高等学校教育部会(第7回) 議事録

1.日時

平成24年4月16日(月曜日) 13時~15時

2.場所

旧文部省庁舎6階 第二講堂

3.議題

  1. これまでの意見の整理
  2. その他

4.議事録

【小川部会長】
 定刻になりましたので、ただいまから初中分科会高等学校教育部会第7回を開催したいと思います。委員の皆様にはお忙しい中、御出席いただきましてありがとうございます。
 それでは、まず配付資料について事務局からお願いいたします。

【小谷教育制度改革室長】
 本日の配付資料でございますが、議事次第にございますように、資料1から3、そして参考資料1、参考資料2でございます。このほか委員の皆様の机上には、3月26日の中央教育審議会大学分科会の大学教育部会において取りまとめられました、「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」という審議のまとめを配付させていただいております。不足等ございましたら、事務局にお申し付けください。

【小川部会長】
 ありがとうございました。配付資料の件、よろしいでしょうか。
 それでは、これから議事に入りたいと思います。これまで6回にわたって検討課題のテーマに即して論点ごとに議論していただきました。今日、その議論の中で皆さんからいただいた御意見を踏まえて、高校教育部会として高校教育をめぐる課題を整理するとともに、今後の審議に当たっての検討の視点を中心にしながら、審議していただきたいと思っています。
 まず、今日議論していただく資料として、資料1及び2について、事務局から説明をいただければと思います。よろしくお願いいたします。

【小谷教育制度改革室長】
 それでは資料1を御覧いただければと思います。
 資料1は、「課題の整理と検討の視点(案)」ということで、これまで部会長からのお話がございましたように、委員の皆様方の御審議をもとに事務局で用意させていただいた資料でございます。その際には、資料2としてお配りしておりますが、高等学校教育部会において出された主な意見、ここでは主な意見のみを上げておりますが、議事録等に当たって参考にしたものに基づいて作成したものが資料1でございます。
 資料1の1ページを御覧いただければと思いますが、1に、まず「高等学校教育の現状」といたしまして、(1)におきまして、学校教育法に規定されている「高等学校教育の目的・目標」を記述した上で、横に行番号を振っておりますが、17行目から、高等学校の卒業が大学等の入学に必要な基礎資格等となっていることを記述しております。また(2)の「高等学校の現状」におきまして、進学率の増加や多様化の現状を記述し、33行目の丸から、平成3年の中央教育審議会の答申における提言について記述しております。
 2ページ目に参りますけれども、2ページ目からは、提言を受けた施策につきまして記述した上で、8行目の丸からですが、先ほど申し上げました資料2を御紹介しておりますけれども、これまでの会議での各委員の御指摘や御参考をもとに、事務局において課題の整理を試みております。
 まず長塚委員の御指摘にもございましたが、生徒の学びについての選択の機会を広げてきたにもかかわらず、高校教育は様々な課題が存在するわけでございますが、11行目から具体的に、加藤委員や北城委員等から御指摘がござました、将来の進路等の関連を意識して学ぶことですとか、あるいは相川委員や小杉委員等から御指摘があった、社会の一員として求められる意識・態度等の減退、また安西委員や金子委員から御指摘のあった学習時間の減少等について触れております。
 その上で、15行目の丸からですが、高等学校を一括りにできないこと、普通科でも課題が異なっていることを記述した上で、金子委員から御指摘がございました、生徒の進路に着目をいたしまして、課題の例を掲げております。選抜性の強い大学へ進学する生徒につきましては、安彦部会長代理や北城委員から御意見があった受験等の関係ですとか、あるいは荒瀬委員や上野委員から御発表いただきました、優れた才能を伸ばす教育に関する拡大、また眞砂委員等から御発表があった、グローバル化に関する課題につきまして掲げております。選抜性の強くない大学へ進学したり、専門学校へ進学したりする生徒につきましては、先ほども紹介しました学習時間の不足ですとか、将来の職業生活等を念頭に置いた教育を受ける機会の不足について書いております。就職する生徒につきましては、小杉委員や直原委員等から御意見がございました、社会の産業構造の変化に対応した教育を受ける機会が不足していることですとか、職業に関する技術、技能、教科科目の関連性が曖昧であることを掲げております。このほか、小林委員や渡邉委員等から御意見がございました、不登校や中退の問題、更に特別な支援を必要とする生徒の課題について記述をしております。
 3ページを御覧いただければと思います。3ページにつきましては、及川委員から既に前提ではなくなっていると御意見がございました、いわゆる適格者主義の考え方につきまして、昭和38年の当時の文部省の通知以降、この適格者主義についての考え方がどのように変遷しているのかを記述いたしました。
 4ページを御覧いただければと思います。4ページからは、これらの課題の整理を踏まえての検討の視点につきまして、御審議のたたき台となるよう事務局で整理を試みたものでございます。「何々について必要ではないか。」と疑問形の文章が多く出てまいります。これは、事務局でこの案を作成するに当たりまして、それぞれの事項についてこれまでの御審議で結論が出ているわけではないことが明確になるように、敢えてそうさせていただいております。
 まず2ポツの「今後の施策の方向性」についてでございますが、初めの丸で、3ページで記述した考え方の経緯なども踏まえまして、全ての意志ある生徒が後期中等教育段階の学びの機会が与えられるようにすることが必要ではないかということ、ただしいわゆる義務教育化を目指すものではないことを明らかにすべきではないかということを記述いたしまして、次の9行目の丸で、それぞれの学校ごとに生徒が修得すべき内容を明らかにし、その内容を確実に修得させることを通じて、個々人の次なるステップに向けてその能力等を高めることができるようにしていくことを基本とすべきではないか。そして15行目の丸で、そのことを前提としつつ、各学校における学習内容の修得状況を明らかにする様々な仕組みを構築し、高等学校教育の質保証につなげていくことが必要ではないかということを記述しております。
 19行目からは、その際、安彦部会長代理や安西委員、あるいは荒瀬委員等から御意見、御指摘がございました、高等学校教育の「コア」という形でここでは書いておりますが、このコアについてどのように考えていくのか。特に個々の学校が当該学校の特性に応じて定める修得すべき内容と、全学校横断的なものとして位置付けるべきコアの在り方を、現行の学習指導要領における必履修教科や科目との関係等を踏まえつつ検討していくことが必要ではないかと記述しております。
 そして25行目の丸で、この高等学校教育のための施策の検討に当たっては、高等学校を一括りで捉えるのではなくて、例えば各学校の育成すべき人材像に応じて類型を念頭に置いた施策を講じることがより効果的ではないか。ただしこのことが各学校を序列化したり、あるいは国が各学校の役割・機能を決定したりすることではないことについて記述した上で、考えられる類型の例を以下のように挙げております。
 5ページに参りますと、その上で、6行目の丸にございますように、小林委員や渡邉委員等から御意見があった、不登校や高校中退などを経験した生徒ですとか、あるいは発達障害を抱えた生徒への特別な配慮について記述した上で、次の10行目の丸ですが、少子化が進行する中での高等学校の在り方について検討することが必要ではないかということも記述いたしまして、更に16行目の丸でございますが、これらの検討の観点において必要がありましたら、アキレス委員等から御意見があった課程や学科の区分の在り方ですとか、眞砂委員から御意見がございました学校外学修の単位認定等の制度の在り方等について、検討することを記述しております。その際、新学習指導要領につきましては、平成25年度から年次進行で実施されますので、その点の留意の必要性にも触れつつ、川嶋委員等からも御指摘がございましたように、必要な見直しについて検討することが必要ではないかということを記述しております。その上で、22行目の丸からは、小川部会長から御指摘がございましたように、国として制度的仕組を構築することにより対応すべきものもあれば、学校現場における取組を支援することにより対応すべきものがあることを記述しております。
 6ページ目からは、3「高等学校教育の質保証」ということで、及川委員や金子委員等から御意見をいただきました高等学校教育の質保証について記述しております。まず質保証に関する現状としましては、高等学校教育の質保証が求められる背景について記述しております。初めの丸と7行目の丸で、第2回の部会で事務局から詳しく御説明しましたけれども、現行の学習指導要領や実際に指導される内容、単位や卒業の認定の関係について記述いたしました。12行目の丸からは、その際に和田委員から御指摘があった教科書の多様化についても記述をしております。16行目の丸では、これらのことを踏まえまして、各高等学校では学習評価と学校評価に取り組む必要があること、そして22行目の丸では、しかしながらこれらの取組が必ずしも十分ではなくて、結果として、生徒が高等学校の学習において何をどの程度修得したのかが見えにくくなっていること、そして28行目の丸で、高等学校実質無償化という政策によって、高等学校教育の成果が一層問われていることについて記述しております。
 7ページを御覧いただければと思いますけれども、7ページからは、今後の質保証の考え方につきまして、事務局において論点と考えられるものを挙げてみました。1つ目は、そもそも、先ほど申し上げましたが、高等学校でどんな能力を身に付けさせるかということでございます。ア)で、実態に合わせた多様な到達目標を設定することが基本ではないかという論点、そしてイ)で、コアとなる部分をどのように考えるかという論点を挙げております。
 2つ目が、その到達目標をだれがどのように設定するかということです。ア)で、設置者又は各学校が設定することが考えられるか。またこの場合、国の役割をどう考えるかということ、イ)で、コアについては指導内容として定めるのか、身に付けるべき能力や態度として定めるのかという論点を挙げまして、またコアとして考えられる例をたたき台として2点ほど挙げております。
 3つ目が、到達目標に対する達成度をどのように把握するかということです。達成度を測る仕組みや指標の在り方をどう考えるか、設置者又は各学校が設定することが考えられるのか。またこの場合、国の役割はどう考えるかということ、更に達成度を測る仕組みや指標としてどのようなものが考えられるかを挙げまして、仕組みや指標の例といたしましては、及川委員や金子委員から御意見がございました、共通のテストだとか検定などを挙げてみました。
 そして29行目の丸4ですけれども、上記の点を踏まえた質を保証する仕組みをどのように構築するかということを挙げました。ここでは例として学校評価について触れておりますが、ほかにも様々な事項が考えられるかと思います。
 8ページに参りまして、8ページからは、これまでの部会で御意見のあった「各種の振興方策」について掲げております。まず(1)で高等学校教育共通に考えられるものを挙げました。1つ目は、コアに関する指導の充実についてということでございます。参考資料で今日お配りしておりますが、及川委員が先日の教育振興基本計画部会で意見陳述されましたが、その時の資料をお配りしております。その中で指摘されていらっしゃいます市民性を育む教育の充実ですとか、あるいは小杉委員や小林委員等から御意見があった、社会的・職業的自立に必要な基盤となる能力や態度を育成する教育の充実等について、触れております。
 2つ目は、質保証に関する取組です。学校ごとに修得すべき内容を明らかにし、その内容を修得することを徹底し、それを前提として修得の状況を明らかにする仕組み、学校評価ですとか学習評価を充実する取組ですとか、各学校で客観的に修得の状況を把握するための多様な測定指標例の検討として、括弧で書いておりますが、そういったものを挙げております。
 3つ目が、教育方法の改善・充実でございます。19行目から、学校間連携の促進ですとか、野上委員から御意見があった学校外の教育機関等との連携・促進を、あるいは金子委員や伊藤委員から御意見のあった授業の改善につきましては、22行目あたりから、眞砂委員や、ヒアリングを実施した袖ヶ浦高校の御発表ですとか、あるいは和田委員等の御意見などを参考にして記述いたしまして、更に少子化時代に対応した教育課程の編成、指導体制の在り方の検討についても記述をさせていただきました。
 29行目からが(2)として、(1)のほか、各学校の育成すべき人材像に応じた類型を念頭に置いた振興方策の例を挙げております。35行目の「主として、社会経済活動の基盤を担う人材に必要な資質・能力の育成を目指す学校」につきましては、学習達成度の指標とするとともに、指導内容を定着させるための高等学校卒業程度認定試験の問題等の活用ですとか、あるいは9ページ目の2行目にありますけれども、ヒアリングを実施いたしました布施北高校から提案がございました、普通科高校において、より柔軟な教育課程の編成を可能とするための制度の見直しについて、記述いたしました。
 6行目の「主として、専門的職業人に必要な資質・能力の育成を目指す学校」につきましては、アキレス委員や小杉委員から御意見のあった、社会のニーズと専門教科・科目のミスマッチを解消するための取組の実施ですとか、野上委員から御意見のあった、地域・産業界等との連携・交流を通じた実践的な学習活動や就業体験の導入、更に職業に関する資格等の取得に必要な学習内容と教科・科目の関連性の可視化・明確化を図る取組の充実等について、記述しております。
 16行目の「主として、社会におけるリーダー層やグローバル社会において国際的に活躍できる人材に必要な資質・能力の育成を目指す学校」につきましては、20行目から、川嶋委員や長塚委員から御意見のあった高大連携の推進について、あるいは眞砂委員から御意見のあった、国際バカロレア認定校などの学修など、学校外活動への単位認定制度の拡大について、更には第3回で御議論いただきました、早期の卒業を認める制度の創設について、また北城委員等から御指摘いただきました英語教育の充実について、更に長塚委員から御指摘いただきました高校生の海外留学について、そして眞砂委員から御意見のあった国際バカロレアの趣旨を生かした指導方法の検討などについて、記述しております。
 28行目の「主として、自立した社会生活・職業生活を営むための基礎的な能力の育成を目指す学校」につきましては、コアとなる内容を確実に身に付けさせる取組の充実のほか、教員の質向上や、渡邉委員から御意見のあった専門スタッフの充実について、更に10ページに参りまして、ヒアリングを実施いたしました東京都教育委員会から御発表のあったような、課題を抱える生徒を受け入れる学校と、学校外の社会資源の連携ですとか、不登校の生徒を積極的に受け入れる学校の配置の促進について、また3行目からは、北城委員や長南委員、渡邉委員から御意見をいただきました、定時制・通信制課程の意義・役割の評価とそれにふさわしい教育環境の整備・充実について、6行目からは、長塚委員から御意見のあった広域の通信制課程における教育の質の確保と、ヒアリングを実施しましたNHK学園高校から御発表がありました情報通信技術の発達を踏まえた教育方法の充実について、更に8行目以降は、特別支援教育支援員等の専門スタッフの充実等について、記述いたしております。
 この資料をたたき台としていただいて、高校教育における主要な課題と検討の方向性について御審議いただき、今後の審議の進め方について共有していただければと思っております。事務局からは以上でございます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 こちらの、今御説明いただいた資料1に基づいて審議を進めていきたいと思います。今の説明からお分かりのとおり、この資料1は大体4つの柱で構成されております。高校教育の現状、2として今後の施策の方向性、施策の方向性の中でも特に中心的な課題である高校教育の質保証の問題、そして最後に、以上を踏まえて各種の振興方策となっています。1から4まで全て関係しますので、全部一括して議論という選択肢もあるかと思いますけれども、やはりちょっと議論が広がり過ぎる危惧もありますので、基本的に1と2、そして2の今後の施策の方向性にかかわって、やはり質保証の問題は関係してくる問題ですので、大ざっぱに1から3ぐらいまで視野に入れて、まず前半、皆さんから御意見をいただいて、それを踏まえて後半、もう少し今までの議論をより具体的な振興方策として考える際、どういうことがあり得るのだろうかということを、皆さんから御意見をいただきたいと思っています。一応、前半が1から3ぐらいまでの枠で、後半は3も入れつつ4を中心に議論ということで、時間配分をさせていただければと思います。
 もう1つ、今日、参考資料として幾つか机上配付されています。1つ、先ほど説明にもありましたとおり、3月26日の教育振興基本計画部会に、全国高等学校長協会から今日は及川委員が御出席ですけれども、校長会としての御意見を発表されましたので、この参考資料2-1を踏まえて少し関係するテーマにかかわって、この内容を御説明しながら御発言いただければと思います。
 もう1つは、皆さんのお手元に冊子で、大学分科会の大学教育部会が3月26日におまとめになりました「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」という審議まとめが出ております。この内容は、高等教育だけではなくて高等学校、中等教育学校の問題にも触れながら課題を整理しておりますので、現在、1、2、3の議論をする際、今日幸いにも、この大学教育部会に関わっていた安西委員も御出席ですので、少しこの内容を説明していただきながら御発言をいただければと思いますので、その辺を安西委員、よろしくお願いいたします。
 ではこれから早速議論に入っていきたいと思います。まず1、2そして3も含めて、皆さんからの御意見を伺いたいと思います。どなたからでも構いません。どうぞよろしくお願いします。最初、発言しづらければ、及川委員、先ほどの資料2に基づいて、何か1、2、3に関係して御発言いただければと思います。

【及川委員】
 先ほど事務局から説明があった内容の中に全て含まれているなと改めて思ったんですけれども、教育振興基本計画のヒアリングの際に、全国の校長会として申し上げたのは、振興基本計画そのものの中に、高校教育が、初等中等教育と高等教育という区分の中で扱われるケースと、それから義務教育終了までと義務教育後という2つの区分で高校教育が扱われるという状態にあります。中等教育と高等教育ということであれば後期中等教育に入りますし、義務教育云々であれば義務教育後となるわけで、2つのカテゴリで扱われていること自体が高校教育の多様化という現状を反映しているだろうということで、振興基本計画に、まず高校教育をどうとらえるかを、はっきりうたう必要性があるのではないか。そうではないと改革の方向性が違ってくるのではないかという意味で、申し上げています。
 あとは、改めて、先ほどの説明の中にあったことと同じですが、高校教育の多様な現状についてまとめてあります。義務教育の学び直しの規定であるとか、高大接続の問題を挙げてあります。それから質保証の仕組については、高大接続テストが構想されていますけれども、基本的には、推薦入試とかAO入試の学力の外形基準として活用することは有効ではないかということで、意見は表明してあります。それから高大接続テストは質保証の観点から言えば、基礎的な学力のみならず思考力、判断力とか表現力等といった学力も含めて判定できるものでなければ、質保証の仕組としては不十分ではないかということで、挙げてあります。技術的にその実行可能性の面で限界があると言われているようですけれども、現に行われている全国学力・学習状況調査やPISAなどがあるわけですから、質保証の仕組としては、今申し上げたような幅広い学力を測定できる仕組であることが望ましいということです。
 あとは、質保証のことで、高校は実は現状としては履修主義ではないか。学習指導要領で必履修の教科・科目は定められていますけれども、卒業に必要な単位は単位数が定められているということで、中退を防止する観点から各学校が努力していることは、まず、とにかく履修させることで、それが大きな取組になっています。したがって履修をすれば、実は修得に関しては弾力的に扱っていくのが実情です。そういう意味で事実上、履修主義という原則に近いと、言えるのではないでしょうか。そういう意味では、質保証というのは、実質の修得主義に転換する必要性があるのではないか。ただ今の仕組の状態で修得主義に転換すれば、逆に中退者が増える可能性があるわけですから、先ほどの事務局の説明にもありましたけれども、修得の仕組を構築していく必要性があるのではないかと考えます。
 まとまりませんけれども、以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、どうぞ御発言、御質問を含めてあれば、よろしくお願いいたします。いかがでしょうか。
 安西委員、よろしくお願いします。

【安西委員】
 部会長から御指名もありましたので、大学分科会の大学教育部会でまとめていただいております、お手元に配られております白い冊子がありますけれども、それを中心にして手短に状況を御説明申し上げたいと思います。
 御存じのように、大学進学率が既に5割を超えている中で、学士課程教育の質の保証をどうしていくかということについて、大学分科会では長い間議論をしてまいりましたが、社会がもう待ってはくれない。大学の教育の在り方として、その白い冊子を開けていただくと、1ページに四角く囲って太文字で書いてある文章がございますけれども、その3つ目のパラグラフに、「このような時代にあって、若者や学生の『生涯学び続け、どんな環境においても“答えのない問題”に最善解を導くことができる能力』を育成する」ということです。これができない人間が大学を卒業しても、もうこれからの時代には食べていくことすら難しくなるのではないか。多少大げさに聞こえるかもしれませんけれども、大学でこういう力を身に付けさせることが必須の課題だという認識に立つようになりまして、特にそのように考えていきますと、大学生が自分で学ぶ、学習する時間が極めて少ないことが、1つの象徴的ではありますが、大きな課題として浮かび上がってきております。
 もちろん高校教育の多様性は今ここでも言われていることでありまして、5%ぐらいがどうしても退してしまうという状況の中で、一方でほかの5%は、いわゆるトップレベルの大学を目がけて激しい受験競争を繰り広げておりまして、一方で、そういうところに入学したからといって日本の主要大学が本当にグローバルになっているのかというと、なかなかそういうわけではないと理解されます。
 またマジョリティーのある部分であります約30万人弱の高校を出て大学に入っていく人たちが、大学入試を全くなしで、いわば高等学校で、入試のための勉強というとあれですけれども、勉学の時間が非常に少ないままに大学入学をしているという実態がありまして、その大体二十七、八万人と言われておりますが、そういう人たちが今度は大学に入った後、これまた何も勉強せずに就活に身を費やして、それで卒業できてしまうという状況を何とかここで変えていかないと、日本の将来は本当に危ういのではないか。また若い人たちそれぞれの人生も切り開かれていかないということがございます。
 科学技術のイノベーションを含めたイノベーションを、これから日本はやっていかなければいけないわけでありますけれども、イノベーションのベースになる人材育成も今申し上げた中には含まれていくと思います。
 短くて良いのが多少長くなって申し訳ありませんけれども、お手元の白い冊子の後ろに図がいろいろ載っておりまして、今申し上げたことで言いますと、参考の29ページから関連データが載っておりますが、31ページの下のグラフを御覧いただきますと、手短に申し上げますと、日米の大学1年生の比較で、日本の大学生の1週間の自分の学習時間は5時間に満たない学生が半分以上を占めているという現実がありますし、次の32ページの上に行きますと、分野別で言うと、どうしてもやはり社会科学等の学生が勉強時間といいますか、自分の学習時間が非常に少ないというデータがあるわけです。ほかの分野もおしなべて同様でございまして、これをどうしていくのかについて、大学分科会といたしましては、もう大学の先生を待っていられない、むしろ学生と直接対話をしていこうという動きを持っておりまして、これから全国の大学に呼びかけて、これから学生がどういう人生行路を歩むのに、どういう学び方をしていかなければいけないかということについて、学生にも直接呼びかけていくというアクションをとろうとしている状況にございます。
 世間からは大学は何をやっているのかと言われ、もうちょっと別のデータを1つだけお見せしますと、34ページの下には、恐縮ですけれども、高校生の学校外における平日の学習時間の推移のデータも出ておりまして、偏差値を使うのがいいのかどうか分かりませんが、ここでのデータは偏差値50から55の高校生については、特に1990年から2006年にかけて、勉強時間が激しく減少しているという事実があるわけです。これがさっき申し上げた、大学入試はあって無きが如しという状況と一致しております。また家庭の環境、いろいろなことが関係している可能性もあります。
 いずれにいたしましても、大学分科会といたしましては、是非高等学校教育部会とタイアップして、高校生、大学生がやはり自分の人生行路を自分で切り開いていけるような教育環境、学びの環境を創っていくことを、是非推進していきたいと考えておりますので、高等学校教育部会には大変期待をしておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 どうもありがとうございました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、皆様から御意見を伺いたいと思います。どうでしょうか。
 荒瀬委員から、お願いたします。

【荒瀬委員】
 前回休みまして、前々回に聞いていたところから、随分と議論が進んだなと、今日まとめていただいたものを拝見して思いました。
 個々に申し上げると随分時間がかかりますので、やや総合的に申し上げますけれども、25年度から完全実施になる高等学校学習指導要領をどのようにしていくかを中教審で議論していた時に、特に高等学校教育においては、多様性と共通性をどのようにクリアするかが非常に大きな課題でした。多様性と共通性をクリアするというのは、本当にできるのかということを常に議論しながら、安彦委員が高等学校部会の主査をなさり、私は副主査として四、五回議論をいたしましたけれども、結局答えは出ませんでした。現在それがどうなっているかというと、必履修科目については共通にしたということが、1つの共通性であると。また選択科目はそのままたくさん残していることが、多様性への対応であるという解釈が行われているように思います。
 しかし、その時にも思っておりましたし、中教審でも発言をいたしましたけれども、私が一番大切なのは、やはり今回、学校教育法にも明記された学力の重要な三要素を中教審で議論していた時に、基礎的・基本的な知識・技能の習得は、人によって差があるし、また学校によっても相対としては差があるだろうと言えるわけです。それが高等学校の多様性にもなっているわけです。また当然のことながら、それらを使って課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力等というのも、基礎・基本に左右される部分がありますから、そこにも違いはあるだろう。しかしながら3つ目の要素である学習意欲は、決して違わないのではないか。これを何らかの単位を作って、学習意欲が例えば50キログラムあるとか30キログラムだとか量ることはできないわけで、知らないのでやってみたいとか、よくわからないから調べてみたいとか、ここに行ってみたいとか、そういう何々したいという気持ちが、実はこれからの教育において当然必要なことであり、且つまた高等学校教育もその例外ではない。先ほど安西委員から御説明がありましたけれども、この大学分科会でおまとめになったものは、「生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」ということでありますから、まさにそれはつながっているわけだと思うのです。
 それを大前提に考えていくことは、当然この部会においても周知の認識された事項だと思うのですけれども、資料1の、今御指摘のあった1番から3番あたりを見ていると、一方では高等学校教育について根本から考えていこうという発想のところに、もう一方では、やはりそれを具体化していくに当たっては何らかの基準のようなものが必要ではないかということも掲げているわけであります。
 私はこの3月まで高等学校の校長をしておりましたので特に強く思いますけれども、各学校においても、一律この学校だから生徒のレベルは一緒であるとか、同じような性向を持っているということは決してないわけでありまして、個々に様々異なります。ですから、それぞれの生徒の状況に応じて具体的にどのような教育を進めていくのかというのは、私は高等学校レベルで真剣に考えていかなければならないだろうと強く思っています。
 その際に、ポイントとしては、学習指導要領は私も編成にかかわった人間でありますので、学習指導要領が大好きであると折に触れて申し上げておりますけれども、しかしながら25年度から学習指導要領が完全実施されますが、そこに拘われることなくというと誤解を生むかもしれませんが、本当にこれからの高等学校教育にどのようなものが必要なのかを考える時に、ここに掲げていることをした時、ではそれを社会が受け入れてくれるのか、企業は受け入れてくれるのかといったことに、もう少し視点を置いて、次につないでいけるのかということに重点を置くような高等学校教育の議論が必要ではないかなと、特に思います。
 その点から言えば、既に学習指導要領の理念としては、学力の重要な三要素が掲げられているし、言語活動だとかキャリア教育が重要だと言われているわけですから、そこに乗っかった形で、どのような具体的なことを考えていくのかを議論していくべきではないかなと思います。その際、私もその一員でありましたので、あえて申し上げますけれども、先ほど及川委員がおっしゃいました中で、最後の部分ですが、3番の高校教育の質の保証の在り方ですが、私は生徒の問題と指導の問題は根本的に異なると思っておりまして、修得主義か履修主義かということでありますが、高等学校教育が履修主義なのか修得主義なのかは、現場にいる身として考えていた時にはよくわからなかったんですが、ただ今現在はほぼ履修主義であると。履修していれば単位が取れて卒業できるという状態だから、中退率が今現在のままでもっていて、これを修得主義にしたらかえって中退者が増えるのではないかということは、私は多分違うような気がしております。きちっと学ぶことによって、学ぶ意欲が初めて生まれるのであって、きちっと学ばないからこそ学ぶ意欲が生まれないのだと私はずっと思っております。現実に現場の校長としてやっていた時も、そのような姿勢で何とかやっていけないかと考えておりました。
 ですから、これまでこうだったから、これは全国高等学校長会がそうだという意味ではなくて、ともすればやはり私たちは変えることに対して非常な慎重さを持つわけでありますが、当然そうあるべきだとは思うのですが、しかし学ぶことを軸に置いた高等学校教育、それも多様なのだけれども、それぞれが学習意欲を自らの中から引き出していける形にしていくような高等学校教育の在り方についての議論を、これから進めていくべきだと思っております。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、安彦委員。

【安彦部会長代理】
 今、私の名前も出たことですので、ちょっと申し上げたいと思うのですが、正直言いまして、私が学習指導要領をつくる際の高校部会の主査をいたしましたけれども、十分に議論ができなかったという反省及び批判があって、この部会を立ち上げたと思います。そういう意味で言うと、私はかなりこの部会が根本的な議論ができる場だと認識していたわけであります。そういう視点から私はちょっと申し上げます。この視点を、ある意味で、参考にしながら私の意見を申し上げます。
 私は大学との関係もさることながら、後期中等教育という、中等教育の前期と後期の視点をやはり外すわけにはいかないと思っておりまして、中学校はやはり中等教育の前期、高校は後期だと思っている。高校を一律に議論するのは間違いだ、そういうことは不可能だという認識もおありかもしれませんけれども、やはりこの時期の子どもの方に視点を置けば、共通の発達特性を示すわけでありまして、子どもの側から一つの共通性を追求する視点を残しておいていただきたい。
 そうでないと、ここで繰り返し「多様な」という言葉が出てきますけれども、そこをあまり安易に考えますと、専門学校、その他各種学校のような姿を持つ高等学校をイメージしても何ら構わないのだとして、多様化はある意味で、単線型の小中高の学校体系を、実情はもう壊れているのだから壊してもいいのだという方向で行くのか、それともやはり小中高の基本的な学校体系を残す、そしてこの時期の98%の子どもの教育の責任を持つというところを押さえるつもりがあるのかどうかが、まず第1点なわけであります。
 改めてそういうことを踏まえて、この時代を考えてみますと、大学も含めてそうですけれども、時代は先進国にキャッチアップする時代ではなくなりまして、日本はもう先進国に並びました。ということは、前方にモデルとなる国はありません。ですからモデルになる国がある時はそれを前提にして、施策の上でもある程度の枠をつくれましたので、それを前提にして、例えば入学試験がこの段階の学校であればこういう力が必要だというものを決めることができて、そして入試を通して一定の資質・能力を暫定的にせよ決めることができた。しかし今やモデルとなる国がありませんから、入れる段階ではこれだけの力が必要だとかいう発想はもう通用しなくなってきた。
 現実にそういう方向に動いてきまして、どうなったか。大学が一番、最近のことですのではっきりしてきましたが、もう入試によって入学者の質を担保することは非常に難しくなってきた。ですから逆に言えば、これからの方法は、あらゆる部分で、学校制度は出口のところで質の担保をするしかない。入り口のところで質の担保をするということは、高校の場合でももう現実不可能になっているわけでありまして、出口のところで質の担保をする、質の保証をするというのが、もう時代の流れだと思います。
 そういう目で見た場合に、大学あるいは高校がやはり履修主義で行くか、履修主義という言葉が私は安易に使われるのが怖いと思っていますが、少なくとも現状ほぼ履修主義で済んでいるという高校の在り方に対して、出口のところで質の担保をしようとする場合には、そもそもそれはもう質の担保にはならない。ですから、出口のところで一定の能力・資質をチェックする質保証の制度が何らかの形で必要だ。いわゆるほぼ履修主義でと言われてきたのを、本来の高校は単位制をとっているという意味で修得主義ですから、修得主義にはっきりと立つべき、あるいは立ち返るべきだと思います。
 それによって中退率が増えるか増えないかという問題が残るかと思いますが、これは入り口ではなくて出口のところでやるわけですから、今まで以上にそれなりに中退率が増える可能性、危険性はあると思います。しかし逆に、今のように入り口で担保しているからといって、履修主義的なアプローチをした結果、だんだんと質保証が不可能になっている状況と、そして、大学も似てきましたけれども、社会的にもそれが不信感をもたれている、不信な目で見られている状況は解消できると思うんです。中退などのパーセントがたとえ増えても、質保証のチェックをちゃんとして社会に送り出している、あるいは上級の大学に送り出しているということであれば、その部分については今よりもっと信頼を高めることができると思います。教育者のなすべきことは、今度はその中でいかにして中退率その他を低くするかということが、大きな責任になってくるわけでありまして、そこにかなり注力することができるとすれば、私はずっと今までよりは対社会的に、社会的な信頼は学校に取り戻せるのではないかと思います。
 全体としてそういう方向性で考えた場合に、単位制にせよ、大学と同じ単位制をとってきているわけですが、基本的に単位制あるいは学年制を併用してきた高校の教育課程の建前を、私はもう修得主義だけで、つまり単位取得だけで考えていいのではないかと考えます。ですから、何年かかっても、それこそ生涯学習的な、義務教育ではありませんから、自分は何年かけて単位を取って高校を修了したいというようなことを言っても、何ら問題がないと思っておりまして、したがって何も大学に行くのに18歳でなければならないという理由はないわけであります。
 現状いろいろな子どもたちの姿を見ていても、今、大学に入ってきているような若者の姿を見ていて、ある意味で非常に経験不足で、社会経験もいろいろな面で経験不足で、非常に内向きで、未熟であるという状況があると思っています。そういう子どもたちに、もっといろいろな経験や活動の機会を与えるということが必要だし、そういう意味で言うと、何も高校は3年でなければならないという学年制をとる必要はない。
 そう考えますと、単位制をむしろ徹底させるというか、そういう方向で高校の在り方を考えるということも、是非検討していただきたい。
 更には、高大接続の大学との関係ですけれども、これはやはり大学分科会の方々から見た時に、私自身は、今日の原案ですと、部分的なというか、あるいは制度的なといいますか、大枠だけの議論ですので、多分いろいろな面で御不満があるのではないかと思っております。私はやはり、それこそ質の保証という観点からすれば、高校の修了、中等教育の修了というレベルと、それから大学に進みたいという子どもたちのレベルは分けていいのではないかと思います。これはイギリスに似ていることになりますけれども、後期中等教育の修了というのは、この時期の子どもたちに職業的準備あるいは専門的準備、及びこの子どもたちの発達特性に合わせた一定の能力と学力というのを身に付けさせるということであり、基本的に私、は自立と個性というのが、この中等教育の、前期も後期もですけど、キーワードだと思っておりまして、その部分について、あるところまできちっと育てられたら、あとはもう本人に任せて、上級へ行こうが、社会へ出ようが、それは本人に任せていいという、そういう基本的な構えでいいと思うのです。義務教育でないということは、その点が一つの大きなポイントだと思っています。
 そういう意味で言うと、子供の側から学校を利用する、義務教育と違って(義務教育も基本的にはそうなんですけれども)、高校及び大学というのは、子供の側から学校を利用するという視点をもっと持ってほしいわけでして、自分がこういう進路をとっているから、こういうところ(レベル)までやりたい、ここまで(大学等)進みたい、こういう分野をやりたいということを決められるような、少なくともそういう自立の力と、それから一定の個性的な、その後の専門や職業の準備に結びつくものができてくるということが、この時期に必要なことだと思っています。
 そういう意味で中等教育全体を見た時に、本当は中学校と一緒に考えなければいけないと思っているわけですが、中学校についてはある程度、義務教育の枠というのがあるわけで、その意味でも、例えば普通教育一つとっても、普通教育というのは義務教育の方ではあくまでも国民共通の基礎という視点がありますけど、高校の場合には、その視点は使えないわけです。たとえ98%の進学率があったとしても、その視点は使えないわけで、そうだとすると、これは専門への基礎という意味で、次の職業的あるいは専門的勉強の基礎的な部分についてしっかりと身に付けるというところが押さえでありまして、それがそれぞれの分野によって、あるいは子どもの志望によって、どのレベルなのかというのは決まっていくと思います。
 そういう視点を、やはり一方で持っていただかないと、どうしても「多様な」という最初の用語に返ってきますけど、高校の多様化というのが、ある意味で前提にされてしまいますので、子どもの方が、それこそ初めからある意味で自分を、こちらのルートにはもう乗れない、こちらのルートに乗らざるを得ないとかという、今のある種、偏差値によって輪切りにされている体制を、ある意味では受け入れさせられた上で、こういう進路に応じてということが言われてしまうような気がするわけであります。
 その点でやはり問題になるのは、仮にこういう進路の部分を議論する場合に、先ほども繰り返し留意事項的に、それが各学校の序列化を生まないようにとか、そういうふうに留意事項はついていますけど、これは言葉だけで終わる可能性があるわけでして、この点を本当に可能にすることができるのか、実際この方向で施策を展開した時に、各学校の序列化というのを生まないようにできるのか、ということを非常に懸念いたします。是非、この点について委員の先生方から御意見や御提言をいただきたいと思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では次に、川嶋委員、和田委員、そして小林委員という順序でよろしくお願いします。

【川嶋委員】
 川嶋でございます。お二人の委員の御意見と軌を一にしていると思いますけれども、今日の資料1を拝見させていただきますと、日本の大学が直面している課題と写し鏡といいますか、共通するところが多いなと思いながら拝見いたしました。ただ、こういう言い方は不適切かもしれませんけれども、高校教育の方が問題は深刻かなとも思いました。といいますのは、大学進学率は五十数パーセントですけれども、この資料にありますように、高校進学率は98%ですので、ほぼ日本の若者が高等学校を経て直接あるいは大学を経て社会に出ていくという中で、及川委員の資料にもございましたけれど、これまではある意味で義務教育と高等教育の間で一種のエアポケットのような形で、政策議論の中でこれまで置き去りにされてきたのだろうと思います。
 進学するにしろ、社会へ出て就職するにしろ、やはり高等学校を出て次の段階で生徒がきちんと自分の希望を叶えられる、そういう責務を高等学校が負っているという認識を新たにして、きちんと生徒一人一人に基礎的な力を付けて、社会なり大学に送り出す必要があるだろうと思います。
 その際重要なことは、先ほど安西委員からも御紹介がありましたが、大学については学び続ける力を育成しようと提言しています。たとえ、高校卒業後すぐに就職する人も、これだけ変化の激しい時代や社会では、これからはずっと学び続ける力がないと、十分自分の能力を生かし切れないと思うのです。それで荒瀬委員からもございましたし、安彦委員からも御指摘ございましたけれども、共通のコアとして、基礎・基本という知識、技能に加えて、学びをマネジメントできるような力を高校段階できちんと身に付けさせるということが、これからは必要なのではないかと思います。
 その点で、高校教育の質の保証ということになってくるのですが、やはり履修主義から修得主義への転換が不可欠であろうと思います。これまではいわゆる単位数というのが万国共通の一種の共通通貨として、国内でも、国際的にともかく互換性があったわけですが、やはりこれからのグローバルな時代を考えますと、共通通貨としての単位とか時間の信頼性は失われ、それに代わって、国際的にも何ができるのか、何を理解しているのかという学修成果が、ますます共通の通貨になるのだろうと思います。
 先ほど安彦委員から、単位制を原則としてというお話がありましたけど、あくまでも単位は、その学習内容を修得したという裏付けがあっての単位であるということを改めて認識することが非常に重要であろうと思います。
 それに関して、学校評価ということがここの中で触れられておりますけれども、御説明を是非お願いしたいのですが、大学では自己評価、それから第三者評価としての認証評価というのが法律的に義務付けられているわけです。認証評価機関が定めた一定基準に基づいて、各大学が自己評価し、それが妥当かどうかを認証評価機関が確認するという形になっています。これまでの現状を見ますと、高等学校の卒業認定というのは校長先生が行われるということになっていますので、もしそうであるならば、やはり各学校がきちんと自己点検、自己評価をして、その妥当性を社会や第三者機関から評価されるような仕組が必要になってくるのだろうと思います。
 及川委員の教育振興基本計画の最後のところに、高等学校は学校経営の自立性が確保されていない状態で第三者評価を持ち込むのは、まだ時期尚早であるという御指摘がございましたけれど、一方で入学者の選抜というのは各校長先生、あるいは各学校の判断に任せられているわけですから、やはりそれは出口のところにおいても、校長先生あるいは学校の責任において、きちんと自己評価していくということが重要なのだろうと思います。先ほど課題にもありましたけど、その際どうやって一人一人の生徒の学習成果等を測定していくかというアセスメントについては、いろいろな方法、学校ごとにいろいろ特色があってよろしいかと思いますけれども、例えば県立高校でしたら、県ごとに共通の基準をつくってその基準に従って各学校が自己点検、自己評価を実施するという方向性もあっていいのではないかと思います。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、和田委員よろしくお願いします。

【和田委員】
 失礼します。今までの3人の方の意見も含めてですけれども、必履修、必修得ということの話からすると、私の間違いでなければ、74単位は修得して卒業しなければいけないはずなのです。履修ではないでしょう。履修は何単位してもいいのですけれども、そのうち74単位以上は修得して卒業するということに、学習指導要領で決まっているわけですから、そういう意味では今でも修得をもととして卒業を認定しているということには変わりはないと思うわけです。ですから、学校へとりあえず出ていて、少しも勉強しなくて、履修だけはしたけれども単位をほとんど取れなかったという人は、卒業できないとなっていると思います。
 むしろ問題なのは、科目名は指導要領で定められているのですけれども、その内容はやはり学校によってかなり差があるということでありす。おそらくそれは大学におかれても、例えば教養の1年生の英語の内容というのは大学によって様々ですし、その単位を修得したというだけで本当に同じ力があると評価していいのかどうかということがあると思うのです。
 それと同じように、高校というのは入学した時点である意味選抜されているわけですから、それぞれの学校の格差をなくすということはほとんど不可能で、生徒が入ってきた段階で何らかの格差はついてしまっているわけで、その集まってきた生徒に合わせた内容の授業を学習指導要領の範囲内で行っていくわけですから、おのずとその学校、学校によって、同じ科目名でも修得すべき内容は、深みとか、スピードとか、問題量とか、いろいろな意味が変わってくるわけで、それを一律に2単位取れたとか、3単位取れたという評価が、本当に質保証につながるのかどうかというのは非常に疑問であります。
 それからもう1点は、1年に何単位かずつでも修得すれば、何年かかってもという考え方、いわゆる総合学科的な形はよく分かるのですけれども、一方、今、普通科においては、留年をした途端に、その前の年に取った単位は全部白紙に戻るのです。大学のように、進級は認められないけれども、1年生で取った単位は認められる。取れなかった単位だけ2年でもう一度やればいいというのではありません。これは普通科の学校なんかは特にそうですけども、英語だけは取れていないからといって、留年して次の年に英語だけ授業を受けにくるというわけにはいかないわけで、結局今まで取ったほとんどの単位が、進級の線を越えなかった時には白紙に戻るというのが現状なわけです。
 単位を積み重ねていくということは、逆にそういう制度の中では不可能だということですので、そういうことを認めていくとすれば、逆に全学校が総合学科的になっていかざるを得ないかなというような気がしております。
 そういうことで、高校を本当に一律に議論ができるのかどうかは、私としては非常に疑問を持っているところであります。
 それから、評価の問題を先ほど川嶋先生がおっしゃったので説明しますと、高校では自己評価と学校関係者評価というのがありまして、いわゆる評議員の方とか、地域の方とか、学識経験者とか入ってもらった形で、学校関係者の評価をする。ただし、大学では7年に1回ぐらい行われている、いわゆる完全な第三者評価というのはしなくていいという意味でありまして、自己評価は既に義務付けされておりますし、どこの学校でもしておるところです。ただ、そのやり方に関しては、各学校に委ねられているところがありますので、おそらくほとんどどこの学校も自己評価をして、それをホームページなり広報紙なりで評価の内容は発表しているところでありますけれども、非常に細かくされている学校と、大まかに自分の学校というのはこうだという形で自己評価されている学校と、あるとは思いますけれども、一応そういう形で各学校行っているはずであります。
 以上です。

【小川部会長】
 小林委員、よろしくお願いします。

【小林委員】
 お願いします。この中で中学卒が98%の今の時代の中で、先ほど小川部会長がおっしゃいましたけど、下の5%と上の5%の話ですけれども、私が受け持っていた学校は、多分下の5%の学校でございます。その子供たちが1年の最初に入学して、単位ということについてこんなふうに修得すれば、あるいは履修すれば単位が出るんだよという説明をしていきます。その時に、質問があるのです。では、履修は1単位7時間休んでもいいのなら、7時間は年休だよねという考えです。ですから、それを聞いた時、私は、えっ、そういう考えをしてしまうのかと。つまり、1単位35時間やりますから、その中の7時間が何らかの形で休んでも単位としては履修を認めるという各学校の校内内規が決まっていますので、それを説明すると、そういう感情を持つ生徒が私は年々増えているように感じます。
 先ほど和田委員が言いましたように、卒業までに、公立高校ですとホームルームを入れて5日間90単位あります。その中の74、あるいは学校によっては80とか85というふうに決めていますので、それは入学時点で十分に知らせて理解してもらっておりますけれども、そうしますと工業高校は子どもが年休と考えてしまうと、実験、実習をさぼった場合に、ステップアップしていく授業ですから、1回抜けてしまうと次の週の授業なり実習がまるっきりわからない状況で、こうなりますと2回、3回と続けば、それはもうその教科については完全にわからなくて作業ができないという状況です。
 そうは言っても、作品ができない、あるいは製品ができなければ単位修得出来ませんので、各教科担当は放課後とか夏休みに呼んで、補ってあげながらやっていますけれども、そのような状況で履修が済めばいいのだという形の子どもたちが、多分かなりこの現実の中ではいるのだろうと思います。
 それからあと、出口の保証ところ、工業高校ですから、就職のための質の保証というのが、やはり最大値です。そこで技能、知識を植え付けても、最大はやはり企業に入って、あるいは事業所に入ってきちんと社会人として仕事をするのだという心構えを育てるというところが、本当に今は工業高校でも厳しい現実ですので、多分普通科高校はほとんどゼロに近いのではないかと思うのです。そうしますと、普通科高校の子どもたちが就職するなり、大学なり、専門学校なり行った先、どこで、誰が就職の心構え、職業教育の心構えというのをやるのだろうかというのが、私は日本の将来を考えると、非常に厳しい現実かなと思っています。ですから、何かの形でこれは考えていかなければならないのだろうなと。
 根本は、この20年か30年だと思うのですけれども、高等学校の教育の厳しさというのが非常に薄らいできました。厳しくすればするほど、実は中退者は増えます。片一方で中退者は減らせ、減らせということがありますので、そうしますと、優しく優しく、あるいはレベルをダウンして何とか中退者を減らすというような形になってきますと、全体的なレベルとしては、やはり下げざるを得なくなってしまう。
 ですから、そういうところを考えて議論していただければと思います。ただ、私、工業高校を預かってきて思うのは、普通科高校と工業高校、やはり中身が全然違うので、一括りの学習指導要領をつくるというのは、もう無理があるのではないかと思っています。私も意見を言いましたけれど、今、職業高校、いわゆる専門高校は25単位以上取れば専門高校となるわけですけれども、私は25単位では絶対に足りないと思っています。30単位でも足りないくらいなのですけれども、90単位の中で30単位以上というのは、かなりまた厳しいところではありますけれども、そこら辺も含めて考えていただければと思います。
 先ほど言いました厳しさは、子どもたちが非常に抵抗感を覚えるのが、例えば工業高校ですと、いついつまでにレポートを出しなさいとか、作品を完成しなさいというような指示をしても、なかなかそこまで到達できない生徒が最近増えているという現実はあります。ですからそこら辺から、もう少し社会の世論で認めていただける厳しさというのを模索していければと思っています。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 今まで主に高等学校教育の多様化ということを前提にして、共通のコアをどう考えるかということを、質保証の課題を中心とした意見が多かったように思いますけども、ほかに、どうでしょうか、1、2、3、現状そして基本方向性、それから方向性の中でも特に質保証の課題ということをベースにして議論していきますけれども、4の具体の振興方策に入る前に、もう少し皆さんからの御意見を伺いたいと思います。できれば全員の方に1から3のような素案の内容について、一言でも何か御意見を伺いたいと思いますが。
 では、直原委員と長塚委員と上野委員、加藤委員、そして北城委員ということでお願いします。

【直原委員】
 高校教育の質保証の観点で2つ大きく分けられると思うのですが、1つは、まずは教科の勉強をもうちょっとちゃんと、とにかくやらないといけないと思います。全国的にもそうですが、東京都も特にこの十数年間は学校不適合を減らそうということで、多様化路線というものに取り組んでまいりましたけれども、今も別にそれを否定するものではありませんけれども、今必要なのは、やはり一人一人の生徒の能力をちゃんと高める、しっかりと能力を高め、特にタフな人間をつくるということだと思っています。
 まずその1つとして、教科の力をしっかりと付けるということですが、今後東京都の都立高校では、学校ごとに学力の卒業時のスタンダードを定めようと思っています。これは教科ごとということですけれども、ただ、これは学校によって、この学校を卒業するためには最低限これは修得していないといけませんよというミニマムとして定めるのか、学校によっては、それよりは修得することを目指すべき内容、これは上位校ではどちらかといえばこちらの方になるかもしれませんが、いずれにしても卒業時に、この学校を卒業する時にはこういった力を現に身に付けて、あるいはこれを身に付けることが求められているのだというものを、はっきりと明確にして公表する。そして、そう決めた以上は、卒業時にそれを計らなくてはいけませんので、その到達度を測る。これは到達度試験のようなものを考えていきたいと思っています。
 他方、それだけではなくて、やはり今、高校で求められているのは、教科ごとの学力を超えたものではないかと思います。この間、様々な方と議論しましたけど、日本の高校生は一言でいうと幼いと、ここでも何度かそのような御意見があったかと思いますけども、幼いといわれています。それはやはり高校生という、先ほども後期中等教育段階というのは、一体どういう発達段階あるいは成長の段階なのかというお話がありましたが、まさに社会的な人格ができてくる、15歳から18歳というのは、そういう年代だと思います。
 ところが、今の高校はなかなかそういう社会性を高める教育が、やはり弱かったなと反省せざるを得ないと思います。その点、むしろ中学の方は、この10年間ぐらい、おそらく全国的にもそうなのだと思いますが、様々な指導の見直しを行ってまいりましたけれども、残念ながら高校については、まだまだ大学受験というものがどうしても先生の側にも頭にありまして、教科の勉強を超えたものについての部分が弱かったと思います。
 だから、本当は教科の勉強を通じて思考力、判断力、表現力、あるいは人間関係を作っていく基盤としてのコミュニケーション能力、それを教科の勉強を通じて、本当はそれを育てていくべきものだと思っていますが、なかなかそこまで指導が出来ていない。旧来の指導の在り方が、高校の場合には続いているのだろうと思います。
 今日提出された資料の中で、7ページの15行目、コアは指導内容として定めるのか、身に付けるべき能力や態度として定めるのかという問題提起がなされていて、これは非常に重要な指摘だと思っています。最終的に卒業する時に、そういう教科を超えた思考力、判断力、表現力、あるいは、本当に社会的に自立できる態度が培われているのかというものを、どうやって測っていくのかというのが次の課題になると思います。まだ東京都では、そこまでの具体的な検討は進んでおりませんけれども、是非皆さんからも、その点の御意見をいただければと思っています。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、長塚委員お願いします。

【長塚委員】
 普通科志向が7割だということからすると、これは日本の社会が知識基盤社会に向かっているということを多くの国民が感じていて、まさに将来、大学に結びつくような進路というものが大事だということを、強く感じているのだろうと思うのです。今、大学進学率は5割程度ですけれども、他国に比べて、例えば韓国の8割とかに比べて決して高くはないわけで、今後の、将来のいわゆる高校の教育の在り方を考える時に、やはり大学との結びつきを中心に考えていく必要があるのだろうと思うのです。
 その時に、希望していながらも大学進学をなかなかできないという現状は、一方で経済的な問題があって、やはり私立大学が多くて、学費負担は非常に大きいわけです。もし、全てが国立の大学のように学費負担が少ないという場合には、そういうことも乗り越えられるということがあるのでしょうが、そういう意味では現状ではなかなか難しい。しかし、将来的には高大接続者が増加する方向に行くのだという前提で考えていく必要があるのだろうというのが、まず1点目です。
 ただ、98%が進学している高校は多様化せざるを得ないわけですから、当然授業外の学習時間もいろいろなことになっているわけですが、学習時間が減少しているのは、例えば高大接続で必要性が感じられていないということが基本にあるのだろうと思うのです。言うまでもないですが、必要性があれば生徒は勉強する。そういうことからすると、やはり高校後の進路に必要な習得度をしっかりと確認するということがない限りは、学習時間の確保や学習意欲の向上ということにはつながらないのではないかと考えます。
 かつては入りづらくて出やすい大学と言われていたものが、今や、ほぼ半分は入りやすく出やすい大学だと揶揄されるようになってしまっているわけで、大学に入るための必要な学力をしっかりと確認する、習得度テストのようなものが必要なのではないか。これは卒業のための単位認定ということとはまた別でいいのではないかと思うのです。一定の、ある点数でないと卒業できないというのは、これだけ多様化している生徒には、実態からして合わないのであって、全ての生徒が卒業できるような学び方で、履修主義は履修主義で、卒業要件としてよろしいと考えます。しかし、その先に学ぶ学力としては、習得度をしっかりと把握するということが必要なのではないかと思います。
 このまとめの中にも、例えばということで共通テストなどの例示がありましたけれども、現在のセンター入試というのは、そういう意味では、あまり習得度をしっかり測るということになっていなくて、集団の中の順位付けをしているだけです。変えていける素地はセンター入試にはあると思うのですが、目標準拠型に変えていくという、そういうテストづくりというのでしょうか、習得度を確認する仕組づくりが必要なのだろうと思います。これが2点目です。
 それからもう1点、中退率が気になるという話でしたが、私はあまり気にする必要はないのではないかと思います。一旦、社会に出てから大学進学を考えることがあっても良い。また、留年や浪人をする高校生、これもある種の目標に到達するのに時間がかかるのであれば、やむを得ないことです。例えばフィンランドでは中学3年生が3%から5%ぐらい自主的に落第をするという仕組みがある。形式よりも、実力を大事にする国民性があって、自らの意思で、親御さんが望んで落第を希望する。つまり、実力を付けてほしいというのが学校に対する期待であって、そういうことに対応するということができればいいのであって、義務教育ではない高校において、過剰に中退率ということを気にしていく必要はないのではないか。確かに中退というのは途中であきらめるということでありますから、進路変更ということと多少違う意味がありますけども、いずれにしても18歳なら全員がすぐ大学に行かなければならないという、そういうことではないのだろうと。大学もまた18歳だけを対象にするということではないのではないか、そんな気がいたします。
 最後に、日本の大学生は学び方を主体化しなければならないという、そういう御提言がありましたけれども、主体的に学ぶということを高校の時に如何に学ばせるかということ、そのためには、日頃の学習形態を参加型や双方向型に改めていくこと、ここが非常に重要だろうと考えます。
 以上です。

【小川部会長】
 では、上野委員よろしくお願いします。

【上野委員】
 いろいろ勉強させていただいております。何回か休まざるを得ないこともありましたが、一応いただいた資料に目を通させていただいて、また今日のお話を伺っていて、次のように思いました。冒頭で、この場所はかなり突っ込んだ議論を期待できる場所であるという話がありましたけれども、どうも委員の皆さん方が奥歯にものが挟まったような感じの御意見を、やはりいろいろ気を使わないといけないことがあって、おっしゃっているように、まず思っております。
 今日、例えば和田委員から、高等学校のレベルをつくらないでやっていけるということはないというようなことをおっしゃっています。最終的に社会の中で、子どもたちのことを考えると、あれこれ、ややこしいレベル差を露骨につける必要はないと思いますけれども、こういう場所の議論では3つの段階、今日例として挙げられておりますように、やはりそれぞれの問題というのは随分違っているところがあって、まずそれをちゃんと把握した上で議論しない限り、対策から何から、何も具体的な案としては出てこないのではなかろうかと思っております。
 そういうことを考えてみますと、修得主義であろうが、履修主義であろうが、基本的には極めて小さなことなのではなかろうかと思っております。それがあるにこしたことはありません。ある範囲での目標にもなるでしょうから。
 そういうことを考えますと、やはり一番思いますのは、一番最後の今日の部分、各種の振興方策にかかわることです。今日の資料を見てみますと、振興方策のところに、如何にしていい先生を育成するかとか、如何にして次の先生を育てるかとか、そういうことが一切出てきていないのです。結局いい先生を育てる、育成するシステムをつくらない限りは、長期的には難しいのではなかろうかと思います。
 その点については、私、前にも申し上げたと思いますが、いわゆる教育委員会というもののシステムの問題です。実質的には各都道府県の教育委員会というよりは、教育委員会の組織の中の一部である事務局というのでしょうか、そこと、それぞれの高等学校との関わりの問題です。これが多分非常に大きな問題があるのではなかろうかと思っております。いろいろなことがあって、高等学校の教育のレベルをできるだけ活性化するという御協力も私たちはやってきておりました。鮮烈な記憶がありますのは、高等学校の校長先生によって、全く判断が違うと言いましょうか。ある方は、教育委員会の事務局から何がしかの指示をいただかない限りは、何も答えられないということをおっしゃる方もいらっしゃいますし、これは校長の専権事項の範囲でやってしまえるので、例えば教育委員会指導課に対しては報告で済ますことができますと明快におっしゃる校長先生もいらっしゃいます。それぐらい大きな差が現実にあるのです。それに類したことが、おそらく現場の先生の活動にどういう支援を与えるか、また認めるかということ等にもあるように思われます。
 だから検討事項と言いましょうか、ここでは振興策です、それの中に一切そういうことが書かれていないのが非常に気になりました。この会議の先生方、プロフェッショナルが随分いらっしゃるので、もう少し厳しい御意見を、御提案をいただいたほうが、もう少し先に進むのかなという気もいたしております。
 以上です。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 加藤委員、どうぞ。よろしくお願いします。

【加藤委員】
 ありがとうございます。ちょっと私は会社の経営者という立場でもあって、1,000人を超えるような人を面接して、その人たちが職場でどうなっていったかというようなことも見てきました。そんな中で、仕事をせっかく覚えたのに、1年もしないで辞めてしまう。あるいは3年もかけて、費用をかけて研修も受けて勉強して、やっと1人前になろうとしたところで辞めていく。その中で考えなければならないことは、労働の内容と質、それに対して賃金、そういうことに対して本人たちが世の中の現実を知らないということで、結果3度も転職しないと自分の今のキャリア、ある意味では学歴も含めて、物事を作っていく力、何かを進めていく力ということも含めて、自分の実力と労働環境と賃金ということに対する整合性をとれるか、とれないかというところを、自分の中でようやっと知っていく。だけれども、それまでの何年間、5年だったり、3年だったりというのは非常にもったいないし、中小企業ではございますけれども、その間の企業としての失われる損失というものは非常に大きい。そんなふうに、皆さんの話を聞きながら違った意味で見ていました。
 一方、私どものボランティア団体で、変化していくこのグローバル社会の中で、この国家に国益を導ける、次世代を担うグローバルリーダーを育成する、そんなこともやっております。そんな視点から、まず中学校というのは基本的に自転車で行けるエリアなものですから、そういう行動範囲。小学校は歩いていけるエリアということで、平等を担保していくという意味では、小学校、中学校では、先ほどの中の極端な変化というのは望めないだろうなという印象を受けました。
 それに対して高校は電車で行ける。多少努力すれば、相当広範囲にいろいろな学校を選べるという位置付けから、ここから、是非とも大きく考え方を変えてもいいのではないかと。子どもも、そのぐらいの世代になってくれば、親も今問題になっているような極端な行動は起こさないだろうと、私自身は思いました。
 それで、それらを踏まえた上で思うのが、できるか、できないかは別なのですけれども、例えば学校別、学科別、学部別、これらの卒業した後の就職先一覧、あるいは収入の一覧、金額だけではなくて、本人が幸せかどうかということを思っているか、いないかも含めたところのアンケート、こういったことを明確に子どもたち、高校生の段階からは明確に示し、私個人的には小学校、中学校でも示していくといいと思いますけれども、そういったことを示して現実を知らしめる、知ってもらうということをしっかりやっていったほうがいいのではないか。その中に、当然ながら中退するとこうですよと、決して中退だから悪いということではないのですが、結果の統計の資料を開示していくということが、世の現実を知るということにつながり、学力の意欲にも結果としてつながっていくということになっていくと感じます。
 それと、幾つか御意見が出ていましたけれども、先生方が明確に個人の評価をしなければならないと。まず学力、そして人間性、それらをしっかり評価して、その上で進級させるか、させないかという判断をする、これは高校からとは思いますけれども、そうしていけば大分変わるのではないのかなと思います。
 最後に質問させていただきたいのですが、入り口のところで担保ができないというのは、全然イメージができなかったものですから、教えていただければというところで終わらせていただきます。

【小川部会長】
 今、加藤委員の最後の質問は、あとでちょっとまた議論をやらせていただきたいと思います。
 残り時間が予定より足りなくなっているのですけれども、ただ、今日は、1から4全部こなすというのは、なかなか難しいかなと判断します。4の各種の具体的な振興方策を考えていく上での前提として、1から3の内容について、委員の間における各問題の共有は必要ですので、今日は4のところについては議論ができない可能性がありますけれども、その辺は御了解ください。残りの時間、1から3のところで、できましたら各委員の御発言をいただきたいと思います。
 このあとの順番ですけれども、北城委員、渡邉委員、そして小杉委員、そしてアキレス委員という順番でやらせていただきたいと思います。
 では、お願いします。

【北城委員】
 北城です。高校を卒業した学生であれ、大学を卒業した学生であれ、ともかく自ら考えて課題を解決していくような人材を育てなければならないと思います。コミュニケーション能力も必要だし、職業人として自立するための基盤となる知識はやはり必要だと思うのです。そういう意味で、まず高校時代においても職業人として自立するための能力を育てるべきだということが1点目。
 2点目は、大学の入学試験に対応する教育をすべきではないということです。選抜性の強い大学へ進学する生徒と、そうではない生徒というような分類をしながら多様性の議論をしていますが、私は、まず大学の入試で点数で学生の入学を認める仕組みはやめるべきだと思います。要するに、何科目かの試験の点数が高い学生が、どこの大学に進学できるという仕組みをやめない限り、高校は進学するために成績をとるという教育になってしまうので、抜本的に改めて、大学は点数で学生を採る入試はやめるべきです。多分アメリカの大学では、入学試験はないと思うのです。アメリカの大学で、入試の点数で学生の入学を認めている大学は多分ないと思います。したがって、それぞれの高校でどれだけ勉強したかというのは一つの情報であり、センター試験のような成績も一つの情報ではあるにしても、上の方から採るということはやめるべきだと思います。ある程度の学力は必要だとしても、自ら学ぶ能力はどれだけ持っているのかとか、自分でどういう挑戦をしようとしているのかということを踏まえて大学への入学を認めていかない限り、高校の教育の問題は解決しないということで、これは高大接続の問題です。ともかく大学の入試を抜本的に変えることにより高校の教育もずっと変わっていくのではないかということが二点目。
 それから三点目は、どなたかが少しお話しされましたけれども、高校の教育の責任者は校長先生であり、副校長や教頭の先生なので、こうした組織のリーダーにどのように組織を運営するかということを任せない限り、権限を与えない限り、いい教育はできないと思います。多様性はあっていいと思うのですが、それぞれの高校は自分たちの目標として何を実行するのかという目標を掲げて、それがどう実行されているかということを、まず外にも公表しなければなりません。また、校長先生が学校を的確に運営するためには、校長先生が教員の評価をすることも必要だと思います。どういう先生がどれだけ努力しているかということを評価しつつ、それをまたフィードバックして、先生方が教育の質を高めるために努力をしていただくという仕組みを入れない限り、リーダーシップはなかなか発揮できないと思います。校長先生がリーダーシップを発揮できるための仕組みも一緒に考えていかないと良い教育は実現できないのと思います。リーダーシップを発揮するためには、人事権と予算の配分の権限を、できるだけ校長先生に移していくべきだと私は思います。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 渡邉委員お願いします。

【渡邉委員】
 ちょっと具体的な意見でなくて申し訳ないのですが、私は、様々な生徒を見てきて、今後の高校教育の改革の方向性というのは、多様化対応だとずっと考えておりました。
 ただ、今日この部会で安彦部会長代理さんの御意見をお聞きしまして、多様化対応と叫んでばらばらな高等学校が乱立して、本当にいいのかという御意見だったと思うのですが、これを聞いて、少し多様化というトーンが、私自身の中ではダウンをした感じでございます。
 及川委員さんの報告の中に、改革の方向性は多様化への対応だということで、これは間違いないと思うのですが、冒頭、荒瀬委員さんの御発言の中にありました、多様性と共通性のバランスをどうはかっていくかという。できれば、私自身として今の考えは、どれだけ共通性を残せるかということが大事な視点になってくるのかなと感じております。
 多様化、多様化ということで、私自身も考えていたのですけれども、ばらばらな高校ができて、果たして高校教育としてそれでいいのかという視点でも考える必要があるのかなという気がいたします。
 以上でございます。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、小杉委員よろしくお願いします。

【小杉委員】
 ありがとうございます。私は労働市場の側からいつも見ているのですけれど、高校時代というのは、やっぱり労働市場のニーズといいますか、あるいは社会的な要請というか、社会の側の要請に合う形で人材が配分されるプロセスである。
 一方で、生徒たち、若い人たちの意識、やりたいことといいますか、そちらも彼らの人生のために自分が選択する、その選択のプロセスである。社会の需要に応じた配分と、個人の側が自分の発露から自分の進路を選んでいく、この両方が同時に起こるのが高校時代だと考えております。
 先ほどありました、高校時代をどう位置付けるかというと、専門的な、あるいは職業的な自立に向けての基礎をつくる時期という考え方には非常に賛同します。出口に対して、そのプロセスの間で自立していくための基礎をつくるプロセスが高校である。
 そうした時に、需要というにはどんどん変化して変わるということが悩ましいことの一つ。それから、生徒というのが変わるということも悩ましいことの一つ。3年間あれば、その3年間の中に随分生徒が変わるし、その変化をどう配分の中に呼びこんでいくかということが非常に難しいことになってきます。そうすると、そのプロセスの中で移動できることとか、そういう変化に対応できる仕組にしていくことというのは、多分大事なことになるのではないか。
 それを考えた時に、一番違和感を持ったのは、この中で多様な生徒の類型分けで、類型の例としてそういう学校という学校種を類型でぼんと出してくる、ここは非常に違和感を持ったところです。確かに、最初におっしゃっていた学力の三要素といわれた基礎、基本とか、思考力とか、学習意欲、こういう生徒の学力というものが、まさに今、産業界で必要な能力なのです。これを基軸にして生徒がだんだんと、ある意味で配分のプロセスの中で、これが大きな役割を果たすということは確かなのですけど、ただ、それだけで分けられなくて、地域の労働市場が変化する、それから個人が変化するということを考えると、こういう学校という形でステレオタイプに最初からこの学校、この学校とやっていいのかどうか。
 その間の移動はできるかどうかというと、1つには、先ほど出た単位制のような話を前面に出していくと、移動の可能性が高まるとは思うのですが、ただ、多分それで単位交換できるような部分というのは小さいのではないか。出口がそれぞれに違いますから。ですから、単位の話というのをある程度の範囲まではできて、ある程度からできない。もしその間で本人が移動するとなれば、場合によってはもう1回1年生からやり直さなければならないということもあるかもしれない。そういうぐらいの範囲の単位という考え方で、ある程度移動を保証していく。それから労働市場に合わせて、現場に近いところで、教育内容を変化できるような、そういう変化に対応した組織にしていかなければいけないのではないかというので、まず類型ありきでは、ちょっと問題だなと思った。
 それから類型の考え方が、確かにたくさん学校のあるところだったらあり得ますが、地方に行くと、通学圏内に1校とか2校とか、非常に選択肢が少ない地域というのは決して少なくないので、そういうことを考えると、労働市場の需要と本人の発達というのをうまくマッチングさせていくというと、総合学科になってしまうのかなと。非常に疑問なんですけど、総合学科もうまくいっているとは限らないので、そこもいろいろ見直しが必要で、変化に対応するということを考えなければいけないのではないかと思いました。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 では、アキレス委員。

【アキレス委員】
 3点ほどコメントいたします。まず、今日も含めていろいろな議論を伺っておりましたが、例えば履修主義なのか修得主義なのか、多分、学校にとっては非常に重要な問題だと思います。その前提としてすごく大事だなと思いますのは、学習意欲です。学ぶ楽しさというのをどれくらい生徒の皆さんが感じるかによって、履修であっても、意欲的に学ぶ方もいらっしゃいます。修得主義であっても、ただ単位を取るだけの目的で学ぶということもあります。やはり今の授業の質のところで、座学だけではなく、いろいろな工夫をすることが必要なのではないかと思います。
 例えば英語習得ということを考えますと、授業で学んだことを外に出て外国人と英語で話したら通じる。そういう体験をすると本人の意欲は上がります。家に帰ってお母さんに、今日外国人と会って英語で話したら通じたんだよねと言ったら、よかったわねと勇気づけられる、それでもっと学びたいと思う。また、学校だけではできない、地域やその地域にある企業などを通じて、いろいろな形で学んでいく。そうすると単に頭で学ぶだけではなく内製化されていく。そのあたりをもっと多くの生徒が実感できるようになると、学習意欲は上がっていくと思います。そうするには、どういう仕組みが学校として必要なのかという視点も重要です。
 2点目に、今日も中学と高校一体でという御意見もありましたが、確かに中学3年間はあっという間です。おそらく基本的なことを、その3年間でかなり修得しているのではないかと思うのです。そうすると、あとの3年、高校のところでは、もうちょっと自由にしてもいいのかなと。企業ではキャリアプランニングという考え方がございます。目の前の仕事とか、今年何をするということのほかに、3年後、5年後何をしていたいか、どうなっていたいかという話をします、例えば年に1回、上司と話す際に、中国に行って営業をやりたいと伝える。今やっていることを一生懸命やりながらも、先も考える。つまり中学3年間で終わるのではなくて、その後、高校がありそしてその先には大学もあるというような、中長期的視野で、その生徒本人の学習意欲、キャリアに対する興味を高めていけるような働きかけがあってもいいのではないかと思います。
 先ほど類型についての御意見もございました。私も類型に分けざるを得ないのかなと思いつつも、今回いただいた分け方だと、もう少し議論が必要だと思います。
 3点目に、先ほど北城委員からアメリカの大学では入試などあまりやっていないと思うという御意見がありました。確かにそうです。私も娘2人はアメリカの大学に行きましたが、入試は大体内申書とインタビューで決まります。毎年夏休みを使って子供と親がスクールツアーという形で、いろいろな大学に行くのです。そうすると、そこでは学生と先生が一緒になって学内ツアーを用意していて、うちの大学はこんなに素晴らしくて、こんな特徴があると説明してくれます。インタビューも受けて、お互いの相性と何に興味があるかというのを確認した上で、申し込むか申し込まないか、合格するかというのは決まっていきます。当然、共通のテストのSATというのはありますが、どちらかと言うとインタビューに重きが置かれています。
 最後に、やはり大学の入試の在り方を変えると、高校の在り方も変わってくるのではないかという御意見には賛同いたしました。
 以上です。

【小川部会長】
 最後に、眞砂委員よろしくお願いします。

【眞砂委員】
 私は校長になる前、教務部というところで授業の組立て、カリキュラムとかをやっていたのですけれども、今日の話を聞いていて、やっぱり学ぶ意欲、勉強が面白いということがなければ、本当に学校はどんどんすたれていくことは分かり切っているはずだと強く感じました。どうすればいいかということを十何年か前から考えてきました。やっぱりその中で考えたのは、生徒が自分で選んで、自分の時間割をつくるとか、自分の勉強を組み立てるとか、こんな授業がやりたい、こんな勉強がやりたいというのを選ばせるということが、私が一番大事だなと思ったことです。それによって生徒は多分自立していくし、勉強が面白くなって、次にはこんなことをやりたいと考えていく。そういうようなカリキュラムを私たちの学校は作りました。それと似たようなものとして総合学科というのがあるということで、昨日、実は20年ぶりに同僚に会いました。その方は今、総合学科で働いているということでした。でも実際に内容を聞いてみると、いろいろな授業は置いているのだけれども、生徒の方が、結局仕方がないから選んでいるみたいな選び方をしていると。これはとても悲しかったですね。例えば理科なんかも、物理、化学、生物、地学から選べるのだけれども、どれが面白いではなくて、どれか一つ選ばなければいけないから選んでいるみたいな選び方をしているのです。僕だったら、生物は実際外に出て植物を見るとか、実験をやるとか、そんなようなことをどんどん組み立てればいいじゃないですかと言いました。そうしたら、受験する人がいるから、やっぱり教科書をある程度やらなければいけない。受験する人はどれくらいいるかというと、数パーセントだったりする。そうなってくると、何のために授業をやっているのかよくわからなくなってくるので、だったら受験に必要な授業と、受験しなくていい子の授業に分けたらどうですかとか、いろいろな議論をずっと昨日していて、まさに学ぶ意欲の話だったのです。
 日本の先生たちは、生徒に任せるのが不安なのかなと思ったり、やっぱりほかの人と違うことをやるのが怖いのかなと思ったり、結局は教科書をある程度そのとおりやってくださいというところに落ちつくということなので、ちょっともったいないなと思いました。
 でも、本当はある程度教員というのは授業の内容を任されているはずなのです。学習指導要領の中でもかなり任されていると思うのですけれども、そこら辺はまだ怖いのかなと感じました。もっと自由にやれますよという雰囲気が学校の中や教育委員会とか、その上の方にあると、随分変わるのだろうなと思いました。もっと自由なんだということを先生が意識しないといけない。先生が生徒を型にはめてしまっているという気がします。
 以上です。

【小川部会長】
 では、時間も残りありませんので、今日、当初予定していた第4の各種の振興方策まで議論はできませんでしたけれども、しかし1、2、3をベースにして、今日は様々な御意見をいただいたと思います。
 閉める前に、加藤委員から御質問があった、今のシステムの中で、入り口のところで質の担保ができないということはどういうことかという御質問がありましたので、安彦委員から一言、何かお答えしたいそうですので。

【安彦部会長代理】
 今日の言葉で言えば、今の話は適格者主義という言葉がありますけれど、要するに適格でなければ入れないと、高校には一定の学力を持っていなければ入る資格がないという、そういう考え方で、入試のところでチェックを入れるということです。
 それで今まではやれたわけですけど、98%、あるいは大学でももう実質的には、機械的に割り振れば大学入学は100%にできるという、そういう状況の場合には、もう入り口のところでチェックはきかないという、そういう意味であります。
 やはり質の担保というのは、対社会的に意識せざるを得ませんので、今、やっぱり社会あるいは世界的にと言いますか、大学あるいは高校が一定の社会的な信用を得るためには、今のような態度で、今の流れをそのまま推し進めてしまっただけでは済まないはずだというのが、私の認識であります。

【小川部会長】
 ありがとうございました。
 今日は、全員の委員の皆さんからいろいろな御意見いただきました。いただいた意見については、今日御提案した草案にもう一度書き込みながら、次回の会議で再度この課題の整理と検討の視点を提案したいと思います。その際には、もう一度1から3の議論をやりながら、今度は各種の振興方策のところについても、また皆さんから御意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
 今日は、本当にありがとうございました。では、今後の予定について、事務局からお願いします。

【小谷教育制度改革室長】
 次回の日程でございますが、5月18日金曜日10時から12時で予定をしております。文部科学省庁舎3階の特別会議室を予定しておりまして、また御案内をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

【小川部会長】
 あと1か月ぐらい後ですけれども、今日いただいた意見のほかに、今日は発言できなかった点等々もあれば、是非積極的に事務局の方に御意見を、文書でもメールでも構いませんので、お寄せください。今日いただいた発言と、またいただいた御意見で次の会議に向けた草案を準備させていただきたいと思います。是非御意見を文書、メールでお寄せいただければと思います。
 今日は本当にありがとうございました。若干早目の終了になりますけれども、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。

―― 了 ――

 

お問合せ先

初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)