高等学校教育部会(第12回) 議事録

1.日時

平成24年9月7日(金曜日)10時~12時

2.場所

中央合同庁舎第7号館(文部科学省)東館16階 特別会議室

3.議題

  1. 全ての生徒が共通して身に付けるべき能力について
  2. その他

4.議事録

【小川部会長】
 時間前ですけれども、皆さんそろっておりますので始めたいと思います。よろしくお願いします。
 では、これから高等学校教育部会第12回目を開催したいと思います。お忙しい中御出席いただきまして、ありがとうございました。
 まず最初に、今日の配付資料について御確認したいと思いますのでよろしくお願いします。

【小谷教育制度改革室長】
 本日の配付資料は、議事次第のとおりでございますけれども、資料1から資料6まで御用意しております。資料1、資料2が事務局の説明資料、資料3は本日御発表頂きます安彦部会長代理から御提出頂きました資料、また資料4は、本日御発表頂きます京都大学の楠見教授から御提出頂きました資料となっております。
 それから、併せて参考資料1から参考資料4まで御用意をさせていただいております。この参考資料2でございますが、これは先月8月28日の中央教育審議会総会において決定されました「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて(答申)の概要」を配付させていただいております。大学分科会におきまして、学士課程教育の質の改善に焦点を当てまして、社会で必要となる汎用的能力やチームワーク力など、初等中等教育から高等教育までの役割分担と連携でいかに育成するか等といった視点での審議が行われました。
 その中で、成熟社会において求められる能力として、思考力などの認知的能力やチームワーク、リーダーシップ等の社会的責任を担う倫理観などが指摘されております。また、こちらの高等学校教育部会でもそうでございますが、それと同様に、大学学士課程教育の質的転換に向けて、高等学校教育と大学教育の接続や連携の改善の必要などの御指摘もございました。
 同日の総会におきましては、平野文部科学大臣より、我が国の将来を担う生徒、学生がこれからの時代に求められる力を確実に身に付けて、可能性を最大限に伸ばしていくためには、高等学校教育、大学入学者選抜、大学教育の在り方を一体として捉えて、その円滑な接続と連携の下に改善を図っていくことが必要であるとの認識から、参考資料4にございます答申が行われまして、大学入学者選抜の改善をはじめとする高等学校教育と大学教育の円滑な接続と連携の強化のための方策について、審議を要請したところでございます。
 またこれを踏まえまして、参考資料4にある高大接続特別部会が設置されておりますので、御報告いたします。
 不足等ございましたら、事務局までお申し付けください。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 今、報告がありましたように、今回中央教育審議会の下に、新たに高大接続特別部会が設置されました。そこで大学入試を含めた高大接続の在り方等が議論されるようです。また大学分科会におきましても、引き続き大学教育に関する課題についての審議が続きます。
 恐らく、私たちが今審議をスタートさせている高等学校のコアの問題や、高等学校教育の質保証の審議について、こうした高大接続の特別部会や大学分科会における大学教育に関する審議等々もかなり関係しているところがあると思いますので、この高等学校教育部会における今後の審議におきましても、特別部会と大学分科会と連携しながら、適宜部会同士の意見交換等々も含めてこの高等学校教育部会の審議を深めていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは今日の審議に入っていくわけですけれども、まず最初に今日の審議に関わって、配付資料1、配付資料2について、文部科学省から説明を頂ければと思います。よろしくお願いします。

【篠原外国調査官】
 資料1について説明申し上げます。
 資料1、「諸外国の後期中等教育制度について」、A3の長いもの2枚と、その後に学校系統図があります。ここで取り上げた国、イギリス、フランス、アメリカ、韓国についてでございます。まず学校系統図で、どの辺りのことをまとめたのかということを御説明申し上げます。
 まず、学校系統図1の最初のイギリスです。イギリスは、年齢で見ますと16から18歳、名称で言いますとシックスフォームあるいはシックスフォーム・カレッジ、あるいは継続教育カレッジの大体2年間を対象に考えております。
 二つ目、フランス、次のラインになりますが、年齢的には15から18歳の約3年間で、リセ、職業リセ、あるいは見習い技能者要請センター。リセというのは、普通及び技術リセのことで、普通教育を中心として行うところです。
 次がアメリカです。アメリカは、年齢的には14歳から18歳、4年生ハイスクール、上級ハイスクール、あるいは併設的なハイスクールとなっております。
 次が韓国です。韓国は年齢的には15歳から18歳、約3年間で、普通あるいは一般高等学校、あるいは専門職業高等学校を中心に、課程の一部として置かれています通信の高等学校、あるいは数は極めて少ないのですが、職業訓練に特化した高等技術学校といったところが、大体後期中等教育として想定されるかと考えております。
 では、A3の長い表を簡単に御説明します。後期中等教育について、主に教育内容や方法、そして2枚目は進級や進学制度についてまとめました。順に追って、左側のコラムに沿って説明します。
 1-1の教育目標、四つの国を並べてみますと、後期中等教育に鑑みた場合、想定した場合、教育目標はあると。しかし、イギリスとフランス、アメリカと韓国で少し色合いが異なります。イギリス、フランスはどちらかというと総括的、包括的な教育目標。アメリカ、韓国は、包括的な目標とともに各教科まで下りた達成目標が定められていると考えることができます。
 では、その目標を支える1-2の教育課程の基準のありやなしやですが、我々の考えではフランス、アメリカ、韓国はある、ただしイギリスはないと考えていいだろうと思われます。国が定めるこの教育段階の教育課程基準としては、フランスではバカロレアという資格のための定めがある。アメリカは、各州で作られている教育スタンダードがある。韓国は教育課程基準、学習指導要領に似たものですが、国が定めたものがある。ただし、イギリスはそれに相当して、国が後期中等教育に焦点を当てた形のフレームワークというものは設定していないということです。
 1-3、その教育課程の基準の内容ですが、イギリスはないと言ったのですが、それはどういうことかといいますと、後期中等、シックスフォームという課程が、ほぼ資格を取ることに集約されておりまして、その各資格、ここで主に取り上げていますのはGCE・Aレベルという大学入学資格の基礎資格となるものですが、それについて今、科目別に定められていると考えてよろしいかと思います。
 フランスはバカロレアの種類、コースによってそれぞれ定められております。アメリカは、教育スタンダードによって内容の大綱的な基準と到達目標が。韓国は、教科の構成、教科の目標、あるいは卒業単位数がそこに明示されているという内容になっております。
 では、その教科の構成・時間の配当になりますが、1-4です。イギリスは、したがって科目ごとの勉強ということになりますので、教科の構成もどんな資格を取るのかによって異なりますが、最初に書いてありますようにGCE・Aレベル、あるいはその前提となりますGCE・ASレベルというのが主なもので、数え方にもよりますが、約80科目程度あります。後は応用的なものもあります。あるいは最近ではインターナショナルバカロレアが置かれている学校もあります。
 フランスは、いわゆるバカロレア、後期中等教育段階の修了と、大学入学資格となりますバカロレア資格は、普通バカロレアが3コース、技術バカロレアが8コース、職業バカロレアが75の領域に分かれております。
 アメリカは、教育スタンダードによって大綱的な内容の基準と到達目標は示されておりますが、必修科目、あるいは必要な単位というのは別の形で各州において定められております。
 韓国は、同じ教育課程基準の中で、単位の定めやそこに示されたような教科が示されております。
 2枚目、2-1の修了の基準です。イギリスはGCE・Aレベル、大学の基礎的な入学資格であるGCE・Aレベルの合格ということになると思います。それは、6段階で合格で、そこにまで至らない人は不合格ということになりまして、通常大学進学の場合は3科目程度取得します。
 フランスはバカロレアですからコースごとに取りますが、満点が20点で、合格が10点。それまでに至らないというか、少し短期の形で、短期に取得、修得できる職業資格、代表的なものでCAPがございます。アメリカは州が単位を定めておりますが、20から24単位が大体卒業単位とされております。韓国は204単位で卒業と、これが修了の基本的な基準になっております。
 2-2の進学制度ですが、イギリスの場合はシックスフォーム、日本のちょうど高2、高3に当たるようなところですが、基本的に公の定めはございません。そして、中等学校に併設されている場合が多いこともありまして、自動進級的な傾向が強いかと思います。
 フランスはどういうリセに進むのかということについては、中学校、コレージュにおいて個別の進路指導やあるいは話し合いで決めます。アメリカは、12年間が一つの固まりとして捉えられておりまして、自動進級的に入学ができると。韓国は個別の、個々の学校の入学者を最終的にくじで決めるという平準化地域では基本的に入学者選抜が行われていないと考えることができます。その他の地域は学校ごとで行っています。
 2-3です。では、修了証はどうかといいますと、イギリスの場合は、したがってGCEの場合は、Aレベルの場合は取得、どんな科目を取りましたか、その成績は何ですかと。フランスの場合は、バカロレアでどんなコースで、どんな点で取れましたかということが分ります。アメリカは、ハイスクールの修了証。韓国は、高等学校卒業証が修了証ということになります。
 では、後期中等教育をめぐる周辺の最近の動向ですが、イギリスを見た場合には、コア的な内容かと言われると疑問なのですが、共通的な指導内容としては、伝統的に宗教教育がございます。それから近年、いろいろな呼び方がございますが、今政策的にはファンクショナルスキルズという形で、英語や数的な処理能力やICTが、それからキャリア教育の充実が目指されております。ちなみに2015年までに、18歳までに教育訓練が義務化されます。現在は16歳までですが、今後2年間延びると。ただしこの2年間については、伝統的なフルタイムの義務教育ではなくて、パートタイムも含むということですので、何らかの就労しつつも何らかの訓練や学習を18歳までは受けなさいというふうになります。
 リセは、そのポツの二つ目になりますが、バカロレアの取得率は今7割にまでいっているのですが、実はバカロレアを取得せずにリセを去ってしまう生徒、子供や、大学1年目を終わって2年目に進めない割合が半分近くいるという、こうした状況が、背景としてございまして、リセ改革が進められています。そこでも大きく取り上げられているのが進路指導、進路選択の充実、個別指導の充実です。そうしたコースによって、領域によって勉強していくわけですが、フランスの場合も体育や外国語が全課程で実施、職業課程についてはセーフティー、安全面が必修、それから全体を通じてその文化を学ぶということが、共通的なものとして定められております。
 アメリカは共通的な内容になりますが、一つ目のポツで見ますと、シビックエデュケーションやあるいは健康教育。それから二つ目はサービスラーニングを要件としている州もございます。あるいは教育スタンダードの中では、やはりICT、コンピュータが要件に言及されておりまして、ICTの単位を義務化している州もございます。それから一番最後になりますが、教育スタンダードというものは今、基本的には州単位で作られているのですが、今全州的な動きがございまして、共通基礎スタンダードと訳しておりますが、それについて英語と数学、それから理科、科学についてのスタンダードが開発されています。
 では韓国ですが、韓国は90年代に大きな教育改革が進みまして、ICTそれから英語、それから文化の教育を強化する方針が示されました。また先ほど申しました、最終的にはくじで進学先の高等学校を決める平準化、これが基準になっておりますが、これによって高等学校の水準が均一化されたという一方で、政策的には一定の裁量を持つ高等学校、あるいは特性的な性格を持つ高等学校というものも政策的には導入されております。また教育課程でいいますと、新しい2009年の改訂で、それまでは高等学校は2年生、3年生が単位制、選択制だったのですが、新しい教育課程では高等学校1年から選択制にしてしまうというような方向を打ち出しております。以上です。

【松永企画官】
 生涯学習政策局政策課の松永と申します。資料2に沿って説明をさせていただきます。
 資料2は、「『社会的・職業的自立、社会・職業への円滑な移行に必要な力』について」ということでございまして、平成23年1月に中央教育審議会から答申を頂きました、今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方についての提言について、簡単に説明をさせていただきます。
 表紙の裏、1ページにその答申の提言の主なポイントについてまとめております。一番上の黄色いところでございますが、課題としまして、その右側に幾つか数字が並んでおりますが、若年者の高い失業率、また早期離職率、若年無業者の存在等、こういうことに示されますように、学校から社会・職業への移行や社会的・職業的自立に課題があります。また、これは若者個人の問題ではなく、産業構造の変化、例えば第一次、第二次産業の就業者は減っているが、逆に第三次産業の就業者が増えている、あるいは労働者が高齢化をしているといったような状況、また、非正規の雇用率の増加といったような就業構造の変化など、社会全体を通じた構造的問題だということが指摘をされております。
 そうした中で、企業あるいは経済団体、職能団体、地域社会、もとより学校もそうでございますが、各界が役割を発揮し、一体となった取組が必要とされております。その中で、学校教育は重要な役割を果たすものであり、学校におけるキャリア教育・職業教育の充実が必要ということでございます。
 その基本的な方向性としまして、キャリア教育・職業教育について、その資料にございますように定義付けられております。キャリア教育につきましては、一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通してキャリア発達を促す教育、このキャリア教育につきましては、幼児期の教育から高等教育まで、発達の段階に応じて体系的に実施することが必要であり、また、様々な教育活動を通じて、基礎的・汎用的能力、これについては後ほど詳しく申し上げますが、基礎的・汎用的能力を中心に育成していく必要があるということが述べられております。
 また、その右の職業教育につきましては、定義としましては、一定又は特定の職業に従事するために必要な知識、技能、能力や態度を育てる教育ということでございまして、今後より実践的な職業教育の充実が必要であるということと、職業教育の意義を再評価する必要があるということが述べられております。また、その上で、生涯学習の観点に立ってキャリア形成の支援も必要という指摘がなされております。
 その下に、推進の主なポイントといたしまして、各学校段階ごとに整理をされております。右上の方、高等学校について述べられておりますが、まず高等学校の特に普通科についてでございますが、現在の課題といたしましては、大学1年生に対するアンケートで、高等学校卒業までに職業について意識したことがないという学生が31%程度いるという中で、その進路意識、目的意識の希薄化というものが課題として挙げられております。そうした中で、進路指導の実践の改善・充実、また普通科における職業科目の履修機会の確保などが提言されております。
 またその右、高等学校の専門学科でございますが、現状といたしましては卒業者の約半数が高等教育に進むという現状、また職業が多様化する中、また知識、技能の高度化の中で、長期実習と実践的な教育活動の実施、また実務経験者の登用などが提言されております。
 2ページ目でございますけれども、そもそもこの中央教育審議会での審議の出発点でございます。子供・若者が学校を出た後に社会的・職業的に自立できるようにするためにはどうすればよいのかと。また、先ほど申し上げましたような課題が顕在化しております学校から社会・職業への移行、これをどのようにすれば円滑化していけるのかと。これらのために、学校教育として何をしていかなければならないかというところで、平成20年の中教審への諮問理由説明では、そこに挙げましたように、社会・職業への円滑な移行のために学生・生徒に求められる基礎的・汎用的な能力について、初等中等教育、高等教育、それぞれの段階に即して明らかにするという形で諮問がなされ、先ほど申し上げたような御提言を頂いたということでございます。
 ページをおめくりいただきまして、3ページでございます。そこでこの答申の中では、社会的・職業的自立、社会・職業への円滑な移行に必要な力というものが明示されております。これについては、これまで中教審で提言をされてまいりました生きる力、あるいは大学については学士力というものが提言をされておりますが、そうしたものに含まれるものと考えられるが、キャリア教育・職業教育を進める上で、その要素を具体化して明示することには意義があるということで明示をされております。
 また、その明示についてその考慮すべき事柄としましては、こういった力は学校教育において育成することができる力であるということ。また子供、若者にとって夢や希望、目標を持ち、それらを具体的に行動に移していくことで実現を図ることができるような力であるということ。また、各学校段階、発達の段階にも配慮が必要という前提で整理をされております。
 そのような前提で整理をされたものが下にあります図のとおりでございまして、まず一番下の1というところで、基礎的・基本的な知識・技能。その上に2としまして、点線で囲んだ部分でございますが、基礎的・汎用的能力として四つの力が挙げられております。人間関係形成・社会形成能力、自己理解・自己管理能力、課題対応能力、キャリアプランニング能力、こうしたものが基礎的・汎用的能力として示されております。また3のところ、論理的思考力、創造力、4の意欲・態度、5の勤労観・職業観等の価値観。またその上に、職業に必要な専門的な知識・技能というもの、この六つの力として整理をされております。
 4ページと5ページが、今申し上げました1から6について、もう少し細かく書かれたものでございます。4ページの1番、基礎的・基本的な知識・技能、これは社会に出て生活し、仕事をしていく上でも極めて重要な要素であって、これについては教科を中心とした教育活動を通して中核的に修得されるべきものであるとされています。
 それから2番目の基礎的・汎用的能力、これまた後ほど詳しく申し上げますが、これについては、分野や職種に関わらず、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる能力ということで、これについてキャリア教育がその中心として育成すべきであり、また、様々な教育活動を通して育成されるべきであるということが述べられております。
 その後、3番目でございます。論理的思考力、創造力、これについては物事を論理的に考え、新たな発想などを考え出す力ということでございまして、その二つ下のポツにございますように、後期中等教育の段階では社会を健全に批判するような思考力を養うことにもつながるとされています。これについては、基礎的・基本的な知識・技能や専門的知識・技能の育成と相互に関連させながら育成するものであると述べられております。
 その次、5ページでございます。意欲・態度、これについては生涯にわたって社会で仕事に取り組み、具体的に行動する際に極めて重要な要素と位置付けられておりまして、これについては児童生徒一人一人が様々な学習経験等を通じて、個人の中で時間をかけて自ら形成・確立するものであるとされています。
 その下の勤労観・職業観等の価値観につきましては、個人の内面にあって価値判断の基準となるもの、これについても生徒一人一人が様々な学習経験等を通じて、個人の中で時間をかけて自ら形成・確立するものとされております。
 そして最後の専門的な知識・技能について、どのような仕事・職業であっても、その仕事を遂行するためには一定の専門性が必要ということでございまして、一番下のポツ、専門的な知識・技能は特定の資格が必要な職業等を除けば、これまでは企業内教育・訓練で育成することが中心であったが、今後は学校教育の中でも意識的に育成することが重要であり、職業教育の充実が必要ということが述べられておりまして、これについては職業教育を中核として育成するものであるということでございます。
 その上で6ページでございますが、先ほど来申し上げております基礎的・汎用的能力、これについてキャリア教育で中心的に育成していくと整理されておりますが、この内容について、もう少し細かく書いておりますのが6ページでございます。先ほど申し上げましたように、四つの力が定義付けられておりまして、最初が人間関係形成・社会形成能力については、そこに書かれておりますような力でございまして、その中の具体的な要素としましては、コミュニケーション・スキルでありますとかチームワーク、リーダーシップといったようなものも含まれるということでございます。
 それから自己理解・自己管理能力、これについてはそこに書いてあるとおりでございます。これについては、具体的な要素としましては、例えば自己の動機付け、あるいは忍耐力、ストレスマネジメント、そういったことについても含まれるということでございます。
 その次に課題対応能力、仕事を進める上での様々な課題を発見・分析し、様々な計画を立てて、その課題を処理し、解決することができる力。その中には、情報の理解・選択・処理といったようなものも含まれますし、計画立案、実行力といったようなものも含まれます。
 最後がキャリアプランニング能力でございまして、そこに書いたとおりでございます。
 この四つの力でございますけれども、これらの能力については包括的な能力概念でありまして、これについては必要な要素をできるだけ分りやすく提示する観点から整理をされたものでございまして、これら四つはそれぞれ独立のものということではございませんで、当然相互に関連、依存した関係でございますし、その四つの中で順序というものがあるわけでもございませんし、また全ての学習者がこれらの能力を同じような程度で、また均一に身に付けることを求めるというものでもないというようなことが、注意書きとしまして述べられております。
 その上で、最後の7ページでございます。今まで申し上げました中央教育審議会の答申に基づきまして、基礎的・汎用的能力の育成のポイントということで、これは国立教育政策研究所でまとめられたものからの抜粋でございます。まず四角書きの中でございますが、基礎的・汎用的能力をどのようなまとまりで、どの程度身に付けさせるのかは、学校や地域の特色、専攻分野の特性や子供、若者の発達段階によって異なるとされています。また各学校では、これらの能力を参考にしつつ、それぞれの課題を踏まえて具体の能力を設定し、工夫された教育を通じて達成する必要があるということでございます。
 各学校段階のキャリア発達課題としまして、一番右の高等学校でございますが、高等学校段階は現実的探索・試行と社会的移行準備の時期ということでございまして、例えば自己理解の深化と自己受容、選択基準としての勤労観、職業観の確立、将来設計の立案と社会的移行の準備、進路の現実吟味と試行的参加、こうしたものが高等学校段階でのキャリア発達課題ということで示されております。
 それを基に各高等学校におきましては、これらの課題を踏まえて生徒や地域の実態に即し、学校や学科の特色、またこれまでの取組を生かしながら、今申し上げました基礎的・汎用的能力、それぞれについて具体的な目標を設定して、教育活動を行っていくことが必要であるとまとめております。私からは以上でございます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 この二つの説明については、もしも質問等々があれば、最後に質疑応答、意見交換の時間を設けていますので、そこで一括して出していただければと思います。よろしくお願いします。
 では、これから今日の審議に関わって、二つの報告を準備しております。一つは、前回の会議で事務局から、新しい高等学校の学習指導要領の改訂について御説明があったわけですけれども、この新教育課程の改訂に直接に関わられた安彦委員から、今日は新教育課程の内容を踏まえながら、今後の高等学校教育の在り方について、御報告をお願いしたいと思っています。
 もう一つは、我々の今審議しているコアの問題に関わって、今日は有識者として京都大学の楠見教授をお招きしております。楠見先生は、認知心理学等々が御専門で、特に中でも批判的な思考について研究されている方ですので、そうした批判的な思考の見解を中心にしながら、少しコアに関わる幾つかの論点を御提案頂ければと思っております。
 最初安彦委員から、そして次に楠見教授から、それぞれ20分程度で御報告頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

【安彦部会長代理】
 それでは、私からまず報告させていただきます。あまり時間もありませんので、要点だけ申し上げて、後は質疑応答の時間にいろいろ出していただければと思います。
 私のポイントは、お手元の資料3でまとめてありますが、パワーポイントを見ていただきたいと思います。全体としての主張の一番勘どころと言いますか、それは、私は生涯学習時代における高等学校、あるいは長寿社会に入った今の時代の高等学校教育というものを、もう効率優先の教育ではなくて、今までのように何か促成栽培的な、お尻を叩いて急いで育て上げようというような、そういう発想ではなくて、じっくりと、先ほどのキャリア部会の言葉で言えば、時間をかけて高校生をしっかり育てるという方向、少子化も進んでいますから、本当に一人一人を丁寧に時間をかけて育てるという方向、これを打ち出したいということと、何となく、今の高等学校教育がぼやけていると思っておりまして、高等学校教育の焦点・目的をもっと明確にさせたいということ、これを申し上げたいと思います。
 まず新しい学校教育法の第50条に新たな目的規定がなされ、第51条には目標の規定も3項目挙がっておりますが、自由度は非常に高いものですけれども、それにはやはり基本的に従う教育をする。そこに特に「進路に応じて」という言葉が入ったわけですが、基本的に私は、これはもう進学と就職のみでよいと考えます。進路という言葉については、後でまたこの意味に言及します。
 それから、今後の高等学校教育についての全体を、これまで言われてきた不易と流行という視点で考えていけばいいのではないかと。そして、今までは義務教育がよく問題にされてきたわけですけれども、そこでの子供の学習意欲の問題を考えますと、これはやはり補正・強化する、そういう方向のものでなければいけないと。逆に、今はそれが逆効果を生んでいるような気がします。
 これがその第50条の目的規定及び第51条の目標規定ですが、後で申しますが、第51条の3項目の目標規定、1は義務教育を受けた上での全体的な目標規定で、いわば国家社会の形成者としての自立をうたっていると思います。2点目は、これはむしろ社会における職業的自立とか、そういうことに関わる部分に関係しております。3点目は個性を中心にして、むしろその社会を越え出る、社会を批判的に乗り越えて社会の発展に寄与するという、適応だけではなくて、それを批判的に乗り越えるという部分を言っていると思います。これを受けて、まあ言ってみれば、特に3点目は個性の確立とありますが、個性の面が出ていると思いますが、私は後で申し上げるような方向でいいのではないかと思っています。
 望ましい質保証ということについては、まず最初に学校制度ですが、これは目標規定を見て、併せて自立した人格というものと、質の高いということは個性豊かな、そういう学力という、両方を持ったものが望ましい質なのだと思います。
 制度的には今は6-3-3が行われておりますけれども、再検討していいのではないかと。後で申しますが、今の子供たちの発達の様子から見ますと、4-4-4という、高等学校まで入れたものがいいのですが、今は9年間の義務教育の方が優先されておりまして、学校教育法の第21条の目標規定がこの9年間の目標規定になっており、6-3という区切りは相対的なものになりました。しかし、やはり9という数字だけで見ると、制度改革には少し不十分だなと見ております。
 全体として子供の発達状況に対応しなければいけないことと、高等学校だけ見るのではなくて長期的な発達の観点というのを見なければいけない。その際に私は、今日は細かく申しませんが、「興味・要求の中心の移行による発達段階論」というのを、これは最初は英語で出したものですから英語になっていますが、SINCTと省略しますが、これで見ていけるのではないかと考えます。これは生物学、脳科学、心理学、教育学などを参考にして作ったものですが、そういう観点で見ますと、今の学校制度を簡単には変えられないとすれば、教育課程上の接続関係の部分で一貫したものを作れないだろうかと考えるわけです。
 これは前から私が提言してきたものの構造なのですけれども、大体格子縞のところを、一般に言われるのと少し違うのですけれども、「基礎」とし、それから斜線のところが「基本」とされ、白抜きが「個性」となっておりますが、大体小学校4年生まで、この全体は小学校から高等学校までなのですけれども、1年から4年ぐらいまでが「基礎」を中心、それから小学校の高学年から中学校2年ぐらいまでは「基本」が中心、最後の小学校の高学年辺りから、徐々に配慮しなければいけないのですが、とくに高等学校段階では「個性」を中心にするという、こういう見方であります。それで、4年が大体、後で申しますように望ましいと考えますが、もちろん個人差がありますので、あくまでも一般的なものです。
 そもそも基礎、基本、個性という三つの言葉については、文部科学省がずっと使っておりますけれども、ここでは私の定義であります。やや生物学的なことが前提なのですけれども、「基礎」というのは4-4-4制でとられた場合の、最初の4年が括弧1です。「動物としての基礎」を含む「人間としての基礎」という意味の「基礎」で、生まれてから小3ないし小4ぐらいまでの技能と感覚を指します。とりわけ、身体的な技能は動物と共通の部分が多いですけれども、知的な技能の方は「人間としての基礎」に入ってきます。
 それから「感覚」というのは、「五感」プラス「道徳感覚」、ここでは「人間感覚」となっていますが、さらに「自然感覚」あるいは「社会感覚」というものがある。この時期は、比較的子供たちは大人に対してその「模倣」、あるいは「反復」によってできるだけ大人と同じようになりたいという欲求を持っておりまして、そこに「興味や要求の中心」がある。いろいろなものに興味や要求を持ちますけれども、その中心は何かということを見ていくと、この時期は、最初の段階はこのところにあるだろうということです。
 それから次は、「基本」というところに目が移っていくと、「基本」というのは今度は理屈でありまして、これは私の言葉では、各文化領域、これは各教科等がほぼ重なりますけれども、それの基本であります。これは小学校高学年から中学校までを、一応今の段階では6-3-3を前提にした場合として考えておりますが、これは、この「基本」というのは「概念と方法」です。「概念」というのは理論的な概念で、生まれつき子供が持つ「素朴概念」とは違いますが、当然それを理論化するためには「方法」を同時に身に付けなければいけませんので、これは背中合わせの関係です。そこに「学び方とか研究法、表現法」とありますが、調査や実験や観察や発表等々というのが背中合わせで、初めてこの「基本」というものが身に付いていく。そのときに、子供は一番理屈、つまりいろいろやってみて、それを理論化するというようなことに「興味の中心」があるということです。これが小学校高学年から中卒ぐらいまでということ。
 最後、先ほど申し上げた小学校高学年辺りから今は思春期に入ってきますので、その段階でやはり「個性」をしっかりと正面から見ていってあげなければいけないと思います。ただ「個性」というのは、生まれつきあるものでありますが、御存知のように思春期に入ると自我に目覚めます。したがって、生まれつきの個性とそれ以後の個性とでは違います。つまり、生まれつきのものをいじり始めて自分で変え始めますが、変えようとする変え方も含めて個性的になっていくという意味で、やはり生まれつきのものをそのままというわけにはいかないのが、この思春期以後であります。「個性」は高等学校の段階で一番重視すべきものでありまして、私はこれは、「個人差」という言葉とはっきり心理学では区別されているのですが、教育ではあまり区別がないのが問題だと思っております。
 「個性」というのは個人の質的、主観的、価値的、全体的な特性、独特な物の見方・感じ方・考え方というのは個性的なものだと思いますが、そういうものを通して自分というものが、ちょうど自我の目覚め以降の中心問題になるという方向に行きます。最初は自分というものがよく分らない段階ですので「探る」、自分とは何かを探る段階ですが、徐々に高等学校段階辺りから、自分の能力をどの分野かに専門特化していこうとする。そして、最終的に自己実現を図ろうという方向に行くという。これが大きく4-4-4と切ったときの重点であります。これは非常に単純化して分りやすく申し上げました。
 以上のように、制度上本当はそれが望ましいのですが、取りあえずこれからの話は、今の3年制の高等学校を前提に申し上げます。
 高等学校教育の目的・目標は、先ほど50条、51条で見ましたけれども、基本的に「中等教育」概念を保持していただきたい。「中等教育」概念というのはこの場合、一言で言えば初等・中等・高等という単線型の学校体系の下で、一方ではもちろん、古い意味の中等教育が持っていた大学への準備教育というもの、こういう役割もまあ持ちますけれども、同時にやはり社会へ出ていく中堅の人間の形成というのがあるということで就職にも対応するという、そういう両方の面を持つというのが、ここでいう中等教育概念の保持です。
 その場合に、前期が中学校、後期が高等学校ですが、「自立と個性」というのがキーワードだろうと思う。この点は、先ほどから見てきたとおりです。前期の中学校は、「自立への基礎」作りであります。これは教科として、普通教科の技術家庭科がありますが、職業教科ではありません。後期になりますと、特に職業教育がそうですけれども、職業科は「自立への準備」というのを直接に担います。これが、言ってみれば前期と後期の違いであります。
 それから「個性」に対しては、先ほど申した前期は、自分が何に向いているか分りませんので、言ってみればそれを「探る」時期と考え、これを独自に位置付ける必要がある。同時に後期、高等学校以後ですけれども、これはむしろ、ある程度それを探った後でこの方向でということで、一つに絞ることはありませんけれども、ある程度絞り込んで深めていく、「伸ばしていく」というわけであります。
 主として、それに対応するのが選択教科なのですが、このような形容詞で設置する、あるいは履修する必要があるかと思いますが、「軽く」とか「重く」というのは、「軽い」というのは、間違ってもいい、この時期はまだいろいろやり直しを可能にする、という意味であります。後期になりますと、そう簡単なことではないという、やり直しがきくわけではない、ということを承知でやらなければいけない、ということであります。
 先ほどの「基礎」「基本」と「個性」との関係で言いますと、中学校は義務教育ですから、やはり「基本」教育を主として、「個性」については副次的に扱うと。それで、丸1の国民としての共通基礎教育を一応修了させることと、同時に個性に対しては、選択的な経験を与える必要がある、と思います。いろいろなところで、そういう場があった方がいいということ。高等学校は、今度は「個性」教育を主にし、「基本」を副にするということです。
 ここに「高度な普通教育」という言葉が入ってきますが、これがどういう普通教育かと言えば、先ほどのキャリア教育との絡みで言うと、「専門あるいは職業教育への基礎」を作る部分であって、汎用的な能力の育成、それから先ほど自己の問題が出てきましたが、このころから「人生観とか職業観とか、歴史観とか社会観とか」というものを自分で固めていく時期でありますので、こういうものを「自己形成」させるというのが、高等学校での普通教育の重要な特徴であります。それから「専門教育」の方は、個性、進路に応じて選択的に、専門的・職業的な知識・技能・技術というものを修得させる。そして、これをある程度絞り込んで、伸ばすということが必要です。
 そういう意味で、心身の発達ということを見ますと、これは青年期ですから、心理学でアイデンティティということを言いますが、その自己確立が重要であると思う。この点は先ほどのキャリア教育のところで、自己理解や自己管理能力や自己受容とかいうのがありますが、これをきちんと経験させ、ある意味でそういうゆとりを与えてしっかりと育てていく必要があります。
 個性の探求や伸長というのは、言ってみれば、いずれ自分の専門的な活動あるいは職業的な活動に向けての教育ですけれども、これはまず前半の、アイデンティティの確立、自己確立、自立というのは基礎教育であると思います。これは「専門への基礎」だということ。「国民としての基礎」というのは、これは義務教育で終わってなければいけませんので、高等学校の基礎教育というのは、専門への共通基礎であるということであります。
 それから「コア」のことはまた後で申しますが、基本的に私としてはこれをぐっと絞り込みます。言語・数学系の基礎的知識・技能、国語・数学・外国語、これらの教科は今回学習指導要領の改訂で共通必履修科目を決めましたけれども、ほぼそれを念頭にここに絞り込むということ。この新学習指導要領では、これに加えて特別活動が非常に重要だというふうに入っておりまして、私はこれを入れてもいいかなと思う。これは、あくまでも一つの提案であります。それが基本的に高等学校レベルでの修了としてのコアです。「未来の主権者としての基礎教養」というのは、ある意味でこの二つの部分によって支えられると考えます。
 今回、共通必履修科目の決まった三つの教科について教科書が作られておりますが、非常に厚くなっております。これは中学校の復習レベルの内容から大学進学に必要な内容のもの、つまり非常にレベルの高いものまで広く含めたためで、結局それは各学校で、学校の事情に応じて、単位の上でも、先生方がそこからその内容の一部を選べるようなものにしてあるのであり、全部やらなければならないようになっておりません。ですからこの点は、言ってみればコアについて非常に幅広く用意した上で、各高等学校で高等学校の実情において対応できるようにしたというわけであります。この点は、やはり「課題の整理と検討の視点」として本部会が出したものの示す、選抜制の強いとか強くないとか、大学進学とか、あるいは就職とかという視点とは違った、もう少し心身の発達及び進路というものに基づいて、上のような考えで決めるというものであります。
 校種としては、全体として、私としては今のような普通科、職業科というような高等学校種別を廃止し、全てキャリア教育的な視点を軸にする多様なコースないし選択教科を含む総合制にするという考えです。進学・就職については、そのコース制ないし選択教科目で対応して、例えばIB、つまり国際バカロレアコースなどもこの中に入れてよいと思います。
 進学コースというのは、大学進学の難易によって分けるのではなくて、学問分野別ないし職業分野別という、いわゆる就職の場合でも職業分野別のように、これはドイツのギムナジウムのような考え方を採るべきだと思います。
 選択についてですが、下に書きましたように、質の問題というと、どうしてもレベルの高い教育をしたいというアクセラレーションというか、あるいはアドバンスト・コースを作りたいというような、こういう「難度を上げる方向」ばかりを考えているわけですが、総合制で考えていく、普通科でないものを考えた場合には、このエンリッチメント(豊富化)というカリキュラム上のもう一つの発想があるわけで、この方向で多様に選択教科目やコースを用意する必要があるだろう。基礎的・基本的な知識・技能というのを、いろいろな文脈で、豊富な多様な文化的な文脈、あるいは職業的文脈も入れていいですけれども、その中に位置付けて、それらを活用、汎用する学習活動、そういう中にはこういう作業的なものも入ってくるのですが、そういうものを用意していくということで、選択教科目を、改めてこういう考え方で作り直す必要があるかと思います。
 それから評価ですが、一言で言えば、私は出口を厳格にするということです。社会的な信用が得られるということは、今の段階では出口の問題だろうと思っております。「単位制」をそういう意味では原則にして、「学年制」はそれを副次的に使う。したがって、飛び級、留年というのは、事実上はないと考えるということ。単位が満ちれば3年以下での修了もオーケーであり、逆もしかりであります。単位の修得いかんは個々の科目ごとで行って、結果として何年間在籍したという、いわば学年制ですが、そういうことは問題にしないということ。生徒の自主性重視の、生涯学習時代の高等学校、大学も私は同じだと思っていますが、そういう考えに従うということです。
 国は、現在、設置者ないし校長の判断で行ってよいことになっている単位認定について、今までどちらかというとほとんど任せきりになっていて、各学校はある意味では勝手にと言いますか、自分の判断でできたわけですけれども、今やそれによって信用を失っているところもありますので、何らかの公的な仕組みを作って、その質の保証を担保しなければいけないと思います。
 履修主義という言葉、あるいは修得主義については、細かいことを申し上げられませんが、もともとこれは、私が前に在籍していた名古屋大学の続 (つづき) 有恒さんという教育評価・教育心理学の専門家が使われた用語でして、それ以前にはこの言葉は使われたことはありません。そこで続先生が定義したものは、そこに書きましたように、「被教育者が所定の教育課程をその能力に応じて一定年限履修すればよいのであって、所定の目標を満足させるだけの履修の成果を上げることは求められていない」という考え方。まあ義務教育学校は、こういうあくまでも、この履修主義で行う。履修主義という言葉は評価の原理でありまして、したがって修得主義についても同じ評価の原理であります。その「履修した単位を修得したことを認定する」ということが、69年当時の学習指導要領にも書いてありますが、今でもほとんど同じ文言が書かれておりまして、したがって、この単位の修得、あるいは履修ということについての用語である。「国がその履修科目を決めている、決めていない」という、そういう国の関わり方を指す意味での履修主義とは違う。この点、少し今の高等学校の理解と外れております。私は文部科学省に確かめましたけれども、文部科学省は基本的に、こちらのこの、評価の「原則・原理」であることを認めています。この点、確認しておきます。
 体制の実質化というのは、そういう意味で学年制の廃止、又は軽減という方向で出口を厳密に管理するということですが、評価の仕方についてはむしろ普通科の学校は職業高校や高等専門学校などの評価法から学ぶ必要があるのではないかと思います。後でコアとの関係も言うつもりですが、高等学校修了レベル、あるいは高等学校卒業認定試験がありますけれども、そのレベルと、それから大学進学のレベル、これには高大接続テストが期待されていますが、これとはやはり次元分けしなければいけない。
 あるいは、そうではなくて、大学進学レベルの一律の設定というのはやめて、生徒の志望、自分はこういう大学に行きたいと言ったら、その大学との相互選択でそれぞれ決めればいい、各ケース、ケースごとで決めればいいという方向になるというわけであります。いずれにせよ、その数量的な、今、一点で合格・不合格が決まるというような、こういう方向というのは考え直さなければいけない。
 高等学校修了レベルについては、これは、私がいました早稲田大学の菊地栄治さんのこの本に、ある企業の社長の言葉がありました。これはまとめますと、この五つです。この五つは、基本的に社会性とかコミュニケーション能力とか、実務能力、信用という問題でありまして、それほど高い学力を求めているわけではない。ですから、高等学校の修了ということについては、先ほどのエンリッチメントの発想で、基礎的知識というものをいろいろな領域、分野で活用できるような力を身に付けておくということが、むしろメインになされなければいけないのではないかと思います。大学に行く場合には、これは先ほどの高大接続との関係があるということです。
 あと、教員の問題を一言申し上げたくて入れてありますが、私はこの夏休み、随分高等学校の先生と出会う場があったのですけれども、いろいろな意味で今の先生方の意識については問題を感じています。もちろん、優れた先生も多く、ここに書きましたような教科専門なのですけれども、人生の年長者として、この時期の子供はやはりいろいろな形で人生相談、その他、人格形成に関わる部分についても求めてくるわけですから、それに対する人間的な許容、あるいは社会経験といった面で、いわば生徒のガイドになるような、そういう教師であって欲しいのですが、その辺の積極性が本当にどれほどあるかということが疑われる先生も多い。
 そういう意味で、そういう方向で期待するのですが、特に高等学校の先生というのは意外と「教科書を教える」先生が多くて、「教科書で教える」ということがなかなかできない先生と言いますか、そういう意味では教科書に依存しない、御自身の力量をしっかりと持ったそういう先生であってほしい。そういう意味で、大学進学のプロであること以上の人生の先輩であるということを、もう少し意識していただけるような人であって欲しい。
 希望者全入学については、これは基本的に高校入試を原則として廃止し、事実上定員オーバーの学校は、2番目に書いたようなことをやる必要があるかと思いますが、ただ私は、無償制はいいのですけれども、義務制にはしない方がよい。これはやはり生徒の自主性を尊重するという趣旨で、最初に申し上げた生涯学習的な考えに従うべきではないかと思っております。
 適格者主義については、もう既に報告にもありましたように、もう古いと思います。生涯学習時代ですから、義務教育修了後、何歳で高等学校に入っても、それから何年かけて何歳で出ても、単位制本位で考えるという高等学校でいいと思いますので、この点、やはり「社会的な信用」を第一に考えたいということであります。大学も、基本的には同じだと思います。
 あと共通必修については、ここに二つの視点があります。高等学校として最低限のもの、それから大学が求める、高等学校でこれぐらいはというもの。この二つは、私は基本的に非常に狭く考えて申してきましたけれども、広義の、今は各教科に必履修科目があります。選択的な必履修科目ですが共通に履修ですね、それを一応コアと言ってもいいかもしれません。しかし、これを私は、ここではそうとりません。趣旨としては、これに書きました、一番下にその後の各文化分野、専門分野の学習活動に入る上で必要不可欠な基礎となるものということで、ぐっと絞りたいと思っています。
 大学側が求める場合には、高大接続テストなどで「修得」を求めるということを言ってもいいし、またそれを全国一律に何か求めるような場合には、こういう高大接続テストというようなものを考える、ということになると思います。イギリスの場合には、Aレベルと、今O(オー)とは言わないかもしれませんが、それとに分けています。高等学校修了レベルと、このAレベル、Aレベルは大学へ行く者に対する要求レベルです。
 コアに何を求めるか。知識・技能といった内容を求めるか、能力を求めるか、適性等を求めるのかというのは、東京大学の金子先生も問題にしましたが、この点は今後さらに問題になるかと思います。それによって、教科・科目にするか、コースにするか、一定の教育内容にするかということが決まってきます。
 最後に全体として、誰もが今はもう、大学を越えてグローバルな時代の社会人、職業人になるという、こういう意識をちゃんと生徒に持たせてほしい。そういう意味で、高等学校教育を「個性的な自立」に向けて組み立てて、その実現を支援するという意思を示して欲しいので、「とにかく上の大学に入れ」というような、そういう狭い視点、視野をもう脱皮していただきたい。その際に、3点要望がありますが、この3点についてはやはり私は忘れてほしくないということで、そこに書きました。
 「自立」については、この考えはどんな時代にもありまして、中身は時代によって違いますけれども、これはやはり、中等教育でしっかりと意識されていなければいけない。それから「大人」ということについては、これはニチレイ会長の浦野さんの定義(責任をもって他人の世話ができる人)がとてもポイントを突いているのでいいと思いますが、こういうことについて、やはりしっかりと、教師あるいは保護者は理解しておかなければいけない。「社会人」というのも、これは「社会的な信用」というものが大事だということを、私は特に申し上げてきておりますが、こういうことについても、俗に「世の中いろいろで、考え方、価値観もいろいろですよね」と言うが、そうではないということも、しっかりと押さえて、子供にはやはり「信用」の大切さを求める必要があるかと思います。
 以上で、私の話は取りあえず終わります。ありがとうございました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 それでは引き続き楠見先生、よろしくお願いいたします。

【楠見教授】
 京都大学の楠見です。本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます。
 私の専門は教育認知心理学で、その立場から批判的思考について、全ての生徒が共通して身に付ける能力とは何かという問題に、一つの提言の形で、まず批判的思考の問題、それからジェネリックスキル、学習方略の重要性、そしてどのように教育をしていくのかということについてお話ししたいと思います。
 まず、「はじめに」として、学校教育法の51条「高等学校における教育の目標」の中に、「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養う」というがあります。平成24年6月4日の国家戦略会議に平野文部科学大臣が提出した「社会の期待に応える教育改革の推進」の中では、「社会構造の変化に対応するための初等中等教育システムの改革」の中でも、「考える力(クリティカルシンキング)やコミュニケーション能力等の育成」ということも挙げられています。
 このように「社会の中を生き抜く力」、「考える力(クリティカルシンキング)」ということについては、どのような内容を修得するべきなのか、どのように教育するのか、評価するのか、単位、卒業認定をするのかというのは、未解決の問題が多いということが言えると思います。
 ここで「批判的思考(クリティカルシンキング)」を定義しますと、一つは証拠に基づいて論理的で偏りのない思考のことを言います。特に物事を一面的ではなくて多面的、客観的に捉えること、マイサイド・バイアス(自分の信念が正しいと思ってしまうこと)に陥らずに多角的な視点で物を捉えるということです。
 もう一つは、「批判」と言うと相手を非難するイメージがありますが、相手を非難するということではなくて、自分の思考、あるいは他者の思考も意識的に吟味をする、内省(リフレクション)が大事で、メタ的に一つ上の立場に立って考えることです。こうしたことは、ジェネリックスキル(汎用的なスキル)であって、学業を学ぶ上でも、市民生活でも、またいろいろな仕事の上でも、問いを出す、情報を集める、推論する、行動決定する、問題解決する、そういうステップステップで非常に大事なスキルです。批判のために批判するのではなくて、何らかの目標を達成するために批判をするということが大切です。
 ここは批判的思考の構成要素を挙げましたが、まず何らかの情報が入り、それを明確化して、解釈をする。それから推論の土台となる情報が信頼ができるのか、きちんとした手続を踏んでいるのかという分析をしたり、評価をする。そして、論理的な思考である、帰納する、演繹する、そして価値判断をする。そして最後に、行動決定や問題解決をするというステップになります。ただし、このステップだけではなくて、その背後には論理的に考えようとする、証拠を重視してそれを探究しようとする、客観的、多面的に考えようとする態度、あるいはじっくりと立ち止まって考える態度が非常に大事です。
 ここで、先ほど出てきた「ジェネリックスキル」とは何かということですが、「汎用」と言いますように、様々な学問分野、つまり特定の教科だけではなくて様々な学問分野、市民生活や職業において適用できる技能、つまり転移可能な技能だということです。後から出てくる「コアスキル」、「キイ・コンピテンシー」、あるいは「employable skills」、「社会人基礎力」とか、そういうものと対応する概念ということができます。そして、そのジェネリックスキルの代表的なものとして、批判的思考力、コミュニケーション能力、問題解決力、チームワーク能力、こういったようなものが挙げられていて、学士力の重要な構成要素としても位置付けられています。
 これは、学士力の中でも挙げられている能力ですが、汎用的な技能としてはここの青字で書いたコミュニケーション・スキル、数量的スキル、そして赤字で書いた情報リテラシー、論理的思考力、問題解決力のように、特に赤字の部分は批判的に考えるということが大事になっていて、青字の部分はそのベースになっています。そして、知識、態度・志向性、そして最後の統合的な学習経験や総合的な思考力というものが、これらを活用していくときに大事になってくるわけです。
 学士力は、大学卒業までに学生が身に付けなければならない能力ですが、いきなり大学で身に付けるというよりも、むしろ小中高でどのように育成をしてくるのか、また小中高とどのように分担をして、そしてその内容を高めていくのかが非常に大事な問題になってくると思います。
 ここでもう一つの重要な概念として、特にヨーロッパで使われているコンピテンシー概念があります。「コンピテンシー」というのは、個人が発達させたスキルの集まり、レパートリーであって、そのスキルというのは単なるスキルではなくて、仕事などの特定の課題のパフォーマンスを背後から支えているものだということです。元は心理学の概念ですけれども、このスキルはたくさんあるものではなくて、「キイ・コンピテンシー」とか「ベーシックスキルズ」と言われるように、幾つか主要なものが定義できると考えることができます。
 このDeSeCoプロジェクト、OECDのキイ・コンピテンシーは三つ挙げています。一つは「道具」、この道具は言葉とか知識とかテクノロジーも含んでいますが、そのやりとりの中で活用していくというようなこと、これは次に紹介するPISAのリテラシー概念につながっています。次は、様々な人からなる集団において交流する「ヒューマンスキル」。そして3番目が「自律的な活動」で、自分の生活とか人生に責任を持って、内省、思慮に基づいて行動する。特に経験から学んで、批判的スタンスで考えていくことが、この三つのうちの中核にあるということです。
 それでこの1番目の「道具」の相互的利用に関わるリテラシーは、生徒の学習到達度調査PISAのリテラシー概念に生かされています。これらのリテラシー概念の根本には管理・統合・評価する能力があって、読解リテラシーは書かれたものを理解、利用、熟考する。数学リテラシーは、数学的な根拠に基づいて判断する。科学リテラシーは、証拠に基づいて結論を導く能力というのが重視されていて、批判的思考の概念と重なる部分が非常にたくさんあります。
 これは、読解リテラシーを例に取り上げてみました。レベル4、5段階では批判的に読み取るということが特に大事になっていて、情報アクセスのときに賛否の土台になる事実を見つけたり、隠れた前提を明確化したり、一貫性をチェックしたり、そして基準に基づいて批判的な判断をしたり、信頼性を評価するという、この2番目と3番目のステップが特に大事で、日本の高校1年生の得点を見てみると、2番目のステップ、3番目のステップは1番目の情報の取り出しよりもやや劣るというようなこと。そして、その上位のコントロール方略と言われている、うまく自分の学習や読解をコントロールしていくようなメタ認知、方略というものが大事になってくるということです。
 これはリテラシーを階層的な形で示したものですが、土台に批判的な思考があって、その上に左側の科学的、数学的な理系のリテラシー、そして右側が読解・コミュニケーション系の読解・メディアリテラシー、そしてその上に社会や文化、あるいはそのほかの健康や心理など、私たちの市民生活の中で必要な市民リテラシーがあって、これが市民として必要な、そしてさらに、大学に進んで学問リテラシー、研究リテラシーという最先端の創造的な営みに関わる、技術の開発に関わるのがこの部分だということになると思います。
 もう一つ、21世紀の世界の中でどういう人材が必要かという視点から、21世紀型スキルというのがIT企業を中心としたコミュニティーから出されています。そこで挙げられている四つのスキルというのは、一番上が思考の方法、特に筆頭に批判的思考や問題解決があって、さらに、学習方略、メタ認知という自分自身の認識をうまくコントロールする知識も入っています。それから仕事の能力、コミュニケーションです。それから仕事のツール、ICTリテラシー。そして最後が世界の中で生きる方法というシチズンシップに関わるようなもの。そして最後にコンテント的な内容として、語学、芸術、数学、経済学、科学、地理、歴史、政治などに基づいて批判的に思考し、効果的にコミュニケーションするというようなことを考えています。
 これらのものをまとめてみると、私は四つぐらいにジェネリックスキルが分かれるのではないかと考えています。第一は思考のスキルのグループです。ここでは、PISAの中では読解、科学、数学に分かれていますが、学士力では技能、知識、創造的思考に分かれ、経済産業省の社会人基礎力ではシンキング、に対応しています。21世紀スキルでは思考の方法、そしてマイヤーレポート、オーストラリアのジェネリックスキルの一番基になった考え方では、情報収集し、コミュニケーションし、数学的考えや技術の使用、そして問題解決に分かれています。第二は、21世紀スキルではテクニカルなスキル。第三は、人間関係のチームワークスキル。第四は、自己管理スキル、これは先ほどのキャリアの中にも出てきましたが、自分でキャリアを設計して作っていくというのもここに含めることができます。自己マネジメントスキルということになると思います。
 こちらの方は、お配りした資料にはないのですけれども、ドイツとフランスの義務教育レベルにおいて、指導要領の中の基礎と考えられるものは何かということで示したものですが、第一の思考のスキルの中では、ドイツの場合には事象(知識)と学習の方法のコンピテンシーが入っていて、フランスはフランス語、数学・科学、人文教養というのが入っています。そして第二に、ICT、第三に人間関係、第四に自己管理のスキルが入っていて、この大きな四つのグループはかなり共通性があるのではないかと。そして、そのほかリストの中には挙げられていないけれども、コミュニケーション、あるいは自然とか環境の問題、政治、文化があります。あとは、第二のテクニカル、技能の修得に関わりますが、身体、スポーツ、健康もここに入ってくるのではないかと思います。
 そこで、先ほど挙げたこの学習や方法に関するコンピテンシーやスキルですが、私たちはどうやったら生涯学んでいくことができるような生徒を育てることができるかというときに、自分の学習を上手にコントロールすることが生涯の学習にとって大事なのではないかと考えています。勉強の方法を知らない場合には、やみくもにやって、そしてすぐ忘れてしまうということがよくあると思います。例えば学習をコントロールする方法としては、第一に自分の課題がどれだけ難しくてどれだけ重要なのかを考えること、将来の仕事に結び付くと思うとその重要度を高めることができます。第二に、自分がどれだけ分かっているのかということをうまくチェックする。第三に、どういう方法をとったらいいかを考える。これは将来仕事をする場面でも、こうした仕事のやり方ということを知る上でも非常に大事になってきます。
 つまり、自分自身の能力をうまく把握して、課題の難しさを知って、どういうやり方であれば一番うまくやるかを自覚するということが大事で、これは心理学やっていますので、こういうことに基づいて自分の学習を振り返ったり、学習方略、自分の勉強の仕方に自覚的になるということが重要です。つまり、これは単なる受験テクニックなどの話ではなくて、将来を通じてうまく学んでいくために大事だということです。
 そして、これはPISAの2009年のデータですが、リーディングパフォーマンスに何が効いているかということで、この赤い数字が日本を示しています。これは、標準化された数値で1単位の数値が上がるとどれだけ成績が上がったかということを示します。この中を見てみると、一番重要なのは要約方略の有効性認知です。この場合には、「2ページの難しい文章を読むときに、どういうことが有効だと思いますか」ということを評定してもらっているのですけれども、「大事なところに線を引いて、それを自分の言葉でまとめる」とか、そういうことに関して有効だったと評価していた人ほど、リーディングパフォーマンスが高かった。それから次が読書をすること、楽しさと動機の高さ、そして3番目が社会経済的な背景、両親の学歴です。つまり、これは変えることはできませんが、学習方略は学校で教えることができる、それから読書も学校で習慣付けができる。それによって、リーディングパフォーマンスが上がっていくというようなことができるわけです。
 これは、先生方の資料では少し順序が入れ替わってしまっているのですけれども、「新しい情報を他教科で得た知識と関連付ける」については、日本は「ほとんどしない」や「たまにする」が多いということが分ります。40%が「たまにする」ですね。そして、3枚めくっていただきたいのですけれども、教科を越えた知識の関連付けをほとんどする生徒としない生徒を見てみると、PISAの得点は500点が平均ですけれども、「ほとんどいつもする」のが560と非常に得点が高いと思います。つまり、教科を越えて関連付けが大事だということです。
 それから次は、「自分自身の経験と関連付けることによって,教材をよく理解できるようにしている」については、これは少し前に戻ってもらいますけれども、自己との関連付けは、日本は「ほとんどしない」人が40%と多い。つまり、学校で習うことは学校で習うことで終わってしまっていて、自分の経験と関連付けて教材を理解しようとすることを4割の人がしていないということですね。それで、関連付けをしている人ほどこれも成績が高い。ほとんどいつもしている人は557点。ほとんどしない人は507点でした。今回は国語の例を示しましたけれども、科学でも数学リテラシーでも、自己との関連付けや教科を越えた関連付けをする人が成績が高いということが明らかになっています。
 これらのことを考えて、どのような形で教育すればいいのかということで、幾つか提言をしたいと思います。まず一つはジェネラルアプローチ、汎用アプローチと言われているものです。批判的思考の教育方法と書きましたが、これはジェネリックスキル、コアスキルをどう教えるかということにも関わります。まずは科目を越えた批判的思考のスキルを総合的な学習の時間などで明示的に教えていく方法です。
 それから2番目の方法は、各教科の教育で批判的思考のスキルを明示的に教えるものです。
 3番目の方法は、これは従来の方法と同じですけれども、教科の内容を深く教えるということによって、批判的思考のスキルを明示的に教えなくても生徒は自分で気付いて獲得しているということですね。ただし、3番目の方法の場合には、気付く人もいれば気付かない生徒もいるということで、ばらつきが起こってしまうおそれがあります。
 したがって、大事なのは混合アプローチで、教科の中で教えるとともに教科を越えた形で教えていくというような形。例えば複数の科目を併せたような科目だとか、あるいは総合的な学習の仕方、そういうのが一つ考えられると思います。
 そこで教科の中では、例えば国語の中では批評的な読解、地理歴史では批判的な資料読解、あるいは公民科でも様々な討論を通して自分の考えを批判的に吟味する、あるいは数学では統計グラフの批判的読み取りなど、様々な形で批判的思考のスキルというのは育成できる形があると思います。
 そこで、私がこれから紹介するのは、私が教育の評価に関わっている滋賀県立の膳所高等学校の例です。ここではサイエンスリテラシーとして、中で、批判的思考力を育成し、生きる力のために、課題研究を通して課題発見・探求・プレゼン能力を育成して、国語力・語学力を育成する中で、国語教育の中でも批判的思考の教育を行っています。
 特にここでは総合的学習の「探究」の話をしますけれども、まず第1学期の最初には、個人の探究のスキルということで、問題発見の方法として、100個関心を書き出してKJ法で問題を明確化するとか、批判的思考や探究の手法などを教えます。そして夏休み中に個人レポートを書きます。2学期はそのレポートをグループで輪読して相互に批評して、そしてそこから今度はグループプロジェクトを始めます。そして、3学期の最後にポスター発表するというような、探究のプロジェクトの中で、実際に問題発見をするとか、あるいは多くの文献を読むとか、ディスカッションする、意思決定する、問題解決する、様々な批判的思考に関わるようなスキルをこの中で学習しているわけです。
 これは全校生徒に対して、批判的思考態度の自己評定として、思い込みがないかを考える、多くの証拠を調べるとか、事実と意見を区別するとか、そういうことがどのぐらい当てはまるかを聞いています。「やや当てはまる」や「当てはまる」が1年生、2年生、3年生で増えています。また、他者の意見を自分の言葉でまとめ直す、学んだことを生活や社会に当てはめるなどのスキルも上がっているということが分かると思います。
 これは、1年生、2年生について、要因全体の関係がどうなっているかを見たものです。この数値は、上は1年生、下は2年生で、相互の関連の強さを、ゼロが関係ない、1が非常に関係が強いというような形で、係数で示しています。批判的な思考態度を持つ人ほど批判的な学習スキル(例えば生活や社会に当てはめるとか、本や資料に結び付ける)が高くて、批判的な学習スキルが高いほど探究的な学習のスキル(例えば問いを立てるとか仮説を検証する、レポートをまとめる)が高くなっています。それから科学への興味(科学について知識を得ることは楽しいなど、PISAの生徒質問紙の項目)も上がっています。そして、一番右側の学習コンピテンス(授業がよく分かるとか、授業中積極的に発言する)が高まっています。その下の科学的な自己効力感(これもPISAの項目と同じように、健康記事とか酸性雨とか、そういう記事を読んで理解できる、ということについて答え)も上昇しています。このような形で批判的思考態度を高めると、学習スキル、探求学習のスキルの高まり、効力感が高まるということが明らかになりました。
 以上の事柄をまとめますと、私の提言として挙げるのは、第一に、高校生が身に付けておく最も重要なものは、考える力(批判的思考力)であり、コアなスキルの中核にあるのではないか。そしてこれが、学業でも市民生活でも仕事でも、そうした実践を支えているということです。
 第二に、考えるということと関わりのある問題として、自分の学習の仕方を振り返って考えることが生涯の学習において重要です。学習方略、そのスキルの修得は生涯の学習にとって大事で、また学習成績を向上させるものです。
 第三に、批判的思考の教育は、各教科の中で教えるとともに、総合的な学習の時間の中で明示的、あるいは暗示的に教えるという、両方をミックスしたアプローチが考えられるのではないかということです。
 ありがとうございました。以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、先ほどの安彦委員の御報告と今の楠見教授の御報告、二つをベースにしながら、残り40分程度しかありませんけれども、前回から引き継いで少し意見交換をしてみたいと思います。ただ、せっかく今日、安彦委員と楠見先生の方からまとまった御報告を頂きましたので、何かこの二つの報告に関して御質問とか確かめたいことがあれば、最初にそれを受けたいのですけれども、いかがでしょうか。

【上野委員】
 質問ではないのですけれど。

【小川部会長】
 はい、どうぞ。

【上野委員】
 安彦先生の今日のスライドを、後でコピーして差し支えなければ頂けないでしょうか。皆様方もその方が助かると思いますので。

【小川部会長】
 そうですね。今日配付された資料3の中身とは若干加筆修正されたものでしたので、事務局の方、よろしいですか。よろしくお願いいたします。
 それではなければ、質問を含めて御自由に、どなたからでも御意見を出していただければと思います。いかがでしょうか。
 はい、和田委員、どうぞ。

【和田委員】
 失礼します。お二人の非常に示唆的で参考になる御発表、ありがとうございます。
 まず楠見先生の方ですけれども、せっかく立派な御発表を頂いたのを一言で片付けては申し訳ないのですけれども、要するに学習というか学ぶということを考えると、批判的にとおっしゃっていましたけれども、そういうことが必要で、それが確かに、現在の高校生には欠けているということは間違いないことだと思います。
 孔子の言葉ですけれども、「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し」ですよね。その逆「思いて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あや)うし」ももちろんあるのですが。この言葉自体、高等学校では古典、漢文の中では習うかもしれませんが、漢文、古典を選択していないという者は、知りませんと、僕は漢文を習っていませんからということで済むような時代になっているのではないかなということが、一番の問題だと思います。
 もちろん公民とか、現代社会の中でそういう部分をしっかり教えられる先生もおられるかもしれませんけれども、例えばそういう日本人が伝統的に身に付けてきた儒教教育なども、漢文という教科の中で片付けられてしまっている。また、それを習っても、読み方、返り点の打ち方とか、書き下しの仕方とか一生懸命になっていて、実は「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し」、どうしてそちらが「罔(くら)し」であって、また「思いて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あや)うし」、なぜそちらが「殆(あや)うし」なのかというようなところの理解もしないまま、済んでいるような気がします。
 したがって、既に行われている教育をどのようにして効果的に考える、批判的に考えることにつなげていくかということは、高等学校側として非常に大事な問題ではないかなということを本日発表を聞いて思いました。
 本校のことなのですけれども、実はこの夏休みにNHKのニュースに取り上げられたのですが、THINK NUKE、要するに原発を考えるという、そういうサイトを本校生が中心になって立ち上げました。ここには全国の高校生が原発の在り方について様々な意見を、どちらかの意見を排除するのではなくて、様々な意見をアップできます。必ずしも議論までは行っていないのですけれども。そのサイトにTHINKという言葉を彼らが付けたというのは、まあそれなりに、その生徒たちはそういうことを考えようとしているということの表れだと思っています。
 ただ、そのニュース自体もですね、校長はNHKのニュースを見て初めて知ったというようなことで、本校の体制を如実に表しているかなと思って反省しているところはあるのですけれども。そういうふうにいろいろな問題、社会問題を含めて学校の現場で考えていける材料はいろいろあると思うので、こういうことをコアの一つに是非入れていくべきではないかなと思いました。
 もう一点、安彦先生の御発表でも、一番初めに出ておりました4-4-4制ですね。これは急に言われても、と文部科学省も思われると思いますけれども、何らかの形で4-4-4が急には無理だと、小学校の6をいきなり4というところが無理だとしても、例えば3-3の6を2-4にする、できなくても既に6年一貫教育がかなりの学校で行われているわけですから、まずそういう学校では2-4を積極的に取り入れるとかですね、あるいは場合によっては3-3の枠を取り払って6を自由に展開できるようなカリキュラムというようなことも、是非考えていただきたいなと。
 前から私の持論なのですけれども、現状では6年一貫校と言えども、前期課程3年、後期課程3年の枠に、教育課程の特例はあっても縛られている。これでは、せっかくの一貫制が十分活用できていない部分がありますので、これに対してはやはり6年一貫別カリキュラムというようなものを考えていただければいいのではないかなと思います。そういう中で、高等学校の入試がもし先ほどおっしゃったように無選抜の形で、中高の学校は別としても、事実上中高がつながった状態で教育を受けられるというのであれば、その既に6年間でいろいろ研究されたカリキュラムが、今度は3-3の方にも当然有効に活用できてくるはずですので、是非そういう方向でお考えいただきたいなと思っております。以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうでしょうか。
 はい、上野委員、どうぞ。

【上野委員】
 いろいろ勉強させていただきましてありがとうございました。
 前回の会議のときに、日本の18、9の学生が自分のいいところを前に出して言えないという説明があり,それに対して、日本の文化、奥ゆかしさと言うのでしょうか、それがあるのでしょうというような意見もございましたね。どうも違和感があって、あれこれ考えておりました。それで、今日のこととも関連しますけれども、私たちはずっと大学で、大学の学生を見ておりますけれども、年が上がっていくと自分はここが得意だとか、自分のいいところを明確に言えるようになるんですね。それでさらに、会社へ就職したり、別の意味で社会で活躍している卒業生は、明らかにそれを言えるようになります。それは、そうすると単に奥ゆかしさの問題ではなくて、恐らくそういうことを言えるだけの経験がないのだと思います。
 それで、私たちは理系の分野なのですけれども、いろいろな高等学校からたくさんの生徒が見学に来たり、高大連携の活動で授業を受けに来たりします。そのときに、雑談をすることを非常に楽しみにしておりまして、雑談で私いつもこういうことを聞くんです。例えば「この間の日曜日に、君、朝起きて何したか教えてくれる?」って聞くんです。土曜日もそうですね。大体点と線ですね、経験が。学校と往復しているだけです。「ほかにどこか行ったことがあるかい?」ということも聞くんです。例えば夏休みなんかに。それもほとんどないんですね。
 以前はもっとあったのです。何を言っているかと言いますと、ほとんど経験しないのです、いろいろなことを。すなわち、トータルアクティビティーが極めて下がっています。そのために、大学へ入った後、もしくは会社へ就職した後は、いろいろな経験をどんどんするんですね。そうすると、自分自身が分かってきて、自分はこうだ、自分はここが得意だ、自分は役に立つ人間だ、自分はすごいのだということを言えるようになるんですね。多分皆さん方もそういう経験をされているのではないでしょうか。
 ということは、できるだけそういうことを、例えば高等学校のコアの教育をするときに、早くそれを経験させるということがない限り、恐らく職業的な自覚といった問題とか、キャリアの問題を早く高校生に気付いていただく教育、という言い方をしましょうか、教育することができないのではないだろうかと思います。
 そういうふうなことを何とかカリキュラムの中で工夫して取り込むことが望ましいと思います。最初は、総合学習の時間がそういうことに向けられるのではないかと思っていたのですけれども、やはり点と線だけの経験を毎日するという生徒が大多数なんですね。それで、何とかそういうふうなことを踏まえて、少し考えていっていただければと思っております。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうでしょうか。
 はい、荒瀬委員。

【荒瀬委員】
 ありがとうございます。
 安彦先生のお話について二つ申し上げたいことがあります。一つは今、和田委員もおっしゃいましたが、4年-4年-4年というのは大変インパクトの大きなお話だということです。ただ、現在9年、6-3-3制であるから難しいということではありますけれども、これを実は難しくしているのは、教育委員会制度との関わりというのが大きいのではないかなと思います。
 私がおります京都市教育委員会は、高等学校を設置していまして、ですから高等学校教育と中学校教育と小学校教育をトータルで考えることができます。ただ、圧倒的多数の公立高等学校というのは、都道府県教委が設置していますから、高等学校教育と義務教育との間というのが、なかなかつながりにくいのではないかなということを感じます。
 現在、京都市は中学校教育についていろいろと考えております。全国学力・学習状況調査の結果が出ましたが、そんなに高くない。だから、次回に向けて前年度の問題を練習して、とにかく点数だけ高くすればいいかというと、そんなことは決してないわけでありまして、学力をどうして上げていくのかということをあれこれと考えているわけです。それを、実は中等教育という枠でもって考えようとしています。中学校の校長会と高等学校の校長会が一緒になって考えられないかと。
 その中では、当然いろいろな意見が中学校から出てきまして、例えば現在のような知識を問うだけの高校入試を変えるべきだというふうな意見もあります。
 一方で、高等学校の進学率がこれだけ高いと、当然のことながらセーフティーネットということも考えなければなりません。独自入試をどんどん入れると、セーフティーネットを利かすことは制約を受けるということにもなります。したがって、その辺りは乗り越えなければならない課題がたくさんあるのですが、学力向上について多面的に考えています。
 また、中学校から高等学校への進路指導について。いつとはまだ決まっておりませんが、非常に近い将来、京都府の公立高等学校の入試制度が大きく変わることになります。それに伴いまして、これまでは、京都市・乙訓地域では、総合選抜をやっていたのですけれども、それを変更するという方向が議論されてきています。そうなりますと、どこの高等学校を受験して、どういう高等学校で学ぶかということを中学生が考えなければなりませんし、それに対して当然進路指導が正しく行われなければならないということになります。従いまして、進路指導についても、これまでと大きく違ってくるので考えようということが、今中高の校長会の中で話題として取り上げられています。
 もう一点、高等学校からそのまま社会に出るという人もいますし、当然大学に行く人もいるわけでして、キャリア教育という観点で中等教育を考えていこうということを考えています。ですから、中学校教育と高等学校教育と、なかなかその間の入試というのは難しい課題はありますけれども、学校段階サイドからの教育ということよりも、一人一人の生徒が学んで力を付けて将来社会に出ていくという、そういう観点でもってどんな力を中学校、高等学校は共に手を携えて付けていかなければならないのか、というふうなことを考えるようになってきています。
 そういうことが、枠組みとして割合簡単にできるのは、京都市教育委員会が中学校と高等学校の両方を設置しているからです。そうでないところは、市町村教委と都道府県教委とが様々な形でもっと話し合うと言うのでしょうか、お互いに情報を交流しながら進めていかないと、中学校と高等学校の間で切れてしまっている、小学校を含めた初等中等教育の連続性が担保できないという状況になってしまうのではないかと危惧します。そうなりますと、高等学校教育において、すぐ付けられるはずのない力を、言わば高等学校だけで付けなければならないというような大きな課題に直面するのではないか、ということを思ってお聞きしておりました。
 もう一つ、楠見先生のお話で、私が心配いたしますのは、膳所高等学校の例をお出しになったという点です。膳所高等学校は、滋賀県のいわゆるトップの進学校でありまして、そうなりますと、やはりトップの進学校だからそういう正の相関があるのではないかというように思われないかなということを心配しております。
 膳所高等学校とは、私が3月までおりました堀川高等学校は大変深く関わりを持っております。年に2回、校長や教員が授業を見合って、それからお互いに生徒に教え込むのではなくて、生徒が発信するような授業というのはどうしていったらいいかということで勉強会をやっております。
 そういうことからも申し上げますと、単純に入学段階の成績が必ずしも高くない生徒であっても、また高い生徒であっても、先ほど楠見先生がおっしゃいました教科を越えた関連付けであるとか、自己との関連付けをする生徒というのは、確かに意識的に学習に対する意欲を付けていくという傾向があるというのを、私たちも経験的に知っております。ですから、膳所高等学校だからできるのではない。私は、どこの学校でもできると思っています。
 長くなって申し訳ないのですが、大学に合格した生徒たちの特徴と言いましょうか、大学院も含めて自分の希望進路を成就した生徒は、自分の思いや行動を言語化できる、今日は面白かったなではなくて、なぜ面白かったかとか、なぜ面白くなかったかとか、そうしたことを言語化できる生徒であるとか、あるいは自分の弱点を知って、その弱点に対して取り組もうとする生徒であるとか、あるいは将来についての展望を持っている人たちは、進路決定、大学のみならず大学を出てからの進路決定ということも含めて、割合スムーズに行っているという傾向があるように思います。
 ですから、先ほど楠見先生がおっしゃいました教科を越えた関連付けや、自己との関連付けといったようなことは、総合的な学習の時間でもっともっとやればいいと思うのです。それをやっていると大学に合格できないみたいなところが、高等学校には少なからずあるのではないでしょうか。しかし、大学合格ということだけを考えても、はるかにその関連付けをした方が受かるし、またその力は大学入学後にも卒業にも必要な力で、そのことを考えたら、そういった取組を高等学校段階で是非やった方がいいと思います。話を元に戻しますが、しかしそれは高等学校だけで急にできるものではありませんので、中等教育というくくりでもって考えていく。もっと言えば、小学校教育も含めてなのでしょうけれども、連続的にやっていくということが大事だということを、お話を伺って思いました。以上です。

【小川部会長】
 どうもありがとうございました。
 楠見先生、今の荒瀬委員の発言に関わって、何か先生の方から追加の問題がありますか。

【楠見教授】
 従来の学校教育は、それぞれの教科内容を教え、それを修得させるというようなことをかなり強調していて、それが成果を上げてきたということはあると思います。そういう意味では、今後は教科を越えた思考力、あるいはそのほかの例えば態度、自分自身の未来を決定していく力とか、そういう力を育成するように、各教科の中で、また教科を越えた中で教えていくことができるようにするのが、今の荒瀬先生のコメントを受けた形での今後の一つの方向性なのではないかと思いました。

【小川部会長】
 前回から、高等学校で生徒にどんな能力を身に付けさせるか、コアに関わるいろいろな論点をいろいろな方から出してもらっています。今回ももう少し皆さんの方から、そうした身に付けるべき能力とかコアの考え方について、こういうふうな考え方があるのではないか、こういうアプローチがあるのではないかということを出していただければと思います。
 それで、このテーマに関わって、皆さんの方から出していただいた意見を集約して、次回以降から論点をより明確にして、その論点に則して更に深めた議論をしていきたいと思っていますので、今日はともかく今言っているような身に付けるべき能力、コアの考え方等々について、皆さんから御自由に意見を頂きたいと思っています。
 アキレス委員、どうぞ。

【アキレス委員】
 ありがとうございます。
 本日の楠見先生の「批判的思考」のお話を伺っておりまして、前回、私がコアのところで挙げた「論理的思考」に近いなと思いました。「批判的思考」クリティカルシンキングに関してはポイントが三つあります。1点目は、まず問題意識を持つ。なぜそうなっているのかと深く考えるということです。2点目は、多面的な考え方、思考の広がりですね。今日見せていただいた資料の中でも、教科を越えた関連付けというのが重要であるという御指摘がありました。いろいろな角度から複眼的に物事を捉えることが有効だと思います。3点目は、この結果何が起きるか予測して先を見ること。この三つがあって、初めて論理的に考えをまとめることができます。加えてコミュニケーション・スキルを身に付けることによって自分の考えを分かりやすく他の人に説明できることが重要です。
 これは、グローバル化を踏まえて必要なスキルですし、社会人になって入社してくる皆さんを見ていても、もう少し強化して欲しいなと思うところでもあります。
 一方で、この「批判的思考」というのはある意味問題提起をするわけですから、どちらかと言うと日本人には苦手なところでもあると思います。アメリカの教育ですと、小中学校でもディベートという形で議論します。例えばテーマは「死刑は絶対廃止すべきであるとか、いや、存続すべきである」と。それぞれ自分の意見は横に置き、自分がもし賛成側になったら、あくまで賛成で主張を論理的に組み立てていく、反対側になったら反対に組み立てていく。その上で賛否両論を戦わせます。これは物事を客観的にとらえ、論理的に反論することを学ぶ良い機会になります。
 それから安彦先生のお話の中にも、やはり教える側、教師の皆さんが生徒のモデルであるという点は、全くそのとおりだと思います。教える側の皆さんも「批判的思考」を理解し実践する必要があるのではないかという感想を持ちました。この点について、楠見先生はどのようなお考えをお持ちでしょうか。

【小川部会長】
 では、お願いします。

【楠見教授】
 やはり今までの学校教育では答えが一つの問題、正解が一つになる問題に関して、ある意味ではその問題解決に習熟し、また正しい答えを的確に導くということを教育していましたけれども、答えが一つでない問題って、この世の中にたくさんありますし、そういうような問題を積極的に、例えば授業で取り上げて、そしてみんなで議論する。そして、必ずしもどちらかに決めるということではなくて、様々な意見の中で少数意見を取り込みながら、みんなでうまい解決策を考えていくような授業の実践なども必要ではないかと思います。
 そのためには、そうしたために、教員がある意味ではいろいろな、例えば両方の意見の資料を収集するとか、あるいは必ずしも正しいとは言えないようなこと、確信がないような教材も取り上げなければならないという難しさもあるとは思いますけれども、しかしそういうような形で実践を積み上げていくことによって、例えば死刑制度の是非だとか、様々なそうしたある種のコントロバーシャルな、論争的な課題というのももっともっと授業で取り上げて議論するというようなことを作ることが、批判的思考力とか、問題解決力を高めていくというようなことになるのではないかと私自身は考えています。

【小川部会長】
 アキレス委員、よろしいですか。

【アキレス委員】
 学習指導要領の中に入っているかどうかは別として、やはり手法のところで今おっしゃっていただいたような、本当に考えさせるやり方というのは、もっと取り入れていって欲しいと思います。ありがとうございました。

【小川部会長】
 残りそれほど時間がないのですけれども、ほかにどうでしょう。
 眞砂委員、小林委員ということでお願いします。

【眞砂委員】
 ありがとうございます。文部科学省からの報告も含めて、今日の四つの発表、非常にためになりました。今まで自分が考えていたもやもやしたことが、かなりすっきりしたかなという気がしています。
 安彦委員、前からいろいろな発言をされて、とてもいいことがあったのですけれども、今日まとめて教えていただいたような感覚がすごくあります。
 そういったものを、どういうふうに現場につなげていくかということが一番大切なのだと思いますけれども、これも前からぼんやりと思っていたことなのですけれども、今の話をずっと聞いていて、それから安彦委員が最初に言われた効率優先ではない、時間をかけて一人一人を大切にするような勉強ということを考えますと、例えば高等学校にゼミのようなものを持ち込んだら、今まで言われていたことが非常にうまくできるのではないかなと思います。
 高等学校の先生たちは教科書を教えている、確かにそうなってしまっているような、多分大学入試がそうであったり、学習指導要領がそれをやらなければいけないものがたくさんありますから、どうしてもそうなるのですけれども、それをある程度枠を自由にして、先生もゼミの中で生徒と磨かれるみたいな形で先生の力も付いていくような気がします。今の先生は教え込むということを、やはりどうしてもそういう傾向で来ているので、ゼミのような形で生徒と一緒に学び合うという、先生だけが正しいのではない、答えはいっぱいあるというようなことをやってみたら面白いかなと、今日の発表から考えさせられました。ありがとうございます。

【小川部会長】
 小林委員。

【小林委員】
 コアの問題でずっと議論してきましたけれども、この高等学校教育部会で話していいかどうか分らないのですが、国家戦略で日本はどうするんだというのが、まだ私見えていないのでなかなか発言できなかったのですけれども、今この高等学校教育部会で話されている内容は、次の学習指導要領の改訂に大きな影響を与えるということです。来年、25年度は今皆さんの机に置いてあるこの学習指導要領の完全実施ですから、それから10年後、ですから平成35年ぐらいから、また新たな学習指導要領につながっていくのだと思うんですね。そうすると、この35年までの日本はどんな国で過ごしていて、その先どんな国でこの豊かな国を支えていくのかというのが、私がやはり高等学校教育の中でも議論されるべきだろうと思っています。そうすると、ものづくり国家で生きているこの日本で、ものづくりについて何も議論がされていない現実は本当にいいのかどうか。
 それから、批判的思考について楠見先生がおっしゃいましたけれども、私は子供たちがいろいろなものを体験し、失敗を繰り返して、その失敗の中から自分で創意工夫をこさえながら徐々に批判的思考、あるいは段階を追った成長ができていくのだと思うんですね。ところが、前からもお話ししているように、義務教育の中学校段階では技術家庭科の時間数が極端に減ってしまいました。ものづくりの楽しさを教えていただいていません。それから高等学校でも、普通高校が7割ですから、その中では技術科がありませんので、ものづくりについてのきちんとした体系的な学習が行われていません。
 そうしますと、私はこの高等学校教育部会の中でやはりもう一回、ものづくりということについての議論をどこかで集中的にやっていただければありがたいかなと思っています。以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうでしょうか。
 では、長塚委員どうぞ。

【長塚委員】
 コアの考え方を中心に、質の保証と併せて議論を始めているわけですけれども、中学3年生の全国学力調査の結果などを見ますと、知識力も活用力も、その平均値だけが随分気にされているわけですけれども、その学力は実は非常に広範囲に分布していて、よくできる者から全くできない者まで均等にいるぐらいに分布しています。
 それがそのまま高等学校に進学してきている実態がありますので、その中でコアをどうするかというときに、コアは必然的に基礎、基本科目をベースに考えるということに多分なるのだろうと思うのですけれども、その実態を踏まえてどうやって高等学校で引き上げていくのか、固めていくのか、もう少し実証的な検討が必要ではないでしょうか。せっかく学力調査のような結果があるのですから、そういうものを基に、もっと現実的に具体的に、この後検討していく必要があるのではないかということを、一点感じます。
 そういう中で、安彦先生から今日お話しいただいた修得主義に変わっていくということは、ある意味当然なのだろうと、質の保証をするということはそういうことなのだろうと思います。また、生徒が学ぶ意欲を失っているのではないかということは、学校の教育現場でも随分懸念されていたわけですけれども、生徒たちが一定のところを必ず修得するように目指していくようになるということは、まずは質の保証のコアとして大事なのではないかと思います。それが、卒業要件かどうかというのは現状では難しいのだろうと思いますけれども、その質を自分なりに努力して修得したということを認証するような仕組みがなければ、これは努力しないだろうとも思います。
 冒頭に各国の状況をお話しいただきましたけれども、やはりきちんとしたそういう質の保証を認証する、そういう仕組みがなければ、現状ではコアの問題は単なる抽象論で終わってしまうのではないかなという気がいたします。特に高等学校が修得主義というよりも、本来は大学こそが修得主義であるべきであって、大学入試の方ももっときちんとした入試の仕方をしなくてはいけないし、それよりも入るのは容易であっても、入ってからの修得のさせ方、ここがやはり他国に比べて問題ではないでしょうか。例えばアメリカなどでは、大学を卒業できない者の割合が非常に多いわけです。そのように、まず高等教育機関は修得するハードルがきちんとしている必要があります。だから高等学校でもこれだけの勉強をしなければいけない、大学に向かう者はこれだけ必要だと、そういうふうに認識されていくのであって、そこが基本的に現在は崩れているのではないかということを強く感じます。
 ここは高大接続の新たな部会などで、是非論議していただきたいところでございます。以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうでしょうか。
 よろしいでしょうか。
 前回と今回、高校生に身に付けさせるべき能力とは何か、またコアとは何かというようなことで、皆さんからの御意見を伺ってきました。前回と今回で出されたものを少し整理して、次回は少しこのテーマに関わって、論点をもう少し明確にした上で、その論点を深めていくというようなことをしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 では、皆さんの方から何かなければ、これで終わりたいと思うのですけれども、よろしいでしょうか。
 では、次回の報告をよろしくお願いします。

【小谷教育制度改革室長】
 次回でございますが、資料6でお配りしております。10月9日火曜日、13時から15時、千代田区一ツ橋にございます学術総合センターで開催させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 次回は、場所は文部科学省のビルではなくて、神田の学術総合センターということですので、また御案内は改めてお知らせするかと思いますので、よろしくお願いいたします。
 これで終わりたいと思います。ありがとうございました。

―― 了 ――

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