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資料3:品川委員提出資料

2010年12月3日
品川裕香
教育ジャーナリスト

 

中央教育審議会初等中等教育分科会
特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第8回)

論点整理案についての私見

 

1.「障害のある子ども」と「障害のない子ども」という表記について
  → 「教育的ニーズが各々ある、すべての子ども」としてはどうか?

 再三繰り返しているが、医学においても脳科学においても、発達障害は連続性で捉えられる。
 アスペルガー症候群や高機能自閉症などは「自閉症スペクトラム」であり、ディスレクシア(読み書きのLD)においても特異性言語障害や意味理解困難者等との間で連続性があることが英国ではすでに指摘されており(Bishop & Snowling 2004)、ヨーク州の公立小学校ではそういった現状を踏まえた指導内容に変えたと英国のディスレクシア研究の第一人者であるヨーク大学のヒューム博士は言っている。アメリカでも、発達障害の専門家でイエール大学医学部教授のトーマス・ブラウン博士は“発達障害を前頭葉の実行機能不全”としてLD・ADHD・アスペルガー症候群等を捉えることを打ちだし(ブラウン・モデル)、これが教育界に徐々に広まりつつある。
 我が国において、現状では「障害の有無」の判定をするのは医師だ。しかし、こういった発達障害について正確な判断ができる専門医がどれくらい存在しているのか、我々はもっと慎重に考えなければいけない。視力が悪くないのに教科書が読めないとき、保護者は子どもをまず眼科医に連れていくが、LDやディスレクシアの知識を持っている眼科医がどれだけいるのか? ある医師はその子のことをアスペルガー症候群だと言い、別の医師はADHDとLDだと診断する。そんなケースもいまだに少なくない。あるいは、障害と親が認めなければ、教師が認めなければ、学習不振児として落ちこぼされていくのを見過ごすのか?
 結局、こういった前頭葉の機能不全について「どこからが“非障害”でどこからが“障害”」と線引きするのは、高度な専門性がない限り、困難を極めると言っても過言ではない。発達障害の存在が医学的にも脳科学的にもエビデンスベースで理解されている以上、教育界に求められているのは、その子の脳神経の特性を踏まえ、その教育的ニーズに応じて個別と集団で徹底指導することである。なぜなら、発達障害は、impairment(機能不全)は一生続くにしても状態像が改善しdisorder(機能障害)にまでならないことは十分可能であり、それをなし得るのは医学(薬等による治療)ではなく、教育だからだ。そして、発達的な偏りは視覚障害者であろうが聴覚障害者であろうが身体障害者であろうが併せ持つことは十分ありうるのだ。
 「障害があるかないか」という従来の障害観に立つ限り、“大人が気がつかない”子どもの教育的ニーズは見落とされ、学習不振や学校不適応などといった形で子どもたちが不利益を被る。国の出す文書が、そういったことを助長する可能性があるようなものであってはならない。

 

2.就学相談・就学先決定について

    ○1 専門家

       就学相談・就学先を決定する際、LD・ADHDやアスペルガー症候群など発達障害の知識を持った医療(小児科医・小児神経科医・児童精神科医等)・言語・心理・福祉(作業療法・理学療法・educational optometrist等)・社会学・教育(教育委員会・特別支援教育士スーパーバイザー等)の専門家だと繰り返しているのは、現状の就学先決定があまりにも地域間格差が大きいからであり、不利益を被っているのは子どもたち本人だからである。
       確かに、東海村しかり、学際的な専門家が集まり、子どもの認知や言語、身体等をアセスメントして判断し相談に乗る自治体もある。そこには理解のある専門家、子どものことを熱心に思う保護者がいて、子どもにとっての最善が検討される。
       だが、一方で、保護者が直接入学予定の学校長と話し合い、その段階で課題が出てきたり齟齬が生まれたりしたら教育委員会が相談に入るが保護者の思いが伝わることもないまま就学先が決まって行くというところも多々ある。長年教育に携わった人が子どもの状態像を観察することもなく保護者面接だけで「経験やカン」で決めるという地域も多々ある。医師の診察は5分から10分程度であとは田中ビネーを使ってIQ数値を出し(結果を心理士が見るわけでもなく)、そのデータだけで医学モデル的に就学先を決めているところも少なくない。丸1日発達検査をし続け(自閉圏やADHDなどを持つ子どもには丸1日の検査など耐えられないのでアンバランスな面ばかりが強調されがち)、その1日のデータで判断しているところもある。あるいは、保護者が子どもの課題を認めず、保護者の思いだけで就学先が決まり、必要な時期に必要な教育が受けられない子どもも多々いる。
       さらに、自治体によって財源や社会的資源に限りがあるのは紛れもない事実だ。
       こういった課題が子どもたちに不利益にならないようにするためには、判定・相談・検証する学際的な専門機関を都道府県レベルで設置したい。とくに、学習が言語理解である以上、認知や病気の専門家だけではなく、言語理解の専門家(言語聴覚の専門家や特別支援教育士スーパーバイザーなど。言語聴覚士には吃音・構音障害など音声言語の知識はあってもディスレクシアやLD等読み書きや音韻・語用・意味など口頭言語、発達障害のことを知らない人が多いことも要注意)の関わりは必須。この機関で1年中、WISCやWPPSIなどをはじめもろもろの発達検査等アセスメントを受けられるようにし、相談にも判定にも乗り、今後の教育計画のグランドデザイン的なものまで提示したい。その一連の評価過程を書面にして保護者に渡し、そういったアセスメントベースに、その子どもが居住する地域の教育事情に詳しい教育行政の方と一緒に就学先を決めていきたい。
       以前も紹介したが、ある政令指定都市の教育センターでは年間4000件の相談を受けているが、そのうちの約50%が発達障害と思われる児童生徒についての相談だという。こういった実態を踏まえたとき、旧態依然とした障害観に基づく医学知識(小児科医や小児神経科医がみな発達障害について診断できるわけではない)や障害児教育の知識や現行の行政システムでは対応できないのが現実なのだ。

    ○2 保護者の同意について

       誤解のないように繰り返すが、保護者の同意がいらないと言っているのではまったくない。
       ただ保護者のニーズと子どものニーズが一致しないのは特殊ケース、少数派とは捉えられない現実にどう対処するのか、そこを問題にしている。虐待などのネグレクトもそうだし、子どもの発達的な偏りを受容できない保護者もおられるであろう。そのときの保護者の思いを優先させるのか、子どもの教育権を優先させるのか。教育権が誰のものかを考えれば、結果はおのずと見えてくるであろう。
       保護者が求めているのは、子どもの将来の可能性を見据え、ポテンシャルを最大限生かして自立し社会に参加し、自己実現したり社会貢献したりできるようになることだと、私は何千という保護者を取材していて痛感している。

 

3.効果測定とコミュニティスクール

 保護者の不安を少しでも解消し、その思いに少しでも応えるためには、○1子どものポテンシャルが、最大限伸びる教育が「実質的」に受けられる保障を行うこと(ニーズがアセスメントされ、そのアセスメントに基づいて教育内容が提示され、それをもとに教育の場が決まり、さらには受けている教育の内容と成果が定期的に効果測定され、将来の可能性を見据えてベストポジションが随時修正・調整されること) ○2その教育を受けたことが負のラベリングにならないこと、の2点が必須であろう。
 まず○1を解消するのが前述の専門機関であり、繰り返し提案している日本版OFSTEDのような、抜き打ちで教育内容の実態調査を行い、子どもたちの教育権が保障されているかどうか効果測定する第三の監査機関である。評価については、事務局から「学校評価が行われている」旨説明があったが、必要なのは「専門知識のある人による教育内容の効果測定」だ。就学判定、あるいは、それを受けての個別の支援計画等が、1年後3年後、具体的に子どもたちにどういう効果を出しているのか、子どもは判定された通り、支援計画が目指した通りのスキルがついているのか。費用対効果はどうなのか……。だが、こういったことを学校評価委員会的な組織はなしうるか?
 ところで先日、文科省からいじめについての調査結果が発表された。それによると昨年度1年間にいじめがあると認知した学校の76.1%が子どもにアンケート調査を行っていたのに対し、認知していない学校で行っていたのは60.2%に過ぎなかった。個別相談についても、認知している学校では88.6%が行っているのに対し、認知していない学校は73.6%しか行っていない。いじめの実態把握一つとっても、これくらい学校間格差があるという現実を踏まえたとき、教育内容の効果測定を学校や現状の学校評価委員会が“実質的に、厳密に、専門的に”行えるかと言ったら難しいのではないかと言わざるを得ない。
 ○2は、実はインクルーシブ教育がおこなわれるようになったからといって解消されるというような、簡単ものではない。なぜなら、「共に学べば障害のある人のことが理解できるようになる」といったことは、エビデンスベースの多様性を理解させるマネジメントや指導を教師が行わない限り、あとは蓋然性によるのが現実だからだ。ただ場を共有するだけでは、かえって差別を助長し、いじめが発生したり当該児童が不適応を起こしたりしてしまう原因になりうる。
 これを解消する一つの方法としては、コミュニティスクールのように、地域を巻き込んだ学校経営に変えていくことであろう。老若男女、子どものいる人もいない人も、インクルーシブ教育を実質的に行う学校の経営に関わって行くことで、「真の意味の多様性」を理解せざるを得ない環境に置かれるし、実はそれこそが「障害に対する社会全体の意識向上」のためのブレイクスルーになるのではないかと考える。コミュニティスクールになったことで、地域の人々の意識が膨大な議論と葛藤の末にどう変わって行ったかは、京都市の御池中学校のケースが参考になるのではないか。ちなみに、特別支援学校こそ地域に開き、コミュニティスクールのような学校経営に転換することが、地域から孤立しない学校になる一つの方法だと常々考えている。
 保護者たちが、子どもを地域の学校に入れたいというのは、それは学校を出た後に「友だち」の問題が残るからであろう。遠くの学校に通った場合、なんらかの課題がある子どもたちは学校を出てしまうと友だちが本当に少なくなる現状がある。それを見越して、保護者は地域の学校に入れ、少しでも友だちを作らせてあげたいと考えるのではないか。自分たちが死んでしまったあと、この子はどうするのか? 一人でも子どものことを知っている人が地域にいたら、と願う保護者のそのような気持ちに応えるには、「すべての子は●●(←自治体の名前)の子」というような子ども観が実質的に地域社会に定着することが求められる。教育のありようがシステム的に変わることで、こういった意識改革を促すことは十分可能だ。

 

4.組織力強化について

 再三申し上げているが、インクルーシブ教育を実質的に行うためには、学校アドミニストレーションを明確化する必要がある。目的達成ためには、個別の教師の指導力向上だけでは不十分であり、組織力の強化が重要だ。各学校のミッションを設定し、その目標達成を行うように組織化しなければ、頑張る先生が頑張り、手を抜く先生は手を抜く、という現状が続くことになり、結果として現場の徒労で終わる可能性もありうる。コーディネーターも必要だが、現場支援であってマネジメントに関与することは難しい。となると、インクルーシブ教育の実践においては、組織系統の再構築が必要なのは明白だ。
 組織強化のためには、たとえば現状でも副校長を二人置いている学校はあるが、これを学校の規模に応じて徹底するなど、教頭ら管理職を増やすようなシステムが必要だ。小さな学校では必要ないだろうが、大規模校などでは、教学担当と学生担当に分けるとよい(教学担当はカリキュラムや教員の問題、学生担当は生活指導の担当など)。諸外国の例からもわかるように、インクルーシブ教育はより専門性が求められる上、システマティックに各部署との連携が求められる。生活指導と教学の概念を一緒にしないで、学校経営をプロ化することが求められる。

 

5.デジタル教科書(副教材)について

 「すべての子どもに配布する教科書のすべてをデジタル化する」については、メリットデメリットがあるのは当然である。悪化などの副作用も考えると、ベーシックなアカデミックスキルが向上するのか、コミュニケーション能力や対人関係能力や問題解決能力が変わってくるのかなど、せめてRST、できればSRのある比較研究の結果が出てから導入の云々について論じるべきだと考える。
 ただ、インクルーシブ教育を推進していく上で言えることは「あらゆる選択肢が必要」だということだ。教育の機会均等の点から考えれば、ドットが読みにくくパソコンはイラらつくという視覚認知の子もいるしLDの子もいる。あるいは、運動型の、ひたすら書いて自動化させることで学習するタイプの子どもにはデジタル教科書には書き込めないし、デジタルノートも同様で大変使いづらいものになる。一方、確かに音声化されることで助かるという子がいるのも事実だ。インクルーシブ教育を実質的に行うということは、こういった教科書や副教材やノートなどがIT系から従来の紙のバージョンまで多角的に用意されていて、どれを使うかという選択権は子どもにある、ということが必須である。

 

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-- 登録:平成22年12月 --