られたわけでございますが、2009年になりまして、読解力を中心に改善傾向にございます。
 一方で、下の方でございますけれども、上海、韓国、フィンランドといった上位国と比べますと、低学力層の割合が低い。特にレベル1の一番低いところでは、日本が13.6%ということになっておりますので、かなり高い数字になってございます。
 3ページにつきましては、これも学習意欲あるいは態度に関する項目でございますけれども、ほとんどの項目において、OECD平均に比べて、「全くそうだと思う」、あるいは、「そうだと思う」という割合が、日本の場合、平均より低い状況になってございます。
 最後、5ページのところでございます。授業時間の関係でございますが、これは、OECDの平均が100%になっていないということで、比較がなかなか難しいわけでございますが、日本の場合、普段の授業以外に、1週間、どのぐらい勉強していますかという質問に対しましては、国語について全くしないと答えた子どもが、日本の場合、35.5%、週に2時間未満ということで、41.1%ということでございます。
 数学につきましては23.5%、理科については38.4%の子どもが、全く勉強していないという状況でございました。
 以上、大変簡単ではございますけれども、説明は以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 今の資料の説明について、何か御質問があれば、後で、質疑応答の際にお伺いしていただければと思います。
 それでは、今日は主に、先ほど御説明いただいた資料1に基づいて、一つは、評価の在り方に関わって、筆記試験や技能試験等による客観的な評価の対象としやすいもの、その内容、在り方等々と、もう一つは、裏の2ページの1以外の2の柱です。この二つを、主に議論をしていきたいと思います。よろしくお願いします。
 その議論の一つの取っかかりと言いますか、問題提起ということで、主に2の方の評価の有り様に関わる内容かと思うのですけれども、これから、大体20分ぐらいのお時間をいただいて、濱名学長から、ルーブリック等々についての御報告をいただければと思います。
 では、先生、よろしくお願いいたします。

【濱名関西国際大学学長】
 関西国際大学の濱名でございます。貴重な機会をいただきまして、ありがとうございます。それでは、早速、説明をさせていただきたいと思います。
 学習成果をどのように測定するのかということは、高等教育も初等中等教育も同様の課題があろうかと思いますが、定量的尺度については、特に日本人は定量的尺度が好きだと私は思います。
 例えば大学でいえば、学業成績(GPA)もありますし、資格試験あるいは標準化された外部テストとか、アメリカのNSSEのような学修行動調査、間接的な評価ではありますけれども、定量化して捉えられやすいものと、定性的にしか捉えにくいもので、ポートフォリオでありますとか、グループフォーカス・インタビューでありますとか、就職先・実習先からの評価も、定性的な評価になります。
 今日御説明させていただくルーブリックの活用も、評価の観点を可視化していくという形で、定量化していくわけですが、こういう定性的評価の可視化、尺度化が、一つの大きな流れになってきているのではないかと思います。
 これは大学分科会の方で、答申の附属資料で付けていただきましたが、要するに、評価と言いましても、評価の話がどうも混乱し、だれが、何を評価するのかということを、整理せずに議論すると、混乱が生じるということで、評価主体が、教員組織なのか、大学なのか、あるいは、評価機関なのかということと、評価対象が学生なのか、授業科目なのか、授業科目群としての学位プログラムあるいは学位課程として見るのかということで、実は、評価の材料として使うものも、非常に異なってくるということであります。認証評価は、このように評価機関が、大学全体を評価するもの、こういう整理をして、議論をするように、大学分科会の方でしていただいたわけです。
 これで考えていきますと、定性的評価の中で、例えばポートフォリオは非常に関心が高いわけでございます。アメリカに行って、話をしましても、大体、最後は苦笑するのですが、eポートフォリオは、優秀学生のショーケースと言うと、アメリカの大学関係者も、そうだ、そうだと言うわけです。最も、ポートフォリオを熱心に作ってくるような学生は、比較的、ポテンシャルも高い、モチベーションも高い、そういう学生の問題であります。
 大学教育の方でも使いつつあるわけですけれども、難点が三つあります。学生がポートフォリオを作る動機付けをどう作っていくかということとか、作っても、それに対して、教員がどういうコメントやフィードバックするのかという方法が確立されていない。三つ目は、評価の仕方、ルーブリックが、いい、悪いということを、どう評価するのかということが未確立で、改善が必要になってきている。
 さらに言いますと、定量的評価だけで、説得をするということについて、みんな釈然としない。特にこれは教員サイドから見ると、点数だけで評価しているということに対する、じくじたる思いがありますので、複数の方法を組み合わせていかなければいけない。多元的評価の中に、ルーブリックを使う方法がある。
 それは何のためにやるのか。機関評価であるとか、プログラム評価、つまり、これは、学科、単位などマクロな評価に使うのか、学生個人の成長をミクロに使うのかということなのですが、お話をしていきますルーブリックは、どちらの用途にも、実は、使いようがあるという手法だと、私は考えております。
 ルーブリックの説明なのですけれども、ここにございますように、目標に準拠した評価のための基準づくりの方法論、パフォーマンス評価でよく使われますが、何を学習するのかを示す評価の規準と、学生が学習到達しているレベルを示す評価の基準、「のりじゅん」「もとじゅん」というようでございますけれども、基本的に評価の観点とクライテリアをマトリックス形式で示す評価指標でございます。
 二つ目の説明としては、パフォーマンスの成功の度合いを示す尺度と、パフォーマンスの特徴を説明する記述語で構成されており、文章で説明されたクライテリアのどこに該当するかということを、記述形式となっているものを活用するわけでございます。
 アメリカにおいて、先進的に開発されておりまして、特に高等教育、AAC&Uという教養教育、共通教育の認証評価団体が導入・活用していることで、むしろ、有名でございますが、先週、アメリカに行っておりましたけれども、ルーブリックは、ごく普通に会話として、使われるようになってきていると感じております。
 このVALUE Rubricsと呼ばれる、AAC&Uが作りました指標なのですが、Valid Assessment of Learning in Undergraduate Educationの略が、このVALUEでございますけれども、VALUE Rubricsは、15項目、現在、公表されておりまして、まだ継続されて、来年、もう一つ、二つ、新しいものが発表されると言われております。
 AAC&Uですが、知的なスキルに関するものと、パーソナルなタイプ特性のような価値観の内面化など、そうした内容のものと、総合化でございまして、研究・分析、批判的思考、創造的思考、記述コミュニケーション、口頭、オーラルコミュニケーション、読解力、定量的リテラシー、情報リテラシー、チームワーク、問題解決、こうしたものについて、既に作られておりますし、市民としての知識と参加、認知的な知識とコンピテンシー、道徳的な考察、生涯学習のための基礎とスキル、こういう内容とそれらを総合化するという分野で、ルーブリックは作られております。
 これが一つの訳したものですけれども、創造的思考法について、縦が観点でございます。少し読みにくいのですが、一番最初は、コンピンテンシー、能力を身に付けるということが、一つ目の観点でございまして、このステップは、ある特定の領域について、概略や技術を習得することでございます。2点目が危険負担。3点目が問題解決。4番目が反論を包含しているかどうか。
 左へ行くほど、優れている、右へ行くほど、できない。これは少し見にくいので、ほかの私どもが使っているルーブリックが、後ほど出てきますので、そちらで、もう少し詳述させていただきたいと思います。大体、縦に4項目ないし5項目程度の観点と、クライテリアは、VALUE Rubricsは、大体4段階で設定しております。
 この作成に当たりましては、AAC&Uは、全米でそれぞれの大学のジェネラル・エデュケーションの情報を全部集めまして、その情報に基づいて、その中に含まれている要素を、専門家に分析させるというところで開発をいたしました。
 その作成過程では、大学で活用されている既存のルーブリックは、評価の観点として、どういう形で評価をしていますかという調査をするわけですが、それと、学習成果の記録を参照しながら作っていた。かなり時間をかけて、作ったものでございます。
 利用上の注意として、AAC&Uがウェブサイトで書いておりますことは、ルーブリックは、それぞれの学習成果における基本的な評価基準を、はっきりと明示するためのものであるということと、学生に求められるパフォーマンスのレベルを、下位の到達基準から上位の到達基準へと順番に明示しているということで、評価基準を明確に示している。
 これは、我々が、これまでやってきましたテストの採点基準と何が違うかと言いますと、あらかじめ学生たちには公示されていますので、評価の採点を、どういう観点とどういう基準で行うのかということを、両者があらかじめ知った上で使うという仕組みになります。
 ルーブリックは、機関レベルで、学生の学びを評価し、議論することを目的としたもので、学生の成績評価を目的したものではない。つまり、先ほど見ていただいたものは、一定のガイドラインとして、考えていただければいいと思います。つまり、あれをそのまま、すぐに採点に使えるわけではないということでございます。
 これは、私どもが、実際にルーブリックを、自分のところの学生の採点に使っておりますけれども、その場合は、かなり注意をしながら、なおかつ、改良した上でないと、使えなかったということは、あらかじめ申し上げておきたいと思います。
 ルーブリックの有用性は、要するに、学習の基本的なフレームワークを、学生たちにも、教員にも、社会に対しても示すということが、一つでございます。
 二つ目は、ルーブリックを使うことで、学生がなぜいい成績をとるのか、あるいは、なぜ力が付いているのかということを、共通の枠組みの中で、対話と理解を図ることができますし、学習成果のエビデンスの共有ができるということでございます。
 なぜ、このようなものが出てきたかと言いますと、AAC&Uは、認証評価団体として考えれば、アメリカの中では、アセスメントが緩いと、連邦政府から非難をされた団体でございます。つまり、質保証に対する実証が不十分だということで、それを受けて、CLAのようなスタンダーダイズドテストを使うのかといった時に、それを決して望まなかった。
 そこで、質保証の一環として、量的データばかりを使うことは良くない。テスト以外の可視化ということで、さらに、教室内でのカリキュラムだけではなくて、教室外のカリキュラムでありますとか、課外活動まで視野に入れて、学習成果の評価方法を作れないかということを考えたものであります。
 特にAAC&Uは、自分たちの達成基準として、civic engagement、diversity、open-mindedness、要するに、市民としての社会参加でありますとか、多様性、あるいは、オープンマインドで人と接していくということを入れておりますので、それをどう評価するのかということに対する答えであったわけでございます。
 もう一つは、学習プロセスとリフレクションがしやすいように、つまり、学生たちに、点数がついて、一喜一憂するだけではなくて、どこまで自分の学習が進んでいるのかとか、あるいは、何が良かったから、成績がいい評価を得られたのか、何が課題で、いい成績が付かなかったのかということを明示するということでございます。
 ルーブリックの導入の背景の(2)として、これは、アメリカの課外活動団体なのですけれども、こういうところでも、学外活動の評価にも使えるということで、AAC&U以外の団体でも使い始めております。
 ルーブリックのアメリカでの活用としては、ここに書いてあるようなことでございますので、外圧に対する対応であり、経験の評価方法をきちんと明示する必要があったということと、フィードバックができるようになるということがございましたし、活用の現状としては、こうしたマクロなものと、ミクロな学生の達成度評価にも活用されております。
 ただし、各大学に合った形で、カスタマイズは可能で、これは、カスタマイズをある程度やらないと難しいということは、私どもが使ってみて、実感した次第でございます。
 これは、関西国際大学のコモンルーブリックでございまして、これはリサーチ、調査型を含む授業科目の中で、共通して使おうということで、我々は縦に観点を五つ挙げております。
 これは、ちなみに、総合学習でご活用いただくとありがたいと思っています。総合学習で大学に入ってくる学生の中には、見たら、答えが分かるものを、「総合学習」としてやらされて、ある意味で、リサーチに対する悪い癖がついた状態で入ってくる学生も、多数おります。
 そういう点から考えると、我々、そこからリサーチ型の学習に、どう水路付けるかという時に使うわけですが、テーマの立て方、これまでに明らかにされてきた知見の活用ができているか。3番目は、研究方法と分析の視点が定まっているか。4番目は、分析そのものがきちんととできているか。5番目は、結論が導き出せているかということで、6段階で作りました。
 6段階で作ったのは、やはり、4段階でやろうとすると、かなり差が大きくつき過ぎるということがございました。ところが、これを採点に使うというのには、途方もない労力がかかる。1年生と4年生に同じルーブリックを使うと、どういうことが起こるかというと、上級生にどうしても有利に映ってしまうということで、私どもがカスタマイズする時に、下位学年用と上位学年用を分けました。
 下位学年用は、先ほどのゼロから3まで、ただし、3というのは、先ほどのもので言いますと、そんなにポジティブな評価の書き方になっていないのです。ところが、下級生だったら、実現可能なテーマが設定されており、それについての仮説や調査項目が示されていればいいのだというところまでで、オーケーとしているわけです。
 ところが、これで、最後までリサーチの能力や力が付いたかというと、そうではないので、上級生用は、一番上は、独創的で明確なテーマが設定されていて、それについて仮説や調査項目が分かりやすく整理されているかどうかというふうに、より高度なものを3にしまして、ゼロのところで、実現可能なテーマが設定されているが、一般的な仮説や調査項目しか示されていない。
 つまり、クライテリアを途中で上級生と下級生に分けることによって、下級生は一定のレベルまで到達すればいい、上級生は理想的な姿まで全部示して、これでやりますと、採点ルーブリックとしても、ある程度使っていくことが可能だと設定をしたわけでございます。
 こうしたルーブリックを作りますと、どのようなことができるかと言いますと、教員間、科目間の連携をどう作っていくかということが非常に大きいので、その場合、科目のドッキングがベストなのですけど、なかなかそういかないですが、 複数科目でルーブリックを用いますと、この学習スキルの伸長状況を、協議会で共有できるようになり、具体的には、評価の観点・基準を、同じルーブリックを複数の科目で活用することによって、共有することができます。
 ルーブリックを使っていきますと、学生の伸び具合等々、レポートの出し方も調整することができるようになってまいりますし、タイミングを調整して、そのレポートをフィードバックできます。
 つまり、レポートを出す時に、この後、実物を見ていただきますが、ルーブリックをレポートに張り付けて、提出させまして、それに対して、教員は、それぞれの観点・基準について、丸を付けたり、若干のコメントを付けて、学生にフィードバックするわけです。
 そうすると、これまでの私が経験した大学生活でのレポートは、教員が、間違っているところに徹底的に赤を入れて、真っ赤にする。あるいは、感想は1行か2行しか書いてない。点数しか書いてない。そういうものでありますと、次、何をどう改善していいか分からない。ルーブリックを使いますと、できていることと、できていないことが、途中段階で、フィードバックが可能になるということです。
 学習スキルの伸長状況を、教員間で同じ採点基準を、ある程度使っていくことになりますと、共有することができるということでございます。これは、例でございますが、複数の科目で共通のルーブリックを作って、到達目標を明確にする。学習の成績レポートの自己点検が容易になる。学習計画自体が、この辺りで、段階的に、それぞれの科目が異なる観点で採点するのではないという部分を持ってきますと、調整がしやすくなって、次の学期につなげやすいということでございます。
 ルーブリックの評価の利点を、私なりに5点まとめてみました。
 到達目標と評価の観点・基準を可視化することによって、評価者の主観的なばらつき、つまり、先生がなぜいい点をくれたのかよく分からない、先生の気に入ることを書いたのだろうということを廃して、評価の標準化ができる。
 2点目は、学習者があらかじめ到達目標や評価の観点・基準を知っているわけですから、それを意識して学習に取り組むことができる。
 3点目は、形成的評価、途中で同じルーブリックを使って、採点をしていきますと、フィードバックすることが可能になりますので、形成的評価と総括的評価に同じような形での観点を使うことができますし、フィードバックも容易になります。テストよりは時間がかかるのですが、真っ赤に添削するようなものと比べると、時間的には非常に短くすることができます。
 4点目は、単独科目の評価にとどまらず、構造的・体系的に、例えば、リサーチに関わる内容を持っている科目をいろいろなところで使いますと、断続的に同じ評価の観点を繰り返していくことになりますので、学生たちは一貫して到達目標を内面化し、目標とすることができる。
 5点目は、プログラム評価、つまり、その科目が、例えば、リサーチ能力の育成に成功しているのかという評価と、学生個人がどのように力を付けているのか、両方に使うことができるということでございます。
 ただし、課題もありまして、一つは、テストと比べると、手間がかかります。
 2点目は、ルーブリックを作ったら、問題が一挙に解決するかというと、そのようなことはありません。同じ観点・基準を使っても、なおかつ、ばらつくのです。それは何度も繰り返していかないと、難しいです。
 ちなみに、AHELOの工学のテストでも、ルーブリックをお使いになられたという話を伺いました。東工大の岸本先生に伺ったところによりますと、工学の記述式の問題でも、75%ぐらいは、採点者の評価が一致するようになった。それは、常にルーブリックを使いながら、最初、トレーニングというか、一緒に採点者がそろってやっていくと、そのぐらいまでそろっていくのだということでございました。これは引き続き、改善していかなければいけません。
 もう一つは、共通ルーブリックの作成によって、基準間のレベル設定は、誰でも作れるかというと、なかなか作れないのです。かなり論理的なトレーニングが必要になりますので、それは精選化に時間がかかります。
 一つの方法でしかないので、ルーブリックだけで全ての評価が解決するということでは、問題が解決するわけではございません。
 ちなみに、これが私どもの実践例で、私ども、教育目標が五つございます。これは教育目標から来ておりまして、これが汎用的な能力を加えて、全部で15の能力を、KUIS学習ベンチマークということで、達成するべき能力として明示しておりまして、それをルーブリック化しております。
 それぞれの基準についてクライテリアを作っていまして、思い浮かべる場面として、学生たちには、まずこれで自己評価をさせるのですが、どういう場面を思い浮かべれば、例えば、この項目について振り返ることができるのかという資料を作って、学生たちに振り返りの材料として使っております。
 ちなみに、現在、私どもの大学で、5種類ぐらいのコモンルーブリック、共通ルーブリックを作っておりますが、2年で大体半分ぐらいは、共通ルーブリックを使い始めているという状況です。
 ちなみに、東京学芸大も、高度専門職業人養成教育推進プログラムで、ルーブリック開発に取り組んでいるということを、最近、見つけました。私は現物を手にしておりませんので、そういうことでございます。
 一つだけで見ていただきたいものは、実際に、採点、提出に使っておりますものを見ていただきたいと思います。これが、実際の本物でライティングです。1年生の科目のライティングのルーブリックの用紙を、学生がレポートの頭に張り付けているのですが、それぞれの観点について、担当教員が丸を付けて、それで、ここに若干のコメントを書いている。点数は95点と付けております。これを見ていきますと、弱いものは、上から二つ目の論理的な構成にやや難点はあるけど、おおむねよくできている。
 それに対して、これができの悪い方でございまして、レポート課題を確認してくださいと書いていますが、ちゃんと課題と関係のないことを書いているなど、こういうような付け方をして、ルーブリックを繰り返し、いろいろな科目で活用していくというやり方が、ルーブリックの具体的な活用法として、私どもがやっている方法でございます。
 急ぎ足になりましたが、以上で、御報告に代えさせていただきます。ありがとうございました。

【小川部会長】
 濱名先生、ありがとうございました。
 せっかくですから、順番は逆ですけれども、資料1の主に2に関わるような内容かと思いますけれども、今の御報告に対して、質問等がございましたら、お受けしたいと思います。
 皆さんの方から、何か御質問等がございますでしょうか。
 安彦委員、どうぞ。

【安彦部会長代理】
 最後に、95点とか35点と、それこそ数量的な数字を出されましたけど、あれはどこからきたものでしょうか。

【濱名関西国際大学学長】
 このそれぞれの縦のクライテリアに、実は配点を付けているのです。これについて、何%付けているというもの。横軸にも、一応得点化していまして、ここにクライテリア別で、例えば、課題に関する記述ですと、この3だと、20点、15点、10点、0点と、一応その程度について得点化するという形を採っております。一応これについては、各科目で、比重は変えてもいいというやり方でやっております。

【安彦部会長代理】
 少し意外だったのは、定性的な手法なのに、定量的な数字をそこに出されたので、この辺の関係はどうなのでしょうか。

【濱名関西国際大学学長】
 一応、定性的な評価を可視化するという点でいうと、採点に持っていく時に、やはり最終的には得点化せざるを得ないということで、その定性的なものに対して、これはあらかじめ示した状態で進めていくので、定性的なままだと、やはり最終的には難しいのだろうということで、定性的なものを可視化する方法は、最終的に得点に置きかえるという手続を採らざるを得ないです。
 これも、やはり、何回か使っていく中で、点数感覚でありますとか、配点については少し見直しをしながら、科目の性格によっては、例えば、哲学的な内容の要素があると、課題に対する記述をより重視したいというものもあれば、1年生の初期の問題だと、ライティングのスキルがきちんとまずできているかどうかを、むしろ問うのだという、そこの辺のところは出てくるかと思うのです。
 ルーブリックを使うということが、得点化を必ずしも否定するものではないと、私どもは考えています。

【安彦部会長代理】
 もう一つだけ、この場合は特に得点の方は、ある意味で、学生の到達度というか、学力を測っている部分も確かにあるわけですけど、先ほど話があったように、形成的評価的なプログラムの評価の方に、どう使うかということについて例を挙げていただけますか。

【濱名関西国際大学学長】
 プログラムの評価という形になると、実はこの科目については、オムニバス形式で、3人の教員からのレポートを構成して、最終評価をするものですから、1人目の教員が、まず、レポートをフィードバックする。それを受けて、2人目、3人目のレポートに還元していくという形で、形成的評価を行っています。
 今、私どもも、学生個人を特定したIRをやっていますので、それで、どの程度、影響を及ぼすかということをやっているのですが、ある福祉専攻のところでは、このライティング・ルーブリックを、1年生の前期に徹底的に使うようにしているんです。そうすると、入試学力では、そこは低いのですけれども、最終的には、やはり、半年たった段階で、よその専攻と比べて、ライティング能力は、かなり上回るぐらいのところまで書けるようになってきています。
 そういう点では、要するに、ライティング・ルーブリックを、体系的に、組織的に使うということが、一定の成果を上げるということは、我々の中では実証し始められているかなと思っております。

【小川部会長】
 安彦委員、よろしいですか。

【安彦部会長代理】
 はい。

【小川部会長】
 金子委員、どうぞ。

【金子委員】
 大変分かりやすくて、うまく使っていらっしゃるので、関心しました。
 ただ、私は、濱名先生もおっしゃっていましたけど、ルーブリックは、二つ意味があって、一つは、授業の方法としての使うツールとしてのルーブリックで、これは後半に言っていらしたことで、今、話題になっていることです。
 前半に言っていらっしゃったことは、教育の成果全体をカバーしたようなルーブリックの基準なんです。これは、必ずしも新しくないし、全体にも受け入れられているわけではないと思います。この二つは区別しておいた方がいいと思います。
 授業の方法としてのルーブリックは、おっしゃっていたように、ルーブリックは、基本的には授業課題別の評価です。課題別の評価を、もう少しシステマチックにやっているということだろうと思います。
 いろいろな使い方があって、なぜ、点数化するかということは、一つの理由は、アメリカの大学でも、かなり点数化しにくい授業があるわけです。例えば、一般教養の授業は、かなりいろいろな価値観に関わって、そんなに簡単に点数を、どういう知識を持っているか、いないかによって、採点できない。
 そういったものに採点する時に、やはり、いろいろな観点を作って、そこから採点しなければいけないのですが、同時に、点数も付けなければいけないのです。やはり、点数を付ける時の論拠は必要だということも、アメリカの大学でルーブリックが出てきた、非常に大きな理由の一つではないかと私は思います。
 もちろん、それは点数を付けるということだけが目的なのではなくて、今、濱名先生がおっしゃったように、いろいろ建設的なといいますか、フォーマティブな使い方があり得るわけです。
 ただ、もう一つ、アメリカでも、ルーブリックのこういう結果を学生に見せる、そのまま見せるということは、必ずしも普通ではないのではないですか。

【濱名関西国際大学学長】
 それは、大学によって、大分違いがあると思います。

【金子委員】
 少なくとも、最初、採点用で、自分が持っているものだったと思うのです。見せた方が、学生が自覚するかもしれないので、それは見せているかもしれませんけれども、一般的には、やはり学生を評価するための道具ですが、何かの採点をした際の合理的な根拠として示すという意味も、一つはあったと思います。
 先ほどの論点に戻って、もう一つ、やはり重要な、濱名先生が最初におっしゃった部分ですが、ルーブリックをもっと拡張すれば、大学教育全体について、差し当たり一般教育ですが、一般教育の目的全体を、ルーブリックの項目として、それぞれについて、どれくらい達成しているかということを評価していけば、大学教育の目的はどれくらい達成されているか、少なくとも、一人一人の学生についてはどうか、あるいは、学校についてはどうか、という解釈もでき、それに点数をあえて付ければ、それなりに点数、数量的な評価もできるという考え方も、一つはあるわけです。
 ただ、これは、ルーブリックから直接、自然に出てきたというよりは、アメリカでは、大学教育の成果を数量的にきちんと評価しろという動きが、非常に強いために、そのためのテストなども幾つか開発されているわけであります。
 それはやはり非常に偏った教育観をもたらすということで、それに対して、もっとバランスのとれた、しかも奥行きのある評価をしようというので、VALUE Rubricsという、先ほど一番最初に紹介された、非常に総合的なルーブリックが作られたということだろうと思うんですけれども、それで、よろしいでしょうか。

【濱名関西国際大学学長】
 そうですね。先ほど金子先生が言われた、学生たちに示しているのかということは、示しているほうが多いと僕は思います。
 しかしながら、今おっしゃったように、活用の背景としては、要するに、特にアメリカでは、連邦政府が、いわば、定量化した形で、学習成果を示せということに対する知恵を絞り抜いて、やり始めた。なおかつ、社会の側が求める能力が、ここにございますVALUE Rubricsの項目のように、要するに、非常に汎用的な力の方が、むしろ社会から求められる傾向が強い。
 だから、そういうもの、社会人基礎力もそうですけれども、こうしたものに対して、付いている、付いていないの水かけ論ではなくて、どういう形で、こういう基準で、こういう評価をしたというものが定着していくということが、大学にとって、非常に必要だったということだろうと思います。

【金子委員】
 はい。

【小川部会長】
 金子委員、よろしいですね。
 ほかに質問があれば。
 アキレス委員、そして、上野委員ですね。お願いします。

【アキレス委員】
 濱名先生、どうもありがとうございます。
 今お話をお聞きして、企業が使っているコンピテンシー評価と、非常に近いと感じております。企業で使う評価は、大きく分けて二つありまして、一つは、MBO的に、目標に対してどれだけ達成したかという結果を見るものと、達成するに至るプロセスとか、その時にどういうふうに行動を発揮してきたかという、コンピテンシー評価がございます。
 コンピテンシー評価の場合は、まず、作り方として、優秀な社員にかなり詳しくインタビューをして、その人がどういう行動を発揮しているかというものを集大成して、幾つかの項目にまとめて作り、作成のところで、全米の大学を代表する大学の教育の専門家によって作られたと書いてあるのですけれども、作り方は、やはり、優秀な学生を集めてやったのですか。

【濱名関西国際大学学長】
 それは違うと思います。それは、私が企業のコンピテンシー評価に一番感じる違和感で、やはり、それぞれの教育の方は、日本で言えば、どういうディプロマ・ポリシーでありますとか、その中で達成するべき価値観や能力、獲得するべき能力の理念から、やはり考えていくのだろうと思うのです。
 つまり、モデルがいるわけではなくて、自らがその到達目標とするべき能力、知識、力を設定するところから、クライテリアは作成していくというところは、教育機関でのこういうクライテリア作りには、不可欠なアプローチではないかと思います。

【アキレス委員】
 そうすると、人からではなくて、理念的なところ、あるべき姿からということですか。

【濱名関西国際大学学長】
 そうですね。

【アキレス委員】
 それが、確かに優秀な学生にとって必要な項目であるということも、その後から、確認がされたのですか。

【濱名関西国際大学学長】
 それは、例えばVALUE Rubricsも、各大学がどう使うかは自由ですので、示されているもの、つまり、それが自らの大学の到達目標に入っていれば、これを参考に、更にカスタマイズをすることもあるだろうということです。
 要するに、VALUE Rubricsは、15項目を使うことを義務付けているわけではありませんので、それは各大学が、どういう教育目標を設定するかによるのだろうと思います。

【アキレス委員】
 そうすると、先ほどおっしゃっていたように、一つの目安として提示されているけれども、各大学では、それに自分たちのアレンジを加えるということですか。

【濱名関西国際大学学長】
 はい。それは、学術振興会がやっていらっしゃいます参照基準と、考え方として非常に近いところがあると思ういます。ただ、参照基準より突っ込んでいることは、具体的なクライテリアの設定の例を示しているということで、どういうことを学ばせるというよりは、どういう状態で、クライテリア設定するならば、学習者にとっても、教える側にとっても、プラスなのかということを明示している点だろうと思います。

【アキレス委員】
 そうすると、そこの部分は、コンピテンシーのように行動として現れているところを観察することになりますか。

【濱名関西国際大学学長】
 基本的には、ルーブリックの持ち味は、パフォーマンス評価だと言われていますが、アウトプットに対しての評価にも当然使えるものもございますので、それは、両方、ある程度カバーしているかなと思っております。

【アキレス委員】
 分かりました。ありがとうございます。

【小川部会長】
 上野委員、どうぞ。

【上野委員】
 どうもありがとうございました。
 数値で評価できないようなことを、できるだけいろいろな先生方が共通して、ある程度、皆が納得できるような評価をするということが、基本的には大事です。
 私が、お話を伺っていて思っていたことは、全く同じものを、例えば、生徒、学生に渡すと、アンケートになるのです。自分は、この項目に対して、どうだと聞くわけですが、これは、ある意味では、アンケートの逆方向版になっているのです。その時に、アンケートの項目、5に丸を付けるか、4に丸を付けるか、3に丸を付けるかという、それぞれに、ある程度点を与えます。
 逆に言いますと、うまく評価する人に質問を投げかけるといいましょうか、それで、それぞれの生徒に対して、それぞれ点を付けるわけです。そうすると、逆に、それをアンケートの格好で生徒側に振って、自分はこれに対して、どうだったと思いますかと点を付けさせる。そうすると、何か逆の情報が得られるような気がします。

【濱名関西国際大学学長】
 実は、先生がおっしゃるような他者評価と自己評価と教員評価については、ここにいらっしゃいますけど、川嶋委員と私どもは別の科研でやったことがあるのですけれども、実は友人評価が一番当てにならないんです。
 ピア評価は、残念ながら、学生の中では、なかなかうまく機能しない。むしろ、教員評価と自己評価の相関の方が高かった。それも、項目によって、相関が高いものと低いものがありますので。
 学生たちは、自己評価するかどうかは、分かりませんが、先ほどの丸を付けたのは、評価者である教員でございますので、学生たち自身の自己評価は、先ほど私どものベンチマーク、達成目標に対しての自己評価は自分でやることができます。それをやる時には、エビデンスとして、例えば、この授業で、こうした評価をもらったから、私のコミュニケーション能力は高いといった形です。
 ルーブリックを、自分の達成度評価のエビデンスに活用することはできますけれども、個々のレポートでありますとか、パフォーマンス評価の時には、基本的には、やはり教員が中心になって、評価をしていくというやり方の方が、有効ではないかと思います。

【上野委員】
 そのとおりだと思います。
 ただ、私は、アンケートというものが、今、氾濫しているのですけれども、それを非常にうまく設定して、ある程度、共通な、より定量化した成績評価に、非常にうまく活用されているのだと思いました。
 そのために、元のアンケートの形態という格好に戻した格好で調査をすると、これから改善していかないといけない、新しい情報も得られるのだろうと思います。

【濱名関西国際大学学長】
 はい。そういう方法が、あるのかもしれません。学習行動調査が、どちらかというと、そうした学生自身の行動を省みさせて、こういう経験とこれができているかということを聞くタイプの調査は、別にございます。
 ただ、おっしゃるような活用の可能性もあるのかとは思います。ありがとうございます。

【小川部会長】
 上野委員、よろしいですね。

【上野委員】
 はい。

【小川部会長】
 ほかにいかがでしょうか。
 では、よろしいですね。一応、今の報告についての質疑は終わりたいと思います。
 また、後で、議論の際に、何かあれば、御発言いただければと思います。
 濱名先生、ありがとうございました。

【濱名関西国際大学学長】
 どうもありがとうございました。

【小川部会長】
 では、今日の主なテーマである資料1に基づいて、これから、少し、皆さんから御意見を伺いたいと思います。
 前回まで、高校生に共通に身に付けさせるべき、いわゆるコアの内容について議論いただいて、資料1にありますとおり、大きく筆記試験や技能試験等による客観的な評価の対象となりやすいものと、それ以外という、そういう二つに大きく分けて、それぞれの評価の考え方、有り様等々について、これから議論していきたいと思っています。
 まず最初に、資料1でいえば、1ページ目の1ポツです。先ほどの説明では、論点例も幾つか、事務局の方から示されていますけれども、今日は、まず全般的な皆さんからの御意見をお聞きしたいと思いますので、どなたからでも自由に御発言いただければと思います。
 それでは、小杉委員、どうぞ。

【小杉委員】
 ありがとうございます。
 私は、この1と2の分け方に、ちょっとまだ違和感がありまして、職業への移行に必要な力とか、市民性がなぜ意識だけなのかと、非常に不満なのです。社会の一員として参画するための力など、そうした力というのは、完全に分離できるのかということが非常に不思議です。
 このように申しますのは、やはり、市民性の背後にあるのは、きちんとした知識ですから、労働社会、市民社会についての知識がきちんとあって、その上で、初めて行動に移るということで、その行動の部分に注意した時に、市民性という言い方、つまり、言うなれば、活用できる能力であるかというところだと思うのです。
 そういうふうにすると、この「以外のもの」いうくくり方が、思考力、判断力、表現力の範囲で、測れなかったものというのではなくて、移行に必要な力、市民性についても、その基礎となる部分は、当然測れる教科の中にあって、その教科の成果を活用する場が、この力なのだと思うのです。そういう考え方が必要であって、これは全く別のものではなくて、教科の中で実現される力をベースにして、それを活用する場面に持っていくと、こういうことになる。そういうことなのではないかと思うのです。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 その点も含めて、御自由にいただければと思います。
 いかがでしょうか。

【川嶋委員】
 よろしいですか。

【小川部会長】
 川嶋委員、どうぞ。

【川嶋委員】
 ちょっと中座させていただきますので、先に。
 まず、一つは、事務局に先ほど御報告いただいた各県の取組、あるいは、全国学力テストについてお聞きしたいのですけれども、基本的に、先ほどの例えば資料5ですと、各県の趣旨・目的は、指導の改善のためということだったのですが、それで、改善されたという結果は出ているのでしょうか。
 もう一つは、全国学力調査も、PISAの場合は経年的な変化を表で示していただいているのですけれども、全国学力調査は、確かに対象、サンプルは悉皆であったり、サンプルであったりという変動があったり、問題が多分毎年全て同じではないのですけれども、この学力調査をやったことによって、日本の子どもたち、小学校6年生と中学校3年生の学力が向上した、改善したというエビデンスはあるのでしょうか。

【小川部会長】
 事務局の方から。今、2点質問。

【塩原教育制度改革室長】
 まず、全国都道府県の学力状況調査につきましてですが、すみません、私ども、今回御報告させていただきました、このフォーマットに基づきまして、この範囲で、全国の都道府県教育委員会にお聞きしたというところでございまして、効果はどうだったかということについての調査を、きちんと深堀りしてやっていないという状況でございます。

【小川部会長】
 もう1点。

【奈良参事官】
 まず、経年比較の観点でございますけれども、おっしゃるとおり、現在の学力調査では、なかなかそこが難しいということがございました。
 そこで、来年度につきましては、全ての子どもたちを対象に実施をするわけでございますけれども、従来の調査に加えまして、追加調査で、経年比較のための調査を実施するということで、本体調査とは別途、抽出で調査をし、問題は非公開にして、実施するということを考えているところでございます。
 なお、現在やっている中でも、実は、何本かは、過去と同じ問題を出しておりまして、例えば、過去と比べてどうか、例えば、数学、算数であると、同じような割合の問題について、どのような状況になっているかというところで、一部は、やっているところでございます。
 エビデンスの関係でございます。私どもとしては、平成19年度から実施をして、今回で5回目になるわけでございますけれども、全体として、改善が図られているものと考えております。
 例えば、従来でありますと、各都道府県別に比較いたしますと、各教科で、全国平均より5ポイント下回った県が、昨年度までは大体4、5件あったわけでございますけれども、今年度は全ての教科において、1県ということになっておりまして、全体的に底上げが図られているものと考えております。また、各学校でも、これを活かした取組が進んでいるものと理解をしております。

【川嶋委員】
 ありがとうございました。
 それで、論点メモの方で、目的と活用方法ですが、これは先ほど濱名学長の方からの御報告があって、高等教育では、今、アセスメントということが非常に強く求められているわけです。こういうアセスメントする目的が、一方では、改善、インプルーブメントと、もう一つはアカウンタビリティーという、出口のところの質保証ということの二つの論点があって、先ほど御紹介があったように、アメリカでは、どちらかというと、出口の質保証ということを、強く国が求めているということがあるわけです。
 今回、高等学校教育の質保証といった時に、やはり、改善に役立てることも重要ですけれども、社会が求めている質保証というところは、やはり出口のところだろうと思うのです。
 要するに、先ほどお話があったように、フォーマティブな形成的な評価と総括的な評価は切り離せないと思うのですけれども、単に改善のためだけに、質保証の何らかのこういう取組を導入することの意義を、やはり少しきちんと考える必要があるのではないかということです。
 それから、出口のところでいけば、高等教育で問題になっていることは、これもきっといろいろな議論が出てくるところですけれども、一定の水準を保証するのか、いわゆる成長・伸びという観点から、質保証を考えていくのか、やはり、インプルーブメントとアカウンタビリティー、レベルとアディッド・バリューというか、変化、成長、こういう幾つかの軸で、目的、質保証の何らかの取組を導入する時には、考えてみるというか、論点になっていくのではないかなと思います。
 もう1点は、もしテストを導入した場合、各県の取組を、いつ行うか、何学年で実施するのか、各県を見ますと、大体1年生とか2年生、先ほども御説明がありましたけれども、割と学年の最初の方なんです。改善ということであれば、多分、1年は2年、2年は3年という形での反映させるということで、この1年、2年のそれも早い時期ということでよろしいのかもしれません。
 例えば、出口ということ、高等学校3年生の全体の教育課程の教育の質保証でいけば、やはり、せめて2年生の終わりとか、3年生のどこかでやらないと、本当に高等学校教育できちんと身に付けて、社会や大学に出ていけるのかということは、なかなか確認できないのではないか。
 だから、論点2は、何学年でやるのかという実施時期についての論点が含まれていないので、是非、それについても、今後、検討していただければと思います。

【小川部会長】
 非常に重要な視点かと思いますので、ありがとうございました。
 ほかにどうでしょうか。
 長塚委員、直原委員ということでお願いします。

【長塚委員】
 私は、今日の濱名先生の御報告を聞いていまして、質保証は、これまでは、テスト評価ができないものは、質保証につながらない、テスト評価ができるものは、高等学校教育のコアではないかということが論じられていたわけですけれども、どうもそうではないということです。
 ある種の評価ができるのであって、コアを、前回は、知識、学力の必履修教科・科目というふうに、かなり限定する方向に論じられていたわけですが、やはり高等学校教育の現場では、学力の3要素は、今までの知識、学力だけではいけないという反省から、活用力や思考力といったものが加えられたわけであります。
 特に産業界の御要望として、人間性や社会性が重要だということ、学力以上とまでは言わないまでも、そういうことが論じられて、ここまできたわけでございます。やはり、コアの作り方、質保証の考え方という時に、何か限定的なテスト評価だけにつながるようなものにしていってはいけないと、改めて感じました。
 そこで、全国学力調査の事例が示されたわけですけれども、これは小学校と中学校で行われているもので、高等学校では、実は、言うまでもなく、入学段階で、入学選抜が行われているわけです。これは、もう小学校や中学校と全く違うわけで、そこで、高等学校別に振り分けられて、学力が学校別になっている。これは、小学校や中学校と全く違う状況なわけです。
 ですから、同じように学力調査のようなものを、共通テストという言葉が一人歩きしていて、全ての高校生に、ある時期にテストをするということは、学力調査をすることなのか、それが、どれほど生徒たちのやる気を起こすのか、主体的な学力を、意欲的に学ぼうとするような、そういうことにつながるのかということは、あまり考えられず調査ということが、先行しているような気がするのです。
 大事なことは、主体的な学ぶ力であり、意欲であり、姿勢だと思うのですが、そういうことにつながるかどうかです。これは、インセンティブを与えるという意味では、ちょっと違うのではないかと思うのです。
 入学段階で、実はそういうふうに振り分けられている、学力調査は、実は行われているわけです。入学時の高等学校ランキングのようなものは、はびこっているわけです。出口は、出口で、大学進学の状況で、また、ランキング化されているということが、小学校や中学校とは、明らかに違う点であります。
 ちょうどその真ん中のところを、プロセスのところで、学力調査のようなものをやって、高等学校のランキング、プロセスの段階でのものをやろうとするのかということは、少し違和感があります。高等学校には、いわゆる単位修得か未修得は、各学校が、その学校ごとのレベルに応じて、単位認定、不認定をしているのであって、場合によっては、原級留置もある。
 そうやって、各学校が、その生徒に応じた到達度を、しっかりと測っているということが現状ではないでしょうか。そうでなければ、この多様性に対応できないのではないでしょうか。そういう現実を一方で捉えながら、論議しないといけないのではないかと思います。
 とりあえず、以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 直原委員、どうぞ。

【直原委員】
 論点の一つ目と二つ目と、それぞれあるのですけれども、まず、論点の一つ目のところです。私も、先ほど川嶋委員がおっしゃられたように、評価の目的として、一つの重要な要素として、そもそも、この質保証が課題として持ち上がった背景は、高等学校教育が、社会が求めている基礎的な部分について応えられているのか、端的に言うと、基礎学力をきちんと身に付けさせているのかというところから、この議論が始まったと思いますので、やはり、社会が求めているものに対する説明責任という論点は、欠かせないだろうと思います。
 評価ということなのですけれども、評価するためには、その前提として、学習目標は何なのか、どこまで学ばなければいけないのか、学ぶべきなのかという目標を、その評価の前に提示する必要があると思います。
 もちろん、抽象的には学習指導要領に書いてあるわけですけれども、今、長塚委員からもお話がありましたように、現実に高等学校では、学校によって、様々な学力水準があります。私は、最終的には、目標の提示は、学校ごとだと思っておりますけれども、そのように、東京都でも、今その研究をしているのですが、評価に先立って、学習の目標を具体的に水準として、最終的には学校ごとに示す必要があるだろうと思っています。
 論点の二つ目、1以外のものというところなのですけれども、資料2で、前回も配付された資料ですが、ここに、確かな学力、豊かな心、健やかな体、この右の方に丸い図があるわけです。
 コアの高等学校教育が何をしなければいけないのかと、これもまた議論が起こってきた背景は、社会の側から、社会で通用する能力を、若い人が本当に身に付けているのかということが、背景にあったと思います。問題を発見する力ですとか、人間関係を作っていく力、コミュニケーション能力などだと思います。その部分というのは、資料1の今日の議論の対象外になっています前半のところですけれども、いわゆる知・徳・体の中に本当に収まるのかということが、私にはどうもしっくりこないところがあります。
 例えば、コミュニケーション能力は、学力なのでしょうか。それとも、徳なのでしょうか。私は、そこの部分が、いわゆる知・徳・体といった時に、どうも抜け落ちてしまう部分があるのではないかと思っています。
 思考力、判断力、表現力といっても、教科の中で問われる、教科に応じた思考力、判断力、表現力がありますけれども、教科の範囲を超えた思考力、判断力、表現力を、高等学校の中で、どのように身に付けさせるのかということは、まだまだできていないと思っています。
 ですから、この論点の二つ目のところです。評価も最終的には大事なのですけれども、今の高等学校教育の現場では、そもそもこういう1以外の力を、学校で付けなければいけないのだということを、意識では持っているにしても、現実にどういう場面で行われているのかというと、非常に心もとない部分があると思っています。
 したがって、評価の問題は非常に大事ですし、最終的には、今日、前半、ルーブリックの御説明をいただいて、非常にためになりましたけれども、高等学校の現場で、そういった力を、どういう場面で実際に付けるのですかといった時に、そもそも、まずそれがはっきり示されていないということが、現状ではないかと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、野上委員、どうぞ。

【野上委員】
 質保証といいますと、今まで、どちらかといえば、量的に評価ができる基準でというものが、質保証だったと思うのですけれども、今回、定量的なもののほかに、定性的なものという観点が入ったこと、私はこの方向で進めていただきたいと思うのです。
 私は、産業界から毎度申し上げますけれども、産業界にとって有為な人材とはどういう人材だろうなと。もちろん、全てがそろっているのが一番いいのですけれども、一つには、人材の無駄遣いを、実は企業も、自分の会社にとって、有為な人材を採ったつもりでいるのですけれども、結果、5年、10年たった時に、企業にとって、いてほしい人と、退場していただきたい人というように、やはり2対6対2のような分布になってしまう。
 こういうところを見ると、採用の時に、大きなミスをしているのではなかろうかという点で、以前にも、私は日本経団連時代に、こういった調査をしてみますと、定量的に捉えられた成績優秀者が、必ずしも企業の中で柱になっていないという事例が、幾つも持ち上がってきたわけです。
 その分析をしてみますと、その頃、いろいろなところで分析したところ、例えば、ゲーム会社、全く成績は悪いのだけれども、これは上場会社ですが、当期の利益の半分以上、その男が稼ぎ出す。それが3期も4期も続いてくる。成績票を取り出して、採用時のものを見ると、ほとんどバツだと。だけれども、それでは、その人間に素養がないかということになると、学科試験ではバツなのだけれども、数学とか、追い求める独創力だとか、そういう知識はもう抜群である。
 そういったお話が、最初にあった後に、今度はデザイナー会社、工業用デザイン等とかの上場会社など、いろいろなところで、学科試験はほとんどだめなのだけれども生み出してくる成果物はすばらしいというものです。他にも語学なども苦手だが、フランス語だけは、すばらしい基準に到達しているなど、こういうことになってくると、私は、企業にとっては、やはり定量的な側面で生きていく人、存在感が示せる人と、定性的な側面で存在感が示せる人、この2通りがあると思うので、逆に、片一方だけがコアなのではなくて、これは、捉えるのはなかなか難しいのですけれども。もう一つです。
 その会議、その委員会が終わった時に、総括して、それではどういうことなのだろうと 定性面で生きていく人間を、ひとつ総括してみようということになった時に、その人間は、こだわる力、しつこさ、根性を、どのように教育の場面で評価されたか、この男は、成績は、まるでオールバツなのだけれども、とりわけこのことに関しては、すさまじいものがあるということは、おそらく先生方が、この能力を関知、認知していると思うのです。
 だから、先ほど言った上場会社の二つは、今年は10人採用すると、1人だけは、社長が採用枠を持っている。文句を言わせない。それは、どういうことでそうなったかというと、その会社は、人事部で選んできた人間が、必ずしもコア人間になってない。企業の柱になってない。異質・異能は、経営者ではないと、なかなか分からないだろうということが書いてあったのだそうです。
 100人ぐらいの応募者のうち、箸にも棒にもかからないけど、経営者にこれに目を通していただきたいという一文が入っていたので、通さないわけにはいかなくなって、経営者に出したら、その男が、後年、柱の人間になったのだそうです。ということで、その会社では、10人採るうちの1人は、社長枠というところで決めていて、だから、ここに難しさがある。
 だから、逆に、定量的な側面で評価ができる1の方と、やはり定性的なところで生かされる人間を作り上げていくことも、教育の現場ではないかと思うので、是非、そういう側面から、これを検討していただければと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 荒瀬委員、どうぞ。

【荒瀬委員】
 ありがとうございます。
 先ほど小杉委員がおっしゃった、例えば、市民性というものも、意識だけの問題かということにつきましては、私もそのように思っております。知識ないままの意識だけということは、気分的にはいいかもしれませんけれども、長続きがしないですし、きちんとした市民性を身に付けるということにはならないと思います。ですから、これをどう分けるかということは、とても難しい問題があると思うのです。
 ただ、分け方は難しいけれども、何とか分けないと、片一方はテストで測ろうというわけですから、もう一方は、テストではなかなか測れないから、先ほど濱名先生に御紹介いただいたような、ルーブリックの活用といったことも含めて、やっていこうかということなのでしょう。
 私の経験から申し上げまして、高等学校改革をやろうという時に、高等学校教育改革で、まず一つ求められたものは、何かというと、知識なんです。先ほど、高等学校は既に選抜していて、そして、出口でも、大学にどれだけ受かったかということで、評価を受けているというお話がありましたけれども、それも事実としてありますので、その点から言えば、どうしたら大学に受かるのかということは、学校を変えていこうとする時に、非常に大きなポイントとしてありました。
 ただ、知識を付けるだけでも、これは長続きしないです。勉強したいという気持ちが生まれない限りは、続かないのです。ですから、どうしたら、勉強したいと思う気持ちができるのかということを考えていくと、なかなかペーパーテストでは測れないような、それこそ学力の重要な3要素の一つの学習意欲は、どのようにして付けていくのか。
 しかし、その学習意欲が付くのは、やはり知識がないと、学習意欲は付かないですし、活用してみる場面を経験しないと、付かないものですから、だから、それらを融合するような形で、何らかの新しい取組ができないかということの行きついたところが、これは正に学習指導要領が、それを示しているわけですけれども、総合的な学習の時間なのだと思うのです。
 だから、私は、学校というものは、高等学校ももちろんそうですから、学力を付ける場だと思うのです。ただ、その学力は、学校教育法に示された重要な要素を含んだ学力であって、単に断片的な知識ではなく、その活用能力もそうだし、かつ、また、学ぼうとする意欲もそうで、それらを高等教育のコアとして考えないということは、私はもう全く分からないというので、前回もその旨を申し上げたわけです。ですから、それを質保証という点で、どういう形で区分けして、測るのかということを考えると、これは難しいのですが、やっていかないといけないことだと思うのです。
 総合的な学習の時間のことで言いますと、我々の経験でいえば、テストもいたしました。ペーパーテストで、定期テストに入れて、それで、総合的な学習の時間の評価をしようことでやってみました。結論は、失敗しました。できないです。ペーパーテストではできないということが分かりました。有意な差が、全く出てこなかったんです。
 ならば、そのプロセスを見るしか仕方がないとか、あるいはやった後に、先ほど濱名先生のところで、学生に振り返りをさせていらっしゃるという、あれが、実は、我々も行き着いたところでは、非常に効果的である。これは、とても手がかかるのですけれども、しかし、この手間のかかることをするのが、高等学校教育なのではないか、質保証という点で言えば、それを各学校がやれるか、やれないかということが、今、問われているので、難しいけれども、やはりそこをやっていかないと、困るのではないかということを思います。
 もう一つ、最後に申し上げたいことは、社会の要請は当然ありますから、その社会の要請に応えないといけないということは、やはり学校教育としても、非常に大きな責務を担っていると思います。
 もう一方では、知識をしっかりと持たないで、活用する経験をしないで、学習意欲を、学校としての場で、引き出されるような経験をしないまま卒業していく若者は、不幸だと思うのです。
 一人の青年をどのように育てるかということを考えても、高等学校教育は非常に大きな責務を負っているわけですから、社会からの要請と、一人一人の生徒からの要請と言いますか、10年後、20年後のその生徒からの要請に対しても応えていかないといけないということを、忘れてはいけないなということを改めて思った次第です。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 ほかにどうでしょうか。
 アキレス委員、上野委員、長塚委員、それから、和田委員、渡邉委員、小林委員もですね。
 アキレス委員、どうぞ。

【アキレス委員】
 すみません、この後、少し早目に失礼しますので、先に言わせていただきます。
 評価できるものと評価できにくいもので分けるという分け方は、どうかという考えもあると思うのですけれども、私自身としては、重要なものであれば、評価しにくくても、しやすくても、やはり入れたほうがいいということが、まず大前提としてあります。
 評価しやすいものの一つは、やはり知識かなと思うんです。筆記試験などで見られる。ただ、知識とスキルと、もう一つ、日本語で直しにくい、アティテュード、取組意欲など、皆さんがおっしゃっている大事なところで、なかなか評価しにくいところ。
 三つに分けると、技能は知識とちょっと違いまして、やはり、実際にやらせてみないと、それを観察していかないと。例えば、コミュニケーションスキル一つとっても、皆さんの前でプレゼンテーションしてみて、この人はプレゼン能力があるという見方もあると思うのですけれども、やはり、ふだんの授業の中で、どういうふうな発言をしているとか、グループの皆さんとどういうふうにファシリテーションしているとか、その辺をきっちり観察していかないと、1回の観察では、能力を評価するのは、なかなか難しいかなと思うのです。そうすると、観察する側が、やはり、しっかりとどこを見ていくのか、何を評価するのかという観点を持っていることが非常に大事です。
 2番目が、これは濱名先生の発表にもあると思うのですけれども、評価の軸です。どういったレベルをもって、この人は非常にすばらしい、どういった軸で、この人はまだ期待に達していないと見るか、やはり、その軸を共通して持っていることが、非常に大事かなと思います。
 高等学校でいうと教師側になるのですけれども、そういう評価者側のトレーニングは、企業でも、評価者トレーニングは、管理職になった途端、毎年、毎年やっていくものなのですけれども、その内容を充実させることが、非常に重要かなと思います。
 最後に、もう一言だけ言いますと、評価に完璧はないのです。いいものは、できるだけ作っても、やはり、一人一人の個人差も見方として出てきますし、こういった議論をやっていて、本当に完璧を目指そうとすると、なかなか前に進まないということもあるかと思いますので、その辺りは納得できる議論をした上で、具体化していった方がいいのではないかとは思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 上野委員。

【上野委員】
 少し議論を進めさせていただく前に、私、前回の宮城県の調査の結果で、実はすごく鮮烈な思いになってしまって、あれは何を言っていたかというと、英国数という新しい学習指導要領で、コアになっている科目の試験をした調査結果なのです。
 その中で、Aという学校群とBという学校群について言わせてください。英語と国語は共通問題に対しての結果は、そんなに変わってないと言えばいいでしょうか、全体平均で、要するに、少し右に寄るか、左に寄るか、ガウス分布みたいな格好をしているわけです。
 ところが、数学の結果は、もうすさまじい結果だった。私が驚いたことは、ガウス分布的なものが、少しはどちらかにずれているのだろうと思いました。ところが、M型なんです。M型は、おわかりでしょう。右に完全に寄っている、左へ寄っている。その両極端なんです。こういうものは、明らかに、ある程度、定量的な成績評価をして、その改善に向かって進んでいかないと、恐らく将来的に非常に大きな問題になると思います。
 事務局に少しお願いしたいことは、そういうような調査結果の例が、もしもほかの県でも出ていたらば、是非教えていただきたい。
 面白いことは、今日の資料4で御説明いただいたように、例えば、生徒に、これが役に立ちますか、もしくは、これで努力していますかとか、そういうことを聞くと、数学は、みんな、結構大事だと思って、データ上は、よくやっているのです。それで、平均したら、結構いいんです。ところが、結果としては、左右に両極端なんです。こういうことは、改善していかないといけないと思います。
 今日の論点につきましては、私は、今日の野上委員の意見に、全く賛同しております。これは、例えば、今、私たちが、ある試験をして、定量的に評価する個々の科目についても、そのいい点をとるということは、ある意味では、複合能力の結果だと思っております。
 野上委員がおっしゃったことは、私たちは、飛び入学をずっとやっておりまして、気がついていることですけれども、複合的な能力を出す基になる、素能力みたいなものがあるのです。素能力についてのことをおっしゃったんだと思います。得てして、その素能力は、時間がたった後、どんと出てくる場合が多くて、そういうことも評価できるようにしておいてあげないといけないです。
 もちろん、そういう素能力は、たったそれだけではいけませんので、ある程度、いろいろな知識が必要で、それを評価するためには、定量的な評価ができないようなことも、ある程度、コアと言いましょうか、その中の一部に加えておく必要があります。
 今日の資料1に書いてありますような言葉で、例えば、市民性であるとか、そういうふうにして、いろいろ書いていかないといけないのだと思いますけれども、基本的には、いわゆる知識とか能力という単語で表せないようなこと、例えば、習慣と言いましょうか。それは、知識と見れば、知識で、習慣が身に付いているということは、能力でもある。
 でも、習慣というものを身に付けているかどうかということは、とても大事なことだと思います。本来、そういうものは、昔であれば、高等学校でうんぬんということよりは、おそらく、小中学校での問題だったのだろうと思います。ところが、現在は、高等学校まで、それを考えないといけなくなったのだろうと思います。
 ですから、習慣というのは、例えば、挨拶します。挨拶しなければいけないということ以前に、まず、挨拶をする癖がついてしまっているか。そういうことを評価するのも必要なのだろうと思います。
 そういうことは、多々あると思います。多々ある項目は、今日の前半で御講演いただいたルーブリックは、そういう意味で見てみると、非常にいい項目立てになっているんです。あのようなものを利用してやっていくということは、できると思います。
 できるだけ成績を上げていくということは、非常に大事なことだと思いますけれども、やはり成績以前の問題と言いましょうか、はっきりと数字で評価できないようなことも、できるだけ評価対象にするということが、多分、今、高等学校でも必要になっているのではなかろうかと思っております。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、小林委員。

【小林委員】
 今日の議論の中で、現場校長として、実際にどうやって3年間の育成を考えて、世の中に送り出していけるのだろうと、ずっと先ほどからいろいろ考えているんです。
 実は、今現在、約3万円程度で、電子機器のすばらしいものが買えます。それは、インターネットがつながっていますので、知識を得るには、いつでも、どこでも、もう可能です。ですから、普通授業の中で、先生が、様々にICTを使ったりして、ビジュアルにやっていますけれども、生徒は、もう手元で項目を入れて見れば、動画も写真も、いろいろな情報が手元で見られる時代になっています。
 ですから、そのような電子機器がこれだけ発達した中で、今後、この議論が10年後の指導要領に入る時に、一体、普通教科の授業は、どのような形態でやらせてあげれば、基礎学力なり、社会が求める力を付けさせていけるのだろうかというと、非常に悩んでしまう部分でございます。
 もう一つが、人間性の育成は、やはり高等学校でも絶対的に必要でございますので、人間性を育てるのには、50分の教室の中を固定した学習よりも、クラブ活動なり、学校行事なり、海外体験学習なり、様々なところの方が、より人間性を高めていく機会が多いところです。
 ところが、今、東京都の場合は、一人の教員が、週18時間を持っておりますので、この18時間以外の時間を使いながら、様々な行事なり、そういうものに費やしています。例えば、インターンシップを学校でもやっていますけれども、インターンシップを企業にお願いする時に、授業時間以外の時間を使わなければなりませんので、なかなか相手方とコンタクトがとれずに、うまくいきません。
 現在、不景気になっていますので、インターンシップで生徒を預かってもらうと、その企業にとっては、5日間は非常に厳しい時間になっていますので、今までは了解していただいた企業も、なかなかうんと言ってくれないような現実に、今はなっております。
 ですから、そうしますと、特別学習のところで、充実させた人間性なり、先ほどから出ている市民性なりを、しっかり身に付けさせるためには、これらをコーディネートする方が、やはり必要になってくるだろうと思っています。もし、こういうようなプラスアルファのことをできる体制がうまくいっていれば、今日の2の1以外の部分については、相当に前進を図れるだろうと思っています。
 1の共通のところで、専門系、いわゆる職業系の専門学科で学ぶ生徒は、判断する場合に、外部試験あるいは能力検定試験などの活用により、把握すると書いてありますけれども、ここの部分についても、認定試験の1,000円以下の受験料から、国家資格の1万円、2万円、3万円という大変大きい金額まで、様々にございます。
 そうしますと、ここに経済力の差によって、資格試験をきちんと受けられる生徒と、そうでない生徒がいますので、ここら辺も何らかの手当てをした上で、是非これを実行していただければと思っています。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 長塚委員、お願いします。

【長塚委員】
 最初に、先ほど申し上げたことの繰り返しになるかもしれませんが、コアというものをどのように定めようと、あるいは、テスト評価だけをやろうと、やるまいと、高等学校の現場では、やはり新しい学力観に沿って、これまでの知識、学力だけではいけないのだという考え方を、より進めようとしているわけです。これは、今、国を挙げて、初等中等教育全体を通じて、そういう方向に行こうとしているわけですから、やはり、その方向に行かざるを得ないし、行くべきだと思うのです。
 あるいは、社会性、人間性を非常に大事にするということは、高等学校教育でも、これまで行ってきましたし、コアと言おうが、言うまいが、これは非常に中心的な教育の課題であるということは、変えられないと思います。
 それをテストでやる部分だけをコアとするかどうかということは、また別議論として、現場では、そういうふうに、これら全体を中心に置いて、教育活動を行っていくことになっている、ということだろうと思っております。
 こういうことが問題になったのは、多様化の中で、高等学校教育を多様化して、見失ったものがあったからこそ、今、あえて、そういう知識、学力だけではなくて、国際水準で言えば、活用力とか思考力が重要だと言われるようになってきたわけであります。
 あるいは、対社会的には、正に社会性や人間性が重要だということを、改めて問われているわけでありまして、多様化の中で、各学校がそれぞれに、ある意味、独自にやってきた中で見失ってしまったものが、問われているのだろうと言っていいのではないでしょうか。
 例えば、一つ具体的に挙げますと、制度的にいえば、広域通信制、定時制と通信制に、今、30万人以上の高校生が行って、全体の高校生の約1割を占めているわけです。その中で、特に広域通信制は、株式会社立ができて、月に2回ぐらいのスクーリングをやって、そこで、人間性とか社会性を育てられるのでしょうか。
 あるいは、知識、学力そのものも、非常に怪しいのではないのでしょうか。そういうようなサポート校で、何かサポートしていて、同じレポートを出して、はい、みんな卒業できるということになっているという実態が、約1割の高校生にある。
 言ってみれば、その辺の学力保証をどうするかということであれば、これは正に高等学校卒業認定試験のようなものを、ある意味、課していくなどということも、一つの方法論でありましょう。そういう具体的に起きている事象に対して、手立てをとっていくということは、大事なのではないかなと私は思います。
 そもそも学力の質保証問題を求めてきたのは、大学関係者でありまして、そこが一番大きく問題意識を持っていらっしゃる。最近作られた高大接続部会でも、共通テストということで、それは大学受験をする方を、共通テストということでくくろうとされているのだろうとは思うのですが、ここで議論されているような全ての生徒を対象にした全国学力調査のような共通テストではなく、共通という言葉が非常に曖昧で、それぞれのいいように用いられているという感じが、私はしてなりません。
 実際に、大学との接続の状況においては、センター試験は、今年、現役生は45.1%、44万人が受けているわけです。4割以上の生徒が受けている実態があるセンター試験を放っておいて、そして、何か新たな到達度テストみたいなもの、共通テストを考えるというのは、私には理解できないものなのです。
 そもそも、センター試験の開設では、高校生の基礎的学習の達成度を判定することを主目的とすると明示しているわけです。しかし、その得点率が6割と設定されていて、半ば、正規分布化するような問題、作問構成になっている関係で、その到達度というよりは、どうしても、序列化というところにいっている。
 そこの問題を曖昧にしたまま、二兎を追っているということを長年議論していて、先送りしたまま、そして、新たなテスト、到達度のテストをするということは、甚だ無駄遣いというか、無駄な労力であろう。
 まずは、このセンター試験を、しっかりと本来のあるべき、ここで言っているような到達度をしっかりと捉える形にするということから、現実的には考えるべきではないか。そのレベルの問題と到達度を、しっかりと測れるものにする。ある意味では、全国学力調査みたいな問題の在り方にする。
 その時期、先ほど御意見がありましたけど、回数、こういうものも、やはり問題があるのだろうと思うのです。4月中旬に、受験生にセンター試験の結果が知らされて、それで、何のインセンティブが生まれるでしょうか。もう大学入学は、決まっているわけです。合否が決まった後に、そのような到達度を知ったところで、受験生に何の意味も持たないわけです。その辺を変えるだけでも、大きな意味がある。もう既に4割以上の生徒が受けている、この試験の制度を変えるべきだ。
 インセンティブを与えるということが大事なのであって、そのためには、認証しなければいけないです。そこにつながるような仕組みに変えていくということが、非常に重要だと思います。
 大学の方も、そういうものを活用しながら、個別の入試では、是非活用力を確認していただくとか、あるいは、人物評価をしっかりしていただく。先ほどの濱名先生の御報告にあったような、様々な観点からの評価を、高等学校現場でも行っていこうとしているわけですから、それも評価していただく中で、大学との接続が、しっかりと多面的に評価されて、決まっていくということが、あるべき認証であるし、インセンティブを与える姿ではないかなということを思います。
 長くなりましたけど、以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 渡邉委員、和田委員という順にお願いします。
 では、和田委員から、どうぞ。

【和田委員】
 ありがとうございます。
 今、長塚委員がおっしゃったことにもかぶるのですけれども、高等学校側としての立場で言いますと、指導要領にも指定されているように、学習だけではなくて、それ以外の能力、人間性、そういうものも身に付けるように、各学校は本当に努力しているのではないかなと思っております。
 ただ、それを受け入れてもらう大学とか企業の方に、お知らせする方法としては、指導要録に基づく調査書というものしかないわけでありまして、その中で、勉強、学習の方においては、どういう科目を、どういう成績であったかということをお伝えすると同時に、人物の評価のところにおいては、前回、文部科学省の方からお示しがあったような文章表現で、評価を書くという形になっているわけです。
 それ以前は、これも、この前、資料がありましたように、いろいろな項目、社会性、責任感など、そのような項目で、定量的に、A、B、Cでしたか、時によって評価の仕方は違いますけれども、そういう評価をしてきた経緯があって、そういう定量的な書き方では、その部分は、はっきり示せないということで、今は文章表現で行うということになっているわけであります。
 やはり、そういう意味で、リーダーシップを発揮したとか、クラブ活動で先頭に立ったとか、あるいは、下積みだったけれども、3年間よく頑張ったとか、そういうことは、各学校でしっかりと評価をしていると思っています。
 ですから、先ほど野上委員のおっしゃったような形で、そこのところをむしろしっかり読んでいただければ、必ずしも成績で採っていただかなくても済むということだと思いますし、さらに、求められるならば、推薦書なりを課していただければ、幾らでもその中身はお伝えできると思っているわけであります。
 ただ、逆に受け入れていただく、特に企業の場合は、そういう推薦書などを、随分しっかりと見ていただいているようになってきましたけれども、大学入試に関して言うと、やはり、調査書はどの程度見ていただいているのか、あるいは、センター試験と個別の試験という形で、選ばれているのではないか、また、我々、生徒たちの方も、それで選ばれるほうが公平だと、今のところ、思っているのではないかということがありまして、むしろ、それをどのように利用していただくかというところを、それぞれの側でお考えいただきたく思います。
 前も言いましたように、学力に関しては、ある程度、学校側として責任を持った形で、客観的な評定を付けて、お渡しすることはできるけれども、それ以外の人物に関しては、担任とか学年団とか、そういうチームで見た内容を書くということしかできませんので、その後の人物評価なりは、受け入れるほうがしていただく責任があるのではないかと思っております。
 ただ、そういう評価の仕方は、もっと効果的な方法があるならば、これから、じっくり検討したほうがいいと思うのですけど、特に2に挙げられているような能力を身に付けさせるために、どういうことを高等学校教育の中でやっていくべきかということを、むしろここでは考えていくべきではないかなと思うのです。
 小林委員は、先ほど教員の立場で、そういうことをなかなかできない、時間的なことをおっしゃいましたけれども、逆に、生徒の立場でも、今、学校によりますけども、指導要領の中では、最低74単位以上を修得して、出ていかなければいけないという縛りがありますし、しかも、それぞれの1単位は、35週、50分授業をするということが必要だということになっているのです。
 そういう限られた高等学校の学校生活の中で、授業時間が、つまり、学習という意味における授業時間に使われることが、妥当なのかどうかです。もっとほかに、そういう人間力を強めるためのいろいろな取組、課外活動を含めて、そういうことをどんどんすべきであるということであれば、これは、教育課程部会の範囲かとは思いますけれども、今の指導要領で指定されている教科・科目の在り方が妥当なのか、あるいは、年35週と定められている1科にかける時間が妥当なのかどうかを、改めて御検討していただいて、もっとほかのこともできる時間を作っていかないと、なかなか絵に描いた餅になってしまうのではないかと思っております。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 渡邉委員、及川委員ということでお願いします。

【渡邉委員】
 ありがとうございます。
 前回、私、欠席をさせていただきましたので、ちょっと立場をはっきりとさせておきたいと思うのですが、コアの捉え方でございます。前回も、そういう意見が多かったとお聞きしておりますけれども、基礎的な学力、いわゆる評価しやすい部分だけでなくて、その他の部分、評価しにくい、意欲、態度というものも含めて考えていくべきだろうと考えております。
 前回の資料をお送りいただきまして、いろいろと目を通させていただいたのですが、そこで感じたことが、評価と質保証の関係が、いま一つ、私の頭の中で、すっきりと理解できない状況でございました。いろいろと悩んで考えてみたのですが、結局、まとまらずに、今日の会議に出席をした状況でございます。
 私が、今、感じていることは、きちんとした評価をすることは、非常に大事なことでありますけれども、それがストレートに質の保証につながるということではないと思うのです。一番大事なことは、きちんとした適正な評価をやって、一人一人の生徒に対し、十分な生徒には、更に上を目指して頑張れ、あるいは、不足する生徒には、ここが不十分だよということをきちんと知らせて、そこを補強する、補充するような様々な手だてを、各学校がやっていく、これが一番大事なことであり、それは質の保証につながっていくのではないかと考えます。
 言ってみれば、そういう質の保証をやるのは、各学校の一人一人の教員でありまして、そういう教員の質の向上、あるいは、そういうシステムをフィードバックして、正しく生徒を伸ばしていくシステムを、国として何かできるか。そういう視点で議論することも必要なのかなと感じております。
 以上でございます。ありがとうございました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 及川委員、よろしくお願いします。

【及川委員】
 1の客観的な評価の対象としやすいものに関してですけれども、評価の目的は、その下の方に書いてありますように、一つは、学校における指導の改善・教育の質向上につなげるということであるわけですけれども、全国学力・学習状況調査の趣旨は、全くその趣旨から行われているものだと思います。
 ただ、今、求められている客観的な評価の対象としやすいものを、どういう仕組みで把握していくかということの評価の目的ですが、二つ目に書いてある、生徒一人一人が自らの学習状況を把握し、学習意欲の向上につなげる。ここが、やはり、今、検討されている評価の仕組みだと思います。生徒の学習意欲の向上につながるかどうか、そういう評価の仕組みでないといけないのではないかと思います。
 そうしますと、資料1の2ページ目に、最初の白丸のところに、具体的な評価の仕組みについて書いてあるのですが、二つ目の中黒に出ています、先ほど小林委員もおっしゃったのですけれども、資格試験とか技能検定のような評価の仕組みは、やはり生徒自身の学習意欲の向上につながるものだと思います。
 ただ、一つ目の中黒のところにある筆記試験が、先ほど申し上げました学習意欲の向上につながる評価の仕組みであるのかどうかということが、やはり大きな鍵ではないか。大変難しい問題ですけれども、大きな鍵になるのではないかなと思っています。
 1以外の2の部分については、先ほど濱名先生に御説明いただいたような、生徒の学習意欲の向上につながるような評価の仕組みは、非常にいろいろ考えられると思いますが、1の部分での学習意欲の向上につながる評価の仕組みが、やはり大きな鍵ではないかなと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 金子委員、どうぞ。

【金子委員】

 私はまた同じことを申し上げるのですが、この部会で問題になっているのは、高等学校教育のコアでありますけれども、コアが数量的に測れる教科学力、あるいは、その他の学力だけではなくて、基礎的な様々な技能、あるいは、その意欲、その他を含めたものである。高等学校教育は、その両者を育成するということが目的であるということについては、私は、全くそのとおりだと思います。
 問題は、それ全体について、良くしようということが、この委員会の課題であるかどうか、もちろん、その全てについて改善することは目的でありますけれども、今、問題になっている、この委員会で出てきた一つの大きな理由は、高等学校教育の教科は非常に多様化したために、学習目的が不明確になってしまって、具体的な到達すべき知識・技能が不明確であります。
 そのために、実際に学習時間も非常に減っているし、PISAの調査の結果などを見ましても、かなり良くなく、各国と比べて良くないというよりは、むしろ、問題は、かなり脱落的な生徒が三、四割出ている。これは、非常に重要な問題だろうと思います。
 これからの社会を、この人たちが支えていくことができるのか、非常に基礎的な読み書き能力が、十分でないような人たちが、将来をどうやって支えていくことができるのかということは、初発の問題であったと私は思います。
 では、それに対して、私は、教科そのものではなくて、例えばPISAのような基礎的な数的能力あるいは読み書きの能力、さらに、PISAについて、社会では点数だけを気にしておられますけれども、もともとこれは、推論能力とか論理能力を測ることをかなり意図して、それこそコンピテンスを測るということを意図して、1990年代の終わりから、いろいろな経緯があって、発展されてきたものであります。
 その上で、しかも、一定の数の生徒は、その数字に達していない。これは、やはり非常にゆゆしい問題なのであって、少なくとも、この測れる部分については、一定の何らかの測定をして、それについて、それが足りなければ、何らかの措置をするような手段を用いるべきである。しかも、それが、学習の意欲を作るようなものであるといったことができるのではないかと思います。それについては、生徒個人個人について、やはり評価をしなければいけない。これは、やはり非常に大きなポイントだと思うのです。
 ほかの人格的な発達、その他については、確かにおっしゃることは、重々そのとおりでありますけれども、個人個人について、標準的な点数を与えることは不可能だと思います。社会的に全て同じメジャーで測って、この人は人格発展度3とか、4とか、言うべきなのでしょうか。言うことはできるのか。あるいは、言うことは本当に必要なのか。
 確かに、いろいろ個人的には重要でしょうし、いい会社の社長になるかもしれませんけれども、それは出てくる時期も違いますし、どういうところで出てくるかということも、やはり、人によって、非常に違うと思います。
 逆に言えば、そのようなものが全部分かってしまったら、私は、この世はおしまいだと思います。能力は分からないというか、発展性が隠されているからいいのであって、それを育てることは重要ですが、個人個人について、その能力を全て把握することはあり得ないです。おっしゃるように、これは重要ですけど、それは高等学校に任せればいい。高等学校が一生懸命やっているのですから、高等学校が更にそれをよくすることを援助していけばいいのです。
 先ほどの濱名先生が紹介してくださったルーブリックも、基本的には教師が、より良く学生の発達を把握するために作られている道具でありまして、そういったものは、むしろ教師が、あるいは、高等学校が発達させていくべきものだと思います。
 むしろ、ここで議論すべきことは、そういったものを踏まえて、システムとして、どこの部分を強化すべきなのか。そういうところを議論、そういうところに焦点を当てるべきだと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 ほかに。
 少しお待ちください。12時の予定を過ぎているので、あと15分ぐらい延期してよろしいでしょうか。今、手が挙がっている北城委員。あと、眞砂委員、野上委員、最後に、安彦委員ということでよろしくお願いします。
 では、よろしくお願いします。

【北城委員】
 今回の質保証を考える時に、何のための質保証かということがあると思うのですが、大学入学するために、高等学校で十分な教育を受けているかどうかの質保証という観点は、高大接続部会で別途考えていただくとして、私は、ここで求める質保証は、社会人として、日本社会で社会を担うだけの力を持っているかどうかという質保証でいいのではないでしょうか。
 したがって、ここで行う質保証の結果を、大学入試にどう使うかということは、本来の視点ではないと考えれば、それは、それで、別な手段があってもいいと思うので、ここで求める質保証は、社会人として、十分な基礎的な知識、意欲、技能を持っているかどうかを保証すればよく、それは、例えば、学力のように測れるものは、測るけれども、そこで求めるものは、最低限ここまでは達成してほしいという質保証をすればいいので、高い点数をとっているかどうかは、問題ではありません。少なくとも、高等学校を卒業したら、このくらいの文章は読めるとか、このくらいの計算はできるとか、そういう数値でいいのではないでしょうか。
 測れないものに関しては、高等学校で、測れないものをどう個々の学生に対して、先生が評価していくかという、評価の仕組みをどう作っているかとか、例えば、生徒一人一人について、先生方がどう評価したとか、その評価の仕組みがうまく高等学校で機能しているかとか、そういうことを保証すればいいのではないでしょうか。
 評価できないものを、試験で評価することはできないし、ただ、どうしても市民性、意欲、行動力は大事なテーマなので、それをどう高等学校で高めているのか、先生はどう評価したのか、その評価の仕組みがうまく機能しているかどうかを、全体で評価すればいいのではないかでしょうか。
 測れる学力については、全国一律でテストしてもらって、しかし、それはもう最低限なので、これ以上とっていればいいという試験を、作っていただいたらいいのではないかと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 眞砂委員、どうぞ。

【眞砂委員】
 いろいろ勉強させていただいたのですけど、コアとか質保証、そして、それをどう評価するかという話になっていると思います。その中で、今日出てきたルーブリックは、評価の中に目標を入れていこう。これは、ある意味、国際バカロレアでも、そういうことはやっていますけれども、そういった形で、結局、戻ってくるのは、どうやって生徒が意欲的に勉強していけるか、そういうところへ来ると思います。
 先ほど言われましたけど、大学入試の問題も、今日たまたま出てきた全国学力・学習状況調査などを見ても、A問題という基礎よりも、B問題の活用というところで、非常に意欲的な問題を出されている。私は、あの問題はすごくいいと思っていて、ああいう問題が解けるような生徒を作りなさいというふうな意識として捉えています。
 評価はそれでよくて、目標を入れて、それはすばらしいと思いますけど、現場でどうするかということが、ここで多分話されることで、先ほどクラブとかありましたけど、私は基本、授業だと思っていますので、授業の中で、ただ、知識を注入するのではない、生徒が本当に自分から発言できて、発表できて、意欲を持てるような授業を、どうやって組み立てるかという意識を、私は、この中で、皆さんと考えたいと思って、来ています。

【小川部会長】
 では、野上委員。簡潔にお願いいたします。

【野上委員】
 先ほどちょっと舌足らずだったのですけれども、今回の質保証の議論、人を選ぶ方法、メニューが二つあると考えたらいいのだろう。
 一つは、定量面ですけれども、先ほど例示に出した、ひょっとすると、社会に出てくる時の定量面ですと、劣等生だったかもしれない。ただし、それが、企業社会に入った時に、花開いた。その花開くというところに、やはり、高等学校の先生は、ただ、この人は遅咲きなのだというようなところで、資質、個性を見出したんだと思うのです。
 結果論から言いますと、3社ぐらいあったのですけど、3社の柱になった人物、全部、定量面もきちんとやれば、それだけの資質を持っていた、知識を持っていたという人たちなので、それが何らかのところで、高等学校時代には花開いていなかった。
 だから、潜在資質や能力を見出す、そのきっかけになる一つのシステムが必要で、だとすれば、そういう二つの側面があって、二つそろえば、一番いいのでしょうけれども、逆に、2番目の方で見るシステム、仕組みがあってもよろしいのではないかということを申し上げたかったのです。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 最後、安彦委員、よろしくお願いします。

【安彦部会長代理】
 私の問題意識では、大体、北城委員の話と同じなのですけれども、やはり、質保証とコアとは重なる部分もありますけれども、違うわけです。議論の発端は、やはり、先ほど長塚委員は、今は既に高等学校も入試で、あるいは、出口の方は大学入試があるとおっしゃいますけど、問題は、そこが非常に疑問を持たれているわけです。
 ですから、今、たまたま野上委員の方からは、企業サイドで、どちらかというと、好意的な評価の部分を言われましたけれども、反面では、一体、今、高校生は、高校生として、どれほどの力が身に付いているのかということについて、非常に疑問が持たれているわけです。そういう部分について、何ほどか客観的に、しっかりとした質保証を、やはり、何らかの形で示さないと、社会的な責任を問われると思います。
 そこのところで、正直に、現状がこうだということを、大体、高等学校の関係の方はおっしゃいますけれども、現状が本当にうまく機能しているなら、誰も文句を言いませんけれども、うまく機能しているように見えないから、社会的にもいろいろ問われてきているわけでして、そういう意味では、やはり、何らかの手を打たなければいけないという思いがあります。
 いわば小中高という学校体系の中で、とりわけ、高校生の一つのあるべき姿みたいなものが、先ほどお話があった多様性ばかりが強調された結果、言ってみれば、何だかわけが分からないような状況。教えている先生方も、そこの部分で、多様だから、多様でいいのだみたいな形になってしまっていて、本当の意味で、共通、ある意味では、子どもたち一人一人の核となるような部分について、その子に自信を与えるような中心の部分を、育てられていないような状態にあります。
 繰り返し申し上げますが、高等学校教育が、それほど多様でいいというのであれば、私は、各種学校にみんななってもいいと思っておりまして、どうして高等学校教育でなければいけないのかということを、やはり問われると思うのです。それは、やはり高等学校教育を担当している先生方のそれなりの高等学校教育観がなければ、恐らく各種学校になってしまうわけであります。各種学校の方が、ずっと自由です。
 そういう意味では、高等学校教育というものの、ある難しさみたいなものがあると思いますけれども、しかし、やはり、大学へ行こうとする子ども、あるいは、一般社会で信用される子どもになるという部分について、高等学校という場は、やはり、それなりに、一つの責任を果たさなければいけないだろうと思います。
 この点は、それを国のレベルで、何らかの形で、システムを作っていかなければいけないということを思うわけです。そこの社会的責任を果たさなければならないという点では、共通の理解が得られるとは思っております。
 そういうことで言えば、やはり改めて質保証の部分とコアの部分は、私は、どちらかというと、本当にぐっと絞り込む方の考えですので、そんなに高いレベルのものを考えているわけでありません。
 これは、もう前回に確認されたとおりで、定量的なもの以外に、定性的なものも、本当に高校生のコアとして必要なものがあれば、評価の可能、不可能は、二次的な問題だと申し上げました。ですから、当然それは含めて、今日のルーブリックのお話も、その一つの手法として出されていたものと理解しております。
 そういう意味では、両方ともと言うか、コアも質保証も、やはり、具体的な中身について、今後も検討していただければと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 活発な御議論ありがとうございました。予定よりも十数分オーバーしてしまいました。
 今日、いろいろお話を伺って、一つ、何人かの委員の方から指摘されたことですけれども、我々と言いますか、事務方の今日の資料1も、決して1と2を機械的に切り離して、それぞれの質保証を考えるということではなくて、あくまで基本的には1と2を、きちんと連動的に捉える視点は、当然、必要なわけですけれども、その辺のところが、確かにこれまで自覚的に議論されてきたのか、ないしは、課題設定されてきたのかという点については、少し自覚的な問題セッティングは、弱かったかなという感じもしないでもありません。
 ですから、今日、何人かの方に御指摘を受けまして、改めて1と2を切り離して議論ということではなくて、あくまで1と2を、それぞれの役割は確認しつつ、それをどうやって連動的に捉える仕組みや視点を作っていくかということも、当然これから議論していきたいと思います。
 やはり、特に部会長は、個人的な見解を、なかなかこの場で言えないので、今日は特にフラストレーションがたまってしまったのですけれども、私も、基本的には、いろいろな問題を抱えつつも、筆記試験や技能試験等々を客観的な評価の対象とする、これをどういう仕組みでやるかという課題が、この部会で大きなテーマとされた背景は、先ほど金子委員がおっしゃったような考え方については、私自身も同じように考えております。
 やはり、その点を踏まえれば、いろいろな批判があるかもしれませんけれども、生徒一人一人の学習を確認していく何らかのテストの有り様は、もう少し肯定的に捉えられていいのではないか。
 ですから、基礎的な知識・技能、思考力のそういう基本的な一部を、きちんとやはり高校生として、しっかり身に付けさせる。そういう学習をきっちり確認する。そういう点で言えば、そういうテスト、試験であれば、全ての高校生を強制的に一律に受験させるということでなくて、その生徒の進路に応じて、やはり、任意的、選択的に、それをむしろ主体的に活用していけるような試験の有り様ということも、当然、そういう選択肢の一つとして考えていけるのではないかと思っています。
 ですから、必ずしも、このテストは、全生徒に強制的に、必ず高等学校在籍中に受けなければならないという発想で、考える必要もないのではないかと思いますので、その辺のところは、また今後、改めて時間をとって、制度検討していきたいなと思っています。よろしくお願いします。
 では、最後、次回の日程等々を含めてお願いします。

【塩原教育制度改革室長】
 次回、第16回の高等学校教育部会でございますが、12月17日の朝10時から12時まで。場所は、文部科学省の旧庁舎6階、第2講堂での開催の予定でございます。
 詳細は、追って、開催通知させていただきますので、よろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 ありがとうございます。
 次回は12月17日、年末のお忙しい時期かと思いますけれども、よろしくお願いいたします。
 それでは、今日は終わりたいと思います。ありがとうございました。

―― 了 ――

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