高等学校教育部会(第11回) 議事録

1.日時

平成24年8月10日(木曜日)13時~15時

2.場所

文部科学省庁舎3階 特別会議室1

3.議題

  1. 高等学校教育の在り方について
  2. その他

4.議事録

【小川部会長】
 定刻になりましたので、ただいまから高等学校教育部会第11回目を開催したいと思います。委員の皆様には、お暑い中、またお忙しい中、御出席いただきましてありがとうございました。
 まず審議に入る前に、前回の部会以降、文部科学省で人事異動があったということですので、事務局の方から報告をお願いいたします。

【小谷教育制度改革室長】
 それでは、8月1日付でございました文部科学省の人事異動について御報告を申し上げます。新たに就任いたしました者について、御紹介をさせていただきます。
 大臣官房審議官(初等中等教育局担当)の高橋でございます。

【高橋審議官】
 高橋でございます。よろしくお願いいたします。

【小谷教育制度改革室長】
 初等中等教育局主任視学官、高校教育改革担当の望月でございます。

【望月主任視学官】
 望月でございます。よろしくお願いいたします。

【小谷教育制度改革室長】
 以上でございます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 それでは、今日の配付資料について、まず事務局からお願いいたします。

【小谷教育制度改革室長】
 本日の配付資料につきましては、資料1から資料7まで、そのうち資料4につきましては、金子委員より御提出いただきました資料となっております。更に参考資料といたしまして、安西委員の方から、教育の状況だけではなくて、広く社会の状況についても参考となる議論を、という御指摘もございましたので、参考資料として、昨年6月に配布されました教育振興基本計画部会(第4回)の資料をお配りしております。更に名簿の方を配付させていただいております。
 不足等ございましたら事務局までお申し付けください。

【小川部会長】
 配付資料の件、よろしいでしょうか。
 それでは、これから議事に入りたいと思います。
 前回まで、皆さんに御審議いただきました課題の整理と検討の視点につきましては、前回も様々御意見をいただきました。それを踏まえて修正させていただきまして、事前にそれはメールで送付させていただいております。
 今日、皆さんのお手元には、訂正で朱を入れたものと反映版、2種類配付されているかと思いますので、一応これは皆さんの御確認をいただいたということで、この課題の整理と検討の視点については、ひとまず前回で終了というようなことにさせていただき、今日からは個別の論点について議論を進めていきたいと思います。
 おおよその今後のスケジュールですけれども、年内にこれから高等学校教育の在り方を考えていく前提である二つの論点、一つは今日からスタートする、高等学校教育において全ての生徒に最低限修得させるべきものは何か、いわゆるコアに関わる議論と、もう一点は、高等学校の質保証の在り方について、この二つをできれば年内に検討を進め、ある程度の方向性をこの部会で確認できればと思っています。
 それを踏まえた上で、来年からは各種の施策の振興方策に関して議論を進めていければと思っております。一応そういう大まかなスケジュールで、これからこの高等学校教育部会を運営させていただければと思います。よろしくお願いいたします。
 では、今日の議題であります、いわゆるコアの議論に入っていきたいと思いますけれども、まず事務局の方から、今日の審議に関わる関係資料の説明をお願いできればと思います。よろしくお願いします。

【大金教育課程企画室長】
 私の方からは、資料2でございますけれども、平成25年度の入学生から年次進行で実施されます高等学校の新しい学習指導要領の改訂のポイント等を説明させていただければと思います。
 資料2の2ページを御覧いただければと思います。今回の学習指導要領改訂の基本的な考え方でございますが、第1に、今回の改訂におきましては、これまでの理念を継承し、教育基本法の改正などを踏まえ、「生きる力」を育成することを基本理念としております。
 そして、基本的な考え方の2点目といたしましては、学校教育法の改正により明記されました学力の重要な要素でございます、知識・技能の習得と、思考力、判断力、表現力等の育成のバランスを重視するということがございます。
 そして、3点目といたしましては、道徳教育や体育などの充実により、豊かな心や健やかな体を育成することがございます。このようなことを基本的な考え方として、今回の学習指導要領の改訂は行われております。
 次に、3ページを御覧いただければと思います。高等学校の学習指導要領におきましては、卒業までに修得させる単位数や、全ての生徒に履修させる必履修科目、全日制の課程における週当たりの授業時数など、教育課程の基本的な枠組みについて規定しております。
 3ページ以降は、今回の改訂における、そうした教育課程の基本的な枠組みのポイントにつきまして、まとめさせていただいているものでございます。
 3ページでは、ポイントを4点ほど箇条書き形式でまとめさせていただいておりますが、そのそれぞれにつきまして、4ページ以降で説明をさせていただいております。
 4ページを御覧いただければと思います。まず、卒業までに修得させる単位数についてでございますが、これにつきましては、多くの定時制課程や通信制課程におきまして、卒業までに修得させる単位数を74単位としている現状を考慮し、国が示す最低基準といたしましては、現行の学習指導要領と同様に74単位とさせていただいているところでございます。
 なお、単位につきましては、1単位時間を50分とし、35単位時間の授業を1単位として計算することを標準としておりますが、授業の1単位時間の運用、つまり日常の授業の1コマを何分にするかにつきましては、各学校において各教科・科目等の授業時数を確保しつつ、生徒の実態及び各教科・科目等の特質を考慮して、適切に定めることとされております。
 次に、5ページを御覧いただければと思います。5ページは必履修科目の関係でございます。現行の学習指導要領におきましては、必履修科目につきましては、生徒の実態の多様化に応じて教育課程を柔軟に編成することを可能とするため、保健体育科を除き、必履修科目を同一教科の複数の科目の中から選択することができる選択必履修という仕組みになっております。現行の学習指導要領では、必履修科目の最低単位数は31単位でございます。
 今回の学習指導要領の改訂に当たり、中央教育審議会では、必履修科目の在り方について御議論いただきまして、5ページの一つ目の丸にございますように、「必履修科目の在り方については、高校生に必要最低限な知識・技能と教養の幅を確保するという必履修科目の趣旨(共通性)と、学校の創意工夫を生かすための裁量や生徒の選択の幅の拡大(多様性)とのバランスを図る必要がある」とされたところでございます。
 このような考え方を踏まえて、中教審の答申では、学習の基盤であり、広い意味での言語を活用する能力とも言うべき力を高める国語、数学、外国語については、現行の学習指導要領では選択必履修となっているが、義務教育の成果を踏まえ、全ての高校生が共通に履修する共通必履修科目を置く必要がある、とされまして、国語、数学、外国語につきましては、学習内容の共通性を高める方向性につきまして、御提言をいただいたところでございます。
 このため、今回の改訂に当たりましては、国語総合、数学1(ローマ数字)、コミュニケーション英語1(ローマ数字)を、全ての高校生が共通に履修する共通必履修科目として設定したところでございます。
 そして、中教審の答申を踏まえまして、地理歴史、公民、理科といった知識・技能の定着やそれらを活用する学習活動を重視する教科につきましては、現行どおり選択必履修といたしまして、保健体育、芸術、家庭につきましては、現行の必履修科目の枠組みを維持しているところでございます。
 新しい学習指導要領における必履修科目の最低単位数につきましては、高等学校で学ぶ生徒は極めて多様であることから、生徒の多様な興味・関心や進路に応じた教育を受けることができるよう、必要最小限にとどめることといたしまして、現行の学習指導要領と同様、31単位としているところでございます。
 6ページを御覧いただければと思います。ただいま申し上げましたような考え方を基に、新しい学習指導要領において設定した、各学校に共通する教科・科目等及びその標準単位数、必履修科目を6ページの表にまとめてございます。左側に「改訂後」、右側に「現行」という対照の形でここでは整理をさせていただいております。
 科目に、オレンジ色の印を付けておりますのが、国語総合、数学1(ローマ数字)、コミュニケーション英語1(ローマ数字)でございますけれども、それが全ての高校生が共通に履修する共通必履修科目でございます。そして、その他の教科につきましては、保健体育科を除き、選択必履修となっているところでございます。
 例えば改訂後の地理歴史で申し上げますと、必履修科目の欄を御覧いただければと思いますが、世界史A及び世界史Bのうちから1科目と、日本史A、日本史B、地理A、地理Bのうちから1科目というように、必履修科目の設定を複数の科目の中から選択的にできるようになっているところでございます。
 次に、7ページを御覧いただければと思います。7ページは、週当たりの授業時数の関係でございます。現行の指導要領では、週当たりの授業時数につきまして、「30単位時間を標準」ということが規定されているところでございます。これはあくまで標準を示したものでございますので、現行の指導要領におきましても、30単位時間以上の授業時数を設定することは、生徒の負担が過重とならない範囲で許容されているところでございます。
 しかし、今回の改訂に当たりまして、「各教科・科目において、基礎的・基本的な知識・技能の定着や知識・技能を活用する学習活動を行う上で必要な授業時数を確保するため、引き続き30単位時間を標準とした上で、各高等学校の工夫により、30単位時間を超えて授業を行うことが可能であることを明確にする必要がある」ということを御提言いただいたところでございます。
 そのため、答申を踏まえ、新しい学習指導要領におきましては、7ページの下にございますように、「必要がある場合には、これを増加することができる」旨を規定しまして、標準である30単位時間を超えて授業を行うことができることを明確化したところでございます。
 8ページを御覧いただければと思います。今回の学習指導要領の改訂におきましては、学校や生徒の実態に応じて、義務教育段階の学習内容の確実な定着を図るための学習機会を設けることを促進する規定を、「教育課程の編成・実施に当たって配慮すべき事項」として、新たに設けたところでございます。これまでも義務教育段階での学習内容の確実な定着を必要とする生徒に対しては、学校現場におきまして、様々な工夫を行って対応していただいているところでございますが、これまでは、学習指導要領上では、必ずしも高等学校の役割として明示されておりませんでした。
 しかし、今回の改訂に当たり、中教審の答申においては、各教科・科目において、義務教育と高等学校との間の系統性を重視した円滑な接続を図ることを重視し、また、生徒の実態に応じて、共通必履修科目を履修させる前に、より基礎的な内容の科目を履修させるといった教育課程上の工夫を促す必要があること、高等学校においては必要に応じ、義務教育段階で身に付けるべき国民としての素養である基礎・基本を補いながら、高等学校段階の学習に円滑に移行することを重視する必要があること、といったことにつきまして、御提言をいただいたところでございます。
 このようなことを踏まえまして、新しい学習指導要領におきましては、8ページの下にございますように、学校や生徒の実態等に応じ、必要がある場合には、例えば、各教科・科目の指導に当たり、義務教育段階での学習内容の確実な定着を図るための学習機会を設けることや、義務教育段階での学習内容の確実な定着を図りながら、必履修教科・科目の内容を十分に習得させることができるよう、その単位数を標準単位数の標準の限度を超えて増加して配当することなどの工夫を行い、義務教育段階での学習内容の確実な定着を図るようにする旨の規定を新たに設け、高等学校段階の学習に円滑に移行できるようにすることを重視したものでございます。
 最後に9ページでございますが、今回の改訂における教育内容の主な改善事項をまとめさせていただいております。そこにございますように、言語活動の充実、理数教育の充実、伝統や文化に関する教育の充実、道徳教育の充実、体験活動の充実、外国語教育の充実、職業に関する教科・科目の改善等が行われております。
 このうち、特に言語活動の充実につきましては、中教審の答申では、言語は知的活動の基盤であるとともに、コミュニケーションや感性・情緒の基盤でもあり、豊かな心を育む上でも、言語に関する能力を高めることが重要であるとされておりまして、新しい学習指導要領では、言語に関する能力を重視しているところでございます。国語科で培った能力を基本に、各教科等の目標を実現する手だてとして、言語活動を充実した学習活動の推進が図られているところでございます。
 資料2につきましては以上でございます。

【小谷教育制度改革室長】
 続きまして、資料3について説明をさせていただきます。資料3につきましては、これまでの御議論の中で、今後の議論を進めていく上では、高校生の実態をなるべくきちんとデータを押さえた上で審議を進めるべきといった御意見を、安彦部会長代理はじめ複数の先生方から御指摘いただきましたので、私どもの方で既存の調査結果などをまとめたものでございます。こちらの資料3、今回は文部科学省の所管法人である財団法人一ツ橋文芸教育振興協会と財団法人日本青少年研究所が、放送大学の岩永雅也教授等の協力を得て実施された三つの調査結果から、幾つかのデータをまとめたものでございます。
 1ページを御覧ください。これら三つの調査でございますが、このように日本、アメリカ、中国、韓国の高校生を対象に、集団質問紙法によって行われておりまして、サンプル数としても1,000から3,000強までといったような形でなされております。
 2ページを御覧いただければと思います。2ページから7ページまでは、高校生の自己評価に関する調査の結果でございます。2ページでは私は価値のある人間だと思う、おめくりいただきまして、3ページでは私は自分を肯定的に評価するほう、4ページでは私は自分に満足している、5ページでは自分が優秀だと思うという問いに対しての回答を、「全くそうだ」、「まあそうだ」、「あまりそうではない」、「全然そうではない」と、4段階で回答してもらったものをグラフ化したものです。
 更に6ページでは、その他肯定的な事項につきまして、「全くそうだ」、「まあそうだ」と回答した生徒の割合を図で示しております。
 こうしたアンケート調査による国際比較では、一般に日本人は他国の人々より控え目な回答をする傾向がある、そういった即答がしばしば見られるとの指摘もございますが、このように他の3国と比較しますと、日本の高校生は他国の生徒より、自己について否定的に捉えているというような傾向が伺えるところでございます。
 また7ページを御覧いただけますでしょうか。7ページでは、個人の自己評価による成績別ということで、それぞれの項目についての回答を図にしておりますけれども、こちらの表にございますように、成績が他より劣ると感じている生徒ほど、肯定的な感情が下がっているということも結果として出ております。
 8ページを御覧ください。8ページでは、授業形態の好き嫌いについて尋ねておりますが、1の教科書の内容をきちんと教え、覚えさせる授業につきましては、「好き」、「どちらかといえば好き」と回答している割合が比較的多い一方で、5の生徒によく発言させる授業、あるいは8の生徒の観察力や応用力を発揮させる授業については、比較的低いという結果が出ております。
 おめくりいただきまして、9ページを御覧ください。9ページと10ページは勉学態度について尋ねております。9ページの1の授業中、きちんとノートをとることにつきましては、「いつもそうだ」、「ときどきそうだ」と回答した割合が比較的高い一方で、2の授業中、居眠りをする割合が比較的高かったり、7の授業中、積極的に発言する割合が比較的低かったりするといったような結果も出ているところでございます。
 10ページを御覧ください。授業の内容が分からない時、どうすることが多いかについて尋ねておりますが、日本の生徒につきましても、4分の1がそのままにしておくという回答をしていることが分かります。
 11ページを御覧ください。11ページから15ページまでは学校生活についてです。日本の生徒は、1の学校生活は楽しいという割合が比較的高い一方で、3、この学校での生活に張り合いを感じる、6、先生は成績にこだわりすぎる、8、もっと世の中に出てから役に立つ勉強をしたい、9、クラスでは勉強に関して競争する雰囲気が強いとの割合が比較的低いという結果が出ております。
 12ページを御覧ください。12ページは、現在している勉強についてどのように思うかという問いでございますが、これにつきましては、例えば上から二つ目の実用性が乏しい勉強だ、あるいは下から二つ目の入学試験だけに役に立つ勉強だとする割合は比較的低い一方で、下から四つ目の自分の人格形成に大切な勉強だ、その下の自分の特長を伸ばせる勉強だとする割合もまた比較的低いといった結果も出ております。
 少し飛びまして恐縮でございます、16ページを御覧いただければと思います。16ページから19ページまでは、勉強時間と方法についてです。16ページでは、平日、学校の宿題をする時間、そしておめくりいただきまして17ページでは、学校の授業と宿題以外に、どのくらい勉強しますかとの問いでございますが、これはいずれもしない、30分以内と回答した生徒の割合が比較的高いということが伺えるところでございます。
 また、18ページを御覧いただきますと、勉強の仕方について、上から二つ目の問題意識を持ち、聞いたり調べたりする、その下の勉強したものを実際に応用してみるという割合が低い一方で、下から二つ目の試験の前にまとめて勉強する、これは他国も同様のようですが、こういったところは比較的高いといった結果が出ております。
 それから飛びまして20ページを御覧ください。20ページから25ページまでは、勉強へのプレッシャーとストレスについてです。20ページを御覧いただきますと、勉強についてプレッシャーを感じているかについては、日本の生徒も、「とても感じる」、「まあまあ感じる」を合わせると68.9%にも達します。
 ただ、飛んで恐縮ですが22ページを御覧いただきますと、その原因ということでございますが、上から二つ目の先生の期待とか、下から三つ目の親の期待という割合は比較的低くなっておりまして、自分の願望とか、あるいは勉強の内容が難しいというようなところが比較的高くなっております。
 24ページを御覧ください。ここは次のようなことを感じたり、経験したことがあるかという問いでございますが、こちらも下から三つ目以降の項目を御覧いただきますと、学校を休みたい、落ち込む、いらいらするといったことを感じたり、経験したことがあるという生徒の割合が高くなっているところでございます。
 おめくりいただきまして、25ページを御覧ください。25ページから34ページまでは成績について尋ねております。まず25ページでは、それぞれ自分がどの程度の成績だと思うかという自己申告をしていただいておりまして、そして26ページで、自分の成績に満足しているかということですが、日本の生徒の3.6%が「とても満足している」、23.8%が「まあまあ満足している」と回答をしているところでございます。
 また少し飛んで恐縮でございますが、30ページを御覧いただければと思います。30ページとその次の31ページを御覧いただきますと、父親や母親が自分の成績に関心を持っているかということを尋ねております。このように見比べていただきますと、特に父親については他国と比較して、関心を持っていると感じている生徒が少ないといった結果になっております。
 また恐縮でございます、飛びますが、34ページを御覧いただければと思います。34ページでは、成績についてどう思うかということを尋ねております。この中で、例えば2ポツの成績はその人の努力の程度を表しているということにつきまして、日本の生徒は90.5%がそのように感じているという一方で、例えば8ポツの学校生活が楽しければ、成績にはこだわらないとする生徒の割合も48.8%という形で、他国と比較して高くなっております。
 また、35ページを御覧ください。35ページ以降は学校や社会への参加意欲についての問いでございます。まず、35ページの私は将来に不安を感じているという生徒が、「とてもそう思う」、「まあまあそう思う」で77.7%に達している一方で、36ページの方を御覧いただきますと、私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれないとする生徒につきましては、「全くそう思う」、「まあそう思う」と回答した生徒の割合は、他国と比較してかなり低くなっております。
 またおめくりいただきまして、37ページでは、社会のことはとても複雑で、私が関与したくないについては、日本の場合、「全くそう思う」、「まあそう思う」を足した割合が比較的高くなっているということでございますし、38ページを御覧いただきますと、私個人の力では政府の決定に影響を与えられないということにつきまして、「全くそう思う」、「まあそう思う」、この合計の割合を見ていただきますと、こういった割合は他国と比較してかなり高くなっているということでございます。
 最後、39ページでございますが、その一方で、青少年が社会問題や政治問題に参加することについて、あなたはどう思いますかという問いに対しては、参加すべきだ、参加したほうがいいと考えている生徒はかなりの割合に達している、こういった結果も出ているところでございます。
 以上でございます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。今の資料2、資料3の説明について、皆さんの方から何か質問等ございますか。よろしいですか。また議論の際にもし何かあれば、御発言いただければと思います。
 それでは、次に議論に入っていくわけですけれども、その議論に入る前に、金子委員から、高等学校と大学教育に関する調査結果について御報告をいただきます。それを踏まえて議論に入っていきたいと思います。それでは、金子委員、よろしくお願いします。

【金子委員】
 今、御紹介もありましたが、日本の高校生、高等学校教育を議論する際に、日本の高校生の実態というものは何であるかということを踏まえることは、非常に重要だと思いましたので、私の関係しております調査について、関連するところを何点かピックアップして御紹介したいと思います。
 これは、科学研究費をもらいまして、私を中心とするグループで行った高校生追跡調査ですが、2005年に全国の高校生4,000人を地域別にサンプリングし、高校3年生の11月の段階で調査をしまして、その翌年の3月、進路が決まった段階、それから1、2年ごとに追跡調査をしています。追跡できない生徒もいますので、現在半分ぐらいにサンプルは減っておりますが、最近では大学卒業後1年目の段階まで同じ生徒を追跡しております。
 それからもう一つ、大学生に関する調査でございまして、これは大体120の大学の5万人近い学生を調査したものです。ここにおいても高校時代の勉強時間や、高校時代の大学選択について聞いておりますので、それも一部用いております。
 私は高等学校教育については素人ですので、これから申し上げることは、無知から生じているものも多いと思いますし、言い過ぎの点もあると思いますが、お教えいただいて、是非御批判、御指摘をいただければと思います。
 まず第1は、生活時間ですけれども、この調査は高校3年から始めていますが、この調査票では1年生の時はどうだったかというところを含めて聞いておりまして、これが図表1、高校生の授業外学習時間です。図書館や自宅などで、どれくらい授業の外で勉強していますかということを聞いたものです。
 高校1年生と3年生について見ますと、高校1年生では生徒の8割くらいが、授業には出席しているのでしょうけれども、家庭ではほとんど勉強していないということになります。9割が1時間以下、ほとんどしていないのが6割ということです。3年生になりますと、学校に行っているだけで、全く家で学習しないという生徒は4割くらいに減るわけですけど、しかし4割はいるわけで、3年生になっても1時間以下を含めれば大体半分くらいになるという状況です。
 この結果からみれば、1年から3年を通じて日本の高校生の半分くらいは家でほとんど勉強していない、ただ授業で教室の席に座っている状況にあるということです。これはやはり、非常に重い事実ではないかと思います。
 それから、もちろん進路別に状況は違うわけでありまして、この点については追跡調査の方からその後どういう進路に就いたかということが分かるわけです。その後どういう進路に行ったかということを基に分類して集計してみますと、大学に進学した生徒に関してはやはり3時間以上勉強しているのが半分くらいで、これはやはり受験勉強の影響が出ていると思います。しかしほとんどしていないというのが2割くらい、1時間以下を入れますと3割以上になる。大学入学者でも、その3分の1くらいは高校3年生の段階で家では1時間以下しか勉強していない。そういう生徒が大学に入っているということです。
 専門学校、短大になりますと、これが更に増えまして、8割くらいはほとんど勉強しないで入っている。これもかなり大きな問題で、専門学校、短大は、一般的な教育はあまりしないものと思われますから、一般的な学力については高等学校までで教育しているというのが建前ですけど、しかしそれは実は実態とは離れているのではないか。専門学校、短大についてはあまり議論にならないのですが、これもやはり私は非常に重要な問題だろうと思います。
 それから卒業後に就職、アルバイト等についた生徒については、大体8割は高校3年の段階で家庭では全く勉強していない。1時間程度を入れますとほとんど全部になってしまうという状況です。3年の段階ではあまり勉強していないということに加えて、大体就職した生徒は1年の時にもそんなに勉強しているわけではないですから、高等学校の3学年を通じてほとんど授業で席に座っている状況のままで、就職するという状況になっているということなのだろうと思います。
 それから、授業外にどれくらい勉強しているかというのを、課程別に分類してみますと、普通科はやはり進学者が多いということもあって、全く勉強していないというのが3割ですが、それでもやはり半分ぐらいが1時間以下になるわけですけれども、他方で、商業科、工業科などの専門学科での学習時間は相当少ないということが分かるわけです。やはり職業資格検定やその他のもので、職業科でも一定の家庭での学習時間は必要なのではないかと思いますけれども、これも実は必ずしも確保されていないということです。
 それから、総合科はかなり進学者も多いということで、職業科と普通科の中間くらいになっていますが、これもそれだけを見てみますと、8割くらいは1時間いくかいかないかであり、高校3年でも勉強していないという状況になります。
 これらはかなり厳しい数字であります。卒業して就職したり、あるいは専門学校等に行った高校生は、こうした学力で将来の社会での要求に太刀打ちできるのかどうか、私は非常に問題ではないかと思います。
 では高校生は何をしているか。どういうことに時間を使いましたかということに関して、幾つかの項目について、とても多くの時間を使った、多くの時間を使った、あまり時間を使わなかったという段階で聞いております。これを見てみますと、友達との付き合いが最も多いんです。それで、とても多くの、あるいは多くの時間を使ったというのは、大体1年生で8割、3年生でも7割でありまして、これが一貫して一番多い。
 部活は、私はもう少しやっているのかと思いましたが、確かに1年生の時は7割近くやっているのですけれども、3年生になると2割くらいに減っている。
 それから学校の授業の勉強は、ある程度時間を使っていると感じているようで、これは出席していればそうなるのかもしれませんが、それが3年生に増えるわけですが、アルバイトもやはり2割くらいはかなり時間を使っている。
 それから塾や受験のための勉強は、3年生になるとやはり受験をする生徒は増えるわけでしょうけれども、しかしそれでも平均して見れば、友達との付き合い等よりは少ないという状況です。
 それではこういう状況が、特に大学での学習にどういう影響を与えるのか。資料4ページにそれを示しました高校生の追跡調査で、大学に進学した人だけについて、高校3年の11月に「自分が何に向いているのか分からない」という項目について、<とてもあてはまる>から<全くあてはまらない>まで4段階で聞いています。そうしますとやはり5割くらいは、まだ自分は何に向いているのかよく分からないと答えているわけです。
 それから高校3年の3月、これはもう既に進学が決まった段階ですが、この時期に「自分に向いた専門かどうか不安だ」ということについて、これも<とてもあてはまる>、から<全くあてはまらない>まで聞いているのですが、これで見てみましても、やはり4割くらいは、自分に向いた専門かどうかについては不安を抱いているということです。結局、今の高校生が、18歳で大学での専門をかなり細かい段階のところまで決めさせることができるというのはフィクションであって、相当無理をして決めさせているということが、かなり明確であろうと思います。
 問題は、この進学の段階で自分に向いているかどうか確信がないと、その後にどうも影響を及ぼすのではないかということです。統計的に調べてみますと、これは図表5ですが、この数字は「自分に向いた専門かどうか不安だ」ということにあてはまる度合いが、大学入学後に「やりたいことがみつからない」、「やりたいことが変わってきた」、「将来がかたまってきた」、「自主的に学ぶようになった」という質問の回答にどれくらい影響があるのかということを、大学1年、大学2年、大学4年について調べたものです。
 この数字は、大体相関係数みたいなものだと思っていただければよろしいのですが、それをみると、自分に向いた専門かどうか不安だったという学生については、やはり「やりたいことがみつからない」という傾向が、1年生でも2年生でも非常に強い。「やりたいことが変わってきた」というのは、2年生でも4年生でも、特に4年生では多くなる。要するにこれは当然でしょうけれども、ほかのものに変わるということですね。それから「将来がかたまってきた」という項目については、ほかの生徒よりも低い。それから「自主的に学ぶようになった」というのを大学4年で聞いていますが、これもやはり少ないということです。大学入学直前の確信のなさが大学での学習態度とか、大学の教育の乗りと言うのでしょうか、そういったものにかなり影響を与えているようだということが分かります。
 では高校の時の学習時間がどのような影響を与えるか。高校3年の時に学習時間が1時間ないしそれより少ない学生を、ほかの学生と比べてみまして、先ほどと同じような方法で調べてみたのが下の表です。大学卒業後にやりたいことが決まっているということについても、学習時間が少ないとやはり少ない。授業がやりたいことに関わっているという実感もやはり低くなる。それから授業を通じてやりたいことを見つけるということについても、これは差は少ないのですが、やはり少しマイナスの傾向が出る。
 それから授業の出席時間は、大学においても、特に一番最初の辺りは少なくなる。それから自分で学習する時間もある程度少ない。
 それから生活態度として、「自分のやりたいことが見つからない」というのが増える。「授業に興味がわかない」というのも増えます。
 さらにこの下、高等学校を卒業してから5年後、要するに普通の人は大学に現役で行った場合には、大学を出て就職した時点での調査結果も交えたものですが、大学4年の時、これは11月くらいですけれども、進路が決定している人の割合がやはり少ない。それから就職予定先について満足ですか、不満ですかと聞きますと、これもやはり不満が多い。
 それから大学経験の評価、大学卒業後1年に振り返ってみると、「自分が考えた方向に進んできた」というのが低い。それから「人間的に成長した」という実感も低い。「大学教育から得たものが大きかった」というのも低い。高等学校での学習時間が少なかったということ自体が、高校生の資質を表していて、それがそのままずっと影響を与え続けているという可能性もあるにはあります。しかし同時に、高校で学習の習慣ができていない、ないしは先ほどに戻りますが、自分がこの専門を選び取ったということに確信がない場合には、大学が想定している教育の効果としての成長パターンに乗り切れないと言いますか、それから疎外されてしまうという傾向が出てきているのではないかと思います。
 それから、卒業生が望む高等学校教育の在り方についても、これは先ほど高等学校卒業後5年の段階、大卒であれば社会人になった段階で意見を聞いていす。それを上のグラフは、就職した人、短大、専門学校に行った人、4年制大学に行った人別に、下のグラフは高等学校での普通科、総合科、商業科、工業科について、どういう傾向があるかということを整理したものです。
 いずれにしても総体として見ると、高等学校教育の在り方については、「教科にこだわらず、幅広い経験をする機会を作れ」というのが一番多いわけです。その次に、基礎的な学力をきちんと修得するというのが全体としては6割近い。それからさらに、生徒の興味に合った勉強・部活をさせるのが5割ということになるのですが、将来の職業に合った教育というのはそれよりもかなり減るということで、一番低いのは、教科の指導をより厳しくするというのは支持がほとんどないことになるわけです。
 言ってみると、経験、修得、それから生徒の興味というのがキーワードになっていて、それに対して教科ということについて、卒業生はあまり意味を重く見ていないと言いますか、むしろネガティブに見ているということが言えると思います。
 進路別に見ましても、これは少し私も驚いたのですが、高等学校卒業後すぐ就職した人も、短大、専門学校に行った人も、4年制大学に行った人も、実はあまり変わらないんです。やはり教科に関わらず、幅広い経験をする機会、それから基礎的な学力をきちんと修得、これが非常に高い。就職した人でも結構高い、4割以上がこれを重視しているということです。むしろ就職者だけを見ても、将来の職業に合った教育よりもはるかに基礎的な学力の方の支持が強いということになります。
 それから出身課程による差ですけれども、これも私が期待していたよりもはるかに出身教育課程による差が小さくて、やはり幅広い経験、基礎的な学力を付けさせるというのが非常に高いわけです。職業科でもかなりそういった傾向が見えるということで、職業科でも将来の職業に合った教育をするというより、やはり基礎的な学力をきちんと修得する、差は少ないですけれどもそちらの方が高いという状況です。
 それから、一つ気が付きますのは、総合科で進路指導をもっとやれ、将来の職業に合った教育をもっとやれというところが高いのが、やはり総合科はこういう問題があるということを示していると言えるのかもしれません。
 一応こうした状況で、私の感想としては、高等学校の先生方もいるその前で、大変失礼なのかもしれませんが、やはり現代の高等学校教育は、高校生の持つ潜在力を十分に引き出していないのではないか。これは先ほどの室長から説明いただいた調査もそうですし、PISAなどの報告を見てもそう思うわけで、そういったところがある。特にこの調査から感じますのは、授業と関連した学習を、教室以外の場での自律的な学習に発展させる力が弱い。
 かなりの生徒はむしろ人間関係に自分の生きがいを求めている。これは先ほどの調査も多少そういったことがうかがえますけれども、ある意味ではそうしたところに逃げ込んでいるというような傾向が見えるのではないか。これは言い過ぎかもしれませんが、高等学校の半分程度は、授業成績及び部活などで生徒をつなぎとめておく。あとの半分では、高学年で受験準備という形で、授業外での学習を行わせている。しかし、高等学校卒業生の半分が、授業出席以外に自律的な学習をほとんど経験しないままに、高校1年から3年まで終わっているという点は、将来の職業・社会生活を考えると極めて深刻な問題ではないか。
 それから2点目は、大学との接続の問題ですけれども、キャリア教育の必要性が叫ばれているわけですけれども、授業がほとんど教科を中心として組織されているのであれば、高等学校3年間で職業的な展望を見つけるのが難しいのは当たり前ではないか。また、大学の側が、そうした高校生の実状を顧みずに、過度の専門選択を18歳の段階で強いているということは、結果として、先ほども御指摘したように、そういう無理な選択をさせることによって、十分な学習意欲を持たない学生を増やす結果を作っているのではないか。学習習慣が形成されていないという点も、大学での学習にやはり重要な阻害要因となっていることは疑いないということです。
 3番目の点は、現在の教科で編成された教育に、進路あるいは出身課程を問わず、若い卒業生があまり肯定的に感じていないという点は非常に重要だと私は思います。特に基礎的な学力をきちんと修得することに対する要求が大学進学者だけでなく、就職者も含めて強いということは、注目すべき点であろうと思います。幅広い経験というのも、やはりこういった観点で見るべきところではないでしょうか。先ほどの学習指導要領を見ていますと、科目数が40くらいある。二つくらいは減ったようですけれども、こういう状況がやはり高校生が感じているニーズと、私は非常に食い違っているのではないかと思うわけです。
 それから、この議論をして、こういう調査結果を見てみますと、やはり生徒がどのように学習をし、どのような効果を得ているかという実態の把握は、きわめて遅れているのではないかと思います。今までの学習指導要領の議論も、教科の観点から今どういう知識が必要になっているかという議論はいろいろとあるようですけれども、生徒が何を吸収していて、それが将来どう使われているのかという議論は、関連の資料を見てみても、されていないのではないかと私は思います。
 先ほどの国際比較のデータもそうですし、PISAについてもそうですが、国際比較から読み取るべきところを、何となく日本人の国民性のせいにしてしまって、本来は問題にするべき点、特に日本が将来変わっていくとすれば、解決しなければいけない問題について正面から議論していないのではないか。多少強く言えばそういったことも言えるのではないかと思います。
 そしてこれは高等学校の先生方の御努力の不足というわけではないわけですが、やはり感じますのは、日本の高校生の実態というのは、通常よりはるかに深刻であって、こうした文部科学省の会議などの席にいらっしゃる先生方は、それぞれ重要な努力をなさっている先生が多いので、そうした面から見ると、それなりに進歩しているところが見えるのは当然ですし、それは非常に重要だと思いますが、実態というものを見ると問題は相当大きい。
 しかし高校生の学習状況の実態を把握する手段がない。教育課程の多様化の一つの盲点は、多様化することによってほとんどアチーブメントとパフォーマンスが分からなくなっている。それが教育システムとしては深刻な問題を作っていると私は感じました。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。非常に興味深い御報告、ありがとうございました。せっかくですので、議論する前に今の金子委員の報告について御質問があれば、お伺いしたいと思いますけれども、皆さんの方から、今の報告について何か御質問等がございますか。荒瀬委員、どうぞ。

【荒瀬委員】
 6ページの図表8ですが、高等学校教育への在り方への意見ということで、先生がおっしゃいましたように、これは驚くべきデータだなと思いますし、非常に参考になるなと思うのですが、一つお尋ねしたいのは、二つ目の基礎的な学力をきちんと修得することが大切だと思っているというこの意見は、基礎的な学力というのをどういったものとしてお尋ねになっていらっしゃるのでしょうか。
 一番下にある、あまり重視されていないという、教科の指導をより厳しくという意味が、例えば授業時間数を増やすとか、あるいは補習とかをがんがんやるといったような意味として受け取られていたとしたら、そういうのは嫌だけれども、しかし教科でやるべき基礎的な学力はきちんと修得する必要性は理解されているというような解釈ができるのかどうか、その辺が分からないので、質問項目の中身を少し御説明いただけたら有り難いと思います。

【金子委員】
 これはおっしゃるとおりで、この質問項目がかなり恣意的にワードを作っていますので、論理的に言えばもう少しきちんと構造化して質問するべきだと思います。そういう意味で、基礎的な学力というのは何だとこの節では考えているのか、それから教科の指導を厳しくするというのはどう解釈しているのか、はっきり申し上げてこれは分かりません。ただ、私が感じますのは、やはり教科というものに分けて細分化されたものをきちんと教えろと言っているのではないのではないか。例えば数学なら数学、国語なら国語、あるいは社会科なら社会科といったある程度の大括りの分野で、きちんと自分で修得したものがあるということを実感することが、非常に重要だと思っているというようなことなのではないでしょうか。
 ついでながら、これは大学生についてもやはり同様の傾向が見られます。一定の分野の基礎的な力をきちんと修得するのが一番重要だと、大学生についても答えていますし、それから私どもは企業の採用担当者に、大学生について何が一番重要だと思いますかと聞いたのですが、この頃コンピテンスなどがはやっているのですけど、コンピテンスではなくて、むしろ専門の基礎的な力をきちんと修得するというのが、やはり一番高くついています。
 そういう意味でやはり、細かく学術的に定義されたものを全部修得するというよりは、比較的幅の広い範囲での基礎知識や理解を、自分が納得すると言いますか、自分の力として手に入れたということが非常に重要だというのは、かなり社会一般に広がっている感じではないかという感じがいたします。

【小川部会長】
 荒瀬委員、よろしいですか。

【荒瀬委員】
 どうもありがとうございます。

【小川部会長】
 ほかにどうでしょうか。特にございませんか。アキレス委員、どうぞ。

【アキレス委員】
 同じく6ページで一つ伺います。図表8の教科にこだわらず、幅広い経験をする機会、これは具体的にはどんなイメージで捉えたらよろしいのでしょうか。

【金子委員】
 これもはっきり言って、生徒がイメージすることはいろいろあるでしょう。それこそ教科と言いますか、知識の上でのいろいろな経験もあるでしょうし、いろいろなところで職業的な経験をするというようなこともあるでしょう。これもそれ以上のことを私は申し上げられません。総合的な学習の時間などで考えられているようなことはいろいろとあるだろうと思います。
 ただ、これについてもやはり日本の高等学校教育は教科に与えられている時間が非常に多くて、例えばアメリカなどでは、生徒が企画して自分たちで何かを調べるというようなプロジェクトを作って、いろいろなところを自分たちで調べに行くなど、様々な学習のタイプの授業が多いということは事実だと思います。そういう意味では自分たちが必要だと思っていることを、いろいろな形で調べるということは、やはり経験ということにつながるのではないかと思います。

【小川部会長】
 よろしいですか。ほかにありませんか。なければ、先ほど事務局の方から資料2、資料3の資料説明と、今、金子委員から御報告いただいた資料4を少し参考にしながら、先ほどお話ししたように、今日そして次回辺り連続して、高等学校教育において生徒に最低限修得させるべきものは何か、いわゆるコアというような問題について、少し意見交換していきたいと思います。
 これまでの議論でも部分的には各委員から、そのコアの内容とか有り様等については、様々な意見が出てきましたけれども、今日は最初ですので、これまでの議論も踏まえつつ、これまで出されてきた意見の繰り返しでも全く構いませんので、今日は自由に議論していただいて、このコアの在り方について、どういう論点を整理していいかというのを、今日と次回辺りで少し議論しながら整理していければなと思っています。
 一応机上にある資料1の課題の整理と検討の視点の中にも、これまでの議論としてコアに関わっての意見の整理等もございますけれども、そうしたものも少し参考にしながら、自由に御意見をいただければと思います。では、どうぞよろしくお願いいたします。北城委員、あと荒瀬委員ですね、お願いします。

【北城委員】
 コアの議論ではないのですけれども、資料3を見ながら感じるのは、日本の高校生は自分を肯定的に見ている人間が少ないとか、自分に満足している人間が少ないという評価が出ていますが、どちらかというとこういう資料を先に見てから論点整理した方が良かったのかなと思います。
 要するにコアの問題よりも、何故日本の高校生は自分たちを肯定的に見ないのか。これは国民性の問題というよりも、高等学校だけではなくて初等中等教育全体を通して、子供たちがもっと自信を持つとか、自分が関心のある分野、自分の能力を生かせる分野を学んでいるというような印象を受けずに、高等学校を卒業していくのではないかと思います。また、大学進学などでも、進学の成績がいい子供たちが有力な大学に進めるということになり、それを優れた子供だと規定してしまうと、そういうところに参加しなければ自分を肯定的に見なくなってしまうということが影響しているのではないかと思います。論点整理の中に今回出ているようなことの問題はどこにあるのか、それを解決することも課題ではないかと思うので、資料3について、特に最初の2ページから4、5、6ページについて、この背景はどこにあると考えられるのか、高等学校の先生方とか、あるいは文部科学省の方から、少し教えていただければ有難いと思います。
 自分を肯定的に考えていないということは、非常に問題だと思うのです。もっと自信を持った方がいいと思います。海外に出ていろいろな人たちと仕事をする時でも、自信を持って自分の意見を言う機会を十分経験せずに海外の人たちと仕事をする場に行けば、当然そういう訓練を受けている人たちと比較して、日本人として能力を発揮できないのではないかと思うので、何がこの背景にあるか、少し専門的に教えていただければと思います。

【小川部会長】
 分かりました。今の北城委員の御意見というか、御質問等も少し意識して、特に高等学校の現場の先生方、校長先生がいらっしゃいますので、これからの意見の際には少しお話しいただければと思います。それでは、荒瀬委員、どうぞ。

【荒瀬委員】
 ありがとうございます。今、北城委員がおっしゃったこととも関わることを、少し申し上げようと思っておりました。成績だけで、単に君は大変優秀であるとか、優秀でないということだけを評価されていたら、誰も面白くありませんし、かつまたやる気も出てこないということを思うのです。だから正に新しい学習指導要領が求めている体験的な活動を通して、やってみたらできたとか、あるいはもう少しこうすればもっとうまくいったのではないだろうかといったような、そういう経験を重ねていくことはとても大切だと思います。
 先ほど金子先生が御説明くださった資料についても、基礎的なことというのはひょっとしたらそういうこととも関わるのかもしれないなと思います。これは教科のこととも関わりますが、教科の内容だって本当は十分にやれば、ある程度のところまでは多くの生徒が到達できるはずだということを思ってやるのと、単にやっただけでテストして、それで結果が出ました、君は何点で、よって評定を付ければ5であるとか、1であるとかいったような、そういうことをしているだけでは、きっとやる気は出ないと思うのです。
 それでは、高等学校が全てそうしているかといったらそんなことはないのですけれども、どうしても、これも金子委員が御指摘になったように、教科の授業が学校の一大時間帯を占めています。多くの時間帯を占めていますから、そういうところで自己肯定感とか、あるいは面白みを感じられない生徒がいるのかもしれないなということを思います。
 私が申し上げたかったのは、この資料2の5ページの部分なのですが、論点整理の部分でも3ページや9ページに、全ての意志ある生徒、これは公立高等学校の授業料を無償化にする時に、全ての意志ある生徒が高等学校教育を受けられるようにということで、こういう言葉が使われたと思いますが、この「意志」とは何なのかなと私はずっと疑問に思っています。どういう意志というものを想定するのかなと。
 また、先ほど言いました資料2の5ページの枠囲みの丸の一つ目なのですけれども、高校生に必要最低限な知識・技能と教養の幅を確保するという必履修科目の趣旨(共通性)と学校の創意工夫を生かすための裁量や生徒の選択の幅の拡大(多様性)とあるのですが、これは教育課程部会の中に、学習指導要領を検討する上で、安彦先生を主査とする高等学校部会があり、私もおりましたが、その時の課題が、この共通性と多様性というものをどのように二つながらクリアするかということでありました。
 結果的には、私の感想ですけれども、共通性と多様性を両方とも満たすというのはクリアできなかったように思います。その後答申が編まれていって、かつまた学習指導要領になっていく中で、その共通性というのがそれまで選択必履修だったものを1科目にしたとか、多様性というのは選択幅は以前と変えていないとかといったようなことで整理されていったのであって、これ自体が本当に共通性と多様性なのかということについては、私は引き続きこの高等学校教育部会で議論し続ける必要があるのではないかと思っています。
 前も申し上げたことがありますが、生徒の基礎学力、教科の基礎学力というのは、義務教育段階からの影響もあって、高等学校入学時点では極めて多様です。高等学校は各高等学校で選抜はしていますけれども、それでも一つの高等学校に入ってくる生徒というのは大変多様であり、生徒の基礎学力が多様であるということは、すなわちその活用能力においてもやはり多様にならざるを得ない面というのがあろうかと思います。
 ただし、先ほども少し申し上げました、やってみたらできたとか、やってみたら面白かったとか、次はこんな工夫をしたらもっといいことができるのではないかといったような、そういう広い意味の学習意欲、もう一度やってみようかとか、今度はこんなふうにしてやってみようかとかいったような学習意欲というのは、決して優劣のあるものではなくて、非常に幅は広いかもしれないけれども、全ての子供たちには共通して本来あるものだと思うのです。そこのところに注目をしていかないと、コアの議論というのは難しいのではないかなということを私は思っています。
 ですから、北城委員がおっしゃった、自分に自信がないとか、自分があまり面白くない存在だとか、つまらないとかいったようなことも含めて、この社会を構成していく未来の主権者という言葉も使われていますけれども、そういう人たちが自分自身に一定の自信を持てるような、そういった取組を高等学校教育の中にきちんと入れていくということが大変重要で、その際に学習意欲というのは必ず全ての生徒にあることを前提にして、それは紛れもない事実だと思うのですけれども、そういうところから議論していかなければいけないのではないかなということを思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ほかにいかがでしょうか。では、野上委員、どうぞ。

【野上委員】
 今回ほど産業界が抱えている問題を具体的に整理していただいた資料はなかったように思うのです。こうした資料をいただきますと、教育界が育成された人材の受け入れ先である産業界においても、課題、問題を共有する必要があるなと思うのです。今まで七五三現象にしても、また、発生する教育問題に対して、経営者の中には、これは教育のせいだとする人が大勢おりますが、私は決してそう思っていなくて、産業界側にも教育界に対して適切なメッセージを送ってこなかったという反省が必要なのではと思っております。
 これは、地方にあって中小企業を多く抱える、私がフィールドとしているところの話で、中央の先端的大企業の話ではありませんが、今、産業界でも人材育成、とりわけ教育問題に対しての関心が非常に高いのです。一つ例示しますと、ここ数十年、日本が大発展してきた過程では、多くの企業が、発展を下支えするマニュアルや規程類集を完備して参りました。どのようにこれが使われたかと言えば、例えば100人の社員がいるところでは100冊を作成し、全員に配付してきたのです。
 ところが最近、こうした全員に配付することを廃止する企業が増えて参りました。というのは、マニュアル、規程類集を持っていればなぜか安心感があるわけですが、では、課題が発生した時、常時それを調査するなど使用しているかと言えば、現状は安易に人の話を聞くなどして活用していないのです。そうであれば、そうした類のものは、部署で1冊、1式を完備すれば、人に聞けない時には自ら調べ、考えることも増えるのではということで、こうした取組をする企業が増えているのです。
 それと、ここに来て増えている現象がございます。これは大企業がまず取り組んだことだと思いますが、日本のものづくり企業は、発展する中で、ライン生産、ロボット生産方式を取り入れてきました。しかし、そのライン生産に従事する社員にしてみますと、ラインのほんの一部を担当することから、自分が最終的に出来上がる製品のどのような部分、部品を作っているのかという全体認識がないわけです。そうしてみますと、自分が担当する数個の部品に対しての関心はありますが、ライン全体で使う部品、出来具合には全く関心がない。
 こうしたことが、結果的に業務を改善しようとか、新たなものを生み出すなどの考える力、イノベーション力をそいでいるのではということで、今、企業では新たな取組が起きているのです。もちろんライン生産、ロボット生産も健在ですが、使用部品が100個必要な製品であれば、一人の従業員に100個全てを与え、最終製品になるまで担当させるという方式を取り入れ始めたのです。これであれば、従業員は自分が製作した物が良い物なのか、健全な物なのか、改善すべき点はないのだろうかといった点にも思いをいたすのではなかろうか、また、考える力も付くのではということで、セル方式と言われるこの生産方式を取り入れる企業が増えているのです。
 私もこの会議で、かつて何回も申し上げて参りましたが、最近の若者には、何か聞いてもなかなか自分の考えを示さない、それどころか上司に言われると、たとえ自身の考えに反していても上司の意見に迎合する若者が実に多いのです。そこで、是非これからの教育では、ディスカッション力、ディベート力、プレゼンテーション力、そして、我ここにありを示すプレゼンス力を付けるような教育を是非展開していただきたいことを申し上げておきます。
 その点、今回資料2で御説明いただいた「国語をはじめ各教科等で批評、論述、討論などの学習の充実」を取り入れた学習指導要領の改訂は、正に的を射たもので、高く評価しております。こうした力が付けば、今回問題となっている多くの課題が払拭できるものと思っております。
 そして、今一点考慮していただきたいことがあります。それは過日の会議でも、6月18日に掲載された東大の柳川教授の記事を引き合いにして申し上げましたが、今回、こうした討議をするにしても、現在日本の社会、そして日本人が持っている良さ、具体的に申し上げるならば、国民の意識や慣習、誠実さや几帳面さは、日本が誇る大財産であり、決して失ってはならないものと思います。こうした財産が形成された背景には、長年にわたって展開された教育の所産であることも事実であります。そこで、こうした日本が持っている良さを総括しないまま、新たな取組を検討するのはどうかと思いますので、この空気のような存在の日本の持つ良さをコアに採択していただくような議論、討議にしていただきたいと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。和田委員、どうぞ。

【和田委員】
 失礼します。高等学校の側で意欲の低下がどうなのかということを、御指摘いただいたところですけれども、やはり生徒と言いますか、子供というのは、大人の背中を見て育っております。その中で現代の世の中、親あるいは先輩を見て、将来の希望を持てる世の中なのかというところが、一番問題なのではないかなと思います。戦後復興期においては、短絡的ですけれども、勉強していい大学に入る、あるいはいい会社に入って日本を少しでも良くしていくために頑張ろう、そういう意欲でやはり勉学へ進んでいった、我々の子供時代というのはそういう時代だったと思うのですけれども、今はそういう感覚、意欲を与えられない世の中なのではないかなと思うわけです。
 例えばお父さん、お母さんでそれなりの学力を身に付けて学歴を持って、中高時代あるいは大学時代、しっかり勉強したような人が、今そういう立場に立てているかという社会構造の問題は、非常に大事ではないかという気がします。例えばこれは具体的過ぎて申し訳ないですけれども、文部科学省のお役人さんになられる。それなりにしっかり勉強されて、官僚試験を通られてというような方が世の中でバッシングを受けたり、待遇が悪くなったりとか、そういう世の中を見ていて、では、自分たちはそんなに勉強して何になるんだろうという気持ちを、正直、今の生徒たちは持っているのではないでしょうか。
 ですから、まず大人の社会がやはり子供たちに勇気を持たせる、勉強すれば前へ進んでいける、自分の未来も見えてくるし、それがまた社会の役に立つんだということが分かるようなことを、高等学校に限らず、学校で提示できるようなものが、本当のコアの条件ではないかなと思うところであります。
 他国の例が引き合いに出されていますけれども、やはり中国や韓国というのは、日本の高度成長期時代のような形で、切磋琢磨と言いますか、ある意味では点数主義で勉強しているわけでありまして、例えば今回本校から数学オリンピックなどへ行って、それなりには活躍しましたが、韓国は全員金メダル。その原因は、その韓国の生徒たちと話をしてきた中では、韓国では金メダルをとれば兵役免除になる、そういうようなことがあると言うのです。もちろん日本では兵役がない、平和で有り難いことなのですけれども、そういうモチベーションの中で優秀な人たちも勉強している。
 それに対して日本では、帰ってきて文部科学大臣に御挨拶して、学校へ帰ってきて生徒たちの前で表彰をしてもらうというぐらいのことでありまして、そういうようなこともあって、やはりモチベーションというものが何らかの形で、過去の高度成長時代の詰め込み勉強的なところへ戻るのではなくて、あるべきではないかなと思うわけであります。
 それからその意味では、今の教育課程も指導要領も、どういうことを勉強するかということは書いてあるのですけれども、やはり知識偏重ではなくて、思考力を鍛えるような形を明確に各教科なり、あるいは全体の中で、もっと出していってはどうかと思うわけでありまして、考えるというところが非常に少ないことは否めない事実であります。しかし、今の指導要領の内容を週30時間掛ける3年の中で教えていこうと思うと、どうしてもまず知識、それの定着ということが重要視されて、それを利用した思考力を鍛える授業と言いますか、学習というものがなかなかできないのは、正直なところでありまして、その辺をもう少し厳選して、最低限必要な知識と、それを使って活用できるような形の教科内容なり指導要領なりに、変えていく必要があるのではないかと思うわけであります。
 「学びて思わざればすなわち罔(くら)し」と孔子は言っているのですけれども、そういうところを少し頑張っていただくような形で、教育課程を見直していただければと思います。
 最後にそのコアというのは、これから話し合われていくわけですけれども、それを教科内に落とし込んでいって、いわゆる必履修科目の中に入れてしまうのか、それとも、題目に終わってはならないのですけれども、教育目標として掲げていくのかというところが一番問題ではないかなと思います。ただ目標として掲げたら、実質上はあまり効果がなかったりすることもありますし、教科に落とし込むということで、その理想的なものが崩れていく部分もあると思うので、その辺をここでしっかり議論していただければと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。それでは、眞砂委員、そして川嶋委員の順でお願いします。

【眞砂委員】
 よろしくお願いします。今言ってくださったように、やはり学校は授業が本当に中心なので、授業の中でいろいろなことを学んでいかなければいけないと思います。先ほど産業界ではセル生産で、効率が落ちても一人に全てをやらせる、失敗させて学ばせるみたいなお話がありましたけど、これをやらなければいけないのは正に学校であって、学校は、僕は失敗するところだと思っています。
 ですから授業の中で今のように先生が何か大事なことを教えて、それをどんどん蓄えていくということでは失敗はしないですね。失敗するとしたら勉強不足で試験で悪い点をとるぐらいなのですけど、そうではなくて、授業の中で、自分で何かを創り出すようなことで失敗したり、発表してうまくいかなかったり、でもそれを考えてやり直してみて、そしてできた時の達成感を得るみたいな授業が、やはり絶対に必要だと思います。
 なかなかそういう授業が日本では行われていなくて、偉い先生がいて、生徒がそこから教えを乞うみたいな形で、どうしても生徒が大事にされていないというか、生徒中心ではないですよね。生徒の自己肯定感も非常に低いのは、そういう授業形態の中にあると私は思っています。ですから授業形態を変えていかなければいけない。授業の中で多分先生と生徒のコミュニケーションで、いろいろないいものができてきて、生徒が自分を表現することができてきて学んでいくと思うので、そこら辺をやっていきたいのですけど、最近よく出てくるIB、国際バカロレアはある意味それをやっているので、それを参考にしてはどうですかということが、いろいろなところから出てきていると思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。

【川嶋委員】
 ありがとうございます。幾つか資料を見て、あるいは説明をお聞きして考えたことを述べさせていただきたい。
 必ずしもコアとは何かということではないのですが、幾つかの資料を横に並べてみて、例えば金子委員の先ほどの資料で、卒業生、高等学校卒業後の学生さんや職業人に振り返ってもらった時に、教科にこだわらず幅広い経験をする機会と、基礎的な学力をきちんと修得させるというのが、非常に肯定率が高かったというお話でした。基礎的な学力というのはそもそも何なのか、英、数、国なのか、それぞれの教科科目の基礎的なところなのか、その辺解釈は少し難しいかもしれませんけれども、この二つの項目は非常に肯定率が高かったということはやはり、基礎的な知識を理解した上でそれを活用する幅広い経験を、卒業生は振り返ってみると必要だと考えていたのだろうということです。
 ですからそういう意味では、学校教育法の第30条にあるように、基礎的な知識を修得させた上でそれを活用する能力を養うという、その方向性は間違っていなかったのだろうと思います。ただ、今も御指摘がございましたけれども、では、実際、今の高校生はどう思っているのかということについては、この資料3の例えば8ページのどんな授業が好きですかというところを見てみると、卒業生が高く評価しているような、体験を重視する授業とか、観察力、応用力を発揮させる授業とか、生徒によく発言させる授業、こういうのはほかの国の生徒に比べて非常に低くなっている。これは、大学受験を切実に感じていることの影響だろうと思います。ですから、大学入試も変える必要がありますし、今眞砂委員もおっしゃったように、やはり授業の在り方というのも変えていく必要があるのだろうということが一点。
 もう一点は、学習指導要領は変わったばかりですけれども、私も必ずしも初等中等教育の専門家ではないのですが、教育課程部会には属させていただいているのですが、今の学習指導要領が決まった後に属すようになったものですから、経緯はよく分からないのですけれど、私の感じとしては、やはり初等中等教育は下からの積み上げを重視して、教育課程と言いますか、カリキュラム、教科内容が作られてきたと思います。むしろこれからは、前回の部会でも意見が出ましたけれど、やはり将来から見下ろして、それぞれ小中高校生、大学生も含めて、どういう能力を身に付けさせるのかということを考えていく必要があるのだろうと思います。
 そういう意味では、我々大人の将来を構想する想像力と言いますか、そういう力も試されているのですけれども、その中でも特に、将来といってもそんなに遠い将来ではないのですが、多くの高校生の進路である大学教育から見て、高等学校教育で身に付けさせる能力はどうあるべきかということについては、ほとんどこれまで議論されてこなかったのではないでしょうか。教育課程なり教科書を作られる人々の中には、大学の先生は入っていると思うのですけれども、これまで十分に高等学校側と大学側でその辺のすり合わせがなされてこなかったということだろうと思います。
 ですから、むしろ下からの積み上げも重要かもしれませんけれども、将来の進路から見下ろした時に、どういう能力がそれぞれの段階で必要なのかということを議論していく必要があるのだろうと思います。今後特別部会を設置されるようですので、是非そこでの議論をお願いしたいと思います。大学入試もさることながら、どういう教育上の接続が必要なのかということを十分議論していただきたいと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうでしょう。直原委員、小林委員、伊藤委員、そしてアキレス委員という順でお願いします。

【直原委員】
 私も今日提出いただいた資料を見て改めて、今も言及がありましたけれども、資料3の8ページ、日本の生徒自身が、生徒によく発言させる授業というのは好きではない、一方的に受けるほうが生徒としては楽だ、そういう状態にまでなってしまっているというのが、とても大きな問題だと思います。せっかく新しい改正された学校教育法で、学力があのように定義されて、知識の部分はもちろん大事だけれども、肝心なのはそれを活用する力だ、それが本当の学力だ、そういう認識が法律上も明確にされたにも関わらず、現実の特に高等学校においてはそうなっていない。
 ここも先ほどもお話がありましたように、授業の方法の部分に非常に大きな問題があると思っています。東京で言いますと、公立の小中学校はそれでも随分授業の方法が変わってきたと思いますけれども、高等学校についてはまだ依然として、この部分があまり改善されていなくて、やはりどうしても大学受験というのが頭にあると、例えば演習ということになると、大学入試問題の実例が出て、こういった問題のパターンの時にはこうした解法がいいですよ、そういう勉強が多い。
 結局その時、本質には頭を使っていない。本当の意味での思考力は鍛えていないわけです。そのようなことが続けられているので、生徒も自信をなくしてしまうのではないかと。それでできる子はいいのですけれども、トップクラス以外の子は、自分はできないと思い込んでしまいますし、逆にそういう意見を聞くような対話型の授業をやろうとすると、少しそれはしんどいから、逆に生徒から嫌われてしまう、それが今の実態だろうと思います。
 これは各教科プラスその教科外の活動において、やはり正に思考力、判断力、あるいはコミュニケーション能力を鍛える指導方法というものを開発していかないと、広めていかないと、日本の高等学校教育の今抱えている問題というのは、なかなか変わっていかないだろうなと思っています。

【小川部会長】
 ありがとうございました。では、小林委員、どうぞ。

【小林委員】
 資料3の1ページ目に、サンプル数が10校で、1,113票と出ております。どのような学校が調査対象になったのか、私も分かりませんけれども、ここにある日本のパーセンテージ、私は工業高校の人間として見ると、もう少し工業高校は違う数値が出るのだろうなと思っています。
 それはなぜかというと、座学である普通授業と実習をやっている時の生徒の顔が全然違うんです。やはり自分は機械を学んで機械系の製造業に行きたいとか、電気を学んで電気関係の職に就きたいとかいう、目的意識をはっきりと持って勉学している子供たちには、この自分を肯定する感じだとか、満足しているところについては、1年生から2年生、2年生から3年生に上がるにしたがって、国家資格を初めとした認定資格まで含めていろいろな資格を取っていって、自分をどんどん肯定していける段階があります。
 ですからそうなると、この否定的な評価というのはなくて、肯定する評価に変わっていくのだろうと思っています。それが一点。
 それからもう一点は、もう二十数年前になりますか、中退者数がかなり多くなってきて、中退者を減らそうという学校にかなり圧力があって、いろいろな多方面の政策があって、改善してきました。今国家資格とか認定資格の話をしましたけど、資格の合格ラインは大体60%以上とらないと認定はされていませんので、多くの高等学校の先生たちが座学の教科を教えてテストをやって、何点で合格点にしていたかというと、30年ぐらい前は50点以上、あるいは60点以上とらないと合格にしないというような学校の先生が多かった。
 ところが中退者を減らせという、その観点から、5、4、3、2、1の、その1と2の評価のところがどんどん狭まってきて、評価が50点以下、40点以下、30点以下で合格というような形に変わってきて、そうすると、学校で勉強していればそこそこの合格点はとれてしまいますので、家で勉強するよりは金稼ぎして、1時間800円取れた方がいいという子供たちが増えているのは、私はこのことが大きな要因になっているのではないかなと思っています。
 ですから、中退者の問題というのはなかなか解決は難しいのですけれども、中学卒業生の98%が進学している現実の中では、やはりこれはかなりの不本意入学が現実的にありますので、なかなか難しいだろうなと思っています。けれども、やはり授業の厳しさを越えてきて初めて、達成したという達成感があって、自分を肯定し、自分を満足に持っていけるのだろうなと思います。ですからそこら辺の議論もしていただければ有り難いなと思っています。
 以上です。

【小川部会長】
 では、伊藤委員。

【伊藤委員】
 まず、自己肯定感なのですけれども、私は中学校ですけれども、中学校でもやはり同じことを感じていて、日頃から危機感を感じています。非常に自信がなかったり、失敗を恐れたり、それから他人の目を気にしたり、定期考査等の目先の点数に非常にこだわったりというような生徒がいる中で、また、こういう生徒が卒業して社会人になった人とも話をする中で、やはり社会人になっても何となく自信がなかったり、それから失敗を恐れたりしているようなところがあって、本当にグローバル化されたこれからの国際社会で活躍する人材ということでは、非常に中学校段階からも危機感を感じています。
 そういう中でも非常にチャレンジ精神が旺盛な生徒がいて、何にでもチャレンジする生徒がいますので、どの生徒にもいろいろなことにチャレンジをさせていきたいと思っておりますし、そういったことができるようなプログラムを、やはり学校として仕組んでいかなければいけないのかなと思っています。先ほど北城委員、眞砂委員からもありましたけれども、チャレンジすることを評価してあげるとか、努力の過程を評価してあげるとか、失敗したことが逆に大事なことであって、そこで課題が分かって再チャレンジさせるとか、試行錯誤の経験とか、何かをやり遂げる経験、人の役に立つような経験、こういったもののプログラムが中学校でも、また高等学校でも本当に必要になっているのかなと思います。
 それから授業のことですけれども、やはり授業というのは本質的には、分かるとかできるということが非常に大切だと思います。中学校も努力しておりますけれども、この工夫を是非高等学校でも努力していただければ有り難いなと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。では、アキレス委員、どうぞ。

【アキレス委員】
 皆さんからも、コミュニケーション能力は非常に重要であるという御指摘がありました。私も全くそのとおりだと思うのですが、その前提としまして、コミュニケーション能力だけを鍛えるのではなく、主体、好奇心、興味、メッセージを伝えるために幅広い経験を積ませること、そして自分が表現したいことを論理的に組み立てる能力、思考が重要になってきます。
 企業でも、「たくさん話しているがあの人の言っていることはよく分からない」ということがあります。思いは分かるけれども、伝える訓練が欠けていて、言いたいことが伝わらないのです。考えやメッセージを論理的に組み立て、それを日本語又は英語で伝えるスキルが重要です。
 そのためには、コミュニケーションの場数も必要です。アメリカの教育では、幼稚園の時から「ショー・アンド・テル」という活動があります。幼稚園児が自分の大事にしているおもちゃや思い入れのある品物を持ってきて、みんなの前で、これはこういう品物で、こんないいところがあって、自分はこう思っていると語り、それを見て、皆が拍手する。
 別にどれが正解ということはありません。先ほどのデータで、なぜ日本の学生が自信を持っていないのかというところをひも解いていくと、小さい頃から人前で話をして、それが皆に拍手されたり、良かったねと言われるような経験が少ないことが影響しているのではないでしょうか。
 高等学校においても、自分でリスクをとってコミュニケーションして、それが称賛される、又はうまくいかなかったとしても、学習の一歩だよねということで肯定的に捉えてもらえるような先生の指導も、必要だと思います。
 また、今日御紹介いただいたデータの中では、例えば授業のやり方で、受け身な方がいい授業のような捉え方があります。教科書の内容をきちんと教え、覚えさせる授業が71.4%で、生徒によく発言させる授業が33.4%です。いきなり肯定的になれ、発言しろといってもなかなか難しいので、やはりそういう機会を高等学校の前の段階でも増やして、慣れていっていただくことが有効かなと思います。
 まとめますと、いろいろコアのところはあると思うのですが、コミュニケーションだけではなく、その前提として、やはり自分の頭で考え、それを論理的に組み立てて、人前で表現する、そういった一連のプロセスが重要なのではないかと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。ほかにどうでしょうか。今日、一通りいろいろ委員の方からお伺いしてみたいと思います。ほかにございますか。及川委員、そして渡邉委員ということでお願いします。

【及川委員】
 ありがとうございます。自己肯定感の件については、この資料で、上、中の上、それから中、中の下というような成績別で見ると、やはり成績の高い生徒は自己肯定感が高いという結果が出ていることを見ると、教科の学習との関連性が高いことを実態として理解できました。それが金子委員の資料の中にあった、高等学校教育の在り方への意見として、教科にこだわらない学習の在り方や基礎的な学力をきちんと身に付けさせるということと関係してくると受けとめました。
 ただ、金子委員の感想の中で、かなり重い言葉だったと思うのですけど、現代の高等学校教育は、高校生の持つ潜在力を必ずしも十分に引き出していないとおっしゃいました。では、今まで引き出していたものは何だったのかということを考えなくてはいけないと思います。
 それと、先ほど金子委員のお話の中にあったことですが、先ほど25年度からの学習指導要領のポイントについて説明がありましたが、生徒の学力であるとか、適性であるとか、進路というものが多様化したから、その多様化した生徒に対応して、弾力的な形で改訂されてきたように思います。
 今回で言えば、共通性と多様性のバランスということとか、義務教育の学び直しが出てきていて、多様化した生徒に対してどう主体的に学ばせるのかという視点から、改訂が繰り返されてきたわけですが、先ほどの金子委員の資料を見ていると、それが生徒の実態に必ずしも合っていないような改訂になってきたのかなと、非常に大きな問題だと思いました。
 金子委員が最後におっしゃっていましたが、こうしたことを考えると、コアというのは成り立つのか、コアを設定することが、ここに述べられているような、学習意欲を引き出し、主体的に生徒が学んでいくという仕組みにつながるのかどうかという感想を持ちました。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。渡邉委員、どうぞ。

【渡邉委員】
 失礼いたします。今の及川委員さんの発言の内容とほぼ同じなのですが、冒頭北城委員さんの方からありました、自己肯定感が低いという問題につきましては、義務教育、小学校、中学校の段階から、学力だけで評価されてきている、そういう部分が多いのではなかったのだろうか。学力の低い子供たちが認められたり褒められたりする経験が乏しい、それが一つ大きな原因になっているのではないかなと思います。先ほど眞砂委員さんからもありましたけれども、様々な体験活動を通して成功体験を適切に評価してあげる、そういう経験をすることによって、この肯定感というのはどんどん上がってくるのではないかなと考えています。
 それとコアとの関係なのですが、そういう体験活動を通した、ある意味では時間のかかる教育活動を、コアの内容として果たして取り入れることが可能なのかどうか。これは私自身も判断しかねる状況で、やや疑問が残るところでございます。荒瀬委員が前々からお話しになっておりますけど、いわゆる共通性と多様性のバランスをどうとるか、ここに大きく関係してくる内容ではないかな、そんなふうに感じております。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。では、長塚委員。ほかに。では、北城委員。長塚委員からどうぞ。

【長塚委員】
 大体同じような意見になるかもしれませんが、自己肯定感が低いというのは、国際比較調査によると、小学生の時から日本の子の自己肯定感が低いということは、もう分かっており、高校生だけに限ったことではないわけです。中学でもそうだという先ほどの御報告がありましたけれども、ということは、日本の教育全体を覆っている問題であるということだと思います。自己肯定感が低いという小中高の子供たちの実態は、子供たちにとっては正に幸福感がないと言っていいわけで、非常にこれはゆゆしきことだと思います。
 そういう状況をこのまま続けていくわけにいかないというのは、共通した認識に立てると思うのですけれども、そういう中で高等学校教育は特に多様化させてきた。多様化したというのは、子供たちの実態がいろいろ多様であるからということで、制度をいろいろ多様化させたのですけれども、実際には子供の多様な能力というのを認めるような多様な教育には決してなっていないということではないでしょうか。すなわち子供の能力というのはいろいろな側面を持っているわけで、それを引き出すような多様な教育ということでは決してなかったということなのだろうと思います。制度だけが多様化していっても、子供たちの多様な能力を引き出すようなものにはなっていないということが、一つあるのかなと強く感じております。
 しかし学校の教育内容というのは、その作り方がほとんど学習指導要領に始まって、教科を中心として作られておりますから、その教科中心の中でどう子供たちの多様な力を引き出していくかというのは、非常に難しいと考えているのですけれども、いろいろな教科がある中でも、それをただ受け身ではなくて主体的に、先ほどから出ておりますような、考える力、課題を解決する力を引き出してやるということに持っていくことが、どの教科も重要なのだろうと思います。そういうことに主眼を置いていくことが、正にコアの在り方なのかなと感じています。新しい、何かキャリア教育をするとか、特別な教育をまた総合学習の中に入れるとか、そういうことでそのコアが作られるのではなくて、いかに子供たちの様々な能力を教科の中で引き出せるのかということを中心に、コアというのを考えていく、そういうものではないかなという気がします。
 しかし、やはり特に妨げになっているのは、大学入試との関係で、どうしても双方向的に課題解決をするような、子供たちに考えさせるような授業展開をするのは非常に難しいという現実もあります。ですから大学入試の在り方がやはり変わっていかないと駄目なのだろうという面ももちろんあるだろうと強く思います。
 例えばフランスの大学入試では、聞いたところでは、哲学的な問題が出されるとか、数学も論述問題が出され、論述で答える。しっかりとした自分の考えを持っていなければ答えられないような大学入試の仕組みになっている。そういうことも含めて、高等学校の教科の課題解決、自分で考えるという力を作り上げていく方向に持っていかないといけないのではないかということを、特に感じております。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。では、北城委員。荒瀬委員も。

【北城委員】
 今、長塚委員がおっしゃったことにも関係するのですが、今産業界が求めている人材というのは、もちろん基礎的な知識は必要なのですが、それを使って課題を解決するとか、主体的に考える能力が必要です。また、分からないことに挑戦する能力も必要なので、そういうことができる人材、そして、自分の考えを人にコミュニケーションして、一緒にチームで働く能力を求めています。やはり自分に自信があって、やってみようという気持ちがあるから挑戦ができるので、自分に自信がなくて受け身の人材では活躍できないと思うのです。
 そういう意味では、日本の教育というのは初等中等教育から大学教育まで、知識を吸収している人材がすばらしい人材だと考えてきました。実はそれは、戦後日本の産業の発展に非常に貢献をしてきたわけですけれども、しかし今は知識を持っているだけではなくて、それをどう活用するかという能力が求められている状況になっているにも関わらず、教育の仕組みが時代の変化にうまく対応していないということがあると思うのです。
 特に、今、長塚委員もおっしゃいましたけれども、大学の入試が知識をどれだけ持っているかということを試す問題が非常に多いので、それだけではないと思いますけれども、やはり大学の入試の在り方そのものも変えていかないと、高等学校教育、あるいは初等中等教育全体の改革にも結びつきません。
 前にもお話ししたかもしれませんけれども、アメリカの有力大学では入学試験はないと思います。ハーバードでもスタンフォードでも入学試験はないはずです。高等学校の成績とか推薦状とか、いろいろ多様な要素を見て入学が決まります。そういう意味では、日本は、中学校を受験する学生、高等学校あるいは大学を受験する学生たちは、ほとんどがどういう知識を持っているかということを中心に教育をしてきたために、試験で成績がいい子供が優秀な子供だというような教育になっています。これでは、子供たちも自信が持てないでしょうし、新しい環境の中で活躍もできないと思うのです。
 そういう意味で、指導要領を変えるということも大事ですけれども、結局、半分以上の子供たちが大学に入る現状では、大学の選抜の仕組みを変える必要があると思います。また、教育の場ではもっと主体的に考えさせる、観察をさせる、自分の意見を発表する、いろいろな挑戦をする、そういう能力を高めるような教育をしていくということが大事です。
 したがって、どの科目をコアとするかということも大事ですけれども、そのコアをどう教えるかというところにもっと踏み込んでいかないといけないのです。それから前から出ている高等学校と大学の接続の問題を考えないと、多くの有力な大学に進む子供たちを教育している高等学校教育が変わらないと思います。

【小川部会長】
 そろそろ時間も迫っていますけど、ほかに御意見のある方。金子委員。ほかにどうでしょうか。なければ荒瀬委員、そして最後に金子委員ということでお願いします。

【荒瀬委員】
 ありがとうございます。資料1の14ページに、コアについて書かれています。その18行目から19行目にかけて、「コアについての到達目標は国が設定することが考えられるが、それは指導内容として定めるか、身に付けるべき能力や態度として定めるか」ということが書かれています。私はコアというのはやはり、アウトカムという点からも身に付けるべき能力や態度として定めて、こういう力を身に付けようということを進めていかなければならないと思っています。
 先ほど共通性と多様性がクリアできなかったと考えているということも申しましたが、コアを共通性の具体化と考えますと、私は先ほども申し上げましたように、やはり学習意欲、学ぼうとする力とか、学び続けようとする力、これが非常に大切だと思います。
 これはきっと挑戦する力にもつながるでしょうし、将来社会に入った時に必要な力にもなっていくのだろうと思うのです。学ぼうとしない限り教科の学習などもしようとは思わないわけで、そこのところを重視すべきです。身に付けるべき能力や態度として定めなければならないのではないかと思います。
 新しい学習指導要領で、特に総合的な学習の時間というのはそういうことを想定して作ってあるのだと、私は思っています。総合的な学習の時間というのは、あえて申し上げれば高等学校の多くで結構お荷物として扱われている。こういうものを入れるから受験に対する必要な教科の学習ができないということになってしまっているという声も聞きます。総合的な学習の時間をもう一度しっかりと各高等学校が見直して、それを進めていくということをすると、私は随分高等学校教育は変わっていくと思います。
 自分たちで考えて何かをするという経験を積んだ生徒は、教科の授業に対しても、生徒自身が評価をしていくようになると思うのです。私は経験的にそういう姿を、偏差値が高い生徒だけではなくて、低い生徒もまた同じであるということを実際に見てきましたので、そこのところを大事にすべきだと考えています。総合的な学習の時間というのを、要はPBL,プロジェクト・ベースド・ラーニングとか、プロブレム・ベースド・ラーニングとかいった、そういう形のものにしていけば、生徒の学習意欲は変わるということを思っています。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございます。では最後、金子委員、どうぞ。

【金子委員】
 いろいろな意見でそのとおりだと思ったのですけど、ただ一つ、私が少し先生方と意見が違うところだけ申し上げておきたいと思います。学力低下の話ですけれども、何か自分の力が比較的限られていると感じている傾向が、日本の高校生には強いのですが、これはまず最初に、日本人全体について世論調査をすると全てそう出てくるので、日本人の特徴です。しかもこれは中国、韓国と比べても明確に違います。これは教育のせいというより、むしろ日本の文化そのもののお話ではないかと思います。
 もう一つは、何でもできると思っていることが本当にいいのかどうかというのも、私は疑問だと思うのです。自分は本当に何ができて、その限りで何をしたいのかということが重要なのであって、何でもできると思っていることがいいのかどうか。私はアメリカの大学で教えていたこともありますけど、放っておくと何でもしゃべるという学生を抑えるのが教師の非常に重要な役割でありまして、それはそれで非常に傑出した人を作るのにいいという議論もありますが、しかし考えてみると、私は、それはかなりマイナス面もあると思う。
 私は、自分についてきちんと認識して、そこから意欲ができてくるということが重要なので、手放しに肯定すればいいという話でもないと思います。これは個人的な意見ですが。
 今日は、コアは何かという議論ですけれども、やはり基本的に教科を枠として、その教科はそのままにして、教科の中でマトリックス的に、どこの教科でどういうコア、コンピテンスのようなものを作っていくと発想するのか、それともコアと言いますか、意欲とかいったものに直接関係するような科目を作っていく。例えば総合的な学習の時間のようなものに、そういったものを補足してやっていくのか。あるいは私は中間的な考え方として、教科をもっと大括りにして、その中で各高等学校が自分たちの判断でこういうコンピテンスを作りたい、こういう能力を作りたいと判断して、それによってカリキュラムを作っていくと考えるのか、幾つか方法はあると思うんです。
 それでコアとなるコンピテンスと言いますか、この定義については今までも相当いろいろな議論があります。しかし様々な専門家がそれぞれの意見をもっていて、標準化したテストを作るのも難しい。その議論も必要だと思いますが、何がコアかということについて議論するのと同時に、ストラテジーとして高等学校における教育の在り方と、このコアと言うか、基本的な能力、あるいは意欲の形成をどのように結び付けるのか、ここら辺が問題になるということだろうと感じました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。時間が過ぎてしまいましたので、今日はこの辺にさせていただきます。
 今日はおおよそ、一つは高等学校での学び、特にコアを考えていく上での幅広い高等学校教育の現状や、生徒の学びの現状を、幅広く意見交換できたのかなと思っています。
 二つ目には、コアをどういう形で今後考えていくかということに関わりますけれども、それを考えていく際のアプローチというかベクトル、これは川嶋委員の方からも意見が出ましたけれども、これまでの小中学校の積み上げの中でそうしたものを考えるのか、又は将来、少なくとも大学教育に必要な能力は何かという、上からのベクトルで高等学校のコアの問題を考えていくか、考えていく際のベクトルをどうするかという問題が出てきたように思います。
 三つ目は、今、金子先生が最後に的確にまとめていただきましたけれども、そのコアをどう考えるかということとともに、コアをいわば教科の中で取り組んでいくのか、つまりそういうコアの一つである課題解決能力を引き出す、やはり授業改善というところでそれぞれの教科が取り組むのか、又はそうしたいわゆる教科科目以外の何らかの仕組みを作ってやるのか。更にはコアというものを、ある意味では教育の目標や方向と捉えて、そうした方向性に様々な教育活動を収れんしていくような型にするのか、それはいろいろな形があるのではないかということが出されたように思います。
 次回はおそらく今日の議論を踏まえて、先ほど荒瀬委員からも出たように、今度の高等学校の教育課程の中でも共通性という問題が議論されているようですけれども、我々が今この部会で使っているコアと、高等学校の教育課程部会で議論されている共通性というのは、必ずしも同じではないと思うのですけれども、少しコアを考えていく上では、今度の新教育課程での共通性、多様性のところがどう絡まるかということも、これは部会とすれば少し意見交換した方がいいのかと思いますので、次回辺り、高等学校の教育課程部会の座長だった安彦先生に、少しそれに関係した御報告をいただいて、議論してみたいと思いますし、先ほど金子先生から出た、いわゆるコンピテンシーになるものについても、専門家をお招きして、議論がどう展開されて、どういう整理をされているのかということも少し押さえた上で、コアの有り様を検討できればと思っています。
 次回以降についてはまた、事務局とも相談して、どういうヒアリングをしながら議論を深めていくかということは、少しお任せいただきたいと思いますけれども、一応今日はこの辺で終わらせていただきます。
 次回以降、もしも予定が定まっているのであれば、事務局の方から御説明いただきます。

【小谷教育制度改革室長】
 次回の日程でございます。資料7で配付させていただいております。次回は9月7日10時から12時、文部科学省16階の特別会議室で開催させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 ありがとうございました。今日はこれで終わりたいと思います。

―― 了 ――

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