資料4 高等学校教育部会(第13回)における委員からの主な御意見

1 コアの要素についての意見

ア)コアとして求める能力等

  • コアの内容は二つに整理され、一つは基礎学力、基礎的な知識。二つ目は、人間として共通に身に付けなければならない力である。付け加えると、生涯学び続けようとする意欲も必要。
  • 基礎的な知識・技能、思考力、判断力、表現力等の能力、意欲・態度の三つについて範囲を広げることで、コミュニケーション能力など他の能力も含められる。それに含まれない公共心や倫理観、他人への思いやりも必要なものであり入れる必要がある。
  • コアについて、多様な価値観を持たせることは大切。主体的に学習を取り組む態度の中に入るかもしれないが、粘り強くやり続けるということも必要。また、価値観として、文理のバランスのとれた教養や、技術・技能やものづくり等も入れた方がいい。
  • 多様な他者の考え方や立場を理解する力やコミュニケーション能力を含めた人間関係形成力について、今の若い人達は弱い部分があり、総合的な学習の時間だけでなく、普段の教科の活動の中でも教えていく必要がある。
  • 産業界で必要とする人材として、自分の考えを持って存在感を示せるプレゼンス能力、その考えを発信するプレゼンテーション能力、また、他人と議論するディスカッション能力、ディベート力を身に付けてほしい。
  • 経済活動の基本となるものづくり教育は大切。
  • グローバル化の流れが加速する世界の中で、高校生が身に付けるべき能力として、クリティカルシンキングは重要。
  • 意欲があって初めて態度が育ってくるので、「主体的に学習に取り組む態度」は、「意欲・態度」とした方がいいのではないか。

イ)生徒に対し共通に求める内容・水準とコア

  • 国として質保証を考えていくならば、全ての生徒が最低限共通してできる内容とスタンダードということをコアとして考えるべきではないか。
  • 基礎的な知識・技能、思考力、判断力、表現力等の能力、意欲・態度の三つの学力要素がコアと考えるが、例えば各教科の中で最低限教えなければいけない知識やスキルは何か、絞っていくことが必要。
  • 基礎的な知識、技能は必履修科目に相当すると考えるが、生徒の実態を考えると、かなり絞る必要がある。
  • 基礎的な知識・技能、思考力、判断力、表現力等の能力、意欲・態度は、小・中・高、特別支援学校まで含むものであり、コアとしては広い。仮にそうだとしても、技能の水準や知識の量、能力の水準などレベルは異なる。修得はテストであれパフォーマンスであれ、何らかの形で校長が判断するエビデンスがなければならない。
  • コアについて、二重の意味で使われている。一つは最低限のレベルとするもの。もう一つは絶対に必要なもの。両方含めて考えるのもあるが、例えば、批判力は本当にどの子どもにも同じレベルで育てられるか。意欲もそうだが、最低限といえるものとは異なる。また、カリキュラム上の保証もなく、これは必要といわれても困るのではないか。
  • これが必要だと言われ、本人がそれを使って発展させれば後で身に付く基の力をコアと考えられないか。言語はその一つだと思っている。
  • アメリカでコモン・コア・スタンダードという共通カリキュラムを決めて、州のテストを育てようとしている。コアを決めるときに、共通必履修を作った考えをベースにするなど、かなり絞り込んだ方がよいと考えている。

ウ)評価との関係

  • コアは全ての生徒に共通して最低限修得させるべき内容であり、履修ではなく修得させることがコアであり、高校側がその修得を確認できるようなものでなければならない。
  • (公共心や倫理観等について)これらは点数にはできないが、教員が判断すればよい。
  • 高校生に身に付けさせるべき内容がコアであり、評価できるものに限定すると数が少なくなり、それでこれからの高校教育がいいかというのは疑問がある。学習意欲も中学校では各教科で評価しており、評価できるもので小さくまとめるのではなく、知徳体のバランスとれた人間の育成が大切。
  • 基礎的な知識は試験等で把握できるが、思いやりの心や奉仕の気持ちを育てることなどは点数を付けられない。しかし、高校生には限られないが、それは身に付けさせていかなければならないもの。
  • 修得という表現は一旦取り下げた方がよいのではないか。

2 コアと質保証との考え方についての意見

  • コアは修得ということであり、何も点数だけではなく、挨拶ができるなど、認知したらそれは修得である。修得イコール点数という基準で考えない組み立てをしてほしい。
  • 例えば、定量的に評価できるコアの部分と、先生が認める評価の部分を分けて考える必要があるのではないか。
  • 修得状況は数値だけで表せるものではないが、外に対し修得状況を客観的に示すような仕組みがなければいけない。その意味で、コアに関し、ある程度修得状況が明らかにできる内容などの区分けも必要ではないか。
  • (修得の確認は)これまで各学校でばらばらにやってきたが、その差が激しいことに対して社会や大学から問題と言われている。今の枠組みで校長に責任を任せるか、あるいは、共通テストのような学力調査テストを行い、共通の水準を図る方法も考えられる。
  • 人間の行動について客観的に、科学的に判断できるという考え方自体が無理であり、あまり客観的な判断に固執すると、的確な人材育成ができなくなるのではないか。高校の先生が主観的に考え判断すればいい。それが信用されているかどうかは別の問題。
  • 人間性や社会性などの人格面などは必要と思うが、最低限修得すべき質保証となると、かなり限定されるのではないか。挙げられたものはコアとして必要だが、いわゆる修得すべきものではなく、理念として、必要性を示すにとどまるのではないか。
  • 高校の質保証としては修得すべき内容のことに限る、ただし、その他の部分が身に付いているかは社会から判断してもらえるような仕組みを作ればいいのではないか。どちらかだけで質保証使用としない方がいいのではないか。
  • 誠実性などは行動として先生が確認できれば、その生徒は誠実性があると判断されると思う。確認の仕方は客観的なテストから、数字では表せず段階的な評価しかできないもの、イエス・ノーしか判断できないものなど、色々ある。ただし、修得することがコアということであれば、何らかの形でマスターしたことを確認できるものに定義しないといけないのではないか。

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