資料1 教員養成部会 教員免許制度ワーキンググループ(第1回) 議事要旨

1.日時

平成17年3月17日(木曜日) 17時~19時

2.場所

東京會舘 12階 「カトレアルーム」

3.出席者

梶田部会長、野村主査、角田副主査、天笠委員、門川委員、渡久山委員、八尾坂委員、山極委員、横山委員

文部科学省関係者

樋口審議官、板東審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、杉野専門教育課長、勝野視学官 他

4.議事

(1)主査の選任

委員の互選により、野村委員を主査に選任した。また、野村主査の指名により、角田委員を副主査に選任した。

(2)教員免許制度の改革、とりわけ教員免許更新制の導入について

事務局からの配付資料の説明の後、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。

 14年答申の時、開かれた学校作りの延長線上で、問題のある教員をオープンにした結果、国民から見て件数が増えたという印象があった。これを背景として、問題のある教員を排除するという論理のもと、更新制の議論を行い、結論は10年研によって資質能力を高める方向となったが、その後の実態を考えた時、疑問がある。条件附採用期間後の不採用者数を見ると、14年から15年に激増している。従来から条件附採用期間はあったが、実質的に機能していなかった。更新制によって何を得ようとしているのか、意義・目的をはっきりさせないと議論が進みにくい。免許の授与の段階についても議論をお願いしたい。

 14年答申で、慎重であるべきとされて2年しかたっていない。この2年で何が変わり、なぜ導入するのか、必然性について検討すべき。学校現場では、分限制度が活用されている。具体的な制度設計の前に、現状についてのデータを基に、必然性、妥当性について検討すべき。直ちに現職教員に適用されるものではないと仮定すると、教員養成や免許授与の要件を含めて、望ましい教員免許の在り方を検討する中で、現行制度の良し悪しも考える必要がある。制度設計が出来たら、現職やペーパーティチャーをどうするかを考えるべき。

 更新制導入については、危険な部分は排除しながら、より良いものにすれば良いと思う。教員免許は、国家試験がないため、単位履修証明書となっている。教育実習は、出身校でみんな優がつくのが現実。教員養成系大学でも、附属学校での実習は、教員になるための自信を付ける研修にはなるが、様々な環境の公立学校へ行った途端、自信を失ってやめていく。教育実習とは別に、ボランティアや一般校実習を義務づける必要がある。また、条件附採用期間は2年が良いのではないか。保護者や地域の教育力が全て教員にかかっている厳しい状況の中で、きまじめな学生が現場に行った時に、ぶつかってしまう。排除の論理ではなく、2年くらいかけて見たら良いと思う。更新制がプラスに作用していくのであれば、大学と免許状の授与権者、任命権者、学校の管理運営責任を持つ教育委員会の間で、現職研修を含めた制度設計が出来て、教員がモチベーションを高めながら、学び続け、免許が更新されていくものとなる可能性があるのではないか。
 ペーパーティーチャーがマイナスイメージでいわれるが、潜在的な教育力となっている。PTAやボランティア等の中には、教員免許を持っている方がおり、地域の教育力の向上につながっている。教壇に立っていないということで排除してしまうと、教員採用が少ない時期には、免許を取らなくなる。多くの教員が養成されるということは良いことだと思う。ペーパーティーチャーについては、例えば、教育等に関わるボランティア経験や大学の公開講座の受講等を更新の要件とすれば、全体としての教育力の向上になるのではないか。

 現行の初任者研修において適格性に欠ける教員がいることは、免許制度と直接結びつくことではない。また、非常勤講師等は期限付きで任用されているが、正規の教員と異なり、初任者研修を受けていないという実態を踏まえる必要がある。また、10年研を受けないという教員はおらず、現状の実態を押さえておく必要がある。更新制の有効期限と10年研との関わりも問題となる。

 採用試験を受けて通らなかった方が、臨時に任用され、初任者研修も受けないというのはどうなのか、議論していく必要があるのではありませんか。

 14年答申と今回の諮問との間隔が短いですので、なぜそうなったのか説明は必要である。前回は見送ったが、同時に今後検討が必要という条件が書かれていた。その一つは免許制度の抜本的検討とあわせて、更新制の検討が必要ということ。免許制度の抜本的検討が必要とされる一方で、今秋までに更新制を検討するとされており、「抜本的」の範囲の整理が必要ではないか。適格性を確認した上での免許の授与と、初任者研修との関係は避けて通れないのではないか。更新制の代わりに10年研がクローズアップされたが、まだ試行錯誤の段階であり、現状をどのように捉えたらよいのか。実態は、10年研の趣旨が理解されていない。今後、10年研は更新制の趣旨云々というより、10年目の研修として具体化されていく可能性が強い。個別にメニューが作られているものもあるが、趣旨にあった形で作られているかというと、検討の余地がある。更新制が目指したところが理解されていないので、更新制の意義、ねらいをもう一度検討することが必要ではないか。

 今秋に答申ということであれば、専門職大学院と更新制を先に出し、免許制度についてはもう少し後という方策もある。大学の教職課程の履修者に直ちに免許を与えるのは問題であり、修得認定書だけで良い。採用試験のペーパーテストは国家試験にすべきである。国家試験を課すことで、教員養成大学のシラバスが決まっていく。一方、面接や実技試験は教育委員会が行い、そこで適性を見て、合格者に仮免許状を与える、さらに初任者研修の目標を達した者に正規の免許状を授与する、更新制は正規の免許状の保有者を対象に行なっていく、というような抜本的な改革をする必要がある。更新制については、上進制、初任研、10年研、処遇等を統一的に考えて導入する必要がある。教育内容が易しくなっているのに、子どもの学力が低下しているというのは、教員の指導力、授業力の問題が一番大きい。ほとんどの教員は更新されると思うが、その中から優秀な教員を選び出して、上進なり資格認定していくのが良いのではないか。

 更新制はやり方を考えながら導入したいと思う。問題教員を排除するために、更新制を導入するとなると、14年答申と合わなくなる。なぜ、更新制を導入するのかについて理論構成をしなければ、ぶれているのではないかという指摘が出てくる。現在、各都道府県では人事考課が行われている。教員の指導力不足等の問題については、人事考課や業績評価、給与の問題と連動してクリアできる可能性はある。現在の教員の問題は置いた上で、更新制を考える必要がある。同時に、教員の養成、採用、研修、処遇などが絡み合っており、全てを秋口までに結論を出すとすると非常に時間がかかるため、ポイントを絞る必要がある。現場の校長としてみると、新採教員の中には、能力の問題だけでなく、親や子どもの対応への疲れ、一生懸命やるが評価されない、同僚や校長は応援しているが夜討ち朝駆けのように電話がかかってくるなど、自分の夢が崩れ、人間性を否定されてやめる者もいる。教職に夢を持つ教員が育てられるような環境を整備し、保護者や地域が支えていかなければならない。ペーパーティーチャーについては、免許を持っていることを理由に、教員を責めてくるケースもあるので、しかるべき期限が過ぎたら失効する手だてが必要だと思う。

 14年答申の中では、10年研は5年、10年、15年研の延長線上にあるものとは異質のものであるという認識のもと、更新制は見送ることになった。10年研については、各県でどのような形で行われているのか実態調査が必要である。今までは研修を受けさえすれば、どれだけ力がついたかは、ほとんど評価されなかったが、不十分であれば再度研修を受けさせるなど、研修における評価が必要である。排除のための更新制ではなく、研修を受ければ十分力を持って子どもの前に立てる教員をつくるという更新制を考えたらどうか。また、夢を持って教員になった者が、数ヶ月でやめていく現実は変えなければならない。実力を付けて送り出していくシステムを作らなければならないし、また、尊敬され、夢を持って教員になるような人たちが増えるような社会にしなければならない。医師や弁護士は終身免許で更新制はないが、医師や弁護士は、患者や相談者が選ぶことができる。更新制はないが、利用者から選ばれ、審査されている。教員の場合は、子どもが選ぶことができず、医師や弁護士と同じに扱うことはできないのではないか。

 資料3を参考に、更新制に視点を当てつつ、教員免許制度との関わりを持ちながら検討していくのが良い。人事評価や指導力不足教員の問題は、直接結びつくものではないと考えれば良い。10年研については、自己評価が入り、研修ニーズに応じた選択メニューなどを用意していることがメリットだと考える。各県は10年研の評価を持っており、また、ほとんどの県で人事評価も行なっているが、ねらいは排除でなく、育成評価である。その視点は、更新制にもつながると思う。初任者がソーシャルスキルが弱く、不本意ながらやめていくという話を聞くと、養成段階でソーシャルスキルの育成も必要だと考える。学校そのものの職場環境づくりも必要である。国家試験に関しては、米国では、大学での単位修得と州の試験がある。日本での一般教養、教職教養、専門教養の受験が、全員に義務づけられており、学区における採用の際の参考になっている。試験は何回もあり、ペーパー試験だけでなく、模擬授業、ティーチングポートフォリオのようなものもある。米国の場合は、採用試験がなく、我が国で国家試験を導入するとなると採用とどうリンクするのか。

 10年研は、現場では非常に不評。10年たったら評価は固まっている。画一的な研修は行わず、色々なメニューを取り入れているが、およそ研修の必要性もない教員もいる。優秀な教員には別メニューを研修に代えても良い。各都道府県でも色々な手法を加えているが、これが更新制の代替だとは思えない。10年目というのは、激務の最中であり、ここに義務的な研修を入れることにどのような意味があるのか。一番必要な研修は、教員同士の教材研究や、学校を越えた公開授業やその後の研究であり、これらを服務上の研修とした方が、教員の自主的な向上が期待できる。米国は少なくとも単年度契約であるため、色々な資格を取って自己啓発しようとするのは当然であり、日本の場合とは異なる。

 10年研で良いのは、代替的なメニューがあることだが、実はそれは米国で行なっていることでもある。更新制について、基準は州がつくるが、研修内容は各学区の判断で自主的な研修や本人のニーズに合った内容を入れている。各教員のキャリアに応じて、本人の自主的な意欲を高めるための研修メニューというのは、更新制を導入した場合にも必要である。国が制度として設けるのは一定の枠であり、具体的な内容は各教育委員会で検討するものだと考える。

 免許の授与件数は多いが、教員になろうと思っている人は少ない、また中学や高校の場合、教育学部で理科を専攻した者より、理学部出身者の方が優秀といわれることがある。しかし、今後、大量の教員が必要となってくる。イギリスでは、給料が安い、期待が大きい等の理由で、やめていく教員が多い。アメリカの場合、自分で資格を取って上がろうとするが、受からない場合があり、代用教員で対応している。教職は、夢のある職業かというと、非常に厳しいと思う。今、学校では正規教員の比率が減っており、その分、負担が大きくなっている。教職のあるべき姿をきちんと整理しなければ、更新制の導入以前に、夢のある職場でなくなってしまう。

 初等中等教育の教員の質の低下は諸外国と同じ。その中で、優秀な教員や質の高い教育を維持していかなければならず、ここに更新制の必要があると考える。学力は、教員の指導力と子どもの学習努力、家庭の教育力の総和で上がっていくものである。教員の指導力は、どのように評価されているのか。更新制については、排除するのではなく、処遇をきちんとしていけば優秀な人材は来る。これからは、学校に競争原理を入れていくべきであり、優秀なやる気のある教員を入れなければならない。

 教職の信頼を取り戻すことは大切である。教職に対する信頼の確立に関しては、外部評価の導入など、14年答申で書かれている。教職、学校、教員の社会的信頼の向上について、一連の体系を提示したのではないか。その中で、改めて更新制がどのようなインパクトを持つのか議論する必要がある。また、前回、10年研が出されたが、更新制を打ち出した場合、どれほどの成果が得られるのか見通し、吟味が必要。他の様々な施策との関連の中で、更新制のインパクトを相対的に評価しなければならない。前回、医師や弁護士等との比較において見送ったが、仮に他は他として、教職は教職として捉えるのであれば、その論理をどのように組み立てるのかは、大きなテーマになる。教職における更新制は、参考資料2の中で、どのような位置づけ・性格になるのか、他の資格における更新制との関係で、教職はどのような在り方が考えられるのか。他の資格は、教職に比べると少数で、性格がはっきりしている。教職の場合、職務上の広範な能力が求められ、また人数も多いことをどのように考えるのか検討しなければならない。

 参考資料1は、ある程度養成、教育を受ければ永続的に担保されるというもの。参考資料2は、身体的条件が備わっていることを前提としているもの。教員の場合は、参考資料1の方に近い。教員の場合、教育実践を通じて、現場で養成される。また、採用試験が難しく、熱意や使命感などは面接の中で見るが、ペーパーテストでは大学卒の中から優秀な者が教員になっている。

 参考資料1の中では、医師も更新制を検討しようとしている。ただ、仮に医師の更新制ができた場合は、医療事故の関係から排除の論理が出てくると思うので、教員とは異なる。医師の場合は、大学病院に行けば、単なる医師ではなく、内科の専門医あるいは認定医、指導医などとなっている。専門医などになるためには、例えば、手術を何回以上、研修を何日以上などの条件が必要である。これは更新制そのものではないが、教員免許の更新制もこのようなものではないか。更新によって、優秀な教員には認定教諭や専門教諭、指導教諭などの資格を与え、処遇を改善していくような制度としなければならない。最低限のことをしていれば更新はされるが、更に付加価値を付けていく必要がある。

 ここ10年の間に、教員も大学も随分変わってきている。大学とボランティア協定を結び、学生に学校に入ってもらい、不登校の子の家庭訪問まで行なっている。教育困難な時代に、教員になろうとする学生のモチベーションは高い。制度改革をしていかなければならないとは思うが、あまりにも教師責任論ばかりとなるのは問題である。研修についても、体制や条件整備を図っていかなければならないが、熱意のある教員がモチベーションを高めて、専門性を高めていくための条件整備が整っていないのではないか。公開授業などは以前と比べて随分盛んになってきており、これらをどのように制度的に保証していくか。研修はいささか飽和状態にあり、特化、自由化、組織化が必要である。特化とは必要な人に必要な研修を行うこと、自由化とは選択させること、組織化とは現場で育てることである。このような改革をして、教員の指導力を高めるようにしている。

 今なぜ更新制なのかという意見もあるが、むしろ様々な社会の批判がある中で、排除の論理ではなく、これだけの力を持った教員であると保証するようなものとして、更新制が考えられないか。更新の時だけ学ぶのではなく、色々なメニューの中から実力に応じて、日常的に研修を重ね、それにより更新を受ける資格が与えられ、さらに処遇面でも評価されるような方針が出てくれば良い。また、教員になったが、夢破れてやめるという人の中には、忙しすぎて、本来の仕事ができないという面がある。教員の仕事を整理していかなければ、教員が実力を発揮できないと思う。

5.閉会

お問合せ先

初等中等教育局教職員課

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