高等学校教育部会(第13回) 議事録

1.日時

平成24年10月9日(火曜日)13時00分~15時00分

2.場所

学術総合センター 中会議場2~4

3.議題

  1. 全ての生徒が共通して身に付けるべきものについて
  2. その他

4.議事録

【小川部会長】
 では、時間になりましたので、これから中教審の初等中等教育分科会、第13回目の高等学校教育部会を開催したいと思います。
 委員の皆様にはお忙しい中、御出席いただきましてありがとうございました。
 審議に入る前に前回の第12回高等学校教育部会以降に文部科学省で人事異動があったとのことですので、まず、事務局からその件の御報告をお願いいたします。

【塩原教育制度改革室長】
 10月2日付の人事異動により、前任の小谷が大臣秘書官に異動になり、後任といたしまして、私、塩原が教育制度改革室長を拝命いたしております。今後、事務局を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 よろしくお願いいたします。
 それでは、審議に入る前に配付資料について事務局から説明をお願いいたします。

【塩原教育制度改革室長】
 お手元の配付資料の御確認をお願いいたします。本日の配付資料はお手元の議事次第のとおりでございます。不足等ございましたら、事務局にお申し付けくださいますようよろしくお願いいたします。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。資料はよろしいでしょうか。
 では、これから議事に入りたいと思います。
 前々回にまとめていただきました「課題の整理と検討の視点」を踏まえて、前回、そして前々回と2回にわたって、いわゆるコアに関してヒアリング等を含めて議論してきました。
 今日は前々回、前回でのヒアリング等を踏まえた議論を踏まえて、高等学校教育におけるコアについて、事務局で資料1としてたたき台をまとめていただきました。今日はこの資料1をベースにしながら、高等学校教育において全ての生徒に最低限修得させるべきもの、いわゆるコアについての議論をしたいと思います。また、次回以降は、次のテーマ、高等学校教育における質保証の在り方について議論を進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 では、まず最初に、事務局から、資料1を中心として、コアについての検討内容について御説明いただきたいと思います。よろしくお願いします。

【塩原教育制度改革室長】
 よろしくお願いいたします。本日、事務局よりコアについての一定の整理に向けた議論をいただくための参考といたしまして、2点資料を用意させていただいています。資料1は検討のためのたたき台でございます。そして、資料2は、これまで12回にわたる部会の中で、コアないし質保証の観点からいただいていた御意見につきまして、ピックアップして整理させていただいているものでございます。資料2の今までの御意見につきまして、御覧いただければと存じます。
 最初の大きな1は主にコア関連、そして、3ページ以降は質保証の関連であり、これまでの部会の中でいただいた御意見の抜き出しでございます。まず、特に1ポツ、コアのうち、学力等に関する意見といたしましては、例えば、二つ目の丸にある、高等学校に求められる資質・能力は学力だけでなくて、学教法51条、高等学校教育の目標の関係でございますが、これらを達成できているのかどうかを考える必要がある、これを担保していく必要があるといった御意見をいただいています。さらに、学力の関係といたしましては、とりわけ学力の三要素の観点からの御意見を複数いただいているところでございまして、例えば三つ目の丸でございますが、学力の重要な三要素のうち、基礎・基本の知識・技能、思考力・表現力・判断力の程度については、学校や生徒によって異なっているものだと考えるが、一方、学習意欲については生徒ごとの違いはないのではないか。
 さらには、五つ目の丸でございますが、類型ごとにルートはいろいろだが、共通するものが学力の三要素、その中でも学習意欲については、どの教科に意欲があるかといった差異はあったとしても、どの高校生でも同様に育む必要があるのではないか。こうした御意見もこれまで出てきていたところでございます。また、知識・技能等以外の幅広い学力ということでございますと、七つ目の丸でございますが、昔は知識吸収が重要で、それで社会に貢献できたが、これからは考える力、挑戦する力が重要ではないか。さらには思考力を鍛えるようにする必要がある、学習だけではなく考えることが必要等々のより幅広い能力についての御意見も多々いただいているところでございます。
 続きまして、2ページでございますが、さらには、社会的・職業的自立等に関する観点からの御意見も多々いただいていました。高等学校は最後の学びの場であり、社会で自立していくためにどのような学びをすべきかを議論することが必要といった御意見をいただいていまして、さらには、具体的に身に付けさせる力の要素としては、例えばコミュニケーション能力、規範意識、社会参画の態度、自ら考え課題を解決する能力ないしは学び続けることができる能力や自らの学びをマネジメントできる能力などが重要といった様々な御意見をいただいていたところでございます。
 3ページ以降は主に質保証の観点からの御意見でございますが、こちらは様々な御意見をいただいています。例えば、修得主義の考え方ももっと入れておくべきではないかといった基本的な考え方等についての御意見や、さらには、何らかの到達度を把握するための仕組みを設けるといったことについての御意見等々をいただいていたところでございます。
 そのほか4ページ目は、そうした中で、様々な能力を身に付けさせていく上での、授業の仕方など教育方法の改善に関する意見も多々いただいていたものをピックアップさせていただきました。
 これらは従前いただいていた意見でございますが、本日コアについての一定の整理をしていただくためのたたき台として、資料1を用意させていただいております。こちらを更に御覧いただければと存じます。
 資料1、まず、1ポツでございますが、こちらは8月に部会でおまとめいただきました「課題の整理と検討の視点」の中でのコアの捉え方ついて確認させていただいているところでございます。全ての生徒に共通に最低限修得させるべきコアについては、例えばということで、二つほど能力の例示をしているところでございまして、一つは、社会的・職業的自立、社会・職業への円滑な移行に必要な力、もう一つは、社会の一員として参画し貢献する意識などの市民性といった例示が挙げられていたところでございます。こういったところでございますが、その上で高等学校教育におけるコアとして身に付けるべきものについてどのように考えるのかといったことを、更にこの部会で深めていただければと思います。
 続きまして、2ポツでございますが、こちらは、学校教育法における高等学校教育の位置付けについてであり、多様化した高等学校でございますが、その中で全ての高等学校にとっての共通なベースとなる法律上の高等学校教育の目的・目標についての確認でございます。まず、学校教育法50条でございますが、高等学校の目的といたしまして、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的としているところでございます。
 続いて、51条では、高等学校教育の目標でございまして、まず一つ目、義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて、豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。二つ目として、社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知識、技術及び技能を習得させること。さらには、三つ目として、個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うことが、51条に目標として規定されているものでございます。
 さらには、学校教育法では、小学校、中学校、高等学校を通じて、生涯にわたり学習する基盤が培われるようといった観点から、特に配慮すべき事項といたしまして、いわゆる学力の三要素といわれるものの中身と重なるものでございますが、基礎的な知識・技能、課題解決能力、主体的に学習に取り組む態度、こちらにつきましても法律に規定されているものでございます。
 そして、2枚目でございますが、加えて学校教育法におきましては、高等学校教育の目標の達成に資するよう、教育指導を行うに当たって、体験的な学習活動の充実に努めるべきことについても規定がなされているものでございます。こうした学校教育法の規定がある中でございますが、高等学校教育におけるコアとして身に付けるべきものについて、こうした学校教育法の期待も踏まえて御検討いただければと思っているところでございます。
 そして、さらに3ポツでございます。これらを踏まえた上で、コアについての考え方について、現時点で考えられる論点として、事務局の方で三つほど挙げさせていただいているものでございます。まず、一つ目、これは先ほどの2ポツの(1)で掲げました学力の三要素の部分でございますが、こうした三つの要素からなる力について、高等学校教育段階でコアとしてどの程度のものを求めていくことにするのか、こうした論点が一つ。さらに、二つ目でございますが、こうした学力の三要素のほかにも豊かな人間性、健やかな身体等、高等学校教育によって身に付けさせるべきものがあるわけでございますが、こうした力を育む観点からは、特にコアとしてどのようにこれを捉えていくのか。例えば、下の例にもありますように、公共心や倫理観、社会奉仕の精神、他者への思いやり、健康保持のための実践力といったものをコアとして取り上げることについてどう考えていくのかなどの論点につきましても議論いただければと思います。
 さらに、三つ目でございますが、こちらは既に中央教育審議会の従前の答申等でも御議論いただいてきたものでございます。例えば、キャリア教育の視点として、社会的・職業的自立に必要な力を身に付けさせるといった観点、更には学士力の視点として、高等教育との接続の観点から高等学校段階で身に付けさせるべきコアとしてはどのようなものが考えられるのか。例えば、キャリア教育などの要素、社会・職業への円滑な移行に必要な力といったところなどにつきましては、「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」答申等でも、例えば勤労観・職業観などの様々な力の要素を整理いただいた経緯がございますが、様々なそうした力なども踏まえつつ、これらの力をコアとして捉えていくことについて、どういうふうに考えるかなどの論点があると思っているところでございます。
 事務局からの資料の説明は以上でございます。よろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 すみません、今日御欠席の荒瀬委員からのコアについての御意見である資料3はどうしましょうか。

【塩原教育制度改革室長】
 では、御紹介させていただきます。
 本日御欠席の荒瀬委員より、コアの議論があるということで、コアについての所感ということで1点資料をいただいています。コアについては、何を身に付けたか、何ができるようになったかという点を重視すべきであって、全ての生徒が共通して身に付けるべきものとして考えるならば、多様性を考慮しつつ、基本的に重視すべき点を挙げることが必要であるとの観点。そして、その上で、将来自立していくことになる全ての生徒が身に付けるべきものとしては、とりわけ学び続ける力の基になる学習意欲と、社会に参加し参画するための市民性をコアとして養うこととしてはどうかといった観点からの御意見をいただいているところでございます。
 先生からは、高校生はいずれは社会の一員として職場、家庭、地域、友人関係の中でそれぞれが務めを担っていく。生徒が社会的・職業的自立を図ることによってよりよく生きるためには、生涯にわたって学び続けることが必要である。さらに、いわゆるグローバル社会を生き抜くためには、未体験の物事に対しても自ら向き合っていこうとする態度が重要だ、といった御指摘をいただいているところです。具体的な内容、評価の方法と検討すべき事柄は多いが、それらの学習活動を学習意欲と市民性の向上へつなげるよう取り組むことが必要である。このような御意見をいただいたものでございます。
 以上でございます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。荒瀬委員の資料3の意見については、コアの構成要素はいろいろあると思われますけれども、その中でも特に学習意欲、市民性を重視すべき点として指摘しています。コアの構成要素を並列的に並べるだけではなくて、それをもう少し構造化して捉えて考えるべきではないか。そうした御意見かとも思います。
 では、資料1、これまでの議論を整理した課題の整理と検討の視点をベースにしながら、前々回と前回、何人かの方のヒアリング等々も踏まえまして、コアについて様々な議論をしてきました。今日はこれまでの意見を踏まえて、資料1のたたき台を事務局の方から御提出いただきましたので、これを踏まえて少し御自由に議論いただければと思います。
 これまでの議論を簡単に整理しますと、高等学校教育におけるコアを考えていく際には、やはり小学校、中学校、義務教育段階の成果を踏まえつつ、なおかつ現代社会の生活や職業等から要請される諸能力をどう考えるか。例えば大学における学士力の検討というようなアプローチをやはり高等学校段階でももう少し詰めていく必要があるのではないか。ある意味では、義務教育の方からのボトムアップと、現代社会の生活や職業等に求められている能力というふうなトップダウンの、その双方から高等学校レベルのコアの問題について整理し直してみようという議論かと思います。
 では、資料1をベースにして、皆さんの方から御自由に御意見いただければと思います。では、直原委員、どうぞ。

【直原委員】
 資料1の2ページの3番のコアの考え方についての(3)のところに社会的・職業的自立や社会や職業への円滑な移行に必要な力として例示が七つ並んでおりますけれども、私は公立高校の教育行政を担当している者として、特にこの中の三つ目にある多様な他者の考えや立場を理解する力やコミュニケーション能力などを含めた人間関係形成力、この点について、今の若い人たちは非常に弱い部分があると見ています。ネット社会になって、気心が通じる人たちとの間では極めて人間関係を作っていくのが上手ですし、仲良くやっているのですけれども、自分に合わない人間と付き合っていくことが苦手と言いましょうか、そういう世界に入っていこうとしない。それが広い意味では、価値観が違ったり、あるいは生活習慣が違ったり、最終的にはグローバル化した中で外国の人間と付き合っていかなくてはいけないのですけれども、そういうところに積極的に踏み出ていく人間関係、嫌いな人とも付き合っていこうという部分が非常に弱いのではないかと思っています。
 これから、例えば雇用の構造などを考えてみても、今の若い人たちというのが大人になる時期というのは、我々大人のときよりもはるかに厳しい社会の中に投げ込まれるというふうに思いますけれども、それに耐えられるたくましい力、ここで言う人間関係を作っていく力に特に注目したいと思っていますし、それを高等学校教育の中でどうやって作っていくのかということについて、もちろん総合的な学習の時間なども重要な場だと思っておりますけれども、普段の教科の活動の中でも、未だに高等学校というのは学力三要素の中の知識、理解のところにどうしても傾いているところがありまして、そこを変えていく必要があるというふうに考えております。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうでしょう。では、野上委員、そして長南委員ということでよろしくお願いします。
【野上委員】
 前回会議に欠席し大変申し訳なく思いますが、その折の議事録を拝見しておりまして1点触れさせていただきたいことがございます。
 ところで、その件に触れます前に人材に関し埼玉では従前見られなかった変化が起きていることについてお話ししておきたいと存じます。それは海外から来日している留学生の就職に関することです。数年前までは県や大学等から就職先斡旋の要請を私ども経済団体は受けていたのですが、ここ埼玉ではホンダをはじめ自動車関連企業が多い特性か分かりませんがしばらく前から多くの企業、とりわけ中堅・中小企業から留学生受け入れの話が寄せられるなど逆転現象が起きております。
 もちろん、グローバル化が進行する中でありますのでこれはこれでよろしいのでありますが、国内人材でまかなえられるのであればそれにこしたことはなく海外人材がたけていて日本の若者に欠けているとされるクリティカルシンキングとでも言うのでしょうか、表現は適切ではないかもしれませんが批判的思考能力を早期段階から付けていただくことが肝要と思っております。
 ところで、私はこの部会で何回かにわたって、産業界、個別企業の中における必要な人材像について、3点申し上げてきました。一つは、自分の考えを持って、存在感を示せるプレゼンス能力が必要です。それから、その考えを発信するプレゼンテーション能力、そして、その発信した考えをベースにして他人と議論するディスカッションの能力。加えてディベート能力の、大きく大別して三つの能力を、これは大学生だけでいいということではなくて、徐々に形成されるものですから、発達段階における全ての学校段階において、その中でも特に実社会に最も近い高等学校段階ではその三つの能力を是非付けていただきたい。
 私が述べたディベート能力というのは、相手をやり込める能力ではなくて、相手の立場、相手の考え方にも立った上での自分の見解を述べる能力ということで、楠見教授の
が言うクリティカルシンキング能力の考え方と全く同じでございます。したがって、くどいようですが、今回の会議の中で行われるコアの部分についてはそうした能力を付けていただくシステム、仕組みについても言及していただけたらと思います。
 そして、最後に1点だけ付け加えたいことは、、アキレス委員が触れられておりましたけれども、こうした能力の付与というのは生徒だけ、学生だけに求めるのではなくて、教える側の先生、教師の方もそうした能力をお持ちにならないと、受ける方の生徒、学生のシナジー効果というのは期待できないのではと考えるものですから、今回のテーマではないのかもしれませんが、先生方の社会における実務勤務体験、例えば1年間ぐらいの義務化ということも、グローバル化が進む中では必要なのではと考えております。
 以上で話を終わらせていただきます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。では、長南委員。

【長南委員】
 今日、資料1の中の2ページ、3ポツのところですけれども、1から3まで示してあります。この3の主体的に学習に取り組む態度という表現になっていますけれども、学習に取り組む意欲・態度とした方がいいのではないか。今の子供たちの学習意欲というのは、以前の子供たちに比べて高まっているだろうかということ、そこをしっかり検証してみると、もしかすると私は高まっていないのではないかという感じがします。そういう意味で、小学校、中学校での課題でもある訳ですけれども、高等学校においても主体的に学習に取り組む意欲・態度という、意欲があって初めて態度が育ってくるのでないのかと思いますので、その点も少し検討していただければと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。今日は高等学校教育におけるコアの中身について中心的に御意見を伺いたいということでしたけれども、今、野上委員の方からも御意見あったように、コアをどう実施していくのかという、そういう仕組み等々についても少し工夫してくれという御指摘がありまして、おそらくこれはコアに関わって高等学校の教育課程をどうするかという話にも関係することだと思います。そういう教育課程の仕組みの方法や方向性も、議論は当然これから必要だと思うのですが、あまり広げてしまうとなかなか議論も分散してしまいます。ただ、コアの議論をしていく上で、やはりどうしてもそういう仕組みや教育課程の在り方の問題は触れざるを得ない部分もありますので、その辺についても何か御意見があれば、そうした仕組みや教育課程の在り方等々に少し触れつつ、コアの中身について御意見を伺えればと思います。よろしくお願いいたします。
 ほかにどうでしょうか。では、和田委員。

【和田委員】
 意見というよりも、今の小川先生の発言を受けての確認なのですけれども、このコアというものを、教育基本法を踏まえ、しかも学校教育法も踏まえた上でのまとめとして提案されていまして、今、長南先生のように幾つか軸の上で増やしたり減らしたりということは必要だと思うのですけれども、概念と言いますか、理念としてはこれまで議論してきたことがよくまとまっていると思います。ただ、先ほどおっしゃったように、では、この後、本当にこの部会でやり方を考えていくのか。あるいはそういうものをどう身に付けたかをどのように測るか。あるいはどういうやり方で身に付けていかせるのか、ということまで盛り込まなければいけないのかどうかというところが微妙なところです。微妙というよりも、むしろ教育課程に関わることであれば、教育課程部会の話ですし、それから、大学との、高大接続の部分であれば、新たにそういう部会ができたわけですから、やはりそこが専門にされるのか。
 だから、そこに対して高等学校教育部会としては、高等学校教育としてこういうことが必要だという意見を上げて、具体的な制度はむしろそちらで考えていただいたものを返していただいて、こちらもまたそれに意見を加えていくという方法がいいかと思いますので、まず、どうしてそれを身に付けるかとか、教科内で身に付けるのかとか、あるいは総合的学習の中でやるのかとか、そういう話は後回しにして、まず、高校生として今まで足りなかった部分、教育基本法でも学校教育法でもうたってあるのに身に付いていない部分があるというところを強調して、それを理念としてこういうことを掲げたいというような形でまとめていくのが、取りあえずいいと思いまして、その後の具体的な諸施策に関しては、この後具体的にまたここでも議論することになると思うので、今日はできるだけこの内容についてお話ししていただいたらと思うのです。
 その上で、私としてはいろいろな面がきちんと入っていると思うので、たたき台としては今回のはかなりいいのではないかと思っております。

【小川部会長】
 ありがとうございます。ほかに。では、川嶋委員。

【川嶋委員】
 ありがとうございます。今、和田委員の方からもお話あったことに多少関わって、私の意見を述べさせていただきます。
 コアの具体的な要素を考えるというのが今日の課題だと思うのですけれども、前提としては、全ての生徒に共通に最低限修得させるべき内容が、ここでいう高校教育の「コア」ということになります。それで、これがある種のコアの操作的な定義だとすれば、コアとなるべき要素について幾つか条件は出てくると思います。今日、資料1や資料2、あるいは荒瀬先生の御意見である資料3で、それぞれコア候補の項目を挙げられて、どれも重要だと思います。コアの考え方として、操作的定義の中で共通に最低限修得させるべき内容と書いてあるのですから、この定義に従えば、そんなに多くの内容を盛り込むことはできないということです。
 二つ目は、今、和田先生も少し触れられましたけれども、履修ではなく修得させるというのがコアだということになっていますので、コアとして要素を決めた際に、きちんと高等学校側でその修得を確認できるような要素でないと、単なる抽象的な、空念仏になりかねません。やはりコアと定めた要素については、ある程度きちんとその修得を確認できるようなものでなければいけない。
 例として挙げて恐縮ですが、荒瀬先生の資料の中で、市民性があげられています。市民性というのをコアとして定めた場合、では、どうやって高等学校側でその市民性が修得されたということを確認するのか。これは非常に難しいことだろうと今のところ私は考えています。質保証ということが次回のテーマになるということで、これについては共通理解ができているということですから、質保証を前提にして考えると、かなりコアの範囲は限定されてくるのではないかと思います。
 私自身は、いろいろ指摘されている項目の中で、先ほど出てきております2ページの3ポツのコアについての考え方の(1)で、これまで小中高を通じて新しい学力観として、基礎的な知識及び技能、それから各教科を通じて養う思考力、判断力、表現力、そして意欲・態度という、三つの、いわゆる学力要素があるわけですから、やはりこれがコアというか、基本的な教育内容になるだろうと考えました。ただ、問題は、例えば基礎的な知識及び技能といった場合、では、具体的にどういう知識が基礎的、基本的技能なのか。より具体的に言えば、例えば各教科がある訳ですが、その中で最低限共通として教えなければいけない知識やスキルというのは何なのかというふうに話を絞ることが次の課題になります。
 先ほどクリティカルシンキングというお話がありましたけれども、こういう考える力も何をどこまでできるようにするのか。荒瀬先生の資料で、何ができるようになったのかということが重要だと書いてありますけれども、やはりそういう観点から考えていくことが重要だと思います。抽象的に考えていくと、確かにきれいなコアはできるかもしれませんけれども、では、それを実際に確認するという作業をしたらどうなるかということが非常に大変ではないか。やはりそういうことを頭に入れて考えていった方がいいのではないかというのが今のところの私の意見です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。非常に重要な指摘で、特に質保証に関わるところですので、今の論点は次回更に意見交換していけるかと思います。
 ほかに。はい、では、上野委員、どうぞ。

【上野委員】
 和田委員が御説明されましたように、私も手元にいただいている資料で、理念的なことはかなり書けていると思います。今も御説明ありましたように、私も今日の資料1の冒頭の最低限修得させるべき内容という、内容の中をどう考えていったらいいかというので随分考えたのですけれどもよく分からないところがあるので、こういう見方で言わせてください。これからこういうことを議論していくときに、おそらく現在の日本の状況は、既にいわゆる先進国というのに達しております。それで、今後もそれを続けていかないといけない。
 そういうことを踏まえて、将来のためにどういうことを、これまでとは違ったポイントを強調していくのかということを考えてみますと、大概のことは今日いただいた資料に書かれております。例えば、資料1の1のところの二つの項目があって、最初の黒丸の1番目の右側に米印が書いてあります。その米印の内訳を見てみると、例えば、米印の説明の下から2行目のところ、意欲・態度及び価値観と書いてございます。最初、私は価値観を、これから多感になるであろう高校生が持つということが非常に大事なのだろうと思っておりました。いろいろな高校生がそれなりに自分のための価値観を見出していく。いろいろな職業に就きます。そうすると、多分単なる価値観ではなくて、極めて多様な価値観を持たせるということが必要なのではなかろうかと思っておりました。
 それともう一つは、そういうことを教えていくときにどうやって教えていくかというのは教科の問題に関わってきますので、別なところで検討いただく事柄ですが、その次のページの3の(1)、主体的に学習に取り組む態度ということの中に入ってしまうのかもしれませんけれども、粘り強くなにがしかをやり続けるということは大変必要なのだろうと思います。これをどうやって教育するかというのはまた別問題ですけれども、そういう観点を入れる必要がある。
 それから、先ほどの多様な価値観ということに少し戻りますと、もしも可能であれば、注釈として入れるべき文言の中に、例えば文理、バランスのとれた教養というのでしょうか、そういうようなことも入れる必要があるのではなかろうかと思います。いろいろな生徒さんがいらっしゃることを考えると、技術と言いましょうか、技能と言いましょうか、ものづくりと言ったほうが分かりやすいでしょうか、できればそういうことまで括弧書きで入れるようにすると、皆さんが分かりやすくなるのではなかろうかと思っております。
 そういう指導によって、すなわちいろいろな生徒さんが自分に合った、いろいろな価値観を身に付けることができると思います。逆に言うと、主権者となって国を支える状況になったときに、いろいろなものを重要なものとして捉える力が身に付く。そういうことをできるだけ早い段階で教えるということが将来必要になってくるのではないかと思っております。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 ほかに。では、渡邉委員。

【渡邉委員】
 二つ三つお話しさせていただきたいと思いますが、私も個人的にこのコアについての内容は二つだとずっと考えておりました。1点目は基礎学力、基礎的な知識が一つです。それから、二つ目は、人間として共通に身に付けなければならない力。大きく分けてそういう二つなのかと考えておりました。
 今日整理していただいた資料の2ページのコアの考え方についてというところで、三つの項目について整理いただいておりますので、私の考えていた内容はこの三つの内容の中に含まれ、この形でいいのかと判断しております。
 ただ、一つだけ付け加えさせていただきたいのは、3番の主体的に学習に取り組む態度のところに関係するかと思うのですが、生涯学び続けようとする意欲、そういうものも必要と考えております。付け加えていただくよう、検討いただければと考えています。
 先ほど、川嶋委員からも御発言ございましたけれども、結構表現が抽象的で、このままでいいのかということを考えると、もう少し掘り下げておかないと具体的な部分が見えてこない気がしています。特に2番、3番の内容については少し検討する必要があるかと思っています。そこの部分について私の考え方を若干述べさせていただきたいのですが、1番の基礎的な知識及び技能につきましては、現行の学習指導要領でいけば、必履修科目に相当する部分なのかというふうには判断するのですが、生徒の実態を考えますと、この部分は現行よりは絞られなければならないのではないかと考えております。全ての高校生に共通に修得させるということを考えた場合については、かなり絞らざるを得ないのではないかと思っております。
 それから、2番、3番の部分ですが、これは現場の教員にとってはどう教育していくか、どう力を付けていくかということに対して一番苦労すると言うのでしょうか、なかなか難しい部分でございます。具体的にこういう力を付けさせるためのどういう学習プログラムを構築していくのか。その辺までこの委員会で言及する必要があるのかどうなのか。そこの点につきましても検討いただければありがたいと考えております。

【小川部会長】
 今、渡邉委員と、先ほど和田委員から、そして川嶋委員からも出ましたけれども、やはり今日資料1に出していただいたコアの整理の仕方については、基本的な考え方とすれば、それについて大きな修正を加える必要はない。問題なのは、やはりそれをどういう性格のものとして整理し、更に各学校レベルでこうしたコアを教えていく際のカリキュラムをどう考えていくかとか、そうした仕組みとか、このコアを実現していく上での教育課程の在り方等々を更に詰めていかなければ、このコアの具体的なイメージがなかなか作りづらいというような御指摘もあるのですけれども、これについて事務局の方で、これはこの部会でどの程度その辺のところを議論すればいいのか。
 つまり、教育課程の在り方については、この部会で全部引き取るというのはおそらく無理なことで、おそらく教育課程部会の方で行うでしょう。ですから、今日のコアの議論と次の質保証のところについて、大体どの程度の議論をして、あとは教育課程部会の方にいろいろ検討していただくとするのかというのを、事務局でまだ詰めていないのかもしませんけれども、もし何かお考えがあれば、今の時点で分かる範囲でお答えいただければと思います。

【塩原教育制度改革室長】
 小川先生から御指摘もいただきましたが、教育課程、カリキュラムの中身自体につきましては、教育課程部会が直接の担当ということになるかと思うのですが、今回私どもがまずコアを議論し、更に質保証について議論するということについては、そもそも多様化した高等学校教育の中で共通に修得させるべきものというのをもう一度確認し合って、その上で、学校現場でも質保証という形で何らかの教育を行っていく上での、生徒にとっての目標になるもの、ないしは先生にとっても一定の指導をしていく上での一つの目標となり得るものというのを明確化していくことが、広い意味で、学校現場全体でのカリキュラムの改善などにつながっていくのではないか。最近は高等学校の出口の質保証等につきましては、非常に社会からも指摘されている中で、ここはまず一つのポイントになるのではないのかということで、ここの部分からの御議論をいただいたということでございます。
 直接カリキュラムを具体的にどうしていくかということについては、この短い時間の中で、その中にどこまで踏み込めるかというのは、私どもはそれはどちらかというと、次の議論というイメージで始めてきたところでございますし、まずはこの質保証に至るまでの御議論を十分いただければと思って、今お願いしているところでございます。

【小川部会長】
 では、そういうことのようです。はい、どうぞ。

【上野委員】
 今の件で質問させてください。こう捉えていいですか。例えばこういうことを考えていくときに、どういう授業を何時間やらないといけないかという問題に必ずなります。そうすると、1週間にやる、いわゆる授業としての時間数は限られています。今私たちが考えないといけないのは、それだけではなくて、高等学校が学校として、例えば課外活動なども含めて、全ての教育活動において目指すものと考えていいんですよね。
 そうすると、1週間の授業時間数がこれだけしかないということは取りあえずこっちへ置いておいていいわけですね、と把握してよろしいでしょうか。

【和田委員】
 それならばこそ、やはりこの修得という言葉は一旦取り下げたほうがいいような気もします。修得ということになれば、やはり単位の、ということが前提の用語ですから、2ページ目にあるように、コアとして身に付けるべきものというところまで一旦は下げておいた方がいいのではないかという気がします。ただ、そうなると、単なる理念で終わってしまうという可能性があり得るので、そこのところが一番問題なところではないか。
 修得と言った限りは、この部会でも多少修得のための教育課程に関して責任を持たざるを得ないと思うので、そこのところを少し文部科学省の御意見も踏まえて考えてもらえればと思います。せっかくですから、何らかの形でこれがきちんと修得できる、身に付ける、どちらでもいいのですけれども、本当の意味で身に付けるような形のものを提案すればいいとは思うのですけれども、その辺が怪しいという気がしています。

【小川部会長】
 その辺どうですか。事務局の方でどうお考えですか。

【塩原教育制度改革室長】
 和田先生の御指摘も非常にごもっともな部分でございまして、それよりコアをどのように示していくのか、どこまで具体化できるのかというのが今回のまとめの部分での一つのポイントになってくるところだと思っております。その部分につきまして、いずれにしても、本当のカリキュラムの内容として個別具体にこことここをやらなければいけないとか、ないしはここまで修得しなければいけないという具体的な部分まで立ち入るのは、やはり限界はあろうかと思っておりますが、その部分を実際どのように示していくのか。
 この前の課題の論点整理のときにも力として示すのか、内容として示すかといった論点等も出されておりましたが、その部分につきまして、事務局としてもこうだということを決めているものではございませんが、まさしくこの部分御議論いただければと思っているものでございます。

【小川部会長】
 そういう議論も含めて少し自由に出していただければというようなことで。その辺なかなか今後の教育課程の議論のスケジュール等々も含めて、あまり明確でもありませんので、少し議論のやりづらいこともあるかと思います。ただ、様々な御意見は御意見として出していただくことについては全く構いませんので、どうぞ御自由にいただければと思います。
 ほかにいかがでしょうか。では、北城委員。

【北城委員】
 資料1の2ページ目にコアの考え方についてということで、最初に3点書かれていますが、この範囲をどう規定するかによって、その2ページの下の方に書いてあるものがかなり入ってくると思います。例えば、判断力、表現力には、コミュニケーション能力も入るでしょうし、ほかの人の考え方を理解した上でのコミュニケーション力、外国人も含めたコミュニケーション、外国人に対するコミュニケーション能力も必要です。ですので、1、2、3に規定していることを広げれば、2ページの下に入っていることはかなり入ってくると思います。また、この1、2、3に入らないテーマで、特に2に書いてある公共心とか倫理観ということについては、成功して利益が出ればいいとか、自分に有利になればいいという考え方では日本社会でも成功しないでしょうし、国際社会でもうまく生きていけません。これは高等学校だけで済む話ではありませんが、やはり高い倫理観とか公共心とか他人への思いやりというのがとても必要なことだと思います。
 ハーバード大学の教授が、リーダーとして活躍するために必要な9つの資質の中に一つ、インテグリティーという言葉を入れています。インテグリティーというのは、人が見ていないところで正しいことをできる能力があるかどうかのことで、リーダーとしてはこれが重要なのだと言っています。そういう意味では、2ページの1のコアの1、2、3に入らないかもしれませんが、やはり公共心とか他人への思いやりというのは、高等学校だけに限らず、学生時代を通して、あるいは社会人になってからも身に付けるべき大事な態度ですので、それを何らかの形で入れていく必要があると思います。
 これを点数で書けるかというと、実は書けないことが結構あります。しかし、そういう要素は教員が判断したらいい。最終的には高い倫理観を持って行動する子供であるという判断でも構わないのです。試験の点数で判断できない要素も実は非常に大事なのだと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。では、相川委員、どうぞ。

【相川委員】
 資料の2ページ目の今のコアの考え方の1、2、3のお話を北城先生にお話しいただきましたけれども、私は基本的にこの三つのところでいいのかということと、先ほど修得させるというところで、高等学校で確認できるような内容でなければということになると、やはりそれを判断する教師にもまた求められてくる部分もあるのかと思っております。基礎的な知識というのはある程度の試験なりで把握できるけれども、把握できない思いやりの心を育てる、奉仕の気持ちを育てる、そういうことは点数では付けられないことだと私も思います。でも、それは身に付けさせていかなければいけない。何も高校生だけではなくて、これは小学校、小さいときからの積み重ねで付けていかなければならないというふうに私も思います。
 よく企業さんから高校生のコミュニケーション能力が不足しているというふうに言われます。これは今グローバル化に進んでいるということですけれども、何も外国の人だけに対応することがこのコミュニケーション能力を付けることではなくて、いろいろな人と話をしていくということが基礎になってくると思います。ですから、そういう意味で、では、コミュニケーション能力を付けるために修得することを点数化するためにどうするんだということはなかなか難しいような気がします。その部分では、やはり点数で測れないことがまずあるんだということがあってもいいのではないかと思っております。
 あとは、文章にすると、基礎的な知識、技術の習得、技能の習得というふうになるのだろうと感じていますが、もう少し誰が見ても分かりやすいような、もう少し分かりやすい言葉で表現していただいてもいいのかというふうにも感じています。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。では、野上委員、どうぞお願いします。

【野上委員】
 1点触れたいと思います。修得に関することですが、修得科目には何も点数だけの評価で見極める事項だけではなく、例えば「彼は最近挨拶ができるようになったよ」というような数値では表せない修得要素・項目もあると思うのであります。
企業ではこのような要素が極めて重要となります。例えば、企業では目標達成のためにもろもろの取組が試みられます。目標・目的成就のため、時には困難ではあるが何かを捨て、断ち切ることも重要になりますが、このとき必要な要素はコミュニケーション能力であり、納得を得られるような説得力であります。この数値化できない修得項目にも是非言及したこれからの議論であってほしいと存じます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 ほかにいかがですか。では、及川委員。

【及川委員】
 コアの考え方が全ての生徒に共通に最低限修得させるべき内容という、このまとめ方はもちろんこれで結構だと思いますし、2ページに示されているような基本的な考え方でいいのかというふうに思っています。ただ、修得という言葉に少しこだわったときに、結局修得したことを証明するのは校長、教育課程の修了とか卒業を認定するのは校長ですし、その修得状況を校長が証明書として発行しているものが調査書ということになると思います。調査書には5、4、3、2、1といったような評定というものが付く訳ですから、数値的に載せてくる。しかし実際にこの校長が発行する調査書は、例えば大学入試の際にそれが信用されているかどうか。つまり、推薦入試等ではもちろん評定平均値という形で選抜として使われるでしょうけれども、一般入試の場合には調査書に示されている評定、数値的な形で修得状況が示されている証明書が全く利用されていない、活用されていないというところに、これまでの議論の中に出てきていた、生徒が多様化している状況の中で、必ずしも修得状況が明らかでない、不鮮明になっている。そういうことが大きな問題であったと思います。
 そうしたことから考えると、今修得状況について数値だけで表せるものではないということがあるのですけれども、今申し上げたような外に対する修得状況をやはり客観的に示すような仕組み、これはまた質保証の仕組みの議論になると思うのですが、そういうものがやはりなければ、本当に目指されるべき修得すべきものが、今申し上げたような形で外に対して証明されるのかどうかというところはやはり考えなければいけない問題かというふうに思います。
 そういう意味では、コアの中に出てきているものに関して、ある程度修得状況が明らかにできるような内容、それから能力といったような、そういう区分け方も必要になってくるのではないかというふうに思います。最初に川嶋委員がおっしゃったような観点から私は今の議論を聞いておりました。
 以上です。

【小川部会長】
 はい、そうですね。では、北城委員、どうぞ。

【北城委員】
 修得しているかどうかについては、客観的な判断をすべきではないと思います。あまりにも客観的ということにこだわるが故に、人間の行動についても、全て客観的あるいは科学的な判断ができるという考え方自体が無理だと思うんです。企業の中で人事評価をするときに、客観的な判断というのは基本的にしていません。客観的に判断しようとすると間違ってしまうものは主観的に判断することです。上司が主観的に判断するということでほとんどの場合には問題がないし、その上司の判断を別な管理職が認めるという仕組みにしています。あまりにも客観的な判断ということに固執すると、的確な人材育成ができなくなるのではないかと思います。
 だから、高等学校の先生が主観的に、この生徒は自ら学習しようとする意欲があるというふうに判断すれば、あると判断していただければいい。そういう態度が身に付いていないということであれば、身に付いていないと判断していただければいいと思います。
 それが信用されているかどうかはまた別の問題で、それは大学の選抜や、高等学校と大学の接続の仕組み等でこれから考えていくことにはなるのでしょうけれども、しかし、主観的に判断すべき高等学校の先生が的確な答えを出さずに、甘い判断だけを出している状況で、その先生が本来の仕事をしていると考えるのは間違いではないか。そういう現実があるということを前提にして考えるべきではないと思います。私は、教えている先生が主観的に判断すれば良いと思います。態度というのは主観的に判断するしかないテーマなので、私は主観的に判断していいと考えます。1、2、3、4、5で付けるかどうかは別としても、本当に優れている、あるいは問題があるという判断でいいのではないかと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。今の及川委員と北城委員のお話はそんなに対立するものではなくて、あくまで及川委員の方は、修得ということで、いわゆる客観的に評価できるものについては、やはり高等学校教育体系の中で、高等学校側が責任を持ってそういう知識、技能のある部分については、しっかり社会生活や職業生活を進めていく上での、本当に基礎的なところは学校側が責任を持って社会に送り出す。その証明書として対外的に信頼性を勝ち得る調査書の在り方は工夫すべきであって、そうした基礎・基本を踏まえて様々な職務遂行能力とか、市民性とか、価値観等々についてはもちろん自信を持って、今北城委員がおっしゃったような社会的な評価として各企業や社会の受け入れの方は、その一人一人のできる能力を個別にしながら、しっかり見て、採用するなり、評価するなりということで活用する。
 お二人の意見については、大きな対立ではなくて、そういうアプローチする能力とか、その辺のところの違いとして私は伺いました。
 はい、では、和田委員、どうぞ。

【和田委員】
 1点、その辺で、これも文部科学省に問い合わせる内容なのですけれども、高等学校の昔の調査書には、公共心だとか、社会性だとか、意欲だとか、そういうところを、確かA、B、Cだったと思いますけれども、付ける欄があった訳ですけれども、それが今は、左側はいわゆる教科の成績、評定だけで、右側には各年度にどういうことをしたかとか、あるいはどういう人物かというような、筆記で書く部分があります。つまり、今挙がっている、この人は特に公共心が優れている場合はAを付けるとか、そういうものがあったところがなくなっていった訳です。これはやはり何か経緯があって落ちていったのではないかというふうに思うのですけれども、その点はいかがなものでしょうか。

【小川部会長】
 事務局で、次回までに調べて出していただけますか。

【塩見教育課程課長】
 文部科学省教育課程課でございますけれども、指導要録の様式の例を示しておりまして、先生が今御指摘なのは、おそらくその指導要録。調査書などもおそらくかなり指導要録を基に作っていると思っております。おっしゃるとおり、特記事項というような形で、おそらく行動の記録や何かを書く欄に、おっしゃったような公共心とかについて特筆すべきことがあれば書くということになっていると思いますけれども、従前からの様式の変遷でございますとか、その理由などは、恐縮でございますが、次回までに少し調べて、また御報告申し上げさせていただきます。

【小川部会長】
 次回は、質保証にも関わる問題ですので、今、及川委員とか北城委員から出たような、高等学校で学んだものをどういう形で対外的な信頼性を得て発信するか、そういう評価の在り方も当然次回以降、調査書も関わって議論が出てきますので、少しその辺のところで事務局の方で工夫して資料を提出していただければと思います。
 川嶋委員、どうぞ。

【川嶋委員】
 私が言ったことでいろいろ議論になり、申し訳ありません。
 一つだけ確認したいと思います。今、高等教育の方でもアセスメントという言葉がよく使われていまして、何かが身に付いたということを確認するときは、基本的にはデモンストレーションということが重要なんです。つまり、何かできることをきちんと表に表せるかどうか。たとえば九九が計算できるかどうかについて、これをデモンストレートするのは、九九の計算のテストで九九の計算ができるかどうか分かる訳です。しかし、先ほどから出ているインテグリティー、誠実性みたいなものは、心の中にあり、外からはだれも分からない訳ですから、ある人物が誠実性を持っているかどうかは、それが行動として現れて、つまり誠実性をデモンストレーションして、それを先生が確認できて初めて、この生徒は誠実性があるという判断になるのだろうと思うのです。
 だから、確認の仕方はハードな客観的なテストのものから、そういう数字では表せなくて、段階的な評価ぐらいしかできないものとか、イエス、ノーぐらいの判断しかできないものとか、いろいろあると思います。しかし、問題はやはりここでも修得ということであり、今回の資料1によれば、修得とは「修め得る」であって、他方、学習指導要領の総則を見ますと「習い得る」という習得が使われています。どちらを使うかというのは、大学の方でもガクシュウを「学び修める」か「学び習う」かで必ずしも決定的ではなく、二つ使われていますけれども、ここでやはりマスター(修得)ということがコアでは重要だ、必要だということになれば、やはり何らかの形でそれをマスターしたということを確認できるようなものとして最終的にはコアを定義していかないと、高等学校の方でも困られるだろうと思います。
 コアに入れる内容というのは、先ほどから言われているいろいろなコミュニケーション能力とか、他者を理解する能力とか、いろいろあると思うのですけれども、最終的に部会や審議会として提言するときは、やはり何らかの形でその修得が確認できるようなもので、なおかつこれからグローバルな社会の中で生きていく若者にとって最低限これだけは高等学校で身に付けておいてほしいというもの、そういうふうに絞り込んでいく必要があるのではないかと思いました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうですか。まだ御発言されていない方。では、安彦委員。

【安彦部会長代理】
 指導要領に関わった委員として少し申し上げます。先ほどの資料1の2ページのコアの考え方についての(1)の1から3ですけれども、これは一言で言えば、私たち中央教育審議会の小、中、高、特別支援学校の指導要領を作る際の念頭に置いた法律上の条文でありまして、これは特別コアを指していたわけではないわけであります。この中に全部コアが含まれるというのは論理的に当然ですけれども、これは小中高全ての教育課程を考える上で参考にした条項でありまして、少なくともそういう意味では非常に幅の広い、教育課程全体を構成し、また、それによって育てられるべき三つの種類の要素だったわけでありまして、その点、少しコアという言葉を黒枠で決められるとすると、小中高とも全部同じになってしまうわけであります。
 ですので、改めてやはりここで言うコアにつきましては、高等学校の場合に、多様な子供が入っているけれども、その全ての子供に共通に育てるべき部分、そういう意味では非常に限られた部分だと考えていただきたい。少なくとも1から3を念頭にこれでいいというふうに言われると、かえって少し困るわけなので。仮にそうだとしましても、これはレベルがあります。レベルと言いますか、技能の水準とか知識の量とか能力の水準とか、一応これを踏まえて小中高と作ったわけですので、その中で高等学校の場合にはどこまでということを念頭に学習指導要領が作られておりますから、これはあくまでも前提でありまして、その上で更にコアを絞り込むという発想でないと、何もはっきりしたものは決まらないのではないか。これを一言申し上げたい。
 それから一つ、修得という言葉が先ほどから問題になっていますけれども、少なくとも「習い得る」という字はある意味で学習活動として言っているものでありまして、そういう意味では、何かを身に付ける、正に身に付けるというものです。「修め得る」というのは、普通この字は単位修得に使われる用語ですから、少なくとも指導要領上は明らかに区別されています。この点、大学分科会か何かが類似の言葉を使われて、ガクシュウというのを「学び修める」という字を使ったりする。ああいうのはかえってまた紛らわしいのですけれども、少なくとも指導要領上は、ガクシュウは「修める」の字は使いません。この点もはっきりさせておいていただきたい。
 修得というのは、この言葉で一応これまでの議論ではこういう言葉をコアと考えてきましたけれども、先ほどお話があるように、厳密な意味で修得、単位取得。単位取得というのは、目標から見て満足できると認められるところまであったかどうかという、それを確認しなければいけませんから、それはテストであれ、今お話あったパフォーマンスであれ、とにかく何らかの形で校長先生が満足できる、目標に達したと言えるというふうに判断するエビデンスはなければいけないです。それはその上で、テストでなくても何でもいいですけれども、そのエビデンスだけは示して単位取得を認める。認める責任者は今の枠組みでは一応学校長になっておりますから、ですから、それは先ほどからおっしゃっているように、学校で決めたらいいでしょうという御意見があるのは当然かと思います。でも、それを各学校でばらばらにやってきた結果といいますか、今あちこちから、あっちの学校で認めている単位のレベルとこっちの学校で認めている単位と随分差があるのではないかということで、あまりにその差が激しいことに対して社会的に問題だというふうに言われたり、あるいは大学側から問題だと言われたりしているわけであります。
 そういう意味では、今の枠組みで校長に最終的に何かの責任を今までと同様任せていいというふうに腹を決めるか、あるいはやはり何らかの共通テストと言いますか、学力調査的なテストを使って、ある意味で共通の水準で測る。個々の学校の校長の判断のいろいろなレベルというのではなくて、共通の水準で測るということを考える。これも別のアプローチだと思います。
 それから、先ほどから意欲とか市民性とか、これは、正直言って、私も悩ましいところでして、何でどこを見ればいいのかということになったら、身に付いた、身に付いていない、それから意欲がないというふうにぱっと言われてしまった子供の方は何によって意欲がないと言われてしまっているのか、あるいは意欲を引き出すといったときに、私はどちらかというと、やりたいことについてはやはり意欲は出ますけれども、そうでないものにはなかなか意欲が出ないわけです。ある意味でその相互作用によるものなので、これは相手があったり、対象が違ったりすることがあるので、果たして測定できるのかと言いますか、やはり意欲を高められたとか、高まっていないとかというようなことを測れるのかというのは少し心配でありまして、この点は教え育てるほうが動機付けて意欲を高める工夫というのは要るのですけれども、それによって乗った子と乗らなかった子と両方出て、乗らなかったからおまえが悪いというふうに言われてしまうのも少し奇妙なものですから。改めてその辺のところは注意していただいた上で、意欲が必要だということはよく分かるのですが、その辺のことと、それから測定のこと。
 もう一つ、意欲というのは、皆さんがコアを言うときに、どうしても私は二重の意味で使っておられると思うのです。一つは、最低限修得させるという、最低限の、ある種のレベルでここまではという、この点についてはここまではというもの。それに対して、もう一つの視点は、絶対に必要なもの。レベルの問題ではなくて、この力は必要だという意味で言われているもの。これはやはり両方とも含めてお考えになるというのも一つの立場だと思いますが、やはりその辺、例えば先ほど批判力とありまして、これは本当に大切なものですけれども、では、本当にどの子にも同じレベルで批判力が育てられるだろうか。相当な能力の背景を持っていなければ、きちんとした批判能力というのは育たないわけで、今産業界が求めている批判能力というのがかなりなものだとすると、全ての生徒に求められても、それは簡単なことではないというふうに言われてしまいそうです。ですから、そういうのも、意欲もそうなのですけれども、これは本当に必要なものですけれども、でも、これはこういう最低限というような言い方で言えるようなものとも少し違うものですから、この辺も悩ましいところだと思っています。
 いずれにしましても、とにかく一定の視点で一度決めておかなければいけない。しかもそれはある程度、今のお話のように、カリキュラム上の保証がないと、育てる手立てもないのに、これは必要だと言われても困るわけで、そういう意味では、先ほどから先生の能力の方も問題だとおっしゃる点は正にそのとおりでありまして、それはそうやってカバーしながらやりましょうというのも一つの方策であります。
 いずれにしましても、その辺やはりどうしてもまぜこぜになるので、いずれこの点はまた質保証のところでも議論を深めていただきたいと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。今、安彦部会長代理から大体これまでの議論をきれいに整理していただいたという感じもしました。
 ほかにどうでしょうか。では、小林委員、どうぞ。

【小林委員】
 前回の委員会でも言いましたけれども、この議論が次の学習指導要領に反映されてくるのだろうと思うのです。約10年後です。そうすると、そのときに日本の高校生にどんなことを教えて、次の21世紀後半を豊かに平和な国でずっとやるような生徒を育てていくのだろうと考えるときに、ここに書いてあるのももちろん大切なのですけれども、やはり基本となる経済活動のものづくり教育というところが、私はやはり大きく大切な部分ではないかと思っています。今後日本が、これだけ世界がグローバル化して、様々なところで経済的な浮き沈みがあり、日本を維持させるためには、それから人口も減少していく過程の中で、どのように高校生に理解させていくかということが、やはりもう少し強く押し出されて議論されて、コアとして入れていただければありがたいと思っています。
 明治以降、日本の産業界、科学技術、昨日ですか、ノーベル賞もいただきましたけれども、本当に160年かけて様々な分野でトップ集団を作ってきています。それを支えているのは、やはり多くの中小企業の方たちの、本当に声なき声の頑張りがすごく強いのだと私は思っています。そうすると、そこを理解する、理解させる教育も実は大いに必要かと思っています。
 戦後世界に打って出て、様々な電気機器、あるいは様々な産業が最先端の技術を生かして世界に並びました。今私が担当する工業高校生を見ていると、どうしても主体的に自分で何かを動かすというような考えを持った生徒は本当に少なくなってきています。そうすると、2ページのコアの考え方の3番の主体的に学習に取り組む態度というのは、中学校の評定、5、4、3、2、1のどの部分の子たちがこれを言えば分かって、すぐに主体的に取り組む子たちなのだろうかというと、かなり限られた子たちではないか。多くの子供たちは3以下ですから、この3以下の子供たちが挫折して、98%の入学者で高等学校に入ってきますので、この子たちが主体的に意欲的に学習に取り組むというふうにさせるためには、高等学校3年間で何をやればいいかと言えば、やはり成功体験なり成就感なりを与える。そうすると、やはり日本の過去の成功例を教えてあげるとか、あるいはものづくりで一つきちんと完成させて、それが有効に何か自分の生活に役立つようになる。そんな教育も私はどの学校でも必要かと思っています。
 私がこのコアの考え方を実際に自分が学校長として学校経営計画に取り入れて、3年間のトータルな経営計画を立てようとするときに、これは本当に悩むことばかりです。これを一つ一つきちんと生徒に教え込むにはやはり3年間というのはなかなか短い時間かという気もします。そうしますと、やはりある程度精査させなければならないだろうと思いつつ、でも、ここに書いてあるのは、それぞれ一つ一つ理由があって、必要な部分もありますので、なかなか難しいという感じであります。
 是非この2ページ目の下から5行目、新たな価値観や考え方を創り出すものづくり力というのが、少し意味不明なのですけれども、ものづくりも含めた創造力と言うのでしょうか、イマジネーションをかき立てるような楽しい方向性が出せればうれしいと思っています。

【小川部会長】
 ありがとうございました。

【長塚委員】
 安彦先生にまとめていただいた後で恐縮なのですけれども、私もこの3番目のコアの考え方について見ていて、当たり前のことがまとまってしまったと思っていました。それを端的に御指摘いただいたので、重ねて言う必要はないのかもしれませんが、まず、1点目は、学力が新学力観で法の下で新たに整備されているということでありましたので、取りたててこれがコアと言う必要はないと思っておりましたが、この中であえて言えば、学力の中の基礎的な知識、技能というのが評価可能なものでありますので、今後の質保証と評価、コアの質保証といったときに必ずその達成度を確認するとなれば、その段階では本当に評価できるかどうかということの問題が出てくるだろう。そして評価可能な質保証としては、ほとんどこの基礎的な知識、技能のところがその対象になってしまうような気がしておりました。
 そのほか学力面に対して、今度は2番目の人間性とか社会性という人格面の成長が必要だというのは当然のことでありまして、また、3番目に社会的なキャリア発達というか、進路発達という捉え方を含めると、これで網羅的になっているので、これらは全ての生徒に必要なことだというふうに確かに言えると思うのですが、先ほども言いましたように、最低限修得すべき質保証ということになってきますと、かなり限定されたものしか評価はできない。主体性とか市民性というものはなかなかこういう評価になじまない。例えばボランティア活動をすることがいいといっても、それが評価されるとなると、むしろそれはあまり評価になじまないもので、そういうことで捉えることができないものがこの後の質保証の問題になってくる。その前にこのコアというものが幅広く捉えられているというのは、修得すべきという言葉は理念的なものであって、評価するようなものとして捉えるというのは無理があるだろう。ここに挙げたものは全部必要だけれども、コアとして必要でしょうけれども、これがいわゆる修得すべきではなくて、冒頭和田委員が言いましたように、身に付けるべきものというような、理念として必要性を示しておくことにこれはとどまるのではないか。
 次の質保証の話をしたときに、必ずそういう議論になっていくのではないかという予感がいたしましたので、少しそういうことも含めてお話しさせていただきました。
 以上です。

【小川部会長】
 では、伊藤委員、どうぞ。

【伊藤委員】
 すみません、失礼します。私は2ページのコアの考え方の三つともでいいのかと思いました。上野先生とか、渡邉先生がおっしゃったように、本当に高等学校が目指すもの、それから高校生に本当に身に付けさせるべきものを私たちは考えてきたと思います。それで、全ての生徒に共通に最低限修得させるべき内容がコアであるというコンセンサスがあったように思っておりまして、評価できるものに限定してしまうと、本当に数少ないものになってしまって、それで本当にこれからの高等学校教育がいいのかということは疑問に思います。
 ということで、むしろ、例えば学習への意欲についても、中学校では各教科、関心、意欲、態度で評価もしていますし、そこから評定も出しています。そういったことも鑑みて、評価できるもので最初に小さくまとめるということではなく、知徳体のバランスのとれた人間の育成がまず大切だという前提がありますから、そういったもので高校生に本当に必要なものは何かということで言えば、この2ページは正しいのかと思っていますし、今評価しているものでないものでも、では、どういった評価の仕方があるのかということを後でも考えられるのかというふうに思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかによろしいでしょうか。

【上野委員】
 一つだけ。今のことは割と大事なことなので。反対だとか賛成だとかという意味ではないのですけれども、いわゆる定量的に評価するというのでは、人は正しく評価できないのだと思います。高等学校によっては、例えば推薦書と言うのでしょうか、あれを出すためには、これをクリアして、これをクリアした人であれば推薦書を出してもいいというようなことになっているのだと思うのですけれども、最初の方で、北城委員でしたか、人が見ていないところで正しいことができるか。これは非常に大事なことですね。これは小学校も中学校も高等学校も大学も社会も教えていかないといけないことです。これは評価できません、内面性の問題ですから。
 そうであるから、評価に関しては、評価する先生の資質が問われるのです。そこを疑ってしまうと、定量的に評価しやすいことを評価しようということになるのです。それで、定量的に評価すると、評価し切れない生徒と評価できる生徒が生徒側に出てきます。そうすると、それが評価につながってしまう。そうすると、少し脱落してしまうような生徒が、本来そうでない資質を持っているのにそうなってしまう。そうすると、ここのコアのところでは、多分定量的に評価できるような、いわゆる本を読んで知識として吸収して、それを確かめることができるという部分もあるでしょうし、本来そうではない部分が当然あるはずで、それがおそらく日本の国民を作っていくときの、ある意味では本当の基盤になるのだろうと思うのです。
 だから、ここのところをもう少し積極的に皆さんがコンセンサスをお持ちになって、例えば二つに分けて議論するとか。定量的に評価できるコアの部分と、そうではない、例えばAという高等学校の先生が絶対的にこの子はいいと、それを認めてしまうような評価の部分、非コアの部分を分けて少し考える必要があるのではないかと思います。あまりにも定量的にやると、これは人間としての教員が評価する必要がないのですから。少しお考えいただけるといいと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。今の問題もおそらく次回以降の高等学校教育の調査書をどう考えるかに当たって、一つの論点にはなるかと思いますけれども。
 ほかによろしいでしょうか。では、安彦委員。

【安彦部会長代理】
 今の話とは少しずれるかもしれませんが。先ほどから学習指導要領を作る側で、中教審で関わった人間として申しますが、来年度から施行される新高等学校学習指導要領で、共通必履修科目を決めました。これまでは全部、基本的に共通ではなくて、選択必履修だったわけです。3教科、国語と数学と外国語について、1科目だけ共通必履修科目にしました。これはある意味で高等学校の校長先生方との妥協だと私は思っているのですけれども、小中を見ながら、小中について言語活動重視ということ、基礎学力も含めて、きちんと付けなればいけないということにいたしましたので、この点はむしろ事務方の文部科学省サイドが、では、言語活動重視をせっかく中学校まで育てたわけだから、やはり高等学校までそれを延長して、共通必履修の枠の中に入れたらどうかという提案をしてきた訳です。
 そういう意味では、これは非常に言語に関わる、コミュニケーションとか、判断力、思考力、表現力の基になる道具と言うか、部分です。その部分についてやはりきちんと育てておこうというのが小中の姿勢だった訳ですから、それを高等学校でも3教科について1科目ずつ全ての高等学校種に当たる共通の必履修科目とするということで、高等学校の校長先生方も最初は抵抗があったのですけれども、認めていただいた。
 私は、どちらかというと、修得という言葉と履修という言葉で言えば、やはり修得させたい方だったので、個人的には必履修ではなくて、必修得にしたかったのですけれども、これはやはり高等学校側の事情もあるということを考えて、必履修でもいいかというふうに妥協したのです。改めてそういう経緯をやはり考えていただいて、結局、先ほどからどうしてもこれが必要だとおっしゃっている部分、これはいずれ質保証の方と関係すると思いますが、言ってみれば、これが必要だ、こういう力も要る、こういう力も要るということの一番奥のところで、ある意味でそれの基となる、そして本人がそれを使って発展させれば、その必要な力というのが自分でその後身に付くだろうという基のところの力としてコアというのを考えられないか。私は、言語はその一つだと思っているのですけれども、言語や数というのはその部分をうまく構成していると思います。
 ですから、アメリカのSATにしても何にしても、やはり国語と数学になってくるわけです。今回、参考になるかどうかは少し私も十分にしっかり見ていないですけれども、今アメリカでコモン・コア・スタンダードという共通核スタンダードカリキュラムと言うか、そういうものを決めて、ナショナルテスト、あるいは主として州のテストですけれども、それでそういうものを育てようとしているのですが、それも決して特定の教科でそれをコア科目と言っているのではなくて、更にその中身なんです。全教科か少し確認してないですけれども、複数の教科のこれはコアであるというふうに決めている。そういう意味では、どちらかというと、内容がちゃんと決まっている。レベルの高さみたいなものというよりはむしろ内容が決まっている。この教科ではこれ、この教科ではこれというような形で内容が決めてある。
 この辺はいずれコアを決めるときに、私はどちらかというと、今の高等学校の指導要領で3教科に必履修科目を共通のものとして作った考え方をベースに考えますと、私はむしろかなり絞り込んでしまった方がいいと思っておりまして、それをきちんと身に付けておいてもらえれば、批判能力も主体性も意欲も人間性もというふうに発展させられるだろう。基となるその力がなかったら、どれほど批判能力とか主体性とかと言われても発揮できない訳です。そういう部分をやはりコアと考えていただけないかというふうに考えております。どちらかというと、狭く絞りたい方で、一つの意見として申し上げました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほぼ意見を出していただいたという感じがしますけれども、よろしいでしょうか。
 では、少し早いのですけれども、この辺で終わらせていただいてよろしいですか。
 今日、一応これまでの議論、そして前回、前々回ということで、コアの議論をして、資料1に基づいて、コアについての基本的な考え方の方向性について議論していただきました。改めてコアを考える上で、今日幾つかの論点がまた出たように思います。一つは、これまではコアの中身を、最低限修得させるべき内容ということでコアを考えて議論してきた訳ですけれども、そういうことではなくて、学ばせる内容、ある意味で目標としてコアということをもう少し広目に捉えてもいいのではないかという御意見もあったように感じました。また、コアを最低限修得させるべき内容というふうに捉える場合でも、やはり資料1のような中身ではまだ抽象的で、教科の中身に即してより詳細に詰めていく必要というのはあるのではないかというような指摘と、コアの内容をどう詰めるかということと、その評価の在り方というのはやはり非常に一体的な問題ですので、その辺のところも要検討というような議論も出てきました。また、1の論点と同じですけれども、コアに入れないないしはコアに入らないような高等学校の学びとその教育成果については、では、どう評価ないしは質保証していくのか、その辺のところも少し論点としても出ていたのかという感じがします。
 改めて今日コアの議論を皆さんからいただきましたけれども、やはり次回以降の質保証の在り方と非常に密接に関わるテーマでありますし、また、もう少し行くと、高等学校の教育課程の在り方にも関わることですので、この高等学校教育部会としてどこまで守備範囲として議論していくかというのは少し整理する必要があると思います。これはまた事務局とも調整して、次回以降質保証の問題を議論していく際、教育課程に入り込むと、この部会ではなかなか時間的な制限もありますし、また、部会に求められる課題とも違う方向にも行く可能性もありますので、論点の整理と議論の方向については、もう一度事務局と相談しながら次回以降準備させていただければと思います。
 ほかによろしいでしょうか。はい、どうぞ。川嶋委員。

【川嶋委員】
 安彦先生の御意見に私も賛成する方なのですけれども、今日いろいろ御意見あって、やはりコアということについての安彦先生の御指摘もあって、すでに資料として文字になっているので、委員の間で合意ができていると私は思ったのですけれども、しかし実際にはそれぞれのお考えがあるようです。私はやはりコアを考える時には、一つのモデルとして同心円的に考えて行くのが分かりやすいと思います。そこで、この同心円の中心にあるのは、最低限全ての生徒がこれだけの内容はここまで理解するなりできるようになってほしいというコンテンツとスタンダードになるのではと思います。その周囲を、例えば市民性とかインテグリティーのように高校教育を通じて育むべきだ。ただ、それは必ずしもできたかどうか、できるようになったか、持っているかどうかというのは確認できないといったような要素が囲んでいる。最後の、もっとも外側には有しているのが望ましい部分、あるいは、高等学校の裁量に任せられるような要因がくるのではないでしょうか。
 そこで、安彦先生の御意見にあるように、国として高校教育の質保証ということを考えていくのであれば、全ての生徒が最低限共通にできる内容とスタンダードということをコアとして考えるべきではないかというのが私の意見です。先ほど出た市民性とかそういうものは是非身に付けてほしいし、教えるべきだ。しかし、それは必ずしも客観的な評価になじまないし、先ほど出たようにそもそも評価になじまないかもしれない。でも、日本の高校生には身に付けてほしいとは思います。
 このように、コアの要素には、やはりグラジュエーションがあるのです。そこでこういう国の審議会では、どこまでをコアとして最低限保証すべきかを考えていくかというところが、最終的には議論になっていくのだろうというふうに思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。

【上野委員】
 少しだけ。こういうふうに理解させていただいていいですか。今の安彦先生のお考えもそうなのですけれども、修得すべき内容というのを、例えばもう少し私たちが整理して考えようとしたときに、修得すべき科目というふうに置きかえた方が少し整理しやすいと考えてよろしいですか。

【安彦部会長代理】
 私は割合にそうですね。

【上野委員】
 分かりました。

【安彦部会長代理】
 それは必ずしも絶対ではありません。先ほどアメリカの例を言ったように、全ての教科科目の中のこれはというふうにまた決めることもできる。

【上野委員】
 どうもありがとうございます。

【小川部会長】
 和田委員、どうぞ。

【和田委員】
 次回のことに結果的にはなっていく訳ですけれども、こういう部分は高等学校側が質保証する。こういう部分は外部からその生徒を見ていただく。就職であれ、大学であれ、大学は今そういう時間があまりとれていないので、人物を見るということはできていないところはあるとは思うのですが、それは頑張ってやっていただいて、そういう市民性やらも学校として意欲も含めて身に付けようというのは高等学校で努力するけれども、高等学校の質保証としては修得すべき内容のことに限る。ただし、その他の部分が身に付いているかどうかは今度は社会から判断してもらえるような仕組みをつくれば、いわゆる学習の部分とそれ以外の部分とを両方身に付けたかどうかが測れるのではないか。どちらかだけで質保証しようとしない方がいいのかというふうに今ふと思いました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、よろしいですね。コアの話は一応ここで、今回で終わらせていただいて、コアの議論は当然次回以降の質保証にも入り込んでくるものですので、今日の議論を少し踏まえつつ、更に質保証のところで発展させていければと思っています。ありがとうございました。
 では、次回の予定については事務局の方から説明お願いします。

【塩原教育制度改革室長】
 次回、第14回の高等学校教育部会でございますが、10月30日火曜日、15時から17時までの2時間、場所は文部科学省3階、3F1特別会議室でございます。追って開催通知により御案内させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 はい。次回は10月30日火曜日です。3時から5時まで文部科学省の3階、特別会議室で開催ということです。よろしくお願いいたします。
 今日はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。

── 了 ──

 

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