資料3 高等学校教育部会(第13回及び第14回)における委員からの主な御意見

1. コアの要素についての意見

ア)コアとして求める能力等

  • コアの内容は二つに整理され、一つは基礎学力、基礎的な知識。二つ目は、人間として共通に身に付けなければならない力である。付け加えると、生涯学び続けようとする意欲も必要。(第13回)
  • 基礎的な知識・技能、思考力、判断力、表現力等の能力、意欲・態度の三つについて範囲を広げることで、コミュニケーション能力など他の能力も含められる。それに含まれない公共心や倫理観、他人への思いやりも必要なものであり入れる必要がある。(第13回)
  • コアについて、多様な価値観を持たせることは大切。主体的に学習を取り組む態度の中に入るかもしれないが、粘り強くやり続けるということも必要。また、価値観として、文理のバランスのとれた教養や、技術・技能やものづくり等も入れた方がいい。(第13回)
  • 多様な他者の考え方や立場を理解する力やコミュニケーション能力を含めた人間関係形成力について、今の若い人達は弱い部分があり、総合的な学習の時間だけでなく、普段の教科の活動の中でも教えていく必要がある。(第13回)
  • 産業界で必要とする人材として、自分の考えを持って存在感を示せるプレゼンス能力、その考えを発信するプレゼンテーション能力、また、他人と議論するディスカッション能力、ディベート力を身に付けてほしい。(第13回)
  • 経済活動の基本となるものづくり教育は大切。(第13回)
  • グローバル化の流れが加速する世界の中で、高校生が身に付けるべき能力として、クリティカルシンキングは重要。(第13回)
  • 18歳で労働市場に出る場合、労働社会で生き抜く力が欠けている。労働社会に対する知識、労働に関する権利、義務をコアとして身に付けてほしい。(第14回)
  • 人格等は大切だが、コアに含めるのは疑問。きちんと評価して、これだけは備えるべきと考えるものをコアとすべき。人格的な側面も確かに大切であり、企業の人事担当の調査を見てもコミュニケーション力等、人格的な成熟度が一番足りないと言われているが、高校生はまだ成長の過程にあり、変化しており、それが幼いといって低く評価するのは正当化されるか。また、教師が一人で評価できるのか、納得しうるものができるのか疑問。(第14回)

イ)生徒に対し共通に求める内容・水準とコア

  • 国として質保証を考えていくならば、全ての生徒が最低限共通してできる内容とスタンダードということをコアとして考えるべきではないか。(第13回)
  • 基礎的な知識・技能、思考力、判断力、表現力等の能力、意欲・態度の三つの学力要素がコアと考えるが、例えば各教科の中で最低限教えなければいけない知識やスキルは何か、絞っていくことが必要。(第13回)
  • 基礎的な知識、技能は必履修科目に相当すると考えるが、生徒の実態を考えると、かなり絞る必要がある。(第13回)
  • 基礎的な知識・技能、思考力、判断力、表現力等の能力、意欲・態度は、小・中・高、特別支援学校まで含むものであり、コアとしては広い。仮にそうだとしても、技能の水準や知識の量、能力の水準などレベルは異なる。修得はテストであれパフォーマンスであれ、何らかの形で校長が判断するエビデンスがなければならない。(第13回)
  • コアについて、二重の意味で使われている。一つは最低限のレベルとするもの。もう一つは絶対に必要なもの。両方含めて考えるのもあるが、例えば、批判力は本当にどの子どもにも同じレベルで育てられるか。意欲もそうだが、最低限といえるものとは異なる。また、カリキュラム上の保証もなく、これは必要といわれても困るのではないか。(第13回)
  • これが必要だと言われ、本人がそれを使って発展させれば後で身に付く基の力をコアと考えられないか。言語はその一つだと思っている。(第13回)
  • アメリカでコモン・コア・スタンダードという共通カリキュラムを決めて、州のテストを育てようとしている。コアを決めるときに、共通必履修を作った考えをベースにするなど、かなり絞り込んだ方がよいと考えている。(第13回)
  • 学習指導要領の改訂の際、英数国で共通必履修科目を作ったが、それ以外に総合学習を単位として認定したのも大きな変化であり、総合学習の時間で何をどう育てて行くのかが今後非常に強く求められる。学習意欲を1~5とするのは乱暴だが、テストで見られるものとは区別して、コアの範囲と質保証は、評定して付けられるかどうかを区別して考えるものではないか。なお、教員評価する人が一人であっては良くなく、この部会で議論するかどうかは別として、自分の学校がどのような評価システムを作っていくかを考えなければならない。(第14回)

ウ)評価との関係

  • コア=質保証ではなく、測れるものとコアとしてやるべき事は異なるのではないか。(第14回)
  • 高校生に身に付けさせるべき内容がコアであり、評価できるものに限定すると数が少なくなり、それでこれからの高校教育がいいかというのは疑問がある。学習意欲も中学校では各教科で評価しており、評価できるもので小さくまとめるのではなく、知徳体のバランスとれた人間の育成が大切。(第13回)
  • コアは全ての生徒に共通して最低限修得させるべき内容であり、履修ではなく修得させることがコアであり、高校側がその修得を確認できるようなものでなければならない。(第13回)
  • (公共心や倫理観等について)これらは点数にはできないが、教員が判断すればよい。(第13回)
  • 基礎的な知識は試験等で把握できるが、思いやりの心や奉仕の気持ちを育てることなどは点数を付けられない。しかし、高校生には限られないが、それは身に付けさせていかなければならないもの。(第13回)
  • 修得という表現は一旦取り下げた方がよいのではないか。(第13回)

2. コアと質保証との考え方についての意見

  • コアは修得ということであり、何も点数だけではなく、挨拶ができるなど、認知したらそれは修得である。修得イコール点数という基準で考えない組み立てをしてほしい。(第13回)
  • 例えば、定量的に評価できるコアの部分と、先生が認める評価の部分を分けて考える必要があるのではないか。(第13回)
  • 修得状況は数値だけで表せるものではないが、外に対し修得状況を客観的に示すような仕組みがなければいけない。その意味で、コアに関し、ある程度修得状況が明らかにできる内容などの区分けも必要ではないか。(第13回)
  • 人間性や社会性などの人格面などは必要と思うが、最低限修得すべき質保証となると、かなり限定されるのではないか。挙げられたものはコアとして必要だが、いわゆる修得すべきものではなく、理念として、必要性を示すにとどまるのではないか。(第13回)
  • 誠実性などは行動として先生が確認できれば、その生徒は誠実性があると判断されると思う。確認の仕方は客観的なテストから、数字では表せず段階的な評価しかできないもの、イエス・ノーしか判断できないものなど、色々ある。ただし、修得することがコアということであれば、何らかの形でマスターしたことを確認できるものに定義しないといけないのではないか。(第13回)

3. 質保証の対象について

  • 高校生が卒業する段階で、どのような力が身に付いているかどうかを考える中で議論を行うべきであり、質保証を評価の対象としやすいものに留めるのは問題。(第14回)
  • キャリア教育が新しい学習指導要領の大きな柱になっていることも踏まえ、客観的に評価しやすいものに限るべきではない。(第14回)
  • 測れるものだけをやっていてはだめ。測れないものの中に大切なものがたくさんある。コミュニケーション力、表現力等を授業の中へ取り入れることで、測れるものが出てくる。(第14回)
  • 98%の人が進学する中で、オール4の人が集まる学校とオール2の人が集まる学校とではスタート時点で質保証に大きな差がある。いろいろな場面で活躍する生徒をきちんと評価してほしい。学習以外でほめ育てる場面があれば、社会に有為な人材を育成できる。(第14回)

4. 質保証の方法について

ア)評価体制について

  • 大学の質保証は、設置基準に照らして設置審議をし、それから認証評価機関による認証評価と二重になっている。義務教育では教育委員会が質保証しているが、高校では一義的には都道府県が責任を負っているかもしれないが、そこには問題がある。アメリカでは高等学校から適格認定制度を始めているわけで、将来的には適格認定制度を高等学校にも導入すべき。(第14回)
  • 高校の質保証は制度的に不備があると考えている。施行規則85条で、教育課程の柔軟化を文科大臣が指定する場合は可能となるが、現実的には文科大臣が直接するのはありえず、何らかのメカニズムを構築する必要があると考えている。(第14回)
  • 客観的に評価しやすいもの以外について、学校で行う評価で妥当なものがつくれるか疑問を持っている。学校で行う評価と受け入れ先の企業・大学で行う評価とに分けていくのが現実的ではないか。(第14回)
  • 基礎知識は重要だが、自ら学ぼうとする意欲や積極的に行動する能力が重要。評価がしにくいのは事実だが、担当教員を含め評価する努力をすべき。客観的に評価しやすいものだけにすると、それだけを行うことが教育になってしまう。(第14回)

イ)評価の具体的手法について

  • 小中学校からの教育もあり、高等学校だけで社会に必要な共通する能力を求めるのは難しい。小中学校には学力テストがあり、一定の評価がなされているが、高等学校にはなく、何らかの質保証の枠組みが必要。客観的な評価の対象としやすいものの評価をしっかりやるとともに、それ以外のものについても評価していく必要があるが、大学教育では客観的に測定できないものを、ポートフォリオ、ルーブリックを使う考え方が出ており、高等学校でもこれから取り組むべき。(第14回)
  • 評価できるかどうかが重要ではなく、共通に子どもの何を育てるべきかが第一の視点。質保証及びそれ以外の観点からも、測れないものは育てる実践をし、ゴールフリーという評価の仕方もあり、ルーブリック等をできるだけ使って見ていく。評価全体に対して議論は以前からあるが慎重にすべきであり、指導上の関係者との信頼関係があるという前提で、指導側が評価を示すことは可能であり、生徒本人にとっても必要な場合がある。指導要録との関係では文書で表現するのが主流であり、数量的に評価しにくい部分はそういう手法も活用いただく。(第14回)
  • 生徒指導要録における学習評価は、学校が地域や生徒の実態に即して定めた当該教科・科目の目標や内容に照らし評価するということになると、学校の多様性によって、評価の意味がずいぶん違っている。学校の評価はできるとしても、それは質保証にはなっていないのではないか、そこの整合性をどう作っていくかが大事ではないか。(第14回)
  • 企業は、例えば学校の推薦書があってもそれだけでは見ておらず、学校からこの生徒はどういう能力を持っているか等を書いた推薦書等を掘り下げる形で確認しており、点数だけで採用しているわけではない。今の若者に、無感動、それ以上の発展がない人が多く、感性の教育が重要であり、説明・議論する力などに加え、感性・感動する力を身に付けさせてほしい。点数の質保証ではなく、担当教員が生徒にこういう能力がある、というのも質保証。(第14回)
  • 評価は、伝えられた本人の納得性であり、やる気を引き出すのがポイント。評価しにくいものをしっかり生徒に伝えられるか、その仕組みはどういうものがあるかということも踏まえ、客観的に評価の対象としやすいものの評価と、それ以外のものの評価を同時にやるのか、それとも先ず評価しやすいもから先にしっかり進めるのかというのは議論があると思う。(第14回)
  • (修得の確認は)これまで各学校でばらばらにやってきたが、その差が激しいことに対して社会や大学から問題と言われている。今の枠組みで校長に責任を任せるか、あるいは、共通テストのような学力調査テストを行い、共通の水準を図る方法も考えられる。(第13回)
  • 人間の行動について客観的に、科学的に判断できるという考え方自体が無理であり、あまり客観的な判断に固執すると、的確な人材育成ができなくなるのではないか。高校の先生が主観的に考え判断すればいい。それが信用されているかどうかは別の問題。(第13回)

5. その他

  • いろいろな地域や機関で学力を把握して教育改善や学習意欲につなげる取組がなされていると思うが、国はまさにこうした各地方の取組を全国的な取組にして支援することが役割ではないか。その際、序列化を防ぐため、複数の組織に対して支援すべき。(第14回)
  • 個々の生徒の質保証は可能なのか。他の国を見ても、教育機会等の条件を整えているという質保証はあるが、学力ないし獲得した資質などのアウトカムで評価して、それを質保証と考えるところは少ない。(第14回)
  • 筆記試験や実技試験等による客観的な評価の対象としやすいものについて、高大接続特別部会の場合での高等学校教育の質保証の仕組みは、大学入学者選抜との関係で考えられ、これとの整合性を図らないといけないのではないか。(第14回)

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